2013年5月25日土曜日

諸刃の剣

マイナンバー法成立

今月国民一人ひとりに番号を振るマイナンバー法が衆議院を通過し,5月24日、参議院で可決、成立した。2016年から、国民一人ひとりに住民基本台帳に基づく番号を割り振って、年金、医療、介護保険、福祉、労働保険、税務の6分野での活用によって、番号制度が始まる。このマイナンバー制度が導入されると、全国民にマイナンバーは付き、中長期在留の外国人や法人にも番号が付けられることになる。そして、この番号をキーにして、おもに納税額や年金・介護の保険料納付状況などの個人データを引き出し照合するのが共通番号制の仕組みで、政府はこのマイナンバー制度について、各個人の所得水準や年金、医療などの受給実態を正確に把握し、効率的な社会保障給付を実現することを目的とするとしており、行政事務の簡素化、効率化や、生活保護の不正受給や脱税の防止効果が期待されるとしている。

東洋経済
個人個人に生涯変わらない番号が交付され、それを活用することにより、本人の申請を前提にしたこれまでの行政サービスの在り方をかえ、国民に利便性の高いサービスを構築することができるようになると、表のような結構尽くめの説明をしているが、国による個人情報全般のコントロールと運用するIT世界のセキュリティーの問題による個人情報の流出漏洩や詐欺などに悪用される懸念も払拭できない。情報の利用範囲を見極めるのが、情報の垂れ流しを防ぐひとつの方法であるならば、国も厳格な指針を示さなければならないだろうし、国民の大多数はその仔細な中身は理解していない。

まず基本的人権であるプライバシー権の核心は、情報主体の「事前の同意」による自己情報の確認と、個人個人が自己情報の利用について認識し、それを受け入れていることが前提にある。
 確かに番号制が導入されれば、税や社会保障分野での行政手続きが簡便になり、業務も正確になる。縦割りの行政組織に横の連携がつながり、事務効率が格段にあがるだろう、その一方、本人確認のしやすさとか、行政の効率性向上とか、管理する側の理屈ばかりが先走り、肝心の国民の受益がはっきりしないとの懸念の声もある。
日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民基本台帳カード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関して縦割り行政で非効率で、あらゆる行政サービスを包括する身分証明書は現在のところ存在せず、これは先進国としては珍しいようだ。 世界ではIDの名称は変わるものの、多くの国が導入している。

すでに早くからソーシャルセキュリティーナンバー(社会保障番号)制度を導入している「マイナンバー先進国」のアメリカでは、不法移民が職を得るために盗んだり、死んだ家族に成り済ましてナンバーを使い続け、年金を受け取るなど、いわゆるID詐欺も多く起きていて、全米で年間1,000万人が被害に遭い、過去5年間、全米で最も多い犯罪はID詐欺となっているようで、利便性の影に失うものも多くある。
わが国政府は番号の当初の利用範囲は社会保障と税、災害対策に限定するとしながらも、施行から3年後をめどに範囲拡大を検討しているようだ。そうなれば情報流出などのリスクもさらに高まり、広い意味での国家安全保障のためにも、リスクとしての個人情報は分散しておくべきで、行政への情報一元化は、情報漏洩や制度悪用に行政側が万全を期さないかぎり諸刃の剣になる。

2013年5月20日月曜日

因果な話

   
鎌倉文学館
 
毎年連休の混雑を避け連休中は程ほどに仕事をして、5月の後半に出かけるのであるが、昨日は、鎌倉は長谷にある近代文学館に行った。カミさんがバラを見たいということでお供したのだが、バラ園自体は、広大な敷地の一角にこじんまりと収まっており、狭い敷地にこれでもかと植え込んであったので、個々のバラ同士が喧嘩をしているようで、もう少しスペースを考えて造園すればいいのにと思った。日曜とあって結構人で賑わっており、目的地までの海岸線は相変わらずの車の渋滞が続いていた。

