2009年12月17日木曜日

戦後は終わっていない



                   沖縄普天間基地

 戦後、アメリカの属国としての日本は吉田茂以来その門弟達によって引き継がれ、その政治体制は吉田の孫の麻生太郎まで脈々と続いてきた。鳩山内閣の普天間基地移転問題再考、インド洋での石油補給延長無し等の意思表示は鳩山内閣が明らかに吉田亜流と一線を画していることを内外に示した。


今回沖縄の米軍基地移転問題も来年の日米安保条約改定50周年の節目を前にして、従来の対米従属からの脱却とアジアを視野に入れた多極主義的な色合いを感じさせる民主党の動きに対して自民党やマスコミを含め批判的な論調が多い。

日米安保は今後の日本を占う正念場であるので、そう簡単に米国の思うままに基地問題の解決を早急に図ってはならない点では、来年度持ち越しは正解であるだろう。すんなり前政権の方針を踏襲するだけなら誰も苦労はしない。わが国は沖縄から覚醒する時点に立っている。


現在アメリカとの水面下でのせめぎ合いが継続中であるが、そんな状況の中、国際情勢解説者、田中 宇氏がウエブ上で興味深い記事を載せていたので御紹介させていただくと以下のとおりである。


●日本のマスコミや国会では「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊の司令部が中心であり、ヘリコプター部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」という説明がなされてきた。しかし伊波市長ら宜野湾市役所の人々が調べたところ、司令部だけでなく、実戦部隊の大半や補給部隊など兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることがわかった。

 ヘリ部隊や地上戦闘部隊(歩兵部隊)のほとんどがグアムに移転するなら、普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄(日本国内)に作る必要はない。辺野古移転をめぐる、この数年の大騒ぎは、最初からまったく不必要だったことになる。

米軍が沖縄海兵隊をグアムに全移転する計画を開始したのは2006年である。日本政府は米軍のグアム移転に巨額の金を出しており、外務省など政府の事務方は米軍のグアム移転計画の詳細を知っていたはずだが、知らないふりをして「グアムに移る海兵隊は司令部などで、沖縄に残るヘリ部隊のために辺野古の新基地が必要だ」と言い続けてきた。
米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いてあることを根拠に、同市長は12月9日には外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊はすべてグアムに移転することになっているはずだと主張したが、外務省側は「我々の理解ではそうなっていない」と反論し、話は平行線に終わった。
沖縄海兵隊の「実数」は、軍人1万2500人、家族8000人の計2万0500人だ。これに対してグアムが受け入れる人数は軍人8000人、家族9000人の計1万7000人で沖縄には3500人ほど駐留する計算であるが、外務省は10000人と表明している。さらに外務省は「米国に逆らうと大変なことになりますよ」と政治家や産業界を脅し、その一方で、この「1万人継続駐留」を活用して思いやり予算などを政府に継続支出させている。
この「グアム統合軍事開発計画」は、グアムを世界でも有数の総合的な軍事拠点として開発する戦略だ。米国は「ユーラシア包囲網」を作っていた冷戦時代には、日本や韓国、フィリピンなどの諸国での米軍駐留を望んだが、冷戦後、各国に駐留する必要はなくなり、日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどから2000海里以下のほぼ等距離にあるグアム島を新たな拠点にして、日韓などから撤退しようと考えてきた。
日本政府が沖縄海兵隊グアム移転の費用の大半(総額103億ドルのうち61億ドル)を払うことが決まった。米軍は、日本が建設費を負担してくれるので、グアムに世界有数の総合的な軍事拠点を新設することにしたと考えられる。



日本の将来を決する天王山に

「海兵隊はグアムに全移転しようとしている」という、宜野湾市長の指摘も、マスコミでは報じられなかった。だが、11月末に伊波市長がその件を与党議員に説明した後、12月に入って鳩山首相が「そろそろ普天間問題に日本としての決着をつけねばならない」「グアムへの全移転も検討対象だ」と発言し、事態が一気に流動化した。鳩山がグアム全移転を言い出したことが、伊波市長の指摘と関係あるのかどうかわからないが、議論の落としどころは「グアム全移転」で、それに対する反対意見を一つずつガス抜きしていくような展開が始まっている。

日米首脳会談、要請もできず…米側も消極的

海兵隊グアム全移転が政府方針になると、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話に基づく対米従属の構造が崩れ、外務省など官僚機構は力を失っていく。だから外務省とその傘下の勢力は、全力で抵抗している。事態は、日本の将来を決する「天王山」的な戦いとなってきた。自民党は、民主党政権を批判すべく、今こそとばかり党内に大号令をかけた。自民党は、官僚依存・対米従属の旧方針を捨て、保守党としての新たな方向をめざすべきなのだが、依然として官僚の下僕役しか演じないのは愚かである。

