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2016年2月8日月曜日

政局探訪「政治とカネ」



昨今の“政治とカネ”をめぐる問題は、与党の閣僚から安倍首相、民主党の岡田代表にまで飛び火し、政界全体のモラルが問われる事態にまで発展した。
つい最近の甘利経済再生相の辞任など100万単位で職を辞する日本のシビアーさと100億単位の賄賂で身を亡ぼす中国の多くの公務員とを比較するわけではないが、国民性の落差を感じる。ましてや日本経済のかじ取りを任された重要閣僚である。証拠を握られ出口なしの政治劇場に落ち込んで野垂れ死にだ。第二次阿部内閣以降死屍累々と散った閣僚は以下の通り。

【第2次内閣】
  14年 小渕優子経産相 自らの政治団体による不明朗な政治資金問題
      松島みどり法相 自らの選挙区内でうちわ配布
【第3次内閣】
  15年 西川公也農水相 国の補助金を受けた企業からの献金問題
  16年 甘利明経済再生担当相 建設会社からの金銭授受

このように政治という臭いにおいのする世界では、時によって臭いものに蓋をして手仕舞いをしていく。

この結果、「政治とカネ」問題の追及のため、本来、国会で議論すべき問題の議論が進まない。「政治とカネ」をめぐる問題は日本政治の「弱点」と言われ、単に国民の政治不信を助長するだけでなく、過去にあったロッキード事件やリクルート事件のように政治を混乱に陥れてきた。昨今の一連の政治とカネをめぐるスキャンダルへの対応を誤れば、やがて政権転覆の可能性も出てくる話だ。だが多くの場合、政治家が法的責任を問われ、罰せられるケースは意外なほど少ない。「道義的責任」という名の下で当該の政治家が大臣などの役職を辞することで事態を収拾するケースがほとんどである。




政治にカネがかかるのは言うまでもないが、議員になるための選挙活動費から始まり、所属派閥の運営など献金という名のお金の出入りがこれを支えている。ちなみに議員一人にかかる歳費は図の通り。

議員1人の歳費諸々
これらの政治資金は、過去に何度も改正されてきた政治資金規正法によってカネの出入りを透明化する方向に向かって改善されてきた。 しかし現在の制度では、政治家は政治団体を多数設立することが可能なため、政治資金の全体像が把握しにくい仕組みとなっていて、玉虫色の好きな日本人が作ったこの法律はザル法となっている。政治家は抜け道を作るのが上手であるが、その手で自分の首を絞めていることに気が付いているのかいないのか摩訶不思議である。?

(注) 政治資金規正法
政治資金の流れを透明化するために1948年に制定された法律。数々の金脈問題をへて、1994年、選挙制度改革・政党助成制度の導入と併せて大幅な改正が行われ、企業・団体からの寄付の対象は政党(政党支部)、政治資金団体、資金管理団体に限定された。1999年政治家個人への企業団体献金禁止。

総務省の資料によると、政治資金には、大きく分けて①寄付(献金)、②政治資金パーティー、③政党交付金の3種類からなっている。
3の政党交付金は、税金で政党の活動を支援し、政党の独立性を保とうという仕組みである。この政党交付金は、国民一人あたり250円のお金を選挙の結果によって政党に分配される。
現在、総務省のサイトでは、総務大臣届出分の政治団体の政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書が掲載されており、誰でもインターネットで閲覧することができる。

2015年12月26日土曜日

マイナンバー制


今年も早1年が過ぎようとしているが、遅ればせながら我が家にも12月初旬に、マイナンバーの書かれた通知カードが届いたが、そのまま手続きは保留にしてある。いわゆる日本に住民票を有する全ての人を対象に、1人に対し1つのマイナンバー(個人番号)が割り振られる制度で、同じ番号が別の人に割り振られることのない国民総背番号制とも呼ばれるものである。

懇意にしている証券会社の営業マンとの世間話のなかでこの話がでて、登録ナンバーを控えていればカード申請は、する必要もないとのことであった。
色々資料を集めてみると、国は事務処理の簡素化と縦割り行政を是正し、各官庁との横の情報の共有化が図れること、すなわち個人情報の共有化が可能になるので行政の効率化を促進する流れが見て取れる。

今回導入されるマイナンバー制は国や地方公共団体が税や社会保障、災害対策などの為のみに使用し、一人一人の番号を管理することによって、国や地方公共団体が個人情報を迅速かつ正確に共有することができ、年金の不正受給や税負担を不等に免れることを阻止することができる。
さらに公平な社会を円滑に構築することが可能であると同時に、マイナンバー制度の導入により、本人照合や確認作業、入力作業が軽減され、取り間違えなどのヒューマンエラーも減少することが期待でき、行政の効率化が図れ、国民の側も書類提出が楽になるという寸法である。

ところが、これにはデメリットもある。個人情報の漏えいなどの問題、たとえば今後「マイナポータル」というウェブサイトで、マイナンバーと紐付けられた「自分自身の情報」の閲覧が可能になり、 閲覧にあたってはマイナンバーカード(ICカード)とパスワードが必要で、その二つさえあれば誰でも閲覧可能になることや、今後の動きとして、改正マイナンバー法によりマイナンバーと銀行口座の紐付けがスタートすることにより銀行口座を政府が把握することが可能になり、貯蓄額も漏えいの危険性が高くなる。すなわち国民のフトコロ具合を国がつかむことになる。我々貧乏人には関係ないが、大金持ちは簡単に脱税できなくなることもあって戦々恐々だ。現在日本で法人の七割以上が赤字に陥り、税金を納めていなことなども、この制度導入の動機にありそうだ。

また個人のみならず事業者も対象に入っているので導入費用が膨大になり、民間企業の事務処理増加、特に中小零細企業は負担がのしかかるため、全国中小業者団体連絡会(全中連)が10月に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに 「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを政府に要望したようだ。
全商連の資料によると、その回答は次の通りになる。

【内閣府】
  「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
【国税庁】
  確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
  労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。


以上のように役所に出す書類に個人番号が記載されていなくても受け付けるし、罰則がないのはもちろん、何の不利益も受けない。公式の席で、各省庁が確認したのだ。
当面、事の成り行きを静観することになりそうだ。


2015年12月5日土曜日

日本の深い闇

 

戦後70年が経った今、日本を揺るがす大震災による福島第一原子力発電所の崩壊が始まった2011年から今日に至るまで、国のエネルギー政策や国の防衛問題など、釈然としない日本の闇が、1冊の本で霞が晴れてきた。タイトルは「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」矢部 宏治著。
国民も薄々感じているアメリカの影は、戦後GHQから続いている巧みな日本統治による仕組みを明らかにすることで全貌が明らかになってきた。著者はアメリカの公文書の調査をもとに執筆していて、アメリカの機密文書は、国立公文書記録管理局(NARA)で管理されており、25年たてばすべて公文書として発表されされるため、これを引用している。人類の英知と進歩のため、世界の潮流は30年で封印された機密文書は公開されることになっている。

著者によると、憲法を法体系の上位とした「オモテの世界」ではない、「密約法体系」や「安保法体系」といった、「アメリカ」を最上位とした異なる法体系を上位として権力が動いている「ウラの世界」があるようだ。そしてこの日本の権力というのは、結局はそうした「ウラの世界」の権力により、現実には動かされていることが分かってきた。

絶対的な存在「アメリカ」と、その「アメリカ」の作ったシステムの中軸たる法体系、「密約法体系」、「安保法体系」に忠誠を誓う「官僚」という一大権力機構システム。それが「原子力村」ならぬ、それすら含むここ日本という「安保村」の駆動源であると。
「政治」とは、即ち近代憲法に基づく、近代民主主義国家としての議院内閣制による政治形態のことであり、本書で呼んでいる「オモテの世界」のことである。そしてそうした「政治」ではない統治権力が、確かにこの国には根強くはびこっている。「日米地位協定」などアメリカとの条約は、日本国憲法よりも上位にあること、明文化された条約のほかに数多くの「アメリカとの密約」があり、それも憲法より優先されることなどなど。


日米合同委員会
 
ここで決められたことが、日本国憲法を超えてしまう。在日米軍との委員会なので、外務省や防衛省の官僚が入っているが、特筆するのは、法務省、財務省、農林水産省などの官僚も入っており、米側の代表は、基本的に軍人である。現在でも月に2回、米国担当者と官僚との会合がおこなわれ、密接な意思疎通がはかられていること、そしてそのような状況を形作るにあたり昭和天皇およびその側近が、大きな役割を果たしていることなどなど、驚くべき事実が明らかになっている。

つまりはまともな主権を持った独立国としての体を成してないこと、敗戦後に作られたこの国のあらゆる法体系や社会システムが、所詮はアメリカの意向に従うために設計されていることを知らされる。米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながっていることを。
さらに著者曰く、日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのだが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。
なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということだ。

日本の歴代政権を見てみると、親米派と反米派に分かれる。ここで親方アメリカの意に沿った政権と、意に反した気概のある政治家を擁する政権の末路を見てみよう。
対米従属派である清和会の政治家と違い、国益を重視して米国と一線を画して、近隣アジア諸国などと独自の繋がりを模索しようとした経世会の政治家は、失脚もしくは殺害の末路を迎えている。途中で政権交代した小沢鳩山政権は、年次改革要望書を撤廃させたが、1年たらずで、鳩山首相に至ってはアホ呼ばわれされた末にアメリカにつぶされ、その結果後の菅政権はアメリカ寄りになったが続く野田政権も短命に終わった。驚いたことに、当時の首相だった鳩山由紀夫は、この組織の存在さえ知らなかったと2014年の著者とのインタビューで述べている。


  自民党2大派閥『清和会と経世会』
  
 (田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件(東京地検特捜部)脳梗塞
 (経世会)竹下登 失脚 リクルート事件(東京地検特捜部)雲隠れ病死
   金丸信  失脚逮捕佐川急便献金・脱税(東京地検特捜部&国税) 
   中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (東京地検特捜部)
   小渕恵三 (急死)脳梗塞と報道されているが自殺とも言われている。
   鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (東京地検特捜部)
   橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件 (東京地検特捜部)
   小沢一郎  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   二階俊博  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   
 ●その他政治家の不審死の裏にアメリカの影あり。
   梶山静六 橋本龍太郎 松岡利勝 中川一郎 中川昭一
 いずれも経世会政治家と反米的政治家の場合、不慮の突然死・事故死・自殺 が偏って多いのが特徴で、いまだ真相は解明されておらず、深い闇のままで ある。

一方(清和会)では 岸信介 福田赳夫 安倍晋太郎  森 喜朗 三塚 博    塩川正十郎  小泉純一郎  尾身幸次 安部晋三  福田康夫    麻生太郎    中川秀直    町村 信孝 などなどで これらはいずれも御 安泰である。

、自民党とCIA(ユダヤ権力)には、癒着の歴史が関係している。清和会は米国に有利な政策を遂行し、その報酬としてCIAからカネをもらい、勢力を伸ばしてきた。大手マスコミは一切報道しないが、岸信介がCIAに雇われたエージェントだったことは、後年になって情報公開された米国務省、米国立公文書記録管理局(NARA)の資料から明らかになっている。

原子力の問題

英米金融資本の頂点に立つロスチャイルドが一元支配しているのが原子力事業の根源ウラン燃料であり、原子力発電を稼働させるために我が国はアメリカからウランを輸入している。だから分かっちゃいるけどやめられない。日米原子力協定があるからだ。

