2011年1月22日土曜日

日々雑感



 戦時中、植樹をしないまま森林を伐採したため日本中の山が坊主になり保水力を失ったため、終戦後暫くは各地で大水害が起き死者も多数出たという。そこで植林運動が始まったわけだが、植えたのが成長の早い杉が大部分で檜がちょっと。これらが用材に成長した頃から大問題が2つ起きた。外国材の輸入増大と杉花粉症の大発症である。欧米には無い「国民病」である。
筆者も30年来の花粉症患者であるが、年と共に症状が軽くなってきた。感受性が鈍くなったせいであろうか?


花粉症が報告されてから約40年後の現在、その患者数も増加の一途をたどり患者数は国民の10~20%までに達し、まさに“日本の国民病”と呼ばれるようになった。花粉症患者数は増加の一途をたどり、スギ花粉症だけで1500万人以上、日本の花粉症総人口は2000万人以上、5人に1人は花粉症ともいわれ、私の周りでもカミサンをはじめ、今まで何ともなかった人々がここ数年来急に患者になるケースが増えている。聞くところによるとネコにも花粉症が増えているらしい。今年は昨年の猛暑の影響でひどい年になりそうだ。憂鬱な春がそこまでやってきた。


さてこの杉を含めた材木の話をすると、今や外国材はカナダ、アメリカ、東南アジヤなどから安価で大量に入ってくる。年間木材総需要のうち19.0%が国産材で81.0%が海外からの輸入材である。国産材は人件費の値上がりで極めて高価になっている。わが国の山は急峻で危険が伴うから伐採、搬出の労賃は割り増しになるのは避けられない。ますます外材の輸入が増えてゆく。中小を問わず山林保有者の放置山林は後を絶たず、山は荒れていく。

現在、日本で使われている外国から輸入材を例にとると、家具に多く使用されている「タモ」は中国とロシアから、「ホワイトオーク」「ウォールナット」「米松」「スプルス」はアメリカ・カナダ、「ブナ」「ホワイトシカモア」はヨーロッパ、「チーク」「ラワン」は東南アジア、などだ。日本は多くの木材の供給を外国に頼っている。それもグレードの良い材を選んで買い付けているため、良材が品薄になっているのが実情である。

我々の業界でも、北海道産の桂材の良いものは入手困難になっている。実際木地屋の倉庫には代替えのイチョウが野積みされている状況である。2~3の製材業者は桂材を多数持っているらしいが、業界が焦って買い付けに走ると、足元を見られた高い材料になりかねない様相でもある。需要量を考えるとすぐに枯渇することは無いが、環境保護の進む中で国有林などの伐採などは難しく、
今までの様にグレードの高い木地を選んで買える時代ではないようだ。


話を杉に戻すと、杉は風に弱いから苗は密植しなければならない。しかしそのままにしたのでは成長しないし、細く育って使い物にならない。そこで考えられたのが「間伐」。森林の成長過程で密集化する立木を年々間引くのである。間引かれた杉は太さ10cm~20cm内外であり、建築用途の材料などには殆ど向かない。
林野庁の資料によると2006年度の場合、わが国民有林の間伐の実施は28万2000ヘクタールに及んだが間伐された材のうち、搬出、利用されたものは4-5割程度。間伐した324万立方mの60%が建築材や梱包材、13%が足場丸太など。24%は合板、集成材、チップ、おがくずなど。昔のような割り箸にはなっていない。料亭の箸は杉柾目の割り箸京都の北山杉である。
割り箸については、現在では海外から安い輸入品に押され、日本で使われている割り箸の9割以上は中国からの輸入品である。輸入品の多くは、割箸などを製造するために伐採した材木(ポプラ)を用いている。

元々間伐材は1970年代までは、建築現場の足場材、木柵の材料などに用いられたが、アルミニウム製の単管足場などの普及により需要が低迷した。1990年代になると、割り箸は輸入に全面転換したため間伐材の需要の低迷により価格が下落。採算性の悪化のため放棄される森林が増加した。 2000年代になると、森林整備を支援する一環として、間伐材の消費拡大に向けた動きが本格している。
林野庁は森林の持つ国土の保全や地球温暖化の防止などのためには、間伐等の手入れを適時適切に進めていく必要があるとして2007年度からの6年間で330万haの間伐をめざしている。

