2009年12月17日木曜日

戦後は終わっていない



                   沖縄普天間基地

 戦後、アメリカの属国としての日本は吉田茂以来その門弟達によって引き継がれ、その政治体制は吉田の孫の麻生太郎まで脈々と続いてきた。鳩山内閣の普天間基地移転問題再考、インド洋での石油補給延長無し等の意思表示は鳩山内閣が明らかに吉田亜流と一線を画していることを内外に示した。


今回沖縄の米軍基地移転問題も来年の日米安保条約改定50周年の節目を前にして、従来の対米従属からの脱却とアジアを視野に入れた多極主義的な色合いを感じさせる民主党の動きに対して自民党やマスコミを含め批判的な論調が多い。

日米安保は今後の日本を占う正念場であるので、そう簡単に米国の思うままに基地問題の解決を早急に図ってはならない点では、来年度持ち越しは正解であるだろう。すんなり前政権の方針を踏襲するだけなら誰も苦労はしない。わが国は沖縄から覚醒する時点に立っている。


現在アメリカとの水面下でのせめぎ合いが継続中であるが、そんな状況の中、国際情勢解説者、田中 宇氏がウエブ上で興味深い記事を載せていたので御紹介させていただくと以下のとおりである。


●日本のマスコミや国会では「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊の司令部が中心であり、ヘリコプター部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」という説明がなされてきた。しかし伊波市長ら宜野湾市役所の人々が調べたところ、司令部だけでなく、実戦部隊の大半や補給部隊など兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることがわかった。

 ヘリ部隊や地上戦闘部隊(歩兵部隊)のほとんどがグアムに移転するなら、普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄(日本国内)に作る必要はない。辺野古移転をめぐる、この数年の大騒ぎは、最初からまったく不必要だったことになる。

米軍が沖縄海兵隊をグアムに全移転する計画を開始したのは2006年である。日本政府は米軍のグアム移転に巨額の金を出しており、外務省など政府の事務方は米軍のグアム移転計画の詳細を知っていたはずだが、知らないふりをして「グアムに移る海兵隊は司令部などで、沖縄に残るヘリ部隊のために辺野古の新基地が必要だ」と言い続けてきた。
米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いてあることを根拠に、同市長は12月9日には外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊はすべてグアムに移転することになっているはずだと主張したが、外務省側は「我々の理解ではそうなっていない」と反論し、話は平行線に終わった。
沖縄海兵隊の「実数」は、軍人1万2500人、家族8000人の計2万0500人だ。これに対してグアムが受け入れる人数は軍人8000人、家族9000人の計1万7000人で沖縄には3500人ほど駐留する計算であるが、外務省は10000人と表明している。さらに外務省は「米国に逆らうと大変なことになりますよ」と政治家や産業界を脅し、その一方で、この「1万人継続駐留」を活用して思いやり予算などを政府に継続支出させている。
この「グアム統合軍事開発計画」は、グアムを世界でも有数の総合的な軍事拠点として開発する戦略だ。米国は「ユーラシア包囲網」を作っていた冷戦時代には、日本や韓国、フィリピンなどの諸国での米軍駐留を望んだが、冷戦後、各国に駐留する必要はなくなり、日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどから2000海里以下のほぼ等距離にあるグアム島を新たな拠点にして、日韓などから撤退しようと考えてきた。
日本政府が沖縄海兵隊グアム移転の費用の大半(総額103億ドルのうち61億ドル)を払うことが決まった。米軍は、日本が建設費を負担してくれるので、グアムに世界有数の総合的な軍事拠点を新設することにしたと考えられる。



日本の将来を決する天王山に

「海兵隊はグアムに全移転しようとしている」という、宜野湾市長の指摘も、マスコミでは報じられなかった。だが、11月末に伊波市長がその件を与党議員に説明した後、12月に入って鳩山首相が「そろそろ普天間問題に日本としての決着をつけねばならない」「グアムへの全移転も検討対象だ」と発言し、事態が一気に流動化した。鳩山がグアム全移転を言い出したことが、伊波市長の指摘と関係あるのかどうかわからないが、議論の落としどころは「グアム全移転」で、それに対する反対意見を一つずつガス抜きしていくような展開が始まっている。

日米首脳会談、要請もできず…米側も消極的

海兵隊グアム全移転が政府方針になると、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話に基づく対米従属の構造が崩れ、外務省など官僚機構は力を失っていく。だから外務省とその傘下の勢力は、全力で抵抗している。事態は、日本の将来を決する「天王山」的な戦いとなってきた。自民党は、民主党政権を批判すべく、今こそとばかり党内に大号令をかけた。自民党は、官僚依存・対米従属の旧方針を捨て、保守党としての新たな方向をめざすべきなのだが、依然として官僚の下僕役しか演じないのは愚かである。

   以上 <中略>





 今回の問題は「55年体制」として事実上の一党独裁政治を継続してきた自民党政権が擁護温存してきた米軍基地問題の象徴である。そして、今もかれら自民党はこの「不平等条約」としての本質を持つ安保条約にもとづく基地提供だとして沖縄の米軍基地を擁護し、普天間の辺野古移設を「国と国との約束」として鳩山政権へ履行を迫っている。メディアもまた「日米関係の基盤は安保条約であり、日本が基地を提供するのは不可欠の要件である」(「朝日」10日社説)という旧安保時代の論議を展開している。


船頭多くて船進まずの日本丸であるが、鳩山内閣が米国の恫喝に屈せずに決定される決断次第で、真の独立国家としての出発と、長い戦後が終わることになるだろう。またそれは戦後わが国を懐柔してきた米国の日本に対する見方が変わることを意味している。今、国民が選んだ民主党が答えを出さなければならない最大の政治課題を国民は固唾を飲んで見ている。

2009年12月9日水曜日

アートな話「現代アートの行方」


                 デュシャン 階段を下りる裸体

20世紀に入ると周知のように、美術の舞台はヨーロッパからアメリカに移り、現代アートは多様な歩みを始めていく。

20世紀初頭の創生期に戦時下の前衛美術表現が弾圧される中で、ヨーロッパで戦禍を逃れたモダンアートの一派はアメリカへと渡ったデュシャン、モンドリアンに始まって、 50年代、近代芸術の突破を果たした抽象表現主義絵画 ポロック、デ・クーニングや、続いて現れた現代都市の事物と記号化された表現 や、ネオ・ダダのラウシェンバーグやジャスパージョーンズそして60年代、アメリカ現代美術は商業主義と結びつき、リキテンシュタイン、ウォーホルに代表されるポップアートを生んだ。                                                                          


●60年代後半からスーパーリアリズムと言うジャンルが登場する


                         リチャード .エステス
写真と見まごうばかりの驚くべきリアリズムで現代の風物を鮮烈に描き出す絵画。スーパーリアリズムと呼ばれるこの動向は、ポップ・アート最盛期の1960年代後半のアメリカに登場した。「リアリズム(写実)を超えた迫真のリアリズム」を意味するこの表現法は、絵画制作に写真の映像をきわめて意識的に導入し、カメラ・アイ(=機械の眼)を世界を見る手段の中心に据えることで、新しい視覚世界の地平を開いた。日常世界を撮した写真を素材にして描かれた作品は,対象への思い入れや主観的な感情をいっさい排除しクールに描写する表現が特徴で、スライド写真などの映像を忠実に写しとるためフォトリアリズムとも呼ばれ、その無機的な表現法は現代に潜む孤独と虚無を映し出ている。
1970年代以降は世界的に流行し、日本にも三尾公三や森秀雄などの作家がいるが、ちょうど日本経済が高度成長期から成熟期に入った頃で、日本特有の情念的なリアリズムはアメリカのリアリズムとは違った様相を示していたように思う。このころわが国では、絵筆に代わってエアーブラシによる絵画制作がはやり、筆者もエアーブラシを使った絵画に手を染めていた頃である。
スーパーリアリズムとは、写真というメディアによってもたらされた新しい映像世界を、 再び「人間の手で描かれた絵画」という伝統的な枠組みのなかに息づかせようとしたものであった。スーパーリアリズムの絵画では、日常性をを彩る風物がモティーフとなっており。驚嘆すべきテクニックを駆使して活写された画面に は、アメリカが抱えているその時代が描き出されていた。

20世紀アメリカは、現代の典型となる強力な社会システムとしての「大量生産/大量消費社会システム」あるいは「記号化社会システム」を作り上げた。
しかし、ギリシャ、ローマに始まる古典から近代に至る文化を築いたヨーロッパ諸国にしてみれば、アメリカは安価で高機能だが品の悪い機械を大量生産するだけの非文化的な大国に見えたことだろう。
アメリカにとって、ポップ・アートを中核とする20世紀アメリカ現代美術の誕生は、超合理的に物質的豊かさのみをひたすら追求する社会システムのなかで花開いた絵画が、文化システム国家に押し上げたことを意味している。
芸術の後進国の汚名を返上したばかりか、このあらたな産業・文化システム、システム「アメリカ」を広大な自国を皮切りに自国外の旧世界に向けて伝播させるメディアを得たのである。


芸術と酒は人間の精神を解放する作用がある点で一致する。芸術には個の創出した世界を生み、個人を解放する作用があり、芸術の本質は、個人の側に立った人間の解放作用である。その表現手法はどのジャンルにおいても時代を反映するものであり、時代の表現は次の時代の芽吹きとなる新たな世界の志向性を内包している。つまりその時代の目となって表現されるものが芸術のリアリズムであるだろう。




                    村上 隆 フィギュアー
                      
 今、日本発の現代アートは、アニメと漫画にとってかわり、日本的なアニメやマンガを連想させる村上隆や奈良美智の作風への評価が定まってきたことに加え、コンテンポラリーな美術シーンが展開している。
2006年5月、ニューヨークのオークションで、両者の作品がそれぞれ100万ドルを超える値で落札されたことも時代を現わしている。



「人間社会は、いま人類史上かってないほど大きな変貌をとげようとしている。物理空間を基盤に構成された社会から、情報空間を基盤に構成される社会へ変わろうとしているのである。この変化は、森を基盤に生活していた縄文人が、畠を基盤に生活する弥生人にとって代わられたよりはるかに大きな変化になるだろう」と評論家立花隆は 「インターネット探検」1996 , 講談社で述べている。

一方通行のマスメディアに対して、いつでもどこでも自由にコンタクトできるインターネットは超民主的なメディアで、それは現在の世界の枠組み、国家や社会、大企業などの組織のあり方を必ずしも絶対的なものとしない、新たな世界の到来を予告しており、この流れは誰も止められない。 


また一方で、視覚芸術領域を変えたもう一つの現在の時空をあらわす技術に、コンピューター. グラフィックス(CG)がある。私たちは日常的にCG映像にふれ、それをもはや特殊なものと思わずに楽しむようになっている。
映画の特殊撮影、テレビ番組のタイトルやエンディング、強い印象を与えるCMには、必ずと言っていいほど、CG映像が使われている。また写真映像も多くの場合、コンピューター処理がなされている。これらのことから私たちの時代は、CGによって高度に視覚化された概念像をもつようになっていった。

自在でスムーズな視点の移動とイメージの変化は、CG以外では作り出せなかったものである。クリアーに視覚化された概念像を我々に提供するCGは、概念と視覚の問題を占有しようとする現代芸術に、より高次元の概念化を強いていると言えるだろう。









2009年12月2日水曜日

知られざる中国



中国が核武装を決意したのは、建国の5,6年後の1955~56年という非常に早い時期である。朝鮮戦争(1950~53)、インドシナ戦争(~54)、台湾海峡での国民党政府軍との戦争(54~55)と、立て続けに戦争を行い、しばしば米国の核兵器に威嚇された。
朝鮮戦争ではマッカーサーが中国に対して原爆使用を提案し、トルーマン大統領に解任されている。毛沢東は米国のような大国に対して、対等な発言権を持つには核兵器が必要であることを明確に認識していた。


.『シルクロードの死神

ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。
 ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。ところが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、彼は被爆したのかも知れない。


4月30日の 産経新聞ならびに月刊「正論」6月号の高田レポートによると


新彊ウイグル自治区の南部に広がる西遊記でおなじみのタクラマカン砂漠には、 中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では直接、放射性物質が降り注ぐ。大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。

こうした状況を報道したドキュメンタリー "Death on theSilk Road" 『シルクロードの死神』が1998年、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。なぜか我 が国は放映されていない。

中国核実験の実態


東トルキスタン地域は、中国共産党が1949(昭和24)年に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最初の核実験が1964(昭和39)年10月の東京オリンピック期間中に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつてソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と比較しても民族浄化のそのえぐいやり方は群を抜いている。
ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。

一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかったと、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガトンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかった。(核爆発)基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。このためにわが国では放射性物質の観測データにほとんど出ていない。
中国は90年代にこの地域で11回もの核爆発を行っており、東トルキスタン南部のタリム盆地での石油・天然ガス油田開発が始まった時期と一致していることから、高田教授は資源開発に核兵器が使われたと推定している。つまり核爆発により地震を人工的に起こし、そこで発生した地震波の伝わり方を調べて、地下の構造を分析する手法である。ソ連もこの目的で12回の核爆発をシベリアで行っている。


● 中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがあるとしている。

爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネルギーのガンマ線やベータ線、アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達するという。中国の核実験は、核防護策がずさんで、被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万人のうち多くが死亡したとみられる。

広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批判している。


東トルキスタンの人口は2005(平成17)年で2千万人である。中共政府はその地で、住民を退避させることもなく、核爆発を行った。高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの報告値と良く一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、核の砂による急性死亡は19万人となった。2メガトン地表核爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜-名古屋間に及ぶ範囲で、急性死亡のリスクがあった。この地域では核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったということになる。
また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射線障害のリスクのある地域は、風下およそ440キロメートルに及ぶ。東京-大阪間に相当する距離である。この地域で白血病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定された。



被爆地に呼び寄せられる日本人観光客

楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられ,それ以降も核爆発は続いていたのである。
この間シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点の ごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがありこれに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年ま での日本人観光客数は57万人と見積もられている。このペースだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。

戦後唯一の被爆国の日本人が、皮肉にもそれ以上の被爆地に観光で訪れている。こうした日本人への影響調査が必要と高田教授は 指摘している。



 

2009年11月23日月曜日

国家予算の大掃除


官僚支配に代わる国民主権の統治構造を作るのがこれからの日本政治の課題であるが、歴史上、明治政府が徳川幕藩体制に代わる統治の仕組みを作るまでに22年かかった。政権交代の終わった今回もそのぐらい時間がかかりかねない予兆が、混沌とした旧体制と民主党のせめぎあいの現況にある。


資本主義国家とは言え、社会主義国家のような国日本。社会主義とは「官僚が力を持って計画経済ならびに国政を行う体制である。官僚主導の政治体制を政治家主導の政治体制に置き換えていく困難な作業が今民主党の手で進められている。


国権の最高機関と言われながら官僚機構の手のひらに載せられてきた国会を本物の最高機関にする改革に取り組むことが民主党に求められている。


その第一歩が事業仕分け作業であるが、連日テレビでワイドショーのように公開され、今まで国民が知らなかった財政支出の一部が、白日の下に明らかにされて行き、必殺仕分け人が1案件1時間と言う異例の速さで作業が進んでいく。
国民にとって心地の良いテンポであるが、十分に議論されないまま、仕分け結果の予算への反映が不明確で、どう変容していくかは国民の興味のあるところである。





その流れをみると

.評価作業の判断基準は対象の事業の必要性であるが、それが本当に社会から  求められている事業かどうかを判断し、不要となれば対象から外される段取りになっている。

.その事業の担い手については、国が担うべきものか地方が担うものかを判定する。

.来年度予算に直ちに入れなければならない緊要性の判定。

.内容や手法への評価では、事業の内容・組織・制度等に改革の余地はあるのかどうかを議論し、ここで了となっても、

「改革」として、さらなる改廃、改善が探られる。

.予算規模の検討をして予算の大きさの必要性を評価し、場合によっては縮減をするという選択肢が採られる。



これら事業仕分けは始まったばかりであるが、細部に当たっては賛否両論、喧々諤々の議論が飛び交っているが、振り返ってみてこの時代のそれぞれの選択が正しかったかどうかは、のちの歴史的評価に委ねられるであろうが、これらの作業によって少なくとも不要な多くの天下り法人の整理が期待されている。
とりあえずは一国民として民主党の活動を見守って行くしかないだろう。

