2009年9月12日土曜日

どん底競争

                                        世界の下請け
         
経済グローバル化時代の現在、一国の競争力は中国を例にとれば、国家に属する企業が備える競争力に体現される。デフレ経済のもと、100円ショップ、ユニクロ、ニトリなど中国製品の圧倒的な安さはもとより、国内外を問わず多国籍企業の下請けとしての中国が存在している。、改革開放以来、中国の貿易総額は急速に増加しており、いまや日本をしのぐ勢いであるが、製造業において中国発の国際的な巨頭企業が現れていない現状をみると,中国側の経済研究者の分析レポートがそれを物語っているので要約してみよう。


北京大軍経済観察研究センター特約研究員・袁剣氏によると、今、中国の高度成長に伴い自国ではさまざまな問題が指摘されている。それは、中国の輸出製品の価格が不断に下落を続け、輸入製品の価格が不断に上昇を続けているということであった。輸入製品の価格上昇と輸出製品の価格下落は、交易条件悪化の典型的な症状と認識される。ある統計によると、2002年、日本の対中輸出製品の価格は3%上昇し、対中輸入製品の価格は、18.4%下落した。この点だけでも、日本は、対中貿易において、毎年200億ドル節約していることになる。
これと対比をなす現象として中国華南のある輸出工場において、扇風機、ジューサー、トースターの平均卸売価格は、10年前の7ドルから、2003年の4ドルへと下落している。この工場の責任者は、“最も安い者だけが生き残ることができる”と嘆いている。中国の交易条件が不断に悪化を続けている事実について、表面的に中国は、不断に成長する貿易において得る利益がますます減少しているだけである。また、深層においてこのロジックに符合し、人々を不安にさせる現実がある。それは中国企業の相対的競争力は経済成長に従って上昇しないばかりか、かえって、不断に下落を続けているということである。

他方、技術が簡単で、生産性が低い中国本土の製造業は、世界的な生産過剰がもたらした熾烈な競争により、多国籍資本が、これを世界生産体系に組み入れ、その世界的な生産体系の中で、簡単な組み立て、加工、部品の生産等の提供されることに成功した。このため、中国の膨大な下層労働者は、実際上、世界経済体系の最下層に変化していった。中国の階層分化が、既に世界的な階層分化と緊密に融合していることは明らかである。本国の政治体制、国際資本の二つの力を借り、中国の膨大な下層労働者の地位は、更に堅固なものとなるであろう。中国の製造業が直面しているのは、自国の同業者との競争だけでなく、世界規模での熾烈な競争であって日本も例外ではない。

中国に最も多くの就業機会を提供している本土製造業(他の産業も含む)が、生存が困難であり利潤が薄く、労働者の賃金を引き上げることができないために、労働者が貧困の罠に嵌っている。これは、中国のマクロ経済のパフォーマンスにおいて、常に内需が不足している重要な原因の一つである。内需不足であれば、必ず外需を拡大する必要があり、外需の増加は、必ず他の貧困国との競争が必要になる。こうした競争は、再び賃金及びその他コストの不断の引き下げを引き起こす。そして、これが更なる内需の萎縮をもたらす。これは、抜け出すことが難しい需要の罠であり、過度の輸出依存から抜け出せない構造である。 最近見たテレビで貧困国の少年少女が、過酷な労働条件の製造工場の現場からふと漏らした言葉「生きているのがつらい。」が耳に残る。


多国籍企業に象徴されるグローバル化の力は、中国の転換に深く巻き込まれていく中で、中国に新たな経済の局面を作り出した。一方で、多国籍資本はブランドと文化的影響力により、中国における少数の富裕者と中産階級の絶対部分の消費力を独占した。富裕者と中産階級は、中国で最も消費能力を備えたグループであるが一握りの階層である。消費が膨大な下層の方向へと拡大していかない断絶社会にあって、その長期的な経済成長の潜在力は非常に疑わしい。合理的な推測として、次々と押し寄せるグローバル化の力は、おそらく、短期の経済成長を促進したであろうが、その長期的な発展の道を断ち切ってしまったであろう。膨大な最下層の人口と、全く競争力のない本土企業が、グローバル化の未来図の背後に、我々が目にするもう一つの中国である。


            どん底競争

 中国が高度成長をした27年間において、中国GDPの成長速度は先進国の数倍であったが、賃金の伸び率は、このペースを大きく下回った。中国では、体制内における人員の賃金が堅調な伸びを示す一方、数が膨大な最下層の労働者の賃金は、稀に見る停滞を示している。日本が高度成長期にあった時、日本の賃金は、伸び率が米国のそれを70%上回っていたが、1980年に至って米国の賃金と並んだ。日本の賃金が米国に追いつくまでには、1950年から1980年までの30年間を要した。他方、中国経済もまた、1978年から2004年まで、30年近く高度成長を実現したが、賃金は、米国の4%程度しかない。製造業において、中国の労働力価格は、90年代になってようやく高度成長が始まったインドよりも10%低い(インドの高度成長の歴史は、中国よりも10年余り遅い)。
この現象は実に難解であるが、90年代初期から現在(中国の経済成長が最もハイペースであった時期にあたる)、中国で最も発展した珠海デルタ地区において、出稼ぎ労働者の賃金は、意外にも、この10年間で全く上昇していない。これは、世界から突出した中国の経済成長に対し、耳障りな嘲笑となるばかりか、中国における賃金の伸びに、ある種の“不自然性”があることを証明している。
このように、賃金と経済成長が逆方向に向かう現象は、現在、既に中国最下層の出稼ぎ労働者から、いわゆる知識階層へと蔓延しつつある。ここ数年、中国経済が過熱すると同時に、中国大学卒業生の賃金が顕著に下落している。2005年初め、中国大学卒業生の賃金は、既に毎月500元~600元という超低水準に達している。人材市場で職探しに急ぐ河南財経大学の卒業生は、やるせない様子で、“これでどうやって生活していけというのか?”と語っている。こうした労働力価格の趨勢に基づけば、更に30年が過ぎた後、中国と先進国との格差はますます大きくなるおそれがある。いわゆる中国の世紀とは、民族主義の非理性的興奮が残した歴史の笑い種にすぎないものとなるだろう。まさに国栄えて民衆が滅びる例えである。


一方、我が国はどうかと言うと雇用問題で、とりわけ生産調整の便法である非正規雇用の増大と正社員のリストラが、内需拡大に影を落としている。今や懐かしい中産階級はグローバル経済の下、国際競争にさらされ崩壊していった。今、日本は底辺から社会が崩れ始めている。“どん底に突き進む競争”は、まさに、20世紀90年代以後、中国がグローバル化において実践した内容と重なり合う。そして、生活保護費以下の収入しかない非正規雇用者の急増は、20歳代の若者だけではなく、35歳以上の中高年フリーター・パートにも拡大している。

生活保護に関しては、受給資格がありながら生活保護を受けていない割合が80%にも達しているという試算もあり、厚労省の発表では、2009年1月現在、生活保護世帯数:116万8354世帯 (前月:115万9630世帯)生活保護人員数:161万8543人 (前月:160万6714人)が生活保護を受けているが、これは実際の20%にしか過ぎないということで、大多数の生活困窮者は未だに異常なまでもの貧困にあえいでいると見られ、潜在的に生活保護対象者を抱えている。また、厚生労働省が発表した「福祉行政報告」によると、09年1月の生活保護を受けている世帯・人員とも過去最多を更新したことが明らかになった。

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