2009年9月7日月曜日

魑魅魍魎の裏社会


戦後の裏社会を概観してみると、「この国の戦後はヤクザと自民党とCIAが作った」という格言がある。戦後、敗戦による混乱の中、三国人による治安悪化を防ぐために、GHQの政策により弱体化した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託した。 以後ヤクザは反共の防波堤として60年代安保闘争の背後にも国の盾としても控えていたが、時代が進み70年代になると警察庁によって暴力団の頂上作戦が行われ、暴力団は徐々に従来型のシノギを得る為にその姿を変えて行く。

事例をあげると、「政治団体化に加え、日本の司法システムの欠陥を利用した整理屋・損切り屋・競売妨害・地上げ屋などの民事介入暴力(民暴)、総会屋、北朝鮮ルートでの麻薬の密輸と国内販売などの犯罪集団に変貌していく。


70~80年代、地上げや債権回収などでヤクザは銀行に足がかりを築いた。またヤクザが銀行に恩を売る一方で、銀行側もむしろ積極的にヤクザを利用した経緯がある。 そして裏社会が表社会の経済活動に本格的に進出を始めたのが、バブル後の「失われた十年」が芽生えた時で、90年代の金融危機につながっていく。一方でヤクザと自民党の歴代閣僚とのつながりも多く伝えられており、徐々に政治に対する影響力を現してくるが、そんな折、時は2002年1月、ブッシュが訪日前に小泉首相に親書を送っていたことが明らかになった。そしてその親書の内容とは日本経済システムからのヤクザの排除であったといわれている。米国ではほぼ日本のヤクザの実態を掴んでおり、放置しておくと日本経済の足かせになると考えた末の不良債権処理・竹中プログラムは米国の意向通りに行われた。

  最近取りざたされている薬物事件

大麻の所持や栽培などで全国の警察が1~6月に検挙した事件は昨年同期比13.4%増の1907件、検挙人数も21.3%増の1446人だったことが20日、警察庁のまとめで分かった。いずれも上半期の統計が残る1991年以降で最多となった。検挙された人の63%は20代以下が占めており、若者を中心とした大麻汚染の拡大が浮き彫りになった。覚せい剤事件でもタレントがワイドショウで連日報道されている。全体の検挙人数は5384人で13.1%減ったが、覚せい剤の押収量が6.4倍の約263キロに激増。末端価格は昨夏をピークに下がりつつあり、同庁は「根強い需要と相応の供給があるとみられ、使用者が減っているとは言い切れない」と警戒している。(2009/08/20 jcom)


これら薬物問題は日本の裏社会の一面でもある。元公安調査庁の菅沼光弘氏によると「ヤクザの活動と、日本の表の活動である政治、経済、外交は、複雑な絡まり合いのなかで運営されているのが現状。日本の本当の姿を知るためには、裏社会の問題について十分な知識がないと正確な分析はできない」と述べたたうえで、日本の裏社会の構成要素として「やくざ・同和・在日」の3つを挙げている。また、ヤクザの6割を同和関係者、3割を在日韓国・朝鮮人が占めており、残りの1割を一般日本人と中国人が占めていると分析している。
現在取りざたされている覚せい剤問題も、北朝鮮ルートと中国ルートは在日朝鮮人ヤクザと中国人ヤクザがからんでいて、イランからのルートも摘発されている。現在何らかの薬物に依存している日本人は約60万人いるというからすごい数だ。まさに裏社会のドル箱である。また各暴力団組織には多くの右翼団体とも繋がりがあると言う。ヤクザの人口は、警察庁発表では8~9万だが、実数はもっと多い。全国21組織でヤクザの全体の90%を占めている。そのうち山口組・稲川会・住吉会の3組織で、70%を占め、そのなかで山口組だけで50%を占めている。
 


