2013年12月31日火曜日

一本釣り


今年も毎年4~5回はある忘年会の最後は、家族集まっての締めとなるわけだが。はて今まで何回年を忘れたことやら。
竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる。
 
その年が終わりまた次の年に心がリセットされ、新たな年に向かって人は歩み始める。良い年であろうが、悪い年であろうがロマンを求めて淡々と生きるしか我々小市民には生きるすべはない。
我が国を取り巻く国際環境や社会環境あるいは原発に象徴される自然環境など、重くて抜き差しならないこの時代に、どっこい我々は生きている。

忘れたいこともある中で、日々の中で記憶にとどめておきたい心の内を自身の記録として保存し、私に関わっている身近な人々に発信することで始まったこのブログも早いもので6年が過ぎた。
基本的には自分たちを取り巻く世界や社会の疑問を解き明かす知識欲がモチベーションとなり、このブログも回を重ねている。いわば私自身が、広大な知識の海に一人小舟に乗って釣り糸をたれている釣り人のようなものであろうか。まさに竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる風景が思い浮かぶ。情報の洪水の中で取捨選択をしても有り余るものがある。少なくとも間違った情報や偏った情報に陥らないように心がけてはいるが、情報は釣った魚のように生ものである。取り扱いを間違うと腐臭を放つ、煮て食おうが焼いて食おうがあるいは刺身で食おうが、それは釣り人の勝手である。そのような日々の中で食べる側(読者)の美味に浸る顔や、まずいものを食わされた顔を思い浮かべながら魚という情報を追いかけている自分がいる。

そして魚(情報)を探してくれる道具が魚群探知機であるところのインターネットだ。大学時代には調べものがあれば図書館に行かなければ見つからなかったものが、今の時代はネット検索で有料無料にかかわらず居ながらにして大概事足りるので便利になったものである。いわば我が家の書斎が図書館でもある。

めまぐるしく変わる時代の流れに翻弄されつつ、この年末には我が工房も実験的にハードルは高いが、巨大化するネット通販のAmazonに出品することにした。昨今の消費性向も上向かない状態が続き景気低迷の中、どの業界も 生き残りをかけてしのぎを削っているが、来年は景気が上向くことを期待しつつ、まずは良いお年を。

2013年12月19日木曜日

増長する中国

建国60周年式典

先月中国は、「東シナ海を中国の防空識別圏に設定する」という中国国防省の発表で、新たに日本に挑発を仕掛けてきた。その後の日米の対応の経緯は、一連の報道のとおりである。
中国国防省が尖閣諸島上空を含む東シナ海を防空識別圏に設定した背景には、日米同盟に対抗する意図がある。日本版NSCに対抗する形で、発表された中国版NSC「国家安全委員会」と並び、習近平政権の日本に対する強硬姿勢を国内外にアピールする狙いがあるようだが、もとより、尖閣諸島上空は日本の領空であり、中国が防空識別圏を設定する権利はどこにも存在しない。中国の行為は、軍事力によって現状の変更を図るものであり、アメリカもB52爆撃機2機が26日に尖閣諸島付近で飛行訓練を行い、中国の脅しに対抗した。

中国は、ほぼ10年おきに支配地域を拡大してきた歴史がある。70年代に南シナ海の西沙諸島、80年代に同じく南沙諸島、90年代に東シナ海という具合に進出し、2000年には西太平洋に出てきている。これらの動きの中で、表向きは資源調査のものもあるが、実際は軍事目的。潜水艦の通り道として海底の構造などを全部調査している様子だ。今年4月には宮古海峡を堂々と中国の軍艦や潜水艦が通過して、西太平洋で大演習をやった。
 

防空識別圏とは、国などの防空上の理由から設定された空域のことである。大半はアメリカ軍によって設定されているが、アメリカ軍の被占領国や保護国が慣例として使用し続ける場合もある。日本の防空識別圏は1945年にGHQが制定した空域をほぼそのまま使用しており、航空自衛隊の対領空侵犯措置の実施空域に指定している。
尖閣を奪い取るため、度重なる領海侵犯に加えて、空でも威嚇、脅しをかける腹のようだが、海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射事件の例でも分かるように、憲法9条の制約で先制攻撃ができず、やられた場合の反撃しかできない日本の足元を見透かしているのだ。
声明では防空識別圏を飛行する航空機は中国外務省や航空当局に飛行計画を通報することや、防空識別圏を管理する中国国防省の指示に従うことなどが明記され、従わない場合、武力による緊急措置をとるとしていて、我が国はこれを無視しているが、アメリカは逆の行動に出て、日本は梯子を外された格好になっている。米国債保有国1位の中国を配慮したのかは知らないが、同盟国としての不甲斐なさを見せつけた。


