2011年9月28日水曜日

アートな話「横浜トリエンナーレ2011」



横浜美術館で開催中の 横浜トリエンナーレ2011に足を運んだ。この美術展の名称はイタリア語で3年に1度開かれる美術展のことで世界中で開かれているものである。日本のナショナルプロジェクトとして、世界の優れたアートを国内外に発信することを目的に、2001年から始まった。
今年で10年目、第4回目の開催であるが、内外60人以上の現代アーチストの作品を日本で、あるいは日本から発信するこの美術展は、映像メディアを駆使した作品から近代絵画やコブト織りのような歴史的作品や、あるいは展示の多くを占めるインスタレーションアートまで制作年代も素材も異なる多種多様な作品群で構成されている。

(注)インスタレーション
インスタレーション (Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インスタレーション)こともある。
 空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。最初はおもに彫刻作品の展示方法の工夫や、ランドアート・環境芸術の制作、パフォーマンスアートの演出に対する試行錯誤から誕生したが、次第に彫刻などの枠組みから離れ、独自の傾向を見せるようになったため独立した表現手法として扱われるようになった。  (ウィキペディア)

コンセプチュアルアートあり、シュールあり、古今東西の名画ありで美術館自体がアート曼荼羅のルツボの様相を呈している。もっともこの展覧会のタイトルは「OUR MAGIC HOURー世界はどこまで知ることができるのか?」ということで世界や日常の不思議(非日常)魔法のような力、神話、伝説、アニミズムなどを基調とした作品が目に付く。人類を進化させてきた科学や理性では解き明かせない領域に目を向けること、すなわちアートのイリュージョンの前に立たされた入場者は、個々の感性、解釈に身を委ねることになる。作品の前では鑑賞者は自由であることを自覚する。

21世紀になって、高度な科学技術の進歩により、インターネットなどのメディアは広がりを見せ、世界の隅々まで文字通りエクスプローラー(探究者)によって明らかにされてきたものの、我々を取り囲む世界は不思議が一杯である。
さて今回、トリエンナーレの会場は横浜美術館と日本郵船海岸通倉庫の2箇所だが、時間がないので倉庫の方は日を改めて観ることにした。迷宮の扉を開くと、インスタレーションの数々が展開を始める。特に目を引いたものを順次紹介すると、最初は私の好きなシュールなご両人、片や石田徹也とルネマグリットの作品が肩を並べ、新旧のシュールリアリズムを見た。

続いて横尾忠則の部屋<黒のY字路>もともと通俗的な作風の作家であるが、画家に変更後、持ち前の明彩色でY字路シリーズが際立っていたが、ここにきて一変どんよりとした陰鬱で冥府の入口のような作品が10数点、右を見ても、左を見ても暗くて混沌とした現代を暗示しているような作品群に圧倒された.Y字路は横尾が少年時代に脳裏に焼き付いた原風景を執拗に描いたものであるが、
前作は左右に分かれた道に選択の余地はあったはずだが、今回の作品は、右も左も闇の中に消え失せどちらも行き着くところは同じという絶望感さえ漂ってくる。
次の横尾の言葉はこの作品を物語っているのではないだろうか、、、?「見えないものを見えるように顕在化するのは美術の力であるが、ぼくは見えないものをわざと見えるようにする必要はない、見えないものは描く必要がないという考えに変ってきた。」




最後に目を引いた作品は、ライアン・ガンダー/Ryan GANDER「何かを描こうとしていていたまさにその時に私のテーブルからすべり床に落ちた一枚の紙」長ったらしいタイトルであるが、この部屋では床一面にガラス玉が散らばって置かれていて、背後に別の作家のシャボン玉の飛んでいる映像が、クローズアップされた状態で映し出されていた。
外見が同じように見えても、質量の違いは歴然としているのに、あたかも画面からシャボン玉がこぼれ落ちたかのようなイリュージョンを体験する。

現代アートが現代の状況を反映する鏡であるのなら、今の日本で起きた大震災を、何らかの形で表現する作家がいても良かったのではないかという思いがした。もっと日本からのメッセージを世界に発信してもらいたいものである。

会期:2011年8月6日(土)- 11月6日(日)
 会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域

2011年9月16日金曜日

日本経済への警鐘


属国として米国債を買い支え、ドル防衛役を担い続けてきた日本の「マネー敗戦」構造を明らかにした吉川元忠元神奈川大学教授の遺作 国富消尽 (対米隷従のはてに)を読んでみた。「国富防衛」「対米自尊」の思想を説き続け,日本人に警鐘を鳴らした孤高の碩学・吉川元忠氏の遺作。


本編は7章からなっている。

1.着々と進む日本企業買収の環境整備
日本企業を傘下に支配し、利益を本国に吸い上げることしか眼中にない米国によるM&Aの危うさ。

2.外資によるM&Aの新時代
ヘッジファンド(乗っ取り屋)も格付会社も野放し状態。
金融面で米国が必ず勝てる制度を設計し、グローバルスタンダードと称して世界に押し付け、日本における市場開放と規制緩和や構造改革を迫る。

