2012年12月28日金曜日

アートな話「モノづくりの鍵」


温故知新は、『論語(為政篇)』の出典によるもので古いものをたずね求めて新しい 事柄を知る意から、すなわち古を知る=意識化するというのは、実は今を知る=意識化することにほかならないことであり、我々創作現場でも古典から学ぶことは多い。工芸デザインにおいてもモノの形の進化は現状の欠陥に気づくことからはじまる。産業の技術革新も数多くの失敗(過去の経験)からイノベーションがはじまった。
「本当の意味でモノの形を決めるのは、ある働きを期待して使ったときに感知される現実の欠陥にほかならない。」とは、米国の工学者ヘンリー・ペトロスキーが『フォークの歯はなぜ四本になったか』でいった言葉である。


モノづくりにおいて、創造性に大いに関係するのが抽象化能力である。抽象とは事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。 (三省堂大辞林)

観察した自然を切り取る。体験した場のエッセンスを抜き出す。味わったアートの良さを引き出す。こうしたことを行うには、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になってくる。つまり、自然を観て絵を描く。体験したことを元に文章を書く。作品の制作に当たる。こうした創造的活動には、抽象化の力が不可欠になってくる。
抽象化には、まず自分が実際に観たり触れたりする現実の文脈から要素を抜き出せないといけない。要素を抜き出し、必要な要素だけに単純化し、単純な要素だけで事象を組み立てる力が抽象化でもある。一般的には、ある「モノ」が空間上の位置を欠いているとき、またそのときだけにそれが抽象的であるといわれる。

 
カンジンスキー 連続
絵画の世界では、カンジンスキ-がある日部屋の片隅で、不思議に魅力あるものを見かけたが、良く見るとそれは自分の絵が横向きに置かれていただけのことであった。彼は、その時発見した。絵画は現実にあるものだけをを模写する必要はない。全く自由に描けばよいといい、これが抽象画の始まりと伝えられ、彼は抽象画の先駆者になった。
いわゆるアブストラクト(抽象美術)は、1910年ごろから興った芸術思想で、「外界の形象を借りて表現するよりも、外界から抽出した線や面を造形要素とし、あるいは色彩自体の表現力を追求してこれを造形的な作品に構成するもの」だという。ロシヤ生まれのカンジンスキ-は、物ではなく、音楽のような目に見えないものも描いている。これは色や形ばかりでなく、対象からも自由になったといえるだろう。


人は概ねイメ-ジで思考することが多い。言葉だけが浮かんで、イメ-ジが浮かばないときは思考が停止するが、イメ-ジが先に浮かぶと仕事は速い。
作ることと見ることは、車の両輪 のようなものだ。良い作品を見ることにより眼の力は鍛えられていく。眼で見ることのできないものは、かたちにできない。作る技術はあっても、あるべきかたちをイメージする力がなければ、そのかたちを作ることはできない。
手の暴走、過剰な加飾の誘惑を抑制するのが目の力でもある。作品を通じて何が人を気持ちよくさせるのか、何が人を幸せな気持ちにさせるのか。
そういう意味での作品(もの)の良さを知らなければ、ちゃんとしたものづくりにはならないのではないか。それには多くのものを見て、さらにそのさまざまなものが人の感情をどう動かし、暮らしのなかの行動にどう影響するのかということを想像するための眼の力を鍛えておく必要があると思う。それが個々の感性につながることでもある。

デザインを考える場合、色や形をそのほか物に求められる機能や使い勝手や耐久性や安全性など、それぞれの属性を切り離すことなく包括的に捉えなければ良いデザインは生まれてこない。人の心に愛着やぬくもりやときめきや懐かしさや楽しさなどを感じさせる色々な要素が、デザインの裏には潜んでいて、それらの要素がデザインを豊かにする。
柳宗悦が『工藝の道』で、「用」をもたない物は生命を持たない物といっているが、その場合の「用」は単に物的用という意味では決してなく、心の「用」に適うものではなくてはいけないのである。つまり「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である」と言及している。

今年も忙しさにかまけて、当ブログもあまり頻繁には書けませんが、ご高覧の皆様には良いお年を。 (わいは猫じゃー Y CAT)

2012年12月20日木曜日

あとの祭り(選挙)


国政を決める総選挙で、自民党は解散時の118議席から2.5倍の単独で過半数以上の292議席を得た。連立を組む公明(30)と合わせれば、322議席。三分の2は320であるから、参議院が過半数でなく、反対があっても全部の法案が通ることになる。一方の民主党は57議席の惨敗に終わった。

前回は民主党に投票した無党派層が、多少は自民党に流れたものの、維新、みんな、未来に、分散したことがうかがえる。前回の選挙で掲げたマニフェストの内容をことごとく反古にし、全くなかった消費税増税法案を成立させたことや、外交上のさまざまな失態など、初めての与党経験者が多かったとはいえ、お粗末な内部統制の取れない政権運営を続けた民主党に対し、有権者がNOを突きつけた結果の自民党勝利だと思う。
実際多くの選挙区で、第3極同士の政党が競合し票が割れたため、共食いの結果として自民党が勝ったという選挙区も少なくなかったようで、複数の第3極の候補者の得票数を合計すると、勝利した自民候補者の得票数を上回る例も相当数あったようだ。野田首相の思惑の一つでもあった第3極間の連携の準備が整わないうちに仕掛けた解散総選挙が、民主党の壊滅と自民党の快勝につながった。

世代別投票率の推移


報道によると今回の総選挙の投票率は59.32%。衆院選では戦後最低だという。低投票率の場合、有力な支持母体を持つ政党が有利となるため、自民・公明の勝利へとつながったのだろう。
それまで投票率の最低は1996年で、ちょうど小選挙区制がスタートした最初だった。一つの選挙区に当選者は一人だから死に票が多くなり、投票にいってもしょうがないやと思う人が多く、それ以前に、小選挙区だから立候補しても3番手4番手の党だから、当選する見込みがないとあきらめて立候補しなくなった。それで投票する人も少なくなって投票率が下がったと考えられる。
かつて自民党の森総理が無党派は寝ていて欲しいとの賜ったこともあり、国難のこの時期に国民の投票率が戦後最低とはどうなっているのかこの国は?選挙制度にも問題有りと言わざるを得ない。
早くからマスコミによる自公優勢との報道がなされ、しかも、多党乱立状態での選挙突入となったため、「どうせ今回は自公政権なんだろう」とか、「党が多すぎて、どこに入れたらいいか分からない」という有権者の思いが、結果として低投票率になったことも考えられるだろう。


また問題になっている「1票の格差」が最大2・3倍だった前回衆院選について、最高裁は昨年3月、小選挙区の定数を各都道府県にまず1議席ずつ配分して、残りを人口比で割り振る「1人別枠方式」が格差を生む原因だと指摘し、同方式の廃止を求めた。これを受け、同方式の廃止と格差を是正する「0増5減」を盛り込んだ選挙制度改革法が、衆院解散した11月16日に成立した。
しかし、区割りを見直す時間はなく、衆院選は違憲状態のまま行われ、最大格差も2・43倍に拡大した。また読売新聞によると「1票の格差」違憲状態で衆院選無効…一斉提訴. 最高裁が「違憲状態」とした選挙 区割りのまま行われた今回の衆院選は違憲だとして、二つの弁護士グループが17日、 27選挙区の選挙無効(やり直し)を求めて全国の8高裁・6支部に一斉提訴したが後の祭りだった。



  

  

2012年12月12日水曜日

日本のインフラ


最近読んだ本に「日本文明世界最強の秘密」増田悦佐著がある。「日本はもうダメだ」という悲観論のマインドコントロールから日本人を救い出す画期的論考!閉塞感漂う現代日本に一筋の光明が差すような本でもある。                                                 
「その国の経済発展を支えるものは強固で効率的な交通網(車より鉄道社会を守り抜いた日本の大首都圏のインフラ)であり、我が国が21世紀を通じて先進国の中では一番経済的パフォーマンスを繰り広げている。戦後の荒廃から脱却し1970年代までの日本経済の高度成長を支えたものは、世界一のエネルギー変換効率で、車よりもネットワーク性が高く、大量に人を運ぶインフラである鉄道網が東京、大阪といった二大都市圏に張り巡らされて、世界一急速に都市化が進んだにもかかわらず、交通渋滞による大都市圏の経済効率が下がることもなかった。」

競争力は何によってきまるのか、との命題から考え始め、原材料、技術、労働力、エネルギーの要素は移転可能だから、決め手にはならず、一番大事なのはインフラだとする。ここでインフラというのは、人間を大量に集積する都市が有利であることであり、特に人口を集められるのは鉄道中心の都市であるとする。結果、東京や大阪など鉄道中心の都市がある日本は他の国に対して競争の上で優位に立っているという、増田理論の結論が出てくる。

また本書ではこう続ける、鉄道を発明したのはイギリス人だが、鉄道網を発明したのは日本人だと。実際欧米諸国の鉄道はターミナル駅はそこから乗り換えするのに非常に不便な位置に有り、日本のようにターミナル駅が通過駅としての機能を併せ持ち、そのため同じ駅内で乗り換えがスムーズに行われて、時間のロスがなく、時刻の正確さはこの上ない。しかも駅の中ではショッピングモールを組み込んだ多機能な空間が存在する。この利便性は他国の追随を許さない。