2011年1月17日月曜日

アートな話「色について」

赤についての考察


石器時代遺跡(つがる市)縄文時代晩期

 「亀ヶ岡赤彩土器」

色の3原色は周知のように赤、青、黄色である。今回は赤について考察してみる。赤は生命の根源といえる色。「赤い血を流すことが死につながることから純粋に赤そのものに生命を与える力があると信じていた」と、『色彩の美学』の著者の塚田敢氏が文中で語っている。日本をふくめ世界中の原初の遺跡の中から他の色に比べ、赤の顔料の使用が多く認められている。我が国で赤い色が出現したのは縄文後期の上の写真である。

古代に思いを馳せれば、赤は我々の生命を維持する血液のヘモグロビンの色でもあり、また暗闇を照らす大いなる炎の色でもあるだろう。生死を分ける色、赤。命の根源。血族。力による統率。原始の人類たちは赤い血液が生命を維持していくことを知っていた。そしてそのことは赤という色彩に生命エネルギーという霊力が備わっていると信じていたふしがある。

そしてまた、赤で彩色し描くことにより、強い生命力を表現するとともに、そのエネルギーが自分にも宿るようにという強い願いを込めたものと推測される。 そしてまた病や死に対抗する手立てとなどまったくなかった当時、闇に引きずり込む負のエネルギーに対して赤という力強い生命エネルギーをもって対抗しようとしたのも、古代のシャーマニズムからうかがい知れるところだ。


 当時の原始絵画に用いられた顔料の色は赤褐色・褐色・黒・白・黄色系統の色調で、まだ青や緑といった系統の色は見られない。色顔料の原料としては、赤鉄鉱・黄鉄鉱・マンガン鉱・などから赤や黄色・褐色を 創り、骨を焼いたものから黒を得ていたことが解かっている。
色はそれら鉱物を粉砕してできた粉を水や獣脂・樹脂などと練り合わせて作られており、そのほか植物色素なども使用されていただろうと予測されるがそれらの痕跡は残っていない。

人類が使用してきた火の歴史は50万年以上前、ジャワ原人や北京原人が居住していた頃にまで遡ることができる。火の使用により黒という色は骨や木を焼いた灰から簡単に採取されたと予測されるが、その他の色に関しては色を表現するための研究が、長い歴史の中で手探りでされたことと想像できる。 

 現在、私たちは「色彩は波動でありエネルギーである」ことを知っている。しかしその事が科学的に証明される遥か太古の昔から、すでに人類の祖先はそのことを肌で感じ取っていたものと思われる。なぜなら色は非常に感覚的な要素を持っているからである。
そして今に続く色彩文化の原型ともいえる色は、命の色・とりもなおさず「赤」に他ならない。


私が赤で印象に残ったものが2つある。一つは19世紀の画家ゴーギャンの赤と、二つは1986年にイタリア旅行で見たポンペイ遺跡の壁画を際立たせている赤である。



            ポンペイの赤

約2000年もの間、あの美しい「ポンペイの赤」が失われなかった秘密は、どうやら絵具と仕上げにあったそうだ。絵の具・石灰とロウを加えた石鹸水に色を混ぜて絵具を作っていたと分析されている。仕上げを鉄ごて、大理石のローラーや磨き石等で描いた絵を磨いた後、最後に布でつやだしをして仕上げていたことが解析されている。この赤色は、現代の技術を持ってしても再現は難しいと言われている。
画面に描かれているディオニュソス(バッコス)は、ギリシャ神話に登場する酒の神だが、古代のローマでは、ディオニュソスの神が広く人々の信仰の対象とされていた。

ゴーギャンの赤

文明の退廃への嫌悪と原始的なるものへの憧憬と回帰がゴーギャンの赤に象徴されていて、まさに赤は原始の色である。

彼の作品にはオレンジがかった赤や、いろいろの諧調の赤が散りばめられている。それが晩秋の木々だったり、タヒチの占い師のマントだったり、タヒチの女の腰巻であったり、ブルターニュの冷たい風にさらされた畑だったり、イヴの蛇ならぬトカゲだったり、写真のようなそのものずばり地面だったりする。 (写真上 ヤコブと天使の戦い 写真下 神の日)

