2013年10月18日金曜日

日本の使命



小泉純一郎元首相が10月16日、千葉県木更津市内で講演。「日本は原発ゼロで十分に経済成長できる」と強調した。10月1日の名古屋での講演に続いて、日本が脱原発の方向に進むべきだと強調したことが波紋を読んでいる。
未だ国民的人気の持ち主であることによって、この発言の大きさは多くの国民に眠っていた脱原発の意識が蘇ってきた。小泉氏がフィンランド視察後に、脱原発に積極的になった理由は、ドイツやフィンランドの「オンカロ」という最終処分場を視察した結果、日本の核のゴミの最終処分法に打つ手なしとの結論に達し、「核のゴミを処分する場所の当てもないのに原発を進めていくのは、無責任ではないか」という発言に政府も原子力村も当惑している。

安倍政権の原発政策は、基本的には民主党政権の「何となく再稼働」路線を踏襲してきた。民主党政権は、脱原発を唱えながら再稼働を容認するという邪道を選んだが、この前政権の道を安倍政権は当然のように進みながら、次第に原発事故以前の路線に戻りつつあるように見える。 小泉元首相の弟子のような安倍首相にとって耳の痛いところであろう。この発言を無視したり、軽視したりして済む立場ではないことは二枚舌の安倍首相も分かっていることだろう。
今回の小泉発言は、この「何となく再稼働」路線に大きな転換を迫るものである。既に廃炉に向けての膨大な費用と損害賠償で東電は企業としてはすでに死に体であるにもかかわらず、安倍首相は、17日の衆議院本会議で東電を法的に破綻処理することに否定的な考えを示した。「東電は引き続き民間企業として損害賠償、廃炉、汚染水対策、電力安定供給などを確実に実施していくべきだ」と述べた。

 折から東京オリンピックの開催決定によって、日本の原発政策は今まで以上に国際的関心事となり、少なくとも開催までの7年間は、世界が常に日本の原発の動向を監視することになった。言わば、日本の原発政策は特別厳しい国際監視の対象となったのである。日本の既定の原発政策はこの監視に耐えられるのだろうか。


電気事業連合会などによると、国内にある使用済み燃料は2012年九月末時点で、少なくとも1万7千トン以上。電力会社は各原発の原子炉建屋内にある燃料プールでほとんどを貯蔵しているが、東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽、九州電力玄海、日本原子力発電東海第二でいずれも占有率が80%以上を占め、限界に近づいている。
  
 青森県六ケ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(再処理工場)にも容量3千トンの一時保管スペースがあるが、再処理事業の遅れで各原発から持ち込まれる使用済み燃料がたまる一方。今年9月の時点で貯蔵量は2,945トンに達し、占有率は98%に達した。 原発の燃料プールと六ケ所村の保管スペースを合計した貯蔵容量の73%が埋まり、原発が順次再稼働した場合、数年後には満杯になる計算だ。
  
 日本は、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを高速増殖炉で燃やす核燃料サイクルを原子力政策の要としているが、再処理は技術的なトラブルが相次ぎ、いまだに事業を開始していない。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も1995年のナトリウム漏れ事故後ほとんど動いていない。高レベル放射性廃棄物の最終処分では場所すら決まっておらず、使用済み核燃料が国内の貯蔵能力を上回れば、事実上、原発の運転が不可能になる。


  京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)は「再稼働すれば行き先のない核のごみは増え続けるばかりだ。全体のグランドデザインをしっかり考える人がいなかったのではないか。これ以上、原発を再稼働させるべきではない」と、核のごみを放置し、原発を増やし続けた国や電力会社の姿勢を批判している。


過去に「産業革命」と言える構造転換は、およそ100年周期で3度存在した。いずれも、その時代を牽引する新しい"エンジン"が社会のパラダイムを大きく変えてきた。すなわちジェームズ・ワットが1769年に開発した「蒸気機関」によって石炭の大量消費が始まり、紡績、船舶、鉄道を中心とした一番はじめの「動力革命」。
続いて2番手は1885年にダイムラーが開発した内燃機関によって、鉄鋼や自動車を中心とした「重化学工業革命」が起こり社会インフラが飛躍的に発展した。
20世紀後半に入ると、第3の革命(情報革命)がはじまる。1971年にインテルが発表した世界初の「情報機関(エンジン)」であるマイクロプロセッサーの登場、さらには1990年代初頭に起きたインターネットの劇的な発展によって、デジタル技術による「情報革命」が起こった。この結果eコマースをはじめネットワークを利用する様々な新サービスが産声を上げ、情報産業は瞬く間に超巨大産業へと変貌をとげた。

そして21世紀の第4の革命が環境エネルギー革命である。福島の悲劇を目の当たりにした世界は原子力に変わる次世代エネルギー開発にしのぎを削り、加速度的にその実現のためのプロジェクトを立ち上げている。そのトップランナーとしての宿命を負わされた我が国は、科学者の持てる英知をフル稼働して革命的なイノベーションを産み出し、未来につないでもらいたい。