世界最大の乗降客数を誇る新宿駅でも、山手線、中央線、京王線、小田急線、地下鉄各線が同じ構内に集中している。そのため欧米では貧乏人以外は不便な鉄道をさけ、通勤は圧倒的に車に頼る車社会で、一度に大量輸送が可能な鉄道に比べエネルギー効率が非常に悪いのである。日本では旅客は鉄道、足のない貨物は車と概ね棲み分けられている。そのため日本では旅客では世界一鉄道依存度が高く、貨物では世界一鉄道依存度が低い。よって道路を走行する自動車に占める業務用車両の比率が高くなっている日本では交通量の増加はほぼストレートに経済活動の拡大を意味する。

中央道笹子トンネル事故
ただ我々も荷物が多い遠出には車を使い、少ない遠出には鉄道または飛行機を使ったり、旅行先で荷物が増えたら宅急便を使ったりと、選択肢は多い。田舎を走ってみて気づくことであるが、大都市圏の利便性がない地方の移動手段は圧倒的に車である。それも一家に一人1台の軽自動車の多いことか。とにかく軽自動車が多いのが目に付く。ただ今回報道を賑わした中央道の笹子トンネル事故は、時々利用する者として穏やかでない話である。

笹子トンネルは、今から約37年前の1975年に完成し、77年から使用されており、まだわが国が高成長の真っただ中にある時期に使われ始めた。笹子トンネルがある中央自動車道は、わが国の中心である東京と山梨や長野、さらには兵庫県西宮を結ぶ幹線道路の1つとして、わが国経済の動脈としての役割を果たしてきた。
そして老朽化していた笹子トンネルの事故は、9人の尊い命を奪った。現在、同様の問題を引き起こす可能性のある危険度の高いトンネルは全国で49カ所あるとも言われ、その点検が急がれている。直近では首都高羽田トンネルもボルトの脱落を指摘されている。
そしてこの事故を受けて,各党代表は,インフラのメンテナンスの重要性を訴えるに至っている。言うまでもなく高度成長期につくられた道路、トンネル、橋梁などのインフラの多くがこれから大量に寿命を向かえる。時代錯誤の無駄な新規大型公共事業復活の前に、過去のインフラのメンテナンスが最優先されるべきだろう。
そのためにはデフレ不況の今,増税をしたところで不況が深刻化する以上,なんとしてでも「経済成長」をはたして財源を確保して,抜本的な「インフラのメンテナンス事業」に政府として取り組んでいく事が不可欠だと思う。

2012年12月1日土曜日

日本海クルマ紀行

Hacoaの工場

昨日かみさんと日本海の旅から帰ってきた。93才の親父の世話に明け暮れるかみさんの日頃の労をねぎらって、たまたま一人暮らしの息子が親父のお守りをしてくれて、かみさんの還暦祝いに旅費まで出してくれた勢いで、福井と京都城崎の2泊3日の旅に出かけた。
初日は京都から福知山線に乗り換え、西舞鶴からレンタカーを借り鯖江市にある越前漆器の漆の里を見学し、紹介された木地師の山口さんの工場を見学した。Hacoaという業界では大手の工場の社長でもある山口さんは、伝統工芸士でもあり、ご多分に漏れず越前漆器の現状は厳しい状況で、大きい品物があまり動かないと話しておられた。それを裏付けるように近代的な設備の大きな工場も機械音が止まっており閑散としていた。しかし業界の若手を中心に時代のニーズにあった小物の商品開発に取り組んでいるのがショールームから伺えた。
もう一件紹介されたところは留守だったので、時間も限られていたので4時半頃鯖江を後にした。
原発銀座 福井

北陸道を通り敦賀インターから原発銀座の若狭湾の海岸線を走り、初日の三方五湖から突き出た常神半島の先端近くの旅館についたのは7時の夕食時間だった。カニ三昧とアオリイカの活き造りや寒ブリの刺身などとても二人では食べきれず、残った越前カニは道中の酒の肴に土産にもらった。


三方五湖
翌日三方五湖を眺望できる展望台に登り、自然豊かな福井のリアス式海岸の雄大な景色を楽しんだが、一方でこの素晴らしい自然が原発銀座に囲まれたど真ん中にあることを思うと福島が頭をよぎり、複雑な思いがこみ上げてきた。まさに日本の核エネルギーは綱渡りである
地図上の赤マルが我々のいた三方五湖の位置で、黒丸はもんじゅ、敦賀、美浜,大飯、高浜の各原発の位置。そして今、敦賀原発は地下を通る活断層の調査結果次第ではその存続が危ぶまれている。

福井を通って近隣の町や農村風景を見たところ、過疎化に残されたこれらの土地は、京阪神地域からの工場誘致もままならないまま、これといった産業も育たない中で、原発誘致で町おこし村おこしをやってきたのだろうが、ここに来て地域の大きな雇用の受け皿としての他府県にはない多くの原発も、岐路に立たされている。実際問題、多くの原発が止まっている状況下で、従来の火力発電はコストの面で多少は高くはなっているものの、電力側が誇大宣伝しているほど電力の供給は逼迫していないのである。枝野経済産業相は30日の閣議後記者会見で、関西電力や九州電力の電気料金値上げ申請に関連し、「元々、(電気料金は)おかしなくらい安すぎた」との見解を示したが、世界一高い電気料金を棚に上げよく言えたものである。まるで原子力でないとどんどん値上げをするぞとばかりに。

このようにたとえ多くの既得権益側の原子力村や、官僚、政治家などの抵抗が強く働いたとしても、国民の総意としてこの豊かな自然の日本を守るためにも、日本人の知恵で代替えエネルギーの開発に、総力を挙げてもらいたいものである。

城崎温泉

福井を後に次の目的地城崎温泉は、かみさんが独身の頃読んだ志賀直哉の小説の城崎温泉に憧れていて、是非とも行ってみたいと言われていたのでお供した。天橋立を通り、京丹後を抜け、城崎のホテルに着いたのは3時を過ぎた頃で、それから温泉街に繰り出し、外湯を5軒ほど廻り、湯あたり寸前で終わりにした。その後は温泉街の酒処を2軒まわり、その日はホテルで昨日のカニで一杯やって朝までぐっすり寝こんでしまった。
川のある街は風情があっていいものだ。城崎温泉も大小の川に挟まれてたたずんでいて、温泉街を流れる川は水がきれいで、川に沿って一面柳の木が生い茂っている。
9時にホテルを後にし福知山のトヨタに車を返したのは11時頃で、走行距離は交代で運転しても511km走っていたことになる。そろそろ旅の疲れが出てきたので筆を置くことにする。

2012年11月25日日曜日

釣りも時の運

江ノ島沖 雄のカワハギ

10月から11月にかけて例年だとフグ釣りに興じるところであるが、今年はフグがあまり釣れていない。去年は特にアカメはよく釣れ良すぎたぐらいで、今年はまだ行っていない。一方で今年の東京湾は夏場にかけてマゴチがよく釣れ、何回かいい思いをした。今年に入り穴子やフグなどがさっぱりで、震災以来東京湾の地形も変わったのかいつもと違うような気がする。

そんなわけで今年は相模湾でカワハギ釣りを2回ほどやった。。
カワハギは内向的な釣りで、青物と違って餌を蒔いてドカっと釣る陽気な釣りではなく、普通に釣っていても釣れる魚ではない。常に魚との駆け引きが要求される釣りで、釣り方に工夫がないと餌ばかり掠め取られ、餌泥棒に悩ませられる。
その点フグはも餌取りがうまいが引っ掛けて釣るカットウ釣りが主流となるのでカワハギほどストレスはたまらないものだ。しかしカワハギは小さな針に付けた餌に食わせて釣るので一筋縄ではいかない。学習能力も高く、釣り船の多い海域ではすれっからしのカワハギとの知恵比べに神経をすり減らし気の抜けない釣りである。これが普通の魚やまずい魚であれば、これほど夢中になれず竿を置くところであるが、ひたすら極上の白身と海のフォアグラたる絶品の肝を求めて釣り人は懲りずにやって来るのだ。言うまでもなく釣り立て新鮮なカワハギが食えるのは釣り人の特権である。



さて釣りにも時の運(釣りの神の微笑み)が左右することが過去に時々あった。釣りの神様といえば恵比寿様である。
縁起のよい福の神様を7人集めて絵にしたのが、ご存じ「七福神」。その中で竿と鯛を持って笑っている恰幅のよい神様が、七人の中では唯一国産とされている神様、恵比寿(ゑびす)様である。。福々しい笑い顔をえびす顔というぐらいで、打ち出の小槌を持った大黒様と並んで人気があるようだ。他の6名の神様は中国やインドからの拝借であり、日本人の外来文化の吸収力の貪欲さと、宗教心の懐の深さはすべて古来からの八百万の神々を敬ってきた国民性に由来する。

すなわち大黒様は古代インドのシヴァ神、弁財天も同じくサラスバティーという河の神様、毘沙門天はヒンドゥーのヤシャ王クヴェーラ、寿老人は中国の思想家老子、布袋尊は後梁時代の禅僧契此(かいし)、福禄寿は中国伝説上の道士とされている。恵比寿様は、上方ではもっと気軽に「えべっさん」と呼ばれており、庶民には一番もてる神様である。 さて、庶民に人気のある恵比寿様のルーツを探ってみると、恵比寿さまは右手に釣竿、左手に鯛を抱えているように、元々は海の神様、豊漁の神さまだった。

