2009年5月21日木曜日

裁判員制度




いよいよ今問題になっている裁判員制度が国民のコンセンサスを得ないまま、十分な議論を尽くさない状況で始まった。その制度を要約すると、対象の刑事裁判が実施される前年の12月頃に各地方裁判所ごとに,管内の市町村の選挙管理委員会が有権者の中からくじで選んで作成した名簿に基づき,翌年の裁判員候補者名簿を作成されるのだが、事件ごとに裁判員候補者名簿の中から,くじで裁判員候補者が選ばれる。そして最終的に6人が選出され、裁判員6人と裁判官3人で、多数決で判決が下される。そこには裁判の判決への道筋に百戦錬磨の裁判官の素人裁判員に対する誘導も十分考えられる。もっとも1審 に限られるわけだが、差し戻しされればまた違う裁判員が選ばれることになる。






裁判員制度では、不適切な判決が出た場合も裁判官の責任を問うことは困難で。裁判官は裁判員との責任のなすりあいで弁解することが可能になり、のちのち責任を問われることのない「行きずりの6名」が大きな決定権を持つわけで、判決の責任所在は不明確になる。裁判官は気楽になるが 、最適な判決を出そうというインセンティブは弱くなる。







当ブログでも昨年12月に言及したように、日本を都合よくコントロールするための日本政府への米国政府の年次改革要望書 [ご丁寧にもアメリカ大使館の公式ホームページに日本語で翻訳されている代物である。]これに添ってアメリカ政府は、アメリカ人弁護士が日本でも営業できるような環境をつくることを要望しており、法科大学院の設置や新司法試験はこの要望に従った結果であるが、陪審制の様な制度をつくることは書かれていない。むしろ「司法制度改革審議会」(司法審)は1999年、政府自民党の提言で設置され、やがて裁判員制度導入の声が高まり今日に至っている。
裁判員制度は陪審制とは似て否なる欠陥が目につく制度で、大きな特徴としては、有罪・無罪に加え、量刑も決めるという点にある。米国や英国の陪審制では、陪審員は有罪・無罪を決めるだけで、量刑は裁判官が決めている。だから、量刑までも決めるという点においては、日本の裁判員制度は、ドイツやフランスなどの参審制に似ている。






政府は裁判への民意の反映と信頼の向上、ならびに公判前整理手続による裁判の迅速化を制定理由にしているが、一部例外を除く強制的な参加や数日間拘束されることにたいして、過去のどの調査でも「裁判員として参加したくない」は7~8割を占めている。朝日新聞が08年12月に実施した面接調査では59%が裁判員制度は根づかないと考え、裁判員制度そのものに対しても、反対が52%で賛成の34%を大きく上回っていた。






裁判員制度スタートを前に、鳥越俊太郎さんら民放キャスターが今月19日、都内で記者会見した際、鳥越さんは、守秘義務のため、裁判官と裁判員との評議内容が検証できないことなどを挙げ「透明化された裁判の実現という面で、大きな欠陥を持ちながらのスタートだ」と批判。安藤さんは「制度が成功するかどうかは、情報が一つでも多く開示されることが鍵」と指摘。大谷さんも「国民の目から裁判を隠し、透明性を担保しないで、制度を定着させようとするのは問題だ」と強調した。
このように批判的な意見が多いなかの裁判員制度であるが、吉と出るか凶と出るかは今後の推移を見た上で国民が審判を下すであろう。

0 件のコメント: