2015年12月26日土曜日

マイナンバー制


今年も早1年が過ぎようとしているが、遅ればせながら我が家にも12月初旬に、マイナンバーの書かれた通知カードが届いたが、そのまま手続きは保留にしてある。いわゆる日本に住民票を有する全ての人を対象に、1人に対し1つのマイナンバー(個人番号)が割り振られる制度で、同じ番号が別の人に割り振られることのない国民総背番号制とも呼ばれるものである。

懇意にしている証券会社の営業マンとの世間話のなかでこの話がでて、登録ナンバーを控えていればカード申請は、する必要もないとのことであった。
色々資料を集めてみると、国は事務処理の簡素化と縦割り行政を是正し、各官庁との横の情報の共有化が図れること、すなわち個人情報の共有化が可能になるので行政の効率化を促進する流れが見て取れる。

今回導入されるマイナンバー制は国や地方公共団体が税や社会保障、災害対策などの為のみに使用し、一人一人の番号を管理することによって、国や地方公共団体が個人情報を迅速かつ正確に共有することができ、年金の不正受給や税負担を不等に免れることを阻止することができる。
さらに公平な社会を円滑に構築することが可能であると同時に、マイナンバー制度の導入により、本人照合や確認作業、入力作業が軽減され、取り間違えなどのヒューマンエラーも減少することが期待でき、行政の効率化が図れ、国民の側も書類提出が楽になるという寸法である。

ところが、これにはデメリットもある。個人情報の漏えいなどの問題、たとえば今後「マイナポータル」というウェブサイトで、マイナンバーと紐付けられた「自分自身の情報」の閲覧が可能になり、 閲覧にあたってはマイナンバーカード(ICカード)とパスワードが必要で、その二つさえあれば誰でも閲覧可能になることや、今後の動きとして、改正マイナンバー法によりマイナンバーと銀行口座の紐付けがスタートすることにより銀行口座を政府が把握することが可能になり、貯蓄額も漏えいの危険性が高くなる。すなわち国民のフトコロ具合を国がつかむことになる。我々貧乏人には関係ないが、大金持ちは簡単に脱税できなくなることもあって戦々恐々だ。現在日本で法人の七割以上が赤字に陥り、税金を納めていなことなども、この制度導入の動機にありそうだ。

また個人のみならず事業者も対象に入っているので導入費用が膨大になり、民間企業の事務処理増加、特に中小零細企業は負担がのしかかるため、全国中小業者団体連絡会(全中連)が10月に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに 「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを政府に要望したようだ。
全商連の資料によると、その回答は次の通りになる。

【内閣府】
  「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
【国税庁】
  確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
  労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。


以上のように役所に出す書類に個人番号が記載されていなくても受け付けるし、罰則がないのはもちろん、何の不利益も受けない。公式の席で、各省庁が確認したのだ。
当面、事の成り行きを静観することになりそうだ。


2015年12月18日金曜日

中国の宿命



2007年に日本に帰化して以来評論活動をしているお馴染みの石平氏が、今年書き下ろした著書「死に体」 中国の宿命 歴史が示す習政権の末路 を読んだ。題名からしてえぐいタイトルであるが、今の中国の国の成り立ちと、中国の本質が見て取れる一冊である。

本書によると、中国4000年の歴史と言われているが、その歴史は秦の始皇帝から始まる崩壊と再建の歴史に刻まれている。その始皇帝が戦国時代に並立した6カ国をことごとく滅ぼして中国初の統一王朝、秦を作ったのは紀元前221年のことである。
建国後自身が初めての皇帝と名付けて、国を統治したが、死後わずか15年足らずで崩壊の憂き目にあう。以後歴史は繰り返し、近代清に至るまで一番栄えた唐の時代も含め、崩壊と再建を十数回繰り返し、どの時代も皇帝独裁支配体制のもと、時の権力者はもとより、そこに群がる官僚達の私利私欲に走った構造は、現代の中国の一党独裁政権の腐敗ぶりに連綿とつながっていく。

その構造は、民衆(農民)から絞りとるだけ搾り取り、最後は搾取され収奪されたた農民達が立ち上がり、膨大な数の不満分子の力によって政権が崩壊していく過程が繰り返されていくのである。
通常国家というものは、時代が進むにつれ民主化が進み、政治経済が進展しそれに付随した文化も発展していき、近代国家が形成されていくものであるが、中国は国として体を成した秦からこの方約2200年たった現代でも、王朝が崩壊するたびに国の体制、文化などがリセットされ、前時代の遺物も文化も破壊されるラジカルな国である。それは歴史の進化継続と蓄積とは無縁の断絶の国でもある。

過去において、土地や生活基盤を失った農民がやがて多くの流民(難民)となって時の政権に反乱をおこし、その反乱が大規模に膨れ上がった時に、王朝は崩壊を繰り返す。
近代に入ると、中国初の民主主義革命(辛亥革命)によって中国最後の王朝清朝が崩壊した後、中国初の近代的共和国として中華民国が出来たが、その後、日中戦争のどさくさに旧ソ連の共産党から支援を受けた中国共産党が勢力の拡大を図り、時の政府に反乱をおこし毛沢東のもと中華人民共和国が誕生した。ここでも伝統の独裁専制政治は続き、権力闘争の末、文化大革命なる蛮行を行い自滅の道を歩むことになる。当然そこに展開するのは大規模な粛清と政敵の暗殺である。その犠牲者は1000万人以上とも言われている。




中国元
毛沢東の死後反毛沢東派の鄧小平が復活し、改革開放路線を打ち出し、資本主義を取り入れた結果、今日の繁栄につながったのだが、しかし市場経済の成長が進むにつれ、市場の自立的に働く法則は政治的権力によっては変えられない内部矛盾が露呈し、今日の習政権の株価操作の失敗による経済的苦境を現出させている。また昨今のIMFによる中国元の国際通貨格上げによって、いよいよ国際経済の縛りから逃れなくなり、常態化していた共産党の中国元の為替操作は困難になるだろう。


さて共産党政権存立の基盤となる国家経済が今危機に瀕している背景には、政府による過剰な公共事業や民間の異常な不動産投資によるバブル崩壊と、そのために土地を取り上げられた農民や、賃金上昇のため世界の工場としての地位が揺らいだ結果、景気後退で製造業に従事していた農民工たちの失業者が潜在化している。そして本書では、これら流民が2012年の時点で実に2億6千万人の数で表記されている。これら寄る辺ない民衆が、各地で年間20万件以上という暴動を起こしており、今後もその数は増加の一途たどることになる。また都市と農村、富裕層と貧困層の格差が拡大し都市部の潜在的な失業者も1000万人を超え共産党に対する不満は臨界点に達している。

その公安(治安維持費)のための予算があの膨張する軍事予算を上回っている事実は、いかに政権が過去の政権転覆の起爆剤としての民衆を恐れているかが解るというものだ、そしてその導火線となる知識人の弾圧も体制維持のため激しさを増す。また共産党は、国民の不満の目をそらすために対外的な拡張主義に傾き、東シナ海や南シナ海に象徴されるように、世界と摩擦を起こしている。そして国内では、欲の皮の突っ張った拝金主義の民衆が群がった高金利理財商品への出資からなる膨大なシャドーバンクの崩壊も始まっており、これらの不安定要素が増幅され中国の粉飾経済が失速した時、その世界経済に与える影響は多きい。

そのような情勢の中、特権階級の共産党幹部は相変わらず賄賂によって私腹を肥やし、取り締まる側も賄賂にまみれ、腐臭を放ち腐敗が進む死に体になり、収拾がつかない状態が今の中国であり、政権末期を予感している共産党幹部は、我先に海外に莫大な資産を移し、安住の地を求めその視線は、はるか遠くをさまよっている。
政敵をターゲットにした汚職取り締まりも拡大する中、天津で起きた巨大な爆発事件は習近平暗殺を企てた一件と取り沙汰されていることも明らかになっている。人心は離れ、国家への不満が臨界点に達した今、崩壊へのカウントダウンはすでに始まっている!
著者は現在の習近平体制を赤い王朝と呼んでいるがこの王朝も崩壊する宿命を負っており、それはそう遠くない時期にやってくると結論付けている。運命は変えられるが宿命は変えられないものである。

2015年12月5日土曜日

日本の深い闇

 

戦後70年が経った今、日本を揺るがす大震災による福島第一原子力発電所の崩壊が始まった2011年から今日に至るまで、国のエネルギー政策や国の防衛問題など、釈然としない日本の闇が、1冊の本で霞が晴れてきた。タイトルは「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」矢部 宏治著。
国民も薄々感じているアメリカの影は、戦後GHQから続いている巧みな日本統治による仕組みを明らかにすることで全貌が明らかになってきた。著者はアメリカの公文書の調査をもとに執筆していて、アメリカの機密文書は、国立公文書記録管理局(NARA)で管理されており、25年たてばすべて公文書として発表されされるため、これを引用している。人類の英知と進歩のため、世界の潮流は30年で封印された機密文書は公開されることになっている。