ところが恵比寿様のルーツには諸説があり、神道では、恵比寿さまはイザナギノミコトとイザナミノミコト(日本国を作ったカップルの神様)の第三子蛭子尊(ひるこのみこと)といわれている。古事記日本書紀に出てくる蛭子という漢字にエビスが当てられているのが、その根拠だそうだ。恵比寿様はなんと3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ、漂着先が神戸の西宮浜)、おまけに福耳のくせに難聴という苦労人で、顔で笑って心で泣く釣り師には本当によき模範となる神様である。
もう一つの説は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の第一皇子事代主命(ことしろぬしのみこと)と云う説である。神話に出てくる出雲の国譲りをした神様で有名で、この大事なときに美保ヶ関に釣りに行ったという釣り馬鹿で、それが後生釣竿を持ち鯛を抱えるイメージにつながったという話もある。

最後の説は、日本人だったらよく知っている海彦山彦だ。弟の山幸彦は、兄である海幸彦の釣り鈎をうっかり鯛にとられて竜宮に行く。そこで海神のべっぴん娘、豊玉媛命とラブラブになりマジックパワーを得て、そして最後に、兄の海幸彦を服従させるという話だ。
三説とも、いわゆる出雲の国譲りが神話という形を取っていても、実際は大和朝廷と出雲政権との権力闘争を暗示した記述であるということは、大方の学者が認めているところである。大臣であるにもかかわらず、政務を放り出し、釣り三昧に明け暮れた事代主命(ことしろぬしのみこと)が、実在のモデルなら釣りバカ日誌を地で行っている話で、歴史を遡る逸話は想像力を掻き立てられるものがある。

2012年11月18日日曜日

福の神と貧乏神

福の神 仙台四郎

仙台四郎という人物をご存知だろうか?この人物は、明治時代に、仙台市に実在した人物である。取りたてて、何か大きな仕事をした訳でもなんでもない。しかし今、その人の肖像画が、家運上昇、商売繁盛に御利益があるとして、飛ぶように売れ、その人形さえ作られているというから不思議である。そもそも仙台四郎は子供の頃は聡明で有名な子供だったが、 川で溺れ意識不明になったのをきっかけに、知的障害になった人物だったようである。

 四郎さんは、いつもニコニコと街中を歩き子供たちと遊び、よく店先に立ち寄った。そして、彼を歓迎した店は商売が繁盛して、毛嫌いした店は落ちぶれたそうな…
最初は、何となく、人のうちに来ては、愛想の良い笑顔を振り撒いて、何となく帰っていく、ただそれだけの人物と思われていた。ところが、不思議なことに四郎さんがやって来た家は、運が次第に向いてきて、良いことばかり起こる。やがてそのことが町中の評判となった。
ある時などは、事業がうまく行かず、死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、ふらっと現れると、四郎さんはこう言い放ったという。「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」(仙台弁で笑ってください)四郎さんに、そう言われて、ふと鏡で自分の顔を覗いて見ると、そこには鬼のような形相の男がいたのである。
  これでは他人相手の商売はできるはずもないと、はっとして目が覚めたというのだ。玄関に戻るとそこには四郎さんがいなかったが、自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるためにがんばってくれている妻と、若い長男が立っていたのである。そこから一転事業は盛り返したそうな。

私がこの肖像画にお目にかかったのは、以前当ブログで紹介した行きつけの寿司屋に飾ってあったものであったが、カウンターに座るといつも店主と、仙台太郎がこっちを向いていた。その寿司屋も今はない。私の地区ではもう一軒、2番目に行きつけの寿司屋があったが、その店も最近になって看板を降ろしてしまった。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、福の神もデフレ経済下の昨今では勝てず、経済縮小のあおりを食らって客足も伸びずバンザイしたようだ。特に生ものを扱う商売は一度客離れを起こしたら最後あとは廃れていくのを待つしかない。近所の大きなガソリンスタンドもなくなった。5円10円の薄利にハイブリット車の登場によるガソリン需要の低迷などが重なり店を畳んだのだろう。とにかく景気の悪さが目につくこのごろである。





貧乏神

世間では家電の大手ビックカメラがユニクロと異業種のコラボをしてビックロになったり、消費の掘り起こしに小売業界も動きが激しくなっている。業界最大手のヤマダ電機に大きく水をあけられた末に選んだ策であろうが、いろんな業種で業界再編が起きている。
そんななか政界も再編の動きが激しくなっている。突然の野田首相の衆議院解散で政局は慌ただしく年末選挙に向けて動き出した。少数政党が集合離散を繰り返し、2大政党も再編の動きがあり政局も予断を許さない。破れかぶれ解散の民主党も貧乏神のような輿石幹事長が選挙戦を取り仕切るようだが、やめたほうがいい。

2012年11月10日土曜日

迷走国家

衆議院本会議


現在、日本の政治は、国家をどう守り、国民をいかに幸せにするかという国民政治ではなく国民不在のなかで、どこの党が権力を握るかという政局政治に陥っている。この澱んだ国民不在の政治がこれ以上つづくと、国家の運営に支障をきたし、国民の政治不信と無党派層の拡大につながる傾向が続くだろう。
 もっぱら政界の焦点は解散時期についての駆け引きに終始し、野田首相にダマしたダマされたと、自民、民主は相変わらずの舌戦を繰り広げ,お互いの腹の探り合いをやっている。近頃気のせいか野田首相の顔が上目遣いのタヌキそっくりに見えてきた。そんな折、東京都都知事の石原慎太郎がご老体にムチ打って、第三極勢力を結集し国政に復帰することを表明した。


ここに来て維新の会の底の浅さが見え始めた橋下維新は、石原新党やみんなの党などと連携を画策しているようだが、政治姿勢や政治理念が違う集団がどこまで歩み寄るかは不透明で、石原新党と維新の会、みんなの党、減税日本ら第3極勢力のどこに、共通の政治姿勢があるのだろうか。石原の官僚制度のシャッフルという小異を捨て大同に着くという大言壮語に吸着されて、たとえ第3極勢力が政権をとったところで、1993年の細川内閣が、7割を超える支持率を得ながら、あっというまに崩壊したように、今から不協和音が聞こえてくるのは私だけではないだろう。

石原慎太郎は4期目の都知事選を出ないと言って出てみたり、新党結成を全く考えてないと言って結成の画策をしたり、その行動の裏には常に2人の政治家でもある我が息子絡みの思惑があることが周知のことになっている、今になってみて中古派閥の老害長老達に担がれた小物が、自民党の総裁になれなかったのは不幸中の幸いであった。慎太郎を担いだ亀井静香も、石原のご都合主義に愛想を尽かし袂を分かった状態で関係は冷えてしまった。

政策の4つの柱、すなわち憲法、原発、TPP、消費税の各々の基本理念が違う連合、石原・維新」連合が、志や政治姿勢を共有する結束ではないかぎり、日本の政治に、新しいうねりは生じないだろうし、民主党の悲劇が繰り返されないことを望みたい。最近の報道2001の石原慎太郎を見た限り、<統治機構の改革>といっても中身は漠然とした官僚批判に終始し、具体的な制度改革の形も示していない。思いつきで始まった尖閣諸島購買の話からはじまった政治の混迷など
我々国民が聞きたいのは経済と政治が停滞し、世界から孤立しつつある日本を、どのように建て直すかである。

2012年10月27日土曜日

上野散策



                       漆芸 軌跡と未来 展

今月、東京芸術大学創立125周年記念で開催された<漆芸>軌跡と未来展を、カミさんと蒔絵教室の山口先生の案内で生徒たちと見に行った。東京美術学校創設と同時に開設された漆芸研究室は大学設立125周年を迎えて今回の展覧会が開催された。
山口先生ご夫妻も揃って出品されているので、この機会にご一緒させていただいた。上野駅で皆と待ち合わせ、芸術の秋らしく相変わらず上野公園口は人で一杯だった。昼前だったがこの混雑を想定し精養軒で早めに昼食をとり芸大に向かった。
江戸時代の蒔絵を踏襲した明治期から非常に緻密な伝統の死守と、新しい表現法を模索する大正から昭和期そして、この20年ぐらいの新しい表現。そこには重鎮から卒業したての若い世代まで幅広く見ごたえのある展覧会だった。

展示室1          展示室2


展示は地下の展示室1と2を使用され、展示室1はタイトルでいうところの軌跡、そして展示室2が未来と言う設定になっている。展示室1は明治からの卒業生で古典的な感じの品が並んでいた。前に観たことがある作品も幾つかあり、時間をかけて制作した跡が伺える。修練を重ねて会得した技術に裏打ちされた作品群は、古き時代のゆったりした時間の中で制作されたことを感じさせる宝物でもある。
展示室2は漆という素材を複眼的に見る現代の状況と、仮想空間を意識して制作された未来的な作品や、社会性と時代性を意図したキオクノタネ2011など多種多様な作品が並び、見るものを楽しませてくれた。

会期 10月5日~21日
会場 上野芸大美術館

公園内の畑と花や緑

当日上野公園では全国都市緑化フェアー2012が行われており公園も様変わりしていた。殺伐とした都会に緑をと、聞こえてくるような風景だった。

2012年10月17日水曜日

増税の成れの果て

IMF 総会


 9日に東京でIMFと世界銀行の年次総会が開かれた。日本での開催は東京オリンピックの年から実に48年ぶりらしい。14日までの期間中には、加盟188カ国から官民合わせて約2万人が来日した。いずれも、世界を動かす金融・財政政策のトップばかりだ。2日前に私用で周辺を車で通ったが物々しい警備だった。
もう忘れかけているが、2010年当時民主党の財務相菅直人が首相になる一ヵ月前の5月に、IMFが突然日本の消費税増税を求める異例の声明を出した。
そのIMFが日本に対して消費税増税を求めたのが、消費税増税法案のきっかけである。IMFが日本に対して内政干渉ともいえる消費税増税を求める異例の声明を出してから約一月後の2010.6.4に菅直人が首相に就任した。 そして就任するとすぐに消費税10%に言及した。そこから民主党がおかしくなってきた。
IMFはアメリカの圧力で動く国際機関である。本部もアメリカ・ワシントンにある。
加盟各国の拠出総額4500億ドル(約35.3兆円)に占める日本の拠出額600億ドル(約4.7兆円)はダントツの1位であるが、大臣の経験も財務関係の経験もない労働組合出身の城島財務相に託された会議に対して(英経済誌「エコノミスト」に〈日本はお粗末な主催国。こんな経済外交を展開してはいけないという教訓を与えてくれた〉Japan and the IMF/Poor host--Japan gives a lesson in how not to handle economic diplomacy と酷評される始末だ。