大規模なデモ



中国はアヘン戦争以来、列強から国土が蚕食されたという屈辱の近代史の体験から「力がなければやられる」という危機意識が根底にあり、経済発展とともに軍事力を増強してきた。増長する中国は、経済力に支えられた軍事力が公表されている数字よりも多い軍事費国家予算として計上されているようだ。一方で2012年には、公表された国防費よりも多い国内で起きる毎日800件以上の暴動やデモに対する公共安全費(暴動鎮圧維持費)が約9兆円と言うすごい数字になっている。ではその土台となる国家経済はどうなっているのか。

2008年のリーマンショックで崩壊した経済を再建しようと、各国政府が財政投資に巨費を投じたことは記憶に新しいところである。その中で中国政府は4兆元(64兆円)の景気浮揚策を行うこととなった。しかし、大紀元によると中央政府が投じた資金はわずか2000億元(3兆2000億円)で、残りの約60兆円は国有企業や地方政府が自分たちで資金調達を図って景気浮揚策を実効せよと言うことになった。
ゴーストタウン(鬼城)

そのため、国有企業や地方政府は大銀行から融資を受けることになったが、地方政府は直接銀行からお金を借り受けることが出来ないため、投資会社を経由して調達することになり、その結果、2010年末にはその資金は政府が計画した景気浮揚資金170兆円までにふくれあがり、その巨額な資金が不動産開発や公共事業資金として 市場に投入されるところとなった、というわけである。その結果、各国がリーマンショックから立ち上がるのに四苦八苦しているのを尻目に、中国経済はV字型に回復しGDPの伸び率が一時期12%となって世界経済の牽引国となったのである。それは 一方で中国の不動産バブルを巨大化させ、北京や香港の都市部のマンション価格を急上昇させ、地方都市では、人の住まない巨大な幽霊公団住宅が あちこちに出現するところとなった。


第一生命経済研究所資料
ところが、最近になって国有企業や地方政府が集めて投資した資金の総額は10.5兆元どころか、なんと30兆元(480兆円)を超えていること が明らかとなったのである。この金額は中国GDPの55%に当たり、日本の国家収入の10年分というからとんでもない金額である。これだけの資金が不動産関連に投資されたのだから、巨大バブルが発生して当然である。
この膨大な資金の流れを追っていくと、そこにシャドウバンキング(幽霊銀行)なる存在が浮かび上がってくるのだ。地方政府の役人達にとって大量のカネの流れは得るところが多く、また中小の地方銀行にとっても不動産開発や公共事業への融資はうまみのある商売であった。高金利で融資が出来るし、地方政府の保障が得られるからである。そのため大量の資金集めのため、 新たな投資信託会社なるあやふやな銀行もどきの会社を設立して、一般の欲の皮が突っ張った民間大衆投資家たちに理財商品という高利回り商品を販売してきたのである。
この理財商品の販売については、これまで中央政府への届け出が義務付けられていなかったため、中国政府の財務省もその商品の販売額がどのくらいの額に達しているのか十分に把握できていなかった。従って、先頃判明した30兆元(480兆円)なる景気浮揚資金の数値も正確なものではなく、更に大きなものになっている のではないかと言われている。そして最近になってこの裏勘定も、とうとう中国の中央銀行が助けない(助けられない)宣言をしたという次第である。

国内融資の82%を占める4大銀行の主な融資先である国有企業のうち、半数以上が赤字とされる。中でも不動産の売れ残りが約60兆円あり、潜在的な不良債権総額は最大約250兆円に達するという。日本のバブル崩壊時の不良債権が約100兆円であったから、驚くべき金額だ。
巨大な資金を集めていた地方政府や国有企業が不動産バブルの崩壊によって一気に破綻し、中国経済の大失速が始まるのは、もはや時間の問題であろう。その時起こることは、民間投資家の暴動と一般庶民の大騒乱、はたまた資金確保のために中国政府が米国債を売りに走った場合は世界経済に与える影響は甚大である。
次の金融危機は中国発になりそうだ、とおおかたの評論家は口を揃えている。