2009年11月14日土曜日

第4回鎌倉芸術祭


古都鎌倉で始まった鎌倉芸術祭は、芸術に造詣の深い人々が多く住む鎌倉で、市内の寺社や画廊などで行われる多くのイベントを、まち全体をアート会場として市内外の人に楽しんでもらおうと企画されたもので今年で4回を数えることになる。




音楽や美術、映像など様々なアートイベントを結びつけて秋の鎌倉を盛り上げる「鎌倉芸術祭」であるが、開催期間は10月4日(土)から12月5日(金)まである。
「鎌倉ルネッサンス」をテーマに、今年は鶴岡八幡宮の「ぼんぼり祭」回顧展が行われるほか、建長寺を始め円覚寺などでおこなわれる恒例の宝物風入れの中で、今年は鎌倉彫とかかわりの深い円覚寺において鎌倉彫の業界関係の作家26人展も開かれ、私も参加させていただいた。




この芸術祭の主催は(財)鎌倉市芸術文化振興財団。後援に鎌倉市、市教委、鎌倉商工会議所、市観光協会。寺社や市観光協会などのメンバーからなり、鎌倉芸術祭実行委員会では、「鎌倉ゆかりのアーティストたちのイベントを、秋という季節の中でゆっくりと楽しんでもらおう。」という趣旨の企画である。
これも地域活性化の好例でもあり、今後の定着を望むところである。

2009年11月11日水曜日

アートな話 図案の原点 






画像1
 



 1960年代にフランスの数学者マンデルブローにより導入された幾何学の概念に、部分が全体と相似(自己相似)となるような相似形の図形にフラクタル図形というものがある.
マンデルブロー集合という終わることのない無限に込み入った複雑な模様は、デザインの世界でも多く見られる。人によってはこれを神の原理を発見したものと言っている。そしてマンデルブローは「自然はフラクタルである」、つまり自然の形成原理は「自己相似性にある」と言っている。一度フラクタルの目を持つと自然界の至る所、そして宇宙にもフラクタル図形を見いだす事ができる。良く観察すると、どの一部にも全体の構造が見出せるのである。樹木の分布、神経の樹状突起、、血管分布、大脳の溝、リアス式の海岸線や雲の形、ブロッコリー、玉ねぎ、宇宙の構造・・・などなど・・に見る事ができる。
例えば画像1の図形の全体構図をそれぞれに枝に置き換えてみると図形のようになっていき、更にその小枝に全体の構図をどんどん置き換えてゆくと、図のようなデザインが完成する。
画像2

宇宙の構造を密教では曼荼羅(まんだら)というフラクタルな図形で表現している。マンダラとは古代インドのサンスクリットが原語で「本質を表示(表現)せるもの」と言う意味で、どちらも中心に座すのは「大日如来」と言う宇宙最高仏となる。 マンダラの原理は「中心の原理」と言う常に変わらない原理の中にある。
宇宙と人間(小宇宙)と言う概念を密教では「私達人間それぞれに大宇宙が含み込まれており、この自分が宇宙そのものであり、宇宙そのものが自分自身である」と教えており、これは正にフラクタルの概念である。



同じことを仏教では「三界(現世)は唯心の所現」と表現している。これは、この世の一切の現象は自分の心が作り出した仮想の世界で、自分の想念を変える事で世の中(仮想の世界)はいくらでも変える事が出来ると言っている。数千年の歴史を有している仏教(近代科学はたかだか百数十年であるが)の仏典とも言える「般若心経」はキリスト教の聖書に当るものだと言える。般若心経の中では「色即是空・空即是色(しきそくぜくう・くうそくぜしき)」と教えている。ここで言う「色」とは宇宙の森羅万象、あらゆる物質存在を指しており、「空」とは宇宙(空間・真空)の事で、 つまり「この世のあらゆる物質存在(色)を生じさせている究極物質こそ空間(空)であり、万物(色)はまた空間(空)に還ってゆく」と言及している。




画像3

さて、我々になじみの深い画像3の唐草模様であるが、紀元前から世界各地で存在しており、これもフラクタルな要素を秘めている。唐草は古代エジプト時代に始まるといわれている。自然界の渦や蔓草などから発生した古代の唐草文様はシャーマニズム(呪術的、霊的な思考形態)から発し、古代エジプトからは睡蓮の唐草、神秘の蔓はペルシャ、インド、中国を経て日本にたどりつく。悠久の歴史のなかで一方ではロマネスク、他方ではアラベスクへと変容していく唐草は人々の目を魅了する力をもった文様でもある。19世紀末に文様史研究の口火を切ったオーストリアの美術史家アーロイス.リーグルは、唐草創造の長いプロセスを要約しながら、唐草は古代エジプトにおいてロータス(水連)から出発したのではないかと指摘する。そして、紀元前2000~1400年ごろの石碑や食器に側面系のロータスの花が文様として使用されていることなどから、そのロータスの側面系の萼とロゼットの正面系の花冠が融合しエジプト様式のパルメット唐草が完成してゆくという仮説を立てた。上の画像の最後にに唐草文のバリエーションを載せてみたので見ていただきたい。

2009年11月7日土曜日

女の処方箋


 このところ女性が男性をだます結婚詐欺のニュースが目に付くようになった。周辺で次々男性が不審な死を遂げた東京都の無職の女(34)や鳥取県の元ホステス(35)の手口の似たような事件だ。これまで結婚詐欺師といえば男が殆どというイメージがあるが、女の結婚詐欺師はインターネットの普及と共に急増し、ネットの結婚紹介所や出会い系サイトと称する所などを通じて被害が拡大している。いわばこれらのウエブサイトは犯罪の温床地帯でもある。


総額1億円の結婚詐欺容疑で逮捕された34歳の女は、インターネットで自分を「学生」「介護ヘルパー」などと自己紹介。ハンドルネームを使い分け、一度に複数の男性と交際。「学費が未納で卒業できない。卒業したらあなたに尽くします」などと結婚話を持ち掛けたという。金が口座に振り込まれた後は別れ話を切り出した。相手は40代から70代と幅広く、70代の男性は7400万円も渡していたとされている。いずれの男性とも独身で、女性との交際や結婚を真剣に考えていた人ばかり、だった。そして交際した数人が不審死を遂げている。ある弁護士によると女の結婚詐欺師は「街頭の売春婦」と同じであると言っている。


練炭による一酸化炭素中毒、睡眠薬。数々の疑惑点が殺人の線にどう結び付けられるか警察が調べを進めているが、事実とすれば怖い話だ。女の写真が一部新聞や雑誌に出ているのを見たが、今は亡き横綱によく似た顔をしており、だれが見ても食指の動くようなご面相ではない。
30代40代の男女未婚者は世間では年々増えてはいるが、女の30代は我々男から見ると一番脂の乗った女性の旬の年代でもある。知ってか知らずかこの女も自慢の料理による“極上サービス”と男心を手玉に取る「ウソ」で男から金を巻き上げて、用済みの男たちをまるでパソコン上の削除のように消していく。とくに独り者の中年男性はターゲットになりやすい。人当たりがよく、口のうまい女 は要注意!「くわばら、くわばら」
不審死を「自殺」から「殺人」へと見方を改めて捜査を進める警察当局は、少ない物証の中、現在取調室での女との攻防が続いている。

古今東西、女が犯した殺人事件は相手が苦しんで死ぬ所を見ずに殺せる、放火や睡眠薬など古典的な手法が多いところだが、相手の死を見ないで犯す犯罪は罪悪感が希薄になることで、次の犯罪を誘発するようだ。

2009年10月31日土曜日

ブランドの衰退


最近我々と同業の漆器の街会津に行ってきた。25年前に行った頃に比べると街も工場も活気がなく業者の顔もさえない。福島の秋は真っ盛りである。高速料金1,000円の実感は味わえたが車の量が土日に集中しているのはやむを得ないところでもある。会津を見ていると、3年前に行った輪島のほうがまだましに思えた。
近年中国製の漆器が多く出回っているが、とくに会津鎌倉彫と称するものは、漆以外のウレタンやポリサイトなどを使用して、彫から塗りの仕上げまでを中国でやらせ、廉価な品物が鎌倉彫として、鎌倉とは別の流通経路でネットや一般の店に並んでいる。これらの品はおよそ我々が扱っている伝統工芸品としての鎌倉彫とは一線を画した臭い鎌倉彫である。こういったまがい物が市場に出回っている流れは止められない。これらの製品との差別化があいまいなまま、市場で同列に並ぶことが、鎌倉彫と言うブランドの衰退につながっていることに気づいている関係者は多い。労働集約型の産業は、圧倒的な労働コストの安い中国とは勝負にならない。かろうじて品質の違いのわかる多くの消費者に支えられて、成り立っているのが鎌倉の老舗の現況である。


30日の時事通信によると 総務省が30日発表した9月の全国消費者物価指数(CPI、2005年=100)は、価格変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比2.3%下落の100.2だった。下落幅は比較可能な1971年1月以降で過去最大だった前月(2.4%)からやや縮小したが、マイナスは7カ月連続で、デフレ傾向が色濃くなっている。生鮮食品を含む総合指数は2.2%下落、エネルギーや食料を除いた指数も1.0%の下落となった。生鮮食品を除く総合指数の下落幅縮小は、ガソリン価格変動の影響が小さくなったのが主因。このため、石油製品の価格水準が大きく変わらなければ、下落幅は今後も縮小することが予想される。 一方、薄型テレビやパソコンの価格下落には歯止めが掛かっていない。さらに、低価格のプライベートブランド(PB)商品投入など衣類や家事用品でも値下げの動きが広がっており、当面はデフレ傾向が続きそうだ。 


国内の消費低迷から、今、ブランドが苦戦を強いられている。世に言うブランド品とは、消費者がそれを持つことによる安心感、存在感、あこがれ、プライドなどを満足させるものである。そんなブランド品がファッションの世界でも不振に落ちいっている。最近ファッション業界に激震が走った。80年代から「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」などと並んでDCブランドをリードしてきたヨウジヤマモト(東京都品川区)が9日、民事再生法の適用を申請した。負債額は約60億円。  ファッションデザイナーの山本耀司氏が手掛ける「ヨウジヤマモト」や「ワイズ」など、全国の百貨店を中心に約60店舗を展開していた。。ピークの99年には120億円の売り上げがあったが、09年8月期は約75億円まで落ち込んだ。原因のひとつは、昨秋のリーマン・ショック直撃による消費不況である。 それにもましてユニクロやH&Mなどのファストファッション(流行に敏感な低価格衣料)に客を持っていかれ、高級ブランドの勢いが衰えてしまった。 現在高級ブランドは不振を極めている。シャネルは九州の店舗を閉鎖、ルイ・ヴィトンも銀座に大型店を出す計画だったが白紙に戻している。べルサーチに至っては、日本の全4店舗を閉鎖し、事実上の日本撤退を決断した。  ファストファッション全盛の裏で、高級ブランドが苦戦を強いられる。危険ゾーンに突入している高級ブランドはヨウジヤマモトだけではなさそうだ。

デパートの衰退

日本百貨店協会によると9月の全国百貨店(86社、270店)の売上げは4762億円、前年同期比7.8%減で、19ヶ月連続のマイナスだという。高額品を売らなければ成り立たないのに、それが売れずに、食品やバーゲンセールを中心に低価格志向で収益性を低下させている。デパート業界は今やリストラの嵐が吹いているところでもある。デパートに限らず大型スーパーも採算割れの店舗は閉鎖が続いている。消費の冷え込みは想像以上に進んでいるので、小売業界の低価格競争は激しさを増している。

2009年10月27日火曜日

金にまつわる話




主要国で最悪レベル、日本の貧困率



 読売新聞によると長妻厚生労働相は20日午前の閣議後の記者会見で、全国民の中での低所得者の割合を示す「相対的貧困率」が2007年調査で15・7%だったと発表した。我々があまり耳にしない言葉である。経済協力開発機構(OECD)がまとめた加盟30か国の中で4位で、貧困率の高さが際だった。相対的貧困率は、これまでOECDが日本政府の統計資料を基に算出してきたが、今回、初めて日本政府が算出した。相対的貧困率とは国民を所得順に並べて、真ん中の順位(中位数)の人の半分以下しか所得がない人(貧困層)の比率を意味する。つまり、中位の人の年収が500万円だとしたら、250万円以下の所得層がどれだけいるかということである。






OECDはパリに本部を置く国際機関で、欧米主要国や日本、韓国、トルコ、アイスランドなど先進30カ国が加盟している。その目的は先進国間の自由な意見交換・情報交換を通じて、「経済成長」「貿易自由化」「途上国支援」に貢献することである。 OECDによる加盟30か国の「2000年代の相対的貧困率」調査では、日本は14・9%(04年調査)だったが、今回の日本政府の07年調査では、貧困の悪化が顕著になった。OECD調査で貧困率が高かったのは、メキシコ(18・4%)、トルコ(17・5%)、米国(17・1%)の順。逆に低いのはデンマーク(5・2%)、スウェーデン(5・3%)、チェコ(5・8%)だった。厚労省によると、日本の1998年調査の相対的貧困率は14・6%で、以後、年々悪化傾向にある。



厚労省は20日、06年の時点で、日本の平均的な所得の半分以下で暮らす17歳以下の子供は14.2%で、7人に1人が貧困状態にあると発表した。また、大人を含む国民全体の貧困率は15.7%に上り、先進国では極めて高い数字だという。長妻厚労相は会見で「子ども手当など、貧困率を改善する政策を打ち出したい」と述べた。






金が仇の浮世の常



 一方で日本人の預金残高はざっと1500兆円もある。このうち3%でもお金が動けば、経済は上向くとの話もある。つまりは、あるところにはどんどん貯まって、無いところにはとことん無いと言うことだ。言い変えれば富裕層が3%の無駄遣いをしてくれれば経済は回る。内需拡大が進めば、貧困率も縮まると言うわけであるが、話はそう簡単ではない。
景気低迷と雇用の悪化、円高が進む中で実は日本は先進国の中ではもともと輸出依存度が低い国である。輸出額の対GDP比は経済協力開発機構(OECD)諸国の中では米国に次いで最低水準で、中規模以上の企業の中で輸出企業(少しでも輸出を行っている企業)が占める割合も30%程度と、軒並み50%を超える欧州諸国に比べかなり少ない。輸出額のGDPに占める割合は2008年度は16%。にもかかわらず日本の輸出産業が自動車・電機などの耐久消費財に偏っていたことが、最大の輸出市場の米国の金融危機による落ち込みをもろにかぶったかたちで輸出の減少が顕著になっていった。



輸出と対極の内需の内訳をみると、GDPの6割弱を占める個人消費と、後に続く企業の設備投資や住宅投資が減少している。企業の過剰雇用による雇用の喪失と市場における物余りの二つのデフレギャップによって内需が低迷している状態である。

新政権に期待されているのは、小手先のバラまきではなく、雇用の創出をやることが緊急の経済政策でもあり、内需拡大の眼目でもあるはずである。






『ユダヤ5000年の教え』



歴史上民族が国家を作って歴史を作っているあいだ、ユダヤ人はかげでずっと迫害を受けていた。ユダヤ人はユダヤ人街に押し込められ、法律によって土地を所有することも、製造業につくことも許されなかった。また、住んでいる土地からいつ追放されるかも知れなかった。この寄る辺ない民族のよりどころにしたものが金である。金が全て、この世で一番信じられるもの、他民族を支配できるものが金である。そうして世界を支配する隠然たる国際金融資本が誕生した。それらは英国に端を発したロスチャイルドによって世界中に張り巡らされ支配されている。アメリカをはじめ先進国の金融はユダヤの呪縛から逃れられない。

2009年10月13日火曜日

中国共産党の寿命



共産党一党独裁国家中国について、1日付のMSN産経ニュースは以下のように報じている。
中国は10月1日、建国60周年を迎えた。中国は今や経済・軍事大国として国際社会での存在感を増し、金融危機克服などで世界の期待は大きいのだが、政治や軍事は透明性を欠き不信感も根強い。中国が国際社会との協調を進めるには国内の民主化と政治改革をし、開かれた大国になることこそ必要ではないか。この60年は、毛沢東時代の「政治第一」の前半と、トウ小平氏が率いた「経済第一」の後半で二分される。今日の経済発展が、1970年代末以来の改革・開放の成果であることは言うまでもない。過去30年間に中国の経済規模は60倍を超え、ドイツを抜いて世界3位になった。経済発展に伴い、軍事力の増強も著しい。国防予算は89年以来21年連続で2ケタ成長を続け、未公表分を含めると米国に次ぐ規模とされる。
 中国は、こうした国力増強を「特色ある社会主義」の成果と誇示している。共産党独裁の政治体制下で資本主義の市場原理と手法を取り入れたことを指す。私有経済の振興を促す一方で、国家が経済・金融を管理する計画経済時代の手法で、世界金融危機の影響も最小限に食い止め、景気対策でも、世界に先行、一党独裁の優越性を示した。(産経ニュース)


