2013年9月20日金曜日

粋と野暮


11日付の仏週刊紙カナール・アンシェネは、2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催と東京電力福島第一原発の汚染水問題の影響を報じた記事と共に、手や足が3本ある力士の風刺画を掲載した。風刺画は3本の手がある力士と3本の足がある力士が土俵上で向き合い、防護服姿のリポーターが「すばらしい。フクシマのおかげで相撲が五輪競技になった」と中継する内容。また、別の風刺画では、防護服姿の2人が放射線測定器と思われる機器を手にプールサイドに立つ姿を描き、「五輪プールはフクシマに建設済み。おそらく(防護用の)ジャンプスーツ着用が水泳選手に許可されるだろう」との説明を付けた。同紙は政治風刺で知られる。これにたいして日本政府が不適切だと抗議をしていた。

同紙のルイマリ・オロ編集長は12日、ラジオ局のインタビューで「謝罪するつもりはない」と述べた。同日午前には、在フランス日本大使館の藤原聖也臨時代理大使がオロ氏に電話で「東日本大震災の被災者の心情を傷つけるものであり不適切で遺憾」と抗議。大使館によると、オロ氏は「そういう意図はなかった」などと釈明したという。大使館は同様の内容の書簡も近く送達する。しかし、オロ氏はインタビューで「(風刺画は)誰かを傷つけるものではない」と明言。日本も一介の週刊誌に舐められたものである。これに関連して筆者は、昨年10月にフランスの国営TV 「フランス2」に出た福島原発の影響から腕が4つある日本のゴールキーパー川島の合成写真を思い出したが、日本大使館の抗議を受けて、当時国営TVは謝罪している。いずれの風刺画も同じ発想をしていて、後発の週刊誌はTVの二番煎じの画像だ。
 
フランスのエスプリの中にCE N'EST PAS MA FALTE(IT'S NOT MY FAULT)の精神というものがあるが、自分の中には責任が不在であることをはっきりさせ、その問題からさらりと身を翻すことが出来るエスプリ。もともと小粋な精神性を意味する言葉であるが、今回はこれにやられた。挙げ句の果てに日本人はジョークがわからないなどと独りよがりの論評を加えた。
ジョークというものはどこの国にも存在する。しかしながらそれは国、そしてその言語をかなり反映するものであって、例えばイギリス人がアイルランド人をネタにし、ユダヤ人が商売をネタにし、アメリカ人が弁護士をネタにするように、ジョークというとても俗なものは、その土地の文化と深く結びついているものである。ジョークをいう人はもちろん、笑う人にもその言葉の洗練された感覚やある程度の予備知識、頭の柔らかさが必要であることは言うまでもない。
他国に対してのジョークは民族性ジョークとも言われるエスニックジョークである。このジョークは、ある民族もしくはある国の国民が一般的に持っていると思われている典型的な性格や行動様式などに着目し、その特徴を端的に表現したり、揶揄するようなエピソードを紹介することで笑いを誘うものである。このため、ある民族、国民が一般的に持っていると思われている特徴、例えば「日本人は集団主義者である」、「ドイツ人は合理的である」というような特徴が共通理解となっていて初めて成立するジョークである。自国の悲劇をユーモアで笑い飛ばすのは勝手であるが、他国の悲劇をユーモアで馬鹿にすれば当然軋轢が生まれる。そんな簡単なことも想像出来ないのかフランスのエスプリとやらは。
バカ丸出しの韓国


日本にもエスプリがある。九鬼周造は、著書「いき」の構造のなかで いき」の内包的構造として「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」 第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」気概とでも言おうか、第三の徴表は「諦め」で、執着を離脱した時に見える心境とでも言おうか。また「いき」の外延的構造として(一) 上品―下品 (二) 派手―地味 (三) 意気―野暮(四) 渋味―甘味と対立概念を列記しているが、この中の野暮は粋全体の対立語として我々日本人は認識している。すなわち野暮とは、 世態人情の機微に通じず,言動がすべてにわたって洗練されていない、精神性の薄いことをさす。
同じ日本を揶揄した野暮の極め付きは韓国のサポーターのこのアホな画像で、韓国という国の国民性がよく出ている。

