2008年6月28日土曜日

寿命について


 人間に限らず機械あるいは社会制度にも寿命というものがある。寿命はそれぞれが持っている機能が停止するまでの時間と考えてよいが、これらの構造は何らかのメカニズムで老化あるいは劣化が進行し、やがては機能不全を起こす。




イギリスにスコッチウイスキーのオールドパーのラベルのモデルになったトーマスパーという爺さんがいて、153歳まで生きた人物であるが、80歳で結婚し、100歳の時に婦女暴行で捕まり、120歳で4回目の結婚をした人物である。世界ではギネスに認定されていない古い時代の長寿者がまだまだいるようである。逆さ仏という言葉があるが、現代は若くして生活習慣病にかかり、親よりも先に死ぬ人が増えている。交通事故もそうだが、ここ10年来我が国の自殺者が毎年3万人を超えている。寿命を全うせずに自らの命を絶つことは憂うべきことである。




戦後高度成長を果たしてきた我が国も、官僚主導型の社会制度で円滑に経済発展と、政治がおこなわれて来たが、90年代のバブル期あたりから、官僚制度の劣化が始ってきた。ことに昨今の年金制度の不備とていたらくは、目を覆いたくなる。医療制度しかり、道路行政しかり、挙句の果ては官僚自らの天下りと利権の確保に余念がない。彼らの小賢しい保身と、狡猾な行政手腕に税金を食い物にされている国民は不幸としか言いようがない。平成19年度の国の負債総額は849兆円に膨らみ、役人は歳入を増やすことに余念がないが、埋蔵金と囁かれている無駄な歳出削減の抜本的な具体策を示さず、実行もしない。これは官僚主導型の社会制度の老朽化であり、政治の死に近づいている状況である。一度政権交代で民主党に政治をやらせてみるのも国民の選択かもしれない。日本の公共事業の柱はいま問題の道路建設であり、アメリカの公共事業の柱は軍需産業で、突き詰めれば戦争である。いわば道路中毒と戦争中毒の両国が同盟国として存在している現実がある。アメリカの核の傘のもと平和ボケした日本があり、その安保条約も老朽化してきている。機能不全に陥る前に政治家は我が国の防衛を真剣に考える時期が来ている気がする。




アメリカにマークトゥエインという作家の本で、「man is machine」人間は機械である。というエッセイがある。厭世的な内容であるが、人間は機械になれるが、機械は人間になれないというくだりがある。 我が国の最新鋭護衛艦イージスが房総沖で漁船と衝突事故を起こしたことは、記憶に新しい。イージス艦もそうだが、遠洋に出る漁船も自動操舵は装備しているはずだが、報道では触れていない。国の防衛を預かる防衛省の官僚も、日米安保のもと、緊張感のないだらけた組織の中で事故不祥事が多い。人は組織の中で機械のように働くが、人間の作った機械に完全なものはない。機械を妄信するととんでもないことになる。我々の身の回りのパソコンもそうである。必ずバックアップが必要である。機械は人間のように融通が利かない。これは寿命以前の問題である。
 

2008年6月25日水曜日

趣味に思うこと




カルチャーブーム全盛の70年代から今日まで、カルチャーセンターでは多くの講座が現れたり消えたりしている。現代は趣味の多様化の時代でもある。

人は自分に興味のあるもの、楽しいもの、日常と違った体験を求めて旅に出たり、うまいものを求めて酒やグルメに走る。その結果日本人の多くがメタボリック症候群に陥り、国の医療制度の危機感から国は盛んに我々に警鐘を鳴らす。
ご多分にもれず私もその仲間に足を踏み入れている。



各地で鎌倉彫を教えているが、20年来続けている生徒もいる中、多くの生徒が出たり入ったりしている。どの趣味でもそうだが一つのことに没頭し道を究めるまでは、それなりのモチベーションや強い意志とそれにともなう努力とよろこびががなければ続くものではない。もちろん生徒同士の交流や付き合いに重きをおいて通ってくる生徒もいる。それはそれで楽しみ方のひとつでもある。
要は自分なりの楽しみ方を見つければよいのである。



私の趣味の一つに釣りがある。30の頃から始め川釣りもやれば海釣りもやってきたが、今は海釣りに落ち着いている。人によっては釣りの対象魚を一つのものしかやらない人もいれば多種類の魚を対象にしている釣り人もいる。

私は後者のほうで、とにかくうまい魚が食いたいのである。四季折々の魚を求めて釣りに出掛けるわけだが、それにともない使用する道具も年々増えていく一方だ。
趣味と道具はきりはなせない。挙句の果てに包丁類はフグ引きを筆頭に7種類になり、魚のさばき方も女房よりうまいと自負している。

フグ釣りをやってからは竿の制作にも余念がなく、かれこれ和竿20本は作ったが最近はほとんど作っていない。東京湾で太刀魚を釣っている時に、観音崎沖で釣れた外道の1キロのトラフグは今でも思い出すが、船頭に言われるまま家でさばいて食べたが、冷や冷やドキドキで味はよく覚えていなかった。翌朝生きていて胸をなでおろした記憶がある。自分でも馬鹿ではないかと思うことがよくある。

そこで一句。 <竿先に糸が垂れ、竿尻には馬鹿がいる>
酔人 創