著者によると、憲法を法体系の上位とした「オモテの世界」ではない、「密約法体系」や「安保法体系」といった、「アメリカ」を最上位とした異なる法体系を上位として権力が動いている「ウラの世界」があるようだ。そしてこの日本の権力というのは、結局はそうした「ウラの世界」の権力により、現実には動かされていることが分かってきた。

絶対的な存在「アメリカ」と、その「アメリカ」の作ったシステムの中軸たる法体系、「密約法体系」、「安保法体系」に忠誠を誓う「官僚」という一大権力機構システム。それが「原子力村」ならぬ、それすら含むここ日本という「安保村」の駆動源であると。
「政治」とは、即ち近代憲法に基づく、近代民主主義国家としての議院内閣制による政治形態のことであり、本書で呼んでいる「オモテの世界」のことである。そしてそうした「政治」ではない統治権力が、確かにこの国には根強くはびこっている。「日米地位協定」などアメリカとの条約は、日本国憲法よりも上位にあること、明文化された条約のほかに数多くの「アメリカとの密約」があり、それも憲法より優先されることなどなど。


日米合同委員会
 
ここで決められたことが、日本国憲法を超えてしまう。在日米軍との委員会なので、外務省や防衛省の官僚が入っているが、特筆するのは、法務省、財務省、農林水産省などの官僚も入っており、米側の代表は、基本的に軍人である。現在でも月に2回、米国担当者と官僚との会合がおこなわれ、密接な意思疎通がはかられていること、そしてそのような状況を形作るにあたり昭和天皇およびその側近が、大きな役割を果たしていることなどなど、驚くべき事実が明らかになっている。

つまりはまともな主権を持った独立国としての体を成してないこと、敗戦後に作られたこの国のあらゆる法体系や社会システムが、所詮はアメリカの意向に従うために設計されていることを知らされる。米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながっていることを。
さらに著者曰く、日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのだが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。
なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということだ。

日本の歴代政権を見てみると、親米派と反米派に分かれる。ここで親方アメリカの意に沿った政権と、意に反した気概のある政治家を擁する政権の末路を見てみよう。
対米従属派である清和会の政治家と違い、国益を重視して米国と一線を画して、近隣アジア諸国などと独自の繋がりを模索しようとした経世会の政治家は、失脚もしくは殺害の末路を迎えている。途中で政権交代した小沢鳩山政権は、年次改革要望書を撤廃させたが、1年たらずで、鳩山首相に至ってはアホ呼ばわれされた末にアメリカにつぶされ、その結果後の菅政権はアメリカ寄りになったが続く野田政権も短命に終わった。驚いたことに、当時の首相だった鳩山由紀夫は、この組織の存在さえ知らなかったと2014年の著者とのインタビューで述べている。


  自民党2大派閥『清和会と経世会』
  
 (田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件(東京地検特捜部)脳梗塞
 (経世会)竹下登 失脚 リクルート事件(東京地検特捜部)雲隠れ病死
   金丸信  失脚逮捕佐川急便献金・脱税(東京地検特捜部&国税) 
   中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (東京地検特捜部)
   小渕恵三 (急死)脳梗塞と報道されているが自殺とも言われている。
   鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (東京地検特捜部)
   橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件 (東京地検特捜部)
   小沢一郎  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   二階俊博  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   
 ●その他政治家の不審死の裏にアメリカの影あり。
   梶山静六 橋本龍太郎 松岡利勝 中川一郎 中川昭一
 いずれも経世会政治家と反米的政治家の場合、不慮の突然死・事故死・自殺 が偏って多いのが特徴で、いまだ真相は解明されておらず、深い闇のままで ある。

一方(清和会)では 岸信介 福田赳夫 安倍晋太郎  森 喜朗 三塚 博    塩川正十郎  小泉純一郎  尾身幸次 安部晋三  福田康夫    麻生太郎    中川秀直    町村 信孝 などなどで これらはいずれも御 安泰である。

、自民党とCIA(ユダヤ権力)には、癒着の歴史が関係している。清和会は米国に有利な政策を遂行し、その報酬としてCIAからカネをもらい、勢力を伸ばしてきた。大手マスコミは一切報道しないが、岸信介がCIAに雇われたエージェントだったことは、後年になって情報公開された米国務省、米国立公文書記録管理局(NARA)の資料から明らかになっている。

原子力の問題

英米金融資本の頂点に立つロスチャイルドが一元支配しているのが原子力事業の根源ウラン燃料であり、原子力発電を稼働させるために我が国はアメリカからウランを輸入している。だから分かっちゃいるけどやめられない。日米原子力協定があるからだ。

日米原子力協定で決められたことは、原子力発電で出た使用済み燃料(プルトニューム)の再利用を促進するといったプログラム(プルサーマル計画)推進のための協定であるが、使用済み燃料を再処理すれば燃えかすウラン(96%)、高レベル放射性廃棄物(3%)となり、残る、プルトニウムは1%にしかならない。問題は、燃え残りウランは本来高速増殖炉で使われ、プルトニウムに転換して利用されるはずのものであるが、未だ高速増殖炉は実用化されず破綻している。

日本以外の先進国はすべて核燃料サイクルから撤退している。積極的であったフランスもコスト高、各国もトラブル続きで止めている。よって、プルサーマルをやらない国は、使用済み燃料については貯蔵して廃棄物処分している。人類史上稀有の大事故が起きた後も原発の安全性が確保されないまま稼働に踏み切る日本。いつまで日本はウランを買わされるのであろうか?
未だ戦後を引きずっている国、それが日本である。


参考文献 「図解」 世界闇の支配者 ベンジャミン.フルフォード

追記
昭和館


地下鉄九段下駅前にある昭和館(厚労省所管の博物館)を訪ねてみた。 昭和館は、九段下の地下鉄の駅からすぐ、武道館に向かう途中にある。戦中戦後の日本人の暮らしぶりが垣間見れるところである。私の生まれた昭和22年前後は、実際どうなっていたのだろうと思って常設展を見に行ってきた。6階7階は常設展示室で戦前戦中戦後と別れており、当時の日本人の暮らしぶりや、社会の動向が数多くの展示品からうかがえる。まるで骨董品の世界である。



戦中戦後の暮らしに関する展示品
当館では、死を推測させ、直接戦争にかかわるものは陳列してはならないマニュアルがあり、 陳列していいものは、防空ずきん、慰問袋、衣・食・住にかかわるもの、そして悪いものとしては、武器、軍用品、赤紙、戦死公報、原爆投下・爆撃行為にかかわるものなどがあるようだ。
戦争を知らない私は、母から当時神戸で空襲にあって、逃げまどい多くの死者たちを無感動のまま見てきたことや、戦後の食糧事情が悪い時、赤ん坊の私に、ミルクがないので小麦粉を溶いて飲ませた話などを聞いたことを思い出す。
そして5階の映像音響室では20台以上あるPC映像機器を閲覧者が、それぞれ戦中戦後の人々の暮らしぶりを主とした画像や映像音声などが膨大に流れていく機器を操作することができる。戦争を境にした昭和という時間の流れと、戦後日本の焼け野原から立ち上がった日本人の逞しさと、戦後GHQによって、国の体制がリセットされ、やがて我が国の復興が始まり経済発展へとつながる経緯が、走馬灯のように短い時間の中で体感できた。

2015年11月29日日曜日

京都ぶらり旅

東福寺


入院後はや1年が経ち、無事でいられる有り難さをかみしめ、全快祝いを兼ねて、多忙の中、カミさんと秋の京都を訪れた。過去に娘が京都で大学生活を送っていた関係で、京都には何度か足を運んだが、今回は初めての京都の秋である。今回は京都の北(洛北)にある鷹峯(たかがみね)が旅の出発点となり、まだ行っていない寺巡りをしてみた。

今年は全般的に気温が高かったせいで、紅葉の色合いが例年になく芳しくなく、それでも紅葉で有名な社寺は大勢の人々でむせ返っていた。それでも春、夏、冬とそれぞれの季節が醸し出す京都各地の風情のなかでも、秋ならではの格別なものがあった。

東福寺境内

当日は10時ごろ京都駅を降り、JR奈良線で一つ目の東福寺を散策。東福寺は京都五山の一つ、境内の通天橋は紅葉の名所でもあり、人気のスポットのため、海外からの観光客も多く、境内は人でごった返していた。紅葉を浴びるほど見て歩き、昼前に京都駅に戻って、12時半の送迎バスで鷹峯のホテルについてからは、チェックインの時間まで近隣の3寺を散策した。


