2015年9月19日土曜日

アートな話「百年の愚行展」


『百年の愚行展』が、8月22日から9月27日まで東京・秋葉原の Arts Chiyoda1階ギャラリーで開催されている。
同展は、書籍『百年の愚行』および同書の続編となる『続・百年の愚行』の展覧会。2002年に刊行された『百年の愚行』は、20世紀に人類が犯した愚行を10に分類し、写真やエッセイ、コラムで紹介した書籍だ。昨年に刊行された『続・百年の愚行』は、アメリカ同時多発テロ事件や「3.11」にまつわる事象を含む21世紀以降の「愚行」を約50点の写真を通して紹介している。


会場風景

『百年の愚行展』は、21世紀に入った現在もなお続く暴力、環境破壊、経済格差といった問題について議論し、行動するきっかけづくりとして開催。2冊の書籍で紹介された20世紀から21世紀にかけての愚行を象徴する写真を展示するほか、国内外で現在進行している様々な動きについても映像を使って紹介している。



会場風景2

20世紀に犯した人類の数々の愚行の写真100点と、21世紀に入っても人類の愚行は増大するその続編が50点の写真集を追加しての今回の展覧会。それら出版物の中の写真パネルや、画像VTRが狭い会場を埋め尽くしている。神の視座にたてば人間のやっていることは愚行に映るのだろうが、これらの画像や映像を見て、どうにもならない厭世的な気分に陥るのは私だけではないだろう。

対義語の辞典によると、愚行の対極にあるのは快挙であり、20世紀はあらゆる分野(自然科学、生物化学、宇宙科学、産業革命、情報革命、エネルギー革命)などのイノベーションが人類の快挙とするならば、対極にある負の遺産である戦争、難民、環境破壊、原発、格差、資本主義の病根が人類の愚行と深くかかわっている要素である。人類史をあえて俯瞰してみれば、戦争と戦争の間にある平和,力と力のバランスの上でかろうじて成り立っている平和というものが長く続かないことが見て取れる。戦いの無くならない世界、これは人間のカルマ(業)のなせる業であり、我々はカオス(混沌)の世界の住人でもある。人間が自助努力をしてもその力は微力であるが、この愚行の数を減らす努力は続けなければならない。そういった志向性をうながすカメラの目は我々に黙示録として語り続けるだろう。

2015年9月14日月曜日

難民問題

シリア難民

難民という概念は、あらゆるものに普遍的な漂流者(平たく言うと根無し草)という日本語が当てはまる。ネットカフェ難民、帰宅難民、カルチャー難民、そして映画で話題になった東京難民とさまざまである。
今世界では、シリア難民問題でEUがその受け入れを巡って分解寸前となっている。海外ニュースを賑わしている映像では、ハンガリーはセルビアとの国境に有刺鉄線のフェンス、あるいはトルコ沿岸の波打ち際で溺死した少年や、大挙してドイツに向かう難民列車等々報道されているが、しかし彼らの多くは戦禍を逃れた政治難民なのか、あるいは単に荒廃した母国を見捨て『より良い暮らし』を求める経済難民なのかの線引きは難しい。これらを見て人道、人権といったものを優先する感情論が先行することも考え物である。安易に難民を受け入れる文化のある国とそうでない国では、対応の仕方が違ってくる。既にEUはアメリカに難民引き受けを打診していて、アメリカも1万人程度受け入れるようだ。もともと移民で成り立った国だから何ら違和感はないのだろう。
ドイツを目指すシリア難民

日本も遠い国の出来事と言ってられなくなり、少なくとも難民支援のための資金提供は余儀なくされるだろう。こういう国からの難民を、自由・民主・人権・法治を土台とする近代国家が受け入れることはできても、難民が溶け込むことはない。難民はゲットーを作り、治安は悪化し彼らは仕事よりも先に福祉を要求する。難民を無制限に受け入れることによって様々な問題が各国に起きている。日本も在日棄民(注)を抱えこみ戦後を歩んできた歴史がある。パクリ、スパイ、ねつ造体質のこの民族の世界各地で起こす禍根は数が多すぎて枚挙にいとまがない。

(注) 戦後一貫して韓国は不良朝鮮人、犯罪者、ヤクザの帰国や送還を認めてこなかった。いわば国家が見捨てた 難民である。

長い歴史の中で多くの困難を乗り越えて今日の国家は存在する。総じて次世代により良い国家を引き渡すのが国民の義務であるが、残念ながら難民は受け入れ先で多くの問題を引き起こす。解決策は祖国が安定して、故国に帰り元のさやに戻るのが理想であるが、国際情勢からみて非常に困難なことでもある。いかに先進国とはいえ難民受け入れには限度があり、各国ともこの連中に満足を与え続ける余裕はない。各国とも経済的余裕のない“底辺の人々が”が真っ先に難民に対する抵抗勢力となってナショナリズムを煽り立てる。ドイツのネオナチしかりである。しかしそれにしても日本の難民認定はハードルが高く2011年以降、61人のシリア人が申請を行い、難民認定された人が1人もいないというのが批判の的になっている。そのための改善も進めているようだ。日本のガードが堅いのは世界も周知の事実である。よほど在日問題で国が悩ませ続けられたのだろう。

我が国法務省の在留外国人統計(平成26年6月末現在)によると、国籍地域別特別永住者の数は、韓国・朝鮮(36万0004人)中国(1759人)台湾(648人)となっており、圧倒的に韓国人が多い。日本の隣 国には幼少の頃から反日感情を植えつける教育を施された民族が大勢現存しており、戦後60年経ても、在日朝鮮、韓国人の動向を見ていると他山の石とは言えない。大陸有事の際は厄介な隣人たちが日本に押し寄せる局面は想像するに難くない。