ここで歴史を紐解いてみると、17世紀以降、資本主義世界の欧米列強が築いてきた帝国主義による植民地政策で、武力をもってアジア、アフリカなどのあらゆる資源の収奪を行ってきた歴史が、現在中国によって資金力によって繰り返されようとしている。
現在中国では世界の工場として輸出経済とドル買いでため込んだ2兆ドルを超えた膨大な外貨を使って、政府系企業による世界中のエネルギー、鉱物資源を買い漁り、これら資源国で採掘する労働者を安い賃金で中国から送り込み、世界中に中国人街が増え続けている。アフリカ諸国では現在「新植民地主義国家中国の資源収奪」に対する怒りが強まっている。中国人襲撃事件が多発している。豪州では「これ以上、中国政府系企業が資源を買い漁るのは認められない」との動きが強まり、中国の新植民地主義に対する反感が燃え広がっている。そればかりかハイテク産業には不可欠のレアメタルを含む鉱物の世界の主要生産国であることから、それらの海外流出を防ぐために、関税率を上げたりして禁輸の方向に向かっている。とくに中国からの輸入依存度の高い我が国では、欧米とともにWTO(世界貿易機関)の協定に違反するとして対抗措置を講じているところだ。


中国は世界中の鉱物・エネルギー資源を独占すべく、さらに買収攻勢を強めている。獲得した資源や権益を守るため、空母艦隊を初めとする遠洋海軍の大増強に乗り出した。軍事力で中国の海外利権と資産を守り抜く様相である。米国に媚を売りながら覇権国家の機を窺っている。表向きは覇権国家は目指さない、平和で民主的な国家を建設すると米国に言っているが、その野心は見て取れる。




奇しくも今年は天安門事件から20年経っている。当時民主化を求めて解放軍によって弾圧されたのはほとんど大学生だった。現在の中国は当時に比べて、貧富格差が拡大し官僚汚職の数も規模も進み、共産党政権に対する国民の不満はずっと高く鬱積しており、各地で頻繁に暴動が起きている。大学生を中心とした若者たちが20年前と同じように立ちあがれば、国民の支持を受け、民主化運動は一気に全国に広がる可能性もあり、政権の存亡の危機ににつながりかねない。そんな中、一般国民を締め出し、一部のボランティア市民にも警護され60周年のパレードが行われた。


中国歴代の王朝の崩壊は、腐敗や格差を是正できない専制政治に怒った農民や民衆らが立ち上がって始まった歴史でもある。建国60周年を迎えて、中国共産党もソ連共産党と同じような内部矛盾による崩壊の道を進んでいるように思える。 いずれ遠くない将来共産党の寿命が来るであろう。

2009年10月6日火曜日

アートな話「桃山時代の金色」


日本のルネサンス から琳派 へ

天皇陛下のご即位20年を記念して、皇室ゆかりの美術品を一堂に集める特別展「皇室の名宝―日本美の華」が東京国立博物館で開かれている。そのパンフレットの表紙に載っているのが、桃山時代の狩野永徳の唐獅子屏風絵である。
 


あの戦国時代を経て桃山時代という豪華絢爛な文化を生み出した時代がやって来る。 この桃山時代から江戸時代の前期にかけて、日本人の感覚はもう一度古代の多色時代に立ちかえったような状況を呈した。桃山時代は30年と短く終わったが、日本文化の気配を転換した。乱世に終止符を打たれた人々は太平の世を謳歌して現世享楽の様相を展開した。      

桃山時代で目立つのは、金色に対するあこがれと執着である。この金の色は、前の奈良時代では仏教文化の燦然とかがやく仏の世界を象徴するものであったが、桃山時代の金色に対する観念は仏の世界の色ではなくて、この現世にある最も豪華な色、絢爛たる色というきわめて現実的なものであった。それは色と言うより光でもあった。金と言うものは不思議なもので、使い方によっては高貴にもなるし下品にもなる難しい色である。
     

この時代の絵画には障壁画といわれるものがある。武将の城や館のみならず、公家の邸宅も寺院の特権階級から、一般の町衆の屋敷にもゆきわたり、美々しく飾り立てられた。この障壁画は金碧濃彩画、つまり金箔を張りつめた金地の上に極彩色で描くというもので、この様式が全盛を極めた。桃山画壇で最も多くの俊英を輩出させ一大王国つくったのは、漢画系の狩野派で、安土城、聚楽台の障壁画に筆を振るった。金箔を使った背景は、奥行きのある立体感をうばい、題材を画面の前面に押し出す作用があるように思われる。こうして桃山時代には絵が日常的なステージに解放され、日常使う道具類などの蒔絵装飾などが盛んになり、生活の芸術化が始まり、やがてそれらは江戸時代の俵屋宗達、尾形光琳に代表される[琳派]につながる。 


宗達は、御用絵師として制約の大きかった狩野派とは違い、市井で扇屋を営む自由気楽な町絵師であった。絵師は手本や師匠の作品を忠実に再現する。それが当時の常識だった。 ところが宗達は、構図も人物も、どこからか借用してくる。今なら盗作、盗用騒ぎになりかねないところだが、それを独創的、斬新なアイディアで味つけし、一歩別の世界へ踏み出す。普通ならまとまりがなくなるところだが、それを傑作にし仕上げてしまういう才能を持っていたらしい。宗達の構図には独特の味わいがある。宗達は扇屋という商売柄、扇面という末広がりの特殊な画面形式では、四角い画面とはちがった描き方の工夫があったために、ことさら構成に長け、後に大作を頼まれるようになった時、独自の斬新な絵が生まれたのであろうか。        


一方、尾形光琳ははじめ狩野派に学んだが、宗達に傾倒、美麗な装飾的な画風を完成し、蒔絵にも美しい光琳蒔絵を考案し、元禄文化の粋をつくりあげた人である。宗達と光琳の違いは宗達が常に楽々と対象と一体になったのに対し、光琳は一方で対象の客観的な把握につとめ、他方で造形化をはかるところにある。大胆な装飾画の大家として知られる光琳は、反面において、我が国にあっては「写生帖」を残す最初の画家でもあった。        

2009年10月1日木曜日

終わりと始まり


「自民党をぶっ壊す」と絶叫した小泉元首相、安部、福田と続き、麻生漫画内閣によって、戦後54年続いた自民党崩壊の総仕上げをした麻生太郎元首相は、国民が望んだ政権交代の立役者である。今回の選挙結果は自民党のコバンザメ政党の公明党までぶっ壊したおまけがついている。

民主党は今までの旧政権が残したレガシーコスト(負の遺産)のあと始末を始めているが、これが一筋縄ではいかない。建設中または建設予定のダムは八ッ場ダムを筆頭に140ほどある未建設のダム問題、天下り廃止問題、日航の再建問題、年金問題、どれをとってもマニフェスト通り忠実に実行できるのか、いささか疑問である。硬直したマリフェスト実行よりも柔軟性のあるマニフェストの実行をしてもらいたい。


自民党の再生  

戦後半世紀に渡り日本の政治権力を独占してきた自民党の力の源泉は、農村を権力の基盤としながら、経済成長を図り、その成果としての富を公共事業を通じて農村に還元させる再配分政治にあった。その再配分政治をより上手く回すために綿密に練られた権力構造が、「自民党システム」であった。しかし、その後の経済成長に伴う日本の工業化を進めた結果、自民党は自らの権力基盤である農村を弱体化させていった。 伝統的な農村依存型ではもはや権力の維持が困難であることを悟った自民党は、小泉首相の登場によって、これまで自民党システムを支えてきた農村を切り捨て、都市浮動票を獲得することで一時的に新自由主義政党として党を再生させるという、窮余の一策に打って出るが その結果、小泉政権誕生以降、自民党は急速に農村の支持基盤を失い、人気をベースとする都市無党派層に支えられた都市型政党に変質した。



今回の選挙では自民党が失った農村地盤を、そっくりそのまま小沢民主党が取り込んだ結果が見えてくる。
小泉改革は格差の拡大という深刻な問題を引き起こし、小泉路線を引き継いだ安倍首相以降の自民党は、従来の支持母体を失った上に、都市無党派層にもそっぽを向かれ、その後の福田、麻生の軟弱な体制のまま、方向性を失って迷走を続けることになる。


自民党の再生は過去のしがらみを振り棄て、50年間でため込んだ垢と膿をきれいに払拭し、新生野党自民党としての実績を積み重ね、コバンザメのような信者政党の公明党(かつて20年ちかく公明党の委員長をやってきた竹入氏が、公明党と学会の関係を政教一致と赤裸々に暴露している。)からも解き離されたならば、将来復権も考えられるだろうが、あくまでも民主党が大きな過ちを積み重ねないことが前提になるだろう。

それにもまして既得権益にまみれた自民党の体質が変わらない限り、いくら国民への再分配を謳っても、国民は戻ってこないことを今の自民党若手は痛いほど知っているはずである。いまだ隠然たる影響力をもった党内のご老体には、聞こえてか聞こえずか世代交代の声は日増しに上がっている。

2009年9月21日月曜日

地下鉄 泉区民ギャラリー










 都道府県では教育委員会などの後押しで,各地の生涯学習センターが、地域住民のために盛んに行われている。それに付随した各施設も①公民館 ②図書館 ③青少年教育施設 ④文化会館・センター ⑤スポーツ施設などが数多く存在している。



我々の業界もお世話になっているわけであるが、昨今の地方自治体の財政難で、それらの活動も鈍くなっている。我々とかかわりの深い鎌倉市を例にとれば、現在、鎌倉市の財政赤字1000億円。利子だけで25億円が毎年消えている。どの自治体も赤字経営である。
さて話は変わるが、今回、わが町戸塚の泉区文化振興委員会が主催する、横浜市営地下鉄の泉区民ギャラリー(最寄りの中田駅の構内)を1ヵ月借りて9月10日から10月9日まで、喜彫会の作品展示をしている。初秋の一時、鎌倉彫を地域の皆さんに見てもらうことも、私と会員にとっての喜びでもある。

2009年9月15日火曜日

アートな話 「独り芝居」



 独り芝居と言う芝居がある。俳優1人だけで演じられる芝居であるが、日本では1926年、築地小劇場で汐見洋がチェーホフ作「タバコの害について」を独演したのが先駆。第2次大戦後は、杉村春子が48年に独演したジャン・コクトー作「声」が注目された.以後渡辺美佐子や小沢昭一、島田正吾なども名演をこなしている。




最近BS放送でNHKエンタープライズ制作の風間杜夫の4部「コーヒーをもう一杯」5部「霧のかなた」を見た。風間杜夫ひとり芝居は第一部「カラオケマン」、第二部「旅の空」、第三部「一人」と今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」になるのだが、 残念ながら今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」しか見る機会がなかったがおもしろかった。


一人芝居三部作は、三時間を一人で一挙に演じきったと言うからすごい。会社の接待のため派手な衣装でカラオケを歌うサラリーマン。ある日、サウナで記憶を失い交番へ。最後は旅回りの大衆演劇一座に身を寄せ、本当はこういうことがやりたかったのではないかと考える。笑いと哀愁が程よく混じり、管理社会で元気のないサラリーマンに様々な道を考えさせる。
団塊の世代の象徴のような主人公のサラリーマン牛山明、仕事の接待でカラオケで身を守り生きてきたが、ある日突然仕事上の心因性ストレスから記憶がなくなり、家族も仕事も何一つ思い出せないまま、子供時代に好きだったことを頼りに頑張り始める…そして今回続編として、4部「コーヒーをもう一杯」、5部「霧のかなたに」が上演されたのである。
水谷龍二が脚本・演出のこの芝居、風間杜夫がひとり芝居を始めて10年以上になるらしいが。同じころ、落語もはじめた。どちらも演じるのは一人。芝居と落語をやろうとした理由とその魅力は何だろう?牛山明という、ここに出てくるキャクターのペーソス溢れる人間ドラマの断章が描かれる。観客はその断章を見て、彼の人生を想像する。彼はいったいどんな人生を送りここにいるのか?それを風間杜夫が丁寧に演じる。決して奇をてらわない。風間杜夫の、魅力はその喋り方にある。そこは落語の世界にも似た発声や間の取り方が演技に芸に昇華していくのである。まさに落語と独り芝居の垣根を飛び越えた空間がそこにあった。子役時代の風間は知らないが、役者と言うものは色気と言うものがないと大成しないものだと思った。




今回見た芝居は段ボールハウスがその舞台である。そこに住む住人に助けられた主人公牛山明は、段ボールハウスの中で目覚めるところから始まるが、そのやり取りが面白い。舞台装置付きの落語のようだ。助けてくれたホームレスの男と男が飼っている猫「ルノアール」との交流が描かれ、ささやかな幸せがここにある。ホームレスの男はギターを鳴らし生演奏を始める。風間杜夫とギターを弾いている留守(とめもり)さんとのまさにライブセッションである。やがてそんな幸せを壊すように行政側の強制撤去が始まる。彼らは住むところも失い、それに怒る牛山は人間の非力さと無情さを思い知る。まさに現代の縮図がここにある。
牛山の物語はここで終わらない。霧の彼方へ向かっていく姿はチャップリンの「モダンタイムス」のエンディングシーンの後姿を彷彿とさせる。人間の滋味あふれる五部作の完結であり、新たなステージの始まりでもある。今後機会があれば劇場に出向き生の演技を見たいものである。余談だが最近、風間は横浜にぎわい座にも落語で出ているらしい。

2009年9月12日土曜日

どん底競争

                                        世界の下請け
         
経済グローバル化時代の現在、一国の競争力は中国を例にとれば、国家に属する企業が備える競争力に体現される。デフレ経済のもと、100円ショップ、ユニクロ、ニトリなど中国製品の圧倒的な安さはもとより、国内外を問わず多国籍企業の下請けとしての中国が存在している。、改革開放以来、中国の貿易総額は急速に増加しており、いまや日本をしのぐ勢いであるが、製造業において中国発の国際的な巨頭企業が現れていない現状をみると,中国側の経済研究者の分析レポートがそれを物語っているので要約してみよう。


北京大軍経済観察研究センター特約研究員・袁剣氏によると、今、中国の高度成長に伴い自国ではさまざまな問題が指摘されている。それは、中国の輸出製品の価格が不断に下落を続け、輸入製品の価格が不断に上昇を続けているということであった。輸入製品の価格上昇と輸出製品の価格下落は、交易条件悪化の典型的な症状と認識される。ある統計によると、2002年、日本の対中輸出製品の価格は3%上昇し、対中輸入製品の価格は、18.4%下落した。この点だけでも、日本は、対中貿易において、毎年200億ドル節約していることになる。
これと対比をなす現象として中国華南のある輸出工場において、扇風機、ジューサー、トースターの平均卸売価格は、10年前の7ドルから、2003年の4ドルへと下落している。この工場の責任者は、“最も安い者だけが生き残ることができる”と嘆いている。中国の交易条件が不断に悪化を続けている事実について、表面的に中国は、不断に成長する貿易において得る利益がますます減少しているだけである。また、深層においてこのロジックに符合し、人々を不安にさせる現実がある。それは中国企業の相対的競争力は経済成長に従って上昇しないばかりか、かえって、不断に下落を続けているということである。

他方、技術が簡単で、生産性が低い中国本土の製造業は、世界的な生産過剰がもたらした熾烈な競争により、多国籍資本が、これを世界生産体系に組み入れ、その世界的な生産体系の中で、簡単な組み立て、加工、部品の生産等の提供されることに成功した。このため、中国の膨大な下層労働者は、実際上、世界経済体系の最下層に変化していった。中国の階層分化が、既に世界的な階層分化と緊密に融合していることは明らかである。本国の政治体制、国際資本の二つの力を借り、中国の膨大な下層労働者の地位は、更に堅固なものとなるであろう。中国の製造業が直面しているのは、自国の同業者との競争だけでなく、世界規模での熾烈な競争であって日本も例外ではない。

