2009年6月7日日曜日

アートな話 (木について)

           桂(かつら)  手刳りによる木地作り
木は古今東西精霊が宿るものとして考えられてきた。西洋における生命樹伝説や、中国における神仙思想、日本における山岳信仰など、多くの民族の神話などにもその逸話が残っている。飛鳥時代になると、大陸から続々と新しい文化が流入し仏教の伝来とともに、建築、彫刻、工芸、絵画など、もろもろの造形技術がわが国に伝えられ、それぞれに華やかな花を開いた。それにともなって木は最も重要な造形材料の一つとして脚光をあびることになった。日本ではそれはやがて仏の信仰と結びつくようになり、木は仏像の素材として長い間親しまれてきた。木材が彫刻の中に占める比重の大きさは、石材、金銅、塑造、乾漆などを抜いて、わが国に残っている文化遺産をみれば木彫の割合が大きいことに気がつく。これは世界に例をみないところであり、いいかえれば日本の彫刻史はすなわち木彫史といってもよいほどである。やがて明治に入ると仏教彫刻の需要は減り、また西洋からの美術思潮の流入などによって、木彫は鑑賞、愛玩を目的としたものが中心となった。



よく言われることであるが、西洋は石の文化で日本は木の文化であることの要因は、我が国がまれに見る森林大国で国土の67%を森林が占めており、1位はフィンランドの76%で2位はスウェーデンの70%についで、世界で3番目の森林国である。また河川の数の多いことも木材の運搬を容易にした。飛鳥以来法隆寺をはじめ多くの寺社、仏像の材料として多用されてきたものには、ヒノキを始めクスノキ、ケヤキなどがある。


造形材料の木材が金属、石材、プラスティックなどの多くの工業材料とは、一味違った性格をもつ素材であることを、我々は日常の体験から感じている。素材の相違は結局のところ工業材料が鉱物系で、木材は生物系だというところに帰着している。 ここで生物系というのは、細胞と言うかつて生命をもっていたものの遺体でつくられているという意味で、生物材料と呼んでいるが、それはまた人為的に思い通りのものをつくれない宿命をもつ材料で、人の姿や顔かたちが一人ひとり違うように、木もまた同じ木目のものは二つと存在しない。何よりも木は自然界の張力材であり、木が持っている圧縮作用と引張り作用は木の収縮により狂いとなって現れる。木の内部の細胞間に溜まった含水率を、時間をかけて下げるために自然乾燥を1~2年行う。すなわち木の伐採後(死後)1~2年で造形材として使われるわけである。

我々鎌倉彫を生業といているものは、その材料の多くを広葉樹に頼っている。特に多いのが桂(かつら)で、最近では大きなものが少なくなった。北海道産の日桂は入手しづらくほとんどが本州北部の青桂である。私も桂以外に広葉樹では朴(ほう)シナ 楠(くすのき)欅(けやき)栃(とち)など使ってみたが、彫りやすさと入手しやすさから桂に落ち着く。たまに飲み友達の大工からもらい受けた針葉樹のヒメコ松 ヒバ 桧(ひのき)なども使ってみたが彫り味は広葉樹の方が勝っている。いずれの材も一つとして同じのものは無い。それぞれの木に向かうとき一期一会の気持ちで彫っている。

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