2013年6月24日月曜日

BROKEN NET


米・国家安全保障局(NSA)の下で個人情報収集活動に従事していた米中央情報局(CIA)の元職員のエドワード・スノーデン氏(29)が亡命先の香港で個人情報収集の実体を暴露したことで世界中で話題になっている。

彼は自分の目で見た罪のない市民に対する行き過ぎた電子監視システムに強い懸念を持ち、その実体を広く米国民に知ってもらおうとしたようである。彼の発言によると、米国民全ての通信記録が米 ・国家安全保障局によって監視され記録されており、その対象は一般市民から連邦判事、さらには大統領にまで及んでいるとのことである。
国家安全保障局やCIA等政府機関が、かねてから電話盗聴やEメール監視などによって、非合法的な情報収集を行っていることは周知の事実であるが、今回 、世界のマスコミが大きく取り上げているのは、そうした違法行為が国家安全保障局の下で、実際に情報収集に携わっていた現職の職員の口から明らかにされた ことに注目している。このことはかつて大騒ぎになったウィキリークスによって国際関係や国防情報など国家レベルの機密情報が、広く世界に知られるようになったのと似ている。

今回明らかになったことは、プリズムという暗号名のインターネット監視システムによって、マイクロソフトやヤフー、グーグル、フェイスブックなどのサーバーからユーザーの電子メールや写真、利用記録などの情報を収集していたと報道された事である。さらに、オバマ大統領がアメリカのサイバー攻撃の「標的」となる国外の人物をリストアップするようNSAに要請していたことも暴露した。ネット産業の協力なしにはこのような計画が可能なのだろうか?疑念が湧いてくる。スノーデン氏は、NASAによる国民の情報入手は、「民主主義の脅威である。その気になれば誰でも犯罪者にすることが出来る」とも言っている。

つい先日米中会談で、オバマが習金平に中国がサイバー攻撃をやっていると、苦情を言ったばかりであるが、泥棒が泥棒を非難しているような絵が浮かんでくる。どちらも情報をかすめとる行為を国家安全の必要悪と認めているわけで、米国の場合、あらゆるアメリカ国民の、あらゆる通信をスパイするクラッパーの計画を、“国民の市民的自由を守る”ために必要で、スノーデンの行為は、アメリカ人の市民的自由の侵害だと言及し告発も辞さない構えでいる。さらにクラッパー国家情報長官は6日に緊急の声明を発表し、プリズムは「外国諜報活動調査法」に基づき、3カ月ごとに特別法廷が実態を評価していると指摘。証拠がなければ、特定の個人を「意図的に標的にはできない」と述べ、情報収集はテロ対策に限定されていると正当性を強調し、火消しに動いた。しかし年間わずかしか起こらないテロに対して、何億もの国民一人ひとりの行動を監視することには整合性が見当たらない。

1971年にインテルが発表した世界初の「情報機関(エンジン)」であるマイクロプロセッサーの登場、さらには1990年代初頭に起きたインターネットの劇的な発展によって、デジタル技術による「情報革命」が起こった。この結果、eコマースをはじめネットワークを利用する様々な新サービスが産声を上げ、情報産業は瞬く間に超巨大産業へと変貌をとげた。インターネットの発展は人々に大きな利便性を与えたが、背後に潜む国家権力による個人情報収奪や、中国に見られるようなネット統制などの情報操作が存在する。
国家が国民一人ひとりの情報を一元的に掌握し管理するということは「監視」「支配」につながりかねない。このことは我が国が導入しようとしているマイナンバー制度の危うさにもつながる。
 先にご紹介したマイナンバー制度が導入されている米国の惨状はもとより、導入によって韓国では、08年からの4年間で1億2000万人分の個人情報が流失している。なりすまし事件も頻発しているという。韓国の人口が5094万人だから、1人あたり2回以上個人情報が流失させられたということか。
 韓国では、民間企業からの流出がほとんどらしいが、日本でも上記のように法律施行3年後をめどに民間活用について検討することになっているので、要注意だ。
過去にサイバー攻撃によって、農水省、防衛省、ほか各官庁、民間企業の重要機密文書も漏洩されている我が国が、国民一人ひとりの個人情報を守れるはずはないだろう、broken  netでは。