2013年9月16日月曜日

アートな話「時空を超えた展覧会」


東京都美術館で開催されている終了間近の二つの展覧会を観に行ってきた。一つはルーブル美術館展(地中海4千年ものがたり)と銘打って地中海を舞台に、西洋と東洋が出会って誕生していった至宝の数々273点が時系列で展示され、地中海を取り囲む国々の民の生活が忍ばれる小物類から、彫刻絵画に至るまで歴史物語が展開していく。
もう一つはかのトリックアートの巨匠福田繁雄の娘福田美蘭の個展である。父親譲りのDNAの影響か、きわどいパロディと時代に眼差しを向けた作家の意気込みを感じる展覧会だった。リニューアルされた東京都美術館に足を運ぶのは初めてである。

●ルーブル美術館展

地政学的に地中海は東西南北ヨーロッパ、アジア、中近東、アフリカの国々に取り囲まれた内海であり、そこには絶えず侵略や強奪による国家の存亡が繰り広げられ、4000年の歴史の中で異文化の吸収と破壊のなかで生まれてきた数々の世界遺産,あるいは地中海を通じて船による交易品など、全6章にわたり地図と解説付きで展示されていた。いずれも時の支配者のために作らせたものや、民衆の生活の中から生まれたものまで多岐にわたっている。歴史は勝者によって創られるという言葉があるが、国家盛衰の果てに残ったものが巨万の富と、それを運用する時の支配者が作らせた芸術や建造物、贅沢工芸品などである。今回は膨大なそれら遺産の一端を見せてもらった。以下はその概要と感想。



序 地中海世界(自然と文化の枠組み)ここでは教科書でお馴染みの黒像式,赤像式土器の繊細な筆さばきの描画が見られる。土器の多くは壷類で、オリーブ油を入れたり水を入れたりしていたらしい。その他銀製の打ち出し杯などデザインはいずれも精緻でストーリーに満ちている。

1章 地中海の始まり  このコーナーは小物類が多く展示され、エジプトに関連したものが多く見受けられる。エジプト文字やギリシャ文字が刻まれたものや、神々(個々の守護神)を現した像など日本の八百万の神と似た感覚。

自害するクレオパトラ



2章 統合された地中海(ギリシャ、カルタゴ、ローマ)ローマ帝国による地中海支配で破壊されたカルタゴなどの遺産やローマの石棺などの彫刻、クレオパトラの彫像などが印象に残った。

3章 中世の地中海(十字軍からレコンキスタへ)
   キリスト教徒イスラム教の交差する異文化の交流を受けた工     芸品が見られる。
4章 地中海の近代(ルネサンスから啓蒙主義の時代へ)
   地中海の覇者となったオスマントルコの影響を受けた絵画、装飾品などが見られる。

5章 地中海紀行(1750~1850年)
   地中海世界への憧れから西欧の画家たちが書いた絵画が多く見られる。
  

※ 会期 9月23日(月)まで 東京都美術館


●福田美蘭展
 
案内状に誘われて初めて接する作家であるが、彼女の亡き父親はかの有名なトリックアートの福田繁雄である。父親譲りのDNAがそうさせるのか、きわどいパロディーを駆使した作品も多く見られる。画家の姿勢として眼差しを意識した時空を超えての構成になっていて、その制作意図がよく伝わている。
銭湯の背景画(富士山にマツキヨ、左にすかいらーく)

1.日本への眼差し
  第一室の最初の絵が銭湯の背景画が看板のように出てきたのでたまげた。黒田清輝の湖畔のパロディーや、北斎の富士山の反転画(逆さ富士)など意表をついた絵や、日常のオブジェなど、作品の裏で作者が鑑賞者の眼差しを弄んでいる感すらする。その裏には日本の絵画を再認識するといった意図が込められているのか?