本館は旧前田侯爵家別邸とし明治期に建てられ、、旧加賀百万石・前田家の第16代当主・前田利為(まえだ・としなり 1885-1942)を経て、戦後は佐藤栄作元総理の別荘使用後に鎌倉市に寄贈された経緯を持つ。建物と周りを取り囲む広い敷地と静寂な環境と、三階建ての豪奢な住空間は古き良き時代の雰囲気を醸し出している。


太宰治の晩年の原稿
館内では、文字通り鎌倉にゆかりのある文士たち(この言葉も死語になったが)が300人以上はいるという。その中で際立った鎌倉文士村住人の著書や古い年代を感じさせる手書きの原稿用紙、または故人の愛用品などが展示されていた。今回は太宰治の特別展をやっていたが、芥川龍之介、川端康成などいずれも自殺した作家たちの原稿用紙も拝見した。我々には計り知れない作家たちの心の闇との葛藤が、原稿用紙(、そこにあるシミのついたものや、おそらくは数多くの丸めて葬り去られたもの)に思いを馳せると浮かび上がってくるような気がした。
自分で追い詰めたのか、あるいは創作上の行き詰まりから追い詰められたのかは推し量れないところだが、精神の繊細さや自我の脆弱さも少なからず関係しているのであろう。あのヘミングウエーでさえ自らの命を絶ったのだから、心の闇は他人(ひと)にはわからない。文学(小説)はその深淵な闇を照らす因果で孤独な作業ともいえるだろう。

2013年5月14日火曜日

生き様死に様

星の誕生と死(NASA提供)

人間も世界も小宇宙である。その源である大宇宙では時空を超えて多くの星が生まれては消えていく。進化した星は星の死(爆発)という手段で新しい元素を宇宙空間に作り出す。
150億年といわれる宇宙の歴史は星の誕生と死の繰り返しでもある。生命体としての人類の歴史の長さとは隔たりはあるものの 、両者の存在と無を繰り返す営みはどこか人間と似てないだろうか?人間の体の細胞も無数(60兆)の集合体である。 その個々の細胞にも、主人である人間と同じように、死の時がやってくる。

              アポトーシス                                    ネフローシス


細胞の死には、二種類の死に方があると言われており、ひとつは、細胞自身が外的な環境の変化によって、仕方なく死を迎えてしまうネフローシス(受動的な死)という死に方と、もう一つは、アポトーシス(能動的な死=プログラムされた死)と呼ばれる死に方である。 画像左はアポトーシスを起こした瞬間の細胞、右は毒蛇に噛まれて壊死したネフローシスを起こした少年の足。

アポトーシスとは、細胞が、新しい細胞や主人である生命そのものの成長のために、自ら積極的に死を選ぶような現象である。その時、細胞は、自分自身で自らを殺すための遺伝子にスイッチを入れるらしい。例えば、胎児の手は、丸い肉のかたまりとして成長し、その中の細胞が死んで脱落することによって手の形ができてくる。しかも脱落した細胞は、マクロファージという食細胞によって食べられて、跡形もなく無くなってしまう。これがアポトーシスの完璧な死の姿である。自分が死ぬことで、全体の成長を助けているのだ。
生体は生まれてから成長する過程で、不要になった細胞や害になった細胞を取り除く機構を持っている。また、成長した後も、生体を維持する上で老化した細胞やウイルスに感染したり、がん化した細胞を取り除く機構を備えていて、不要となった細胞を取り除く機構は、「アポトーシス(プログラム細胞死)」と呼ばれている。

生物の発生から進化そして老化から死に至るまで関わりを持つアポトーシス。オタマジャクシの発生に伴う尾の消失、手指形成過程における指と指の間の「水かき」の消失、などのように進化の過程に大きく関与しているということである。太古の微生物の中でアポトーシスという細胞制御機能をもったものが現れ、そして微生物はこのテクノロジーを用いて、よりレベルの高い多細胞生物への進化において、発生や変態という重要なプロセスをらくらくと制御することができるようになった。そしてそのことはとりもなおさず、より適応のレベルをあげる進化に役立ってきた。