日米原子力協定で決められたことは、原子力発電で出た使用済み燃料(プルトニューム)の再利用を促進するといったプログラム(プルサーマル計画)推進のための協定であるが、使用済み燃料を再処理すれば燃えかすウラン(96%)、高レベル放射性廃棄物(3%)となり、残る、プルトニウムは1%にしかならない。問題は、燃え残りウランは本来高速増殖炉で使われ、プルトニウムに転換して利用されるはずのものであるが、未だ高速増殖炉は実用化されず破綻している。

日本以外の先進国はすべて核燃料サイクルから撤退している。積極的であったフランスもコスト高、各国もトラブル続きで止めている。よって、プルサーマルをやらない国は、使用済み燃料については貯蔵して廃棄物処分している。人類史上稀有の大事故が起きた後も原発の安全性が確保されないまま稼働に踏み切る日本。いつまで日本はウランを買わされるのであろうか?
未だ戦後を引きずっている国、それが日本である。


参考文献 「図解」 世界闇の支配者 ベンジャミン.フルフォード

追記
昭和館


地下鉄九段下駅前にある昭和館(厚労省所管の博物館)を訪ねてみた。 昭和館は、九段下の地下鉄の駅からすぐ、武道館に向かう途中にある。戦中戦後の日本人の暮らしぶりが垣間見れるところである。私の生まれた昭和22年前後は、実際どうなっていたのだろうと思って常設展を見に行ってきた。6階7階は常設展示室で戦前戦中戦後と別れており、当時の日本人の暮らしぶりや、社会の動向が数多くの展示品からうかがえる。まるで骨董品の世界である。



戦中戦後の暮らしに関する展示品
当館では、死を推測させ、直接戦争にかかわるものは陳列してはならないマニュアルがあり、 陳列していいものは、防空ずきん、慰問袋、衣・食・住にかかわるもの、そして悪いものとしては、武器、軍用品、赤紙、戦死公報、原爆投下・爆撃行為にかかわるものなどがあるようだ。
戦争を知らない私は、母から当時神戸で空襲にあって、逃げまどい多くの死者たちを無感動のまま見てきたことや、戦後の食糧事情が悪い時、赤ん坊の私に、ミルクがないので小麦粉を溶いて飲ませた話などを聞いたことを思い出す。
そして5階の映像音響室では20台以上あるPC映像機器を閲覧者が、それぞれ戦中戦後の人々の暮らしぶりを主とした画像や映像音声などが膨大に流れていく機器を操作することができる。戦争を境にした昭和という時間の流れと、戦後日本の焼け野原から立ち上がった日本人の逞しさと、戦後GHQによって、国の体制がリセットされ、やがて我が国の復興が始まり経済発展へとつながる経緯が、走馬灯のように短い時間の中で体感できた。

2015年7月18日土曜日

政局探訪


集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法案は,15日の衆院特別委員会で、自民・公明両党の賛成多数で可決された。
浜田靖一委員長が質疑の終局を宣言すると、民主党の議員らが委員長席を取り囲み抗議する中、採決が行われ、法案が可決された。そして維新提出の対案は否決された。
国会周辺は法案採決に反対する人で埋め尽くされ、深夜まで抗議が続いた。
安倍総理は採決に先立つ質疑の中で「まだ国民の理解が進んでいないのも事実だ」と認めていたが、採決後、「国会での審議はさらに続く。国民に丁寧に分かりやすく説明していきたい」とも語った。

法案が衆院を通過すれば、9月中旬には参院で議決されなくても、衆院の2/3以上の賛成で再議決すれば、法案を成立させることができる「60日ルール」の適用が可能になると言われている。
ほとんどの憲法学者が違憲とする今回の騒動であるが、そもそも 憲法9条は日本がアメリカの支配から独立し、主権を回復した1952年に本来改正されるべきであったのに出来なかったのだから、今日政治の場で憲法9条を盾に議論するのは過去の議論であって現実的でなく、米国の衰退と裏腹に増長を続け、アジアの覇権を画策する中国の台頭が進む国際状況のなかで、安全情勢を鑑みれば、金科玉条のごとく死守する憲法のための憲法議論に費やすることより、国家と国民の生命と財産を守るために「必要最大限度」の防衛政策を構築するのが「政治の責任」であることは阿部首相が言うまでもないことである。

戦後70年日米安保体制のもと、平和と繁栄ををむさぼり続けてきた我々国民にとって有難い憲法9条。その長くて甘い夢から目覚める時期が来たことは、大なり小なり国民は感じている。世界のどの国もその時代にそぐわない憲法は順次改正をしてきた歴史がある。我が国も例外ではない。ただ国民の大多数の民意が憲法改正に向かうのは、5年いや10年先まで時間がかかると、時の為政者は思っているのだろう。集団的自衛権という国際的でグローバルスタンダードが、憲法解釈によって法制化の道筋をつけたことは、性急すぎる感は否めないが、待ったなしのアジア情勢の中、これも我が国が主権国家として、世界にアピールする一つの政治的な英断であろう。

尖閣諸島の領海侵犯や小笠原周辺に押し寄せた赤サンゴ密漁魚船に有効に対処できていないことや、知らないうちに南沙諸島の強奪に似たようなことが、南シナ海に目を奪われているすきに,
東シナ海の共同開発油田基地の軍事転用化が疑われている昨今、中国は、19世紀型の帝国主義の時代に逆戻りしつつある。その欺瞞に満ちた拡張主義と狡猾な国民性に気付いた世界は、中国に対して警戒感を強めるようになった。あの弱腰のオバマさえ対中国政策を見直し始めた。わが国も国力を強めて国益を守らなければならなくなっている。憲法のための憲法といった机上の空論を続けても国は守れない。

        ●  脱皮できない蛇は滅びる 。 (ニーチェ)

2015年3月28日土曜日

根深い沖縄問題

 


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古沖(同名護市)への移設問題で、政府と沖縄県の溝がさらに深まっている。沖縄防衛局が進めるボーリング調査について、沖縄県の翁長雄志知事が7日以内の停止を指示。これに対して政府は「違法性が重大かつ明白」だとして取り消しを求める申し立てを農水相に行った。

県知事選挙後の12月に行われた総選挙では、現行案推進を掲げた自民党候補は、全ての選挙区で落選した。現行案を拒否する沖縄の民意は、この20年余りの政府側のアプローチにもかかわらず、NOと出た。「基地転がし」状態の「県内移設」に対して、もはや負担は限界だと訴えているのである。日米安保体制のもと本土とアメリカの地政学的な盾としての役割を担ってきた沖縄であるが、現行案を無理に通すことになれば、本土と沖縄の関係悪化は避けられないところだ。それは沖縄列島が大陸に向かって立ちはだかる堤防としての機能を弱体化させるとともに、沖縄に多くを依存する日米安保体制の安定を揺るがす事態を招く恐れがある。今の政治状況は沖縄との対話が少なすぎることも問題となっている。沖縄の二大メディアなどは、この堤防の外側(中国)に県民の目を向けるような記事も散見されるので注意が必要だ。日本に脅威を及ぼし続ける中国を身内とする倒錯感情を育むようなことがあってはならないし、それを助長するような環境を作ってはならないためにも、沖縄(琉球)の歴史を確認してみたい。

●沖縄の歴史     
沖縄列島と交易略図(琉球の歴史より)

沖縄では中国明代初期の1372年に琉球王国が建国されたが、王国は最初から中国の冊封国(属国)で、明の海外貿易の一部を代行して経済利得を得るために沖縄は統一王国になった。
 この間、江戸幕府が日本を統一した直後の1609年には、鹿児島の大名である島津家(薩摩藩)に沖縄を武力侵攻させ、江戸幕府の体制下に組み入れた。琉球王国は奄美大島など沖縄本島より北の島々を薩摩藩に奪われ、沖縄本島とその南の宮古島、八重山諸島は薩摩藩の監督支配下に置かれ、中国と薩摩藩(日本)の両方の属国になる「両属」の状態となった。

もともと島津氏は1441年(嘉吉元)室町幕府の将軍義教から恩賞として琉球国を与えられていたが、実効支配したのは1609年(慶長元)将軍家康の許しを得て、力で琉球を降伏させ、この結果、島津氏は幕府から改めて琉球を領土として受けた。しかし島津氏は奄美諸島だけを直轄領とし、沖縄本島以南は琉球王に下付して、琉球王国は存続することになった。そして中国との貿易で薩摩藩はのちに幕府を脅かすほどの財力を蓄えることになる。
だが、琉球と中国(清朝)との外交関係はそのまま続いたため、中国からみて琉球が属国である状態は変わらなかった。幕府と島津家は、琉球に中国との外交関係を維持させることで、貿易収入の上前をはねる政策をとったのだった。 そして琉球王国は、鎖国政策の例外的な存在として、江戸時代の幕藩体制に組み込まれなかった。
しかし明治維新で日本が開国し、台湾や南洋、中国に向かって支配を広げる意志を持つようになると、明治政府はその第一歩として1879年、沖縄を日本帝国の版図に組み入れるため、琉球王朝を廃止し、代わりに沖縄県を設置する命令を下した。
これは「琉球処分」と呼ばれた。

1609年の薩摩軍による侵略や、「本土防衛」のために沖縄が「捨て石」にされた太平洋戦争末期の沖縄戦など、沖縄だけを本土から切り離し「基地問題」を固定化した戦後のサンフランシスコ条約とともに、「日本(ヤマト)が沖縄に行った数々の仕打ち」の一つに数えられ、沖縄の被害者意識を補強する材料となっている。
歴史上では、「琉球処分」に対して、中国(清国政府)は強く抗議した。琉球王国の遺臣たちの中にも、清国から援軍を得て日本を追い払おうと考える人々がいた。だが、すでに弱体化が始まっていた清国は、その後の日清戦争で日本に負け、沖縄どころかその先の台湾まで日本に奪われ、琉球を助けることはなかった。

 琉球のルーツは中国か日本かと言うことになると、日本説が有力である。沖縄の言葉は古代日本語(やまと語)と近いといわれ、琉球王朝の公文書は、ひらがなと漢字の混合文であった。沖縄の言葉を日本語とは別の「琉球語」と考えれば、世界で唯一の「日本語系」言語ということになる。日本語の方言と考えれば、日本語には「琉球方言」と「本土方言」の2大系統があることになるようだ。「標準語」は実は「本土方言」だということである。

●琉球の歴史
 「琉球王国」のアイデンティティは、中国・明朝によって権威づけられた国際貿易にあった。明朝が「属国にならないか」と持ちかけてくるまで、沖縄は豪族の群雄割拠の時代が続いており、「琉球」という国名を与えられて明の属国となった後に、統一国家となった。 明から属国化を持ちかけられた当初は、沖縄本島の北部、中部、南部の3人の豪族が、強大な明を味方につけてライバルを倒そうと考え、相次いで「属国になります」と申し出て認められた。
その後も割拠時代が約60年間続いた後、尚巴志が1429年に3つに分裂していた琉球を統一し、首里城を首都とする統一王朝ができた。「首里」とは「首都」という意味で、今の県庁所在地である那覇は、首里から山を降りたところにある外港だった。

●沖縄分島事件
    
廃藩置県後、明治政府は、台湾で発生した漂流宮古島民54名殺害事件を契機に台湾出兵を行ない、沖縄が日本領であることを清国に認めさせると同時に、琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった。
 しかし沖縄県の帰属問題は日本政府の一方的な強硬措置によって一応の解決をみたがこれに対し清国政府はしばしば抗議を行ない、日清間は沖縄問題に限り外交上の決着はつかず、沖縄自体も清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。そのような状況の中で、たまたま東洋漫遊中の前アメリカ大統領グランドが両国の調停にたち、明治13年、ここに沖縄分島事件といわれる問題が起きた。グランドの調停案に対し清国側は沖縄を三分して、奄美諸島を日本に、宮古・八島山諸島を中国に譲り、沖縄島を中心に琉球王国をたて、冊封関係は従来通り続けるという三分案であった。
 
日本政府は、当時日本に不利であった日清修好条約の改約を条件に、八重山・宮古は譲ってもよい腹であった。しかし、交渉が長引いている間に、清国は北にロシア、南にフランスと問題が起こり、また日本の関心は日清戦争の火種となった朝鮮問題をめぐる問題に移り、分島問題は立ち消えになり、琉球列島はすべて日本に所属することになった。はしなくも、戦後の沖縄をめぐる本土政府の無関心ないしは国の利益の前に沖縄県を犠牲にしてかえりみないという兆候をこの分島事件で現出する。

● 戦後

1952年(昭和27)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、沖縄の地位が法的に確立した。同月の立法院議会では日本復帰に関する請願を決議したが、復帰の方法論で社大党は「米国施政権放棄」による復帰、人民党は「条約第3条撤廃」による復帰で対立したものの、復帰運動は日増しに高まっていった。ところが沖縄返還は、終戦からほぼ10年の間は、日本外交の場ではほとんど取り上げられず、わずかに1958年(昭和33)6月に訪米してアイゼンハワー大統領と会談した岸首相が返還を強調したが、アメリカ側はこれを拒絶し日本の潜在主権を再確認した上、「脅威と緊張の状態が極東に存在する限り、現在の状態を維持する必要のある」ことを強調した。アイゼンハワー大統領はそれより前の1954年(昭和29)・55年・56年の年頭一般教書や予算教書で「沖縄の無期限占領あるいは確保」を繰り返している。そして昭和47年に安保条約延長を条件に沖縄は日本に返還された。
このように沖縄の歴史は一筋縄ではいかない様相を呈していて、列強に翻弄されてきた島国ではあるが、ルーツをたどれば日本に帰属するのであるから、同じ日本人同士現状では対話が足りないと思う。一方的な政治決着は日本の安全保障上、将来に禍根を残すことになりかねないと危惧するところである。

 

2015年2月5日木曜日

政局探訪


昨年末に行われた総選挙で、図らずも私は入院中の病院の中で不在者投票をした。その結果は、足並みの乱れた野党を尻目に自民党圧勝の予想通りの結果となった。民主党をはじめとする不甲斐ない野党は分裂離散集合を繰り返し、その成れの果てが今回の選挙結果となったわけだ。小沢一郎しかり維新の会、みんなの党、それぞれ同床異夢の寝言にうなされ、内ゲバの結果くっ付いては離れ、あっけなく散って行く。

選挙後の民主党の中でも同じことが起きている。党首選を戦うご両人は自主再建派の岡田と他党との連合にこだわる細野との一騎打ちであったが、そこに長妻議員も名乗りをあげ、三つ巴の混戦状態となったが、年明けて岡田代表に落ち着いた。
腐っても民主党が野党の中核にならなければ議会制民主主義は廃れてしまうのだが。どうなることやら。過去の失敗を糧にして新しく力強い野党として再生してもらいたいものである。

さて選挙結果で自民党の長期政権が進むことになるが、財政再建、円安によるインフレ対策、経済政策による成長戦略などどこまで実現できるのか、はたまた憲法改正、集団的自衛権の法制化など、日本の国力が試される多くの懸案事項の成立にその実行力が問われるところだ。

今回の選挙結果で、安倍首相の任期は、2018年9月までとなり,米露韓の大統領を上回る任期となったが 、首相の慢心 でアベノミクスがアホノミクスにならないようにしてもらいたいものである。その浮かれ声とは裏腹に、経済格差は広がる一方で、一部上場企業の賃金は上がるものの、雇用の喪失による、非正規雇用やリストラによる中産階級の没落は止めようがない、成長を金科玉条に進んできた資本主義の末期症状を呈している日本がそこにある。確かに日本国民の経済実態は厳しいものがある。GDPこそ世界3位ではあるが、相対的貧困率は16・1%OECD加盟国34カ国中、下から第4位、父子母子家庭世帯のそれは54.6%で1位。2011年度の所得再分配ではジニ係数0・38と過去最大になり、ちなみに中国は0・61と国家暴動が起きても不思議ではない状況だ。

○ジニ係数   http://www.gifu.shotoku.ac.jp/hosoi/books/econdatabases/p100.htm

所得分配の不平等度を示す指標。「ジニ」はイタリアの統計学者の名前。ある国で所得が完全に均等に分配されている場合はジニ係数が0となり1に近づくほど不平等度が高いことを意味する。0.40を超えると暴動が起きるレベル。 
現在では、非正規雇用者が雇用者全体の三割を超え、年収200万未満で働く人が給与所得者の24%を占め、二人以上世帯で金融資産非保有が31%に達している日本の二極化も、資本の自由化が産んだグローバリゼーションの落とし子である。と結論づけている本がある。
集英社新書の最近読んだベストセラー[資本主義の終焉と歴史の危機ー水野和夫著  ]の中でエコノミストらしい緻密な分析で、歴史的に見た資本主義の推移と、低迷する世界経済の推移に共通点があることを導き出した。

それによるとアメリカを例に取り、リーマンショックなどを、利潤を生み出せない実体経済を延命させる手立てとして、バーチャルな電子金融空間を作り、余剰資本が世界を駆け巡り、実物経済の余剰マネー約74兆ドルに対して,電子金融空間での140兆ドルのストックベースの何十倍ものマネーが電子空間を徘徊する事になる。

本書の中で著者は資本主義の限界とは、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまうことで、日本のように長きに渡りゼロ金利が続いている状況が、臨界点に達した現象であると言及していて、過去の経済成長をもう一度と躍起になっていることは、過去の世界の経済史から見て最終的には財政破綻につながる道を歩んでいることと警鐘を鳴らしている。
また一方で、先進国の中で大規模なバブルをいち早く体験した日本は 、失われた20年の中で、ゼロ金利が続き経済成長が鈍化する資本主義の末期症状を呈しており、同じ病に陥った先進国のなかで、先を行く日本から、暗中模索の果てに、ほのかな希望として新たな資本主義のステージが生まれるのではないかと最後に著者は締め括っている。


さてアベノミクスだが、1金融緩和  (デフレからの脱却) 2財政政策 (公共投資)は一部ではあるが賃金上昇や株価上昇などの効果があったが、以前なら円安になると貿易黒字に直結して行くところだが、グローバル経済の元では、多くの企業が生産拠点を海外に移している現況では、円高によるあらゆる原材料が高騰し、輸入超過から生じる貿易赤字 の増大がみられる。そんな中での増税は、実質賃金が下がっている現状で消費が上がらず、GDPを0・3%マイナスにしてしまった結果をみれば、消費の冷え込みは想像以上だ。さらに10%の増税も思案のしどころだろう。

財務省がせっついているほど、日本の財政は逼迫していないと多くの経済アナリストは言及していることから、ここで性急に上げる必要はないと思う。そして第三の矢(成長戦略)は過剰な資本ストックを増やすだけで,危ういと感じているエコノミストも多い。財務省は、2013年度末の国のバランスシートをまとめ、2014年3月末時点で資産・負債差額(負債が資産を上回る債務超過額)は490兆円と発表したという報道があった。なぜここでだんまりを決め込んでいた政府が急に発表したのか不思議であるが、この場合の負債は問題になっている1143兆円で、負債の多さに目を奪われていた国民の多くは、国の資産の多さを知り少しは胸をなでおろしたのではないだろうか?

2014年8月23日土曜日

政治の劣化


公費乱用で説明責任を果たせず、韓国の泣き女も顔負けの号泣議員から始まり、各地で取りざたされている地方議員(痴呆議員)の公費乱用の発覚が広がっている。年間195回のカラ出張は異常としても、大なり小なり甘い汁を吸っている議員が多いことは最近の報道で見て取れる。政調費と称してまともな政務もせずにお手盛りの公費乱用は目に余るものがある。

国会議員が衆参合わせて720人余りなのに対して、地方議員は全国に35000人余りもいる有様だ。議員総数がけた違いに多い地方議会には、少数だと信じたいが、玉石混交なかにはおかしな人物も紛れ込んでいるのだろう。不祥事を起こす不心得者がいても不思議ではない。今でも全国41都道府県議選挙が実施された際、2011年度では無投票当選者は410人に達した、投票率が低下の一途をたどる背景には組織票の比重が高まり、特定の組織や団体の後ろ盾を持った連中だけが当選する傾向が強まっている。この時も総定数から換算した無効票当選率は17.6%と伝えられている。なんと県議のほぼ5人に1人が選挙なしの当選確実組である。無意味で下品ななヤジ、公費乱用、LINEに絡んだ幼稚な議員、薬物使用、銃刀法違反など数え上げればきりがないが、政治は足元から劣化している様相を呈している。

社会学者宮台真司が問題にしている感情の劣化について、氏はこう述べている。
「昔、日本人の多くが持っていた心の働きが劣化してしまったので、その一方で政治の劣化をもたらし、性愛の劣化をもたらし、一方で犯罪の劣化をもたらしています。犯罪がどんどんずさん化している。それは社会の劣化も示している。」
「人々は鬱屈する。鬱屈した人々は、感情的に劣化しているので、感情の釣りで炎上させれば、社会を手当てしなくとも、政治は回る。ポピュリズムは回る。そして感情の劣化現象に適応した政治的メッセージを発しないと当選できなくなる」


政治は言葉だというが、自分の意図や、主義主張を発信する手立てはコミニケーションであるが、感情に偏重しすぎると、言葉の論理的な整合性が損なわれる。なおかつ民主主義を感情統治でコントロールし、国民のコンセンサスを得ようとするならばそこには不協和音が聞こえてくる。
民主党に失望し再び自民党に回帰した国民の多くは今何を思うのだろうか?

2014年7月5日土曜日

玉虫色が好きな日本人



玉虫(見方によってはいろいろな色に変化する)
これまで歴代の政府は、憲法9条のもとで「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、米国の弱体化にともなう中国の台頭などによるパワーバランスの変化や、技術革新による武器の急速な広がりや、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、一国平和主義が立ち行かなくなった。

変化し続けている世界状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、状況によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るとの認識から、安倍内閣は1日の閣議で、日本国憲法第9条の一定の要件を満たしている場合、集団的自衛権を行使することができるという内容の閣議決定をした。新たに憲法9条を憲法改正で明文化することを避け、憲法解釈という日本人好みの玉虫色の政治手段を選択したわけである。

現況では憲法改正の実現の可能性が低いことと、非常に時間がかかることから、ある意味これは日米同盟強化の便法になった。集団的自衛権行使容認に米国、欧州、オーストラリアなどは賛同しているが、中国は猛反発している。愚かにも同盟国韓国はこれに同調している。日本が玉虫ならば、韓国はイソップに出てくるコウモリであろう。朝鮮半島有事の際に誰が手を差し伸べるのか、このアホな国は同盟という意味が分かってないようだ。

米国発の憲法9条を保持することに、同盟国米国は異論を挿めない。日本にとっても、安倍首相が「閣議決定は日本と関係の深い国が攻撃を受け、日本に危険が及ぶと政府が判断すれば、必要最小限の集団的自衛権の行使が可能となる」と述べている。あくまで「日本に危険が及ぶ」ケースでしか行使はあり得ないとし、「外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行われない」と明言している。
現在、極東の安保情勢は中国の海洋進出と北朝鮮の核ミサイル開発でがらりと様変わりし、一国平和主義が通用する環境にないことを考えると、平和ボケから目覚めた国民の意識の根幹にあるのは戦争抑止である。そのためにも集団的自衛権行使は普通の国の大きな抑止力になりうる。
国内では賛否両論分かれているが、反対派は「日本が他国の戦争に巻き込まれる」と主張するが、国家主権がある以上、NOと言える局面は訪れる、それも玉虫色に変貌しながら。
なお、この閣議決定で、ただちに集団的自衛権が行使できるようになるわけではなく、国内法の整備と、国会の審議などを経て、実際の行使に当たっても、個別的自衛権の場合と同様、国会承認が待っているので少なくとも来年以降の話である。




 さて、憲法解釈とは対照的なのが、憲法に明文化される移民法改正案の成立である。現在ヨーロッパ各国では、多文化共生を謳い文句に大量移民を受け入れてきた結果、社会基盤や文化を崩壊させかねない勢いに危機感を募らせ、ドイツのメルケル首相が「移民政策は完全に失敗だった」、そして英国キャメロン首相が「移民受け入れという慈善は止めた」、さらにサルコジ・フランス前大統領が「移民の流入をこのままにして置く訳には行かない」と告白した経緯を見ると、移民政策の失敗が浮き彫りになってくる。唯一成功したのは歴史の浅いゼロベースの移民で成り立った米国と言えるだろう。

そんな折、国会議員は6月11日国会で「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律」を成立させた。、内閣提出法案として5月29日たった1日の審議で、衆議院法務委員会全会一致で採決、31日衆議院、6月11日参議院で可決し、国民への周知もなく成立した。いうまでもなく少子高齢化対策としての禁じ手の切り札で、年間20万人を呼び込む目論見である。
主な改訂部分は、政府指定の「高度人材外国人」が、3年間の日本滞在で、無期限の永住が可能となり、欧州の失策を敢えて踏襲している。「永住許可取得後に両親や家事使用人の帯同が認められ」、「子供の養育名目で帯同出来る両親と子供が、本当の両親や子供では無くとも良い」という。1人の高度人材外国人が日本移住認可を得ると、本人が招聘する家族以外の、例えば家政婦、両親名目で誰でも移民出来るのだ。一応高度人材の確保としながらも、低賃金の移民を安易に受け入れ、労働力不足を解消する手立てであることは明らかである。報道も法案の経緯や成立についてもほとんど解説していないのが不思議である。
日本を取り囲む特に中国や韓国などは、自国から逃げ出したい輩が国民の半数以上いる中で、安易な審査で、世界各国で問題を起こしているこれらの国の移民は永住権を得た途端、当然の権利として地方参政権を要求し、本国の分子となって反日の日本を蝕む芽となりうる。同一性の強い日本人社会ではヨーロッパの国難よりも深刻になる公算大である。災いの芽は増やしてはならない。

2014年5月3日土曜日

憲法解釈をめぐって

朝日新聞デジタルより


また憲法記念日がやってきた。日本は戦後、憲法第9条のもとで、自衛権の行使が許容されているという見解を一貫してとってきたが、阿部政権になってから、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈緩和することをめぐって、議論が紛糾している。

国連憲章の51条は、それぞれの加盟国が「個別的又は集団的自衛権の固有の権利」を、持っていることを認めており、また国連憲章では、個別的自衛権と集団的自衛権が一体であり、不可分のものと位置付けられている。しかし我が国では個別的自衛権しか認めておらず、これが戦後の国際情勢の中でいい意味での縛りになっていた。
しかし中国など、力を背景にのし上がってきた国際勢力図の中で今日の世界では、独立国が自分の力だけで、国を守ることができない状況が続いている。日米安保体制も今やその基軸を問われ転換期に来ているが、最近アジアを歴訪したオバマ大統領も尖閣諸島問題に対する声明や、フィリピンにおける米軍再配備の言及など、中国を睨んだ外交を展開しているのが見えてくる。

集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈を変えることに、反対している人々は、もし改めたら、日本が再び戦争を仕掛ける国になってしまう懸念を強調しているが、しかし、一方で日本はすぐにも戦争を吹きかけようとしている国によって、脅かされている現状もある。憲法を改正することには相当の時間と議論が必要となるため現政権は、「改憲」をしなくても、解釈を変えれば集団的自衛権を行使できるようになることに気が付き、これを進めようとしている。それもTPPの絡みで性急に議論が白熱している。しかし憲法解釈には、解釈拡大の歯止めと落とし穴にも傾注の必要があるだろう。

集団的自衛権は、戦後一貫して日本国憲法では認められないし、個別的自衛権と区別してそう解釈されてきた。明確な「違憲」ではないが、憲法の解釈として認められてこなかった。自民党の中には、集団的自衛権を限定的に行使できるという、「限定容認論」というものが芽吹き始め、この場合の限定条件には「日本の安全保障に直接関係がある場合に限って」という解釈であり、日本の安全を脅かす国との紛争に適用される。
我々が核についての基本的な認識、すなわち最大の抑止力は、この集団的自衛権にも当てはまり、核を持たない我が国が持つ最大の抑止力になりうる。
いずれにせよ日本の隣国が、平和ボケした我が国の国民を覚醒させたことは疑いようのない事実であり、国民一人一人が集団的自衛権について、YESかNOを決断すべき時がそう遠くない時期にやってくるだろうし、国民の覚悟が試される時でもある。

2014年1月3日金曜日

午年に因んで

6代目三遊亭圓生

午年に因んで古典落語の「らくだ」という名作を思い出す。なかでも6代目三遊亭圓生の噺が、キレがあって好きである。
 図体が大きく、大酒のみで乱暴者で、らくだ、とあだ名されている長屋中の嫌われ者の馬太郎が、河豚を食って死んでしまうところから噺は始まる。

らくだをたずねてきた兄貴分と名乗るヤクザな男が、河豚にあたって死んだらくだを見つけ、前日、季節はずれの虎河豚を自分で捌いて死にやがった弟分の弔いの真似事でもしてやろうと思いたった。
そこへ通りかかったのが、屑屋の久。兄弟分の男に呼びとめられ、家財を買い取れといわれる。しかしまともな家財なんてまるでない。心ばかりの香典を差し出して帰ろうとするが、仕事道具を取り上げられて、脅しに屈して使い走りをやらされるはめになる。

さんざん無理難題を持ちかけられ、最後に大家から通夜用に酒と煮〆と飯を届けさせろと言う。家主はもちろん、「一度も店賃を払ったことのないらくだのために酒なんてとんでもない」と断る。
それを聞いた兄貴分は「身寄りのない屍骸の置き場に困っている。もし酒、肴をもってこないなら、死人しびとを連れてきてかんかんのうを踊らせる」と伝えさせる。家主は「死人がかんかんのうを踊るところはこの歳まで見たことがない。冥土の土産に是非見たいものだ」と捨て台詞を吐く。それを聞いて兄貴分は、らくだの屍骸を久に背負わせ、家主のところに乗り込み、久にかんかんのうを唄わせる。驚いた家主は、酒と煮〆と飯を届ける約束をする。この調子で、八百屋からも、棺桶がわりの菜漬けの四斗樽をまきあげる。香典、酒、煮〆が届いたので久は帰ろうとするが、兄貴分は久を引きとめてむりやり酒の相手をさせた。

ここからがこの噺の山場になる。一杯だけと言うことで飲んだが。一杯では縁起が悪いのでと二杯目を、そして駆けつけ3杯目だと、酒を強要され3杯目をやった。根が酒好きの久、酒で失敗して、しがない屑屋になった身の上話を始め、その頃から様子がおかしくなり、「おい!もう一杯つげよ!」と兄貴分を睨みつける。酔いが回り始めたクズ屋の久は、気が大きくなって兄貴分を怒鳴りつけて、手足のように使い始めた。馬の頭を丸め、樽に強引に詰め込んだ。落合の火屋(火葬場)に知り合いがいるので、そこに持って行く下りになっている。
靖国参拝

この噺、なんだか最近の安倍首相と重なってくる。久は、自制していた酒を強要され、兄貴分(アメリカ)の無理難題をこなしつつ、酒とは言わないが勢いでくすぶり続けていた靖国参拝の思いを遂げた久さん、秋の例大祭も自粛した反動もあってか居丈高に吠えている。少なくとも国の長としての意地を見せてくれたわけだ。中国や韓国の雑音や、伏し目がちなアメリカに屈することなく筋を通してくれた。

2013年11月15日金曜日

他力本願の国

朝日新聞デジタル

この秋に採決されようとしている「特定秘密保護法案」は、所管する内閣官房が、保存期間満了後の文書の取扱規定を盛り込まない方針で、都合の悪いことは秘密にしたまま担当省庁の判断で廃棄される可能性がある。識者からは「国の秘密になるほど重要な情報は歴史に残し、後世の検証の対象にするのは当然」と批判が上がっている。他国に先駆けて情報公開法を制定した米国では、例外はあるものの10年未満、10年、25年と優先順位をつけての自動機密解除が潮流となっているのだが。

2001年にようやく施行された情報公開法は「国民主権の理念にのっとり、情報の一層の公開を図る」ことを目的とし、続いて2009年に出来た公文書管理法は、国の諸活動や歴史的事実の記録であり、公文書は、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源とうたっている。政府は国民からの信託に基づいて行政を行っているのであるから、国民に対して情報を提供、共有することは当然の責務である。
先進国としての、我が国の情報公開の遅さは、日本の為政者に、国民に自分たちの為政の情報を与える文化がまったくなかったことを示している。いわゆる由らしむべし知らしむべからずの伝統的な政治である。情報公開法は出来ても、少しでも為政者に都合の悪い情報は公開されていない。ほとんど情報公開法の意味がないような、ほぼ全面にわたって墨で消された「公開情報」を我々は様々な場面で目にする。

公文書管理法は、行政機関等の公文書を対象としており、司法・立法の公文書は含まれていない。また、地方公共団体の公文書は努力規定となっている。消えた年金や、小沢一郎裁判で明らかになった司法の闇などは、すべて情報公開と公文書管理文化の立ち遅れを物語るものである。例えば、3.11以降、原発関係の重要事項を決めてきた「原子力災害対策本部」の議事録も作成されていなかった。これは原発事故以降の最大の隠蔽工作であると言われている。福一の事故のあと、東電や国の隠蔽工作は時間を追って次々にあぶりだされたことは記憶に新しい。

古くは1972年の沖縄返還に伴う密約問題で、政府の「隠蔽体質」が如実に現れた。日本が米国に財政負担することを両政府が合意した密約について日本政府は一貫して否定し続け、2000年以降に米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、その姿勢を変えていない。
国民的議論も不十分なまま進められていく昨今の消費税増税・原発輸出・ TPP参加・「特定秘密保護法案」・NSC法案・解釈改憲・新ガイドライン。これらはすべて危機による国民のパニックを利用して、平時なら不可能な改革を実施するフリードマンの経済ショック療法のやりかたを踏襲している。

ところで、この秋にも採決されようとしている「特定秘密保護法案」のルーツは、日米政府が締結したGSOMIA(ジーソミア)にある。これは、2007年5月1日に、日本と米国が「2プラス2」(日米安全保障協議委員会)で協定締結に合意し、2007年8月10日に、GSOMIA(General Security of Military Information Agreement、ジーソミア)として締結されたものである。
同盟など親しい関係にある2国あるいは複数国間で、秘密軍事情報を提供し合う際に、第三国への漏洩を防ぐ協定である。日本は米国やNATO、フランスと、この協定を締結している。この締結の際に、米国から日本での法案化が要請されており、それが「特定秘密保護法案」として現在の臨時国会に提出されようとしている。
つまり日本での過剰なまでの情報統制や国民監視の法案提出には、背後に常に米国の要請や指示があるという筋書きになっている。ほとんどの国家ではスパイ防止法や機密保護法を制定し国益を守る防御策が講じられているが、スパイ天国日本の現状を見て、スノーデンに3万点に及ぶ機密文書を盗まれた米国が要請してきたのは想定されるところだ。



