2008年7月21日月曜日

病んだ社会


 
終身雇用制度が崩壊して久しい昨今であるが、労働環境の格差はすざまじい勢いで広がっている。いわゆる正規雇用に対する非正規雇用の増大が社会に影を落としている。少子高齢化が叫ばれているご時世だが、非正規雇用に組み込まれた若者は将来に展望のないまま、ワーキングプアーとして低賃金で労働を強いられ、結婚出来ない若者や結婚を望まない若者も増えていることが、少子高齢化に拍車をかけている。






政府もこの殺伐とした労働環境に気が付き始め、秋葉原の事件後、派遣労働の規制に乗り出した。かっての経済の高度成長期から安定期に至る我が国は、少なくとも我々団塊の世代においては、目標または問題意識を持てた時代である。その後、後進国の追い上げや経済のグローバル化により、バブル後の社会は企業においては労働コストの削減に走り、目標や問題意識を失った不幸な若者を生み出している。そんな中で秋葉原事件が起きた。この事件以外で誰でもいいから殺したいなどと、各地で似たような事件が増えている。この蔓延する攻撃性はいったい何に由来するのか?まさに社会が病んでいる様相を呈している。



かつて一億総中流社会と呼ばれた時代があったが、いわゆるスタンダードとしての正規雇用から隔離されたように存在が膨れていく非正規雇用者の蓄積された怒りが,特異な形で爆発したのがあの事件である。背景には時代が生み出した疎外感と孤独が生み出す負のスパイラルがある。その日本も今や富裕層と下流社会へと2極分化しつつある。
動物本来の攻撃性
乳離れしたばかりのシロネズミを数週間仲間から離して育てると、かなりの割合で攻撃的な性格になるそうだ。隔離しておくと同じ檻に入れた小型のハツカネズミをかみ殺してしまう。シロネズミ同士にすると猛然と戦う。またニホンザルの隔離飼育の実験では、霊長類のサルが仲間を確認するのは、目で見ることと、皮膚の触れ合いだ。「この二つを絶って隔離飼育すると、半数以上は攻撃的になるそうだ。そうしたサルを数匹 一緒にすると、殺し合いを続ける」という。隔離された無機的な労働環境に置かれた人間が犯した今回の事件は、人間も動物であることを暗示している。その行動が暴走したのは、動物にないコミュニケーションの不在である。

2008年7月10日木曜日

動物愛護の狭間で





我が家にはラッキーというミニチュアダックスフンドがいる。メスの3歳である。
もともとあまり犬の好きな女房ではなかったが、子供たちが独立してからは、心にぽっかり空いた風穴を埋めるために飼うようになった。
この犬も家族の一員であるが、その仕草は人間並みで、あくびはするは、ため息はつくは、 屁はするは、ゲップやくしゃみは日常茶飯事で表情も豊かである。

 昨今、国際捕鯨委員会での捕鯨国と反捕鯨国との溝は深まるばかりだ。クジラを食べる国とそうでない国とのしのぎあいで、沿岸捕鯨をやっているアラスカなどの先住民は捕鯨を認めて、日本のような商業捕鯨の形態の国は、歴史の長い小型鯨の沿岸捕鯨さえ認められない現状がある。鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約に基づき実施しているが、調査捕鯨反対の急先鋒のオーストラリアなどは自国のカンガルーを殺して食べている国だ。反対国の多くが牛などを屠殺場に送り込んでいる。それを食っている人間たちがクジラを捕る国を批判するのは偽善的にも見える。
もちろん乱獲は生態系を脅かすが、それ以上に海洋上の種の偏在は生態系に影響を及ぼす。
海洋食物連鎖の頂点にいるのは、クジラ、シャチなのだから。

欧米から入ってきたゲームフィッシングというものがある。一番ポピュラーなのがバスフィッシングである。当初芦ノ湖に食用として放たれたこの魚は、今や釣っては放す、キャッチアンドリリースのターゲットになっており、全国の湖沼にその繁殖力の旺盛さから数が増え続け、在来種の魚を食いつくすため漁業に深刻な影響を与えている。
今では各地で関係者が駆除をはじめているが、料理法によっては食べてまずくはない魚である。魚の命を半殺しのようにもてあそび、放つのはどうかと思う。釣って成仏、食べて功徳の釣りの世界であろう。

2008年7月2日水曜日

命取り


  20世紀は大量生産大量消費大量投棄で幕を閉じたが、21 世紀になると個人のライフスタイルも多様化し,物も情報も取捨 選択の時代になってきた。
特にIT革命が謳われる昨今、情報の大量生産大量消費大量投 棄の時代になり日々情報の洪水の中に我々はとっぷり浸かっ ている。 まさに情報の中でいかに重要な情報を選び、取り入れる かが問題になっている。
2001年に起きたアメリカの同時多発テロ事件は世界に衝撃を与 えたが、いまだに米政府に対する疑惑は晴れない。当時米政府は いち早く情報をキャッチしていたにもかかわらず、事件を未然に防がず、数々の検証でアルカイダの関与が疑問視されている。イラク攻 撃の口実に利用したとも言われ、未だ真相は闇の中だ。日本では
友人の友人がアルカイダと言ったアホな法務大臣もいる。

     本能寺に届いたアユ

アユは奈良時代から皇室や貴族また時の権力者に献上されていた 貴重なもので国魚であったが,足利幕府にも献上されていて,足利幕 府を倒したのが織田信長である。時の権力者に献上する慣わしがこの 時代も続いていた。
天正10年6月 秀吉の中国地方征伐の後方援護のため、安土から京 都に来た信長は本能寺を宿処とした。現在の京都の本能小学校の跡 地あたりである。
朝廷から内々に将軍にならないかとの打診があり信 長は機嫌を良くしていたが、 彼には朝廷をも倒す野望を秘めていたこ とは推測されている。

その夜、堺の商人なども交え茶会を開き夜遅くまで碁を楽しんで床に入 ったのは夜中を過ぎていた。 このとき信長に碁の千日手である不吉な三劫と言う手が出たそうである。 これが運命のつまずきで,まもなく桂川からアユを納める男が本能寺の 台所に着き,台所の者に意外なことを告げた。

「甲冑に身を固めた武士たちが大勢で京都に向かっており、京にいく者 と見れば片っ端から切り捨てていき、大将は明智様でどうも様子がおか しいようで」と側近にまで伝達されたがそこで止まってしまった。
側近たちは歌にもあるように(鳴かぬなら殺してしまえホトトギス)と言う ほど気性の激しい人間であることは百も承知であった。
信長がたった今、上機嫌で寝たところで素性のわからない川漁師の話 をして,信長の性格からしてひどく怒られることを知っていたので明日お 目覚めになったらお伝えしようと言うことになり、ここで信長の運命はぷ つりと切れたわけである。ここで家来は情報を一時保管してしまった。
情報というものはアユとおなじ生もので、扱いを間違えると信長の命取り になってしまったわけである。

其の後、明智光秀は殺され秀吉の時代になったわけだが、信長と秀吉 の間には面白い逸話がある。
尾張三河の城主だった信長が、ある時、領内で狩りをしていたおり、川 で釣りをしていた小作人の木下藤吉郎(後の秀吉)が面白いように魚を 釣っているのを見た信長が家来に藤吉郎を連れてこさせ、釣りの伝授 をしてもらい、それが縁で彼を屋敷に置いたそうだ。今でいう釣り馬鹿 の社長とハマちゃんの関係が浮かんでくるようだ。(笑)