2011年12月24日土曜日

2011年を振り返って

気仙沼市街まで運ばれた大型船

2011年は日本にとって試練の年であった。1968 年以来保ってきた GDP 世界第 2 位の座が中国に移り、日本はバブル崩壊後の失われた10 年が20年と続き、新たな経済成長モデルを確立できず、名目 GDP はほぼ横ばいの状態で推移し、デフレ経済からの脱却が容易でない現況である。

お家芸とされてきたデジタル機器分野における韓国企業の躍進や、円高に翻弄される国内製造業を取り巻く経済環境が厳しくなっている折も折、東日本大震災が起きた。
今回の震災は日本がさまざまな先端技術部品の供給を担っており、アジアをはじめとした海外で最終製品を組み立てている企業に影響を及ぼすことを気付かせてくれた。
日本の素材や部材の不足が世界の企業の生産・販売活動に影響を与えたように、高い技術を要する素材や部品は日本抜きには考えられず、改めて日本の生産立国としての存在感を世界に知らしめた。

さて、巷では国内産業の空洞化が問題になっているが、さまざまな商品で国内市場はすでに飽和状態。しかも日本は「人口減少時代」に入った。同じく先進国である米国や欧州も市場の大きな成長は見込めない。そうした中で企業は中国や東南アジアといった新興国に活路を見いだしている。
自動車や電機などの製造業では、「新興国シフト」抜きに世界的な競争を勝ち抜くことは不可能で、経済産業省の調査ではアジアに進出した日本企業は10年前から5割近く増えた。(左図参照)

震災以前の海外進出は、拡大する海外需要への対応が中心であり、人件費の削減のため現地の雇用促進にはなったが、国内の雇用喪失にもつながった。人件費の削減、リスク分散、廉価で安定的な電力の確保等、企業が海外移転から得られるメリットは大きいがしかし、一国の経済として考えた場合には、生産の減少、雇用の流出等のマイナスの影響が大きい。震災後の海外進出は「国内拠点の移転」が中心であり、国内経済への影響は計り知れない。最近起きたパナソニックの国内テレビ事業を大幅に縮小した話など、従来型の家電製品の価格競争力の低下は著しい。
 しかし現在も、中国においては人件費の高騰する現象が起きており、タイに至っては、インフラの不備による洪水被害の後遺症が今だに続いている状況を見れば、手放しで海外進出を図っている企業にはブレーキがかかっている。しかし韓国をはじめ中国、インドネシア、台湾などが日本企業に破格の好条件で誘致を図っているのも悩ましいところであろうか。

国内の生産規模や雇用が大きく損なわれる「空洞化」という事態を回避するためには、国内における高付加価値製品等の開発・生産拡大等は必要不可欠である。先端製品工場の国内立地を促進し、国内の研究開発拠点の維持に努めなければならないだろうし、今回の震災でも国は、新成長戦略や国内投資促進プログラムを刷新し、官民一体となって経済の活性化を図る必要がある。そのことが空洞化を防止し、国内経済の持続的成長につなげていくための方策に成りうるだろう。

福島郡山の工場からの声
思えば今年は日本という国を世界に再認識させる年ではなかったろうか。大震災の被害を受けた日本人の精神性と国民性に対して世界が驚嘆と賞賛の念を共有したことや、探査機「はやぶさ」が約 7 年かけて小惑星「イトカワ」から微粒子を持ち帰るという快挙を成し遂げたことや、日本人のノーベル化学賞受賞など、日本の技術力基礎研究のレベルの高さを世界に示した出来事は少なくない。

世界経済が失速する中、先進国に先立ち、バブル経済を経験し、失われた20年の経済ギャップや未曾有の大震災体験による原子力の拡大防止に傾注していくことなど、ドイツをはじめ原子力発電を断念する国が増え、日本も将来の主要電力源から原子力発電を外したことなど、世界のあらゆる面でファーストランナーに成りうる予兆は、この日本、大いにある。
アメリカの衰退や新興国の台頭、ユーロー危機、など資本主義が行き着くところまで来た現在、従来の経済の価値観が大きく変わろうとしている。
同時に今日まで様々な経済的逆境にさらされ、自らを鍛え上げてきた日本経済も、新たな価値を生み出し、新たな年に向かって力強く歩み出すことを国民一人一人が願っている。

2011年12月17日土曜日

病んだ中国


最近の中国黄海、渤海沿岸部衛星写真を見ると、沿岸部付近の水質汚染と砂漠化が進んでいることが確認できる。水質汚染は、海だけではなく河川でも進んでおり、漁民でさえ、「捕った魚を食べる勇気はない」と敬遠するほどのようだ。敬遠すると言うとまだ聞こえが良いのだが、工場の汚水の影響を受けた魚を食べると医者に「重金属や鉛などに汚染された魚はガンを引き起こす。決して食べてはいけない」と警告されるような危険なレベルなのである。写真の黄色いポイントは原油流出事故のあったところで、赤いポイントは今回韓国との間で事件を起こした韓国仙川沖海域である。

中国漁民と韓国海上警察の戦い
中国は内陸部河川の汚染と沿岸部の汚染や、乱獲による水産資源の枯渇に対する政策などはみじんもみられないため、漁獲量が激減し、このことが韓国側の規制水域での違法操業に走らせた。
過去に何回もいざこざがあり、06年以来中国漁船2600隻が韓国の排他的経済水域(EEZ)内で越境操業し、数百人が逮捕されたとしているが殺人事件になったのはこれで2件目らしい。飢えた中国はますます凶暴化していき、餓鬼道まっしぐらである。資源という資源を漁る中国は無法者国家であり、暴徒化した漁民を制御できないことや、環境汚染に対する責任感の希薄な国が、どうして覇権国家になれようか。


今後、想像もつかないほどの悲劇が中国で起こるだろう。汚染された自然はすぐに元通りにはならない。日本の高度経済成長期に起きた汚染事故とは比にならないほどの悲劇が生み出される。写真右下の雲南省の湖「陽宗海」が、工業排水によりヒ素などの化学物質で汚染されていることや、写真右上の品質の悪い石炭でもうもうと煙をあげ操業する中国の工場を見ると、空恐ろしい。現在の中国は、35~50年前、日本が高度成長期だった頃の公害問題をそのまま引きずっているような状況で500万人ともいわれている公害病患者もウナギのぼりだ。海洋汚染と大気汚染は否応なく海流や偏西風に乗って我国にも影響を及ぼす。

中国の工業地域などで発生する「すす」の量が急増し、北半球の大気汚染を悪化させていることが、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙研究所の分析で明らかになった。早急に排出量の低減を図らない限り、世界全体の気候に悪影響を及ぼす恐れがあるという。
すすは、工場や火力発電所のばい煙、家庭でまきを燃やした煙などに含まれる。同研究所は、衛星観測のデータやコンピューターを使った計算で、地球表面に広がるすすの排出源を調べた。その結果、世界全体のすすの3分の2は工業活動が原因で、その半分が、中国を中心とする東アジア地域で発生していることを突き止めた。

現在中国が生産する野菜類の約50%に危険な残留農薬が残存しているというデータがあるが、中国はとりわけこの危険性の高いものを主に日本へ向けて輸出している。さらに中国ではそのほぼ全ての河や湖が工場から流された鉛や水銀入りの排水で汚染されており、中国産の野菜は全てこの水で育てられてもいる。EUなどは残留農薬や有害物質が検出されると即座に全面禁輸措置を取るが、日本は中国に遠慮してなかなか禁輸に踏み切らないのだ。
この残留農薬には、きわめて発ガン性が高く20年以上前に国際的に使用禁止されたエンドリンやディルドリン、そしてシロアリ駆除薬なども検出されており中国産の野菜を食べることはまさに自殺行為なのだが、日本政府が全面禁輸に踏み切れないことを良いことに、中国は今も大量の汚染野菜や汚染食品を日本に輸出している。中国では工業化による環境汚染と健康被害の関連性を調査することさえも許可されておらず、英インデペンデント紙は中国でガン発生率が異常に上昇していることを指摘して、「(日本に対して)有毒排水で育てた野菜が大量に輸出されており、日本人のガン発生率も上昇していくであろう」と報じているものだ。