さて政府の税収はこの4年ほどで11兆円も減っている。国のメンツをかけての大判振る舞いも、国民の血税で賄っている。折しも震災後のわが国経済は中国経済がらみで疲弊の一途である。そんな中国も今回の会議をボイコットし各国から批判が出ている。経済大国世界2位の責任はどこに行ったのか?中国人は自分で自分の行動の責任をとることができない民族である。責任は他人に転嫁し、実益は自分で取る、そして自分のメンツは最大限に立てるということが彼らの基本的なスタンスであることがここにきて分かってきた。


宮城県 女川

いまだ被災地の復興が進んでいない。被災地で復興予算の申請をしても60%も却下されている。何のための復興税なのか?復興予算の19兆円の内、2兆5千億円が、復興とは全然関係ない全国各地で使われていることが国民の怒りを買っている。
そもそも復興予算のムダ遣いは、東日本大震災復興基本法で〈単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れる〉との官僚の作文が盛り込まれたために各省庁が、被災地に限定されない「全国の防災」の名の下に好き勝手な予算を組んで防災とは無関係なものまで税金を使っている始末だ。この国はどこまで腐っているのか?
「社会保障と税の一体改革」の付則18条(消費税率の引き上げに当たっての措置)にも、こう書いてある。〈成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する〉
復興の資金として、昨年度は15兆円もの予算が組まれた。今年度はさらに4兆円が予算計上されており、合わせて19兆円という巨額にのぼる。被災地の復興を一日も早く、との国民の願いを受け、財源を確保するために25年にわたる所得税の増税、10年にわたる住民税の増税が認められた。
だがそんな予算のうち、5.9兆円が「あまり」とみなされて使われていない。そのうち4.8兆円は翌年に繰り越されるが、約1.1兆円は「使い道がない」とみなされて、復興特別会計なる不可思議な会計に組み入れられ、被災地の復興とは、なんの関係もない使途に費やされるという。
さらに無駄遣いは続く。役人たちの退職金、スポーツジムの利用など福利厚生まで、復興特別会計でまかなわれたのだ。復興のためとして、子ども手当を削り、高速道路無料化を廃止するなど、国民に求められてきた負担はいったい何だったのか?財政赤字解消のためとする消費税増税はなんぞ?はたまた消費税増で余裕ができた財源を大型開発事業につぎ込む。新幹線、高速道路など、民自公の3党合意で鮮明になった“消費税増税は時代錯誤の大型公共事業の復活に”。アホ臭くて税金まともに払えまへん。

2012年10月10日水曜日

娘の門出

赤坂氷川神社

10月7日赤坂氷川神社で4時から娘の挙式が行われた。雅楽器に先導され2人が現れ、娘の白無垢の姿は眩しく写り、式は滞りなく終わった。
当日は各親族とも近くのキャピトルホテル東急で宿泊し、披露宴はホテル内のフレンチで「キッチンが走る」で娘がお世話になった坂井シェフの店<ラ・ロシェル 山王>で、大勢の来賓の方々に祝福していただいた。


ウエディングケーキ
会場では番組制作の仲間たちの手作りの二人の結婚に至る傑作ビデオが会場の笑いを誘い、シェフ渾身の思いで作られた料理を皆さん心いくまで楽しんでいた。最後を飾るウエディングケーキは、TVでお馴染みのキッチンワゴンカーをあしらった風変わりなケーキで、後日関係者からは楽しい披露宴だったと好評だった。



式も終わった今、カミさんはお役目を果たし、色々な思いがこみ上げて、娘の両親に対するメッセージを思いだし、涙ぐむ顔を見て私は「ご苦労さん!」とつぶやいた。

2012年10月2日火曜日

アートな話「色について」

◆ 白について
キキ.ド.モンパルナス 藤田嗣治

白という色は、一般的に色という概念から外れた無彩色の感情のない色である。
昔は「しろ」と言うと、「素」という漢字が用いられていた。実は今でもこの漢字を「しろ」と言う意味で使っている場面がある。例えば「素人」という言葉を「しろうと」と言うと、まだ知識や技術を持たない人や何も技術がない純粋な状態を指し、絵の具で言えばピュアーで無着色の無垢のイメージがつきまとう。
画家で白を多用している人は少ないし、使っても完全な白ではなく何らかの色が混入され微妙な白の色調が現れる。またあらゆる色に白を混ぜると混合比率によって、あらゆる階調の中間色ができるのはよく知られたところである。

8月に鎌倉にある神奈川県立近代美術館で見た藤田嗣治のキキ.ド.モンパルナスは、表情豊かな白を世界に認めさせた藤田作品の一つである。カンバスの布目を白のファンデーションで塗りつぶし、非常にきめ細かい下地の上に裸婦と白い布が同化している味わい深い白を、彼独自の技法で表現している。また裸婦に描かれた輪郭線の確かで鋭い長くて細い線は、一瞬のためらいもなくキャンバスに定着していた。全体の仕上がりは品のいいエロティシズムを醸し出して見る者を魅了する。

藤田嗣治は、1886(明治19)年、東京生まれ。東京美術学校で学んだ後、1913(大正2)年、単身、パリに渡る。 当時、パリでは、新進の画家たちが、パリ派(エコール・ド・パリ)と呼ばれる集団を形作り、自由な絵画を描くための、自由奔放な生活を送っていた。 彼らは、様々な国から集まっていて、それぞれの技法や芸術観などを持ち寄り互いに影響し合い、それぞれに独自の画風を作り上げていった。藤田は乳白色の地塗を施した画布に線描を生かした独自の技法を見い出し、一躍時代の寵児となった。しかし第2次世界大戦中は国策絵画(戦争画)に手を染めたため戦後は批判を浴び、日本画壇と決別してフランスに帰化した。
藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかったが、近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。さらに絵画からはタルク<滑石(かっせき)は、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種である。>が検出されており、その正体は和光堂のシッカロールだったことが2011年に発表された。また、面相筆の中に針を仕込むことにより均一な線を描いていたことも修復により判明した。(wikipedia)


● 修復あれこれ


最近NHKBSプレミアムで藤田嗣治 乳白色の裸婦の秘密を見た。という番組があったが、東京芸大で油絵の修復を教えている木島隆康 教授が藤田の裸婦の模写をして、藤田絵画の白の謎に迫った放送だった。
「フジタの裸婦画は油絵というより日本画にちかい」と研究者はいう。たとえばその肌の描き方。フジタは色を塗るのではなく、浮世絵のようにカンバスの地をそのまま肌にいかすことを思いついた。そのためには、肌のような柔らかな質感を持つカンバスが必要になる。フジタの裸婦画へのとりくみは理想的なカンバスづくりからはじまった。そこにたどりつくまで、どれほどの試行錯誤をくり返したのだろう。
フジタがカンバス布として選んだのは、シーツとして使われていた繊維の細かい、表面のなめらかな布だった。これは通常用いられる布にくらべてかなり目が細かい。手仕事を愛してやまないフジタは、自らこの布をカンバスに貼り、下地として白色顔料を塗った。
本来ならこれで下地づくりは完成なのだが、フジタはさらに独自のプロセスを加えた。炭酸カルシウムは、オイルで溶くと色が白から黄土色に変化する。これを1:3の割合で白い絵の具に混ぜたものを先ほどの下地にかさねると、カンバスに象牙色のやわらかい質感がでることを発見したのだ。そして最後にカンバスのテカリを抑えるためタルクを塗りこんだ。こうしてフジタの理想のカンバスはついに完成したのである。それも皮膚と肌そのもののマチエールを実現するために。
フジタの乳白色の肌は、面相筆で引かれた黒い極細の輪郭線を持つことでいっそうその美しさを際立たせている。墨で描かれているらしい。ふつうの油絵にはなく、フジタ独特のもの。永くなめらかなで途切れることのない線でまるで一筆がきのようである。
その輪郭線を引く上でもタルクが重要な役割を果たしている。タルクを塗っていない下地は油性のため、水性の墨ははじかれてしまう。タルクを塗ることで、油絵の上に墨の線を置くことを可能にし、裸婦を際立たせた。
番組では数々のフジタ作品の修復をてがけて、自身もフジタ研究をされている木島教授が『寝室の裸婦キキ』の上半身をフジタの手法で再現しつつ描いていたが、藤田の線に近づくべく筆を動かしていたが、輪郭線を引くのが大変そうだった。あんなに細い線をなめらか且つ長く引くためには相当の技が必要なようで、改めて藤田の凄さに思いを馳せた。