 

2013年6月6日木曜日

アートな話「リンカーン」


主役のダニエル.デイ.ルイス

久々にスピルバーグ監督の最新作の映画「リンカーン」を観た。あらすじは第16代米国大統領エイブラハム.リンカーンが奴隷制度を廃止して南北戦争の終結と、南北統一並びに合衆国憲法修正13条を成立させるまでの苦闘を描いた映画である。
 周知のように米国は移民国家で、英国の植民地からの独立を果たした独立戦争以来2度目の戦争が南北戦争で、その背景には北の自由労働に支えられた工業地帯と、南の綿花を中心とした奴隷労働に支えられた農場地帯の対立構造があった。
リンカーンと妻のメアリー

 
 
1860年にリンカーンは黒人奴隷開放政策により北部の資本家から支持を得て共和党大統領になったが、南部の奴隷州は反発し南部連合を作り離反した。
北部優勢のうちに1865年南北戦争は終決しアメリカは統一された。ストーリーでは、上院が可決している奴隷制度撤廃のための憲法修正13条を下院で民主党から20名近く賛成派に転じさせるため。説得、買収、脅迫とあの手この手の政治工作が繰り広げられる。リンカーン役のダニエル.デイ.ルイスも風貌といい体つきといいリンカーンによく似た名優で、悪妻と言われたメアリー役の女優もそっくりさんと言われてもうなずくキャスティングだ。唯一見覚えのある俳優(あのコーヒーBOSSのコマーシャルに出ているトミー.リー.ジョーンズ)の強面の弁舌に長けた、奴隷廃止論者の演技が単調になりがちなストーリー展開を引き締めた。

リンカーンについては、その人物像はいろいろなところで述べられているが、今回の映画はアメリカを南北統一に向かわせた彼の手腕と苦悩を、非常に多忙でしんどい政治家の日常生活を描くことで、歴史の1ページを浮き彫りにしてみせた。
リンカーン自身多感な時期にネイティブアメリカン(インディアン)に一家が襲撃され,
目の前で親父が殺されたこともあって、もともと大陸に住んでいた彼らを多数虐殺する政策をしたことでも有名な大統領で、こういった影の部分は今回のストーリーには入っておらず、また暗殺されたことも、歴史のひとコマとして淡々と述べられているに過ぎず、ドラマティックな仕立てにはなっていないが、政治というものをよく表現している映画である。

◆経済史から見た南北戦争

リンカーンが発行を命じた政府紙幣
アメリカ南北戦争の根底に潜む大きな問題は、国家金融カルテル及びその代理人とアメリカ政府の間で、国家通貨発行権及び貨幣政策がもたらす利益を奪いあった事実は見逃してはなるまい。過去の戦争全てに言えることは戦争には金がかかることである。そこで登場するのが国際金融カルテル、ロスチャイルドである。世界の戦争の裏には彼らの影がまといつく。日本の日露戦争や明治維新でさえも。
さて、戦費調達において、リンカーンはロスチャイルドらの提案した金利24〜36%の融資案を拒絶し緑背紙幣と呼ばれる「アメリカ政府券」の発行権限を財務省に付託。
1862年を皮切りに南北戦争中合計4.5億ドルを発行。これらが発行されたことで銀行家はリンカーンに対して憎悪をむき出しにした。アメリカ国民と産業界は緑背紙幣を歓迎。 リンカーンは南北戦争の戦費獲得の為に緑背紙幣を発行する必要があり、議会の銀行勢力に対して一つの妥協を行った。国立銀行法の制定により市場に出回る不安定なドル紙幣を回収し国立銀行が国家紙幣を発行するとしたものである。