光悦寺山門

光悦寺、源光庵、常照寺、と拝観するが、各寺とも京の北の外れもあって人出は緩慢で、境内をゆっくり散策できたことは何よりだった。
光悦寺 京の北、鷹峯三山を見渡すふもとにあるこの寺は、江戸時代に工芸美術で名を馳せた琳派の祖、本阿弥光悦の一族の集落(光悦村)のあった場所に位置し、光悦ゆかりのこの日蓮宗の寺は、あらゆる工芸、書画に影響を与えた当時の芸術家たちの面影を残した佇まいである。

源光庵 悟りの窓と迷いの窓

源光庵  こじんまりした庭園を望む本堂には迷いの窓と悟りの窓があり、迷いの窓は矩形をなしており、角形には人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表す。また悟りの窓は円形をしており,禅と円通の心を表し、円は大宇宙を表現しているそうだ。すべてを丸く収めるといったところか。完全な円というものは仏教では悟りを示すことになるようだ。


常照寺山門

常照寺 
井原西鶴の「好色一代男」の人情話や歌舞伎に出てきた吉野大夫ゆかりのこの寺には吉野の墓がある。芸妓である吉野大夫における太夫の称号は、江戸時代初期に誕生し、当時は女歌舞伎が盛んで芸 達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれる。写真の山門は吉野大夫が寄進したものである。



二日目

銀閣寺
銀閣寺 ホテルから徒歩25分くらいのところに金閣寺があるが,そこは以前訪れたことがあるので、ここはパスして近くのバス停から銀閣寺行のバスに乗り40分くらいで銀閣寺についた。
銀閣寺は、金閣寺ほどの派手やかさはないが、日本人好みのさびのきいた佇まいは世界遺産にもなっている。起伏に富んだ庭園からは、室町時代の金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、8代義政の銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」の発祥の地としての趣がうかがえる。足利幕府の栄華の跡が忍ばれるとともに、当時、正室の日野富子と管領が政治を行う傀儡政権で政治を妻任せにして、隠居の身に身をやつし、文芸に耽る風流将軍の姿が、歴史に思いを馳せると、もの悲しくもある。


哲学の道
さて銀閣を拝観した後は紅葉で有名な禅林寺永観堂に続く哲学の道を散策した。琵琶湖水路の小川沿いに石畳が2kmほど続き、哲学者西田幾多郎が思索をしながら歩いた道ということでこの名がついたようで、この細い一本道が、雑念を払い思索に専念できるのかと、歩きながら思ってみたが一回歩いただけでは周りの紅葉に目を取られ焦点は定まりそうもない。





禅林寺永観堂
禅林寺永観堂につくと、境内の大きな池を中心に紅葉が取り囲み、やはり観光客があふれていた。永観堂を出ると、タクシーで寺町通りの俗称美術通りの一角に向かい、書画骨董や漆器の店などを見て歩き、二時ごろに昼食を済ませ、最後の寺高台寺まで市内バスで20分ほど移動した。





高台寺の夜景

高台寺 秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、桃山時代の蒔絵の寺として有名であるが重要文化財の霊屋の中の蒔絵は見られなかった。日が暮れライトアップを待って、夜景に浮かび上がった紅葉を見た後、近くの祇園から先斗町まで足を運び、軽く一杯やってから、地下鉄に乗り、京都駅を発ったのは7時過ぎであった。本日の総歩数は23000歩。荷物を背負っての起伏のある遊歩行は、さすがに疲れて、車内でもう一杯やりながら眠ってしまった。

2015年11月17日火曜日

変化する住宅事情

産経新聞

近頃横浜のマンションのくい打ち施工データ改ざんに端を発し、同じ施工会社の担当者のみならず、次から次と改ざんなどの不正行為が見つかっており、業界全体のデータ改ざんが常態化していることが問題になっている。住んでいるマンションが傾いていることが明らかになったのだから、住人にとって穏やかな話ではない。おそらく東日本大震災の揺れで欠陥が現れたのだろう。




問題のマンション

確かにマンションは居住性に優れ、利便性と経済性の点で私の場合、30代初めころに、県の住宅供給公社の4LDKの分譲マンションを購入し、20年ローンが残りわずかになったとき、あの阪神大震災が起きた。
ニュース映像で見た倒壊マンションの復旧が容易でないことや、数多くの居住者の考えの相違などで、合意形成が難しく、修理、建て替えがスムーズにいかないことを知ることになり、自分たちのマンションは世帯数が大きく管理組合がしっかり機能しているにもかかわらず、その後の耐震性の問題などを鑑みて、ここは終の棲家にはならないと判断し、売却して一戸建てを購入したものの、そこも6年足らずで手放し、親と同居するために2世帯住宅を新たに建て、現在に至っている。


国交省の資料によると、全国の分譲マンションは今や500万戸を越え、うち築30年以上は73万戸で今後毎年10万戸のペースで増えている。日本全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず、どんどんマンションが建設されている状況である。
特に築30年を超えるような物件では、住民の高齢化や建物の老朽化、それに伴う空室率上昇や資産価値下落など、問題が山積しているようだ。
集合住宅の場合、個人が所有するのは住戸の内部だけ、建物の外壁や柱、エレベーター、廊下などは共用部分であり、全員の所有となる。それを全員で管理修繕しなければならないため、このマンションの区分所有権が建物の維持を難しくしている。また管理費滞納者の増加や、高齢者の増加によるマンションのスラム化が危惧されている。
 日本で建て替えを実現したマンションは、特例を認めた阪神大震災の被災地を除いて全国で40例ほどしかないそうだ。マンションのスラム化は、建物が古くなったから起こるのではなく、人間が住まなくなった時に始まり進んでいく傾向にある。


NPO法人空家空地管理センター

総務省が5年に1度調査する「住宅・土地統計調査」によれば、日本全国の空き家数は2013年時点で820万戸。国内住宅総数6063万戸に対する比率、空き家率は13.5%に及んでいる。
野村総合研究所の調査によれば、地方の高齢化と人口減少により、空き家が急増。2018年には日本の空き家は1000万戸を超え、2023年には空き家数は1396万戸、空き家率は21.0%となり、日本の住宅の5軒に1軒が空き家になりかねないとしている。地方にみられる限界集落という言葉は、今後少子高齢化が進むにつれ、都市部にも広がっていくだろう。

2015年11月9日月曜日

アートな話「芸術と経済」


私の好きな日本の画家に田中一村(本名、田中孝)がいる。生前は、まったくの無名の画家で、明治41年(1908年)仏像彫刻家の父の長男として栃木県に生れ、69歳の1977年に、日本の最南端の奄美大島で画家として認められないまま、孤独の生涯を閉じている。南の島奄美の自然を描いた画風は昭和の若冲とも称され、飽くことなき動植物の写実に徹し、どこか平坦で装飾的な画面から漂う躍動感と静けさは、アンリルソーにも似ていて、また日本のゴーギャンともいわれている。



神童と呼ばれ、若くして水墨画にその才能を発揮した彼は4、7歳の時には児童画展で天皇賞もしくは文部大臣賞を受賞し、10代では、蕪村、木米らを模した水墨画を自由に描いたという。
1926年、18歳にて東京美術学校(現東京芸大)の日本画科に学ぶが、父の病のため中退。同期には東山魁夷がいた。その後、家族を養うため水墨画を描いていたが、従来の水墨画を捨て、日本画にもどってみたものの、画壇からは不評であった。

日本美術展覧会(日展)、日本美術院展(院展)に何度も応募するが落選を繰り返す。名の売れた画家になりたいという夢が強かったと言うが、中央画壇で認められることはなかった。
 50歳の時に出品した作品は、自分の絶対的自信作であったが、これも落選。東京美術学校の同期生は、すでに審査員になっているものも多かった。中央画壇に失望した一村は、すべてを捨て、そして、一人、日本の最南端の奄美大島にわたる。そして生計のため大島紬の染色工になるが、無口で、あまり他人と交わることはなかったという。生業以外の余った時間はただ、ひたすら絵を描いていたという。画集の写真からうかがえる貧しい生活も、やせ細った身体も如何にも満足げである。そこにはゴッホのような貧しさの果ての狂気は見いだせない。
 
奄美大島に来てから描いた花鳥画は、自然を愛し、植物や鳥を鋭い観察眼で、精緻に描いた、いかにも熱帯の日本画、と呼ぶにふさわしい大作が何枚もある。一村のエピソードでは、彼が描いた村人が、亡くなってから家に飾るための遺影として、どの家にも大切に残されているという。貧しかった村では、写真にして遺影を飾ることができなかった。そこで、絵で代用をしたそうだ。
神童と呼ばれ、画家としての将来を期待されながら認められず、外側からだけ見れば、悲運の人の生涯であったようだが、本人にしてみれば好きな絵を描いて、貧しくても幸せで孤高の人生を全うしたのだろう。