ブッシュ大統領に話しかけるキリストと噴火後の富士


2.現実への眼差し
  9.11以降に起こった一連のアメリカを象徴する絵の中で、特に9.11を自作自演した、聞く耳を持たない独裁者ブッシュに話しかけるキリストや、噴火後の富士山などが印象に残った。


ポーズの途中に休憩するモデルと床に置く絵

3.西洋への眼差し
  セザンヌを模写し批評を加えた作品や、モナリザのモデルだった婦人がポーズの途中で休憩し横たわる絵、蝶盤付きの絵、床に置かれた絵などがある。筆者も歩いていいというからその上を歩いてみた。結構この作家遊んでいるが、鑑賞者も遊ばしてくれる。

夏ー震災後のアサリと秋ー悲母観音

4.今日を生きる眼差し
  日本の現実3.11を描いた作品が目を引いた。ただ花やモノ、あるいは風景を描いているだけの画家の内向きの目とは違い、画家を取り巻く社会の状況に眼差しを向けた、まさにサルトルが言ったアンガージュマン(社会参加)の絵であろう。
 

 ※ 会期 9月29日(日)まで

2013年9月9日月曜日

東京オリンピック

開催決定に歓喜する安倍首相

2013年9月8日(日)午前5時28分(日本時間)にアルゼンチンのブエノスアイレスのIOC総会会場で、IOC会長ロゲ氏によって、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が東京に決まったことが発表された。 東京、マドリード、イスタンプールの中で、マドリードが落選し、最後の投票で東京が60票、イスタンプールが28票という大差で、東京に決定した。

昭和のオリンピック

日本でのオリンピック開催は、1964年以来56年ぶりの大会の開催であるが、奇しくも1964年の総理は安倍首相の祖父岸信介であった。高度経済成長が始まった当時、小学生だった私も東京オリンピックを白黒テレビで見た覚えがある。このオリンピックを契機に国内のインフラが新幹線や高速道路の整備、さらに東京タワーの建設などで大幅に拡大し、経済発展に大いに寄与した。終戦後からわずか20年で我が国が奇跡の復興を遂げたのも、東京オリンピックが起爆剤になったことは否めない。
今回の2020年東京オリンピックの経済効果は直接的なもので3兆円、波及効果は100兆円とも言われる。しかし経済成長期につぎ込んだ投資と低成長期につぎ込む投資では意味が違ってくる。経済効果は大いに期待したいところだが、1000兆円以上ある国の借金を増やしてどこまでやれるのか?100兆円の経済波及効果が捕らぬ狸の皮算用に終わらないことを願うばかりだ。
一方で猪瀬東京都知事は「4000億円の予備費がある」と言っていたが、国からも相当な資金をつぎ込む話である。今回のオリンピック開催決定は、バブルの時のような高揚感を産み、国の借金(資産)は7年後のお祭り騒ぎに向かって否応なしに膨らんでいくだろう。多くの賢明な国民は借金のつけがやがて自分たちに回ってくることを知っている。

時代は変わって、招致に成功した2013年の今回の招致活動は、2016年開催のオリンピックをブラジルのリオデジャネイロに奪われると言う苦渋を飲まされた苦い体験を踏まえ、いつになく招致活動は活発に行われた。しかし開催候補都市決定寸前になって、福島原発事故による放射能汚染問題が、外国メデイアなどによって厳しく追求されたが、安倍首相は舌先三寸でこれを切り抜けた。
これまで、原発事故や地震、政治不信や隣国との関係、そして長期的な不況などで日本は一年先の見通しも立たない状態だったが、7年後の東京オリンピック開催決定により、7年後に照準をあわせて政治経済全てが動き始めるだろう。オリンピックで景気の回復と雇用の促進が進み、巷では雇用効果は15万人に及ぶとも言われているが、オリンピックが昭和の時のように日本復活の礎になることを望みたいが,そのためにはいみじくも安部首相が世界に向けて大見得を切った福島の放射線汚染問題を完全に克服する必要がある。この未曾有の原発カタストロフィを解決できれば、日本は世界中から賞賛を受け尊敬される偉大な国家として、その存在感を増すことだろう。