2009年9月15日火曜日

アートな話 「独り芝居」



 独り芝居と言う芝居がある。俳優1人だけで演じられる芝居であるが、日本では1926年、築地小劇場で汐見洋がチェーホフ作「タバコの害について」を独演したのが先駆。第2次大戦後は、杉村春子が48年に独演したジャン・コクトー作「声」が注目された.以後渡辺美佐子や小沢昭一、島田正吾なども名演をこなしている。




最近BS放送でNHKエンタープライズ制作の風間杜夫の4部「コーヒーをもう一杯」5部「霧のかなた」を見た。風間杜夫ひとり芝居は第一部「カラオケマン」、第二部「旅の空」、第三部「一人」と今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」になるのだが、 残念ながら今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」しか見る機会がなかったがおもしろかった。


一人芝居三部作は、三時間を一人で一挙に演じきったと言うからすごい。会社の接待のため派手な衣装でカラオケを歌うサラリーマン。ある日、サウナで記憶を失い交番へ。最後は旅回りの大衆演劇一座に身を寄せ、本当はこういうことがやりたかったのではないかと考える。笑いと哀愁が程よく混じり、管理社会で元気のないサラリーマンに様々な道を考えさせる。
団塊の世代の象徴のような主人公のサラリーマン牛山明、仕事の接待でカラオケで身を守り生きてきたが、ある日突然仕事上の心因性ストレスから記憶がなくなり、家族も仕事も何一つ思い出せないまま、子供時代に好きだったことを頼りに頑張り始める…そして今回続編として、4部「コーヒーをもう一杯」、5部「霧のかなたに」が上演されたのである。
水谷龍二が脚本・演出のこの芝居、風間杜夫がひとり芝居を始めて10年以上になるらしいが。同じころ、落語もはじめた。どちらも演じるのは一人。芝居と落語をやろうとした理由とその魅力は何だろう?牛山明という、ここに出てくるキャクターのペーソス溢れる人間ドラマの断章が描かれる。観客はその断章を見て、彼の人生を想像する。彼はいったいどんな人生を送りここにいるのか?それを風間杜夫が丁寧に演じる。決して奇をてらわない。風間杜夫の、魅力はその喋り方にある。そこは落語の世界にも似た発声や間の取り方が演技に芸に昇華していくのである。まさに落語と独り芝居の垣根を飛び越えた空間がそこにあった。子役時代の風間は知らないが、役者と言うものは色気と言うものがないと大成しないものだと思った。




今回見た芝居は段ボールハウスがその舞台である。そこに住む住人に助けられた主人公牛山明は、段ボールハウスの中で目覚めるところから始まるが、そのやり取りが面白い。舞台装置付きの落語のようだ。助けてくれたホームレスの男と男が飼っている猫「ルノアール」との交流が描かれ、ささやかな幸せがここにある。ホームレスの男はギターを鳴らし生演奏を始める。風間杜夫とギターを弾いている留守(とめもり)さんとのまさにライブセッションである。やがてそんな幸せを壊すように行政側の強制撤去が始まる。彼らは住むところも失い、それに怒る牛山は人間の非力さと無情さを思い知る。まさに現代の縮図がここにある。
牛山の物語はここで終わらない。霧の彼方へ向かっていく姿はチャップリンの「モダンタイムス」のエンディングシーンの後姿を彷彿とさせる。人間の滋味あふれる五部作の完結であり、新たなステージの始まりでもある。今後機会があれば劇場に出向き生の演技を見たいものである。余談だが最近、風間は横浜にぎわい座にも落語で出ているらしい。

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