奄美パークにある田中一村美術館
 
中央画壇で認められたいと、悪戦苦闘し、夢破れて、俗世間から離れ、一人自分の志を守り、静かに去って行った一人の無名の画家。そこに垣間見るのは男の美学か。現在奄美大島の奄美パークにある田中一村記念美術館に機会があれば足を運んでみたいと思っている。


思えば芸術も、我々に身近な経済も人それぞれの人生を語っている。人間の営みの根底にあるものが経済で、これなくしては個人も国も社会も成り立たない。バブルのころならいざ知らず、今の時代、芸術で飯を食うのは難しい。芸大を出ても二足わらじの人もいれば、芸術とは関係のない仕事をしている人もいる。幸いにして絵で食っていける人でも、世間に迎合すれば芸術家精神の堕落が始まる。
いっそ商業主義に徹したデザインの世界や工芸の世界であれば、その葛藤は少ないだろう。なぜなら消費者あっての生産者(製作者)であることが前提にあるからだ。
一般消費世界では、把握しきれないほど多量なモノや情報が、限られた消費者の関心を奪い合っている。良いモノさえ作れば売れたような時代は終わりつつある。前時代の希少性とマスメディアの情報独占に操作された価値観は、ネットの出現により、知識や情報の源泉が広く分散され、消費者の関心を引きつけるものは、モノに内在するエンターティメント(面白さ)とモノの属性、即ち、デザイン、性能、品質と消費者にとっての有用性であろう。芸術は長く、人生は短し。されど人生の基盤は経済である。







2015年10月29日木曜日

新映像の世紀


NHKスペシャル 新映像の世紀を見た。20世紀に発明されたばかりのムービーカメラが初めて本格的に動員されたのが、第一次世界大戦である。1914年6月、バルカン半島でおきたテロ事件(オーストリア皇太子夫妻暗殺)をきっかけに、戦火は瞬く間に世界中に拡大、毒ガス、戦車、爆撃機などの新兵器が登場、30カ国を超える国家が巻き込まれ、犠牲者は民間人をふくめ3800万人に及んだ。この戦争は、今も世界を覆う不幸の種子を世界にばらまいた。そこに関わった人々の人間ドラマを、最新の映像技術を駆使して描いていくスタンスで番組が始まった。

あのアインシュタインが天才と呼んだ、ドイツの科学者、フリッツ・ハーバー博士。画期的な肥料の研究でノーベル賞まで受賞した博士は、大戦中、人類史上初めての化学兵器・毒ガスを発明した。ドイツのために貢献したユダヤ人の博士の発明が、後世に、これがユダヤ人虐殺に使用されるという歴史の皮肉。そしてロシア革命を成し遂げ、世界で初めての共産主義国家を樹立したレーニンは、恐怖政治の創始者でもあった。
また、昔映画で見た砂漠の英雄・アラビアのロレンスは、史実では新たなエネルギー・石油をねらったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込み、本国の思惑によりアラブを裏切った結果となった。今にいたる中東紛争のきっかけはロレンスから始まり、イスラエル、パレスチナ問題も、イギリス統治から端を発した。すなわち我々の生きている世界自体が、第一次世界大戦の産物というくだりである。


これら紛争の底流に流れているのは、いつ時代も国家の経済的利権である。各民族の生存がかかっているからこそ、人は命がけで戦う。
どの国の歴史も、どの民族の歴史も血塗られたものである。歴史を学べば誰も自国の犯した罪を正当化する事はできない。罪の大小はあれ、どの国も罪を犯してきた。否が応でも我々が歴史から学ぶ大きな命題は人間の犯してきた罪である。どこかの国のように謝れとか謝らないとかの話ではない。

戦争に正義はない。戦争にあるのは勝敗だけである。勝敗で問題とされるのは、強弱である。強者だけが己の正義を全うできる。 敗者に大義は許されない。戦争で一番被害を被るのは弱者である。それが歴史の真実である。また歴史は勝者によって作られるというのも,非情の真実である。
歴史は、人の犯した愚行や悪行に満ちている。 戦争の惨禍は人間の犯した罪である。第一次世界大戦後、連合国がドイツに課した膨大な国家賠償、すなわちドイツ国GDPの20倍もの賠償金が、ドイツを苦しめ、のちのナチスを生む契機になり、やがて第二次世界大戦へと繋がっていく。

戦争は、生産設備をフル稼働し、多額の経済効果をもたらす。人員も動員される。インフレーションにもなるが、それによって雇用も創出される。つまり、過剰な消費が生じて過大な需要を生み出す。その結果、金回りが良くなるのである。その一方で過去の負債や債務が清算される。又勝てば新たな市場を獲得する。 しかし、戦争は戦争である。一方で莫大な破壊を伴う。金の匂いのするところに国際金融資本は動く。ロシアとシリアの接近はアメリカとロシアの代理戦争になる様相を呈し、南沙諸島をめぐる中国とアメリカの小競り合いなど、世界中が何やらきな臭くなってきた。歴史は繰り返すという教訓は忘れてはならない。

2015年10月24日土曜日

ミクロな話


最近ミクロの世界で2人のノーベル賞受賞者が出た。物理学賞の 東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授と、片や生理学・医学賞 の北里生命科学研究所の大村智教授のお二人である。

物理学の世界では、物質のもとになる分子を分解した原子を、さらに分解していくと、これ以上分解できない限界物質といわれるのが素粒子で、宇宙から飛んでくる無数の素粒子がニュートリノといわれている物質だ。この物質に質量があることを実験で証明した。これが物理学の定説を覆した発見となったのである。2002年ノーベル賞受賞の小柴昌俊教授から始まったカミオカンデの実験装置から始まったニュートリノの研究がここで帰結したわけだ。

熱帯で寄生虫が引き起こす「河川盲目症」や「リンパ管フィラリア症」の特効薬となる抗生物質「イベルメクチン」の開発と、数々の抗生物質を発見した大村智教授によるイベルメクチンは、教授が様々な場所から土を拾いつづけ、2000~3000サンプルの中の伊東市のゴルフ場の土から抽出した放線菌を譲り受けた、同時受賞のキャンベル博士の薬開発によって牛や犬などに対する駆虫薬として発売され、世界のベストセラーとなった。
このおかげで犬のフィラリアなどを駆除でき、犬の寿命が大幅に伸びたことは愛犬家にとっては有り難いことである。また河川盲目症や象皮症で苦しむ多くの人々を救ったこの薬は熱帯地方の風土病を封じた画期的な薬でもあった。




我々人類の歴史は細菌やウイルスとの闘いの歴史でもあった。細菌もウイルスも、はたまた多細胞生物である人間の体も肉眼では見えない細胞の集合体である。細胞一つ一つの大きさはわずか1マイクロメートル(100万分の1m)にすぎず、細胞を1000個並べてようやく1cmという微小な世界で成り立っている。
その細胞が1人の人間の体の中に約100兆個あるといわれている。毎日、何千万の数の細胞が新陳代謝して、死んでは生まれ替わっているが、生体を構成している分子や原子は絶えず入れ替わり、数か月もたつと体の多くの部分の原子が新しいものと入れ替わり、1,2年のうちにはほとんどの原子が変わってしまうといわれている。(生命を捉えなおす●清水 博著)

さて、私も罹った癌であるが、癌はその中のたった1個の正常細胞が癌化することから始まるようだ。その1個の癌細胞が分裂を繰り返し、増殖していく。人間はそこに癌が発生しないで生きられるのが奇跡である、と医学は言う。
今、日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死んでいるといわれているが、なぜ急に増えているのだろうか。現代医学は、これを世界中の誰も、どうする事も出来ない。早期治療早期発見しか手立てはないようだ。
抗がん剤は増殖の速い枝分かれした若いガン細胞を狙い撃ちにするが、同時に正常な細胞まで傷つけるため副作用が多く、親元になる幹細胞ガンまで完全に駆逐できないのが現状で、この幹細胞ガンを壊滅してくれる薬は現在開発中で、治験の中でも有望な薬の開発の可能性は広がっているようだ。これが開発されればノーベル賞ものだろう。厄介者のたとえにされるガン、治癒して共存している人々も多い。酒を殺しながら飲む人はあまりいないが,ガンを殺しながら生きている人は多い。

2015年10月13日火曜日

日本経済雑感

 
●老人栄えて国滅ぶ
 

80歳以上人口が今年初めて1千万人を超え、街でお年寄りが目立つこの頃であるが、経団連のシンクタンク、21世紀政策研究が発表した2050年までの日本と世界50カ国・地域の長期経済予測によると、日本は人口減少の進行で2030年以降マイナス成長を続け先進国から脱落する恐れがあることが分かった。

