2012年11月25日日曜日

釣りも時の運

江ノ島沖 雄のカワハギ

10月から11月にかけて例年だとフグ釣りに興じるところであるが、今年はフグがあまり釣れていない。去年は特にアカメはよく釣れ良すぎたぐらいで、今年はまだ行っていない。一方で今年の東京湾は夏場にかけてマゴチがよく釣れ、何回かいい思いをした。今年に入り穴子やフグなどがさっぱりで、震災以来東京湾の地形も変わったのかいつもと違うような気がする。

そんなわけで今年は相模湾でカワハギ釣りを2回ほどやった。。
カワハギは内向的な釣りで、青物と違って餌を蒔いてドカっと釣る陽気な釣りではなく、普通に釣っていても釣れる魚ではない。常に魚との駆け引きが要求される釣りで、釣り方に工夫がないと餌ばかり掠め取られ、餌泥棒に悩ませられる。
その点フグはも餌取りがうまいが引っ掛けて釣るカットウ釣りが主流となるのでカワハギほどストレスはたまらないものだ。しかしカワハギは小さな針に付けた餌に食わせて釣るので一筋縄ではいかない。学習能力も高く、釣り船の多い海域ではすれっからしのカワハギとの知恵比べに神経をすり減らし気の抜けない釣りである。これが普通の魚やまずい魚であれば、これほど夢中になれず竿を置くところであるが、ひたすら極上の白身と海のフォアグラたる絶品の肝を求めて釣り人は懲りずにやって来るのだ。言うまでもなく釣り立て新鮮なカワハギが食えるのは釣り人の特権である。



さて釣りにも時の運(釣りの神の微笑み)が左右することが過去に時々あった。釣りの神様といえば恵比寿様である。
縁起のよい福の神様を7人集めて絵にしたのが、ご存じ「七福神」。その中で竿と鯛を持って笑っている恰幅のよい神様が、七人の中では唯一国産とされている神様、恵比寿(ゑびす)様である。。福々しい笑い顔をえびす顔というぐらいで、打ち出の小槌を持った大黒様と並んで人気があるようだ。他の6名の神様は中国やインドからの拝借であり、日本人の外来文化の吸収力の貪欲さと、宗教心の懐の深さはすべて古来からの八百万の神々を敬ってきた国民性に由来する。

すなわち大黒様は古代インドのシヴァ神、弁財天も同じくサラスバティーという河の神様、毘沙門天はヒンドゥーのヤシャ王クヴェーラ、寿老人は中国の思想家老子、布袋尊は後梁時代の禅僧契此(かいし)、福禄寿は中国伝説上の道士とされている。恵比寿様は、上方ではもっと気軽に「えべっさん」と呼ばれており、庶民には一番もてる神様である。 さて、庶民に人気のある恵比寿様のルーツを探ってみると、恵比寿さまは右手に釣竿、左手に鯛を抱えているように、元々は海の神様、豊漁の神さまだった。

ところが恵比寿様のルーツには諸説があり、神道では、恵比寿さまはイザナギノミコトとイザナミノミコト(日本国を作ったカップルの神様)の第三子蛭子尊(ひるこのみこと)といわれている。古事記日本書紀に出てくる蛭子という漢字にエビスが当てられているのが、その根拠だそうだ。恵比寿様はなんと3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ、漂着先が神戸の西宮浜)、おまけに福耳のくせに難聴という苦労人で、顔で笑って心で泣く釣り師には本当によき模範となる神様である。
もう一つの説は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の第一皇子事代主命(ことしろぬしのみこと)と云う説である。神話に出てくる出雲の国譲りをした神様で有名で、この大事なときに美保ヶ関に釣りに行ったという釣り馬鹿で、それが後生釣竿を持ち鯛を抱えるイメージにつながったという話もある。

最後の説は、日本人だったらよく知っている海彦山彦だ。弟の山幸彦は、兄である海幸彦の釣り鈎をうっかり鯛にとられて竜宮に行く。そこで海神のべっぴん娘、豊玉媛命とラブラブになりマジックパワーを得て、そして最後に、兄の海幸彦を服従させるという話だ。
三説とも、いわゆる出雲の国譲りが神話という形を取っていても、実際は大和朝廷と出雲政権との権力闘争を暗示した記述であるということは、大方の学者が認めているところである。大臣であるにもかかわらず、政務を放り出し、釣り三昧に明け暮れた事代主命(ことしろぬしのみこと)が、実在のモデルなら釣りバカ日誌を地で行っている話で、歴史を遡る逸話は想像力を掻き立てられるものがある。

2012年11月18日日曜日

福の神と貧乏神

福の神 仙台四郎

仙台四郎という人物をご存知だろうか?この人物は、明治時代に、仙台市に実在した人物である。取りたてて、何か大きな仕事をした訳でもなんでもない。しかし今、その人の肖像画が、家運上昇、商売繁盛に御利益があるとして、飛ぶように売れ、その人形さえ作られているというから不思議である。そもそも仙台四郎は子供の頃は聡明で有名な子供だったが、 川で溺れ意識不明になったのをきっかけに、知的障害になった人物だったようである。