2013年12月9日月曜日

世界のブラックホール

堤 未果 (株)貧困大国アメリカ
資本主義経済の権化であるアメリカ経済が、すさまじい勢いで人類史のしくみを動かしている。前著の『ルポ貧困大国アメリカ』(2008年)で描いたブッシュ政権の政策は、市場こそが経済を繁栄させるというフリードマン理論がベースになっていた。政府機能は小さければ小さいほどいいとして規制緩和を進め、教育や災害、軍隊や諜報活動など、あらゆる国家機能を次々に市場化してゆくやり方である。
だが、イラク戦争や企業減税などの政策により、国内の格差が一気に拡大、さらに世界中を巻き込んだアメリカ発金融危機に、レーガン政権以降の新自由主義万能説への批判が高まった。不信感は2008年の政権交代につながり、「チェンジ」を掲げるオバマ政権下では、経済政策の軸を市場に委ねる「小さな政府」から、政府主導で経済再建を目指す「大きな政府」へと移ってゆく。
 そして『ルポ貧困大国アメリカⅡ』では(2010年)のオバマ政権下で、国民を監視する政府権限が真っ先に強化された。巨額の税金が大企業やウォール街に流れる一方で、公務員の行動は管理され、SNAP(フードスタンプ=生活保護)人口は拡大し、無保険者に民間医療保険加入を義務づける法律が成立した。
人々は今、首をかしげている。オバマ政権が大きな政府であれば、なぜ二極化はますます加速しているのだろう。株価や雇用は回復したはずなのに貧困は拡大を続け、医療、教育、年金、食の安全、社会保障など、かつて国家が提供していた最低限の基本サービスが、手の届かない「ぜいたく品」になってしまった理由について。かつて「善きアメリカ」を支えていた中産階層や、努力すれば報われるといった「アメリカン・ドリーム」はいったいどこへ消えたのか。

現象は本質に先行するとはサルトルの言葉だが、いま世界で起きている事象の縮図が、アメリカの実体経済と重なってくる。その根幹を探っていくと、1% vs 99%の構図が世界に広がる中、人々の食卓、街、政治、司法、メディア、人々の暮らしを音もなくじわじわと蝕んでゆく。ブラックホールのような巨大企業に飲み込まれ、株式会社化が加速する世界、民営化(あらゆるものを商品化)、労働者の非正規化、関税撤廃、規制緩和、社会支出の大幅削減…。 エスタブリッシュメント(既得権益者集団)たちはさらにロビー活動や工作、買収を繰り返し法を変え、世界を凄まじい勢いで取り込もうとしている。多国籍化した顔のない「1%」と「99%」という二極化が世界に拡がりつつある。果たして国民は主権を取り戻せるのか!? 日本の近未来を予言する完結編というわけで、前作よりも読み応えがあった。

本書は5章からなっているので概要を手短に解説してみよう。
第1章 株式会社奴隷農場
第2章 巨大な食品ピラミッド
第3章 GM種子で世界を支配する
第4章 切り売りされる公共サービス
第5章 「政治とマスコミも買ってしまえ」
エピローグ グローバル企業から主権を取り戻す

1.株式会社奴隷農場

養鶏業や養豚業を例に取り、生産、と畜、加工、流通を傘下に入れた総合事業体(インテグレーター)が中小の生産農家においしい話で契約させて、設備投資に借金をさせ、低コスト、短期大量生産のシステムに組み込まれ、親会社の下請けの労働者になり、初期投資の借金地獄と低収入から抜け出せなくなる仕組みが常態化している。
このような工業的考えから作られる農場は、安全や健康という視点は置き去りにされ、それを監視するための法律ですらこの業界からのロビー活動により年々骨抜きになってゆく。限られた飼育面積の中に詰め込まれた家畜は、自然の摂理に反して成長剤による肥大化と、ストレスによる病気発生を防ぐために大量の抗生物質を与えられる、その結果アメリカの抗生物質の7割は家畜に使用されている。このようにコストと生産性を追求する企業は、さらなるコスト削減を目指して、新たに囚人といった極め付きの労働力を手に入れ、この30年で全米30万件の家畜農家が消滅していった。



