2009年8月17日月曜日

終戦記念日


8月15日は「終戦記念日」である。 1945(昭和20)年のこの日、日本のポツダム宣言受諾により、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了した。   内務省の発表によれば、 戦死者約230万人、 空襲による死者約80万人であった。  


明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り高ぶり、中国大陸への侵略の後、満州国設立を認めない国際連盟からの脱退、その後日独伊の三国同盟を経て第2次世界大戦に突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から多くの困難を乗りこえて、やがて高度経済成長を経て今日の繁栄を築いてきた。

戦争を知らない我々戦後世代は、残された映像でしかその悲惨さを垣間見ることしかできない。終戦記念日のたびに涙を流す親父世代の戦争体験者たちの心の叫びを感じることは、このような特別な日をもって知らされるのである。私の親父の所属していた南方方面部隊はトラック島、ポンペイ島を経てクサイ島で終戦を迎えたが、前線で戦う部隊ではなく情報通信部隊の将校として戦線に出たが、切迫した砲弾の脅威にはさらされることがあまりなかったらしい。米軍に補給路を断たれ、当時飢えには苦しんだもののたいていの生き物は食したと言っている。それでも周りでは餓死するものや自殺する者が大勢いたという。


国内では広島や長崎の原爆はもとより、各地におきた空襲による被害は甚大で、神戸にいた私の母親などは焼夷弾の雨を潜り抜け、戦後舞鶴に復員してきた親父と近所のよしみで一緒になったわけだが、母親の父親が米穀商で親父の父親が宮大工で父親同士が釣り仲間だった縁で結婚したとのちに母親に聞かされた。
戦後60年を過ぎ、平和を謳歌してきた日本であるが、今一度平和の意味をかみしめ、国が誤った方向に進まぬように国民一人一人が国の方向を注意深く見る必要がある。

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