3.郵政民営化の真実
狙われる日本の個人金融資産
民営化ビジネスはウオール街の金のなる木、
全て外資に買収された破綻生保会社

4.深く静かに進む米国の日本改造
司法、医療、教育まで米国化されるのか

5.アメリカの対日圧力を振り返る
それは日米構造協議から始まった。
中曽根政権の対米協調制作がバブルの原因
富を創造出来なくなった米国の疫病神投資ファンド(ハゲタカファンド)

6.21世紀の日米金融バトル
日本はマネー敗戦の構造から抜け出せるのか、為替差損に構わずドルを支え続ける日本
日本の財政赤字を増やして円売りドル買いによる米国の赤字を埋める異常な構造
各国のドル離れが進行し、金融市場にドル暴落並びに米国債のデフォルトが囁かれているなかで日本だけがババを引かされる可能性が高い。

7.日本のポスト.グローバリズム戦略
日米基軸、対米協調以外の選択肢はないのか
対米依存度を低減すべき

最後に「集団主義的価値観が日本の強みとしてあったものが、精神構造までアメリカナイズ され、集団への一体感と忠誠心の喪失と帰属意識の希薄化が進む現状から立ち直るには、 米国的価値観への迎合から決別し、我々の父祖たちが築き上げてきた歴史と伝統の価値を再発見し、日本人が自信と誇りを取り戻す以外にない。」と締めくくっている。

米国国債
わが国の米国債保有状況

日米関係評論家・副島隆彦氏の試算では日本の対米ドル債権累積は官民にて総額700兆円から1000兆円規模(米国債およびドル建て金融商品含む)に達するようであるが、正確な実態は公表されないので不明である。
日本と並び、中国も大量の外貨準備金(3兆ドル規模)を保有しているが、対米輸出で得たこの豊富な米ドルで、世界中の油田利権や鉱山利権獲得に多額投資している。すなわち、第二次世界大戦戦勝国・中国は、手持ち米ドルを有効に活用している。
ところが、第二次世界大戦敗戦国・日本は今なお、米国の属国であり、日米間の暗黙の取り決めによって、手持ちドルを米国政府の了解なしに勝手に使えないよう縛られている。
その証拠に、日本のもつ米ドル資産(外貨準備金)は、財務省の公表している分だけで、1兆ドル強(1ドル80円で80兆円)もあるが、これほどのドル安でもこの米ドルが売られていない。それどころか、逆にドル買いオペをやって、米ドル相場の暴落を阻止しているほどである。

したがって、日本の場合、実質的に、国富が一方的に日本から米国に垂れ流され続けるわけである。皮肉なことに、日本の対米ドル債権が膨らめば膨らむほど、日本は米ドル相場を維持するために、米ドルの買い支えを永遠に続けざるを得ないわけだ。一方、米国は膨大な対日負債を返済しないよう、日本を永久に属国化し続ける。

円高が止まらない

今、足もとで急速に進む円高が、わが国企業の収益状況に大きな影響を与えている。
8月下旬に行なわれた経済産業省の調査結果では、現在の1ドル=76円近辺の円高水準によって、大手製造業の15%が前年対比20%以上の減益になり、それ以外の61%の企業が20%未満の減益になるという。それに対して、多くの企業はコスト削減で対応するとの方針を立てているものの、コストの切り詰めには限界があり、今後、海外からの部品調達や、海外の生産拠点拡大を行なわざるを得ない構図が浮き彫りになる。

産業の空洞化・雇用機会の海外流出の懸念を抱えているのは、わが国ばかりではない。ある意味では、人件費が相対的に高い主要先進国が共通に持つ課題と言えるだろう。
2009年度の内閣府の統計ではGDPに占める第1次産業(農業、漁業など)のシェアは1.4%で横ばい。第2次産業は、建設業のシェアが上昇したものの、製造業のシェアが低下したことから、23.8%となり5年連続の低下。第3次産業は、、卸売・小売業などのシェアが低下したものの、サービス業などのシェアが上昇したことから、74.9%となり5年連続の上昇。

この製造業に関わる問題点をあげてみると、以下の理由から工場の海外移転が進んでいる。

1. 人件費は世界一高い。コストダウンも限界を超えつつある
2. 法人税率も40%で世界一
3. 改正労働者派遣法などで人材・雇用の柔軟性が失われた
4. 為替は史上最高レベルの円高
5. 土地の使用や工場の建設などの規制がきつい
6. 国内市場は衰退の一途、人口構成から見ても回復の見込みがない
7. 電力供給に赤信号、使用制限令が発動されている