国立銀行がアメリカ政府債を銀行券の発行の準備金に充てたことで、アメリカの貨幣発行と政府債はセットになり政府は永遠に債務を返済できなくなる。
昨今のアメリカ経済を見ると、2006年にはアメリカ政府債は8.6兆ドルだったのが、2012年度には、法定上限額である14兆2900億ドルというという天文学的数字にせまっている。その結果連邦政府の国債利払いもすざまじい限りだ。
リンカーンは再戦の暁には国立銀行法を廃案にしようとしたが、再選後の41日後に暗殺された。国際銀行家たちはリンカーンの実施した緑背紙幣をなくす為に通貨緊縮法を可決。通貨流通量を圧縮しアメリカ社会を疲弊に叩き込んだ。
南北戦争前後百年の間に米国政府と国際銀行家の間では、アメリカの中央銀行の構築と金融制度上の重要問題を巡り死闘を繰り広げ、その間に4人の大統領が暗殺され、数多くの議員が暗殺未遂に終わっている。 そして1913年のアメリカ連邦準備銀行(FRB)の設立は国際銀行家が最終的に勝利したことを意味する。 国際銀行家勢力はイングランド銀行の複製であるアメリカ中央銀行の実現に成功した。

ケネディー大統領令で発行された紙幣
アメリカ合衆国史上で暗殺された大統領は、いずれも政府紙幣の発行をめぐって暗殺された。最初は、16代大統領のリンカーンであり、二人目は20代のガーフィールド、三人目が29代のハーディング,四人目が35代のケネディーである。この四人は通貨発行の権利を連銀から政府に取り戻そうとした人達である。中央銀行が問題になるのは国家から高い利息を取るからなのだ。リンカーンの場合当時の舞台俳優のブースの凶弾によって観劇中に倒れたが、その背景には見えない闇の魔手が見え隠れする。暗殺された夜、リンカーン大統領はグローバー劇場で観劇する予定になっていたが、当日になって急にフォード劇場に変更された。なぜ急に劇場が変更されたのか、だれがそうしたのか、これも謎である。
ケネディ大統領も1963年6月に通貨発行権を取り戻し、政府発行紙幣を流通させるが、半年後にはオズワルドに暗殺され、実行犯も殺されて事件の真相はいまだ闇の中である。ケネディー死亡後、言うまでもなく政府紙幣は即座に回収された。まことに経済を支配するものは世界を支配するものでもある。(3月3日錬金術は止まらない参照)そのことは旧約聖書の言葉「借りる者は貸す人の奴隷となる。」が裏付けている。

2013年6月2日日曜日

格差社会

大前研一 「ロウアーミドルの衝撃」より

私がサラリーマンをやっていた頃は、高度経済成長期の良き時代で、学校を出て就職をすれば、終身雇用、年功序列といった今では考えられないある意味豊かな時代であった。
1985年から始まった円高により、多くの企業が行った省力化・コスト削減が進み、日本企業は中国の安い労働力を追い求めて大挙して中国に進出した。円高が進み、国内需要も低迷する中で、多くの日本企業は中国に工場を移転し、中国で生産した製品を欧米諸国へ輸出する新たな戦略を展開した。日本企業は中国に進出することによってコスト競争力を維持することができた。
そうした経済のグローバル化の潮流の中で、世界の工場としての中国の台頭に続く国内生産業の空洞化や産業構造の変容に対して、国際競争力の消失を防ぐために始まった雇用調整があらゆる業種に及び、非正規雇用の増大による派遣労働者の急増や、年収200万円以下のワーキングプアーの広がりが社会現象となっている。