   以上 <中略>





 今回の問題は「55年体制」として事実上の一党独裁政治を継続してきた自民党政権が擁護温存してきた米軍基地問題の象徴である。そして、今もかれら自民党はこの「不平等条約」としての本質を持つ安保条約にもとづく基地提供だとして沖縄の米軍基地を擁護し、普天間の辺野古移設を「国と国との約束」として鳩山政権へ履行を迫っている。メディアもまた「日米関係の基盤は安保条約であり、日本が基地を提供するのは不可欠の要件である」(「朝日」10日社説)という旧安保時代の論議を展開している。


船頭多くて船進まずの日本丸であるが、鳩山内閣が米国の恫喝に屈せずに決定される決断次第で、真の独立国家としての出発と、長い戦後が終わることになるだろう。またそれは戦後わが国を懐柔してきた米国の日本に対する見方が変わることを意味している。今、国民が選んだ民主党が答えを出さなければならない最大の政治課題を国民は固唾を飲んで見ている。

2009年12月9日水曜日

アートな話「現代アートの行方」


                 デュシャン 階段を下りる裸体

20世紀に入ると周知のように、美術の舞台はヨーロッパからアメリカに移り、現代アートは多様な歩みを始めていく。

20世紀初頭の創生期に戦時下の前衛美術表現が弾圧される中で、ヨーロッパで戦禍を逃れたモダンアートの一派はアメリカへと渡ったデュシャン、モンドリアンに始まって、 50年代、近代芸術の突破を果たした抽象表現主義絵画 ポロック、デ・クーニングや、続いて現れた現代都市の事物と記号化された表現 や、ネオ・ダダのラウシェンバーグやジャスパージョーンズそして60年代、アメリカ現代美術は商業主義と結びつき、リキテンシュタイン、ウォーホルに代表されるポップアートを生んだ。                                                                          


●60年代後半からスーパーリアリズムと言うジャンルが登場する


                         リチャード .エステス
写真と見まごうばかりの驚くべきリアリズムで現代の風物を鮮烈に描き出す絵画。スーパーリアリズムと呼ばれるこの動向は、ポップ・アート最盛期の1960年代後半のアメリカに登場した。「リアリズム(写実)を超えた迫真のリアリズム」を意味するこの表現法は、絵画制作に写真の映像をきわめて意識的に導入し、カメラ・アイ(=機械の眼)を世界を見る手段の中心に据えることで、新しい視覚世界の地平を開いた。日常世界を撮した写真を素材にして描かれた作品は,対象への思い入れや主観的な感情をいっさい排除しクールに描写する表現が特徴で、スライド写真などの映像を忠実に写しとるためフォトリアリズムとも呼ばれ、その無機的な表現法は現代に潜む孤独と虚無を映し出ている。
1970年代以降は世界的に流行し、日本にも三尾公三や森秀雄などの作家がいるが、ちょうど日本経済が高度成長期から成熟期に入った頃で、日本特有の情念的なリアリズムはアメリカのリアリズムとは違った様相を示していたように思う。このころわが国では、絵筆に代わってエアーブラシによる絵画制作がはやり、筆者もエアーブラシを使った絵画に手を染めていた頃である。
スーパーリアリズムとは、写真というメディアによってもたらされた新しい映像世界を、 再び「人間の手で描かれた絵画」という伝統的な枠組みのなかに息づかせようとしたものであった。スーパーリアリズムの絵画では、日常性をを彩る風物がモティーフとなっており。驚嘆すべきテクニックを駆使して活写された画面に は、アメリカが抱えているその時代が描き出されていた。

20世紀アメリカは、現代の典型となる強力な社会システムとしての「大量生産/大量消費社会システム」あるいは「記号化社会システム」を作り上げた。
しかし、ギリシャ、ローマに始まる古典から近代に至る文化を築いたヨーロッパ諸国にしてみれば、アメリカは安価で高機能だが品の悪い機械を大量生産するだけの非文化的な大国に見えたことだろう。
アメリカにとって、ポップ・アートを中核とする20世紀アメリカ現代美術の誕生は、超合理的に物質的豊かさのみをひたすら追求する社会システムのなかで花開いた絵画が、文化システム国家に押し上げたことを意味している。
芸術の後進国の汚名を返上したばかりか、このあらたな産業・文化システム、システム「アメリカ」を広大な自国を皮切りに自国外の旧世界に向けて伝播させるメディアを得たのである。


芸術と酒は人間の精神を解放する作用がある点で一致する。芸術には個の創出した世界を生み、個人を解放する作用があり、芸術の本質は、個人の側に立った人間の解放作用である。その表現手法はどのジャンルにおいても時代を反映するものであり、時代の表現は次の時代の芽吹きとなる新たな世界の志向性を内包している。つまりその時代の目となって表現されるものが芸術のリアリズムであるだろう。