その「「特定秘密保護法案」は、米国の要請を元に官僚主導で法案化が進んでいる。その法案概要では、次の4分野に分けられている。
( 1 )防衛( 2 )外交( 3 )外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動(スパイ活動)の防止」( 4 )テロ活動防止。
この4分野のうち、国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあり、秘匿の必要性が特に高いと考えた情報を、行政機関の長が「特定秘密」に恣意的に指定できる。
しかし国民の「知る権利」「取材の自由」は守られる、と言いながらも、その規定がどうにも曖昧で、その定義は解釈によってどうにでもなる。報道に網がかけられた次は、やがてネットで好き勝手なことを言わせないネット規制も始まるかもしれない。

個人にプライバシー権があるように、国家にも「国家機密情報を保護する情報のコントロール権」がある。中国や北朝鮮の工作員や米国やロシア等主要国の諜報員多数が我が国で国家機密情報の収集に注力している状況下で、他国の場合はスパイ活動を発見すれば逮捕又は国外追放処分に付すが、我が国にはスパイ活動を取締まる法律がないためスパイ天国となっていて、最近の中国書記官のスパイに逃げられた事件など、数え上げたらきりがない。

外圧によって重い腰を上げる日本政府は、今回の特定秘密保護法案や、TPP、そして集団的自衛権においても他力本願の政治姿勢は変わらない。我々は民主党政権時代、脱原発を閣議決定する矢先に米国の横槍で頓挫したことを見てきた。今、小泉元首相が即脱原発と声高に叫んでいるが、弟子の安倍首相が米国の圧力をはねのけて閣議決定するのは容易なことではないだろう。 

2013年8月11日日曜日

原発の謎


今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同した。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めたが、しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切った。そして今月9日、被爆68年となる長崎原爆の日に、長崎市で平和祈念式典が開かれ、席上で田上富久市長は平和宣言で、政府が共同声明に賛同しなかったことを「被爆国としての原点に反する」と強く批判。核廃絶にリーダーシップを発揮するよう求めた。このように今や政府の不可解な言動の裏には必ずアメリカの影が映るのを気づいている国民は多いと思う。


いろいろな情報源から謎解きをしてみよう。現在問題の原発は54基全てアメリカ型であり、基本的には日米原子力協定という、原発をアメリカが日本に売るためまたは日本がアメリカから原発を買うためのルールがつくられた。1955年自民党政権時の立党宣言には、原子科学を推進するということが謳われていて、この年は最初の原子力協定が成立した年でもあった。さらにこの協定は日英であったり日仏であったりと他の2国とも結んでいる。最初の日米協定はアメリカから実験炉とウランを買うことを決めた契約で、同時に自民党は原子力基本法の制定も行っている。そして核燃料の再処理を英仏に委託している。
戦後中国、北朝鮮、インドそしてパキスタンが核兵器製造システムを進歩させてきた一方で、日本など西側陣営は、これら急増する脅威に対抗するため連携を強めてきた。1960年代にアメリカのジョンソン大統領と日本の佐藤栄作首相の間で秘密裏に会談が行われ、そこには首脳に次ぐ日米の指導者層も集まり、増大し続ける東アジアの軍拡競争に対抗するため、日本の戦力を強化する目的でアメリカの核製造技術を秘密裏に提供することが、国際戦略の一部として決定された。この方針はレーガン政権の時に最高潮を迎え、アメリカ国家の政策を劇的に変化させた。アメリカ政府は、日本に送られた自国技術に由来する核関連物質の取り扱い権限を、事実上全て日本に譲り渡した。
この日米原子力協定の有効期間は30年と決まっており、1988年に2回目の締結の後2018年7月に満期を迎えることになる。この協定がある以上脱原発は夢のまた夢となるのだが,協定を更新するも破棄するもこれを決断する時の政府の責任は重い。
六カ所村


青森県の北東部にある僻遠の地、ウラン濃縮施設がこの六ヶ所村にある。この施設では使用済みのウラン、そしてプルトニウムから、再び核燃料を作り出そうという『再処理』が行われている。ここは分離プルトニウムの上手な隠し場所として使われ、その量は9トンにもなるが、専門家によればこれだけあれば優に1,000個以上の核弾頭を製造することが可能なようだ。
 核兵器の製造・所有は一切行わないことを誓い、目下54基の原子炉の内2基しか稼働していない日本において、この六ヶ所村は唯一の例外のようにも見える。

日本政府は片方では2040年までの原子力発電の段階的廃止を謳っておきながら、一方では六ヶ所村が核燃料の再処理を行い、原子力発電所に燃料供給を行うことになっている。再処理によって創り出される核燃料により、日本は2050年代になっても原子力発電を稼働させ続けることが可能になる計算だ。


しかしこの矛盾は、日本政府の『原子力発電の段階的廃止』という目標が、ほとんど無意味なお題目に過ぎないことを証明するもので、日本が、野田政権の時、今原発をゼロにすると閣議決定したときに、アメリカから文句を言われ引っ込めた。
プルトニウムだけを持ってしまうことが、原爆製造につながることになりかねず、核散防止の建前上、再利用としての高速増殖炉と、プルサーマル発電は続けろとアメリカは指示する。その後ろでアメリカ政府を動かしているのが、ウラン鉱山を専有しているロスチャイルド一族である。

六ヶ所村再処理工場は、完成が15年も遅れている上、資金繰りについては全く行き詰った状況にあるが、政策に対する強い影響力だけは衰えていない。この再処理工場には、すでに2兆2000億円もの巨額の資金がつぎ込まれているが、かつては貧寒とした農漁村であった六ヶ所村の古川健次村長は、補助金が無ければこの村はやっていけないと語気を強める。 村は雇用についても歳入についても、再処理施設への依存割合を高め続けて来た完全な原子力村である。
公的には核兵器を持たないことを表明している日本は、非核国家の中で最大量の分離プルトニウムを抱え込んでいる。その日本がもし、原子力発電の廃止にも関わらず使用済み核燃料の再処理を続ければ、世界中の核開発能力のある国々に誤ったメッセージを送ることになると、アメリカは主張している。日本政府はこうした不安を払しょくするため、2040年までの原子力発電所の廃止は、義務ではなく目標であるといち早く表明したが、国際的圧力によって、技術的には可能な日本の脱原発も着地点の見えない状況になっている。

日本がもし原子力発電という手段を放棄してしまえば、日立製作所とゼネラルエレクトリック、そして東芝とウェイティングハウスとの提携により支えられるアメリカの原子力産業が、その技術的な協力者を失ってしまう事で、原子力核技術の優位性がアメリカにとっては、中国やロシアのそれに並び追い越される懸念材料として存在するようだ。
しかしそんなことよりも100年や200年では片づくはずのない、危険な高放射性廃棄物やプルトニウムをこれ以上『作らないようにする事』の方が、はるかに緊急性の高い問題であり、しかも、六ヶ所村再処理工場は、動き出せば高濃度の放射性廃棄物を毎日海に捨て続けることになるとは小出教授の弁である。(小出裕章氏著『原発のウソ』)。
さらに原子力発電を続ければ、核廃棄物の量が増え続けることになり、これに福島第一原発の事故が生み続けている高濃度汚染水、除染後の土などの低レベル放射性廃棄物まで加えれば、この国の汚染はいったいどれ程のものになってしまうのか、空恐ろしい気分になる。
福島第一原発の現状

小出教授はさらに続ける。「政府や東京電力は安全だと言っています。しかし、現場作業員は信じていない。大きな危険があります。私が個人的に心配なのは第4号機です。建屋は地震によって大破しました。4階の燃料冷却プールには約1300本の使用済み燃料棒があります。その上の階には新品の燃料棒が貯蔵され、重機がたくさんあります。すべてが、非常にきわめて深刻な状態です。大地震が再び起こったら、建屋は崩れ落ちるかもしれません。そうなれば、新たに連鎖反応が起こる可能性が非常に高いです。つまり、外気にさらされた状態で炉心融溶が起これば、今までの私たちの知識からすれば、日本の終わりだ。その場合、放射線は死に至るほど危険であり、敷地内での作業は一切できない。その結果、第1号機、第2号機、第3号機、第5号機、第6号機も制御できなくなるであろう。ハルマゲドンだ。「一番心配なのは、破壊された原発で働ける専門技術者が、もうすぐいなくなってしまうことです。大半の技術者は、被爆量が被爆限度量に達しているからです。」まだ被爆していない専門教育を受けた労働者がいなければ、この大惨事を制御することは不可能だ。仮に今後40年間、専門教育を受けた技術者や専門家を十分に確保できたとしても、問題が一つ残る。日本ばかりでなく、世界も変えるかもしれないような問題が発生する可能性は消えてない。」

現在原発の最前線で働いているのは下請けのまた下請けの日雇い労働者で、原発保守管理のもと過去30年のあいだに福島も含めて、点検整備や事故処理で700~1000人以上が被爆によって命を落としていることやこれら特攻隊のこともまともに報道されていない。これらの中にはホームレスや貧困層に的を絞って日当2万5千円以上(と言っても多くは中間業者にピンはねされる)で40代から60代ぐらいまでの作業員を募集している。筆者も横浜市の瀬谷区の路上で募集チラシを見たことがある。多いのは西の釜ヶ崎、東の山谷、横浜の寿町といったところか。とにかく全国から募集しているのだ。

いま、数十万人の原発難民が、美しい故郷を破壊されて帰る場所を失い、半径280kmに住む2500万人以上の頭上に放射性物質が降りた。国際社会に対するメンツを失うのを恐れた政府は、放射能の基準を国際標準の何倍にも緩め、それを持って大地も空気も水も食品も「問題なし」と言い切ってきた。国家が知っていて言わないことを、知っていて尋ねないマスメディア。新聞を眺める限りでは、国家が知られたくないこと、伝えたくないことをほじくっている記事がほんの僅かで、国家の言うままを国家の指定した順序で書いているだけの記事が大半を占めている現状では、国民は疑心暗鬼に陥るしかない。既に産地偽装の食品が各地のスーパーに出回っているようだ。

今回のようなクラスの大地震がほかの地域の原発に襲ったら、津波の前に原子炉核納容器以外の配管は、その脆弱さゆえにズタズタになる運命にあり、第二の福島が震源地に近いところに出現するだろう。原発再稼働どころではない。広島や長崎に落とされた原爆のように、日本は世代に渡る後遺症の大きさに直面するであろう。事故現場から20km以内の範囲は、居住不可能であると考えられる。そこは、国家的犠牲を背負った土地だと言える。未来永劫日本は原爆を背負って生きていく呪われた国なのか?今や我が国は歴史的に非常に重大な岐路に立たされている。
日本は二つの核開発プログラムを並存させている。公にされたプログラムは、無限のエネルギーを国家に供給するための核開発だ。しかし、そこには隠された計画が含まれており、それは、日本が原料として十分な核物質を蓄え、極短期間で主要核保有国に成り得る技術力を醸成すること、つまり宣告されることなき核兵器製造プログラムがある。巷では原発がプルトニウムを製造して、アメリカに輸出していただとか、福島は核燃料製造工場だとかが囁かれているが、国の機密事項であろうからなかなか裏は取れない。
汚染水の垂れ流しが延々と続く福島原発だが、ここに来てようやく政府は東電福島第1原発の敷地周囲の土を凍らせて地下水の流出を防ぐ「凍土方式」に国費を使う方針を固めた。予算は数百億円に上るという。もはや東電任せにはできない段階に入った。