中国に最も多くの就業機会を提供している本土製造業(他の産業も含む)が、生存が困難であり利潤が薄く、労働者の賃金を引き上げることができないために、労働者が貧困の罠に嵌っている。これは、中国のマクロ経済のパフォーマンスにおいて、常に内需が不足している重要な原因の一つである。内需不足であれば、必ず外需を拡大する必要があり、外需の増加は、必ず他の貧困国との競争が必要になる。こうした競争は、再び賃金及びその他コストの不断の引き下げを引き起こす。そして、これが更なる内需の萎縮をもたらす。これは、抜け出すことが難しい需要の罠であり、過度の輸出依存から抜け出せない構造である。 最近見たテレビで貧困国の少年少女が、過酷な労働条件の製造工場の現場からふと漏らした言葉「生きているのがつらい。」が耳に残る。


多国籍企業に象徴されるグローバル化の力は、中国の転換に深く巻き込まれていく中で、中国に新たな経済の局面を作り出した。一方で、多国籍資本はブランドと文化的影響力により、中国における少数の富裕者と中産階級の絶対部分の消費力を独占した。富裕者と中産階級は、中国で最も消費能力を備えたグループであるが一握りの階層である。消費が膨大な下層の方向へと拡大していかない断絶社会にあって、その長期的な経済成長の潜在力は非常に疑わしい。合理的な推測として、次々と押し寄せるグローバル化の力は、おそらく、短期の経済成長を促進したであろうが、その長期的な発展の道を断ち切ってしまったであろう。膨大な最下層の人口と、全く競争力のない本土企業が、グローバル化の未来図の背後に、我々が目にするもう一つの中国である。


            どん底競争

 中国が高度成長をした27年間において、中国GDPの成長速度は先進国の数倍であったが、賃金の伸び率は、このペースを大きく下回った。中国では、体制内における人員の賃金が堅調な伸びを示す一方、数が膨大な最下層の労働者の賃金は、稀に見る停滞を示している。日本が高度成長期にあった時、日本の賃金は、伸び率が米国のそれを70%上回っていたが、1980年に至って米国の賃金と並んだ。日本の賃金が米国に追いつくまでには、1950年から1980年までの30年間を要した。他方、中国経済もまた、1978年から2004年まで、30年近く高度成長を実現したが、賃金は、米国の4%程度しかない。製造業において、中国の労働力価格は、90年代になってようやく高度成長が始まったインドよりも10%低い(インドの高度成長の歴史は、中国よりも10年余り遅い)。
この現象は実に難解であるが、90年代初期から現在(中国の経済成長が最もハイペースであった時期にあたる)、中国で最も発展した珠海デルタ地区において、出稼ぎ労働者の賃金は、意外にも、この10年間で全く上昇していない。これは、世界から突出した中国の経済成長に対し、耳障りな嘲笑となるばかりか、中国における賃金の伸びに、ある種の“不自然性”があることを証明している。
このように、賃金と経済成長が逆方向に向かう現象は、現在、既に中国最下層の出稼ぎ労働者から、いわゆる知識階層へと蔓延しつつある。ここ数年、中国経済が過熱すると同時に、中国大学卒業生の賃金が顕著に下落している。2005年初め、中国大学卒業生の賃金は、既に毎月500元~600元という超低水準に達している。人材市場で職探しに急ぐ河南財経大学の卒業生は、やるせない様子で、“これでどうやって生活していけというのか?”と語っている。こうした労働力価格の趨勢に基づけば、更に30年が過ぎた後、中国と先進国との格差はますます大きくなるおそれがある。いわゆる中国の世紀とは、民族主義の非理性的興奮が残した歴史の笑い種にすぎないものとなるだろう。まさに国栄えて民衆が滅びる例えである。


一方、我が国はどうかと言うと雇用問題で、とりわけ生産調整の便法である非正規雇用の増大と正社員のリストラが、内需拡大に影を落としている。今や懐かしい中産階級はグローバル経済の下、国際競争にさらされ崩壊していった。今、日本は底辺から社会が崩れ始めている。“どん底に突き進む競争”は、まさに、20世紀90年代以後、中国がグローバル化において実践した内容と重なり合う。そして、生活保護費以下の収入しかない非正規雇用者の急増は、20歳代の若者だけではなく、35歳以上の中高年フリーター・パートにも拡大している。

生活保護に関しては、受給資格がありながら生活保護を受けていない割合が80%にも達しているという試算もあり、厚労省の発表では、2009年1月現在、生活保護世帯数:116万8354世帯 (前月:115万9630世帯)生活保護人員数:161万8543人 (前月:160万6714人)が生活保護を受けているが、これは実際の20%にしか過ぎないということで、大多数の生活困窮者は未だに異常なまでもの貧困にあえいでいると見られ、潜在的に生活保護対象者を抱えている。また、厚生労働省が発表した「福祉行政報告」によると、09年1月の生活保護を受けている世帯・人員とも過去最多を更新したことが明らかになった。

2009年9月7日月曜日

魑魅魍魎の裏社会


戦後の裏社会を概観してみると、「この国の戦後はヤクザと自民党とCIAが作った」という格言がある。戦後、敗戦による混乱の中、三国人による治安悪化を防ぐために、GHQの政策により弱体化した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託した。 以後ヤクザは反共の防波堤として60年代安保闘争の背後にも国の盾としても控えていたが、時代が進み70年代になると警察庁によって暴力団の頂上作戦が行われ、暴力団は徐々に従来型のシノギを得る為にその姿を変えて行く。

事例をあげると、「政治団体化に加え、日本の司法システムの欠陥を利用した整理屋・損切り屋・競売妨害・地上げ屋などの民事介入暴力(民暴)、総会屋、北朝鮮ルートでの麻薬の密輸と国内販売などの犯罪集団に変貌していく。


70~80年代、地上げや債権回収などでヤクザは銀行に足がかりを築いた。またヤクザが銀行に恩を売る一方で、銀行側もむしろ積極的にヤクザを利用した経緯がある。 そして裏社会が表社会の経済活動に本格的に進出を始めたのが、バブル後の「失われた十年」が芽生えた時で、90年代の金融危機につながっていく。一方でヤクザと自民党の歴代閣僚とのつながりも多く伝えられており、徐々に政治に対する影響力を現してくるが、そんな折、時は2002年1月、ブッシュが訪日前に小泉首相に親書を送っていたことが明らかになった。そしてその親書の内容とは日本経済システムからのヤクザの排除であったといわれている。米国ではほぼ日本のヤクザの実態を掴んでおり、放置しておくと日本経済の足かせになると考えた末の不良債権処理・竹中プログラムは米国の意向通りに行われた。

  最近取りざたされている薬物事件

大麻の所持や栽培などで全国の警察が1~6月に検挙した事件は昨年同期比13.4%増の1907件、検挙人数も21.3%増の1446人だったことが20日、警察庁のまとめで分かった。いずれも上半期の統計が残る1991年以降で最多となった。検挙された人の63%は20代以下が占めており、若者を中心とした大麻汚染の拡大が浮き彫りになった。覚せい剤事件でもタレントがワイドショウで連日報道されている。全体の検挙人数は5384人で13.1%減ったが、覚せい剤の押収量が6.4倍の約263キロに激増。末端価格は昨夏をピークに下がりつつあり、同庁は「根強い需要と相応の供給があるとみられ、使用者が減っているとは言い切れない」と警戒している。(2009/08/20 jcom)


これら薬物問題は日本の裏社会の一面でもある。元公安調査庁の菅沼光弘氏によると「ヤクザの活動と、日本の表の活動である政治、経済、外交は、複雑な絡まり合いのなかで運営されているのが現状。日本の本当の姿を知るためには、裏社会の問題について十分な知識がないと正確な分析はできない」と述べたたうえで、日本の裏社会の構成要素として「やくざ・同和・在日」の3つを挙げている。また、ヤクザの6割を同和関係者、3割を在日韓国・朝鮮人が占めており、残りの1割を一般日本人と中国人が占めていると分析している。
現在取りざたされている覚せい剤問題も、北朝鮮ルートと中国ルートは在日朝鮮人ヤクザと中国人ヤクザがからんでいて、イランからのルートも摘発されている。現在何らかの薬物に依存している日本人は約60万人いるというからすごい数だ。まさに裏社会のドル箱である。また各暴力団組織には多くの右翼団体とも繋がりがあると言う。ヤクザの人口は、警察庁発表では8~9万だが、実数はもっと多い。全国21組織でヤクザの全体の90%を占めている。そのうち山口組・稲川会・住吉会の3組織で、70%を占め、そのなかで山口組だけで50%を占めている。
 


警察白書(平成17年版)によると、暴力団構成員・準構成員の総数は96年以降増加傾向にあり、その数は8万7千人にのぼる。山口組、稲川会、住吉会の主要3団体で構成員総数の7割を占めるなど寡占化が進んでおり、最大規模の山口組の収入は大企業に匹敵する。菅沼氏によると、5代目山口組・渡辺組長の時代には、当時のトヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、山口組は8000億円の収入を得ていたという。  92年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、いわゆる「暴力団対策法」が制定されたことにより、賭博、覚せい剤、競馬・競輪からの収入など伝統的な収入源が完全に絶たれた。

その結果、近年はその経済活動が巧妙になっており、IT関連の犯罪から産業廃棄物処理事業まで一般企業に活動の場を広げていると菅沼氏は言う。 また、暴力団対策法はFBIがマフィアを撲滅した例をもとに「日本に機械的に適用」したもので、法律施行後は、山口組のように全構成員に警察との接触を禁止する組も出てきており、「警察がやくざの問題について、ほとんどわからなくなってしまった」実態を明らかにした。
さらに菅沼氏は暴力団が日本の社会に浸透している背景について、「ヤクザは日本の文化の一端を担ってきた組織。神社のお祭り、相撲、プロレス、芸能界といったものの興行は、ヤクザと渾然一体となって日本の社会で育ってきた」ことや、「トラブルシューターとしてだけではなく様々な仕事ができるヤクザを、日本の社会は必要としてきた」ことを要因として挙げた。 

公安調査庁は、設置当初、共産主義勢力を調査するのが主たる目的だったが、共産主義運動の衰退やオウム事件の機に、仕事の重心が国内の治安維持に移ってきた。その結果、対外情報機関としての能力は低下したことについて菅沼氏は、「北朝鮮問題や拉致について、第一次情報を持っているのは外務省でも警察でもなく、公安調査庁」と述べ、対外情報機関としての存在意義を主張する。 また、外国による諜報活動に対抗する日本のカウンターインテリジェンス(対工作防衛)について問われた菅沼氏は、「日本はスパイ天国。脆弱なんてものじゃない、何もない」と指摘し、日本の伝統的な縦割り行政・セクショナリズムや法律の不備がその背景にあると述べた。

注釈 同和問題
16世紀末、豊臣秀吉は農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民、農民とを分けた身分制度を作った。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限していく。こうして被差別部落の形成が進んでいったといわれている。徳川政権が大多数の農民を支配するために、宗教的理由で忌避されていた食肉皮革産業や廃棄物処理、風俗業界、刑吏等の賎民を身分支配のため固定化し、代わりに独占権益を与えたことに始まる身分制度において、この差別されていた一部の人々は、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られていた。そのほとんどが神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業の人々である。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、武具や馬具、太鼓などの革製品、竹細工、歌舞伎や浄瑠璃にいたるまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものであることが言われている。
 
明治4年の解放令によって身分制度は廃止されたが、しかし、被差別部落の生活や暮らしは改善されず形式的なものであったため、偏見や差別はそのまま放置された。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革は、これまでの農民からの搾取を目的とした身分差別から産業労働力確保のための差別として拡大再生産され、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていった。西日本には大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んであるが、関東地方では被差別部落自体が比較的少ないことから認知度が低い傾向にある。現在、行政・企業・宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が同じ日本人としての平等性の観点から部落差別撤廃に取り組んでいる。しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として現われる、早急に解決が必要な現実の社会問題ではある。


穢多(エタ)非人(ヒニン)とは箆棒(ベラボウ)な
 江戸っ子が「そんな箆棒(ベラボウ)な事があってたまるもんけえ」なんて使い方をする「篦棒」、つまり「いくら何でも、無茶苦茶でゴザリマスガナ」と言った言葉は、小塚ッ原や鈴ヶ森などの刑場で、死刑囚の屍体を扱うときに使う棒だ。つまり刑場幕吏の使役人は非人(ヒニン)と言われ、酷い差別待遇を受けていた。人間の屍体を処理する人達が非人と言われていたらなら、動物の屍体を処理する人達は穢多(エタ)と言われていた.いまでも関西地方では彼らのことを指4本で表現する。つまり動物は四つ足で、動物の屍体で食ってるというわけだが、民主主義の世の中でまだこのような差別問題が尾を引いていることが問題なのである。

2009年9月2日水曜日

祭りの後


衆院選は下馬評を超える民主党の308議席獲得の圧勝で幕を閉じた。失業率が過去最悪を記録し、年金制度の破たん、実体経済の低迷で国民生活はガタガタになった。「小泉・竹中改革」による行き過ぎた規制緩和で社会はあちこちで綻んだ。官僚の言いなりの自民党は、壊れた社会をほとんど修復できなかった。


自民党は、1955年から一党で政権を握っている。たった一度、細川連立政権があったが、これは党内の内ゲバのようなもので、野党が政権を握ったとは言いがたい。先進国を見回してみても政権交代がないというのは不自然で、極めて不健康な状態が続いたわけであるが、このような国は共産主義の国か独裁国家しかないと国民は気付き始めた。


今回の選挙は、いわば国民が自民党政権に対する長年の鬱積した不満と怒りが頂点に達し、自民党に愛想もクソも尽かした現象が今回の民主党の大勝を呼び込んだと言えるだろう。

政治の貧困とは、寄生集団(利益誘導型の政権とそれに群がっている官僚)が国民に渡るべく栄養分を吸い取って、フラフラになっている国民の現状を見ればすべて説明がつく。政権が民主党に移行することが分かった段階で、6つもの駆け込み天下りを許す自民党。前倒しの消費者庁設立に伴う官僚人事、総裁を辞めた党首を総理候補に指名する動きなど、この理解しがたい自民党はまるでゾンビのように醜い姿を世界に曝しているようだ。


今、民主党政権の大義名分となる“脱官僚”を本当に実現できるかに最も注目が注がれている。自民党政権よりも国民の支持を集めたという事実こそが、官僚機構の抵抗を押さえる後ろ盾になっているのだが、優秀で狡猾な官僚を本来のあるべき姿にもどし、国民のために働かせるかが問われているのであって、決して官僚を排斥するものではないことは、賢明な政治家であれば分かっているはずである。長年のうちに培われて曲がった根性を矯正することは困難を伴うであろうが、いかに官僚をコントロールするかが民主党の力量が問われるところである。我々国民は辛抱強く寛大さを持って成果を見守りたいが、望むところは迅速に政策を推し進めていただきたいことである。 

2009年8月28日金曜日

日本のたそがれ


評論家の田原総一郎氏が、中田宏前横浜市長と市長辞任の3日後に会談したことが、彼のコラムに出ていたので引用させていただくと。
 中田さんは「今だから言いますが」と断わって次のように話した。 実は彼が市長になるとき、横浜市は借金が5兆円あると言われていた。この借金を減らさないと横浜は第二の夕張になると言われた。市長になって調べてみると、借金は実は5兆円ではなかった。7兆円だった。しかも7兆円あることを調べるのが大変で、半年かかったという。官僚や役所は皆、隠そうとするからだ。私は、借金が増えれば第二の夕張になるという危機感が官僚などの役人にはないのだと思う。市会議員にもない。市民にもない。そこが大問題だろう。

借金を減らすために、中田さんはいろいろやった。例えば、横浜はまだ人口が微増している。そこで学校を作らなくてはならない。だが、財源を悪化させないようにプレハブの学校を建てたら、まず市会議員が大反対。マスコミも大反対した。市民運動まで起きた。「なぜちゃんとした校舎を作らないのか。差別じゃないか」と。だが、財源をどうしたらよいのかについては論議したこともない。他にもあった。横浜市内の市立の保育所を民営化しようとした。これには市役所の職員が反対。労働組合も反対。市会議員も反対。市民団体が反対デモまでやる。しかも、マスコミまで反対。本当に財政を悪化させないためにやろうとすると、全部が反対に回った。
国債の利息だけで10兆円近くある今年の国への収入は46兆だ。その中で、現状でも利息が約10兆もあるのに、これ以上膨らむとどうなるのか。
生活保護も、年金も、何もかもがアウトになる。こういうところまで追い込まれている、そういう意識がこの国を運営している人たちにはないのではないか。私はそういった危機感を、改めて感じている。マスコミまでが反対に回るので、国も反対されるのを怖れてばらまきをしている。最大の問題は「国のことだから何とかなるさ」と、国を仕切っている政府、官僚が総理大臣も含めてすべてが、何とかなるさと思っている。