貯蓄や投資も鈍化し、生産性が他の先進国並みを維持する「基本シナリオ」では30年代からマイナス成長に転じ、2050年には現在世界3位のGDP(国内総生産)が4位に落ち、中国と米国の約6分の1の規模になり、1人あたりのGDPも世界18位と韓国(14位)に抜かれる。
成長率が最も下振れする「悲観シナリオ」では、マイナス成長は2010年代に始まり、GDP規模は世界9位と中国、米国の約8分の1に縮小。経済大国から脱落し「極東の一小国」に逆戻りする可能性があるとしている。
日本の総人口は2050年には、約25%の3,300万人減少し、9,515万人となり,そして、高齢化率は20%から40%へと上昇する。生産年齢人口は、8,442万人(66.1%)から4,930万人(51.8%)となり,15歳未満の年少人口と65歳以上の老年人口を合わせて被扶養人口と言うが、現役世代と被扶養人口が「1対1」になり現役世代の過負担が問題になっている。このことから
生産年齢人口が50%に近づく日本を先頭にしたワースト7を比較したグラフ (団藤保晴氏作成)が上図である。      ●ここでいう生産年齢とは(15歳~64歳)のことである。

日本(50.9%)、スペイン(51.6%)、韓国(53.1%)、イタリア(53.1%)、ポルトガル(53.6%)、ギリシャ(53.8%)、それにドイツ(54.7%)と続く生産年齢人口割合「ワースト7」が世界の趨勢から一段落ち込んでいる。ワースト7は65歳以上人口が各国の水準より浮き上がって30%台になっていて、日本はダントツの36.5%。二番手は韓国の34.9%である。
       

上の図はH26,27年度の総務省発表の我が国の人口統計である。
ちなみに日本では75歳以上が2割を超える恐ろしい事態になっている。2050年は我々ベビーブーマー世代もほぼ死に絶える35年後であり、経済成長などとても望むべくもない状況に陥るのは間違いないところだ。戦後の中核になったベビーブーマー世代が現役から引退して、昨今の社会、経済情勢からみて労働人口の中身はお寒いばかりである。
総務省の統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)は、2015年で「日本の高齢者人口の割合は、主要国で最高」として日本(26.7%)、次いでイタリア(22.4%)、ドイツ(21.2%)などがあがっている。

OECDによる対日審査報告書(PDF)によると、人口減に直面する中で労働力を維持するために、《労働力人口の減少を緩和するため、男女平等の推進が必要である。男性の労働参加率は85%と女性よりも20%ポイント高い水準にある。もし女性の労働参加率が2030年まで男性の労働参加率と同レベルに追いつけば、労働供給の減少は5%に留められ、労働参加率に変化がなかった場合に比べ GDPは約20%高まるだろう》としているが、
  実際にこの大変革は容易ではないだろう。《雇用における男女間格差は、出産後労働市場に残る女性が38%に過ぎないという事実に表れている。

日本は子育てや学童保育に対する支出(対GDP比)がスウェーデンや英国の3分の1に過ぎない。ただし、支出を増やすためには税もしくは社会保険料収入が必要》であり、子育て支援の拡充は遅々として進まない。もう一つの労働力確保手段である外国人労働者の活用問題では、政府も尻に火が付かない限り本腰を入れない状況である。そうでなくても最近の非正規雇用拡大は若い男性から結婚の機会を奪っており、出生率改善どころか更なる低下も考えられ、労働環境の劣化がすすみ、このままの状況が改善されなければ、経済縮小が続き、日本経済に赤信号がともることは火を見るより明らかである。国家100年の計として具体的な実現可能な政策とその実行を示してもらいたいものだ。

さて我が国の経済を概観してみると、バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。
高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。今日に至る日本経済低迷の伏線として挙げられるのは1985年のプラザ合意が成立する直前の9月には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年初頭には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。プラザ合意に基づく急激な円高によって、本業で利益が上がらない企業が続出し、アジア転出組と並行して、銀行ぐるみで株や土地への投資に奔走する企業が増え、バブルが始まった。やがて1990年代後半になるとバブル崩壊が進み、長期停滞の時代が始まった。

すなわち周知の失われた10年と言われているものだ。さらに2000年代に入ると、同時多発テロ、リーマンショックと世界が翻弄された時代である。国民総所得が20年以上も横ばい状態が続く。この時代も失われた20年と言われ、今日では横ばいどころか下降しているようにも見える。すべてが国内経済から起因したものでなく、グローバル経済下での外的な要因で動いているが、今日の日本経済は上述したように内部構造の土台が揺らいできているため、経済を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。ましてやTPP(環太平洋経済連携協定)などの条約締結といっても、米国自体議会の反対勢力も多く、何よりも秘密裏に進められている条約ゆえに問題点も多く、国内外とも議会の承認をその都度とらなければならず、すんなりと条項が実施されることは未知数であるため、各項目ごとに吉と出るか凶と出るかは現時点では分からない。政府の歳入と歳出の隔たりは非常に大きいまま国の財政は悪化の道をたどっている中、この国はどのように進んで行くのだろうか、、、?




2015年10月9日金曜日

日本人の美学


美学という言葉がある。アカデミックにとらえれば美術の系譜を歴史的に研究したり、美の本質あるいは美の価値などを研究したりして、西洋では一貫した哲学の体系として思索の対象になっていたが、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて美意識としてのいき、わび、さびなどが古来存在していて情緒的である。

美学が何を美しいと感じ取るかは、その受け取り方は人によって異なることになり、個人的な嗜好に陥りがちであるが、そこに時代背景が絡んだ一定の普遍性を醸し出す要素がある。総論でいえば日本人の美学であるが、男社会に象徴されるように男の美学というのなら男にしかない価値を語るということになり、限りなく女性を意識しながら語ることであると思われる。
男の器 潔さ 自分なりの基準やこだわり、ストイックさ 自制抑制のきいた行動  精神のダンディズム 自分なりのポリシー  男の粋と伊達などの言葉が浮かんでくる。何を持って美しいと言うかは人それぞれの価値観でもあるが、つまるところ、これを守らないと、自分の中で自分を男として認められなくなるというのが男の美学でもある。死に目覚め生に目覚めた時、人は人生思いっきり、生きる、男としてやりたい事をやり通し、悔いのない人生を生きる、それが男の美学だろう。

梅原猛は、日本人の価値観の基本は美意識にあると言った。(「美と宗教の発見」梅原猛著
綺麗な生き方をしようとしている人間が少なくなった。特に、日本の政治家の生き様から美しさがなくなりつつある。美しさは、潔さにも繋がる。花は桜木、人は武士といった美意識がなくなってきたのである。その結果、美学が廃れつつあるのである。

美は、外見に現れる。美は形である。美を追い求めれば、形式に至る。
美の基準は外形である。むろん、外見の裏には内面がある。しかし、美の本質は姿形、外に表れた象である。形からその内面を伺い知るのである。
普通、美しい、という表現は、多く外観に対し用いられるが、「美学」という表現には、むしろ外観的な要素はなく内面的な要素に集約される。



織田長益像(正伝永源院蔵)


史実によると、桃山時代から江戸時代にかけての茶人織田有楽斎は当初織田長益(ながます)と名乗っていた。織田信長とは13、歳が離れてはいたが、信長の実弟であり本能寺の変の時は、信長の長男信忠の旗下にあった。信長討たれる、の報に接すると信忠に自害を進言し、切腹させ自分は逃げてしまった武将である。
当然、世間からはもの笑いの種とされた。だが信長の実弟として天下を取ろうなどと、奮起する気配は一向に見えなかった。その後、いくつかの戦いを経験するが生き伸び、信長の後継者となることを捨て、僅か3000石の大名となり、政治向きから遠ざかり千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。織田有楽斎と名乗り、野心を捨てた茶人として豊臣、徳川に仕え、75歳の天寿を全うした人物である。
花は桜木 人は武士、と言われるように、潔(いさぎよ)い生き方とは正反対の生き方をしたこの御仁、有楽斎は現在の東京有楽町の名の由来とされる俗説もあるが、歴史の裏に潜んだ人生いろいろである。




2015年9月19日土曜日

アートな話「百年の愚行展」


『百年の愚行展』が、8月22日から9月27日まで東京・秋葉原の Arts Chiyoda1階ギャラリーで開催されている。
同展は、書籍『百年の愚行』および同書の続編となる『続・百年の愚行』の展覧会。2002年に刊行された『百年の愚行』は、20世紀に人類が犯した愚行を10に分類し、写真やエッセイ、コラムで紹介した書籍だ。昨年に刊行された『続・百年の愚行』は、アメリカ同時多発テロ事件や「3.11」にまつわる事象を含む21世紀以降の「愚行」を約50点の写真を通して紹介している。


