2015年10月29日木曜日

新映像の世紀


NHKスペシャル 新映像の世紀を見た。20世紀に発明されたばかりのムービーカメラが初めて本格的に動員されたのが、第一次世界大戦である。1914年6月、バルカン半島でおきたテロ事件(オーストリア皇太子夫妻暗殺)をきっかけに、戦火は瞬く間に世界中に拡大、毒ガス、戦車、爆撃機などの新兵器が登場、30カ国を超える国家が巻き込まれ、犠牲者は民間人をふくめ3800万人に及んだ。この戦争は、今も世界を覆う不幸の種子を世界にばらまいた。そこに関わった人々の人間ドラマを、最新の映像技術を駆使して描いていくスタンスで番組が始まった。

あのアインシュタインが天才と呼んだ、ドイツの科学者、フリッツ・ハーバー博士。画期的な肥料の研究でノーベル賞まで受賞した博士は、大戦中、人類史上初めての化学兵器・毒ガスを発明した。ドイツのために貢献したユダヤ人の博士の発明が、後世に、これがユダヤ人虐殺に使用されるという歴史の皮肉。そしてロシア革命を成し遂げ、世界で初めての共産主義国家を樹立したレーニンは、恐怖政治の創始者でもあった。
また、昔映画で見た砂漠の英雄・アラビアのロレンスは、史実では新たなエネルギー・石油をねらったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込み、本国の思惑によりアラブを裏切った結果となった。今にいたる中東紛争のきっかけはロレンスから始まり、イスラエル、パレスチナ問題も、イギリス統治から端を発した。すなわち我々の生きている世界自体が、第一次世界大戦の産物というくだりである。


これら紛争の底流に流れているのは、いつ時代も国家の経済的利権である。各民族の生存がかかっているからこそ、人は命がけで戦う。
どの国の歴史も、どの民族の歴史も血塗られたものである。歴史を学べば誰も自国の犯した罪を正当化する事はできない。罪の大小はあれ、どの国も罪を犯してきた。否が応でも我々が歴史から学ぶ大きな命題は人間の犯してきた罪である。どこかの国のように謝れとか謝らないとかの話ではない。

戦争に正義はない。戦争にあるのは勝敗だけである。勝敗で問題とされるのは、強弱である。強者だけが己の正義を全うできる。 敗者に大義は許されない。戦争で一番被害を被るのは弱者である。それが歴史の真実である。また歴史は勝者によって作られるというのも,非情の真実である。
歴史は、人の犯した愚行や悪行に満ちている。 戦争の惨禍は人間の犯した罪である。第一次世界大戦後、連合国がドイツに課した膨大な国家賠償、すなわちドイツ国GDPの20倍もの賠償金が、ドイツを苦しめ、のちのナチスを生む契機になり、やがて第二次世界大戦へと繋がっていく。

戦争は、生産設備をフル稼働し、多額の経済効果をもたらす。人員も動員される。インフレーションにもなるが、それによって雇用も創出される。つまり、過剰な消費が生じて過大な需要を生み出す。その結果、金回りが良くなるのである。その一方で過去の負債や債務が清算される。又勝てば新たな市場を獲得する。 しかし、戦争は戦争である。一方で莫大な破壊を伴う。金の匂いのするところに国際金融資本は動く。ロシアとシリアの接近はアメリカとロシアの代理戦争になる様相を呈し、南沙諸島をめぐる中国とアメリカの小競り合いなど、世界中が何やらきな臭くなってきた。歴史は繰り返すという教訓は忘れてはならない。

2015年10月24日土曜日

ミクロな話


最近ミクロの世界で2人のノーベル賞受賞者が出た。物理学賞の 東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授と、片や生理学・医学賞 の北里生命科学研究所の大村智教授のお二人である。