(以上日経BPネット)


どの国も経済が悪くなるとケインズの景気浮揚のための公共投資(日本の場合財政投融資)に走り、不要なものまでふくめ今日まで膨大な借金を生んできた。国は景気対策に傾くか、財政再建に傾くか二律背反のジレンマが常に付きまとうが、景気対策最優先の結果がこれだ。国の借金は今、どれくらいあるのか。国債と地方債を入れておよそ820兆円である。
 アメリカは今、借金が多い多いと言われるが、OECDの2009年度見通しによると、アメリカの借金はGDP比で78%。日本の借金は、GDPの168%(2009年度末見込み)。世界でもこんなに借金の多い国はない。しかも、日本は借金をなお、加算しようとしている。国の要の経済のバランスシートを改善しない限り、近い将来この国は破綻の道に突き進むことになるだろう。

2009年8月20日木曜日

アートな話 「イメージの発露」


いい絵というものは、小説において豊かに情景を思い浮かべることができるものが評価されるように、目で見ながら目で見えないイメージをふんだんに含んでいるものだと思う。たとえば音、風、動き、温度、湿度、などの自然環境や時間、思い出、そこで暮らす人々の営み、精神、内面の葛藤などである。左の絵はアメリカの作家アンドリューワイエスの「クリスティーナの世界」で具象絵画の典型であり、右の絵はロシアの作家で抽象絵画の元祖カンジンスキーの「ゆるやかな変奏曲」である。

端的に言うと 具象表現は、おもに光と影でこれらのイメージを「もの-対象」を通して間接的に表現していく手法であり、抽象表現は、色や形でイメージや精神性を直接的に表現する手法である。
造形における創作の契機となるイメージにおいて、言葉に先立つものが純粋イメージで、それは能動的で突然やってくるひらめきにも似たオリジナルなものであり、アプリオリ(先験的)な要素をはらんでいる。それに対して経験イメージは、能動的に自らが発想する創造的なイメージである。イメージとは本来人間の思考経路に存在するものであるから、実態を有するものではない。湧き出たイメージを視覚化することによって、イメージの不確実性を補うものが我々がよく行うところのイメージのスケッチや覚書である。

造形表現の様相を大別すると、客観的な自然物認識を契機とする具象表現がある、一方,主観的イメージを契機とする抽象表現の二つの形式を上げることが出来る。

花一つとってみても花を支える茎や葉は生命力という動かしがたい自然の条理によって、構造的法則性を有していることを我々は知る。このような自然物から視覚的に吸収した経験的知識は、「具象的認識」としてイメージに蓄積されていく。つまり具象というのは、表現されたものが具体的に何かを表している表現形式である。

他方、抽象は事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。一方、抽象というのは、色や形で表されたものが具体的な「もの」を表していない表現形式である。そのため抽象は自然事物のエッセンスを抽出し、それに付随した余分で関係の希薄な部分を捨象し、一つの認識を再構築することに集約される。しかし具象と抽象の間をクロスオーバーする絵画も多い。いわば音楽でいう変調のようなもので、そこで具象か抽象かを論じても意味のないことだろう。一般的には半具象と呼ばれているものである。
そもそも具象という概念は、20世紀に自然の現実の形態を再現しない抽象芸術が現れた際に、対抗して従来の再現的な表現を総括するために使用されだした概念である。
造形作業の過程でしばしば体験するデフォルマシオン(変形、歪形)は、造形芸術において、一般的には自然界に与えられている標準的な規範を変更することを意味している。それは意図するしないにかかわらず、再現されたものとその原型との相違を表す言葉として使用される。あらゆる創造的な要求は、常に自然界の単なる写し取りではなく、何らかの解釈である以上、表現に付きまとうものである。デフォルマシオンはいわば具象から抽象への橋渡しのようなものである。

2009年8月17日月曜日

終戦記念日


8月15日は「終戦記念日」である。 1945(昭和20)年のこの日、日本のポツダム宣言受諾により、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了した。   内務省の発表によれば、 戦死者約230万人、 空襲による死者約80万人であった。  


明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り高ぶり、中国大陸への侵略の後、満州国設立を認めない国際連盟からの脱退、その後日独伊の三国同盟を経て第2次世界大戦に突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から多くの困難を乗りこえて、やがて高度経済成長を経て今日の繁栄を築いてきた。

戦争を知らない我々戦後世代は、残された映像でしかその悲惨さを垣間見ることしかできない。終戦記念日のたびに涙を流す親父世代の戦争体験者たちの心の叫びを感じることは、このような特別な日をもって知らされるのである。私の親父の所属していた南方方面部隊はトラック島、ポンペイ島を経てクサイ島で終戦を迎えたが、前線で戦う部隊ではなく情報通信部隊の将校として戦線に出たが、切迫した砲弾の脅威にはさらされることがあまりなかったらしい。米軍に補給路を断たれ、当時飢えには苦しんだもののたいていの生き物は食したと言っている。それでも周りでは餓死するものや自殺する者が大勢いたという。


国内では広島や長崎の原爆はもとより、各地におきた空襲による被害は甚大で、神戸にいた私の母親などは焼夷弾の雨を潜り抜け、戦後舞鶴に復員してきた親父と近所のよしみで一緒になったわけだが、母親の父親が米穀商で親父の父親が宮大工で父親同士が釣り仲間だった縁で結婚したとのちに母親に聞かされた。
戦後60年を過ぎ、平和を謳歌してきた日本であるが、今一度平和の意味をかみしめ、国が誤った方向に進まぬように国民一人一人が国の方向を注意深く見る必要がある。

2009年8月11日火曜日

マニフェストのメニュー


民主党のマニフェストを吟味し様子をうかがって最後に出した自民党のマニフェストも出揃い、いよいよ選挙戦が始まった。投票する国民サイドから見れば、判断基準が明確に示されるわけであるから、寄る辺ない選挙公約(マニフェスト)が明文化されることは政党の主張を明確に理解できて望ましいことであるが、選挙を意識して両者とも美味しいことを書いている。




まず自民党のマニフェストは安心,活力、責任の3つがキーワードとなっており、これらキーワードの元に、多くの政策メニューが並べられている。個々の項目の良し悪しを論じられているが、政党として日本が直面する構造問題解決のための改革の指針は伺えるが、改革のスピードが鈍いため、それら公約が迅速に実現するようなメカニズムが自民党の中で働いているのか疑問視される。現在の政治と経済の閉塞感から国民に政権交代の機運が高まったことは否めない。まさに改革は待ったなしである。860兆円の負債残高を野放しにしてきた、自民党のあと始末を次世代、孫世代に託すことは許されないことである。その自民党は経済政策については先ず経済成長のための戦略を示し、経済全体のパイを増やしてからそれを分配することを想定しているが、示している経済政策の多くは、今までの政策の延長線上にあるものが多く、従来とあまり変わらない。





民主党のマニフェストの経済政策については、今後も世界経済の低迷が続く経済状況を想定し、直接給付によって家計部門の可処分所得を増やし、個人消費を盛り上げることで国内の経済活動を活性化する財源を一般会計や特別会計から捻出することが言われているが容易ではないだろう。助成の対象者に直接支給する形になっているのが自民党と違うところで、自民党政権だと、中間団体に助成金を流すことにより、官僚の天下り先と自民の集票組織がセットされた形での予算の組み方をしており、民主党はその流れを断ち切ろうとしているようだ。

民主党のマニフェストでは政府の無駄を省いて、その分を子育て、教育、年金、医療に振り向ける、また行政権限をできるものは中央から地方へ移し、地方主権を確立するなど、国民には耳障りのいい資源配分の組み換えを目指しており、自民党政権下ではなかなか実現しなかった政策を掲げて業界団体、族議員、霞ヶ関の三角形を壊すことで実現しようとするものである。民主党は政権を取ればマニフェスト実現のために、予算の大幅な組み換えに取り組むことになるが、財源をどう確保するのかという根源的な問いには、無駄を省くという回答しかないので、やってみないと分からないというクエッションマークがつくが、まずはお手並み拝見と言ったところだろう。




自民党と民主党のマニフェストで示された経済政策は、どちらも小泉構造改革の否定を出発点に成り立っており、小泉内閣の行った改革が、行き過ぎであって、地方、中小企業、個人の間に経済格差が拡大し、経済的、社会的に大きなひずみが生まれてしまったとの認識が両党ともあり、その上で、小泉改革から脱却し、その是正を図ることを目指す経済政策を打ち出してきたと言える。いみじくも小泉首相がマニフェストに関して、「この程度の約束を守らないことは大した事じゃない。」と答弁したような項目の羅列は払い下げ願いたいものである。
緊急避難的な両党のマニフェストから明確な日本の未来像が見えてこないと感じるのは、私だけではないだろう。近い将来の日本をどうするかは概ねわかるが、日本という国の未来をどうするのか、戦略的な視点に立って政権を取った政党は国民に示す責任があると思う。

2009年8月6日木曜日

横浜たそがれ


人口367万人 3位の大阪市に90万人の差をつけ日本第2位の都市横浜。横浜市の財政状況は一般会計:1兆4千億円前後と特別会計:1兆8千億円前後合計3兆3千億円程度であるが現在借入金が5兆円ほどある。前の保守系市長3期十二年のつけを引き継ぎ、中田氏が市長になって1兆円の負債が減った。この点については彼の業績を認める人も多い。


中田市長の辞表を受けて横浜市長選は、次期衆院選と同じ8月30日投開票になる見通しとなった。中田市長は、首長連携で政治パワーを市政の課題だった財政の健全化に目途がたったことや、今秋に東京都杉並区の山田宏区長らと設立を目指す新たな政治団体「『よい国つくろう!』日本国民会議の活動に専念していくことなどが辞任を決意した理由となっているが、大阪府の橋下徹知事らと連携して進める「首長連合」を中心に、新党結成も視野に入れている。
記者会見で中田氏は、「市営バスや水道事業の黒字化などを達成し、1兆円の負債を減らすことができた」と実績を強調し、「それらが一段落した」と述べた。また、「市長選挙を総選挙と同じ日に行なうことで10億円の経費節減ができる」とも言っている。今後については、市長の後継指名はしないことや、8月の衆院選には出馬しないなどと、公言している。


一方、市議会からは、裏切られたとの声も出ている。中田市長は、現在開催中の横浜開港150周年記念行事が一段落したことも理由に挙げているが、その柱となる「開国博Y150」の有料入場者数は、目標の500万人に対して現在63万人となっており達成は難しく、失敗とささやかれている。また、中田氏は女性問題で訴訟を2件かかえており、「市職員の心が市長から離れている」と語る幹部もいるほどだ。
しかし、衆議院選挙と同時の市長選挙をどうするのか。候補擁立にも時間がない。中田市長は「いつかは国政復帰」と考えたのかもしれないが、この時期に任期途中で放り出す理由としては説得力がない。上記の理由は自分の都合で辞めたとしか思えない。

2009年7月31日金曜日

自然の脅威


毎年梅雨末期におきる九州、中国地方の土砂災害は多くの被害を出しているが、最近起きた集中豪雨による被害は甚大であった。いわば日本列島の気候の亜熱帯化による、高温多雨の傾向が年々顕著になってきて、エルニーニョ現象が追い打ちをかけいまだ梅雨前線が日本列島がら離れずに停滞していて、まだ予断を許さない状況が続いている。

災害の多くは大雨の土砂災害による家屋倒壊や浸水である。地山の地盤のもろさや樹木伐採などの複合的な原因が考えられるが、改めて水の恐ろしさを感じた。最近起きた北海道大雪山系トムラウシ山での登山者たちの大量遭難事故も記憶に新しい。気象条件の悪化も遠因に考えられているが、夏山特有の気軽さもあって、ツアー気分で多少の登山経験者たちが装備も不十分なまま山に入る無防備さに警鐘を鳴らしている。10人の中高年の犠牲者たちのほとんどが冬山並みの気候の変化に耐え切れず、雨による低体温症での凍死や脳梗塞で犠牲になったことが報じられている。
今回の事故で筆者の頭をよぎるのは、生れてはじめて登山と言うものを体験した大学2年の9月の槍ヶ岳登山であった。当初上高地のお花畑あたりを散策するつもりで、軽装で(着替え下着と雨具)と友人から借りた登山靴をはいて、上高地をうろうろしていたら京都から来た2~3人の学生グループと仲良くなり、目の前にそびえる槍ヶ岳を指差しこれから登るので一緒に行こうと誘われ、最初は躊躇して断ったのだが、だいじょうぶ、だいじょうぶと声をかけられ、怖いもの知らずで後をついていった。一般的には3000m級の登山は十分な訓練と体力の蓄積に立って臨むものであるらしいが、若気の至りで思いつきで無謀なことをやったものである。

ルートは上高地からの槍沢コースで,天候も申し分なかったので槍ヶ岳山荘に晩飯までには着くというので追随した。前半は比較的なだらかな槍沢を歩き途中、雪渓の残るところでウイスキーのポケット瓶を手渡され、雪渓の雪でオンザロックをすすめられ飲んだ味が未だに忘れられない思い出であるが、やがて傾斜がきつくなるにしたがい、歩調も鈍くなり休む回数も増えた。山荘が見えたところから山荘に着くまでが非常にきつく、みんなに励まされながらやっと着いたのは6時頃で、8時間以上登ってきたわけである。山荘での一夜は朝まで眠れず、高山病の1種であることが後日分かった。翌朝頂上まで100m位しかないところの登坂が、急勾配で10m進んでは休むの繰り返しで非常に苦しく、今思えば若かったこともあり、無理が効いたのだと思うが、あの苦しさを味わったため、もう登山はやめようと心に誓った。頂上に立った時は達成感と感動でそんな思いも吹っ飛んでしまったが、筆者にとって以後登山は槍が初めてで槍が最後の山となった。


山の天候は変わりやすいのはよく言われているが、海の天候も侮れない。特に低気圧の動向には職漁船、遊漁船とも神経を使っている。特に釣船は船長の判断で船が出ないことも多いし、場合によっては釣り場から早々と引き返すこともよくある。特に小型のプレジャーボートは危ない。板子一枚下は地獄の世界である。数年前の今頃の季節に、筆者が魚の彫刻を教えていた弟子が所有している4人乗りのモーターボートで、何回か東京湾で釣りをしたことがあるが、身の危険を感じたことが1度あってから、小型船舶には乗らないことにしている。仲間がいると気が大きくなり多少の波はもろともせず内房に向けて出たのはいいが、東京湾の中の瀬あたりで風が強くなり波が船にかぶってびしょびしょになり戦意喪失のまま、波の比較的穏やかな根岸湾にもどった。それもヨットハーバーのぎりぎり出船O.Kの指示で出港したわけであるが。海難事故の死亡の多くは季節を問わず、救命道具をつけていても今回の事故と同じように溺死より低体温症による死因が多い。
遠征釣りなどの船の場合サンダル履きの乗船は保険が適用されないので、マリンブーツが義務付けられている。今回の山の遭難事故も海における船長の役目と同じような登山ガイドに負うところが多い。荒天の山を経験の浅いガイドの判断ミスで起こった今回の事故は、夏山を甘く見た事例であるが、あの時自分もたまたま運が良かっただけと思わずにはいられない。自然を甘く見るととんでもないことになるものである。

2009年7月24日金曜日

魚の旬


7月も後半になりいつもの寿司屋(鮨好)の親父から「新子が入ったよ。」と連絡が入った。もちろん九州ものである。今年はいつもの年より電話が入るのが遅いと思ったら,走りの新子は高くて手が出ないので少し日にちがたったところで仕入れたらしい。ちなみに今年の新子の初値はキロ7万円したそうだ。

新子とはコハダの稚魚でこの極小の魚体を3枚におろし酢でしめてシャリの上にまとめて載せたものである。こいつを食べると日本人に生まれてよかったとつくづく思う。写真の新子は柳刃でうろこを引き、各ヒレを取り去り5cmほどに3枚下ろししたもので、ほんのりと甘く切ない味がゆずの香りに乗って口の中にふわっとした歯ごたえで広がっていく。まさに職人技と親父の心意気を感じる一品である。