日本では一時期大量の中国野菜が安価で輸入されたが、野菜類の47.5%から猛毒で発がん性もある有機リン系殺虫剤メタミドホスなどの高濃度の残留農薬が発見されるなどして2001年ごろからから輸入禁止が相次ぎ、大手のスーパーではあまり見かけなくなったが、どっこい、「加工」「業務用冷凍」にされて日本に輸入されており、外食産業、インスタント食品の具材、冷凍食品などとして流通している。
 食糧自給率の低い我が国は世界中から食材を輸入しているが、中国からの輸入は年々増加の一途をたどっている現況では、今一度国に真剣に食の安全と、自給率向上に取り組む政策を考えてもらいたいものだ。

2011年12月6日火曜日

アートな話 「コラボレーション」

コラボレーション(英: collaboration)は、共に働く、協力するの意味で、共演、合作、共同 制作などと言われているが、アートの世界では違う要素、素材などの組み合わせなどの意味にも使われる。
ここ2~3年私が作品制作で手がけていることは、違った素材の組み合わせで、漆器を見直してみようという試みである。

言うまでもなく鎌倉彫は素材の木地に彫刻を施し漆を塗って仕上げたものであるが、そこに何か違った素材を組み入れて鎌倉彫を見直してみようという試みである。素材としては、紙、ガラス、陶器、竹など素材ごとに順を追って解説してみよう。

           紙 <スタンド>


木漏れ日

                                           
紙は加工次第で強靭になる。特に照明器具に使われる紙は耐熱性にすぐれ、あらゆる和風照明に使われているが、左は卓上スタンドで紙は硬質の素材でカーブに沿って竹に木ネジで留めてある。彫りはトリマーで荒取りして彫刻刀を使用し、洋風に仕上げた。(13x27x24cm)

いにしえ

           
右は市販されているスタンドの上部紙部分に銀のアクリル絵の具で絵を描き,木枠を組んで積分していく手法で、彫りは丸刀だけで、縄文に思いを馳せながら彫上げ、塗りは暗いところから明るいところまでの階調をグラデーションで表現し和風に仕上がった。微妙な歪みやゆがみを出してみた。来年鎌倉彫教授会創立50周年記念展に出品する作品。(18x18x70cm)








         陶器 銅器 ガラス <花器>

風穴 Ⅰ 40x14x20cm  風穴 Ⅱ 40x18cm

風穴1,2は同じ板から3枚S.字上に引いてもらった木地で、ひとつは卓上、もう一方は壁掛けにした。もともと中にある黒い陶器の花瓶に合わせて作ったものであるが、風のイメージに無機質な穴を両面に6個開けてみた。壁掛けはガラスの一輪挿しを風穴からのぞかせた。塗りは練り込みという手法を使い鎌倉彫の塗りとは異なる焼き物のような質感を表現してみた。

風舞い

風舞いは文字通り風に舞い散った椿の花が水面に浮かんでいるさまを現している。たまたま木地を作った時に出た直経35cmほどの木の輪っかを手に入れ、これを半円に切断し、中央に穴を開け銅の一輪挿しを添えてみた。はめ込み式になっており花の取替は自由にできるようになっている。
 

  サイズ 37x9x20cm(h)


波濤


波濤は半円をくり抜いた木地を2つ並べて波を彫り、土台に取り付け、陶器の一輪挿しを置いてみた。

    サイズ 30x11x15cm(h)



左の屈輪文花器はクリスタルの一輪挿しがあったので、同じく一輪挿しの木地を4等分してそこに屈輪文を彫り込みベースに固定した。
黒とメタリックな錫の塗り分けで、クールな感じを出してみた。


    サイズ 11x11x18cm (h)



           竹 <菓子器 酒器 >

菓子器 柘榴  片口 竹


左は今年の鎌倉市市展に出品したお茶席の菓子器、孟宗竹を利用し、ザクロを彫った受台を作り、竹の中は同じくザクロを彫ったゲス板を敷いてある。右は左党の考えそうな酒器で竹に木の片口をつけ、蓋を木でつくる。用途は、ふぐのひれ酒、骨酒を入れてもてなすものである。一つは行きつけの居酒屋に置いてある。


