中国が核武装を決意したのは、建国の5,6年後の1955~56年という非常に早い時期である。朝鮮戦争(1950~53)、インドシナ戦争(~54)、台湾海峡での国民党政府軍との戦争(54~55)と、立て続けに戦争を行い、しばしば米国の核兵器に威嚇された。
朝鮮戦争ではマッカーサーが中国に対して原爆使用を提案し、トルーマン大統領に解任されている。毛沢東は米国のような大国に対して、対等な発言権を持つには核兵器が必要であることを明確に認識していた。
.『シルクロードの死神』
ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。
ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。ところが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、彼は被爆したのかも知れない。
4月30日の 産経新聞ならびに月刊「正論」6月号の高田レポートによると
新彊ウイグル自治区の南部に広がる西遊記でおなじみのタクラマカン砂漠には、 中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では直接、放射性物質が降り注ぐ。大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。
こうした状況を報道したドキュメンタリー "Death on theSilk Road" 『シルクロードの死神』が1998年、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。なぜか我 が国は放映されていない。
中国核実験の実態
東トルキスタン地域は、中国共産党が1949(昭和24)年に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最初の核実験が1964(昭和39)年10月の東京オリンピック期間中に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつてソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と比較しても民族浄化のそのえぐいやり方は群を抜いている。
ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。
一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかったと、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガトンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかった。(核爆発)基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。このためにわが国では放射性物質の観測データにほとんど出ていない。
中国は90年代にこの地域で11回もの核爆発を行っており、東トルキスタン南部のタリム盆地での石油・天然ガス油田開発が始まった時期と一致していることから、高田教授は資源開発に核兵器が使われたと推定している。つまり核爆発により地震を人工的に起こし、そこで発生した地震波の伝わり方を調べて、地下の構造を分析する手法である。ソ連もこの目的で12回の核爆発をシベリアで行っている。
● 中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがあるとしている。
爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネルギーのガンマ線やベータ線、アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達するという。中国の核実験は、核防護策がずさんで、被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万人のうち多くが死亡したとみられる。
広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批判している。
東トルキスタンの人口は2005(平成17)年で2千万人である。中共政府はその地で、住民を退避させることもなく、核爆発を行った。高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの報告値と良く一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、核の砂による急性死亡は19万人となった。2メガトン地表核爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜-名古屋間に及ぶ範囲で、急性死亡のリスクがあった。この地域では核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったということになる。
また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射線障害のリスクのある地域は、風下およそ440キロメートルに及ぶ。東京-大阪間に相当する距離である。この地域で白血病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定された。
■被爆地に呼び寄せられる日本人観光客■
楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられ,それ以降も核爆発は続いていたのである。
この間シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点の ごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがありこれに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年ま での日本人観光客数は57万人と見積もられている。このペースだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。
戦後唯一の被爆国の日本人が、皮肉にもそれ以上の被爆地に観光で訪れている。こうした日本人への影響調査が必要と高田教授は 指摘している。
1 件のコメント:
とても参考になりました。
恐ろしい事実ですよね。
自分のブログでも、引用させてください。
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