人間の場合、新生児や胎児の卵巣には約50万個の卵母細胞があり、思春期までには約16万個ほどまでに減少する。そしてその後、1月経ごとにたった1個のみが成熟して排卵される仕組みになっているらしい。1回1個の細胞を多数の中から選んで大切に使っていく。まさに適応戦略の姿にほかならない。そして残りの卵母細胞は、やがて、アポトーシスを起こして死んでいくというのだ。



ゴドーを待ちながら S.ベケット
我々、今を生きている人間は、地球上で我々がこの世に生まれ出るために、無数の祖先たちのアポトーシス的な死があった。人間の営みは、ちょうど生というタスキをつないでいく駅伝リレーに似ている。つまり我々は、過去の人々から引き継いだ命のタスキを次の世代に、引き継いでいく使命を負っている。自分のルーツを探るとき、ただ戸籍制度が成立していない時代の確認は調査にも時間を要し、江戸時代より遡れば、寺の過去帳をよりどころにするのが実情のようだ。ただ言えることは親から貰った自分のかけがえのない命を、「一日たりとも無駄に過ごすべきでない」ということは自分らしい生き様、死に様を考える場合のキーワードになるだろう。なぜなら皆一様に死に向かって歩を進めて行くのだから、ゴドーを待ちながら,,,,,,,。


2013年5月3日金曜日

アジアの火種

ジョルジュ ビゴー(釣りの勝負)1887

右は日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている明治時代のフランス人画家の描いた風刺画。

報道によると今月2日、韓日議員連盟会長代行の金泰煥(キム・テファン)国会議員(与党セヌリ党)は、日本の政治家の誤った歴史認識に抗議する書簡を手渡すため日本を訪問する方針を明らかにした。

韓国人の言う歴史認識は自分たちの都合のいい誇張に満ちた歴史話で、もともと主権国家としての体をなしていなかった朝鮮半島最後の皇帝政権である李朝において、朝鮮の原型が垣間見れる。中国清の属国としての成り立ちから今日に至るまでの歴史を概観してみると、
我が国がかつて日清戦争(1894~95)を起こしたのは、朝鮮半島の内紛絡みで中国との一戦を交えたその結果、清は破れ日本は戦勝国として下関条約により朝鮮半島の独立を成し遂げた。その後の日露戦争(1904~5)も朝鮮内部で親日派と親露派の対立の中で、南下するロシアに日本海側の港を売ったことなどに端を発して、日本の国防上のロシアに対する脅威から日露戦争に至った経緯など、不安定な朝鮮半島の政権絡みの構図が見えてくる。

日韓併合前後のソウル
当時のロシアは不凍港を求めて南下政策を繰り返していたが、1853年のクリミア戦争に敗れた後に、アジア方面で南下を始めた。大韓帝国(当時の朝鮮)は親露派が権力を握っていて、日本にとっては非常に大きな脅威であり、朝鮮にとってはロシアの植民地にされる可能性がとても大きかった。そこで1904年に日露戦争で日本はロシアに勝利し、朝鮮を保護国とすることに国際的に認められるようになった。1905年に第二次日韓協約で外交権を奪い事実上の保護国とした。そして、1906年に朝鮮統監府を置き伊藤博文が初代統監になり朝鮮の近代化を推し進めていった。ときの最後の皇帝純宗が日韓併合を我が国に依頼し、そして1910年に日韓併合が行われた。


(参照)日清日露戦争【地政学的に見た朝鮮半島と世界の動向がよくわかる】

そのような歴史の流れから日本の統治の元、日本の資本による朝鮮の近代化が進み政治経済も安定し、国家としての体を成してきた。欧米の収奪するだけの植民地政策とは違い日本の場合、相手国を保護育成する政策の下、今日の韓国の基盤を作ったことも韓国人は忘れてはならず、今日見られるように中国についたり米国についたり腰の定まらない日和見的な国民性は、被害者意識だけ増大させ乞食外交の口実に、慰安婦問題、靖国問題、強制連行などと事あるごとに騒ぎ立てている。