船員を経て株式仲買人で成功した職を辞し、妻子を捨てタヒチで乞食のような暮らしをしながら酒を買うために死ぬまで描き続け、女にも捨てられアルコール中毒で窮死したゴーギャンは、英国の作家サマセット・モームのモデル小説「月と6ペンス」に描かれている。

命を懸けて描いた作品は酒屋に持ち込んで酒に換えたがゴーギャンの死後その酒屋は、宣教師に神を冒涜する絵だと言われてすべて焼き捨てたそうだ。
またゴーギャンと土地の女性との間に生まれた息子が、やはりアル中になって乞食をしながら観光客に写真を写させていくらかの酒代を貰っている写真を昔見た覚えがある。人生の悲哀を感じた一枚だった。

2011年1月15日土曜日

中国人気質


 世界では長い歴史の中で移民を受け入れてきた国々が多くある。その中のドイツのメルケル首相が最近、多文化主義は失敗したと述べ波紋を広げている。


その底流に流れている理念は、「自国民が嫌がる仕事を貧しい外国人にやらせよう」という、差別的移民政策がもとになっている。
ドイツではイスラム原理主義への警戒心が強まり、金融危機やその後の財政危機で仕事や年金が移民に奪われるとの懸念が高まっている。

ヨーロッパでは3K労働はヨーロッパの白人ではなく、トルコ人やアラブ人にやらせようというものだ。
ロシアでは道の清掃をしたり、建設現場で肉体労働をしているのは、全部中央アジアの人々である。スイスでは住民の21%が外国籍で、欧州でも比率が高い。囚人の70%は外国人というデーターもある。

日本の場合、他国の様に積極的に移民の受け入れは行っていないが、2008年の段階で在日外国人は約215万人いてそのベスト4は、
1.中国(68万人)2.韓国(57万人)3.ブラジル(26万人)4.フィリピン(21万人)となっていて中国人が多いことが分かる。おそらく現時点で中国人の数は百万を超えているという。

特に最近中国人の違法入国や集団で偽の残留孤児証明を入手し、挙句の果ては生活保護費を掠め取るケースも大阪を中心に増えている。
背景には中国の新聞「東方時報」が日本の生活保護法を逆手にとって、その取得ノウハウを大ぴらに臆面もなく指南していることがある。中国では生活困窮者が1億5千万人以上いるが、彼らから見ると日本はまさに天国である。国際ルールも無視、知的財産権の侵害や人権侵害などは当たり前の国である。人のものは俺のもの、俺のものは俺のものといった具合である。

中国には古来「上に政策があれば下々に対策がある。」という諺があるように、役所で残留孤児証明を乱発すれば、性善説を地で行くわが国の社会保障制度は性悪説に裏付けされた中国人に食いものにされる恐れはある。


かつて「狂人日記」の著者魯迅(注)は中国人が食人の習慣のある,汚れた動物であり,人間の名に価しないという救いのない事実を正面から見つめたこの小説を書いた。
中国では3千年もの昔から,食人が公然たる一つの社会制度として存在していることを、中国の正史に堂々と記載されており、飢饉のたびに共食いが起こり、人肉を愛好した話は無数で,人肉は強壮剤として医書に堂々と記載されている。魯迅はこのような中国人に希望を持つことが出来ず,「中国の未来に砂漠が見える」と死ぬまで言っていたそうである。

孔子が塩とお酒につけた人肉が大好物としていたことが論語に銘記されていることも驚きである。まさに人を食った話だ?
このような倫理観の欠落した民族がわが国にはびこり、やがて参政権でも与えられた日には、やがて中国の強烈な国家主権意識でその属国になりかねないおそれもあるだろう。

)本名は周樹人。字は予才。号を魯迅、中国の代表的な文学者。浙江省紹興の人。1902年、日本へ留学、1904年仙台医学専門学校に入学 後、国民性改造のため文学を志向し東京にもどる。1909年帰国し教員となる。1918年、狂人日記、孔乙己、阿Q世伝を発表。教育者として北京大学など教壇に立った魯迅は又、北洋軍閥の文化弾圧と衝突した学生運動三・一八事件により北京を脱出。中山大学等で教壇に立った。民族主義文学に徹し反封建主義、反帝国主義の文学が基調