2013年7月22日月曜日

自民圧勝民主惨敗



報道によると、安倍政権の信を問う第23回参議院選挙が21日投開票された。自民党は選挙区、比例区ともに順調に議席を伸ばし大勝した。公明党と合わせ全議席の過半数を獲得し、国会で衆参の多数派が異なる「ねじれ」状態は3年ぶりに解消。自民党は1強体制を固めた。安倍晋三首相は今後も経済最優先で政権運営に臨むとともに、憲法改正に向けた環境整備を進め、改憲勢力の結集を図る意向だ。一方、民主党は大敗し、参院第1党から転落し、落日の憂き目にあった。
今思うと、民主党は政権時、唐突に消費税増税やTPP参加を表明したり、尖閣問題や内部分裂のごたごたを起こし、政権与党としての覚悟と政策実行力に疑問があり、政権末期には誰が見ても選挙結果は見えていた。

いまアベノミクスは「踊り場」を迎えている。周知のようにアベノミクスというのは、安倍政権が打ち出した景気回復のための経済政策で、この政策には、3本の矢と呼ばれる3つの分野がある。「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」そして「民間の投資を引き出す成長戦略」である。前の2つは要するに「ミニバブルを起こす」「バラマキ」といったショック療法で、最後の1つは「日本経済の体質改善」と言われている。インフレ目標2%をお題目に、日銀の黒田総裁は張り切っているが大幅な金融緩和は諸刃の剣で、我々国民はそのさじ加減を注視するしかない。たしかにその効果は、ショック療法で、長らく1万円を割っていた株価は安倍政権発足後に上昇し続け、今年5月にはなんと5年4か月ぶりに1万5000円台にまで達した。今は乱高下しているが、円安の恩恵を受けた輸出業界では好調が続いている。反面円安による輸入物価の値上がりがじりじり続いている。
問題は第3の矢「成長戦略」がバブル崩壊後の失われた20年から脱却できるのかどうかである。
参議院選挙も終わり、ねじれ解消のもと、消費税は先送りされるのか、農業や医療の抵抗勢力を押さえ込みTPPを推進していくのか、憲法改憲を実行するのか、選挙前の縛りがなくなり、安倍首相は思い切った政策に進むお膳立ては出来た。
ただ消費増税を実施した場合に、景気の腰折れ、つまり成長率の低下が起こる可能性がある。13年度は財政出動や円安の効果、消費増税前の駆け込み需要などで、そこそこの成長率が実現できるだろう。しかし、消費税率が引き上げられれば、少なくとも成長率は落ちることは過去の経済指標を見ても明らかである。増税によって景気が腰折れすれば、消費税率を上げても、税収が予想通りには伸びず、かえって財政状況が悪化する可能性がある。そのためそれを補填する第3の矢(成長戦略)を実行することが急務であるだろう。

その一つに農業がある。日本の農産物は質も高い。改革さえすれば、日本の農業は、国際競争力を持つ重要な産業に十分になり得る。そのためにも、まず保護一辺倒の現在の農業政策が足カセとなっている。そして、農業への企業法人の参入、農地集約による大規模化をしやすくすることが必要だ。安倍首相も、その必要性は痛いほどわかっているはずなのだが、それができない。農水省、農協の抵抗が強いからだ。この既得権益に守られた農業を改革するのは皮肉にも外部からの圧力(TPP)かもしれない。
そのTPPだが、第18回交渉会合が7月15日から25日の日程で、マレーシアのコタキナバルで開催されているのに、日本が初めて交渉に参加できるのは、米国の承認手続きが終わる23日午後(現地時間)からであり、米通商代表部(USTR)のフローマン代表が18日、オバマ政権の通商政策について下院歳入委員会で証言したなかで、TPP交渉への日本の参加問題をめぐり、「(まとまった交渉文書の)再交渉も、蒸し返すことも日本に認めない」と述べている。つまり、日本が、最終日の25日までの3日間に基本的な立場を説明し、これまでの交渉状況の把握に努めても、先行参加している11か国(ベトナム、ブルネイ、ペルー、チリ、シンガポール、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、米国、カナダ、メキシコ)が、すでに大筋のことを合意しているのであるから、これを覆すのは困難としか言い様がない。
復帰した自民党政権は、安倍晋三首相、麻生太郎副総理らかつて挫折した時と同じ役者が采配を振っている。失敗から学ぶことはあるとしても、急に信条、体質、手法が変わるはずもない。ただ、アベノミクス効果で社会が明るさを取り戻したのは確かで、世間は不安を覚えながらも浮かれ気分が広がっているのが現状だ。野党とのねじれはなくなったものの、今度は自民党内でのねじれが生じ、抵抗勢力をねじ伏せ政策遂行に邁進できるだけの胆力と、内外ともに多忙を極める首相の日常を持ちこたえるタフな体力があるかどうかが多少の不安は残る。前回慢性の下痢で政権を明け渡した過去があるだけに。

2012年12月20日木曜日

あとの祭り(選挙)


国政を決める総選挙で、自民党は解散時の118議席から2.5倍の単独で過半数以上の292議席を得た。連立を組む公明(30)と合わせれば、322議席。三分の2は320であるから、参議院が過半数でなく、反対があっても全部の法案が通ることになる。一方の民主党は57議席の惨敗に終わった。

前回は民主党に投票した無党派層が、多少は自民党に流れたものの、維新、みんな、未来に、分散したことがうかがえる。前回の選挙で掲げたマニフェストの内容をことごとく反古にし、全くなかった消費税増税法案を成立させたことや、外交上のさまざまな失態など、初めての与党経験者が多かったとはいえ、お粗末な内部統制の取れない政権運営を続けた民主党に対し、有権者がNOを突きつけた結果の自民党勝利だと思う。
実際多くの選挙区で、第3極同士の政党が競合し票が割れたため、共食いの結果として自民党が勝ったという選挙区も少なくなかったようで、複数の第3極の候補者の得票数を合計すると、勝利した自民候補者の得票数を上回る例も相当数あったようだ。野田首相の思惑の一つでもあった第3極間の連携の準備が整わないうちに仕掛けた解散総選挙が、民主党の壊滅と自民党の快勝につながった。

世代別投票率の推移


報道によると今回の総選挙の投票率は59.32%。衆院選では戦後最低だという。低投票率の場合、有力な支持母体を持つ政党が有利となるため、自民・公明の勝利へとつながったのだろう。
それまで投票率の最低は1996年で、ちょうど小選挙区制がスタートした最初だった。一つの選挙区に当選者は一人だから死に票が多くなり、投票にいってもしょうがないやと思う人が多く、それ以前に、小選挙区だから立候補しても3番手4番手の党だから、当選する見込みがないとあきらめて立候補しなくなった。それで投票する人も少なくなって投票率が下がったと考えられる。
かつて自民党の森総理が無党派は寝ていて欲しいとの賜ったこともあり、国難のこの時期に国民の投票率が戦後最低とはどうなっているのかこの国は?選挙制度にも問題有りと言わざるを得ない。
早くからマスコミによる自公優勢との報道がなされ、しかも、多党乱立状態での選挙突入となったため、「どうせ今回は自公政権なんだろう」とか、「党が多すぎて、どこに入れたらいいか分からない」という有権者の思いが、結果として低投票率になったことも考えられるだろう。


また問題になっている「1票の格差」が最大2・3倍だった前回衆院選について、最高裁は昨年3月、小選挙区の定数を各都道府県にまず1議席ずつ配分して、残りを人口比で割り振る「1人別枠方式」が格差を生む原因だと指摘し、同方式の廃止を求めた。これを受け、同方式の廃止と格差を是正する「0増5減」を盛り込んだ選挙制度改革法が、衆院解散した11月16日に成立した。
しかし、区割りを見直す時間はなく、衆院選は違憲状態のまま行われ、最大格差も2・43倍に拡大した。また読売新聞によると「1票の格差」違憲状態で衆院選無効…一斉提訴. 最高裁が「違憲状態」とした選挙 区割りのまま行われた今回の衆院選は違憲だとして、二つの弁護士グループが17日、 27選挙区の選挙無効(やり直し)を求めて全国の8高裁・6支部に一斉提訴したが後の祭りだった。



  

  

2012年11月10日土曜日

迷走国家

衆議院本会議


現在、日本の政治は、国家をどう守り、国民をいかに幸せにするかという国民政治ではなく国民不在のなかで、どこの党が権力を握るかという政局政治に陥っている。この澱んだ国民不在の政治がこれ以上つづくと、国家の運営に支障をきたし、国民の政治不信と無党派層の拡大につながる傾向が続くだろう。
 もっぱら政界の焦点は解散時期についての駆け引きに終始し、野田首相にダマしたダマされたと、自民、民主は相変わらずの舌戦を繰り広げ,お互いの腹の探り合いをやっている。近頃気のせいか野田首相の顔が上目遣いのタヌキそっくりに見えてきた。そんな折、東京都都知事の石原慎太郎がご老体にムチ打って、第三極勢力を結集し国政に復帰することを表明した。


ここに来て維新の会の底の浅さが見え始めた橋下維新は、石原新党やみんなの党などと連携を画策しているようだが、政治姿勢や政治理念が違う集団がどこまで歩み寄るかは不透明で、石原新党と維新の会、みんなの党、減税日本ら第3極勢力のどこに、共通の政治姿勢があるのだろうか。石原の官僚制度のシャッフルという小異を捨て大同に着くという大言壮語に吸着されて、たとえ第3極勢力が政権をとったところで、1993年の細川内閣が、7割を超える支持率を得ながら、あっというまに崩壊したように、今から不協和音が聞こえてくるのは私だけではないだろう。

石原慎太郎は4期目の都知事選を出ないと言って出てみたり、新党結成を全く考えてないと言って結成の画策をしたり、その行動の裏には常に2人の政治家でもある我が息子絡みの思惑があることが周知のことになっている、今になってみて中古派閥の老害長老達に担がれた小物が、自民党の総裁になれなかったのは不幸中の幸いであった。慎太郎を担いだ亀井静香も、石原のご都合主義に愛想を尽かし袂を分かった状態で関係は冷えてしまった。

政策の4つの柱、すなわち憲法、原発、TPP、消費税の各々の基本理念が違う連合、石原・維新」連合が、志や政治姿勢を共有する結束ではないかぎり、日本の政治に、新しいうねりは生じないだろうし、民主党の悲劇が繰り返されないことを望みたい。最近の報道2001の石原慎太郎を見た限り、<統治機構の改革>といっても中身は漠然とした官僚批判に終始し、具体的な制度改革の形も示していない。思いつきで始まった尖閣諸島購買の話からはじまった政治の混迷など
我々国民が聞きたいのは経済と政治が停滞し、世界から孤立しつつある日本を、どのように建て直すかである。

2012年9月15日土曜日

領有権問題

戦後すぐマッカーサーの招きでやってきたイギリスの歴史家トインビー(1889-1975)は「この国(日本)の経済は20年もすれば回復するが、国民精神の回復には100年を要するだろう」と指摘したそうだ。戦後67年を経てきた今の日本を見ているとその指摘通りになっている。冷戦後の日本を取り巻く国際環境は激動の中に有り、2極に躍り出た中国とそれに連動してロシア、韓国と各々が領土問題で我が国に対峙してきた。
日本政府は竹島にせよ尖閣諸島にせよ、国内外に我が国固有の領土であることを知らしめる発信力が弱いのが気にかかる。各メディアで論じられてる領有権問題を整理してみると、