 四郎さんは、いつもニコニコと街中を歩き子供たちと遊び、よく店先に立ち寄った。そして、彼を歓迎した店は商売が繁盛して、毛嫌いした店は落ちぶれたそうな…
最初は、何となく、人のうちに来ては、愛想の良い笑顔を振り撒いて、何となく帰っていく、ただそれだけの人物と思われていた。ところが、不思議なことに四郎さんがやって来た家は、運が次第に向いてきて、良いことばかり起こる。やがてそのことが町中の評判となった。
ある時などは、事業がうまく行かず、死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、ふらっと現れると、四郎さんはこう言い放ったという。「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」(仙台弁で笑ってください)四郎さんに、そう言われて、ふと鏡で自分の顔を覗いて見ると、そこには鬼のような形相の男がいたのである。
  これでは他人相手の商売はできるはずもないと、はっとして目が覚めたというのだ。玄関に戻るとそこには四郎さんがいなかったが、自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるためにがんばってくれている妻と、若い長男が立っていたのである。そこから一転事業は盛り返したそうな。

私がこの肖像画にお目にかかったのは、以前当ブログで紹介した行きつけの寿司屋に飾ってあったものであったが、カウンターに座るといつも店主と、仙台太郎がこっちを向いていた。その寿司屋も今はない。私の地区ではもう一軒、2番目に行きつけの寿司屋があったが、その店も最近になって看板を降ろしてしまった。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、福の神もデフレ経済下の昨今では勝てず、経済縮小のあおりを食らって客足も伸びずバンザイしたようだ。特に生ものを扱う商売は一度客離れを起こしたら最後あとは廃れていくのを待つしかない。近所の大きなガソリンスタンドもなくなった。5円10円の薄利にハイブリット車の登場によるガソリン需要の低迷などが重なり店を畳んだのだろう。とにかく景気の悪さが目につくこのごろである。





貧乏神

世間では家電の大手ビックカメラがユニクロと異業種のコラボをしてビックロになったり、消費の掘り起こしに小売業界も動きが激しくなっている。業界最大手のヤマダ電機に大きく水をあけられた末に選んだ策であろうが、いろんな業種で業界再編が起きている。
そんななか政界も再編の動きが激しくなっている。突然の野田首相の衆議院解散で政局は慌ただしく年末選挙に向けて動き出した。少数政党が集合離散を繰り返し、2大政党も再編の動きがあり政局も予断を許さない。破れかぶれ解散の民主党も貧乏神のような輿石幹事長が選挙戦を取り仕切るようだが、やめたほうがいい。

2012年11月10日土曜日

迷走国家

衆議院本会議


現在、日本の政治は、国家をどう守り、国民をいかに幸せにするかという国民政治ではなく国民不在のなかで、どこの党が権力を握るかという政局政治に陥っている。この澱んだ国民不在の政治がこれ以上つづくと、国家の運営に支障をきたし、国民の政治不信と無党派層の拡大につながる傾向が続くだろう。
 もっぱら政界の焦点は解散時期についての駆け引きに終始し、野田首相にダマしたダマされたと、自民、民主は相変わらずの舌戦を繰り広げ,お互いの腹の探り合いをやっている。近頃気のせいか野田首相の顔が上目遣いのタヌキそっくりに見えてきた。そんな折、東京都都知事の石原慎太郎がご老体にムチ打って、第三極勢力を結集し国政に復帰することを表明した。


ここに来て維新の会の底の浅さが見え始めた橋下維新は、石原新党やみんなの党などと連携を画策しているようだが、政治姿勢や政治理念が違う集団がどこまで歩み寄るかは不透明で、石原新党と維新の会、みんなの党、減税日本ら第3極勢力のどこに、共通の政治姿勢があるのだろうか。石原の官僚制度のシャッフルという小異を捨て大同に着くという大言壮語に吸着されて、たとえ第3極勢力が政権をとったところで、1993年の細川内閣が、7割を超える支持率を得ながら、あっというまに崩壊したように、今から不協和音が聞こえてくるのは私だけではないだろう。

石原慎太郎は4期目の都知事選を出ないと言って出てみたり、新党結成を全く考えてないと言って結成の画策をしたり、その行動の裏には常に2人の政治家でもある我が息子絡みの思惑があることが周知のことになっている、今になってみて中古派閥の老害長老達に担がれた小物が、自民党の総裁になれなかったのは不幸中の幸いであった。慎太郎を担いだ亀井静香も、石原のご都合主義に愛想を尽かし袂を分かった状態で関係は冷えてしまった。

政策の4つの柱、すなわち憲法、原発、TPP、消費税の各々の基本理念が違う連合、石原・維新」連合が、志や政治姿勢を共有する結束ではないかぎり、日本の政治に、新しいうねりは生じないだろうし、民主党の悲劇が繰り返されないことを望みたい。最近の報道2001の石原慎太郎を見た限り、<統治機構の改革>といっても中身は漠然とした官僚批判に終始し、具体的な制度改革の形も示していない。思いつきで始まった尖閣諸島購買の話からはじまった政治の混迷など
我々国民が聞きたいのは経済と政治が停滞し、世界から孤立しつつある日本を、どのように建て直すかである。