2012年10月27日土曜日

上野散策



                       漆芸 軌跡と未来 展

今月、東京芸術大学創立125周年記念で開催された<漆芸>軌跡と未来展を、カミさんと蒔絵教室の山口先生の案内で生徒たちと見に行った。東京美術学校創設と同時に開設された漆芸研究室は大学設立125周年を迎えて今回の展覧会が開催された。
山口先生ご夫妻も揃って出品されているので、この機会にご一緒させていただいた。上野駅で皆と待ち合わせ、芸術の秋らしく相変わらず上野公園口は人で一杯だった。昼前だったがこの混雑を想定し精養軒で早めに昼食をとり芸大に向かった。
江戸時代の蒔絵を踏襲した明治期から非常に緻密な伝統の死守と、新しい表現法を模索する大正から昭和期そして、この20年ぐらいの新しい表現。そこには重鎮から卒業したての若い世代まで幅広く見ごたえのある展覧会だった。

展示室1          展示室2


展示は地下の展示室1と2を使用され、展示室1はタイトルでいうところの軌跡、そして展示室2が未来と言う設定になっている。展示室1は明治からの卒業生で古典的な感じの品が並んでいた。前に観たことがある作品も幾つかあり、時間をかけて制作した跡が伺える。修練を重ねて会得した技術に裏打ちされた作品群は、古き時代のゆったりした時間の中で制作されたことを感じさせる宝物でもある。
展示室2は漆という素材を複眼的に見る現代の状況と、仮想空間を意識して制作された未来的な作品や、社会性と時代性を意図したキオクノタネ2011など多種多様な作品が並び、見るものを楽しませてくれた。

会期 10月5日~21日
会場 上野芸大美術館

公園内の畑と花や緑

当日上野公園では全国都市緑化フェアー2012が行われており公園も様変わりしていた。殺伐とした都会に緑をと、聞こえてくるような風景だった。

2012年10月17日水曜日

増税の成れの果て

IMF 総会


 9日に東京でIMFと世界銀行の年次総会が開かれた。日本での開催は東京オリンピックの年から実に48年ぶりらしい。14日までの期間中には、加盟188カ国から官民合わせて約2万人が来日した。いずれも、世界を動かす金融・財政政策のトップばかりだ。2日前に私用で周辺を車で通ったが物々しい警備だった。
もう忘れかけているが、2010年当時民主党の財務相菅直人が首相になる一ヵ月前の5月に、IMFが突然日本の消費税増税を求める異例の声明を出した。
そのIMFが日本に対して消費税増税を求めたのが、消費税増税法案のきっかけである。IMFが日本に対して内政干渉ともいえる消費税増税を求める異例の声明を出してから約一月後の2010.6.4に菅直人が首相に就任した。 そして就任するとすぐに消費税10%に言及した。そこから民主党がおかしくなってきた。
IMFはアメリカの圧力で動く国際機関である。本部もアメリカ・ワシントンにある。
加盟各国の拠出総額4500億ドル(約35.3兆円)に占める日本の拠出額600億ドル(約4.7兆円)はダントツの1位であるが、大臣の経験も財務関係の経験もない労働組合出身の城島財務相に託された会議に対して(英経済誌「エコノミスト」に〈日本はお粗末な主催国。こんな経済外交を展開してはいけないという教訓を与えてくれた〉Japan and the IMF/Poor host--Japan gives a lesson in how not to handle economic diplomacy と酷評される始末だ。

さて政府の税収はこの4年ほどで11兆円も減っている。国のメンツをかけての大判振る舞いも、国民の血税で賄っている。折しも震災後のわが国経済は中国経済がらみで疲弊の一途である。そんな中国も今回の会議をボイコットし各国から批判が出ている。経済大国世界2位の責任はどこに行ったのか?中国人は自分で自分の行動の責任をとることができない民族である。責任は他人に転嫁し、実益は自分で取る、そして自分のメンツは最大限に立てるということが彼らの基本的なスタンスであることがここにきて分かってきた。


宮城県 女川

いまだ被災地の復興が進んでいない。被災地で復興予算の申請をしても60%も却下されている。何のための復興税なのか?復興予算の19兆円の内、2兆5千億円が、復興とは全然関係ない全国各地で使われていることが国民の怒りを買っている。
そもそも復興予算のムダ遣いは、東日本大震災復興基本法で〈単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れる〉との官僚の作文が盛り込まれたために各省庁が、被災地に限定されない「全国の防災」の名の下に好き勝手な予算を組んで防災とは無関係なものまで税金を使っている始末だ。この国はどこまで腐っているのか?
「社会保障と税の一体改革」の付則18条(消費税率の引き上げに当たっての措置)にも、こう書いてある。〈成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する〉
復興の資金として、昨年度は15兆円もの予算が組まれた。今年度はさらに4兆円が予算計上されており、合わせて19兆円という巨額にのぼる。被災地の復興を一日も早く、との国民の願いを受け、財源を確保するために25年にわたる所得税の増税、10年にわたる住民税の増税が認められた。
だがそんな予算のうち、5.9兆円が「あまり」とみなされて使われていない。そのうち4.8兆円は翌年に繰り越されるが、約1.1兆円は「使い道がない」とみなされて、復興特別会計なる不可思議な会計に組み入れられ、被災地の復興とは、なんの関係もない使途に費やされるという。
さらに無駄遣いは続く。役人たちの退職金、スポーツジムの利用など福利厚生まで、復興特別会計でまかなわれたのだ。復興のためとして、子ども手当を削り、高速道路無料化を廃止するなど、国民に求められてきた負担はいったい何だったのか?財政赤字解消のためとする消費税増税はなんぞ?はたまた消費税増で余裕ができた財源を大型開発事業につぎ込む。新幹線、高速道路など、民自公の3党合意で鮮明になった“消費税増税は時代錯誤の大型公共事業の復活に”。アホ臭くて税金まともに払えまへん。

2012年10月10日水曜日

娘の門出

赤坂氷川神社

10月7日赤坂氷川神社で4時から娘の挙式が行われた。雅楽器に先導され2人が現れ、娘の白無垢の姿は眩しく写り、式は滞りなく終わった。
当日は各親族とも近くのキャピトルホテル東急で宿泊し、披露宴はホテル内のフレンチで「キッチンが走る」で娘がお世話になった坂井シェフの店<ラ・ロシェル 山王>で、大勢の来賓の方々に祝福していただいた。


ウエディングケーキ
会場では番組制作の仲間たちの手作りの二人の結婚に至る傑作ビデオが会場の笑いを誘い、シェフ渾身の思いで作られた料理を皆さん心いくまで楽しんでいた。最後を飾るウエディングケーキは、TVでお馴染みのキッチンワゴンカーをあしらった風変わりなケーキで、後日関係者からは楽しい披露宴だったと好評だった。



式も終わった今、カミさんはお役目を果たし、色々な思いがこみ上げて、娘の両親に対するメッセージを思いだし、涙ぐむ顔を見て私は「ご苦労さん!」とつぶやいた。

2012年10月2日火曜日

アートな話「色について」

◆ 白について
キキ.ド.モンパルナス 藤田嗣治

白という色は、一般的に色という概念から外れた無彩色の感情のない色である。
昔は「しろ」と言うと、「素」という漢字が用いられていた。実は今でもこの漢字を「しろ」と言う意味で使っている場面がある。例えば「素人」という言葉を「しろうと」と言うと、まだ知識や技術を持たない人や何も技術がない純粋な状態を指し、絵の具で言えばピュアーで無着色の無垢のイメージがつきまとう。
画家で白を多用している人は少ないし、使っても完全な白ではなく何らかの色が混入され微妙な白の色調が現れる。またあらゆる色に白を混ぜると混合比率によって、あらゆる階調の中間色ができるのはよく知られたところである。

8月に鎌倉にある神奈川県立近代美術館で見た藤田嗣治のキキ.ド.モンパルナスは、表情豊かな白を世界に認めさせた藤田作品の一つである。カンバスの布目を白のファンデーションで塗りつぶし、非常にきめ細かい下地の上に裸婦と白い布が同化している味わい深い白を、彼独自の技法で表現している。また裸婦に描かれた輪郭線の確かで鋭い長くて細い線は、一瞬のためらいもなくキャンバスに定着していた。全体の仕上がりは品のいいエロティシズムを醸し出して見る者を魅了する。

藤田嗣治は、1886(明治19)年、東京生まれ。東京美術学校で学んだ後、1913(大正2)年、単身、パリに渡る。 当時、パリでは、新進の画家たちが、パリ派(エコール・ド・パリ)と呼ばれる集団を形作り、自由な絵画を描くための、自由奔放な生活を送っていた。 彼らは、様々な国から集まっていて、それぞれの技法や芸術観などを持ち寄り互いに影響し合い、それぞれに独自の画風を作り上げていった。藤田は乳白色の地塗を施した画布に線描を生かした独自の技法を見い出し、一躍時代の寵児となった。しかし第2次世界大戦中は国策絵画(戦争画)に手を染めたため戦後は批判を浴び、日本画壇と決別してフランスに帰化した。
藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかったが、近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。さらに絵画からはタルク<滑石(かっせき)は、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種である。>が検出されており、その正体は和光堂のシッカロールだったことが2011年に発表された。また、面相筆の中に針を仕込むことにより均一な線を描いていたことも修復により判明した。(wikipedia)