物理学の世界では、物質のもとになる分子を分解した原子を、さらに分解していくと、これ以上分解できない限界物質といわれるのが素粒子で、宇宙から飛んでくる無数の素粒子がニュートリノといわれている物質だ。この物質に質量があることを実験で証明した。これが物理学の定説を覆した発見となったのである。2002年ノーベル賞受賞の小柴昌俊教授から始まったカミオカンデの実験装置から始まったニュートリノの研究がここで帰結したわけだ。

熱帯で寄生虫が引き起こす「河川盲目症」や「リンパ管フィラリア症」の特効薬となる抗生物質「イベルメクチン」の開発と、数々の抗生物質を発見した大村智教授によるイベルメクチンは、教授が様々な場所から土を拾いつづけ、2000~3000サンプルの中の伊東市のゴルフ場の土から抽出した放線菌を譲り受けた、同時受賞のキャンベル博士の薬開発によって牛や犬などに対する駆虫薬として発売され、世界のベストセラーとなった。
このおかげで犬のフィラリアなどを駆除でき、犬の寿命が大幅に伸びたことは愛犬家にとっては有り難いことである。また河川盲目症や象皮症で苦しむ多くの人々を救ったこの薬は熱帯地方の風土病を封じた画期的な薬でもあった。




我々人類の歴史は細菌やウイルスとの闘いの歴史でもあった。細菌もウイルスも、はたまた多細胞生物である人間の体も肉眼では見えない細胞の集合体である。細胞一つ一つの大きさはわずか1マイクロメートル(100万分の1m)にすぎず、細胞を1000個並べてようやく1cmという微小な世界で成り立っている。
その細胞が1人の人間の体の中に約100兆個あるといわれている。毎日、何千万の数の細胞が新陳代謝して、死んでは生まれ替わっているが、生体を構成している分子や原子は絶えず入れ替わり、数か月もたつと体の多くの部分の原子が新しいものと入れ替わり、1,2年のうちにはほとんどの原子が変わってしまうといわれている。(生命を捉えなおす●清水 博著)

さて、私も罹った癌であるが、癌はその中のたった1個の正常細胞が癌化することから始まるようだ。その1個の癌細胞が分裂を繰り返し、増殖していく。人間はそこに癌が発生しないで生きられるのが奇跡である、と医学は言う。
今、日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死んでいるといわれているが、なぜ急に増えているのだろうか。現代医学は、これを世界中の誰も、どうする事も出来ない。早期治療早期発見しか手立てはないようだ。
抗がん剤は増殖の速い枝分かれした若いガン細胞を狙い撃ちにするが、同時に正常な細胞まで傷つけるため副作用が多く、親元になる幹細胞ガンまで完全に駆逐できないのが現状で、この幹細胞ガンを壊滅してくれる薬は現在開発中で、治験の中でも有望な薬の開発の可能性は広がっているようだ。これが開発されればノーベル賞ものだろう。厄介者のたとえにされるガン、治癒して共存している人々も多い。酒を殺しながら飲む人はあまりいないが,ガンを殺しながら生きている人は多い。

2015年10月13日火曜日

日本経済雑感

 
●老人栄えて国滅ぶ
 

80歳以上人口が今年初めて1千万人を超え、街でお年寄りが目立つこの頃であるが、経団連のシンクタンク、21世紀政策研究が発表した2050年までの日本と世界50カ国・地域の長期経済予測によると、日本は人口減少の進行で2030年以降マイナス成長を続け先進国から脱落する恐れがあることが分かった。