最近、スペインで80代の女性が教会の壁画を勝手に修復し、描かれていたキリスト像が 全く別モノになってしまうという事件が起きた。この事件は「史上最悪の修復劇」と呼ばれ世界中で話題となり見物客が殺到した。芸術とはなんぞやとつぶやきたくなる作品である。左のオリジナル作品は絵の具が剥離し白がむき出しになっている。そこに素人の老婆が手を加えると、あれよあれよと言う間に右のように変貌した。

室町時代の茶入の修復(更谷富造)

一方我々が扱っている漆の世界でも、世界的な漆芸の修復家、更谷富造がいる。彼の著書「漆芸ー日本が捨てた宝物」では我が国の漆芸の一級品が多く海外に流失し、幾多の富裕層のコレクションになっており,破損、損傷したものの復元修復の依頼が多く、過去の漆芸技術の素晴らしさを述べている。
漆芸の緻密さゆえにミクロン単位で作業するため、写真のように著者は外科医が使用するルーペで作業している。
桃山時代の漆器の輸出に始まって戦後は二足三文でアメリカに渡った日本の宝は、海外で持ち主を転々としながら宝物として多くの作品が眠っているようだ。
さて話を白に戻せば、漆の白は乾くと黒ずむという漆の特性から純白の色は出ない。主に白の顔料はチタン(二酸化チタン)であるが、これと精製された朱合漆と混ぜ、練って作るのであるが塗って日が浅いうちはベージュ色になり、やがて年数が経って漆が透けていき色が明るくなっていくが、本来の白とは程遠い。そのため白に近づくために漆芸の世界では、卵の殻を細かく敷き詰める技法をとっている。

2012年9月22日土曜日

衰退する世界の工場

日系企業への放火と略奪

中国には「星星(せいせい)の火 以(もっ)て野を焼くべし」という諺がある。
 意味は小さな火であっても、それはやがて野一面を焼き尽くす炎となす。ということであるが、何か今の中国の世相を表しているようではないか。

日本政府が11日に沖縄県・尖閣諸島の国有化を決定してから初の週末となった15日、領有権を主張する中国の反日デモが50都市以上に拡大し、計8万人以上が参加した。 一部では暴動化。日本企業に対する破壊、放火、略奪と民度の低いおぞましい光景があらゆるメディアで世界中に報じられた。
17日付けの大紀元日本では、今回のデモが現役の警察官や軍人たちが加わった計画的なデモである可能性が大ききことを伝えている。 現役の私服警察官が各地のデモの先頭に立ってスローガンを叫んだり、群衆を扇動し暴徒化させているのが写真に映り出されているのだから語るに落ちたとはこのことである。後日当局から金をもらってデモに参加した若者の証言もあり、国家権力の仕掛け人に操られる不満分子の群衆の姿がそこにあった。
今回の反日デモは決して領土の主権など表層的な問題だけではなく、党内闘争や国民の独裁政権への不満などさまざまな要因が混じっており、きわめて複雑で混沌たる情勢である事が伺える。

<大紀元>によると中国当局は反日行動を野放しにし、お墨付きまで与えている。中国外務省の洪磊副報道局長は13日の記者会見で、「中国全土が日本の誤った行動に憤りをたぎらせ、政府による正義の要求や対抗措置を支持している」と発言。商務省の姜増偉次官も日本製品ボイコットについて「中国の消費者の権利」と容認した。中国政府の動きは経済格差や深刻化する失業問題や就職難などによる民衆の不満が爆発して政府にその鬱憤が向くのを恐れ、反日運動を扇動することで民衆のガス抜き(ベント)をしている」と分析している。


この二十数年来、中国の経済成長をひっぱってきたのは外資と安価な労働力である。大量の外資を導入し、安価な労働力で安価な製品を生産し、それを海外に輸出する。日本の高度成長期と、中国の経済の高度経済成長は性格が大きく異なっている。日本の経済成長の原動力であった製造業は、質の高い製品を生産し、海外に輸出することによって日本経済を支えてきた。中国の場合、高度な技術など存在せず、ただひたすら豊富な労働力によって安い製品を大量生産し続けてきただけである。

ここ1~2年で「世界の工場」とされた中国から企業の撤退や事業縮小が加速化している。背景にあるのは人件費の高騰が大きいが、中国独自のさまざまな規制や参入障壁、参入後の競争の激化に知的財産権の問題なども背景にある。
特に欧米のグローバル企業の撤退も目立ち、とくに米国が生産基地としての中国に見切りをつけ始めた。統計によると昨年、米国からの対中直接投資は、前年比21.5%減である。理由は、いわずと知れた中国の大幅賃上げである。人件費コストの安さだけが中国の魅力でそれが一挙に消え失せ始め、ドライな米国製造業は米国へ回帰していく。

中国は今後、所得倍増計画?どこかで聞いたような言葉(笑い)で年間13%以上も最低賃金を引き上げてきた。所得格差の拡大を是正すべく、膨大な数の底辺層の賃金引上げをはかる目的である。このため中国労働者の賃金は5年前の2倍になった。 人件費の底上げによる上昇で企業の輸出競争力は落ち、インフレが激しくなった。 賃金を大きく上げたのは、社会的な不満を眠らせるためだ。これは、予想通り裏目に出てきた。人件費アップがコスト増を招くからである。中国は大幅賃上げがもたらすマイナス面について、楽観視していたようだ。少々の人件費が上がったところで、中国は他の周辺国に比べて、製造業に不可欠な部品製造などのインフラが整っていることや人民元の為替操作などでタカをくくっていたが、米国企業が「本国帰還」の動きを強めていることには心中穏やかではないだろう。

いつまでも中国の「独り勝ち」という構図が続くわけがない。。12年に入ってから中国政府は最低賃金を平均10%以上、内陸部では20%以上上げた。これは労働者の権利意識の高揚で、ついに最後のよりどころである低賃金を改善せざるを得なくなったからだ。すでに低付加価値製品の工場はベトナム、カンボジア、インドネシア、バングラデシュなどに流れているが、
中国に進出している企業の大半が「中国の人件費は上昇し続ける」とみており、さらに日本や欧州といった先進国と比べても米国の人件費は安くなりつつあることも見越して、ゼネラル・エレクトリック(GE)はこれまでメキシコと中国にあった家電の製造拠点をケンタッキー州に戻した。競争力のある製造拠点を米国に置くことで、向こう10年間で最大300万人の雇用創出が見込めるとしている。
 日本でも人件費高騰による中国からの撤退・事業縮小の動きは、すでに各企業で起こっている。こうした世界の脱中国の動きは、中国の雇用の喪失と大量の失業問題を顕在化させ、おりからのバブル崩壊と経済の失速とともに社会不安から内乱につながる危険性を孕んでいる。

 近年、目覚しい経済発展を遂げた中国は、家電など多くの分野で世界最大の生産拠点として台頭してきたが、その急速な発展が独自に進行したのではなく、海外からの製造機能と技術の移転に依存して進められてきたのである。そして、対中直接投資の展開を通じて、外資系企業の優れた生産技術と経営管理技術が幅広く現地企業と関連産業に移転・波及するという形態を採ってきた。
日中間の経済関係はこの二十数年間にわたって年々深まっており、中国を抜きに日本経済を考えることは不可能になっている。中国の経済発展にとっても、日本が蓄積してきた技術力や発展経験などは重要なものであり、日本からの経済協力と技術移転が依然として期待されている。しかし両国の経済関係には多くの不確実性があり、また競合する面も少なくないが依然として相互依存関係にある。また、中国が日本企業の主たる投資先となる時代はいつまで続くかわからないが、今回の暴動のように中国での事業展開には様々な「チャイナリスク」が考えられるが、「政冷経熱」といわれる日中関係の現状も潜在的な進出リスクとして想定される。例えば有事における日系企業の工場の差し押さえや乗っ取りなど、他人のふんどしで相撲を取るのが得意なこの国のモラルハザードが一番警戒を要するところだろう。とにかく何があっても不思議でないのが中国である。

旧ソ連が崩壊する直前、GDPの70%は軍事産業だった。軍事産業は戦争をしない限りまったく利益を稼げないことから、アメリカとの軍拡競争で旧ソ連は崩壊した。一方、中国の2010年のGDPの60%はコンクリートだ。
リーマンショック以後54兆円に上る経済拡大策をとり、空港、高速鉄道、高速道路、数多くの建物など、各地政府は気が狂ったかのようにGDPの60%の建設土木投資を進めている。それらは全て製造業の税金収入と製造業による外貨の収入で賄われているのだが、そしてその結果日本を上回るバブル経済の崩壊がひたひたと近づいている。

旧ソ連の軍事産業経済を支えたのは石油輸出による石油収入で、原油暴落後これが絶たれた途端に一発でこの国は崩壊した。一方中国のGDPの7割はコンクリートで、同様な収益は稼げない。支えているのは製造業で製造業が倒れたら中国経済はご臨終である。近年軍備拡張に血道を上げている中国は軍事費は年々増加しているが公表されているGDP費2.5%も操作された数字で、実態はすごい数字が隠れているのだろう。アメリカを意識しての軍拡はかつて旧ソ連がたどった崩壊の道を進んでいることになる。驕るな中国!頭を冷やせ!

2012年9月15日土曜日

領有権問題

戦後すぐマッカーサーの招きでやってきたイギリスの歴史家トインビー(1889-1975)は「この国(日本)の経済は20年もすれば回復するが、国民精神の回復には100年を要するだろう」と指摘したそうだ。戦後67年を経てきた今の日本を見ているとその指摘通りになっている。冷戦後の日本を取り巻く国際環境は激動の中に有り、2極に躍り出た中国とそれに連動してロシア、韓国と各々が領土問題で我が国に対峙してきた。
日本政府は竹島にせよ尖閣諸島にせよ、国内外に我が国固有の領土であることを知らしめる発信力が弱いのが気にかかる。各メディアで論じられてる領有権問題を整理してみると、


<竹島>
日本では明治政府が1905年に竹島を島根県に編入し、竹島の領有を宣言したことから日本の領土になった。 これは国際法的にも認められている。
 ところが敗戦後の1952年、、サンフランシスコ講和条約によって確定する日本の領土に竹島が含まれていることを知った韓国が、1952年、条約締結直前に当時の韓国大統領李承晩が発した「海洋主権宣言」により、韓国周辺の公海上に勝手に設定した海域線内に含ませたこと(李承晩ライン)により竹島を占拠し,以後実行支配が続いている。また韓国はこの行動を起こす前の講和条約締結にあたって対馬を韓国領とするよう米国に働きかけたが、米国は取り合わなかったため、次に竹島を要求した。
しかし、当時のラスク米国国務次官はその要求も「古来日本が領土としており、韓国が竹島領有を主張していた事実はない」と受け付けなかったため、「海洋主権宣言」すなわち「李承晩ライン」なるものをサンフランシスコ講和条約締結前に「火事場泥棒のごとく」設定したのである。

そして 1965年に日韓基本条約が締結されるまでに「李承晩ライン」を 日本の漁船が越えて侵入したという理由で、328隻が拿捕、3929人が抑留され44人が負傷、うち5人が亡くなっているにもかかわらず、日本は韓国に対して何も言えなかった歴史がある。


<尖閣諸島>
一方中国は尖閣諸島を正式に支配したことがない。 しかし、尖閣諸島の歴史は曖昧で最古の記録では、尖閣諸島は琉球王国のすぐ隣、中国の領土内にある島として、その名前がひっそりと現れる。その琉球王国は1870年代に日本に吸収されて沖縄と改称された。
 1895年、日本は尖閣諸島を無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上沖縄に編入した。1945年、日本が第2次世界大戦に敗北すると、米国が尖閣諸島を含む沖縄の統治権を取得した。
1951年に締結された日米間の講和条約、さらには1972年に沖縄を日本に返還するとの合意文書においても、尖閣諸島の主権は曖昧なまま放置された(台湾もこの島の領有権を主張している)。米国は当事者間で友好的に解決すべきとの立場を取っている。

 政府は尖閣諸島について「日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配している。解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との立場だ。各メディアの論調を整理してみると、

 その第1の根拠は「1885(明治18)年から日本政府が現地調査を行い、尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、95(同28)年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した」(政府見解)ことだ。
 政府はこれは国際法上の「先占」にあたるとしている。先占とは「いずれの国家にも属していない地域を領有の意思をもって実効的に占有すること」で、国際法では国家が領有権を取得する方式として割譲や併合などとともに認められている。
その後、政府は明治29年9月、尖閣で事業を展開していた実業家の古賀辰四郎氏に魚釣島など4島の30年間無償貸与を決定。辰四郎氏は尖閣諸島に移民を送り、鳥毛の採集やかつお節の製造などを行った。大正7年に辰四郎氏が死去した後は息子の善次氏が事業を継続、昭和7年には4島が有償で払い下げられた。昭和15年に善次氏が事業継続を断念し、無人島となったが、政府はこの間の事実をもって「日本の有効な支配を示すもの」としている。

第2の根拠としているのが第2次大戦後、1951(昭和26)年に締結、翌年発効したサンフランシスコ講和条約だ。同条約第2条には、日本が日清戦争で清から割譲を受けた台湾と澎湖諸島を放棄すること、第3条には北緯29度以南の南西諸島などは日本の主権を残して米国の施政下に置くことが明記された。
 政府はこれに関し、尖閣諸島は「日清戦争で割譲を受けた台湾と澎湖諸島には含まれていない」とし、「歴史的に一貫して南西諸島の一部を構成している」との見解だ。米国の施政下でも琉球列島米国民政府や琉球政府によって、標杭や領域表示板の建設など実効支配が継続された。
 その後、尖閣諸島は1971(同46)年に署名、翌年発効した日米両国の沖縄返還協定に伴い、日本に返還されたが、政府は同協定第2条から「返還された地域に尖閣諸島が含まれている」としている。その後、現在に至るまで政府は「尖閣諸島は日本が有効に支配しており、日本固有の領土」との立場だ。

中国の主張
1)明代の歴史文献に釣魚島(魚釣島)が登場しており、琉球国には属しておらず、中国の領土だった。
(反論)明から1561年に琉球へ派遣された使節が皇帝に提出した上奏文に、尖閣諸島の大正島が「琉球」と明記されていた

2)日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った
日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼(とうしょ)澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめた。
(反論)日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった
 3)中国はサンフランシスコ平和条約に関与していないため、そこで決定されたことをを認めないとの立場。
(反論)第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている
出典尖閣諸島問題 - Wikipedia

竹島や尖閣をアメリカが「日米安保の対象地域」と発言しても、国益にならない領土問題にアメリカが介入する事はない。つまり領土問題は日本が独力で解決する以外に方法はないのである。国も個人も利によって動くのが慣いであるならば、今一度日本の自立とは何か、安全保障とは何かを考える時期が来ているように思う。

2012年9月6日木曜日

アートな話「指物」

2段重「渓流」吉川創雲 右は一杯に広げたところ


今月10日まで開かれている鎌倉彫喜彫会展で出品している私の最新作は2段重「渓流」。指物で木地制作を行い彫りを入れ漆を塗って仕上げた作品であるが、上下2段の料理箱が蝶番によって交差して広がる仕掛けになっている。
指物とはその歴史は古く平安時代から貴族から需要のあった家具、調度品、などを専門の職人によって作られたものであるが、室町時代に入って本格的に普及し、京都では京指物、江戸時代の江戸では江戸指物として盛んに作られた技法や製品の総称である。
厳選された材料と、それを仕上げる数々の道具と職人の腕に支えられて今日までその伝統は受け継がれている。

指物作品
私の場合正式に師匠に師事した事もなく独学で覚えたものであるが、指物で最低限必要な道具は下の写真のように作業台に乗っているものである。これらの道具をざっと列記してみると、上から鋸2種、ハタガネ2種、仕上げ砥石、溝鉋、際鉋,荒シコ、中シコ、上シコ、削り台、金槌、ノミ2種、留定規 ノギス、直角定規、指金、定規、万力である。
指物の難しいところは箱物の45度の合わせ目がコンマ何ミリの誤差で、ぴたりと合わなくなるので面作りが一番神経を使うところで、作品の出来具合を左右する。
仕事場の作業台

2012年8月26日日曜日

日本が試されている

クリス.ヘッジズ 著

世界における国の基盤の3本柱は、経済 外交 軍事であり、これらを統治するのが政治であることは言うまでもない。
戦争から目をそむけてはならない、それを怖れなければならない。2002年度ピューリッツァ賞を受賞した『ニューヨーク・タイムズ』の記者が書いた本「本当の戦争」は、15年間戦場特派員として体験した、戦場のすさまじい姿を伝えるQ&A集。 「人類の歴史は、おおよそ3400年余であるが、その間、世界が平和であったのは300年足らずだと言われている、世界のどこかで戦争が繰り広げられ、わずかな期間が平和であったことになる。」いわば人類の宿命のような戦争の話が淡々と書かれている。

第二次世界大戦で死んだ、世界の軍人、民間人の総数は概算で5000万人とも言われており、実数は不明である。大東亜戦争では、日本軍は将兵だけで150万7000名が殺されたそうだ。オランダの法学者で、「国際法の父」、と呼ばれるグロティウスも、その主著『戦争と平和の法』において「平和とは単に戦争の前ないし後を意味するに過ぎない」と述べている。世界の歴史が勝者によって作られてきたことも事実であり、日本は戦争に負けたことも厳然たる事実である。



国後島訪問のメド、尖閣上陸の中国活動家、政権末期の李 明博の最後っ屁
最近の我が国を取り巻く中、韓、露の申し合わせたような領土主張も、国力、政治力の落ちた我が国を見透かしての行動と見て取れるだろう。韓国大統領の言動も日本を完全に舐めきっているとしか思えない。また中国による南シナ海南沙諸島を例に取ると、(1)自国領であるとの領有宣言を行い、(2)海洋調査船や漁業監視船などによる既成事実化の行動を積み重ね、(3)漁民等を上陸させた後、(4)軍事力を直接行使して、(5)実効支配を確立するという手順で、段階的に占領支配を拡大するパターンを採っている。

我が国の尖閣諸島に対する中国の行動は、既成事実化の行動を積み重ねる第2段階に入っており、まもなく漁民などによる上陸の第3段階にエスカレートするだろうが、かろうじてアメリカのリップサービスで「尖閣諸島問題は日米安全保障条約第5条が適用される」と改めてキャンベル米国務次官補が言明したことから、中国は過激な行動には出ていないが、日米同盟の隙を見て虎視眈々と狙っていることには変わりがない。

過去の局面で明らかなように威圧的経済報復は中国の常套手段である。例えばレアーアースの対日輸出停止、南沙諸島がらみのフィリピンバナナの輸入削減、、はたまたノーベル平和賞に絡んでのノルウエー鮭の輸入削減など。直近ではASEAN会議の共同声明破棄に至る経済圧力をカンボジアにかけたことなどの政治的制裁を、経済環境を利用して行っている中国に対して、我が国は、60年余にわたる戦後体制の継続とその拘束によって、21世紀の激動・激変する内外情勢にまともに適応できない閉塞状況に陥っている。