1910年の日韓併合から1945年の終戦までに我が国に来た朝鮮人は、265万5千人でそのうちの200万人は自由渡航の出稼ぎ労働者である。その後帰国した朝鮮人の数も多く、現在我が国には在日韓国人として約52万人があらゆる日本社会に巣食っている。それも在日特権というものを日本から搾り取り、参政権まで要求する厚顔無恥には、我々日本人として容認できるものではない。

今日「韓国」は政治的軍事的にはアメリカの支配下にあり、経済面では日本資本をつかって資本主義経済を発展させてきた経緯がある。植民地支配への賠償として日本資金が投入され、鉄鋼、造船などの基幹産業が発展し、財閥を中心にした企業グループが形成された。ところが1997年におこったアジア通貨危機で「韓国」経済は破たんし、IMF(国際通貨基金)の管理下で経済の大再編がおこなわれたが、この過程でアメリカを先頭とする海外の資本がいっきに浸透した。そうして作られた財閥企業(サムスンや現代自動車)の半分近くもの株式が外国資本に乗っ取られ、銀行なども凄まじい外国人資本比率となっている。主要銀行はほぼ全て米銀傘下に組み込まれ、首根っこを掴まれている。
竹島に上陸した李明博

08年のリーマンショックと2011年EU危機の折、現実に海外資本は逃げ出し、資金不足に陥った。その時、米国の圧力もあったわけだが、日本が日韓スワップ協定で助けた結果、韓国経済は奇跡のV字回復をしたとされる。確かにGDPは伸びたが、その内訳は76.5%を10大財閥が占める。好調なのは大企業のみで貧富の差が拡大し利益の多くは輸出でもたらされた。韓国にとって円高は3割から5割引きセールを世界市場で展開しているようなもので、「ウォン安円高」は韓国の株価を引き上げ、日本の株価を下げるという流れになった。
韓国政府の一貫した輸出偏重政策は、輸出依存度をどんどん上昇させ、実質GDPに占める割合は52%にまで至った。同じ輸出立国の日本が15・6%だからその異常さがうかがえる。上げ潮に乗った中で、身辺が不穏になってきた先の李明博は、経済大統領のはずが格差拡大や生活難、就職難を招いた無能売国奴扱いで極めて評判が悪い。退任と同時に逮捕は免れないとの噂があり、最後に日本の反動派もたまげた「竹島訪問」をやり「天皇訪韓」発言をおこない日本人の心を逆なでした。

韓国経済は過去20年間日本製品をコピーした家電、自動車などの輸出に支えられ急成長してきたが、おしなべて韓国企業は、わが国などからの生産財や主要部品の輸入に依存している側面が大きく、独自の技術で高付加価値を創造できるところまでは至っていない。08年のリーマンショック後は日本の円高に支えられ、とりわけ民主党政権と白川日銀総裁のなすすべを知らない超円高放置策で潤い続けて来た。
ところが現在アベノミクスが、この韓国経済を直撃したため、輸出産業が一番恐れていたウォン高に至ったのだ。対ウォン相場が30%も円安となって、日本側は家電も自動車も一挙に息を吹き返す流れとなった。韓国内では「30年代の世界恐慌並みの事態が到来」とメディアが報ずるに至っている。今やその輸出自体が円安ウォン高がきき始めかなり落ち込み、日本のデフレ脱却政策に文句たらたらである。

また北朝鮮との関係も険悪で、南北共同の事業も頓挫し、朝鮮半島のゴタゴタはいつの世にも世界を巻き込む戦争という危機をはらんでいるアジアの火種である。
先にあの世に旅立たれた北の将軍様(故・金正日総書記)は次のような言葉を残している。「『人間はその日の米がなくても死なないが、兵器がなければ即死する』。