貯蓄や投資も鈍化し、生産性が他の先進国並みを維持する「基本シナリオ」では30年代からマイナス成長に転じ、2050年には現在世界3位のGDP(国内総生産)が4位に落ち、中国と米国の約6分の1の規模になり、1人あたりのGDPも世界18位と韓国(14位)に抜かれる。
成長率が最も下振れする「悲観シナリオ」では、マイナス成長は2010年代に始まり、GDP規模は世界9位と中国、米国の約8分の1に縮小。経済大国から脱落し「極東の一小国」に逆戻りする可能性があるとしている。
日本の総人口は2050年には、約25%の3,300万人減少し、9,515万人となり,そして、高齢化率は20%から40%へと上昇する。生産年齢人口は、8,442万人(66.1%)から4,930万人(51.8%)となり,15歳未満の年少人口と65歳以上の老年人口を合わせて被扶養人口と言うが、現役世代と被扶養人口が「1対1」になり現役世代の過負担が問題になっている。このことから
生産年齢人口が50%に近づく日本を先頭にしたワースト7を比較したグラフ (団藤保晴氏作成)が上図である。      ●ここでいう生産年齢とは(15歳~64歳)のことである。

日本(50.9%)、スペイン(51.6%)、韓国(53.1%)、イタリア(53.1%)、ポルトガル(53.6%)、ギリシャ(53.8%)、それにドイツ(54.7%)と続く生産年齢人口割合「ワースト7」が世界の趨勢から一段落ち込んでいる。ワースト7は65歳以上人口が各国の水準より浮き上がって30%台になっていて、日本はダントツの36.5%。二番手は韓国の34.9%である。
       

上の図はH26,27年度の総務省発表の我が国の人口統計である。
ちなみに日本では75歳以上が2割を超える恐ろしい事態になっている。2050年は我々ベビーブーマー世代もほぼ死に絶える35年後であり、経済成長などとても望むべくもない状況に陥るのは間違いないところだ。戦後の中核になったベビーブーマー世代が現役から引退して、昨今の社会、経済情勢からみて労働人口の中身はお寒いばかりである。
総務省の統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)は、2015年で「日本の高齢者人口の割合は、主要国で最高」として日本(26.7%)、次いでイタリア(22.4%)、ドイツ(21.2%)などがあがっている。

OECDによる対日審査報告書(PDF)によると、人口減に直面する中で労働力を維持するために、《労働力人口の減少を緩和するため、男女平等の推進が必要である。男性の労働参加率は85%と女性よりも20%ポイント高い水準にある。もし女性の労働参加率が2030年まで男性の労働参加率と同レベルに追いつけば、労働供給の減少は5%に留められ、労働参加率に変化がなかった場合に比べ GDPは約20%高まるだろう》としているが、
  実際にこの大変革は容易ではないだろう。《雇用における男女間格差は、出産後労働市場に残る女性が38%に過ぎないという事実に表れている。

日本は子育てや学童保育に対する支出(対GDP比)がスウェーデンや英国の3分の1に過ぎない。ただし、支出を増やすためには税もしくは社会保険料収入が必要》であり、子育て支援の拡充は遅々として進まない。もう一つの労働力確保手段である外国人労働者の活用問題では、政府も尻に火が付かない限り本腰を入れない状況である。そうでなくても最近の非正規雇用拡大は若い男性から結婚の機会を奪っており、出生率改善どころか更なる低下も考えられ、労働環境の劣化がすすみ、このままの状況が改善されなければ、経済縮小が続き、日本経済に赤信号がともることは火を見るより明らかである。国家100年の計として具体的な実現可能な政策とその実行を示してもらいたいものだ。

さて我が国の経済を概観してみると、バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。
高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。今日に至る日本経済低迷の伏線として挙げられるのは1985年のプラザ合意が成立する直前の9月には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年初頭には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。プラザ合意に基づく急激な円高によって、本業で利益が上がらない企業が続出し、アジア転出組と並行して、銀行ぐるみで株や土地への投資に奔走する企業が増え、バブルが始まった。やがて1990年代後半になるとバブル崩壊が進み、長期停滞の時代が始まった。