● 修復あれこれ


最近NHKBSプレミアムで藤田嗣治 乳白色の裸婦の秘密を見た。という番組があったが、東京芸大で油絵の修復を教えている木島隆康 教授が藤田の裸婦の模写をして、藤田絵画の白の謎に迫った放送だった。
「フジタの裸婦画は油絵というより日本画にちかい」と研究者はいう。たとえばその肌の描き方。フジタは色を塗るのではなく、浮世絵のようにカンバスの地をそのまま肌にいかすことを思いついた。そのためには、肌のような柔らかな質感を持つカンバスが必要になる。フジタの裸婦画へのとりくみは理想的なカンバスづくりからはじまった。そこにたどりつくまで、どれほどの試行錯誤をくり返したのだろう。
フジタがカンバス布として選んだのは、シーツとして使われていた繊維の細かい、表面のなめらかな布だった。これは通常用いられる布にくらべてかなり目が細かい。手仕事を愛してやまないフジタは、自らこの布をカンバスに貼り、下地として白色顔料を塗った。
本来ならこれで下地づくりは完成なのだが、フジタはさらに独自のプロセスを加えた。炭酸カルシウムは、オイルで溶くと色が白から黄土色に変化する。これを1:3の割合で白い絵の具に混ぜたものを先ほどの下地にかさねると、カンバスに象牙色のやわらかい質感がでることを発見したのだ。そして最後にカンバスのテカリを抑えるためタルクを塗りこんだ。こうしてフジタの理想のカンバスはついに完成したのである。それも皮膚と肌そのもののマチエールを実現するために。
フジタの乳白色の肌は、面相筆で引かれた黒い極細の輪郭線を持つことでいっそうその美しさを際立たせている。墨で描かれているらしい。ふつうの油絵にはなく、フジタ独特のもの。永くなめらかなで途切れることのない線でまるで一筆がきのようである。
その輪郭線を引く上でもタルクが重要な役割を果たしている。タルクを塗っていない下地は油性のため、水性の墨ははじかれてしまう。タルクを塗ることで、油絵の上に墨の線を置くことを可能にし、裸婦を際立たせた。
番組では数々のフジタ作品の修復をてがけて、自身もフジタ研究をされている木島教授が『寝室の裸婦キキ』の上半身をフジタの手法で再現しつつ描いていたが、藤田の線に近づくべく筆を動かしていたが、輪郭線を引くのが大変そうだった。あんなに細い線をなめらか且つ長く引くためには相当の技が必要なようで、改めて藤田の凄さに思いを馳せた。



最近、スペインで80代の女性が教会の壁画を勝手に修復し、描かれていたキリスト像が 全く別モノになってしまうという事件が起きた。この事件は「史上最悪の修復劇」と呼ばれ世界中で話題となり見物客が殺到した。芸術とはなんぞやとつぶやきたくなる作品である。左のオリジナル作品は絵の具が剥離し白がむき出しになっている。そこに素人の老婆が手を加えると、あれよあれよと言う間に右のように変貌した。

室町時代の茶入の修復(更谷富造)

一方我々が扱っている漆の世界でも、世界的な漆芸の修復家、更谷富造がいる。彼の著書「漆芸ー日本が捨てた宝物」では我が国の漆芸の一級品が多く海外に流失し、幾多の富裕層のコレクションになっており,破損、損傷したものの復元修復の依頼が多く、過去の漆芸技術の素晴らしさを述べている。
漆芸の緻密さゆえにミクロン単位で作業するため、写真のように著者は外科医が使用するルーペで作業している。
桃山時代の漆器の輸出に始まって戦後は二足三文でアメリカに渡った日本の宝は、海外で持ち主を転々としながら宝物として多くの作品が眠っているようだ。
さて話を白に戻せば、漆の白は乾くと黒ずむという漆の特性から純白の色は出ない。主に白の顔料はチタン(二酸化チタン)であるが、これと精製された朱合漆と混ぜ、練って作るのであるが塗って日が浅いうちはベージュ色になり、やがて年数が経って漆が透けていき色が明るくなっていくが、本来の白とは程遠い。そのため白に近づくために漆芸の世界では、卵の殻を細かく敷き詰める技法をとっている。