アメリカに押し付けられた現行憲法がある以上、平和主義も、経済至上主義も、「自分の国は自分の力で守る」最低限の防衛努力を怠避する日米安保中心主義も、元を正せば、現行憲法を中心とする我が国の戦後体制によって歪められてきた日本人の精神性に係わる問題にたどり着く。
その根本的解決には、何よりも、時代にそぐわない、とっくに消費期限切れになった現行憲法を一から見直す必要があり、国防力の増強は最大の課題で、時の政府は憲法改定のための環境作りを持続させる努力が必要であるだろう。

2012年8月18日土曜日

アートな話「蒔絵と鎌倉彫」

小箱(水辺)2010 花器(秋)2012 吉川洛芳  

わが家では、カミさんも私も鎌倉彫の制作を始めて約30年になるが、カミさんは漆芸作家山口和子氏に師事して7年ほどになる。鎌倉彫をやる傍ら蒔絵の技術を磨いているところだ。上の写真は2点とも鎌倉彫と蒔絵のコラボレーションを意図した作品である。
左は平蒔絵と螺鈿を施した小箱、右は螺鈿と金箔を施した花器で、両作品とも非常に繊細緻密で根を詰めた作業が要求され、私などはこのような繊細さは持ち合わせておらず、傍らで息を詰めた作業を見ていると、鎌倉彫のおおらかさが自分には体質的にも合っていると思う。
(右の作品は来る9月1日から10日まで鎌倉彫会館で催される<喜彫会展>で出品予定の新作)

漆芸の世界では蒔絵という大きな領域があり、私が携わっている鎌倉彫は全国漆器産地のなかでは異端で、彫刻を主体にした数少ない漆芸分野でもある。
その歴史を比べると蒔絵は、古代中国で漆で模様を描き金粉等を撒いて表現する「平文(ひょうもん)・螺鈿(らでん)」等が考案され、奈良時代付近に日本に伝わり中国とは違う日本独自の『蒔絵』と呼ばれる技術が発達し、現在に伝わる漆塗りで、漆器産地の大勢を占める伝統工芸となった。
一方鎌倉彫は蒔絵に遅れること約500年後の鎌倉時代に中国から伝わった堆朱から木彫彩漆という日本独特の手法に変容し今日に至っている。

マリーアントワネットの蒔絵コレクション 17C
奈良時代に始まり日本で独自の発展を遂げて来た蒔絵芸術は、江戸時代に完成され頂点を 迎えた。当時のパトロンであった大名たちは、名工を抱えることが一つのステータスであり、金と時間に糸目をつけず、調度品ははもとより建築装飾に至るまで蒔絵が普及し、貴族趣味に支えられて職人たちは腕を競い合い多くの名工が誕生して行った。 現在残る多くの名品や国宝は、庶民とかけ離れた贅の下で作られて行ったものが殆んどである。
一方鎌倉彫は寺社などをパトロンに持ち、主に仏師の技として寺社の造仏や修復さらに調度品に至るのだが、やがて明治維新後の廃仏毀釈の時流からパトロンを失い、大衆受けする一般的な生活調度品として普及していった。

戦後の高度経済成長期が終わり、生活様式の変化から漆工品の需要も各生産地同様に減少し、今後の伝統産業の新たな道の開拓が求められている。日本の”もの作り”技術は世界でもトップクラスで大きな信頼を得ている。 精密機器や繊細な工芸分野での進出は、海外でも大いに期待できると思うが、高価な日本の漆製品は言うほど海外に浸透しておらず、富裕層をターゲットにしたところで、漆器全体の需要量の2~3%ぐらいしか輸出統計には乗っていないのが現状だ。
桃山時代以降多くのヨーロッパ人(とりわけ王侯貴族)を魅了した「蒔絵」を海外に渡った過去の輸出品として我々は知るところである。写真はかのマリーアントワネットが所蔵していたコレクションの一つで17世紀に作られた<蒔絵水差し1対>である。
メガネと蒔絵 吉川洛芳

蒔絵は漆工芸の加飾の一技法。 漆で文様を描き、乾かぬうちに金属粉(金、銀、錫など)や顔料の粉(色粉)を蒔き、固着 させて造形する技法。
基本的には平(ひら)蒔絵、研出(とぎだし)蒔絵、高(たか)蒔絵の3種類に分けられるが、 これの応用技法も多い。 普通は漆面に施すが、時には木地(じ)に直接施すこともあり、また螺鈿(らでん)や切金 きりかね)を組み合わせることもある。 蒔絵は日本の歴史とともに技術の発展を遂げた最も日本的芸術であり、漆(japan)と呼 ばれるように世界で唯一の工芸技法である。 「蒔絵」は”世界のブランド”に最も近い位置にいる。 また蒔絵は日本の工芸技法”東洋の美”として世界から注目され、 腕時計や万年筆のブランドメーカーとのコラボレーションなども盛んになってきている。 写真は最近カミさんが兄弟のために制作したもので、既製のメガネフレームに蒔絵を施した。

漆は天然の最高の接着剤と言われ、陶器等の破損・修理などにも広く使用されている。 粘着性が強いため蒔絵筆には細くて腰の強いネズミの脇毛が良いとされ、中でも船 ネズミが最高と言われてきた。余り動き回らないので毛の傷みが少なく、海上生活なので空気中に塩分が含まれて いるのが良いらしい。
 近年、船も清潔になりネズミが少なくなった事が、良質の筆を作れなくなった原因 になっている。一般の漆刷毛には女性の髪が使用されるが、現代のほとんどの女性は髪を染めたり、 パーマやドライヤーを使用する為良質の黒髪の調達も難しくなっているのが現状らしい。

かけがえのない日本の伝統の美を後世に伝えるため、コスト削減の価格競争に翻弄されることなく、独自の完成された技術に裏打ちされた高級品を目指すのが王道であろう。



2012年8月11日土曜日

海の歳時記

鬼カサゴ(10年で30cmと成長が遅い)
8月に入ると必ずやる釣り物に鬼カサゴがある。顔を見るとお世辞にも良い顔とは言えない。どこかの幹事長よりも悪相で醜悪な面構えである。人間にはある年代になったら自分の顔に責任を持てという言葉があるが、こいつは小さくてもえぐい顔をしていて1年生きようが10年生きようがその面構えは変わらない。さらに悪いことにそのヒレは猛毒を持っている。
スコーピオンフィッシュ(サソリ魚)と英語では呼ばれているように背ビレ、腹ビレ、尻ビレなどに猛毒を持っているが、この魚は普通の魚屋では見られない超高級魚で味は折り紙つきの極上の味なので釣り人を夢中にさせる。100M~200M位の深海に生息し1年にたった100グラムほどしか成長できず猛毒を持つ数本の背鰭で外敵から身を守り20年以上も生き延びる、そして釣り上げられても、水圧の変化にもビクともせず、まな板の上でも動きを見せる強靭な生命力の持ち主だ。臆病は野生の知恵と言われるように、この魚も神経質で警戒心が強いのでばらすことも多い。成長が極端に遅いので21cm以下はどの船宿も放流を求めてくる。


さて釣友3人と腰越から出船したのだが、そのうちの一人は鬼カサゴ釣りは初めてで、背びれには触らぬよう注意したのだったが、3匹目を釣った時に針を外している最中に魚が跳ねて運悪く手の甲にとげが刺さってしまった。
刺された右手 パンパンに腫れている
刺されるとこれまでに体験したことのない激痛が走るそうで。船長は傷口から血を吸い出せと激励し、けして冷やすなと言っていた。本人も血だらけの手に向かって懸命に血を吸っては吐き出していた。普段は饒舌な彼もひたすら無口に激痛に耐え忍んでいた。一説ではオニカサゴ毒の強さはハブ毒のなんと18倍もの強さもあり、毒量は極めて微量のために致命率は極めて低く、タンパク毒(ハチの強力なもの)のため50度ほどの温度で無毒化し拡散しないようだ。ただ魚は死んでも毒は健在で調理も慎重にヒレをとってからでないと痛い目にあう。
その後納竿までの3時間ひたすら激痛に耐え、本人は釣りどころではなかったようである。後日調べたところ、塩野義製薬から出ている「リンデロンVG軟膏」が患部に塗って早くて10分、遅くて1時間で痛みがなくなるようである。
オコゼ (こいつはひでえー顔だ!)