<竹島>
日本では明治政府が1905年に竹島を島根県に編入し、竹島の領有を宣言したことから日本の領土になった。 これは国際法的にも認められている。
 ところが敗戦後の1952年、、サンフランシスコ講和条約によって確定する日本の領土に竹島が含まれていることを知った韓国が、1952年、条約締結直前に当時の韓国大統領李承晩が発した「海洋主権宣言」により、韓国周辺の公海上に勝手に設定した海域線内に含ませたこと(李承晩ライン)により竹島を占拠し,以後実行支配が続いている。また韓国はこの行動を起こす前の講和条約締結にあたって対馬を韓国領とするよう米国に働きかけたが、米国は取り合わなかったため、次に竹島を要求した。
しかし、当時のラスク米国国務次官はその要求も「古来日本が領土としており、韓国が竹島領有を主張していた事実はない」と受け付けなかったため、「海洋主権宣言」すなわち「李承晩ライン」なるものをサンフランシスコ講和条約締結前に「火事場泥棒のごとく」設定したのである。

そして 1965年に日韓基本条約が締結されるまでに「李承晩ライン」を 日本の漁船が越えて侵入したという理由で、328隻が拿捕、3929人が抑留され44人が負傷、うち5人が亡くなっているにもかかわらず、日本は韓国に対して何も言えなかった歴史がある。


<尖閣諸島>
一方中国は尖閣諸島を正式に支配したことがない。 しかし、尖閣諸島の歴史は曖昧で最古の記録では、尖閣諸島は琉球王国のすぐ隣、中国の領土内にある島として、その名前がひっそりと現れる。その琉球王国は1870年代に日本に吸収されて沖縄と改称された。
 1895年、日本は尖閣諸島を無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上沖縄に編入した。1945年、日本が第2次世界大戦に敗北すると、米国が尖閣諸島を含む沖縄の統治権を取得した。
1951年に締結された日米間の講和条約、さらには1972年に沖縄を日本に返還するとの合意文書においても、尖閣諸島の主権は曖昧なまま放置された(台湾もこの島の領有権を主張している)。米国は当事者間で友好的に解決すべきとの立場を取っている。

 政府は尖閣諸島について「日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配している。解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との立場だ。各メディアの論調を整理してみると、

 その第1の根拠は「1885(明治18)年から日本政府が現地調査を行い、尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、95(同28)年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した」(政府見解)ことだ。
 政府はこれは国際法上の「先占」にあたるとしている。先占とは「いずれの国家にも属していない地域を領有の意思をもって実効的に占有すること」で、国際法では国家が領有権を取得する方式として割譲や併合などとともに認められている。
その後、政府は明治29年9月、尖閣で事業を展開していた実業家の古賀辰四郎氏に魚釣島など4島の30年間無償貸与を決定。辰四郎氏は尖閣諸島に移民を送り、鳥毛の採集やかつお節の製造などを行った。大正7年に辰四郎氏が死去した後は息子の善次氏が事業を継続、昭和7年には4島が有償で払い下げられた。昭和15年に善次氏が事業継続を断念し、無人島となったが、政府はこの間の事実をもって「日本の有効な支配を示すもの」としている。

第2の根拠としているのが第2次大戦後、1951(昭和26)年に締結、翌年発効したサンフランシスコ講和条約だ。同条約第2条には、日本が日清戦争で清から割譲を受けた台湾と澎湖諸島を放棄すること、第3条には北緯29度以南の南西諸島などは日本の主権を残して米国の施政下に置くことが明記された。
 政府はこれに関し、尖閣諸島は「日清戦争で割譲を受けた台湾と澎湖諸島には含まれていない」とし、「歴史的に一貫して南西諸島の一部を構成している」との見解だ。米国の施政下でも琉球列島米国民政府や琉球政府によって、標杭や領域表示板の建設など実効支配が継続された。
 その後、尖閣諸島は1971(同46)年に署名、翌年発効した日米両国の沖縄返還協定に伴い、日本に返還されたが、政府は同協定第2条から「返還された地域に尖閣諸島が含まれている」としている。その後、現在に至るまで政府は「尖閣諸島は日本が有効に支配しており、日本固有の領土」との立場だ。

中国の主張
1)明代の歴史文献に釣魚島(魚釣島)が登場しており、琉球国には属しておらず、中国の領土だった。
(反論)明から1561年に琉球へ派遣された使節が皇帝に提出した上奏文に、尖閣諸島の大正島が「琉球」と明記されていた

2)日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った
日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼(とうしょ)澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめた。
(反論)日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった
 3)中国はサンフランシスコ平和条約に関与していないため、そこで決定されたことをを認めないとの立場。
(反論)第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている
出典尖閣諸島問題 - Wikipedia

竹島や尖閣をアメリカが「日米安保の対象地域」と発言しても、国益にならない領土問題にアメリカが介入する事はない。つまり領土問題は日本が独力で解決する以外に方法はないのである。国も個人も利によって動くのが慣いであるならば、今一度日本の自立とは何か、安全保障とは何かを考える時期が来ているように思う。

2012年5月5日土曜日

主権なき憲法

すべての国家は衰退するが、その原因は必ずしも不可逆的なものではない。しかし一番致命的な要因は、国家が自己決定ができなくなることだ。」       トインビー『歴史の研究』


さらにトインビーは現代文明について言及している。「人間は、科学と技術を進歩させてきたが、人間が誕生してからこのかた、精神的には何ら成長していないという。現代技術の進歩の結果、人間は再生産不可能なかけがえのない無生物資源を、空前の規模と割合で消費する能力ばかりを身に付けた。」

物質的豊かさ、経済的繁栄への欲求が習い性となった国家・集団・個人の自己中心性が、それらを加速度的に発達させ、飛躍的に成果の争奪(競争、時には戦争)が拡大教化されてきたという。
この欲求を根源とした力は、先進国などの一部の国の人々は豊かにしたが、同時に人口爆発、貧困、自然破壊、公害など様々な問題が噴出させ、それを拡大している。

彼は物質的な豊かさというものは、精神的な貧困をもたらすものでしかないと説く。危機の世をいい方向へ立て直すには、まず第一に物質的な豊かさへの欲望は抑えよと説く。第二に、物質的な富の追求から精神的な富の追求へと、私たちの精力の向きを変えよと。




憲法記念日は日本国憲法の施行(1947年5月3日)を記念した日である。今、日本国憲法について思いを巡らせると、世界的に見ても、異常な生い立ちをもった憲法であることがわかる。
その異例な点は、アメリカ軍を中心とする連合国軍の占領下という特殊な状況においてGHQによって作られた草案に従い、短期間に日本国の主権が極度に制限されていた中で、米国から強制的に与えられたものであることは周知の事実である。

敗戦に続く占領政策は、日本の国家と社会、また日本人の精神に強い歪みをもたらした。さらに「日本弱体化政策」の設計図ともいえる米国製の日本国憲法が誕生した。それは、日本が再び米国の脅威とならないようにするために、米国が与えた法的な拘束であった。そして、現行憲法は制定後60年以上にも及ぶ長期間、日本の政治、行政、防衛、教育等の法的枠組みとして存続してきたことによって、日本人のアイデンティティーが弱められ、決められない政治に象徴されるように、今日の亡国の危機を生み出している土台が仕組まれていた。

 同じ敗戦国でも、条件付き降伏の日本と異なり、文字どおり無条件降伏をしたドイツに対してさえ、戦勝国は憲法を押し付けることは無かった。ここに白人の有色人種に対する人種差別意識が見え隠れする。戦時国際法では外国軍隊は、占領地において現地の法律に従うことが規定されており、占領軍にできることは、占領政策に必要なものに限られていて、それにもかかわらず、日本を占領した連合軍は、当時の日本の基本法である帝国憲法の改変を強行した。これは、明確にハーグ陸戦規則に違反することである。
 連合国の極東委員会は、昭和21年11月に憲法が公布された後、2年以内に再検討すべしと決めていた。マッカーサーも、日本国憲法の押付けは理不尽であることを十分理解しており、そこで、彼は委員会の決定を受けて、憲法施行後1~2年の間に改正が必要であるなら、国民の判断に委ねるべきことを、吉田茂首相に伝えたが、しかし、吉田は、これを無視したと伝えられている。ここから、半世紀を超える今日まで、改憲か護憲かという議論が続いている。

 日本国憲法は正に米国が日本を属国として支配するための半植民地憲法だった。これを改正しない限り、日本は永久に米国の従属国・被保護国いわば半植民地なのだ。
広島大学の中川剛教授は、比較憲法学の立場から重大な発見をした。アメリカは大戦後、スペインの植民地だったフィリピンに独立を与える際に、アメリカ製の憲法を与えたが、このアメリカがフィリピンに与えた憲法と、日本国憲法は武力放棄など基本的な点において、ほとんど同じだというのだ。その為、法の専門家でもないGHQが手際よく短期間で憲法草案を作れたことの説明がつくと締めくくっている。

日本国憲法の欠陥と矛盾

  戦後、連合国による占領下で行われた日本弱体化政策とは、軍事力の制限と考えがえがちだがしかし、最も重要な弱体化は、精神面に対するものであり、すなわち、精神を骨抜きにすることである。
現在の日本は、どこかの国が突然、宣戦布告をして侵攻してきた場合でも、単独では対抗できない状態にある。日米安全保障条約によって米国に守ってもらうしかない状況下で、米国はこうした防衛上の依存構造を作り、米国は、日本に防衛力を持たせ、それをあくまで米国が管理下におき、日本自身が自分の意志で防衛力を行使することはできないようにしている。それがアメリカによる"宗主国対従属国"の構造である。
つまり、日本は、安保条約による軍事同盟国ではあるが、根っこでは第9条が主権制限条項であることの意味がここにある。すなわちここで言う主権の制限の核心は、強い軍隊を持たせないようにすることである。 第9条は、『戦争の放棄』という題名の章に置かれた条項だが、憲法に定めるべきものは安全保障である。現在の憲法は、国家の主権を制限する内容となっているから、これを改正しなければならない」と改憲論者は言う。
 しかし、戦後の日本人は、連合軍に占領された6年8ヶ月の間、行政、立法、家族制度、報道、教育、学術等、すべての分野で徹底的な弾圧・改変を受けた結果、マッカーサーから押し付けられた憲法を変えることを恐れている。言論統制と検閲は終わったにもかかわらず、日本人は見えないもののマインドコントロールを受け自主規制をかけ、米国の庇護の下、国の防衛に腐心することなく稀に見る経済発展を遂げた居心地の良さのため、55年体制の下、この憲法の欠陥と矛盾を改める気力も薄れた状態で、他力本願のまま、改憲護憲の上っ面の論議は何度も与野党間で起きては消え今日に至っている。

安保は、敗戦国・日本には基地の提供などの義務はあるものの、戦勝国・アメリカが一方的に防衛義務を負うという片務条約である。それゆえ、日本は自国の防衛にすら責任を持たなくてよくなり、平和と繁栄を享受することができた。そして、アメリカの作った自由貿易体制を最大限活用して、高度経済成長を成し遂げ、経済的に大きな利益を得てきた。日本はこうして特権的な条件のもと従属国的・被保護国的な地位に甘んじて栄華に酔いしれてきた。そのため、日本人は、自主独立の精神と民族としての気概や誇りを失い、他国への依存心を強め、その下で、経済的な発展ばかりを追求するという偏った指向性が続く。そして、この他者依存的な防衛機構と経済的繁栄が、日本人の心の隙間を広げていくことになる。