                    村上 隆 フィギュアー
                      
 今、日本発の現代アートは、アニメと漫画にとってかわり、日本的なアニメやマンガを連想させる村上隆や奈良美智の作風への評価が定まってきたことに加え、コンテンポラリーな美術シーンが展開している。
2006年5月、ニューヨークのオークションで、両者の作品がそれぞれ100万ドルを超える値で落札されたことも時代を現わしている。



「人間社会は、いま人類史上かってないほど大きな変貌をとげようとしている。物理空間を基盤に構成された社会から、情報空間を基盤に構成される社会へ変わろうとしているのである。この変化は、森を基盤に生活していた縄文人が、畠を基盤に生活する弥生人にとって代わられたよりはるかに大きな変化になるだろう」と評論家立花隆は 「インターネット探検」1996 , 講談社で述べている。

一方通行のマスメディアに対して、いつでもどこでも自由にコンタクトできるインターネットは超民主的なメディアで、それは現在の世界の枠組み、国家や社会、大企業などの組織のあり方を必ずしも絶対的なものとしない、新たな世界の到来を予告しており、この流れは誰も止められない。 


また一方で、視覚芸術領域を変えたもう一つの現在の時空をあらわす技術に、コンピューター. グラフィックス(CG)がある。私たちは日常的にCG映像にふれ、それをもはや特殊なものと思わずに楽しむようになっている。
映画の特殊撮影、テレビ番組のタイトルやエンディング、強い印象を与えるCMには、必ずと言っていいほど、CG映像が使われている。また写真映像も多くの場合、コンピューター処理がなされている。これらのことから私たちの時代は、CGによって高度に視覚化された概念像をもつようになっていった。

自在でスムーズな視点の移動とイメージの変化は、CG以外では作り出せなかったものである。クリアーに視覚化された概念像を我々に提供するCGは、概念と視覚の問題を占有しようとする現代芸術に、より高次元の概念化を強いていると言えるだろう。









2009年12月2日水曜日

知られざる中国



中国が核武装を決意したのは、建国の5,6年後の1955~56年という非常に早い時期である。朝鮮戦争(1950~53)、インドシナ戦争(~54)、台湾海峡での国民党政府軍との戦争(54~55)と、立て続けに戦争を行い、しばしば米国の核兵器に威嚇された。
朝鮮戦争ではマッカーサーが中国に対して原爆使用を提案し、トルーマン大統領に解任されている。毛沢東は米国のような大国に対して、対等な発言権を持つには核兵器が必要であることを明確に認識していた。


.『シルクロードの死神

ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。
 ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。ところが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、彼は被爆したのかも知れない。


4月30日の 産経新聞ならびに月刊「正論」6月号の高田レポートによると


新彊ウイグル自治区の南部に広がる西遊記でおなじみのタクラマカン砂漠には、 中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では直接、放射性物質が降り注ぐ。大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。

こうした状況を報道したドキュメンタリー "Death on theSilk Road" 『シルクロードの死神』が1998年、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。なぜか我 が国は放映されていない。

中国核実験の実態


東トルキスタン地域は、中国共産党が1949(昭和24)年に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最初の核実験が1964(昭和39)年10月の東京オリンピック期間中に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつてソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と比較しても民族浄化のそのえぐいやり方は群を抜いている。
ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。

一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかったと、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガトンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかった。(核爆発)基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。このためにわが国では放射性物質の観測データにほとんど出ていない。
中国は90年代にこの地域で11回もの核爆発を行っており、東トルキスタン南部のタリム盆地での石油・天然ガス油田開発が始まった時期と一致していることから、高田教授は資源開発に核兵器が使われたと推定している。つまり核爆発により地震を人工的に起こし、そこで発生した地震波の伝わり方を調べて、地下の構造を分析する手法である。ソ連もこの目的で12回の核爆発をシベリアで行っている。


● 中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがあるとしている。

爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネルギーのガンマ線やベータ線、アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達するという。中国の核実験は、核防護策がずさんで、被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万人のうち多くが死亡したとみられる。

広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批判している。


東トルキスタンの人口は2005(平成17)年で2千万人である。中共政府はその地で、住民を退避させることもなく、核爆発を行った。高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの報告値と良く一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、核の砂による急性死亡は19万人となった。2メガトン地表核爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜-名古屋間に及ぶ範囲で、急性死亡のリスクがあった。この地域では核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったということになる。
また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射線障害のリスクのある地域は、風下およそ440キロメートルに及ぶ。東京-大阪間に相当する距離である。この地域で白血病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定された。



被爆地に呼び寄せられる日本人観光客

楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられ,それ以降も核爆発は続いていたのである。
この間シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点の ごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがありこれに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年ま での日本人観光客数は57万人と見積もられている。このペースだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。

戦後唯一の被爆国の日本人が、皮肉にもそれ以上の被爆地に観光で訪れている。こうした日本人への影響調査が必要と高田教授は 指摘している。