江戸前すしの元祖と言われるコハダは、出世魚としてシンコ・コハダ・ナカズミ・コノシロと4回も名前を替えて成長して行く。江戸前すしの世界では今でも最も大切な魚として扱われている。通常は1尾で2貫に付けるくらいの大きさのコハダを美味とし、ナカズミ・コノシロの大きさに成長したものは高級店では使用されないことになる。皮目が硬くなり、見た目の美しさも悪くなり、旨さも大味になるために敬遠されるのだ。

シンコはコハダの幼魚で、生後3ヶ月から4ヶ月ほどの大きさのものを言う。晩秋から冬場にかけての“旨さの旬”としての旨さとは全く一線を画した世界を持っている。私は江戸っ子ではないが、江戸っ子特有の初ものに対する好奇心と憬れは、季節の先取りである“走りの旬”としてのシンコを異常な程、殊更に愛でることになる。まだ数キロにしか満たない極少の漁獲量の初ものは、高級すし店と、熟達の腕を持つ一流の職人達と、お客さん達との見栄と意地と誇りの心意気を賭けての争奪戦となり、異常な相場の狂騰となる。江戸時代の、初鰹の世界で語られた“女房を質に入れても…”と言うほどの江戸っ子の熱い思い入れが、このシンコの世界には今でもまだしっかりと伝えられて来ている。
コノシロになると東京湾八景沖でも釣った記憶があるが、味は旨くなかった。コノシロは古来、武士階級は食べることを禁じられていた。「この城を食べる」事に通ずるとして、下克上すなわち謀反の思惑を抱いていると考えられたからで。しかし、このコノシロに自分の転機を見て取った武士が居た。それが江戸城を最初に開いた大田道灌である。道灌は、江ノ島の弁財天に御参りに行った帰り道で乗っていた船にコノシロが飛び込んでくるのを見て、これを道灌は「この城が手に入るという吉兆である」と捉え、江戸城を開いたそうだ。


一般的に、魚は寒い時期の方が脂が乗っていて美味いものが多いが、この時期うまい魚に東京湾のアナゴ、タコ、シャコ、マゴチ、黄アジがある。特にシャコは抱卵していて美味い。親父曰く「魚と女は子持ちが美味い」と. 近年水揚げが落ちているシャコも同じ網で捕れるシリヤケが漁を支えているらしい。シリヤケとはスミイカの仲間でスミイカよりも体色が薄く、少し味は落ちる。アナゴに関しては専門の仲買と契約しており、店で海水で4~5日泥はかせたアナゴの中から型のいいものを仕入れてくる。意外なことに冬場のアナゴの方が脂が乗っていて美味いと言う。いずれも羽田沖のモノが最高と親父は言う。
東京湾のタコは文句なしに美味い、甘みと切れのいい歯ごたえと風味は一級品である。昨年はタコの当たり年で、私も8杯釣った年でこれから8月が釣りの盛期を迎える。また東京湾走水のアジもサバも格別で、味を比べてみたが関アジ関サバより味は上と確信している。最近は昔のように大型は少なくなったが、30cm前後のものは味もよく1年を通してよく釣れており人気の釣りの一つでもある。

2009年7月14日火曜日

中国問題




中国問題 その1



 中国で治療を受けるには「前金を収めることが日常茶飯事になっている」という。地獄の沙汰も金次第で、貧乏人は治療を受けられない。今年5月に重慶で起きた兵士の死亡は、数時間で1万人超の市民の抗議運動に発展した。彼ら市民は元兵士の運命が「明日は我が身」と感じ自分達の問題として立ち上がった。人民解放軍兵士として四川大地震の救援活動に従事した元兵士(23歳)は、5月13日、建物の5階で清掃作業中、誤って転落した。重傷を負った元兵士は、重慶市内の解放軍324病院に搬送されたが病院側は前金の30万円を要求し、放置されたまま親族が金の工面に走りまわているうちにその兵士が死亡した事件である。

中国は92%の漢民族と残りの少数民族[チベット族、ウイグル族]で成り立っており、今回イタリアサミット直前にドタキャンした胡錦涛国家主席の行動は、中国の抱えている民族問題の根深さを現している。今回のウイグル族の暴動とは別に、中国の民衆による暴動は小さいものを含めると年間8万件を下らないと言われている。農民の暴動は「地方政府が耕作地を二束三文で強制収用し、収用した農地を宅地等に造成して民間企業等に転売、莫大な差益をふところに入れている」ことが原因であるという。共産党官僚の悪政に対する農民の「生きるか死ぬか」の切羽詰まった抵抗運動である。都市住民の大規模な抗議行動は、地方政府、公安警察など共産党官僚(公務員)の問題行動で被害を被った個人の抗議で始まる。これに同情し、共鳴する群衆が短時間のうちに結集し、数千人から数万人規模の抗議行動に発展する。大規模な抗議行動を鎮圧すべく出動した武装・公安警察の暴力的対応が「火に油をそそぎ」地方政府や公安庁舎を焼き打ちにしたこともあるほど民衆の怒りは過激だ。品性正しく節度のある日本人とは対照的である。逆にいえばそれほど民衆の怒りが沸点に達していないのか、切迫感が無いのか、ぬるい日本の政治状況がうかがえる。
  



中国問題その2
 



 中国のGDP(国民総生産)は世界2位の日本を追い抜く勢いである。しかし国民1人当たりのGDPは日本の343万円に対して、中国のそれは30万円と低い。 対米輸出や加工貿易による経済成長で潤った中国共産党北京政府は、過去十数年、年率2桁の軍事費増額を行ってきた。さらに空母建造を計画している。軍事費は増え、国民生活を支えるべき教育費や福祉予算は増えないか又は削減される。輸出と為替操作で稼いだ2兆ドルの外貨は、米国債の購入や金融商品への投資並びに、豪州・ロシア・ブラジル・アフリカ諸国等の資源を確保するための企業買収・投融資に充てている。医療や教育など国民の福祉には金が回ってこない。稼いだ金は軍事費と海外への資金流出で消える。

「国は栄え、民は滅びる」という王朝末期の症状が現れている。特に最近のアフリカへの投資はすさまじい勢いで増えている。中国は、外貨準備の約3割を国内資金需要に当てているが、ドル・元為替レートの維持のためドル買いは避けられない宿命になっており、アメリカに求められるまでもなく中国のドル買いは慢性化している。いわば働き虫の中国が溜め込んだ外貨はことごとくアメリカに吸い上げられ、ドル資産を増やし続けざるを得ず、そこにはまったく中国の選択の余地は無いのだ。中国もまたアメリカの経済奴隷でもある。
  






 中国問題その3




 「中国の知的財産権の侵害は際立っている。中国は関連法を改正し、外国企業の権利の剥奪と、中国企業の保護を一層強め、昨年の特許法改正などを成立させた。世界の知的財産権の侵害の8割は中国による。中国は他人の技術やアイデアの盗みやパクリは日常茶飯事。音楽も映画も、文学も小説も、その価値を認めたにも拘らず、それを生み出した元々の個人、組織、国家に著作権料などを支払う考えはない。知的財産権の侵害は、過去何十年にもわたる中国の常套手段である。その侵害の凄まじさは、個々の企業体の存続の危機を越えて国家の運命をも脅やかす。中国人の狡猾さを物語るエピソードがある。上海のレストランで食事をしていた日本人が数人いたところで、客の多くは中国人であったが、店内が急に停電になったところ、多くの中国人が停電になった暗闇にまぎれて雲散霧消してしまい、店の従業員が追っかけていったが、2~3分後電気がついたら、後に残っていたのは日本人のグループだけだったと言う笑い話もある。

また中国政府による強制認証制度と言うものがある。これはIT製品について、中国政府が審査、認証したものに限って、国内への輸入・出荷・販売を認める制度である。07年8月に導入方針を明らかにしたときは、日米欧が強く反対し、中国政府は一旦、導入を延期したがいま、再び同じ要求を突きつけている。これに対し、日米欧の産業界は、中国側への技術情報の流出を懸念して 「中国以外では例がない制度だ」と強く反発、再考を求めていたため中国政府は 実施を来年5月1日に1年延期し、適用範囲を政府調達に絞ると発表した。
中国のこの強気の姿勢は、今やアメリカに代わって台頭してきた巨大市場を有する国の傲慢さでもある。現段階では全容は明らかではないが、従来の主張から中国政府がICカードやコンピューターウイルスの侵入を防ぐソフトなどの設計図「ソースコード」の強制開示を狙っているのは容易に想像出来る。「ソースコード」とは、プログラミング言語で書いたソフトウエアの設計図のことで、知的財産の最も重要な部分だ。これを中国側に握られることは、知的財産の素である頭脳を乗っとられるようなものだ。中国はいとも簡単に、日本商品のコピーを作り始めるだろう。
厚顔無恥のこの種の要求を、しかし、日本が拒否した場合、家電製品をはじめとするさまざまな製品の対中出荷停止も予想される。影響は1兆円規模に及ぶとも見られている。金融危機以降の不況下、日本企業のみならず世界の企業は、中国市場への輸出に頼らざるを得ない状況がある。その点を見越しての狡猾な要求に対して、企業が個別に対処出来ることは少ない。中国の国家戦略に対抗するには、こちらも国家の総力をあげて臨まなくてはならない。だが、果たして、日本政府はまともにしたたかな中国政府とわたり合えるのか?東シナ海ガス田開発の問題も適当に、連中のペースに乗せられ、我が国もなめられたものだ。胡錦涛国家主席は、中国の軍事力は「平和」のためであると述べたが、それは、中国の意向を世界に受け入れさせる圧力としての軍事力に他ならないことを、アメリカから学んでいる。
戦後、軍事力を蔑ろにし、経済だけを考えてきた結果、すべての面で衰退しつつある日本。明らかにわが国には根本的な方向転換が求められているのではないだろうか?

2009年7月3日金曜日

アートな話「虚構と事実の間」



映画が世に登場して110年強、フィルムの存在自体が変化しようとしている。いわゆるデジタルシネマの登場である。これまで映画製作において、フィルムはなくてはならない存在であったが、デジタルデータによって、撮影、編集、配給、上映を行う規格を示したいわゆるDCI(Digital Cinema Initiatives)規格が、06年にハリウッドメジャーを中心とした映画業界に支持されてきた。これがきっかけとなり全米では08年中にデジタルシネマを実装したスクリーンが、5,000を超えたとされている。日本ではゲキ×シネがスタートした04年当時には、わずかに10スクリーン足らずだったデジタルシネマが、09年中にも300スクリーンに届く勢いで普及しつつある。最近ではゲキシネと称したデジタルシネマが紀里谷和明監督によって、映画「GOEMON」が話題になっている。




西の怪盗ルパンに対して東の大泥棒石川五右衛門がお馴染みの話である。
石川五右衛門は空想の人物か実在の人物かは,浄瑠璃や歌舞伎で語られる五右衛門はフィクションの領域に入っているが、石川五右衛門自体はいくつかの記録にも残っており、実在の人物である。具体的に残されている記録は処刑に関する次のものある。秀吉の時代[安土桃山時代]、日本に滞在していたスペインの貿易商アビラ・ヒロンが残した「日本王国記」にその記録が残っている。それによると都を荒らした15人の頭目が捕らえられ、京都三条河原で生きたまま釜の油で煮られた(揚げられた)とされ、この短い一文に,当時やはり日本に滞在していたイエズス会の宣教師ペドロ・ホレモンが注釈を入れている。「この事件は1594年の夏であった。




油で煮られたのは Ixicava goyemonとその家族9人ないしは10人であった。彼らは兵士のようななりをしていて10人か20人の者が磔になった」佐久間正 他:著 「大航海時代叢書11 日本王国記:日欧文化比較」岩波書店 1965年その他、わずかに残る記録では(例えば「豊臣秀吉譜」林羅山編 1642年に徳川政権下において記録)「文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって(京都所司代の)前田玄以に捕らえられ、母親と同類20人とともに釜煎りにされた」とある。
少年時代に押し込み強盗に入って3人殺したのが始まりとされているが、その後何人殺したか分からない人間で、およそ義賊といえるような人物ではなかったといわれている。一般的に知られる五右衛門の半生は、当時、五郎吉と名付けられて育ったが、手に負えない非行少年であり、14~15歳頃に父母が死んでしまう。この頃最初の盗賊を働き、押し入った屋敷で3人を殺す。
その後20歳頃になって伊賀忍者の修行をする。 伊賀の頭目:百地三太夫から伊賀流忍術を学ぶ。しかしこともあろうに師であり伊賀の頭目でもある三太夫の妻と密通。さらにその妾を殺害して伊賀の抜け人となる。その後、悪の徒党を組みその親分となる。しかし相手としたのは権力者や悪徳を働いて金を稼いだ者のみとされ、義賊とされて人気を博した。


この頃は豊臣による圧政、貧困、朝鮮出兵などで秀吉の人気は地に落ちていた。そのため、義賊である石川五右衛門は庶民からは大変な人気を得ることとなった。その後の有名な話として必ずドラマなどに出てくるのは、秀吉の甥である豊臣秀次の家臣:木村常陸介から秀吉暗殺を依頼される。しかし、秀吉の寝室に忍び込んだとき、香炉(鶯廊下などともいわれる)が鳴って御用となる。そして秀吉の命により釜茹での刑となると言ったストーリーである。。

また、釜茹での刑(実際には釜揚げの刑)にされたのは1594年の10月8日とされている。一般には釜茹での刑とされているが、実際には煮えたぎる油の中へ放り込まれたとされている。京都三条河原は何度か言ったことがあるが、この地でこの処刑が行われたことは、普段釣った魚を唐揚げにしている身としては五右衛門の顔とカサゴの顔がダブって複雑な思いがよぎる。信長の残忍さは有名であるが、秀吉も負けてはいない。
石川五右衛門は安土桃山時代の盗賊であるが、伊賀の抜け人であったとか,30人力の熊のような体躯であったとか、少年の頃にすでに盗みを働いて人殺しを働き始めた、などのことが語られているが、しかし、歴史に残る記録ではこれらについて正式に語られた文書は存在せず、いずれも真実とはいいがたい面がある。処刑のとき以外ではフィクションが大半と見るべきであろうか。おそらくは悪逆非道な盗賊ではあるけれども、義賊的な一面があって、それが後年歌舞伎や浄瑠璃で誇大的に語られるようになったのであろうともいわれている。いつの時代も善と悪は紙一重。巨悪は善に通じ、巨欲は無欲に通じるとは誰かが言った言葉であるが、、、、。釜の中で詠んだという有名な辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」も本当かな?