会場風景

『百年の愚行展』は、21世紀に入った現在もなお続く暴力、環境破壊、経済格差といった問題について議論し、行動するきっかけづくりとして開催。2冊の書籍で紹介された20世紀から21世紀にかけての愚行を象徴する写真を展示するほか、国内外で現在進行している様々な動きについても映像を使って紹介している。



会場風景2

20世紀に犯した人類の数々の愚行の写真100点と、21世紀に入っても人類の愚行は増大するその続編が50点の写真集を追加しての今回の展覧会。それら出版物の中の写真パネルや、画像VTRが狭い会場を埋め尽くしている。神の視座にたてば人間のやっていることは愚行に映るのだろうが、これらの画像や映像を見て、どうにもならない厭世的な気分に陥るのは私だけではないだろう。

対義語の辞典によると、愚行の対極にあるのは快挙であり、20世紀はあらゆる分野(自然科学、生物化学、宇宙科学、産業革命、情報革命、エネルギー革命)などのイノベーションが人類の快挙とするならば、対極にある負の遺産である戦争、難民、環境破壊、原発、格差、資本主義の病根が人類の愚行と深くかかわっている要素である。人類史をあえて俯瞰してみれば、戦争と戦争の間にある平和,力と力のバランスの上でかろうじて成り立っている平和というものが長く続かないことが見て取れる。戦いの無くならない世界、これは人間のカルマ(業)のなせる業であり、我々はカオス(混沌)の世界の住人でもある。人間が自助努力をしてもその力は微力であるが、この愚行の数を減らす努力は続けなければならない。そういった志向性をうながすカメラの目は我々に黙示録として語り続けるだろう。

2015年9月14日月曜日

難民問題

シリア難民

難民という概念は、あらゆるものに普遍的な漂流者(平たく言うと根無し草)という日本語が当てはまる。ネットカフェ難民、帰宅難民、カルチャー難民、そして映画で話題になった東京難民とさまざまである。
今世界では、シリア難民問題でEUがその受け入れを巡って分解寸前となっている。海外ニュースを賑わしている映像では、ハンガリーはセルビアとの国境に有刺鉄線のフェンス、あるいはトルコ沿岸の波打ち際で溺死した少年や、大挙してドイツに向かう難民列車等々報道されているが、しかし彼らの多くは戦禍を逃れた政治難民なのか、あるいは単に荒廃した母国を見捨て『より良い暮らし』を求める経済難民なのかの線引きは難しい。これらを見て人道、人権といったものを優先する感情論が先行することも考え物である。安易に難民を受け入れる文化のある国とそうでない国では、対応の仕方が違ってくる。既にEUはアメリカに難民引き受けを打診していて、アメリカも1万人程度受け入れるようだ。もともと移民で成り立った国だから何ら違和感はないのだろう。
ドイツを目指すシリア難民

日本も遠い国の出来事と言ってられなくなり、少なくとも難民支援のための資金提供は余儀なくされるだろう。こういう国からの難民を、自由・民主・人権・法治を土台とする近代国家が受け入れることはできても、難民が溶け込むことはない。難民はゲットーを作り、治安は悪化し彼らは仕事よりも先に福祉を要求する。難民を無制限に受け入れることによって様々な問題が各国に起きている。日本も在日棄民(注)を抱えこみ戦後を歩んできた歴史がある。パクリ、スパイ、ねつ造体質のこの民族の世界各地で起こす禍根は数が多すぎて枚挙にいとまがない。

(注) 戦後一貫して韓国は不良朝鮮人、犯罪者、ヤクザの帰国や送還を認めてこなかった。いわば国家が見捨てた 難民である。

長い歴史の中で多くの困難を乗り越えて今日の国家は存在する。総じて次世代により良い国家を引き渡すのが国民の義務であるが、残念ながら難民は受け入れ先で多くの問題を引き起こす。解決策は祖国が安定して、故国に帰り元のさやに戻るのが理想であるが、国際情勢からみて非常に困難なことでもある。いかに先進国とはいえ難民受け入れには限度があり、各国ともこの連中に満足を与え続ける余裕はない。各国とも経済的余裕のない“底辺の人々が”が真っ先に難民に対する抵抗勢力となってナショナリズムを煽り立てる。ドイツのネオナチしかりである。しかしそれにしても日本の難民認定はハードルが高く2011年以降、61人のシリア人が申請を行い、難民認定された人が1人もいないというのが批判の的になっている。そのための改善も進めているようだ。日本のガードが堅いのは世界も周知の事実である。よほど在日問題で国が悩ませ続けられたのだろう。

我が国法務省の在留外国人統計(平成26年6月末現在)によると、国籍地域別特別永住者の数は、韓国・朝鮮(36万0004人)中国(1759人)台湾(648人)となっており、圧倒的に韓国人が多い。日本の隣 国には幼少の頃から反日感情を植えつける教育を施された民族が大勢現存しており、戦後60年経ても、在日朝鮮、韓国人の動向を見ていると他山の石とは言えない。大陸有事の際は厄介な隣人たちが日本に押し寄せる局面は想像するに難くない。

(国連)によれば、シリア国内で600万人余りが避難民となり、400万人余りが難民登録をしているという。そのうち半数以上がレバノン、ヨルダン、イラク、エジプトに流れ、トルコにも約190万人が、北アフリカに約2.4万人がいるという。ドイツでは今年、過去最多の80万人が難民申請すると予測されているが、申請者の約4割は「不法移民」だという。出口の見えない難民問題に世界は苦慮している。どうしたものやら、、、、

2015年9月5日土曜日

ネット社会の裏側

アマゾンの配送センター


ここ3~4年でアマゾンで日用品から書籍並び食品、家電、など多岐にわたり利用することが多くなった。家電品でもヤマダ電機より安いものが手に入ることもあり、配達の速さと日用品などの定期購入の便利さから利用頻度がますます広がり,無くてはならないものになってきた。本家アメリカでは、アマゾンにとっぷり浸かった消費者を称してアマゾン中毒といっているようだ。私もそのカテゴリーに入るかもしれない。

実際アマゾンのマーケット上で売り手としても店を持っているが、登録までには手続きなどで手間取った。PRさせていただくが、 鎌倉彫工房<創>を参照されたし。ネットショップがひしめく中、ランディングコストは、楽天などに比べかなり安く営業しやすい。周知のとおりアマゾンは、米国の最大手通販業者であり、日本でも楽天やヤフー、その他通販業者をおさえて売上高トップの座を占めている。
アマゾンは、市場の拡大、成熟、縮小の状況に関係なく、顧客を自社の通販サイトに誘導するための、新規投資や改革を常に行っているので、大手小売業者にとっても、その存在は脅威である。インターネットの普及により情報の垣根が崩れ、場所の垣根も崩れ、どこにいようと好きなものが手に入る今の時代、アマゾンの強みは、Webサイトの見やすさ・使いやすさ、扱い製品群の多さと、高効率且つ廉価若しくは、一部業者を除いて無料の宅配サービスが売りになっている。今後ネット通販は、アマゾンに限らずスマホの高速普及や高齢者のネット活用比率の向上などから、更に成長が見込まれるだろう。


さてそのアマゾンであるが、秘密のベールに閉ざされたアマゾンの内側をえぐった潜入ルポ「アマゾン、ドットコムの光と影」横田増生著を読むと、アマゾンの心臓部分の巨大な配送センターの正確無比なシステムと、多くのアルバイトと非正規社員に支えられた実体が浮かび上がる。著者自身がアルバイトとして配送センターで実際に働いた体験が生々しく語られている。そこにあるのは働く希望も喜びもない時給ノルマに縛られた、無機的な職場環境の格差社会で働く大量の労働者の縮図があぶりだされていた。それはあのチャップリンのモダンタイムスのシーンを彷彿させるものだ。

アマゾンに限らず、どの産業も企業の草創期から成長期そして成熟期を経て、低迷衰退期に至るサイクルが約30年というのが定説となっている。そして最後を迎えるも迎えないも企業努力にかかっているのだが。経済環境の激変期(戦後高度成長時代から成熟期に至り、そして衰退期を迎える現在) に日本経済を支えてきた年功序列と定年までの身分保障をされたあの時代は通り過ぎ、各企業は正規社員を多数抱え込む余力はなくなり、企業存続のためには、正社員さえもリストラの憂き目にあう。そして賃金の安い非正規社員、派遣、アルバイトと労働形態はシフトして行き、労働環境は年を追うごとに厳しくなっている。今話題のブラック企業や過労死、ワーキングプアーなどおなじみのフレーズが巷にあふれている。