2013年10月16日水曜日

米国のチキンレース


民主党のオバマ大統領と共和党ベイナー下院議長

先に当ブログ(2013年3月◆錬金術は止まらない)で書いたアメリカの財政問題が再び取り沙汰されている。米国では政府債務の上限(政府が借金できる金額)があらかじめ決められており、これをオーバーすることは許されないことになっている。借金が上限に達した場合には、そのたびに議会の承認を受けて国債を追加発行しなければならないのである。
今年も後半になった現在の債務上限額は約16兆7000億ドル(1630兆円)であるから、またまたこの問題が浮上してきて、上院下院共々腹の探り合いをやっている。経済は年々拡大していくので債務を歳出の一定割合にとどめていても、金額の絶対値は自然に増えていくので、債務の上限は割合ではなく金額の絶対値で規定されているから、米国では毎年のように上限の改訂をしなければならないことになっている。現在の仕組みがスタートした1940年以降、すでに90回以上も債務上限を改定していて、いわば年中行事である。

ルー米財務長官は先月25日、現在16兆7000億ドルとなっている連邦政府の債務上限を引き上げなければ、10月17日に米政府の手元資金がほぼ底をつくという見通しを明らかにした。同長官はベイナー下院議長はじめ議会指導者に、債務上限引き上げを無条件で即時承認するよう要請した。共和党は歳出拡大に強く反対する立場から、債務上限の引き上げ幅と同じ額の歳出カットや医療保険改革の修正を求めている。
 現在議会の与野党対立で17日の期限までに債務上限引き上げが実施されないと、米国債の利払いなど「支払い義務を履行するのは不可能」になり、債務不履行(デフォルト)に陥る危険性が指摘されている。このことは米国債の信用失墜、金利高騰、ドル価下落、金融市場の凍結、株式市場大暴落などが懸念されているので、G20各国も米国に事態の修復に関して11日、20カ国・地域(G20)声明に、米財政問題に関する文章が盛り込まれることを明らかにした。

現在米下院共和党の強硬派はあれこれ屁理屈並べて責めてはいるものの、狙いはただ一点。オバマ民主党政権が打ち出した「米国民医療皆保険制度」、オバマケアの実施つぶしのようだ。この制度は2008年大統領選挙でのオバマが打ち出した主要な公約の一つであった。2010年に成立。その後上下院の勢力が捻じれ状態となり下院で多数を占めた共和党、特に右派が中心になって強引にその実施を阻止し始めた。与野党のしのぎ合いが続き、17年ぶりとなる政府機関の一部閉鎖を開始。最大100万人の連邦政府職員が無給休暇となるほか、国立公園の営業停止も続いている。
国全体の医療費を減らし、医療をめぐる格差の実態を少しでも改善しようと打ち出したのが皆保険、オバマケアだった。だが新大陸入植時の名家名門を筆頭とする支配層。建国以来築き上げてきた軍産複合体、医療保険業界などが厳然とバックに存在する。余談になるが米国の自己破産者の4割は医療費が払えなくての破産だそうだ。カードで借金漬けの多くの国民は稼いでもその返済に追われるため、全体の消費が上向かない。

借金大国アメリカの米国債の発行残高は16兆ドル越え(約1500兆円)である。それと比較すると、日本の国民が保有する現金と有価証券総額は(約1、500兆円)で、日本の国債発行残高は、1000兆円。日本国債の95%は国内で消化されているのに比べ、他国からの借金漬けのアメリカでは、歳出削減や増税をしなくては国債発行限度額を引き上げられないアメリカの危うい現状が見えてくる。2008年にFRB(米連邦準備制度理事会)のひとつであるセントルイス銀行のエコノミストが試算では、海外でばらまいている米国債やドルなどを試算すると、153~160兆ドルにもなるそうである。この数字は米GDP(14兆ドル)の10倍以上で、もはや国家として倒産していると結論づけていた。

日本の米国債保有額は約110兆円と、中国に次ぐ世界2位の規模。民間では三菱東京UFJ銀行など3メガバンクだけでも計8兆円程度の米国債を保有しているもようだ。
米国がデフォルトし基軸通貨ドルが崩壊すれば、米国債はただの紙切れになる。こんな悪夢は見たくはないが、そう遠くない未来にはドルもユーロも基軸通貨の座から転がり落ちる可能性は否定できない。そうなると決済通貨の多極化がおこり混沌とした世界経済がひろがっていくだろう。

ただ我々が意を強くするのは、国の借金がGDPの倍だと言われながらも、平成24年末の対外資産負債残高によると日本の企業や政府、個人投資家が海外に持つ資産から負債を差し引いた対外純資産は296兆3150億円あることだ。国際通貨基金(IMF)などの統計では、主要国の24年末の対外純資産は2位の中国は150兆2875億円、3位のドイツが121兆8960億円。このため、日本は平成3年以降22年連続で「ダントツの世界一の債権国」であることには変わりはないのである。それにくらべると、米国に至っては、約406兆円にも上る対外純負債国となっている。
果たして米国の終わりのないチキンレースはいつまで続くのか?.......