中国の脅威    

中国は1982年、トウ小平の時代に長期戦略を立て、2010年までに日本列島からボルネオまでの第一列島線内部の制海権を打ち立てると決めた。2020年までに小笠原諸島からグアムをつなぐ西太平洋の制海権を確立し、2040年までに西太平洋とインド洋で米海軍の独占的支配を阻止すると定めた。中国の外洋進出はまさにこの戦略に沿って実現されてきた。

トウ小平のときに、第三世界に核およびミサイルを拡散する方針を決定、その拠点が北朝鮮とパキスタンであることは専門家らが指摘してきた。第三世界への核拡散の元凶は中国なのであり、北朝鮮とパキスタンも中国の関与なしでは核の保有は出来なかった。
いうまでもなくパキスタンは敵対するインドに対して、インドを取り囲む軍事拠点を完成させて対中戦力を殺ぐためにあり、北朝鮮に核を与えたのは日本を同様の状況に置くためだと、インドの専門家は指摘する。

上図の九州から沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオに至るラインを、中国は自国の勢力範囲の「第一列島線」として捉え、その内側で海軍を活発に展開している。

2020年には、伊豆諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアと続く「第二列島線」までを勢力圏とし、米海軍に対抗できる海軍の建設を目論んでいる。その一環として2隻の中型空母を建造しており、2012年までの実戦配備を目指している。

 第2列島線までが「中国の海」になれば、日本列島はその中にすっぽり入ってしまう。別に日本を軍事占領する必要はない。日本のシーレーンを抑え、中国の意のままになる傀儡政権を作って、日本の冨と技術を自由に搾取できれば良いことになる。うっかりしていると日本人のケツの毛まで抜かれる相手であることをあらためて留意しなければならない。

2011年1月10日月曜日

世界の始まりと終わり


ここ2年ほどWebのTSUTAYAで毎月4枚のDVDビデオの宅配レンタルを利用している。いちいち店に足を運ばなくてもいい便利なものだ。

今年初めに見たのが、2009年11月20日に公開した映画「2012」である。

監督は『インデペンデンス・デイ』『デイ・アフター・トゥモロー』のローランド・エメリッヒ監督が放つ、マヤ暦の2012年12月21日終末説を基にしたSFパニックで、あらゆる天災が地球を襲い、逃げまどいながらも必死に家族を守ろうとする男の姿を描く。。古代マヤ人が残した暦がそこで途切れていることから、「世界終末の日」だと囁かれてきた2012年12月21日。あと3年足らずで地球が滅亡するというシナリオを、圧倒的なVFXで描き切る。かつてない規模の地震、噴火、津波…。あらゆる天変地異が世界各地に次々と襲い掛かり、もはや地球上に逃げ場はない。なかでも大都市ロサンゼルスが、あっという間に崩れ落ちるシーンは圧巻!

物語は太陽ニュートリノが変異し、地球のコアを過熱。やがてその熱で緩んだ地殻が一気に崩壊をはじめ、わずか3日で地表のすべてが海中に没するという設定、その際起こるのは、地震、地割れ、噴火、津波、洪水など、誰もが知っている自然災害ばかりで、それらが想像を絶する規模で次々と世界中で起こっても不思議と違和感はない。しかも展開が早く、科学的根拠を考える余裕もないのだ。  こうして、突如訪れる“終末の時”を、正反対の立場で迎える2組の人々のドラマを交錯させて展開していく。

            
さて2012年は約5000年前を起源とする古代マヤ文明の暦が終わる年。古代マヤ文明の暦は、現代の暦との誤差は極わずかで、メキシコで出土したアステカ「太陽の石」と呼ばれる石盤は、それを表していると言う。(右写真)

アステカには「5つの太陽の伝説」と言うものがあり、過去に4つの太陽が滅び、5つ目が現在のもの・・・としています。この石盤に描かれているものは4つの太陽と中心には5番目の太陽神(トナティウ)だそうだ。
古代マヤ文明の暦は5128年を1周期とし、予言書「クワウティトラン年代記」には、5番目の太陽期の始まりが紀元前3113年頃と記されていて、5番目の太陽期の終焉によって人類も滅びる・・・としている。それが2012年12月12日ということである。一説によると「これまでの地球文明が終わり新しい時代が始まる年」とされている。