遺伝子組み換え(GM)作物  
アメリカでは1996年からこのGM技術を使った種子の発売が始まり、国内で販売されている食品や加工品の9割はGM作物が原料となっている。しかしGMは新しい技術のため長期にわたる環境や人体への影響を検証した実験結果が確立されていない。そのため安全性については今も議論が続いており、世界では35カ国がGM作物の輸入を規制または全面禁止措置中である。すでにフランスにおいてラットなどの動物実験では発がん性が認められている。

2.巨大な食品ピラミッド            
決められた時間に並ぶSNAP受給者の列


レーガン政権下の独占禁止法規制緩和によって、寡占化が進み小売業の頂点に躍り出たウォルマートやコストコは巨大化するに連れて食品業界を支配下に置くことになる。とくにウォルマートは全米に4740店舗を展開し世界一の小売業者となった。またこれらの企業はSNAPで大きな利益を得ている。SNAPとはアメリカ政府が低所得層や高齢者、障害者や失業者などに提供する食料支援プログラムだ。以前は「フードスタンプ」と呼ばれていたが、2008年にSNAPと名称を変えている。クレジットカードのような形のカードをSNAP提携店のレジで専用機械に通すと、その分が政府から支払われるしくみだ。
「SNAP」とは補助的栄養支援プログラムのことで、貧困家庭に支給する「フードスタンプ」と呼ばれるカードで食料品を購入する仕組みである。SNAP受給者は年々増加。2012年8月31日のUSDA(農務省)発表では、約4667万373人と過去最高に達した。1970年には国民の50人に1人だったのが、今では7人に1人がSNAPに依存していることになる。
要するに「まともな待遇の雇用を確保するよりも、低賃金の単純労働+SNAPでとりあえずなんとか食べられるくらいの保障はして生き延びさせ、その食費も大企業に吸収される」ようになっている。

3.GM種子で世界を支配する

反モンサントキャンペーン
モンサント社は世界の50以上の種子会社を買収し、害虫、雑草を駆除する毒性の強い農薬とセットでGM種子をあらゆる国に売りつけ、その統合的なシステムから抜け出せない巧妙な手口で、戦後イラクの農作物、やインドの綿花の工業化を推し進め、世界の穀物倉である農業大国のアルゼンチンも世界2位のGM作物輸出国に変貌させた。その裏ではそれらの国々の大量の農業失業者と地場農業の崩壊や自殺者を産み出し、自国のみならず世界各地の農業生産者を踏み台にして、モンサントをはじめとする多国籍企業体は肥大と膨張を続けるモンスターである。
2013年3月にオバマ大統領はGM種子を野放しにする(モンサント保護法)を成立させ、国民は後に25万人の署名による撤回を求めた。しかしモンサントを頂点とするバイオテクノロジー企業から政治献金をたっぷりもらっているオバマはこれを撤回できない。農業も大規模工業化の流れは止まらない。生産効率と利益拡大を旗印に生産農家も末端の労働者になりつつある。モンサントはGM種子と農薬肥料で巨大化していく。遺伝子組み換え作物で消費者の健康や環境に被害が出ても、因果関係が証明されない限り、司法が種子の販売や植栽停止をさせることは不可とするもので、日本でもかつて様々な公害が発生し、その教訓をもとに法整備がされているのに、現代のアメリカではそれに逆行する法案が成立している。
廃墟の街デトロイト


4.切り売りされる公共サービス

アメリカで、現在世界を覆う多国籍企業による国家を呑みこんだ寡占化は徹底している。利潤追求のため、あらゆるジャンルを市場の原理に置き換え、私たちの食、医療、教育や警察、消防の自治体サービスなどセーフィティネットを次々に効率が悪いと梯子を外してゆく。それが顕在化したのが、つい先日のデトロイト市の破産宣告。このままでは全米の自治体の9割が5年以内に破綻するといわれている。それは既得権益を排除するという例の威勢のいい掛け声に乗って、規制緩和、民営化という手順を踏んで進められる。財政削減のみ旗のもと多くの公共サービスが削減され従事していた労働者の失業は増え続ける。
筆者は鋭く問いかけている。「教育」、「いのち」、「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が徹底して民営化された時、はたしてそれは国家と呼べるのだろうかと。
自由貿易という発想そのものが、多国籍企業と法治国家の力関係を逆転させる性質を持っている。多国籍企業の目的は株主利益であって、それを生み出す地域やそこに住む人々に対しての責任はない。そのため多くの場合、勝ち組は多国籍企業、労働者は負け組になる。
そして今進んでいるのがTPPである。これは、NAFTAや米韓FTAとは比べ物にならない規模での多国間自由貿易協定で、日本も渦中にあるが、これが成立すれば「自由貿易」というお題目の元、農業や食肉など「安心・安全」が大切な部門であっても、利益と効率だけを目指した企業と戦わなくてはならなくなる。どちらが勝つのだろうか。
この格差社会の果てに何が待ち受けているかを見るなら、それはアメリカ社会を見ればわかる。新自由主義の成れの果てがどうなるかということがリアルに書かれている。これを読むと日本の構造改革が何を目指しているのか、如実に見えてくる。アメリカの超格差社会は明日の日本の姿である。