2009年7月1日水曜日

政権交代の足音が聞こえてくる


戦後、そして冷戦構造下の日本において、半世紀もの間自民党の一党独裁体制が続いてきたが、権力を手中に納め続ければ、いずれそれは腐敗していき時代への適応力を失っていくことは、歴史が証明している。また、一つの勢力が権力の座に長くあると、行政や既得権益を持った団体や事業者との間に癒着関係が生じる。やがてその癒着の構造が必要な改革のさまたげになっていく。そうした人間の不完全さや腐敗や堕落から政治を救い、立法府の暴走や閉塞を防ぐために、政権交代は民主主義のシステムにもともと装備された機能であった。しかも、日本では裁判所とメディアという、本来は権力の暴走をチェックするはずの機関が、ほとんどまともに機能していない。

 政権交代は同時に、政策の転換でもある。欧米ではこれまで、再分配政策の度合いの多寡で、左右の陣営に勢力が分かれ、政権交代を繰り返してきた。平等を重んじ、貧富の差を縮めるために富の再分配を強調するのが左派で、政府の介入の行き過ぎを警戒し、より市場や個人の自由に任せるのが右派という選択が、おおむねどの国にも存在した。
  

自民党内は、小泉改革の評価をめぐり一枚岩ではないが、基本的には自民党の自由主義路線と民主党の再分配路線の対立軸がある程度はっきりと顕在化したため、次の選挙は、壊れかけた日本の社会経済システムをどのような方法で立て直すかをめぐる路線選択の選挙になりそうだ。仮に民主党が政権を取ったとしても、民主党が自らの歴史的役割を正確に認識し、それを確実に実行できなければ、政権交代が自己目的だけに終わってしまうことを、我々国民は注視する必要があると、政治学者山口二郎氏は述べている。


また、より大きな問題は下野した後の自民党が野党に落ちた時、政党のアイデンティティを持ち続けることができるかどうか。また、その場合、自民党の中川秀直氏らが主張する構造改革路線なのか、麻生首相や一部の穏健派が主張する安心・安全、中福祉中負担路線になるのか。自民党が党の力を再結集できるかが問われることになる。以前評論家の田原総一朗氏の講演を聞いた時に彼が中川秀直の力を非常に買っていたことを思い出す。
自民党も客寄せパンダの戯言(総裁候補に指名を条件に出馬要請を受けるなど)が飛び交う事態に、党内はますます収拾がつかなくなっている。首相の地位がこんなに軽々しく見られるのは、その立場を投げ出した、安部、福田に続き軽薄な麻生の自民党三羽ガラスの罪は大きい。もういい加減に有名人や芸人を選挙に担ぎ出すことはやめたほうがいい。そのイージーさが世襲政治をはびこらしていることを国民は知っている。

2009年6月20日土曜日

横浜開港150周年



今、わが町横浜では開港150周年記念のイベントが盛大に行われている。この4月から放送局に勤務し始めた娘も、これに関連したドキュメンタリー制作の取材に飛び回っている。勤務時間が不規則なことで自宅通勤は物理的に無理なため、局のある渋谷近くのアパートを借りることになり、、先日引っ越しを手伝ってきた。


そんな折、先週の梅雨の晴れ間に女房とこのイベントのベイサイドエリアを散策した後、昼食をイタリア料理でビールとワインで軽く済ませたのだが、もう一杯やりたくなり近くの野毛あたりの居酒屋に足を運んだ。と言うのも昼間から空いている居酒屋は場外馬券売り場の近くの一角しかないことを知っていたので行ったわけだが、店で一杯やっていると、行きつけの寿司屋の親父が馬券を手に持ってふらふら歩いているのが店の窓から目に入った。競艇だけに飽き足らず競馬にも手を出しているようだ。最近BS放送でよく見る吉田類の酒場探訪ではないが、野毛は飲み屋の多いところである。暗くなるとまだまだ面白そうなところがありそうだ。




ここ横浜は日本で発祥のものが多い。その一つがビールである。1870年(明治3年)横浜・山手の外国人居留地123番にウィリアム・コープランドが、ビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」を造り、コープランドの醸造所の敷地では、コープランドの廃業後もビール醸造が継続され、麒麟麦酒株式会社へとつながり、コープランドは自身の持つビール醸造の知識と技術をより多くの日本人へ積極的に伝授した。
ビールの起源は紀元前1800年ごろにバビロニア(現在のイラク南部)でシュメール人がビールを作った記録が知られているが、長い歴史を経て流れ流れて たどり着いたビールが日本の横浜の地で誕生したわけである。


二つ目に山手公園がある。ここはテニス発祥の地として有名な所で、私も数年来ここで仲間とプレーしてきたが、最近メンバーも年を重ねてきて足が動かない連中が増えてきたのでご無沙汰しており、忘年会ぐらいしか出席しない。クラブの創始者の亀井氏の名を取ってタートルクラブと称して35年ぐらい続いている同好会である。そのほかも競馬発祥の地である根岸公園など横浜発祥のものは数え上げたらきりがない。




さて話を横浜に戻せば、アメリカのペリー提督が浦賀に渡来した時から開国が始まったわけだが、当時、砲艦外交は世界の常識であった。我が国も米ペリー艦隊の脅迫を受け「日米和親条約(1854)、日米通商条約(1856)の不平等条約を強要された。まさに「力こそが正義」の時代であった。当時ペリーは、大統領の国書とは別に白旗を2本幕府に渡していた。それには手紙が添えられ、「開国要求を認めないならば武力に訴えるから防戦するがよい。戦争になれば必勝するのはアメリカだ。いよいよ降参というときにはこの白旗を押し立てよ。そうすれば和睦しよう」と書かれてあった。武力で脅して要求をのませるこういうやり方は、「砲艦外交」とよばれ、欧米列強がアジア諸国に対して用いてきた手法だった》 まさに後に言われる「強姦」というにふさわしい状況である。

2009年6月14日日曜日

道具と歴史





人類社会はこれまでに2度の大きな変化を経験してきた。第1の変化は1万年前の古代メソポタミアで興った農業革命である。これが世界の4大文明の地に伝播したことは想像するに難くない。きっかけは磨石石斧である。切れるまで研いだ石と木の枝を括りつけた斧によって、木を切り森を伐採し、野山を放浪する狩猟生活から一定の場所で農耕したり家畜を飼ったりして定住するようになり定住社会が生まれ、やがてヒッタイト(トルコのあたり)の鉄器に代表される新しい文明が出現して、都市国家が形成されていった。この農業革命の意義は、人類を含め動物も飢餓線上で生きてきたものが、物不足の時代からモノ余りの時代に移行するきっかけとなったことである。






農業革命以降、基本的に人類は自らが消費する以上のモノを生産するようになった。平和が続くと、自然とデフレギャップが出現し、これをどう処理するかがまさに人類の歴史であった。つまり人類の歴史はデフレギャップとの闘いの歴史であったのだ。エジプトのピラミッド建設も公共事業として需要の喚起のために行われ、日本の江戸時代においては火事の多いことで周知であるが、これも公共事業の一種で、火事になれば復興のための膨大な資材と労働力が必要になり、これらの需要が江戸経済を支えていたという説もあるほどだ。



このデフレギャップの打開に手っ取り早く効果的なものが諸刃の剣である戦争である。人類の歴史がデフレギャップとの戦いであるとの認識から推察すれば、戦争を起こすことによって有効需要の創出が生じ、人類全体から見れば少数者の民衆の犠牲によりデフレギャップを調整し、人類全体の生存を図る自然淘汰の法則から逃れられない宿命になっている。しかし戦争が20世紀以後、特に第一次大戦後悪とされたのは、戦争規模の大きいことにより、当事国や同盟国の疲弊が著しく、需要が莫大になりすぎて当事国ではその需要をまかないきれず、今度は極端なインフレギャップになってしまったことに起因する。




第2の変化は18世紀後半から始まり20世紀の前半までかかった英国の産業革命である。タービンとシリンダーの発明を契機として,人類はエネルギーを利用して自らの筋力だけでは不可能だった夢を実現させ,20世紀の物質文明を築き上げてきた。この時点から人類の経済社会の大量生産、大量消費が始まった。と同時に今までの農業人口の多くが工業人口にシフトしていったのである。同時に資本主義の誕生は世界を大きく変えていった。






そして,第3の変化が、1950年代に出現したコンピュータに代表される社会的技術的な大きな変化が,今,地球上で起こっている。歴史学者のアルビントフラーはこの変化を「第3の波」と呼んでいて、今日従来の権力(パワー)が音を立てて崩れており,ビジネス,経済,政治,世界問題において「パワーシフト」が進行している,と述べている。 これら3つの変化はいずれも道具によって変革してきた大きな波である。








人類が発明した道具は人類に多くの恵みを与えてきたが、片や究極の破壊兵器の「核」を対極として存在させ、北朝鮮のような零細国家の脅しゆすりとたかりのこの上もない道具となっている。北朝鮮の夜間上空写真を見ると、この国とまともに対峙することがアホくさくなる画像である。今日,世界規模の情報ネットワークが急速に発展していき,情報は瞬時にしかも同時に世界中に伝わるようになった。このために,社会の制度や経済の仕組みが大きく変わろうとしている。まさに 21世紀は情報文明の世紀となるのである。

2009年6月7日日曜日

アートな話 (木について)

           桂(かつら)  手刳りによる木地作り
木は古今東西精霊が宿るものとして考えられてきた。西洋における生命樹伝説や、中国における神仙思想、日本における山岳信仰など、多くの民族の神話などにもその逸話が残っている。飛鳥時代になると、大陸から続々と新しい文化が流入し仏教の伝来とともに、建築、彫刻、工芸、絵画など、もろもろの造形技術がわが国に伝えられ、それぞれに華やかな花を開いた。それにともなって木は最も重要な造形材料の一つとして脚光をあびることになった。日本ではそれはやがて仏の信仰と結びつくようになり、木は仏像の素材として長い間親しまれてきた。木材が彫刻の中に占める比重の大きさは、石材、金銅、塑造、乾漆などを抜いて、わが国に残っている文化遺産をみれば木彫の割合が大きいことに気がつく。これは世界に例をみないところであり、いいかえれば日本の彫刻史はすなわち木彫史といってもよいほどである。やがて明治に入ると仏教彫刻の需要は減り、また西洋からの美術思潮の流入などによって、木彫は鑑賞、愛玩を目的としたものが中心となった。



よく言われることであるが、西洋は石の文化で日本は木の文化であることの要因は、我が国がまれに見る森林大国で国土の67%を森林が占めており、1位はフィンランドの76%で2位はスウェーデンの70%についで、世界で3番目の森林国である。また河川の数の多いことも木材の運搬を容易にした。飛鳥以来法隆寺をはじめ多くの寺社、仏像の材料として多用されてきたものには、ヒノキを始めクスノキ、ケヤキなどがある。


造形材料の木材が金属、石材、プラスティックなどの多くの工業材料とは、一味違った性格をもつ素材であることを、我々は日常の体験から感じている。素材の相違は結局のところ工業材料が鉱物系で、木材は生物系だというところに帰着している。 ここで生物系というのは、細胞と言うかつて生命をもっていたものの遺体でつくられているという意味で、生物材料と呼んでいるが、それはまた人為的に思い通りのものをつくれない宿命をもつ材料で、人の姿や顔かたちが一人ひとり違うように、木もまた同じ木目のものは二つと存在しない。何よりも木は自然界の張力材であり、木が持っている圧縮作用と引張り作用は木の収縮により狂いとなって現れる。木の内部の細胞間に溜まった含水率を、時間をかけて下げるために自然乾燥を1~2年行う。すなわち木の伐採後(死後)1~2年で造形材として使われるわけである。

我々鎌倉彫を生業といているものは、その材料の多くを広葉樹に頼っている。特に多いのが桂(かつら)で、最近では大きなものが少なくなった。北海道産の日桂は入手しづらくほとんどが本州北部の青桂である。私も桂以外に広葉樹では朴(ほう)シナ 楠(くすのき)欅(けやき)栃(とち)など使ってみたが、彫りやすさと入手しやすさから桂に落ち着く。たまに飲み友達の大工からもらい受けた針葉樹のヒメコ松 ヒバ 桧(ひのき)なども使ってみたが彫り味は広葉樹の方が勝っている。いずれの材も一つとして同じのものは無い。それぞれの木に向かうとき一期一会の気持ちで彫っている。

2009年5月30日土曜日

最後の足掻き


27日の党首討論で麻生総理は「小沢秘書逮捕」を追及する事が民主党攻撃の最大ポイントと考えていたようで、「民主党は西松問題で説明責任を果たしていない」と鳩山民主党代表を追及した。今回の小沢秘書逮捕で「説明責任」を求められるのは何よりも検察であり選挙直前に政界捜査を行なう事など、どう考えても民主主義国家のやることではない。民主主義で最も尊重されなければならない選挙に影響を与えるタイミングで、捜査権を乱発するなどは捜査機関と結んだ政治権力のなせる技と、国民に勘ぐられても仕方あるまい。検察が果たさない「説明責任」を何故政治家にだけ求めるのか。政治家は国民の代表である。国民が選挙で落とす事も選ぶ事も出来る政治家に対して、官僚以上の説明責任を負わせる考えが果たして世界の民主主義国家に存在するのだろうか。

麻生総理は民主党を突き崩すポイントはここぞとばかり、馬鹿の一つ覚えのように西松建設問題が国民の最大の関心事と宣まう。国民の関心事は景気を良くするための補正予算を効果的な組み方をしてもらうことで、官僚のために組んだバラマキ予算の正当性を強調するように、鳩山氏にあなたが社長[総理]になったら、官僚に従わないと彼らは動きませんよと、まるで官僚の背後霊に踊らされている忠犬、失礼忠猿のごとき形相で喋る。このおっさんは本当に国民のことを考えているのかと疑いたくなる。


麻生首相は選挙より政策、まず経済対策、景気対策だと言って選挙を避けてきたが、肝心要の対策にまともなものは無い。また地位の保全のため、経済危機を言い訳にして、さらに選挙を伸ばしている.
厚労省の分割案などメディアの背後霊のような渡辺恒雄の一言に乗って、軽々しく放言して断念撤回するなど迷走ぶりが際立っている。片や延命に勤しんでいる御仁と、片やマスコミにおける老害の両者も先の短い御同輩である。

2009年5月21日木曜日

裁判員制度




いよいよ今問題になっている裁判員制度が国民のコンセンサスを得ないまま、十分な議論を尽くさない状況で始まった。その制度を要約すると、対象の刑事裁判が実施される前年の12月頃に各地方裁判所ごとに,管内の市町村の選挙管理委員会が有権者の中からくじで選んで作成した名簿に基づき,翌年の裁判員候補者名簿を作成されるのだが、事件ごとに裁判員候補者名簿の中から,くじで裁判員候補者が選ばれる。そして最終的に6人が選出され、裁判員6人と裁判官3人で、多数決で判決が下される。そこには裁判の判決への道筋に百戦錬磨の裁判官の素人裁判員に対する誘導も十分考えられる。もっとも1審 に限られるわけだが、差し戻しされればまた違う裁判員が選ばれることになる。






裁判員制度では、不適切な判決が出た場合も裁判官の責任を問うことは困難で。裁判官は裁判員との責任のなすりあいで弁解することが可能になり、のちのち責任を問われることのない「行きずりの6名」が大きな決定権を持つわけで、判決の責任所在は不明確になる。裁判官は気楽になるが 、最適な判決を出そうというインセンティブは弱くなる。







当ブログでも昨年12月に言及したように、日本を都合よくコントロールするための日本政府への米国政府の年次改革要望書 [ご丁寧にもアメリカ大使館の公式ホームページに日本語で翻訳されている代物である。]これに添ってアメリカ政府は、アメリカ人弁護士が日本でも営業できるような環境をつくることを要望しており、法科大学院の設置や新司法試験はこの要望に従った結果であるが、陪審制の様な制度をつくることは書かれていない。むしろ「司法制度改革審議会」(司法審)は1999年、政府自民党の提言で設置され、やがて裁判員制度導入の声が高まり今日に至っている。
裁判員制度は陪審制とは似て否なる欠陥が目につく制度で、大きな特徴としては、有罪・無罪に加え、量刑も決めるという点にある。米国や英国の陪審制では、陪審員は有罪・無罪を決めるだけで、量刑は裁判官が決めている。だから、量刑までも決めるという点においては、日本の裁判員制度は、ドイツやフランスなどの参審制に似ている。






政府は裁判への民意の反映と信頼の向上、ならびに公判前整理手続による裁判の迅速化を制定理由にしているが、一部例外を除く強制的な参加や数日間拘束されることにたいして、過去のどの調査でも「裁判員として参加したくない」は7~8割を占めている。朝日新聞が08年12月に実施した面接調査では59%が裁判員制度は根づかないと考え、裁判員制度そのものに対しても、反対が52%で賛成の34%を大きく上回っていた。






裁判員制度スタートを前に、鳥越俊太郎さんら民放キャスターが今月19日、都内で記者会見した際、鳥越さんは、守秘義務のため、裁判官と裁判員との評議内容が検証できないことなどを挙げ「透明化された裁判の実現という面で、大きな欠陥を持ちながらのスタートだ」と批判。安藤さんは「制度が成功するかどうかは、情報が一つでも多く開示されることが鍵」と指摘。大谷さんも「国民の目から裁判を隠し、透明性を担保しないで、制度を定着させようとするのは問題だ」と強調した。
このように批判的な意見が多いなかの裁判員制度であるが、吉と出るか凶と出るかは今後の推移を見た上で国民が審判を下すであろう。

2009年5月20日水曜日

日本病からの再生




 民間企業の許認可権を持つ役所(官庁)は企業献金のおおもとを握っている。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所が面倒を見てくれ、献金も集めやすくなり、選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。長く続いてきた一党独裁政治のもと、こうして族議員が生まれ持ちつ持たれつの関係が生まれてきた。
 
本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。
 三木内閣以降、金額を「規制」した結果、政治資金は次第に闇に潜るようになり、一部では闇の世界と結びつくようになった。バブル期に日本の銀行が軒並みヤクザに絡め取られ、不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの資金が入るようになった。