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2011年12月2日金曜日

ギャンブル依存症


釣り仲間の一人が最近競馬で25万当てた。珍しいことに釣友全員にボトルをプレゼントしてもらった。よっぽど友達を無くしたくなかったんだろう(笑い)。
毎週馬券を買っていて、ジャパンカップで何枚か買った馬券の中で300円投資した馬券購入時に,
数字を間違って買った馬券が万馬券になったらしい。データだけで的中するほど競馬は甘くないが、やっこさん今年はこれで黒字になったらしい。

胴元の中央競馬会の売上の種類別に総売上から25%引かれた75%が総払戻金額になり、そこから的中票数の数で割った金額がオッズとなり、この75%を取り合うのが競馬である。当然負ける人数が多くないと成り立たない。ギャンブル好きは競馬に留まらない。パチンコ、スロット、カジノと来る。我が国の競馬人口はたまにやる私を含め約100万人、パチンコに至っては200万人の患者がいるそうだ。
日本全国に存在するパチンコ店では、就業者の多くが在日コリアンであり、全国のパチンコ店経営者の在日韓国・朝鮮人の割合は、7割から9割とも言われている。また、日本のパチンコ店の収益は、在日本大韓民国民団、及び在日本朝鮮人総聯合会の最大の資金源とも言われており、北朝鮮の核開発の資金に回されている可能性はある。お隣韓国はこの産業の危うさを見越して2008年にパチンコを法律で廃止したが、日本ではなぜか隆盛を誇っている。裏には警察利権の温床があるから、なかなか止められない。


写真は 「バクチをしていると全部持って行かれて裸になる」というバクチの木「残った皮もいずれは散る定め」、この木の皮は自然にはがれて、全部下に落ちるバラ科の常緑高木で、本州南部九州などに多いバクチで身ぐるみはがれるのを想像させて、バクチの木と言うそうだ。

最近3代目で身を持ち渦した大王製紙の馬鹿息子がいたが、これはカジノの患者だ。古くは自民党のハマコウ先生が4億6000万をスッて、政商の小佐野賢治にケツを拭いてもらった。当時を振り返りハマコウはラスベガス大学に留学していたと自嘲していたが、これなどはまだ可愛い方で、今回大騒ぎの東大出の馬鹿息子がカジノで開けた大穴は160億と桁違いだ。
大王製紙は、日本製紙グループ本社と王子製紙に次ぐ総合製紙の国内3位。井川社長は創業者の 孫で、父で元社長の高雄氏は「超ワンマン経営者」として知られた。上位2社を猛追する姿と 剛腕経営の印象が重なり合い、同社は「四国の暴れん坊」と呼ばれる。

社長がギャンブルに狂った病人だと、盲従していた社員はどえらいことになる。ギャンブルで一度吸った蜜の味は忘れられず、かのドフトエフスキーもそうだった。経験を基にした作品「賭博者」には、その心理が生々しく描かれている。
「主人公の青年はギャンブルを嫌悪していたが、初体験したルーレットで大勝する。その記憶が染み付いて次第にのめり込むようになり、負けても通い続けた。
物語の終盤、すっかり身をやつした青年は友人に「あんなもの! すぐにでもやめますよ、ただ…」と虚勢を張る。遮るように、友人は続ける。「ただ、これから負けを取り返したい、というんでしょう。」負けを取り戻そうとだんだん深みにはまっていくのだ。所詮博打は博打,人生を賭けるモノではないだろう。
博打と人生はやって見なけりゃ解らない。博打同様に最後の結末は神のみぞ知る。だから面白い。と人は言うだろう。しかし手前一人が地獄に落ちるのは自業自得だが、それに絡んだ家族や社員は悲惨である。




2011年12月1日木曜日

談志逝く

落語界の異端児立川談志が逝った。他者の目もはばからず、言いたいことを言い、古典落語に新風を吹き込んだ毒舌の噺家が、最後は口は災いの元の咽頭がんで声が出ずに亡くなったことは談志らしい死に様である。師匠の話は何回か聞いたが、落語のマクラが破天荒でおもしろい。