<オコゼの毒>
オコゼもすこぶる旨い魚で、顔はもとよりその風貌は海のホームレス(一昔前の)とでも言おうか、薄汚い体表に無数のボロ布を着けているようだ。一度日本海から取り寄せたことがあったが、背びれは処理済みで送られた風体をを見たときはこいつが食えるのかと一瞬たじろいだが、刺身、唐揚げは絶品だった。
 

オニオコゼ類の毒腺はカサゴ類のそれよりも遥かに発達しており、毒性も強いのでより要注意である。毒はハブ毒の81倍の強さを持つことが報告されていて。西インド洋でかなりの死亡例があったと言われている。医療事情が悪いことも原因だと考えられるが。刺傷事故が多く危険で有るためオーストラリアでは抗毒素が作られているほどである。
岩のような鬼ダルマオコゼ、魚類最強の毒を持つ

以前沖縄・名護市の海岸でスクーバダイビングの講習中、「オコゼ」に刺されて死亡したという記事もあった。これは背ビレのトゲに猛毒があるオニダルマオコゼでどうやら素足で踏んだらしい。


ゴンズイ

<ゴンズイ>
ナマズの仲間で背鰭と胸鰭には、刺があり、刺されると猛烈に痛いので漁師はあまり相手にはしないようだが、一度東伊豆で食べたゴンズイの蒲焼はうなぎとまではいかないが、脂がのって美味かった記憶がある。堤防などで釣れる魚で、小学生の頃
周りの大人がこいつはヤバイから触るなと聞かされたものだった。毒の強さは猛毒で、大人でもあまりの痛さに真っ青になって病院に駆け込んでくるケースも多いが、冬場の味の良さは意外と知られていないようだ。

悪相、猛毒、美味。なぜか三拍子揃った魚を求めて、今日も釣り場をさまよう馬鹿がいる。

2012年8月7日火曜日

食物連鎖の果て



ブリューゲルの「大きな魚は小さな魚を食う」と題したこの版画は、、当時のフランドル地方でよく知られていたことわざををテーマにした大作で、人間社会の弱肉強食を投影したものだ。
この絵の中心には、巨大な魚が大きな口をあけて、小さな魚を吐き出している。また鎧兜をまとった人物がナイフで大魚の腹を裂くと、中からやはりたくさんの小魚が踊りだしてくる。これは、驕れるものはいつかは自分が迫害される立場に立つということを、図像学的にアピールしているもので
、同じオランダの大画家ヒエロニムス.ボスなどが好んで描いているモチーフの一部でもある。
ところで食物連鎖の頂点に立っている人間が今や、魚にしっぺ返しを食らう状況になっているのが今の日本でもあり、この絵とは真逆のイメージが浮かんでくる。

この6月には神奈川県川崎市川崎区殿町先の多摩川河川敷の土壌から1キログラム当たり約2万7000~2万1000ベクレルの高濃度の放射性セシウムが検出されていたことが分かった。
また京都大学防災研究所のグループは、福島第一原発の事故で関東に降った放射性物質などの調査データを使い、東京湾に流れ込んで海底にたまる放射性セシウムを、事故の10年後まで予測するシミュレーションを行った。
その結果、放射性セシウムの濃度は再来年(2014年)の3月に最も高くなり、荒川の河口付近では、局地的に泥1キログラム当たり4000ベクレルに達すると推定されるようだ。これは、ことし1月に福島第一原発から南に16キロの海底で検出された値とほぼ同じで。再来年の4月以降は、周囲の河川から流れ込む放射性物質が減る一方で、拡散が進むため、濃度は徐々に下がるとしている。

比較的濃度が高くなるとみられる東京湾の北部では、平均すると海底の泥1キログラム当たり300ベクレルから500ベクレル程度と計算されたということだが、根魚はもとより小魚を食すヒラメや川を登るスズキや大型の回遊魚なども影響は出るだろう。江戸前の魚が安心して食えるように、今後2年間は偽りのない検体検査の結果を国や漁業組合に頼ることなく、中立公正なな検査機関が公表してもらいたいものである。

2012年7月26日木曜日

ネット社会のうらおもて

7月16日 代々木公園
3月11日の東日本大震災からすでに1年4か月が経過した。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日本国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所~表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。ようやくデモの少ない日本でも大規模なデモが盛り上がってきた。

脱原発運動では、日本でこれまで最大の17万人が参加して「さようなら原発集会」が7月16日、東京・代々木公園で開かれた。猛暑にも関わらず、会場には家族連れや団体、グループ、個人で、北海道から九州、沖縄、そして海外からの参加者が、朝早くから続々と集まった。そして7月20日の首相官邸デモではあのルーピー鳩山が参加するといったギャグのようなサプライズもおこった。


そんな折に東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故で、日本の国会の事故調査委員会は5日、事故原因に関する報告書をまとめ、緊急事態への適切な対応などを欠いた「明らかな人災」との見方を示した。
 人災をもたらした責任は、東電や原子力行政当局、日本政府にあると結論付け、対応の遅れは「日本の特質」にもあると指摘。
「日本製」の災害と形容し、上部機関当局に疑問をぶつけることをためらい、プログラムの手順に固守する風土などが災害拡大を招いたと主張した。今や福島の問題が解明解決しないまま、原発再稼働に踏み切る国に対して多くの国民がNOを突きつけている。
このように反原発脱原発運動は、ネットを通じて拡散、拡大化していき、あらゆる反対運動は内外を問わずネットという武器を得て民衆に浸透していく。まさにアラブの春が広がったように、21世紀のネット社会は独裁国家をも揺るがしていく。


その一方でネットはその匿名性により無責任な発言や誹謗中傷に至るまで、ありとあらゆるものが垂れ流されている。匿名という鎧を付けて人は非日常的な発言や傲慢な行動を目論む。私は非人称である匿名の物言いは信用しない。なぜなら匿名という仮面に隠れた相手には名指しで批判されることもなく、言ったことに対する責任も及ばないからである。そのため有害無害を問わず無責任な便所の落書きのような書き込みが多いのもネットの別の一面である。

2012年7月21日土曜日

近頃思うこと


最近些細なことでカッとして人を刺したり、駅のホームで人を突き飛ばしたり、大声で怒鳴り合う風景などを通して、現代の日本のストレス社会が生み出す社会現象が論じられている。その短絡的で理不尽な事件の多いことで受け取る側も、またかと日常的な事象としてやり過ごす。その背景には最近の国内経済の悪化と共に若年層や30代40代に至るまで、その生活環境は厳しさを増していることが伺える。鬱積していた不満や怒りが臨界点に達したときに,他者に対する攻撃がはじまる。事件を起こした連中の決まり文句は、「誰でもよかった。」である。犠牲者は各地で増えているが、この通り魔的な犯罪と対極にあるのが、全国的に非常に多い公立学校のいじめ問題である。最近報道された大津中学校いじめ事件は衝撃的だ。

荒廃していく教育現場

いじめには「誰でもよかった」ではなく、自分より弱い者に攻撃の矛先が向かう。その根底には人間のもつ潜在的な支配欲が働き、自分の手中で弱者をもてあそび自由に操作するメンタリティが、類が友を呼んで、狭い学級空間の中でいじめはさらにエスカレートしていく。そしてそれが恐喝および金品の強奪まで発展し、最悪は被害者を自殺に追い込む、まさに加害者は学校社会から逸脱した一般社会の犯罪予備軍である。同時に学級教師の学級統治能力のないことや、校長ー教育委員会ー文科省と続くシステム(一般社会と隔絶した風通しの悪いムラ社会)の欠陥が招いた悲劇でもある。その構造は原子力村が身内で保安院や安全委員会を運営しているのと同じである。

文科省が掲げたいじめの半減目標を定めた成果主義によって、各学校や教師の査定をすることにより、実際はいじめが増えているのにいじめが存在しないように取り繕うため、臭い物に蓋をするだけで臭いのもとを根絶する気概が学校も教育委員会もない。そこには自分たちの点数を下げないためにいじめを隠蔽する体質が肥大化した姿しかない。事が取り返しのつかない事態になり公表されると自己弁護に走る姿は報道を見てのとおり。この間警察に3度の被害届を出した親も警察に却下され、事態が訴訟問題にまで及んだため警察も重い腰を上げた。ストーカー事件で懲りない警察の姿が再び浮かび上がる。市民の命を守れない警察も、子供たちの命を守れない教師も情けないかぎりだ。


上の画像は学校が取ったいじめアンケート内容の概要と、これを口外しないことをアンケート提示の条件にした学校側の親への確約書である。いずれもひどい内容でとても容認できない人権侵害の結果である。もはや学校も教育委員会も知らぬ存ぜぬでは済まされない事態になった。

大津市の越市長はこれまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示したことは一歩前進である。
背景にある小中学校の教職員の実態は、都道府県がその給与を負担しているために都道府県の職員である。極論すれば公立の小中学校は市町村の管理を受けない治外法権の場と化している。これに市長はメスを入れたのだ。 

 文部科学省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校という中央集権的教育行政の人達では、いじめ問題を解決することは不可能で、そろそろ国も予算を組んで外部の監査機関を設置し市町村に小中学校の教育統治を委託したらどうだろう。明日を担う子供たちの心の荒廃を広げないためにも。




2012年7月10日火曜日

看板


五月に約束していた土肥港のとびしま丸の看板が出来上がったので、船長に送った。古来看板にはいろいろな形態があるが、主なものは屋号や組織名が書かれたものが多い。書体もいろいろあってすぐに看板主が分かるものから、屋号から業種を想定するものまで多種多様である。右の写真は私どもの工房の看板で、作成してから8年ほど経っている。
看板にまつわる言葉も巷には少なからずある。看板娘、看板役者、看板商品、看板メニュー、看板教師、看板事業、おっと、忘れてはならないのが民主党の看板(マニフェスト)だ。看板に偽りありとはよく言ったものだ。


看板メニューがことごとく消され、最後に残った民主党の文字も薄くなり、看板自体も下ろさざるをえなくなってきた。これだけ虚偽の多い政党も珍しい。
国民を馬鹿にするのも程々にしてもらいたいものである。「口に言うは易し行うは難し」で、政治は結果責任を取れなければ退場しかないだろう。マニフェストを作った小沢も反小沢も同類のレッドカードだ。三代続いたリーダーの体たらくに国民は愛相もクソも着き果て政局は混沌を極める。カオスから新党が生まれ、やがて離散を繰り返す。この国は何かが欠落しているようだ。
対外的に見ても顔(看板)のない国、日本。聞こえてくるのは国民のため息と官僚の高笑いだけである。