グローバル経済の下、単純労働は途上国に流れ、国内では労働の2極化、すなわち特別なスキルのある専門職と誰でもできる一般職に分化してゆく。この一般職の分野も、多くの職種が近未来にはコンピュータや機械にとって代わっていくことが予測されている昨今。そしてそれらの経済環境の中で未来を絶たれた者たちは、希望を持てない労働者として社会の底辺をさまよい、少子高齢化に拍車をかける。このトレンドは止められない。日経新聞によると、2014年のニート総数は56万人、雇用者のうち非正規社員やアルバイトは全体で2000万人を突破した。今や正社員だった人が転職の時に非正規になる流れも強まっている。



この情報化時代に起きた事件が、オリンピックエンブレム使用中止の佐野騒動である。とざされた世界の審査につきものの、なれ合い、お手盛りもさることながら、大量情報消費の中には、便所の落とし紙のごとくコピーされては捨てられていくものも多い。特にデザインの世界では珍しくないようだ。似たようなデザインがネットでは氾濫している。またそれに対して多くのギャラリーが匿名性を武器にして誹謗中傷や、安っぽい正義感を振りかざして、個人のプライバシーを暴き、特定の個人を攻撃する。身から出た錆とはいえ、国民のつるし上げにあったあのデザイナーの末路は気の毒としか言いようがない。

ご承知のように情報の中には虚偽、だまし、誇大、偏見も多く混在し、利用者に取捨選択や読解力と言う見識とレベルも必要であることは言うまでもないことだが、不特定多数、匿名、非対面と言うメリットは、同時に無責任、虚偽、ナリスマシや憑依や荒らしやフィシングのリスクを含んでいることは忘れてはならない。そういう時代に我々は生きているのだから。

2015年8月15日土曜日

オリンピック 3つの懸念

ごたごた続きの東京オリンピックであるが、最近の情勢をみてみると、3つの懸念が頭をよぎるので以下に列記してしてみた。

1.メインスタジアム
没になった新国立競技場デザイン

2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会のメインスタジアムである新国立競技場の建設計画は、当初から担当組織のいい加減な予算の立て方や、その利権に群がる政治家の思惑で空転が続き、挙句の果てに安部首相の一声で白紙見直しが決まった。
当初の試算1300億円から二転三転したあげく、多目的の運用を想定し、2520億円に膨れ上がった新国立競技場の整備計画。世論の逆風に押されて、その費用の積算根拠や責任の所在などを明らかにするための第1回検証委員会が8月7日、文科省で行われた。
文科省傘下の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)は、早い時期からゼネコンの共同企業体(設計JV)より予算が3000億円は超えると報告されていたにもかかわらず、文科省に過少申告をして事態を混迷させていた。そこには情報操作の疑惑まで浮かび上がる様相が見えかくれする。

JSCの試算では、新国立競技場の年間維持運営費は40億円余。これは、旧国立競技場の維持運営費の約8倍になり、回収不能と言われている。かつて日本中の町に多目的ホールが建設され、「無目的ホール」と揶揄された箱ものがあふれている昨今。そしてその多くが、今や維持困難になっている。「無目的競技場」の将来世代への負担はあまりにも大きい。いうまでもなく身の丈に合った施設を作るべきで、政治家の利権に振り回される国民はたまったものではない。

2.コピーワールド
ベルギーのデザイナーのデザインとスペインのデザイン

国立競技場に続いて、オリンピックに関連したデザイン盗用問題が起きた。 2015年7月24日に発表された東京オリンピックのエンブレムだ。
事の発端は、ベルギーのリエージュ・シアターのロゴマークに似ているとして、このロゴをデザインしたベルギーのデザイナー、がTwitterやFacebookなどのSNSで両デザインを比較した画像を発表したこと。この画像がインターネットを通じて一気に広がり、日本国内でも「模倣ではないか」と多くのメディアが取り上げる事態になった。その後ドビ氏はオリンピックエンブレムの使用停止を求めてIOCとJOCに、書簡を送付している。またスペインのデザイン事務所のロゴとも似ていて、足して2で割ったデザインとも指適されている。
 
こうした事態に対して8月5日、オリンピック組織委員会と、デザイナーの佐野研二郎氏が都内で会見。佐野氏は「全く似ていない」とベルギーのデザイナーの主張に真っ向から反論した。なるほど色といい形といいよく似ている、これでは
パクリと言われても仕方がないだろう。創造においては素材(要素)を抽出する模倣の段階から、それを消化して新たな構造(再構成)を作る過程を経て、機能を探り新たな機能を創り出し完成度を高める手順というものがある。このエンブレムは未消化のままだ。さらに悪いことに、最近になって他に出回っているパッケージデザインも2~3コピーしたことを本人が認めたことから、問題がこじれ、これが国際問題に発展しないことを望むばかりだ。我々は日々の経験則から一度ケチの付いたものは最後までケチがつくことを知っている。老婆心ながら最後にもう一つオリンピックについての懸念がある。

3.3.11から5年後以降の東京の環境
福一から250kmの位置に横浜がある

原発問題を発信し続けているノンフィクション作家の広瀬隆氏は、緊急出版した著書〔東京が壊滅する日〕が話題になっている。
すでに事故から4年をすぎた現在、日本に住むほとんどの人は「事故と被害は終った」と勘違いしているが、「福島第一原発」の事故現場では、大量の放射能放出が続いており、東京電力が発表する放出量は変動が大きすぎて信頼できないのだ。毎日6000~7000人の作業者が、汚染地帯で身を削って働いている。そしてここから漏れ出している放射能汚染水は、地下水脈を流れ、ハンパな量ではない。東京電力は必死になってそれを回収しているが、この4年間で貯蔵量が75万立方メートルというトテツモナイ量に達しているのだ。

著書では、トリチウムの危険性を言及しており、これが放射性セシウムと放射性ストロンチウムと共に、汚染水に大量に流れこんでいるのだ。
トリチウムという放射性物質は、元素としては水素である。しかし通常の水素は原子核が陽子1個でできているが、トリチウムの原子核は、そこに中性子が2個くっついている。DNAを構成する究極の原子は水素H、炭素C、酸素O、窒素N、リンPである。その水素が、放射線を出す水素になってしまえば、体内で、どれほどおそろしいことが起こるかは、誰でも想像できるだろうとしている。

しかしほとんどの人が持っている簡易式の放射線測定器は、放射性のセシウムやヨウ素が出す「ガンマ線」しか測定できない。

Air counter-S
ストロンチウム90やトリチウムが出す「ベータ線」を測定していないのである。私もネットで買った線量計を持っているが、役に立たない、国もストロンチュウムとトリチウムの線量は正式に発表していないのが不気味だ。不都合な事実が潜んでいる気配がする。

最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?
チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増、それが2016年からだ。2020年はどうなっているのだろう?

2015年8月11日火曜日

アートな話「色と形そして未来」

日本の伝統色


日本文化の個性として色に象徴的に現れる中間色やそれぞれの色に、自然を手本とした呼び名があるように、一つの色をとっても階調が豊かで情緒的で、他国と違った曖昧さの残る感性が、日本人の特性を表している。その根底には、絶えず変化する自然が色という表層から、色の移ろいやすさを感じ取り、色の境界線が曖昧なまま日本文化の特徴を示している。そのことは四季のない他国では見られない風土と自然が日本の文化を育んでいることと関連している。


遠近法と地平線
 
 
 
 
一方ものの形を表す線については、曲線と直線が有る。曲線が繋がるところに真円あるいはアットランダムな歪んだ円が存在する。そして自然界の動植物も円から派生した曲線から成り立つ。唯一自然界で認識される直線は、地平線(地球の成り立ちからいえば曲線)である。
古今東西、絵画における地平線は直線で画面を天と地に分けられるが、その画面における比率は、作者の感情表現に委ねられる。直線は上下縦横を分ける線であり、天上と地上、物と人、人と人の間を分け、区切りをつける言わば境界線でもある。それは情緒的な曲線とは違って、知性の線である。

西洋の古典派の画家たちは、空間を写実的に描くため、事物や建造物など人々の周りに存在するもののリアリティーを表現するため、必然的に直線が抽出され、隠れた直線とも言えるパースペクティブの遠近法を忠実に再現して行く。
そして西洋の遠近法は、ダビンチに代表されるように目から遠ざかる対象は縮小し、色彩の変化と、形のボケ、並びに空気遠近法まで持ち出して、対象が遠ざかるほど空気の色が青に見えると言った、合理主義的な形態の把握を志向している。それとは対象的な日本の逆遠近法は、西洋の理知的な合理主義とはかけ離れた、情緒的とも言える、西洋から見たら驚く手法をとっている。