5.政治とマスコミも買ってしまえ

今、世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えたポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム(政治と企業の癒着主義)」に他ならないと著者はいう。
コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだ。巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、
国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団がクライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、、刑産複合体(刑務所民営化によるタダ同然の労働力提供システム)、教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引き換えに企業寄りの法改正で「障害」を取り除いてゆく。

自由貿易という歴史があって、今までそれがアメリカ型のグローバリゼーションをアフリカやアジアや南米に押し付けてきた経緯があり、その集大成がTPPである。TPPでアメリカが日本にやろうとしていることを、アメリカはこの10年で自国民に対して行ってきた。
グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を越えて拡大するようになった。価格競争の中で効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売先、労働力、特許、など、あらゆるものが多国籍化されてゆく。多国籍企業は、かつてのように武力で直接略奪するのではなく、彼らは富が自動的に流れ込んでくる仕組みを合法的に手に入れる。彼らにとっては国境はないのだ。メキシコやカナダ、イラクや南米、アフリカや韓国の例を見ればわかるように、アメリカ発のこの略奪型ビジネスモデルは世界各地で非常に効率よく結果を出している。どこの国でも大半の国民は、重要なキーである「法律」の動きに無関心だからだ。TPPやACTA、FTAなどの自由貿易をアメリカ国内で率先して推進する多国籍企業は、こうした国際法に国内法改正と同じくらい情熱をもって取り組んでいる。 経済界に後押しされたアメリカ政府が自国民にしていることは、TPPなどの国際条約を通して、次は日本や世界各国にやってくるだろう。

アメリカ国内はもちろんカナダ、メキシコ、アルゼンチン、インドそして戦争が終結して復興の進むイラクのおける穀物メジャーによる支配の手口は、最初に生産高を倍増させるという触れ込みの遺伝子組み換え種子とセットになった農薬を無料提供し、在来種の種子を2度と使えなくさせた上で、遺伝子組み換え種子と農薬を永遠に使い続けるライセンス契約(知的財産権保護)を結ばされる。それも国家の中枢を潤沢な資金による政治献金やロビー活動で巻き込み、二重三重にその国の農業と食物の自給を支配するシステムを築き上げる。この本の読後感では、このままTPP交渉に参加にすると、日本の農業と食の自給(地産地消)は破綻して行く気がする。そこに見えるのはアングロサクソンが通り抜けた広大な荒地が広がっていく風景だ。

最後に上記に関連して以前読んだビル.トッテン「アングロサクソンは人間を不幸にする」を紹介して結びにしたい。

2003年に出版されたビルトッテンの著書「アングロサクソンは人間を不幸にする。」といった支配と収奪の歴史が蘇る。その中で著者はアメリカ金権主義の原型を、グスタバス・マイヤーズが書いた『History of American Fortunes』(初版1907年)をもとに解説している。この本は初版以来アメリカ史を記録した文書として広く認められてきた。
マイヤーズは序文で次のように述べている。
「アメリカの巨額の富は、その制度がもたらした自然な不可避の成果であり、その当然の結果として一握りの人間の利益のために、その他大勢の人間が徹底的な搾取を受けることになった。こうして生まれたアメリカの富裕階級は、当然の結果を否応なしにつくり出すプロセスから生まれた、必然的なものの一つにすぎない。その結果として、巨額の富の加速度的集中化と並んで、財産を奪われ搾取された多数の無産階級が生まれた。
 富裕と貧困は本質的に同じ原因から生じる。どちらも一方的に非難されるべきではなく、重要なことは、なぜ富裕と貧困が存在するのか、そしてどうすればそうした不条理な差をなくすことができるのかを見定めることである」としていて、ここには現在のアメリカを支配する金権主義の原型が表現されている。」
このような事実は、建国の未成熟期にのみ起こった不幸な出来事ではない。土地や金融を握った資本家たちがますます肥え太り、実際に富の生産に携わっている多くの労働者が不当な抑圧に苦しんでいる現実は、巧妙に形を変えていまなお続いているのである。