2013年10月6日日曜日

アートな話「木の文化」

天照坐皇大御神

2日夜、TVで20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮が行われた。遷宮とは、新しい社殿にご神体を移すことで、式年とは、定められた年という意味で、伊勢神宮では、20年に一度行われる一大行事である。20年という期間は、木造建築の耐久年限にかかわり、人間の1世代に相当し、大神の新たな生まれ変わりを意味しているのだそうだ。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、いずれも女性の神である。一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇の4年(690年)のことで、それから1300年以上にわたり続けられていて、戦国時代の一時期には中断したこともあったが今年で62回目という気の遠くなるような歴史である。世界を見渡してもこんなに長く伝承された諸祭・行事は存在しない。(ウィキペディア)
神話の世界では中国の最高神「天帝」や朝鮮の檀君(だんくん)神話の至上神をはじめ、ギリシャ神話の「ゼウス」、ローマ神話の「ユピテル」など、世界神話の最高神は皆男性である。日本の最高神「天照大御神」は女性で、世界で最高神が女性である唯一の和の国が日本である。

新旧の神殿

私も40代の頃、近所のバス旅行で一度伊勢神宮を訪れているので、ひさしぶりにTVで見た内宮、外宮を思い出した。また当時建築に使われていた見事な無垢のヒノキも印象に残っている。
この式年遷宮には、65の社殿などを造り替えるだけではなく、約1600点にも及ぶ御装束神宝も新調されるそうな。この社殿を新しく建て替える技術の伝承だけではなく、神の衣装や正殿を飾る装飾や器物等の製作とその人々の伝承によって、日本固有の文化の継続と伝承が成り立っている。
その準備に8年もかけ、費用も約550億円かかるそうで、全てが神宮の資金や寄付などで賄われるようだ。この行事、20年ごとに一新することで、神様の瑞々しさを保つ「常若」の精神があり、これによって国の繁栄と国民の幸せを永続的に願っているという意味があるらしい。
この遷宮で必要なヒノキは、本数にすれば1万2千本という莫大な量を確保することで、そのためにも、毎年伐採した量に匹敵する苗を植え、200年先を見通した植林を行っている。古くなった材木は、宇治橋や全国の神社に寄贈され、今年は、東日本の被災地で神社の再建を考えているところに優先的に送られるそうだ。ヒノキは湿気などからくる腐りに非常に強く、強度も長年落ちないし、加工しやすく材の狂いも非常に少なく殺菌、駆殺虫の作用があり、彫刻材としても知られている。 国土の3分の2は森林(森林率67パーセント)である我が国は、理想的な樹木の育生条件の整った国である。温帯から亜熱帯まで多様な樹木が生育し、日本独特の 文化の基本となっているスギ、ヒノキ、ヒバ、がある、また我々が使っている広葉樹のカツラも特産である。

神社仏閣多重の塔など木造建築は日本特有のものが多い。昔大陸などから流入してきたものが日本で独自の発達が なされたものである。それらの建造物は日本に優れた木が豊富であったことが発達の理由に挙げられる。棺にはコウヤマキ、スギ、クスノキは住居、船材に、 ヒノキは建築用材と神代の時代から決まっていたことが古事記、日本書紀などにも記載されている。
歴史を遡ると、鎌倉時代には寺社の木彫刻が盛んに行われ運慶、湛慶など優れた彫刻家 が現われて仏像や仁王像など傑作を残しているが、材はカツラ、クス、ヒノキ、スギ、ケヤキなどが使用された。生地、乾漆像、漆塗、金箔なども盛んに使用 され名工たちが技術を競った。飛鳥、天平の金銅鋳造美術から木彫刻に移行したのは日本民族の木と関わりの深い生活と環境に影響されているように思われる。
太古の日本人というのは、自然の中に叡智があって、人間はその叡智をくみとって生かされていると考えていた。神様というのは伽藍の中にあるものではなく、ふらふらと自然の中にあって、雲の上を飛んでいたり、稲のそばにしゃがんでいたり、海の中に沈んでいたり、いろいろなところにいると考えられていた、いわば八百万の神様である。
自然との共生を魂に秘め、森林を守ってきた日本民族は、無節操に森林を伐採して行き、やがて国土の荒廃から文明が滅亡していく歴史上の世界の数々の国を尻目に、我が国独特の文化と精神を育んできた。木というものはその象徴でもある。