すなわち周知の失われた10年と言われているものだ。さらに2000年代に入ると、同時多発テロ、リーマンショックと世界が翻弄された時代である。国民総所得が20年以上も横ばい状態が続く。この時代も失われた20年と言われ、今日では横ばいどころか下降しているようにも見える。すべてが国内経済から起因したものでなく、グローバル経済下での外的な要因で動いているが、今日の日本経済は上述したように内部構造の土台が揺らいできているため、経済を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。ましてやTPP(環太平洋経済連携協定)などの条約締結といっても、米国自体議会の反対勢力も多く、何よりも秘密裏に進められている条約ゆえに問題点も多く、国内外とも議会の承認をその都度とらなければならず、すんなりと条項が実施されることは未知数であるため、各項目ごとに吉と出るか凶と出るかは現時点では分からない。政府の歳入と歳出の隔たりは非常に大きいまま国の財政は悪化の道をたどっている中、この国はどのように進んで行くのだろうか、、、?




2015年10月9日金曜日

日本人の美学


美学という言葉がある。アカデミックにとらえれば美術の系譜を歴史的に研究したり、美の本質あるいは美の価値などを研究したりして、西洋では一貫した哲学の体系として思索の対象になっていたが、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて美意識としてのいき、わび、さびなどが古来存在していて情緒的である。

美学が何を美しいと感じ取るかは、その受け取り方は人によって異なることになり、個人的な嗜好に陥りがちであるが、そこに時代背景が絡んだ一定の普遍性を醸し出す要素がある。総論でいえば日本人の美学であるが、男社会に象徴されるように男の美学というのなら男にしかない価値を語るということになり、限りなく女性を意識しながら語ることであると思われる。
男の器 潔さ 自分なりの基準やこだわり、ストイックさ 自制抑制のきいた行動  精神のダンディズム 自分なりのポリシー  男の粋と伊達などの言葉が浮かんでくる。何を持って美しいと言うかは人それぞれの価値観でもあるが、つまるところ、これを守らないと、自分の中で自分を男として認められなくなるというのが男の美学でもある。死に目覚め生に目覚めた時、人は人生思いっきり、生きる、男としてやりたい事をやり通し、悔いのない人生を生きる、それが男の美学だろう。

梅原猛は、日本人の価値観の基本は美意識にあると言った。(「美と宗教の発見」梅原猛著
綺麗な生き方をしようとしている人間が少なくなった。特に、日本の政治家の生き様から美しさがなくなりつつある。美しさは、潔さにも繋がる。花は桜木、人は武士といった美意識がなくなってきたのである。その結果、美学が廃れつつあるのである。

美は、外見に現れる。美は形である。美を追い求めれば、形式に至る。
美の基準は外形である。むろん、外見の裏には内面がある。しかし、美の本質は姿形、外に表れた象である。形からその内面を伺い知るのである。
普通、美しい、という表現は、多く外観に対し用いられるが、「美学」という表現には、むしろ外観的な要素はなく内面的な要素に集約される。



織田長益像(正伝永源院蔵)


史実によると、桃山時代から江戸時代にかけての茶人織田有楽斎は当初織田長益(ながます)と名乗っていた。織田信長とは13、歳が離れてはいたが、信長の実弟であり本能寺の変の時は、信長の長男信忠の旗下にあった。信長討たれる、の報に接すると信忠に自害を進言し、切腹させ自分は逃げてしまった武将である。
当然、世間からはもの笑いの種とされた。だが信長の実弟として天下を取ろうなどと、奮起する気配は一向に見えなかった。その後、いくつかの戦いを経験するが生き伸び、信長の後継者となることを捨て、僅か3000石の大名となり、政治向きから遠ざかり千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。織田有楽斎と名乗り、野心を捨てた茶人として豊臣、徳川に仕え、75歳の天寿を全うした人物である。
花は桜木 人は武士、と言われるように、潔(いさぎよ)い生き方とは正反対の生き方をしたこの御仁、有楽斎は現在の東京有楽町の名の由来とされる俗説もあるが、歴史の裏に潜んだ人生いろいろである。