中規模以上の企業は海外展開が今一番の課題になっている。特に製造業は、その傾向が顕著である。現在、日本の製造業の生産は約30%が海外に進出している。10年前には20%程度だったものが、ここ10年で海外進出がどんどん進んでいることが分かる。このままでは今後、ますます産業の空洞化が広がっていくだろう。
技術大国として世界を引っ張って行かなければならない我が国、またその使命を担った製造業にとって上述したことは由々しき問題であると同時に、日本経済の牽引力でもある工業力を弱めてはならない。

2011年9月11日日曜日

賞味期限、消費期限

Windows7

最近使用しているノートパソコンの調子が悪くなり、新しいものに取り変えた。2000年から始めたPCであるが、window98、XP、VISTA、と足掛け4台乗り換えたわけであるが、その都度の設定もめんどくさいものである。互換性のないソフトの入れ直し、バックアップデータの引越しやその他諸々の作業等々やることは多い。なにやらwindows8なるものも来年出るようだが、いい加減にしてもらいたい気分だ。タッチパネル方式はアップルに任せればいいと思うのだが。

PCの消費期限(寿命)もそんなに長くはないが、今回のVISTAは4年でパンクしてしまった。PCの修理も3~4万かかるので、値下がりの著しいPCを購入したほうがより良いスペックの機種が選べるので、この際私とカミさんのPCも各々別に2台買い換えても15万でお釣りが来た。いずれも愛用の東芝ダイナブックであるが、XPの時は18万で購入した記憶があるが、現在のPC市場は飽和気味で上級クラスでもかなり安くなっている。日本の場合PCの普及率が60%台と以外と低い。この際カミさんにVISTAを修理してもらって使ってもらうつもりだったが5万そこそこで買えた。

 さて我が家にも消費期限の迫っている92才の親父が約1名いる。(笑い)
日頃から健康に留意し、健啖家であるから我々と同じものを食べている。自分のことは棚に上げ、口癖はカンズメに至るまで賞味期限、賞味期限とうるさい。人間は死に向かって自身の肉体を含めあらゆるものを消費していく。ここでいう賞味期限とは食品が美味しく食べられる期間のことで、食べてどうのこうのというものではなく、安全性が云々されるのは消費期限である。足腰が不自由になっている以外は至って健康で、定期健診のデータは私よりいいので、まだまだ長生きしそうである。

民主党の消費期限
野田内閣
複数政党の寄り合い所帯が明白になった民主党代表選、民主党の代表選は、結局のところ親小沢か、反小沢を軸に決まったようなもので、野田内閣の顔ぶれを見るとライト級ではあるが、両陣営ほどよく配分された感がある。政権交代以後、党の綱領亡き民主党の迷走がはじまり、鳩山,菅、野田と安倍内閣以降1年の消費期限内閣が連綿と続く。極左グループから、旧社会党、中道、自民からの離脱組を抱え、野合の衆の民主党は政治公約の全面見直し、4年間は上げないといった消費税増税、その他を反古にした。新しい代表を選んで挙党一致を叫んでも、重要課題に望む原則が曖昧では、また迷走がはじまりかねない。果たして野田内閣の消費期限は?
参議院の権力が大きいことも禍して衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造の中で、今後民主党が政権を続けても自民党に政権交代をしても両党とも「ねじれ」を解消するのは容易ではない。国民が選挙で作る権力は常に非力で、これは官僚権力にとって望ましい状況である。
各省庁の官僚はその道のエキスパートで1~2年の大臣とはキャリアが違う、彼らを使いこなすことが菅内閣では出来なかったし、信頼関係もなかった。
日本には律令制以来官僚機構の運営については千年以上の歴史と蓄積があるが、それが今日の日本を築いてきたことも否定できない。

戦後の日本は政治も経済もアメリカの指示通り動かされてきた、いわばアメリカの隷国である。特に日本の歴代首相は親米以外生き残れない、田中角栄はアメリカを無視して中国と国交を回復したリ、アメリカメジャー抜きの中東原油輸入を企てたりして、虎の尾を踏んだためにCIAの仕組んだロッキード事件で失脚させられた。自民党の保守本流の中枢を歩んできた小沢一郎も親分田中の辛酸を見てきた。そのためアメリカの恐ろしさを知ってか、1989年のバブル期に経済で日本に足元をすくわれたアメリカが日米構造協議なるものを開き、我が国に露骨な要求をしてきた、それを容認したのが小沢一郎で、それ以降年次改革要望書なるものが毎年アメリカから突きつけらる道筋を作ってしまった。
周知のように米国の要求は日本型システムそのものを構造問題として糾弾し、自国のシステムをグローバルスタンダードと称して日本に押し付ける内政干渉であって、政府は唯々諾々と受け入れてきたが、それが年次改革要望書を介して、以後日本を米国型に構造改革するための要求が際限なく突きつけられてきた。
そんな小沢もそろそろ消費期限が近づいている。民主党内の左翼に毒されたのか中国に議員団を引き連れたり、選挙に勝つためには地域労働組合の自冶労や日教祖と手を組んだりして不可解な動きが目に付く。混迷する今の政治を見渡すとため息の出ることばかりだ。