古典落語の命題でもある人間の業の肯定についてこう述べている。
談志曰く、まず〈業〉とは、生きなければならないあいだの退屈を紛らわせるために余計な事をしようとすることであると。
人間が生きていくための「常識」という名の「無理」が人間社会には山ほどあり、あるときは世事一般のルールの中に、また体制、親子の関係、ありとあらゆる場所、場面、心の中にしのびこんでいる。
 で、文化が生じ、文明が走りだすと、「常識」に押さえつけられて潜んでいたものが片っ端から表に出てくる。当然、それらは裏の存在であり、公言をはばかられるが、そのうち“ナーニ、それがどうした”と、大っぴらになってくる。それらを背景に、「常識」という重石を撥ね除けて落語というものが生まれてきたのだ。

古典落語の背景にある江戸っ子=下町=人情のわかりやすい図式に反論するのが談志落語。現代では古典となった「現代落語論」で、師匠はこういう。「落語は業の肯定である」。つまり、人間の本性を善にみるのではなく、悪に見るというと解り易い。さらに師匠は人間の悪を肯定するのである。
人間の業を肯定し続けていけばイリュージョンとなり、ついには「意味」そのものを破壊せざるをえない。談志はよくこのイリュージョンを自分の落語の拠り所としている。。
これは一種の幻覚、幻影を舞台の上で表現しているとも言え、自分の落語は出来不出来が激しい、このイリュージョン状態になるかならないか、やってみないとわからないそうだ。

 イリュージョンには判りやすい演目とそうでないものがある。『猫と金魚』は、判りやすい。「番頭さん、金魚、どうしたい」「私、食べませんよ」
 これなどは、イリュージョン以外の何物でもないえぐいギャグだ。

ある商家の旦那、金魚を飼っているが、隣家の猫がやってきてたびたび金魚を襲うので困っている。番頭を呼んで対策を講じようとするが、この番頭が頼りない。猫の手が届かないところへ金魚鉢を置けと命じれば、銭湯の煙突の上に乗せようとする。「そんなところに置いたら金魚が見えないじゃないか」「望遠鏡で見ればいい」。次に、湯殿の上に金魚鉢を移動させるが、番頭がやってきて「金魚鉢は移動しましたが、金魚はどうしましょうか?」。そうこうしているうちに、隣家の猫が金魚をねらいにやってくる。旦那は町内の頭(かしら)を呼びにやり、金魚を守ろうとするが・・・。
この噺の作者は「のらくろ」で知られる漫画家の田川水泡。そのせいか、随所に漫画的ユーモアがある。
他方「粗忽長屋」に見られるイリュージョンはシュールな笑いが込められており、安部公房の短編<赤い繭>を彷彿とさせる要素をはらんでいる。

朝、浅草観音詣でにきたが、人だかりに出くわす。行き倒れ(身元不明の死人)があったのだ。遺骸を見れば(八の見たところではまぎれもなく)親友の熊公
「おい熊、起きろぉ!」と遺骸を抱き起こす八に、居合わせた人たちが「知り合いかい?」と尋ねると、落胆しきった八いわく「ええ、今朝も長屋の井戸端で会いやした。あんなに元気だったのに……こりゃ本人に引き取りに来させないと」
話を聞いた群衆が「ちょっと待て、あんたそれは間違いじゃ……」と制止するのも聞かず、八は長屋の熊の所へすっ飛んでいく。
当の熊は相変わらず長屋で元気に生存している。八から「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊、最初は笑い飛ばしていたのだが、八の真剣な説明を聞いているうち、やがて自分が死亡していたのだと考えるに至る。落胆のあまりあまり乗り気ではない熊を連れて、八は死体を引き取りに浅草寺の通りに戻る。
「死人」の熊を連れて戻ってきた八に、周囲の人達はすっかり呆れてしまう。どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱える。
熊はその死人の顔を見て、悩んだ挙句、「間違い無く自分である」と確認するのだった。「自分の死体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊と見守る八。2人とも本気の愁嘆場、周囲の人々は全く制止できない。
と、そこで熊、八に問う。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

いずれにせよ落語界の異端児は落語を一つの革新に導いたことは、時代が要求した必然なのだろう。弟子から上納金を取っていた立川流家元亡き後、志の輔をはじめ薫陶を受けた弟子たちはどのように落語を発展させていくのだろうか?     合掌。