(国連)によれば、シリア国内で600万人余りが避難民となり、400万人余りが難民登録をしているという。そのうち半数以上がレバノン、ヨルダン、イラク、エジプトに流れ、トルコにも約190万人が、北アフリカに約2.4万人がいるという。ドイツでは今年、過去最多の80万人が難民申請すると予測されているが、申請者の約4割は「不法移民」だという。出口の見えない難民問題に世界は苦慮している。どうしたものやら、、、、

2015年9月5日土曜日

ネット社会の裏側

アマゾンの配送センター


ここ3~4年でアマゾンで日用品から書籍並び食品、家電、など多岐にわたり利用することが多くなった。家電品でもヤマダ電機より安いものが手に入ることもあり、配達の速さと日用品などの定期購入の便利さから利用頻度がますます広がり,無くてはならないものになってきた。本家アメリカでは、アマゾンにとっぷり浸かった消費者を称してアマゾン中毒といっているようだ。私もそのカテゴリーに入るかもしれない。

実際アマゾンのマーケット上で売り手としても店を持っているが、登録までには手続きなどで手間取った。PRさせていただくが、 鎌倉彫工房<創>を参照されたし。ネットショップがひしめく中、ランディングコストは、楽天などに比べかなり安く営業しやすい。周知のとおりアマゾンは、米国の最大手通販業者であり、日本でも楽天やヤフー、その他通販業者をおさえて売上高トップの座を占めている。
アマゾンは、市場の拡大、成熟、縮小の状況に関係なく、顧客を自社の通販サイトに誘導するための、新規投資や改革を常に行っているので、大手小売業者にとっても、その存在は脅威である。インターネットの普及により情報の垣根が崩れ、場所の垣根も崩れ、どこにいようと好きなものが手に入る今の時代、アマゾンの強みは、Webサイトの見やすさ・使いやすさ、扱い製品群の多さと、高効率且つ廉価若しくは、一部業者を除いて無料の宅配サービスが売りになっている。今後ネット通販は、アマゾンに限らずスマホの高速普及や高齢者のネット活用比率の向上などから、更に成長が見込まれるだろう。


さてそのアマゾンであるが、秘密のベールに閉ざされたアマゾンの内側をえぐった潜入ルポ「アマゾン、ドットコムの光と影」横田増生著を読むと、アマゾンの心臓部分の巨大な配送センターの正確無比なシステムと、多くのアルバイトと非正規社員に支えられた実体が浮かび上がる。著者自身がアルバイトとして配送センターで実際に働いた体験が生々しく語られている。そこにあるのは働く希望も喜びもない時給ノルマに縛られた、無機的な職場環境の格差社会で働く大量の労働者の縮図があぶりだされていた。それはあのチャップリンのモダンタイムスのシーンを彷彿させるものだ。

アマゾンに限らず、どの産業も企業の草創期から成長期そして成熟期を経て、低迷衰退期に至るサイクルが約30年というのが定説となっている。そして最後を迎えるも迎えないも企業努力にかかっているのだが。経済環境の激変期(戦後高度成長時代から成熟期に至り、そして衰退期を迎える現在) に日本経済を支えてきた年功序列と定年までの身分保障をされたあの時代は通り過ぎ、各企業は正規社員を多数抱え込む余力はなくなり、企業存続のためには、正社員さえもリストラの憂き目にあう。そして賃金の安い非正規社員、派遣、アルバイトと労働形態はシフトして行き、労働環境は年を追うごとに厳しくなっている。今話題のブラック企業や過労死、ワーキングプアーなどおなじみのフレーズが巷にあふれている。

グローバル経済の下、単純労働は途上国に流れ、国内では労働の2極化、すなわち特別なスキルのある専門職と誰でもできる一般職に分化してゆく。この一般職の分野も、多くの職種が近未来にはコンピュータや機械にとって代わっていくことが予測されている昨今。そしてそれらの経済環境の中で未来を絶たれた者たちは、希望を持てない労働者として社会の底辺をさまよい、少子高齢化に拍車をかける。このトレンドは止められない。日経新聞によると、2014年のニート総数は56万人、雇用者のうち非正規社員やアルバイトは全体で2000万人を突破した。今や正社員だった人が転職の時に非正規になる流れも強まっている。



この情報化時代に起きた事件が、オリンピックエンブレム使用中止の佐野騒動である。とざされた世界の審査につきものの、なれ合い、お手盛りもさることながら、大量情報消費の中には、便所の落とし紙のごとくコピーされては捨てられていくものも多い。特にデザインの世界では珍しくないようだ。似たようなデザインがネットでは氾濫している。またそれに対して多くのギャラリーが匿名性を武器にして誹謗中傷や、安っぽい正義感を振りかざして、個人のプライバシーを暴き、特定の個人を攻撃する。身から出た錆とはいえ、国民のつるし上げにあったあのデザイナーの末路は気の毒としか言いようがない。

ご承知のように情報の中には虚偽、だまし、誇大、偏見も多く混在し、利用者に取捨選択や読解力と言う見識とレベルも必要であることは言うまでもないことだが、不特定多数、匿名、非対面と言うメリットは、同時に無責任、虚偽、ナリスマシや憑依や荒らしやフィシングのリスクを含んでいることは忘れてはならない。そういう時代に我々は生きているのだから。