カネがすべてを支配する社会 <ビル.トッテン>
 

「貧富の差の拡大は、自然現象によるものではなく、20年以上にわたり賃金労働者を犠牲にして資産所有者を富ませてきた公的政策や民間企業の行動が生んだ結果である。そこには、資本の勝利と労働への裏切りがあった。経済的勝者は家や車、貯蓄のみならず、それ以外にも莫大な資産を持つ人々であり、一方の経済的敗者の身を守るものは、給与や政府の社会保障しかない。
 税制、貿易政策、政府の歳出や規制すべてが、富裕層を優遇する方向に傾いている。他の国も技術革新や世界的競争を経験しているが、貧富の差の劇的な拡大は起こっていない。アメリカでは富と政治的影響が緊密に絡み合って、最上位の富裕者を優遇する政策がつくり上げられてきたのだ。
 富は政治的権力に直接つながる傾向が強い。富を持つ人々は選挙資金やロビー活動を通じて、政策が自分たちに有利になるよう影響を与えるだけではなく、政策そのものの策定を行なう。事実、アメリカの上院議員の三分の一以上が億万長者である。
 資本が利潤を生み、たくさんの資本を持つところに集まっていく。額に汗し、自らの体と頭を使って働く人々はその正当な分け前にありつくことができず、カネを右から左に動かす人々がほとんどすべてのものを吸い上げている。アメリカは資本主義を高度に発達させた。そこにでき上がったのは、カネがものをいう世界である。カネを持つ者がすべてを決定し、カネを持つ者がさらなるカネを得る権利を持つのだ。そんな世界を模範にしようとしている国がたくさんある。私には、まったく馬鹿げたこととしか思えない。それは、多くの人々を幸せにするものではなく、ほんの一部の限られた人間にカネと権力を与える偏ったものだからだ。」

2013年12月1日日曜日

アートな話「芸術とエロス」

ガバネロ「ビーナスの誕生」とマネの「オランピア」


英和大辞典によるとエロスは[ギリシャ神話]の世界では恋愛の神、[プラトン哲学]では善きものの永久の所有に向けられる愛(Platonic love)、キリスト教の世界では人間的な愛、として古来概念づけられてきたが、20世紀に入り、フロイト一派の無意識の心理学によって、あらゆる人間活動の根底にリビドー(性的欲望)が横たわっていることが主張された。
もともとエロティシズムという言葉の語源はギリシア神話の愛の神エロースの名前であり、一般的にエロティシズムは官能愛または人間の性衝動(リビドー)のことだと考えられている。
 
このような辞書の定義にある「エロス」を表現している絵画や彫刻は、古典美術の女体讃美に始まって現代に至るまでいくらでもあるが、鑑賞者が「これは人間的な愛を表している」「人間が生きることの本質、つまりはエロスを感じる」と思えばエロスを表した芸術なのかもしれないが、鑑賞者にとってエロスの定義付けは不要なもので、観る側のイメージの内は個人の自由である。そのことは作る側にとっても自由であるはずである。
歴史的にもタブーと開放という矛盾した二つの性質を持ち合わせたエロティシズムは、古来人間のその文化に幻想と呪縛から逃れられない吸引力を発してきた。性的発露や行為は、それ自体エロティックということではなく、そのイメージを喚起したり、暗示したり、表現したりすることがエロティックなのである。つまりエロティシズムとは、生物としての人間の本能的な欲望や生殖行為とは無関係な、動物にはない人間として、本質的に心理的なトリガー(引き金)から発するものであるから、人間のあらゆる文化的伝統、神話、習俗、宗教、芸術などのなかに、深くその根を下ろしている。
上の絵は、19世紀半ばに描かれたアレクサンドル.ガバネルの「ビーナスの誕生」で、ギリシャ神話のビーナスは海の泡から生まれた一説をもとに描かれた古典的なヌードの代表作である。古来より宗教的あるいは神話的な裏付けのない世俗的な単なるヌードは受け入れられないフランス美術界の中で当時絶賛された作品である。同年代のマネの世俗的な娼婦を描いた「オランピア」は対照的に酷評の嵐に合う。まさにマネの裸婦は古典のエロティシズムを破綻の淵に追い込まんとした問題の作品であったのだ。

