2009年7月1日水曜日

政権交代の足音が聞こえてくる


戦後、そして冷戦構造下の日本において、半世紀もの間自民党の一党独裁体制が続いてきたが、権力を手中に納め続ければ、いずれそれは腐敗していき時代への適応力を失っていくことは、歴史が証明している。また、一つの勢力が権力の座に長くあると、行政や既得権益を持った団体や事業者との間に癒着関係が生じる。やがてその癒着の構造が必要な改革のさまたげになっていく。そうした人間の不完全さや腐敗や堕落から政治を救い、立法府の暴走や閉塞を防ぐために、政権交代は民主主義のシステムにもともと装備された機能であった。しかも、日本では裁判所とメディアという、本来は権力の暴走をチェックするはずの機関が、ほとんどまともに機能していない。

 政権交代は同時に、政策の転換でもある。欧米ではこれまで、再分配政策の度合いの多寡で、左右の陣営に勢力が分かれ、政権交代を繰り返してきた。平等を重んじ、貧富の差を縮めるために富の再分配を強調するのが左派で、政府の介入の行き過ぎを警戒し、より市場や個人の自由に任せるのが右派という選択が、おおむねどの国にも存在した。
  

自民党内は、小泉改革の評価をめぐり一枚岩ではないが、基本的には自民党の自由主義路線と民主党の再分配路線の対立軸がある程度はっきりと顕在化したため、次の選挙は、壊れかけた日本の社会経済システムをどのような方法で立て直すかをめぐる路線選択の選挙になりそうだ。仮に民主党が政権を取ったとしても、民主党が自らの歴史的役割を正確に認識し、それを確実に実行できなければ、政権交代が自己目的だけに終わってしまうことを、我々国民は注視する必要があると、政治学者山口二郎氏は述べている。


また、より大きな問題は下野した後の自民党が野党に落ちた時、政党のアイデンティティを持ち続けることができるかどうか。また、その場合、自民党の中川秀直氏らが主張する構造改革路線なのか、麻生首相や一部の穏健派が主張する安心・安全、中福祉中負担路線になるのか。自民党が党の力を再結集できるかが問われることになる。以前評論家の田原総一朗氏の講演を聞いた時に彼が中川秀直の力を非常に買っていたことを思い出す。
自民党も客寄せパンダの戯言(総裁候補に指名を条件に出馬要請を受けるなど)が飛び交う事態に、党内はますます収拾がつかなくなっている。首相の地位がこんなに軽々しく見られるのは、その立場を投げ出した、安部、福田に続き軽薄な麻生の自民党三羽ガラスの罪は大きい。もういい加減に有名人や芸人を選挙に担ぎ出すことはやめたほうがいい。そのイージーさが世襲政治をはびこらしていることを国民は知っている。

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