現世界を見渡せば米国のオバマ大統領、中国の胡錦濤総書記、ロシアのメドベージェフ大統領、フランスのサルコジ大統領、韓国の李明博大統領、台湾の馬英九総統が2012年に退場する。ドイツのメルケル首相と我が国の菅首相の任期は2013年まであるが、いずれも失政を問われ、2012年までには内閣不信任決議が可決されても不思議ではない。

古代マヤ文明の黙示録が暗示する2012年は、世界の指導者が一斉に交代するだけでなく、世界的規模の政治的・経済的大混乱が発生する可能性がきわめて高いのは時代背景の必然性かもしれない。世界は、ドル崩壊、ユーロ崩壊、EU解体、中国大乱そして我が国のデフォルトの危機を防ぐ手段を持ち合わせていない。

この2012年が地球や我々人類にとって破壊的な年の始まりになるのか、それとも希望の未来が始まるのかについて、騒がしい議論が続いている。
過去に数多の予言者がいた。ノストラダムス、ジェセリーノ,等々、一部的中している事象はあるが、天地を揺るがす大事変はこの映画以上のものは起きていない。まさにCGFによる特撮の技術は目を見張るものがある。


この映画があの旧約聖書の創世記で示したノアの箱舟を彷彿とさせる超大型船による、一部人類の脱出で幕を閉じたのは、人類は最後まで神の加護を信じていることを物語っている。

万物を創造された神の言葉で書かれた旧約聖書の創世記によると、地上の人間の業に怒りを覚えた神は「神に従う無垢な人」ノアに巨大な箱舟を作らせ、全ての動物の雄、雌一組ずつ箱舟に乗せ、来るべき日に備えた。トルコのアララテ山の山中で発見されたこの構造物は上の写真(左は衛星写真、右は現地で撮られた写真)の通りである。ノアの方舟がたどり着いたところは、今のアララト山(現在のトルコ共和国東端の標高5.165mの山)の山頂、あるいは山腹だと記されている。またアララト山にノアの方舟の痕跡を見たと証言する者たちが、昔から今に至るまで多い。

2011年1月2日日曜日

笑いの滴


             「笑いのしずく」 鳥獣戯画のウサギだけ編集

2011年 卯年の始まりである。裏日本に比べ関東の太平洋岸は穏やかな晴れの正月だが、なにやら今年も政局は一波乱もふた波乱もありそうな気配である。

卯年と言えば、鳥獣戯画のうさぎの絵を思い浮かべる方々も多いだろう。またこれより古くは古事記に出てくる神話「因幡の白ウサギ」で擬人化されたウサギがたびたび出てくる。

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物の国宝で鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される。1巻の巻物の長さは11mにも及び、原本は東京国立博物館で所蔵されている。


成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うため、12世紀 - 13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の幅のある年代に複数の作者によって別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。全体を通して見えてくるのは、動物を通じて俗世の人間模様を卓越した筆致(線描)で描いている風刺画の様な仕上がりもみせている。そこには鋭い観察眼に裏打ちされた笑いも、時折のぞかせる。いわば当時のサブカルチャーとでも言うべき絵巻物である。

鳥獣戯画には、擬人化された様々な動物が登場してくるが、中でも兎と蛙は多く登場する。兎はお調子者でおっちょこちょい、反対に蛙は真面目な熱血漢として描かれており、その他にも馬や牛、犬、鶏など身近な動物に始まり麒麟〔きりん〕や竜、獏などの空想的な動物を含めて70匹近い鳥獣が描かれている。主に擬人化された動物達が人まねをして遊ぶ様子などを描いている。この笑いの滴と対照的なものが現代の笑いの洪水である。

                          「笑いの洪水」 吉本の芸人たち
正月になると相変わらず吉本の芸人が娯楽番組を独占している。TVに顔を出している連中はまだいい方で、800人相当の芸人を抱えている吉本興行では、そのうちの1割弱の連中がしのぎを削っている。あとの連中は先輩のアホな芸を研究し、自分のお笑い芸の肥やしにしているらしい。これらの芸人と吉本の間には雇用契約が無く、上から下まですべて歩合制で、過酷な生き残りをかけて、本人にとっては笑えない、そして食えないサバイバル競争を繰り広げているようだ。
このお笑いの総合商社から発信されたお笑いは、日本国中を駆け巡り均質化されたお笑いのスタンダードを国民に提供している。