現代絵画では、理知的な直線をどこまでも追求し、直線の交差するせめぎ合いから、理知的な直線から一歩抜け出た、リズム感と叙情的な直線を表現したモンドリアンの絵画が見られる。

絵画の歴史の中には常軌を逸した、画家たちも多い。その中に見られる一種強迫観念に憑かれた偏執狂的な作風の画家達。
 細密画で知られるブリューゲル、偏執狂的な色彩とタッチの絵が特徴で、最後は精神を病んで自殺したゴッホ、 自らの制作方法を、偏執狂的批判的方法と称して、写実的な描法を用いながらシュールな風景画を書いたダリ、 幼くして統合失調症を病み、幻覚幻聴から身を守るために作品を水玉(ドット)で埋め尽くす草間彌生、ウイーン幻想派  レムーデンなどなど数え上げればきりがないが、番外編では スペイン出身の建築家ガウディがいる。バルセロナにあるサクラダファミリアも、市の財政難のため建築が中断され、未だ未完成のままだ。

二十世紀後半のシュールレアリズムに見られる、意図的に無意識の世界に創造性の根拠が求められ、知性と感性を内包した交流を意識と無意識の相互交流の中で表現を求めた潮流から、一転して現代美術は現代の無機的な社会構造、テクノロジーの進歩に呼応するようなテクノロジーアート、クールアート、ハプニング、コンセプチャルアート、インスタレーションなど、従来のような有機的でヒューマンなものを否定するトレンドが見られる。中には映像を駆使したものや、コンピュータを利用したものなど視覚芸術の革命というべきステージに来ている。

Kaleidoscope with Mirror HARRIER」インスタレーション

人間の感覚器官の一部が電子機械で外部に向かってアウトプットされ、知覚系にある内容がボタン一つでプログラミングされているコンピュータから色や形になって発信されて行くのである。この流れはどこに向かって行くのだろうか?近未来には、かつてのヒューマンなタブローを回顧し復興させる流れがくるかもしれない。コンピューターが人間を支配する危うさが予見されるから、やがて人々は危機感を持つことになるだろう。なぜなら機械には自分を制御する感性も心もないから、誰もその暴走は止められないからだ。

2015年8月5日水曜日

日々雑感

気象庁 HP


ここのところ暑さの収まりそうもない日々が続いているが、今年は確かエルニーニョ現象が広がり日本の夏は冷夏になる予報だったのが、台風の多発に伴い状況がガラリと変わった。紋切り型の定説はあまりあてにならないようだ。
このさき一週間も、東北~沖縄にかけて気温のかなり高い状態が続き、一部で40℃を超える高温となるおそれも出てきた。
東京では、きょうも35℃の予想は続き、すでに5日連続の猛暑日で統計開始以来の連続記録を塗り替えたそうな。年を取ったせいか薄くなった頭頂に照りつける太陽がじりじりと神経を刺激する。外出先でこんな日は帽子をかぶるに限ると思ってみても後の祭りだ。梅雨明け前の日照不足を騒いでいたあれは何だったんだろう?
一度でもまとまった雨が降れば、暑さに少しブレーキがかかるのだが、今週もその気配が本州付近ではないようだ。雨による冷却や空気の入れ替わりがないと、日に日に熱が蓄積され、気温が上がりやすくなってしまうのではないだろうか。私などは屋内で仕事をやっていることが多いので、クーラーのない外で働いている人は、体力を消耗して大変だろうと思う。

人間の場合、気温が高すぎると食欲不振におちいるが、反対に魚の場合は、水温が下がりすぎると食いが落ちることが知られている。以前、台風の後に千葉に釣りに行った時など、時化の後、海水がかき混ぜられて夏場なのに水温が14度まで下がり、魚が口を使わず貧果に終わったことがあったが、暑気払いに行った8月最初の走水釣行では、午後からのアジと、夜メバルはそこそこ釣れた。これも自然には逆らえないといったところか。


*エルニーニョとは、ペルー沖の海水温が上昇する気象現象を言う。海水温が上昇することで様々な異常気象を世界にもたらることで知られている。日本の場合は夏なら冷夏、冬なら暖冬となり、今年は既にエルニーニョが観測され、更に今後もかつてない規模で大きくなる予想が気象庁から出ている。ペルー沖の海水温が上昇すると、周囲の海水温が影響されて高くなる。この高い海水温域が日本に暑い夏をもたらす太平洋高気圧を引っ張り、東に寄ってしまい、結果として、日本は太平洋高気圧の影響が薄くなり冷夏となるようだ。

2015年7月26日日曜日

アートな話「動きのカガク展」

動きのカガク展 入口風景

「動きのカガク展」が、6月19日(金)から9月27日(日)までの期間、六本木ミッドタウン DESIGN SIGHTで開催されているので、月に一度の通院の帰りに見に行ってきた。内外の作家や学生、企業との協働による多彩な「動く」作品を展示している会場には、所狭しとコンクリートの打ちっぱなしの空間に作品群が生物のようにうごめいていた。

モノづくりに携わっている人間にとって、作品を構成する要素のなかでデザインは非常に重要なウエイトを占めている。
それは従来の絵画や彫刻などのメディアアートの時代から進化し続ける情報化社会のテクノロジーを駆使したニューメディアアートとして動きをデザインする「モーション・デザイン」が、色や形を超えて時代の科学を支えている装置としての原理や仕組み、あるいは発想の原点のようなものを、制作にかかわった道具や素材の解説を試み、見るものに体験をうながす流れになっている。
我々の身の回りで見かける原始的な仕組みから最先端の制御装置やロボットなどの動きに関連したものや、視覚のイリュージョンを呼び起こす各種動力装置など、どれもが見るものを楽しませてくれる。印象に残った作品を2~3紹介してみよう。

最初の入り口に展示していた
    


<シックスティー・エイト>

ニルズ・フェルカー

ドイツ人アーティストによる作品。プログラミングされたポンプを使い、68枚のポリ袋が波のように伸縮し呼吸するような動きを見せる。因みにドイツではこの青色に加えてグレーのポリ袋が主流とのこと。



atOms」岸 遼       《124のdcモーター、コットンボール、53×53×53cmのダンボール箱》  ジモウン 2015年

    
上の2作品は素材の違いこそあれ、ボールの動きの静止バランスを風量による調整でコントロールされたものと、片や長さの異なるピアノ線に繋がれたボールが小型モーターで振動し、円筒形に積み上げられた段ボールを打ち鳴らし、内部空間に入ったとたん共鳴音が生みだす効果に驚いた。



レイヤー・オブ・エア》沼倉真理 2015
透明感のある素材を使ったカーテンを風で揺らして、そこにプロジェクターから不規則な光を当てカーテンをスクリーンに見立てて、そこに映し出された数々の映像イメージがおもしろい効果を出している。






 

《リフレクション・イン・ザ・スカルプチャー》

 生永麻衣+安住仁史  2015


 
右の作品は 1枚の布にステンレスミラーを貼り合わせて折ったものを伸縮させることで、多様な光の反射を見せるシャンデリアのようなものが天井からぶら下がり、これもモーターで伸縮させている。昔キャバレーで見たミラーボールを思い出す。










最後にこの展覧会の主催者側のコンセプトとギャラリーディレクター菱川勢一氏のコメントをご紹介する。



 
表現に「動き」をもたらしたモーション・デザイン。その技術は、車両制御システムや地図アプリケーション、通信技術やSNSの普及など、私たちの快適で便利な日常生活を支えている。また、プロダクトをはじめグラフィックや映像における躍動的な描写を可能にし、感性に訴えるより豊かな表現をつくりだしている。 今日のデザイナーは、エンジニアリングの手法も駆使しながら、先端技術を用いたものづくりを展開している。私たちの生活に欠かせない様々な動くツールやその仕組みは、デザイナーや企業の研究と実験の連続から生まれている。自らのアイデアが形となり、動き出す――その瞬間の純粋な喜びこそが、ものづくりの楽しさだと言えるのではないだろうか。
「動き」がもたらす表現力に触れ、観察し、その構造を理解し体験することで、ものづくりの楽しさを感じ、科学技術の発展とデザインの関係を改めて考える展覧会となるだろう。


ディレクターズ メッセージ  


この展覧会の「動き」というテーマの中には、「重力」「慣性」「波長」といった、デジタル社会においてもまだ完全に解明されていない現象への想像力を込めました。情報が溢れている現代だからこそ、自然科学だけではなく文化や経済といった人間の営みまでを「動き」という視点で横断的に捉えなおす機会になればと考えています。(中略)

つくることは決してブラックボックスではなく、いろんな人がチームとして参加することで流れだす、ひとつの「動き」なんだという認識が広まることを願っています。それは、展示を観に来る子どもたちだけではなく大人たちにも伝えたいことです。

 菱川勢一