警察白書(平成17年版)によると、暴力団構成員・準構成員の総数は96年以降増加傾向にあり、その数は8万7千人にのぼる。山口組、稲川会、住吉会の主要3団体で構成員総数の7割を占めるなど寡占化が進んでおり、最大規模の山口組の収入は大企業に匹敵する。菅沼氏によると、5代目山口組・渡辺組長の時代には、当時のトヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、山口組は8000億円の収入を得ていたという。  92年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、いわゆる「暴力団対策法」が制定されたことにより、賭博、覚せい剤、競馬・競輪からの収入など伝統的な収入源が完全に絶たれた。

その結果、近年はその経済活動が巧妙になっており、IT関連の犯罪から産業廃棄物処理事業まで一般企業に活動の場を広げていると菅沼氏は言う。 また、暴力団対策法はFBIがマフィアを撲滅した例をもとに「日本に機械的に適用」したもので、法律施行後は、山口組のように全構成員に警察との接触を禁止する組も出てきており、「警察がやくざの問題について、ほとんどわからなくなってしまった」実態を明らかにした。
さらに菅沼氏は暴力団が日本の社会に浸透している背景について、「ヤクザは日本の文化の一端を担ってきた組織。神社のお祭り、相撲、プロレス、芸能界といったものの興行は、ヤクザと渾然一体となって日本の社会で育ってきた」ことや、「トラブルシューターとしてだけではなく様々な仕事ができるヤクザを、日本の社会は必要としてきた」ことを要因として挙げた。 

公安調査庁は、設置当初、共産主義勢力を調査するのが主たる目的だったが、共産主義運動の衰退やオウム事件の機に、仕事の重心が国内の治安維持に移ってきた。その結果、対外情報機関としての能力は低下したことについて菅沼氏は、「北朝鮮問題や拉致について、第一次情報を持っているのは外務省でも警察でもなく、公安調査庁」と述べ、対外情報機関としての存在意義を主張する。 また、外国による諜報活動に対抗する日本のカウンターインテリジェンス(対工作防衛)について問われた菅沼氏は、「日本はスパイ天国。脆弱なんてものじゃない、何もない」と指摘し、日本の伝統的な縦割り行政・セクショナリズムや法律の不備がその背景にあると述べた。

注釈 同和問題
16世紀末、豊臣秀吉は農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民、農民とを分けた身分制度を作った。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限していく。こうして被差別部落の形成が進んでいったといわれている。徳川政権が大多数の農民を支配するために、宗教的理由で忌避されていた食肉皮革産業や廃棄物処理、風俗業界、刑吏等の賎民を身分支配のため固定化し、代わりに独占権益を与えたことに始まる身分制度において、この差別されていた一部の人々は、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られていた。そのほとんどが神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業の人々である。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、武具や馬具、太鼓などの革製品、竹細工、歌舞伎や浄瑠璃にいたるまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものであることが言われている。
 
明治4年の解放令によって身分制度は廃止されたが、しかし、被差別部落の生活や暮らしは改善されず形式的なものであったため、偏見や差別はそのまま放置された。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革は、これまでの農民からの搾取を目的とした身分差別から産業労働力確保のための差別として拡大再生産され、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていった。西日本には大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んであるが、関東地方では被差別部落自体が比較的少ないことから認知度が低い傾向にある。現在、行政・企業・宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が同じ日本人としての平等性の観点から部落差別撤廃に取り組んでいる。しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として現われる、早急に解決が必要な現実の社会問題ではある。


穢多(エタ)非人(ヒニン)とは箆棒(ベラボウ)な
 江戸っ子が「そんな箆棒(ベラボウ)な事があってたまるもんけえ」なんて使い方をする「篦棒」、つまり「いくら何でも、無茶苦茶でゴザリマスガナ」と言った言葉は、小塚ッ原や鈴ヶ森などの刑場で、死刑囚の屍体を扱うときに使う棒だ。つまり刑場幕吏の使役人は非人(ヒニン)と言われ、酷い差別待遇を受けていた。人間の屍体を処理する人達が非人と言われていたらなら、動物の屍体を処理する人達は穢多(エタ)と言われていた.いまでも関西地方では彼らのことを指4本で表現する。つまり動物は四つ足で、動物の屍体で食ってるというわけだが、民主主義の世の中でまだこのような差別問題が尾を引いていることが問題なのである。

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