それに絡んでヤミ金の摘発などで国会の爆弾発言男の異名を取った野党第1党民主党の石井紘基衆院議員暗殺事件は、右翼の黒幕が絡んだ口封じの真相はまだ明らかになっていない政治の闇である。


彼はソ連留学中ソ連崩壊を目の当たりにし、現在の日本が明日のソ連になることを警告し続け、資本主義の仮面をかぶった官僚型社会主義の我が国の利権システムに組み込まれた政治体制に危機感を抱き、このままでは日本が崩壊すると言うことを言い続け、日本の財政予算の根幹である一般会計と特別会計にメスを入れていく。




それによると、我が国の一般会計は85兆円で、問題の特別会計[道路建設、港湾整備など]は330兆円にもなりこれらの金が特殊法人に流れ、道路公団一つとってみても700社に上るファミリー企業を肥やしている。国の財政の見張り役である会計検査院もカネの流れは把握しきれていない。もちろん4600にも上る膨大な天下り法人の詳細な情報は我々国民は知る由もない。




メディアを巻き込んで国が情報を遮断したり操作したりする国は、ソ連をはじめアルゼンチンなど、ある日突然崩壊する。崩壊は時間をかけて進んでいることに我々は気がつかなければいけない。せめて心ある政治家ならば、日本病を明らかにした石井議員の遺志を継いで日本再生に臨んでほしいし、来る衆議院選後には民主党がリーダーシップを発揮してもらいたいものである。

2009年5月9日土曜日

末期資本主義


最近巷でよく耳にする言葉に肉食系、草食系と言う言葉がある。言葉のイメージからすると肉食系は食うか食われるかの弱肉強食の世界で狩猟民族が思い浮かべられ、草食系はあまり他者に対して侵略を犯さない農耕民族の害の無いおとなしいイメージが喚起されるが、一般的には男女の行動パターンの分類に使われているようだ。今、若者の間では草食系男性に肉食系女性と言った傾向が増えているらしい。

これを世界の趨勢である資本主義に置き換えてみると、資本主義発祥の西洋の風土は、搾取するか、されるかの「二者択一の世界」である。欧米の資本主義に日本型資本主義の「共存共栄」はない。過去の歴史からも推察できるように、欧米の列強は植民地を広げ、あらゆる地域の経済的な搾取を続け、冨の肥大化を図った。

欧米型経営が、利益至上主義という強者のための契約関係に対して、異文明の日本では、労使の共存共栄という信頼関係を築き、 日本型経営は欧米企業とは正反対の道を歩んだ。欧米が簡単にやる首切りをしない代わりに、それ以外のありとあらゆる方法でコストを削減し、利益を出すことを目指した。労働者とは対決せず、会社のために勤勉に働かせることで利益を上げようとしてきた。

資本主義は、自国の産業を発展させ、他国の産業より常に一歩リードすることで、富の独占をはかるシステムである。そのため産業が停滞してしまうとすぐに追いつかれ、限られた富の配分からの排除がはじまる。
欧米の資本主義では、弱者は常に搾取され、切り捨てられる運命にある。欧米の会社は、労働者を利用するだけ利用して捨てるので、労働者の方も、会社を自分のキャリアを積むための場としか考えていない。だからキャリアを積んだものは、少しでも給料のいい会社をと渡り歩こうとする。近年では、頻繁な首切りと引き抜きと転職のせいで、熟練労働者の数が減少し、逆に仕事に不慣れなものや、熱意の欠片もないものが増え、産業が底辺から揺いでいる。

近年欧米型資本主義が浸透してきた日本の産業界も、昨今の経済危機の局面で、製造業を中心に容赦ない労働者のリストラが始まっている。欧米の金の亡者たちが引き起こした今回の金融危機は、西洋型資本主義の金のためなら何でもやると言った、限度を知らない暴走した資本主義の結末でもある。


仏教の教えの中ですべての基本になっているのが、中庸(中道)である。ブッダが修行の中で悟った「何事も程々がよい」という教えは、仏教と融合した儒教でも、「過ぎたるは、及ばざるがごとし」と説かれている。このような思想とは、正反対な道を歩んだのが西洋文明だった。何事にも限度というものを知らないため、ついやり過ぎてしまう。やり過ぎて暴走するのは、中庸という一番大事なブレーキがついていないからである。
文明を暴走させる原因は、限度を忘れさせる飽くなき欲望と競争にある。西洋文明は、欲望の固まりである金儲けを基準にして競争させるので、一度走り出すと止まらなくなってしまうのだ。
歴史上最悪の資本主義の形態は奴隷制度である。世界の弱小国家から労働力(人間)を強奪あるいは売買し、一握りの富裕層[国を動かす階層]の富を肥やして拡大していくシステムを我々は歴史で学んだ。今我が国はアメリカと言う金権国家の経済奴隷でもある。

2009年5月4日月曜日

どうなる年金制度




厚生労働省は1日、実質経済成長率が今後長期にわたってマイナス1%前後で推移すれば、公的年金は積立金が枯渇して制度が破綻(はたん)するという試算結果をまとめた。試算では、物価上昇率、名目賃金上昇率、積立金の名目運用利回りが、今後それぞれ過去10年間の実績値の平均(マイナス0・2%、マイナス0・7%、1・5%)のまま推移し、実質経済成長率がマイナス1・2%の状態が続くと想定。このケースでは積立金が2031年度に底をつき、年金給付の財源が足りなくなることがわかった。 (読売新聞)


国民年金特別対策本部では、中長期的な目標納付率として80%を設定いるようだが国民年金の納付率は、04年度の63.6%から08年の61.1%と年々納付率の低下が止まらない。厚生年金もこれと関わっていて、各年金制度共通の基礎年金と、収入に応じて支給される報酬比例部分の2階建てとなっているが。基礎年金は国民年金を含む各制度から拠出金を受けており、国民年金保険料の納付率が下がれば、年金財政全体に影響を与える仕組みとなっている。年齢階級別で見ると、50歳代後半は8割近くが払っているが、20~24歳だと56%しか払っていない。特にこの年代は学生が多いので親の負担が掛かり、我が家もご多分にもれず2人の子供の分を4年間負担してきた。


経済的な理由以外で保険料を払わない人も増えている。それは年金制度や社会保険庁が信用できないとか、国民年金はあてにしていないことを理由に、保険料を払わないことらしいが、その背景には国民が支払う保険料をずさんな管理と、全国13か所にグリーンピアを作り、建設費約2,000億円、維持費や固定資産税を含めると約3,680億円を費したところに官僚たちが天下りし、赤字続きのグリーンピアが経営破綻しても、誰も責任をとらず、これらを全てまとめて48億円で叩き売ったり、国民が納めた年金まで横領した職員がいる醜悪な社会保険庁の姿を我々国民が目の当たりにしたからだろう。
すでに年金をもらい始めている我々はいいが、子供たちの未来の年金制度を考えると暗澹たる思いがするのは私だけではないだろう。

2009年4月28日火曜日

国内景気



政府は27日2009年度の国内総生産[GDP]成長率の政府経済見通しを実質でマイナス3.3%に大幅に下方修正した。追加景気対策効果を見込んでも、09年度の日本経済は戦後最悪の水準になることを政府が認めたことになる。同時に先進国の中でこの数字は最悪の経済状況を示している。今年度は史上はじめて新規国債発行額が税収を上回り、政府予算の最大の財源が「借金」と言う非常事態に陥る可能性が出てきた。(読売新聞) 
写真は白川日銀総裁


昨年10~12月期の実質国内総生産(GDP)が戦後2番目の落ち込みとなった要因は、世界同時不況と円高による輸出の激減だ。昨秋、米国でリーマン・ショックが起きた当時は「対岸の火事」との見方さえあったが、“震源地”米国をはるかにしのぐ日本のGDP悪化幅は、輸出に依存する成長モデルのもろさを浮き彫りにした。政府は今後、追加経済対策の策定を本格化させるが、当面の景気浮揚策だけでなく、今後、過度に外需に依存する経済構造からの脱却が求められている。

09年の世界経済は絶壁の淵に立っている。世界の経済成長は第2次世界大戦後初めてマイナスになる可能性が出てきた。金融危機収束のメドが立たず米経済の回復は2010年以降にずれ込むとの見方が強い。そのうえ回復後も米国は世界の最終消費地にはなり得ないとの見方もある。外需という成長基盤を失った日本は4月以降も年率で2ケタのマイナス成長になる見通しで、不況克服には外需依存からの脱却が不可欠となる。


わが国は、既に人口減少局面に入っており、しかも少子高齢化が世界最速のスピードで進行している。人口が減り始め、年金生活者の割合が高まると、国内の個人消費には高い伸び率を期待することは難しくなる。2002年から2007年まで続いた、わが国の景気回復過程の多くの部分は輸出に支えられていた。具体的には、米国の消費ブームと中国の投資ブームによって、わが国の輸出が伸びたことが景気回復の起動力だったといえる。そのため、世界経済が落ち込み、輸出が減少すると、わが国の経済に大きな悪影響が及ぶことになる。
 逆の言い方をすると、国内に強力な消費セクターを持っていないわが国は、世界経済の動向の影響を受けやすく、その輸出の中でも自動車、電機、機械、鉄鋼の四つの業種が大きな比重を占める産業構造になっており、産業の分散の度合いが低いから今回のように、世界経済の下落によって、主要四業種の輸出が痛手を受けると、輸出全体に大きな影響が出ることになる。特に“20世紀最大の産業”といわれてきた自動車産業は、構造的な変化に直面していると考えられる。20世紀を通して相対的に安価であった原油に依存して、主要国の自動車メーカーは高い成長率を実現することが出来た。ところが、原油価格の高騰や、人々の環境問題に対する意識の高まりによって、現在、大きな転機を迎えている。

2009年4月24日金曜日

米国覇権の終わりに来るもの



ロシアの国土は日本の45倍あり、米国の2倍もある。その殆どがシベリアのツンドラとしても、途方もなく広い。およそ一国の政治体制で仕切っていくのはウオッカにやられた凄腕エリツインも骨が折れたに違いない。彼の晩年は20世紀最後の12月に腹心のプーチンに権力の移譲がおこなわれ、21世紀プーチンの時代は始まった。


ロシアは100民族以上ひしめきあってる多民族国家で、オーストラリアやアメリカのように移民で多民族国家になったのではなく、土着だけで100民族いるというからとんでもない国である。圧倒的多数はスラブ系のロシア民族だとしても、辺境や周辺には聞いたことないような民族や文化が沢山ある。
ゴルバチョフからエリツィンの改革は、共産主義国家ロシアに大いなる混乱をもたらした。恐怖のソ連共産党支配というタガが外れ、ペレストロイカ[改革]の名のもと経済もメチャクチャになった。.当時のロシアの政治状況は、エリツィンらの市場経済移行派、共産主義に戻ろうという復古派、それに加えてソ連以前の古き良きロシアに戻ろうという民族派の3つが暗闘を繰り返していて、西側としては共産主義社会に戻らせないためにもエリツィンに頑張ってどうにかして社会主義に訣別して、市場経済に移行してもらいたい志向が働きIMFや世界銀行もどんどんロシアに融資した。




ソ連は建国以来最大の経済危機を迎えた1985年、ゴルバチョフがソ連の最高権力者、共産党の書記長の地位につきペレストロイカ[改革]を遂行し、共産党のみならず、国家体制さえも改革するような渦の中に巻き込まれ、やがて保守派のクーデターをおさえた強硬改革派のエリツィンの登場を呼んだ。エリツィン時代のロシアは「西欧の資本主義システム」を無防備に輸入した結果、国家の富を横領して短期間に肥え太った新興財閥オルガリヒやマフィアが生まれた。
国家の財政は破たん、庶民は「餓死寸前」まで追い込まれ治安は乱れた。軍や治安機構も崩壊したエリツィン時代のロシアで市場経済移行の中、ロシアの新興財閥オルガリヒの勢力は、金融業のみならず旧政府系の各産業、さらにはTV局や新聞などのメディアを押さえていった。自由に世論操作出来るようになったオルガリヒは共産主義に後戻りしないようエリツインを後押し市場経済に突き進むが、ロシア経済は混迷を極め、アジアの通貨危機が飛び火した1998年8月には、ついに資金繰りに窮し、ロシア国債の支払いを90日延期するというモラトリアム宣言をした。事実上のデフォルト(債務不履行)にまで陥り、この時点でロシアは国家破産状態になった。






ソ連崩壊によってロシアは政治・経済・軍事・治安・国民生活など全分野で崩壊した。エリツィン時代の「失われた10年」を経たロシアにおいては、独裁者が強権政治を担わざるを得ない必然性があった。プーチンはロシアの特殊事情が生んだ「時代の申し子」である。プーチンが思い描くロシア像は「威厳に満ちた強いロシア」である。当面の世界戦略は「米国の一極支配は認めない。米ドルを基軸通貨の地位から引きずり落とす」ことである。この世界戦略にそって、米国への対決姿勢を貫徹している。
姦雄とは単なる英雄でもただの悪党でもない。権謀術数にたけ、善人をあざむき、天下に覇を唱える強烈な個性の持ち主のことである。三国志に出てくる曹操は当代一の戦略家であり、最近見た映画レッドクリフにも登場していてプーチンにかぶるものがある。

世界は今、経済だけでなく政治や軍事も大変動の時代に突入した。世界の政治地図は時々刻々変動している。米国は今や軍事力だけで覇権を握っているに過ぎない体力の弱った国家である。超大国であった時代の米国は「中国の反米行動」を容認することができた。だが今や、中国は外貨準備高世界第1位、経済力は世界第3位、軍事費は世界第2位で、名実ともに米国覇権に挑戦し、米国覇権を脅かす巨大なモンスターに成長した。




周知のように欧米日5か国で始まったサミットは、世界経済に占める欧米列強の比重が低下するに伴い、約10年前から重点をG20に移すようになった。G20は、アジア・豪州地域が8か国、アメリカ南北大陸が5か国、ヨーロッパ地域がロシアとEUを加え6か国・地域、アフリカ大陸が1か国である。世界経済の重心が大西洋からアジアに移動したことが反映されている。「文明の衝突」の著者ハンチントンがいう「西洋の没落・アジアの台頭」がサミット参加国でも実現した。
一方、米国とEUの主要国は北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟の同盟国であり経済関係も濃密である。EU特に独・仏・伊とロシアは経済的な相互依存関係にある。ロシアはEUとの貿易で稼ぎ、EUもロシアのエネルギー資源への依存度が高い。世界の準基軸通貨ユーロを発足させ米ドルの基軸通貨体制にクサビを打ちこんだ独・仏は、いよいよ政治的分野においても主導権を握る時代になったとの認識でいる。




昨今のロシアにとっての原理原則は「米国の一極支配を許さない」という一点に集約できる。そのため原油取引をルーブル建てにしたり、イランやベネズエラなどの反米国家に対する最新兵器の売却を推進している。ロシアは世界最大級の天然ガスの資源国でサウジに次いで世界2位の原油生産国である。現在エネルギー資源大国であるから「資源価格高騰」で潤っている。EUのエネルギー消費の約30%を供給しているといわれるが、東欧諸国においてはエネルギー資源のほとんどをロシアの原油や天然ガスに依存している国も多い。これら諸国にとって、ロシアからのエネルギー資源の供給が停止された場合、国家経済が破たんする。ロシアはとりわけ東欧諸国の経済に対する主導権を握っている。またロシアの動向によっては国際的な原油価格に影響が出る可能性がある。
 ロシアはNATO加盟を掲げる親欧米政権を崩壊させ、ロシアを迂回する石油と天然ガスのパイプラインが経由するグルジアを旧ソ連時代のように支配下におく思惑がある。そのためグルジア問題は、キューバ危機以来45年ぶりに米国とロシアが直接対決する構造となった。衰退する覇権国家米国に勝負を挑む新興大国ロシアという図式だ。「冷戦時代」というのは、米ソが「共倒れを回避しつつ、勢力圏を拡大又は守もるための局地戦を行う」構図であったが、これは新たな経済冷戦のはじまりでもある。プーチンのもと大統領のメトベージェフは影が薄い。優秀な法律学者の彼は米国の絡んだグルジア問題であっさり停戦合意をしたのでプーチン(皇帝)の怒りを買った。ロシアの政局はプーチンの隠然たる力で支えられている。

フランスの歴史学者エマニュエル・トッドの言葉「世界は米国なしでも生きていけるが、米国は世界なしには生きていけない」と言う辛辣な批判は、米国の属国である我が国の政治家も肝に銘じなければならない言葉でもあろう。