また一方ではリストラの嵐が吹き荒れ、会社が安住の地ではなくなった。己の自由を会社に捧げ、一生を保証されていたあの頃は戻らない。今はそのささやかな自由も経営の合理化の前では消え失せ、過酷な労働条件に打ちひしがれる勤め人が巷に溢れていく。もはや日本は昔のような包摂性のある時代ではなくなった。その憂き目にあっているのが我々の子供の世代を含む前後の年代層である。最近では狭い日本列島で弁護士が過剰になりすぎ、年収100万円近辺の食えない弁護士が増えていると報道で見たこともあるが、これも時代の趨勢か?格差社会は否応なしに進んできている感がする。

● 格差に拍車をかけるTPP

時代の流れとしてTPP(環太平洋連携協定)参加に大きく舵を切った日本では、弱肉強食の市場原理主義に誘導されたアメリカの経済植民地化が今後ますます広がっていくだろう。そもそも、いままでにない例外なき関税撤廃、規制緩和の徹底をめざすTPPでは、「すべての関税は撤廃するが、7~10年程度の猶予期間は認める」との方針が合意されている。しかし、米国は乳製品と砂糖について、オーストラリア、ニュージーランドに対してだけ難癖をつけて例外扱いにしようとごり押ししていたが、両国の反発にあい、そんな例外を認めるのであればTPPに署名しないといっているくらいで、圧倒的な交渉力を持つ米国でさえ例外が認められそうにないのに、日本がどうやって例外を確保できるのだろうか?「国民皆保険制度を守る」「食の安全基準を守る」「国の主権を損なうようなISD(投資家対国家紛争)条項は合意しない」という公約も守られる保証は何もないまま、課題山積のまま安倍政権は見切り発車した。
徹底的な規制緩和を断行し、市場に委ねれば、ルールなき競争の結果、ひと握りの人々が巨額の富を得て、大多数が食料も医療も十分に受けられないような生活に陥る格差社会がひろがる。それでも、世界全体の富が増えているならいいではないかと、ゴリ押しを続けるアメリカ主導のグローバルスタンダード。逆に平等を強調しすぎると、人々の意欲(インセンティブ)が削がれ、社会が活力を失うといったジレンマも背中合わせにある。世界の覇権国家アメリカは中国のように露骨ではないにしろ、巧妙に属国をコントロールしている。


中国には透支という言葉がある。原語は金融用語で借越という意味であるが、一党専制という恐怖統治下に生きる中国人の心理状態、生態、行動パターンなど様々におこる現象を指している。例えば毛沢東時代に「貧乏になれ!それが栄誉」だと号令されると,10億の国民全体がそれに従い貧乏のどん底に陥り、時代が変わりトウ小平時代になり、「先に金持ちになった者が勝ちだ!」と号令されると、13億の国民が拝金主義者に変貌を遂げ、金のためならなんでもありの統制の取れない銭ゲバ国家に成り下がる。人心の汚染から始まった食品汚染、やあらゆる地域での領有権を主張し、人の迷惑も顧みず、その場しのぎの嘘と金儲けで世界中から顰蹙を買っている。
日本のように少しでも包摂性のある国家とは違い,強権がもたらす不安と恐怖から、国も社会も個人さえも信じない相互不信による倫理観の欠落からとんでもないモンスター国家が誕生した。当ブログでも紹介しているように中国の格差社会は日本の比ではないほど凄まじい。

日本には、他人が汗水たらして働いている横で、のうのうと美味い汁を吸って暮らしているような階級階層は基本的には存在しない。労働者は言うに及ばず、農家だろうが、管理職や経営者だろうが、金利生活者や地主だろうが、それぞれの分野で同じような経済規模の外国の同類に比べると,つつましい生活を送っている、この中庸の生活姿勢が戦後の経済発展の原動力となって我が国の経済を支えてきたのだ。
中庸の社会日本、バランスのとれた国民性は、格差社会が肥大化する世界のトレンドのなかで異彩を放つ。かつてのように中産階級が息を吹き返さないと、本当の経済再生はやってこない。