日本人は戦後、自立心を失い、国防を他国に依存するという「甘え」の構造の中で、「利己主義」的に物質的な豊かさをむさぼってきたが、かつての高度成長経済がもはや戻れない過去のものとなった現在、国家目標も国民的理想もない「半植民地国家」の虚栄の半世紀をもう一度省みて日本再生を望む意志の持続と、自虐的な隷属感覚を払拭するためにも日本国民が作る自主憲法が望まれる。


2012年4月23日月曜日

政治一新

ダリ 内乱の予感 1936


鳩山,菅、野田と3代続いた民主党政権も黄昏が近づいてきたようだ。前田国土交通相と 田中防衛相に対するの問責決議案可決は民主党政権で3度目になり、小沢グループの造反や国民新党の内紛も加わり民主党政権の足元が揺らいでいる。
八方美人の野田首相は「党の利益よりも国益が優先される」を繰り返し言っているが、やっていることは真逆で、民主党政権の癒しがたい言行不一致にふりまわされ、、政治は混迷を極めている。そんな折も折、国の不甲斐なさに業を煮やした東京都石原知事が外交音痴で国益を毀損している野田内閣の領土問題に一石を投じた。

歴史の転換期には時の政府の統治能力が劣化し紛争を解決する能力を失った時、政治権力を分有してきた各党派間の権力闘争が激化する。まさに徳川幕藩体制末期から明治維新の時代の様相が重なる。我が国の近代史上、中央政府における権力闘争が全国的規模の内戦に発展したのは倒幕戦争であった。幕末、薩長同盟軍(地方政府軍)は幕府軍(中央政府軍)や佐幕派の欧州列藩同盟軍を撃破した。弱体化した中央政府は台頭する地方政府によって権力を侵奪される。

大阪維新の会、明治維新を彷彿とさせる命名は言えて妙だが(橋下・松井)は、坂本龍馬を意識してか船中八策なるものをぶちあげた。荒唐無稽な夢物語と思われていた「大阪都構想」もわずか数年で実現する見通しである。大阪維新の会は、民主・自民・公明・みんなの党などの既成政党の弱点をついて恫喝し、各党を競わせ、法案提出寸前にこぎつけている。原発再稼働についても民主党の手法を批判し徹底抗戦の構えを崩さない。
報道では13日、大阪維新の会橋下徹代表は「次の衆院選のときに民主党政権には代わってもらう。もう国の統治を民主党に任せることはできない。大阪維新の会松井一郎幹事長は緊急幹部会を招集し、「今のままでは(民主党政権と)全面対決となるであろうが仕方がない」と全員異議なしで橋下徹代表の倒閣宣言を追認する旨の機関決定を行った。いわば地方による中央への下剋上でもある。

一方で東京都石原知事は「尖閣諸島を所有する地権者との間で、尖閣諸島を買い取る合意ができた。売買契約の時期は国の賃貸借契約が切れる来年4月」という。石原都知事は 「尖閣諸島の実効支配を狙って漁船や巡視船を派遣して実効支配の実績を積み重ねている中国の侵略行為に対し、見て見ぬふりに終始する民主党政権(外務省)には任せておけない。東京都が国に代わって領土を保全する捨て石になる。地権者の意思を尊重して、まず東京都が買取り、然る後、国が国有化の意思を固め、実効支配に資する必要な施策をとったならば、所有権を国に移転してもよい」と語った。それに乗じて野田首相も国が買ってもいいと言い出した。だったら最初から言い出すぐらいの覚悟と根回しをしろよと言いたくもなる。

奇しくも二人のポピュリストが起爆剤となり、3代続いた民主党の自己崩壊が進んでいく。次回の衆院選は「民主党対自民・公明両党」という旧来の政権交代の図式にはならないだろう。民主党、自民党、みんなの党、立ち上がれ日本、国民新党等の既成政党の枠組みを超えて政界再編がなされ、現国会議員や元国会議員のみならず、雨後の筍の如く芽生えている全国各地の政治塾の動きも気になるところだ。次回衆院選と来年夏の参院選は我が国の政治を一新する転換点となる予感がするのだが、果たしてどうなることやら。

2012年3月17日土曜日

消費税国会


政府・民主党は6日の社会保障改革本部で、消費税率(現行5%)を2014年4月から8%、15年10月から10%に段階的に引き上げることを柱とする社会保障・税一体改革素案を正式決定。3月に関連法案を国会提出する計画だが、野党側は法案提出前の事前協議を拒否しているほか、民主党内にも多数の反対派を抱え、法案成立のめどは立っていない。
その多数派の代表 小沢一郎は、元々、消費税増税論者であるけれど、「増税する前に、やるべきことはいっぱいある」と公務員制度改革、福祉政策充実、景気政策を先行して行い、そのうえで消費税増税に入るべきであるという持論を述べてきた。
民主党の最後のショートリリーフで登場してきた野田首相は、9月には民主党代表の任期切れが来て代表選を迎えることが念頭にあり、在任中の目立った足跡を残そうと消費税引き上げに躍起になっており、なりふり構わず増税論者の自民党の谷垣総裁と密談をしたり、はたまた小沢の党員資格を停止した岡田副総理も自民党への抱きつき(大連立)を画策して自民党に足蹴にされた挙句、宿敵の小沢に擦り寄る気配も見せている。

首相が衆院解散・総選挙に踏み切る可能性が高まるのは、野党提出の内閣不信任案に民主党内から造反議員が出て賛成し可決された時と、消費増税法案が衆院ないし参院で否決され、今国会での成立が見込めなくなった時の局面だ。

消費税の2段階引き上げについては当初、8%への引き上げを13年10月から、10%への引き上げを15年4月からとする案が検討されたが、民主党内に反対の声が根強いことから、半年ずつ遅らせ、最初の引き上げが衆院議員の任期満了(13年8月)から7カ月後となるようにした。これにより消費増税実施の閣議決定は事実上、次の総選挙後となる。

今後とも続くデフレ経済下での増税は弱体化した国内経済に鞭打つ施策であり、経済は更に下降していく。生活必需品も贅沢品も一律課税方式の我が国の消費税は弱者高負担の増税であるため国民の多くが反対をしている。

それにしても権力闘争にうつつを抜かしている民主党も、内実は水と油の寄合所帯で、自衛隊を「暴力装置」呼ばわりして更迭された前官房長官の仙谷由人代表代行も、反日・自虐史観教育を続ける日教組のドンとして参院に君臨している輿石東参院議員会長も左翼崩れの旧社会党だ。菅元首相や江田法相なども社民連出身で社会党の分派で同根同類である。保守本流育ちの小沢と合う訳がない。菅と江田のご両人は、ともに拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙元死刑囚の釈放嘆願書に署名したという共通項もある。この他にも民主党のメーン・プレーヤーは上述した面々以外にも旧社会党の左翼崩れが多いのが特徴である。2年前民主党に変われば政治は良くなると幻影を抱かせ、民主党を選んだ多くの国民は今何を思うのだろうか?


進まぬ復興と地方分権

震災後1年を過ぎ未だガレキの処理が6%程度しか進まない現状がある。今、政府は地方が分担して処理協力をするよう、各自治体に要請をしているところだが、住民の核アレルギーによって一向に進んでいない。一方で霞が関の縦割り行政の弊害も指摘されている。被災地が独自にガレキ処理を民間の業者に復興資源の再利用として計画しても、環境省はなかなか動かない。

被災現場に立たず、被災した地域の声も映像を通して見ているだけで、この国難を肌で感じていないようだ。霞が関のデスクの上で机上の論議をやっている官僚の硬直的な采配は、様々な過程で地方をコントロールしている。その力の源泉は、地方交付税、地方譲与税、国庫支出金、各種補助金などでがんじがらめにしている。それこそが日本で非常に強い権力を隠然と持っていた官僚機構である。

地方が勝手に権益を持って事を勧めることは、規制緩和を意味し、地方分権を阻止しようとする官僚の力を削ぐことになる。戦後の日本の官僚機構は、対米従属の国是を維持する機関として機能し「おみこし」的に自民党を担ぎつつ政府の事務局として位置することで、国家権力を握っていた。
しかし今、官僚にとって真の「お上」である米英の覇権が崩壊過程にあり、官僚機構はあちこちで機能不全に陥っている。在日米軍はグアムに移転する気になっており、何とか米軍を金でつって駐留してもらっている。戦後GHQのお墨付きをもらった官僚は政治家の強力な黒子である。

マスコミのプロパガンダ機能を握っている官僚機構は、自分たちを無力化しようとする政治勢力には強く抵抗し、つぶしに係る。政治主導と叫び続ける政治家の声が虚しく響く。しかし、日本はこのままではダメだと思う政治家は、官僚機構を大規模に解体再編しない限り日本は立ち直れないと、気づくようになったのだが。、、、、今日の状況で、そう思っていない政治家は、無能か官僚の傀儡か、はたまた私利私欲に固まった政治屋にすぎない。

2012年2月5日日曜日

政局探訪

最新の時事通信社の行なった野田内閣の支持率は28%に下落し、消費増税反対は53%と不支持率は同6.5ポイント増の48.3%。支持率は政権発足から4カ月余りで「危険水域」とされる3割を初めて割った。消費増税に反対する民主党の一部議員が離党したことや、小沢、鳩山などが消費税反対を打ち出していることなどから、迷走は続き来年夏の任期満了を待たずして、解散総選挙の風も吹きそうだ。それも党内最大派閥の小沢一郎の動向次第では政局が変わる可能性もあるだろう。

民主党の迷走の根幹はマニフェスト違反によるものだ。野田政権が進めている消費税増税は、マニフェストに一切書かれていないどころか、「現行税率を維持する」「議論すらしない」などと公約していた。ところが財務官僚の口車に乗って増税路線に舵を切った。その他、普天間基地問題で「最低でも県外へ移設する」としたものが引っ込めざるを得なくなったり、マニフェストの目玉の一つであった「子ども手当」は実質的に廃止されたり。八ツ場ダム(群馬県長野原町)の建設再開など、同じくマニフェストの目玉の一つであった国家公務員の総人件費2割削減は実現困難な情勢である。

「官僚丸投げの政治から、政治家主導の政治へ」とうたっていたが、消費税増税に見るようにほとんど官僚の振り付けで運営している状況である。これだけのマニフェスト違反を続けている政党は既に政党の存在理由がないわけで、退場を待つだけである。

ここで我が国の政治課題は数多くあるが主たるものを洗い出してみると、
(1)輸出型産業の競争力低下、(2)内需の低迷とデフレ対策、(3)GDP比200%を越える巨額の財政赤字、(4)史上空前の円高、(5)更に加速する少子高齢化、(6)大震災後の原発と環境問題などが挙げられる。政治がしっかりしたリーダーシップを示せない国の経済が、大きく発展することは考えにくい。軒並み赤字決算を出している上場製造業を見ると、消費税を上げている場合ではないだろうと思う。
これら難題を抱えた国の運営を持て余して、決められない政治を続ける民主党や、自民党の体たらくを見ても今の既成政党に望みを託す国民は少ない。両党とも選挙になったら過半数割れがちらついている。


そんな中で一人気勢を上げているのが大阪維新の会橋下大阪市長だ、国政に出て打つ勢いは止まらない。これから出てくる新党との合流も視野に入った昨今、ロートル新党たちあがれ日本の石原慎太郎の亀井静香を巻き込んだ連携の動きをみて、セガレの自民党幹事長の伸晃がオヤジに新党が政界に躍り出たら俺は自民党の総裁になれないと泣きついたせいで、親バカの慎太郎の新党結成の動きが鈍っているらしい。
橋下に相乗りするのか、小沢、亀井、石原、渡辺?いみじくも石原がつぶやいたように政治は一寸先は闇ということで、ますます今後の政局は混沌としてきた。