フランスの思想家ジョルジュ.バタイユは、何かを禁止することは、禁じられた行為にそれ以前にはなかった意味を与えることだと書いている。タブーさえなければ危険で邪悪な誘惑の輝きを持たなかったものが万人をして禁止の違反へと誘うことになり、この禁止の違反そのものが人の心を魅了し掻き立てるというのである。
      

エゴン・シーレ「黒いストッキングの女」  グスタフ.クリムト「ダナエ」

19世紀末になると、オーストリアでウイーン分離派の旗手グスタフ.クリムトや,不道徳な絵を描いたとして、獄中生活を送った夭折のエゴン.シーレといった異才が出てくる。クリムトは過去の様式に捉われない、総合的な芸術運動を目指したが、画風は装飾的で退廃的などこか気だるい雰囲気を醸し出している。
歴史的に近代の終わりは、第二次大戦によるヨーロッパ近代社会の崩壊を区切りとして、20世紀の前半が近代と現代が重なり入れ替わってゆく時期ということになっているが、近代芸術の終わりはヨーロッパ近代の終焉と時を同じくしている。二つの大戦の前後を含むあいだの期間に芸術をはぐくむ場がヨーロッパの近代都市パリ(近代芸術)からアメリカ現代都市ニューヨーク(現代芸術)へ移ることになる。
       


 
    ● 左 ダリ 「柘榴の実の周囲を一匹の蜜蜂が飛び回ったために見る夢」 
    中 マグリット 「黒魔術」 
    右 ピカソ 「首飾りをつけて横たわる裸婦」

 
20世紀に入りエロスと芸術の分野では,シュールレアリズムがパンドラの箱を開けることによって,あらゆる束縛からの「新しい」自由のための実に様々な表現方法を見つけだした。サルバドール・ダリの偏執的な幻想や、ルネ・マグリットは人間の姿を物と化した感情なしのエロスに昇華表現していく。また数々の女性遍歴とシュールレアリズムをくぐり抜けてきたピカソもエロスを基軸に女を描いている。キュービズムから出発したフランスのマルセル.デュシャンはアメリカに渡り、時間と運動によるコンセプチュアルアートをかかげ、現代アートの先陣を切った。そこにあるのは乾いたエロティシズムと概念の破断である。


   2        3          4


  ●デュシャン 「階段を上る裸婦」 2.デクーニング「女1」3.オキーフ「蘭」4.「Music - Pink and Blue

 

物質文明を謳歌する20世紀アメリカの現代アートでは、抽象表現主義のウィレム・デクーニングは猥雑なエロスを醸し出し、一方で女が醸し出し男が表現する長い芸術の中で、花によるエロスを表現する稀代の女性画家ジョージア.オキーフがいる。具象がクローズアップもしくはトリミングされた過程で抽象化が進み,抽象のエロスがほとばしる奇妙な作家である。無垢な女の感性であるがゆえに、男から見ると不思議なエロスを感じさせる絵だ。いろんな意味でエロスは生きとし生ける物にとって元気と活力を与える源である。いずれにせよ XXXXをくぐり抜けないでこの世に出た者はいない。エロス、大いに結構ではないか。エロス万歳!

2013年11月15日金曜日

他力本願の国

朝日新聞デジタル

この秋に採決されようとしている「特定秘密保護法案」は、所管する内閣官房が、保存期間満了後の文書の取扱規定を盛り込まない方針で、都合の悪いことは秘密にしたまま担当省庁の判断で廃棄される可能性がある。識者からは「国の秘密になるほど重要な情報は歴史に残し、後世の検証の対象にするのは当然」と批判が上がっている。他国に先駆けて情報公開法を制定した米国では、例外はあるものの10年未満、10年、25年と優先順位をつけての自動機密解除が潮流となっているのだが。

2001年にようやく施行された情報公開法は「国民主権の理念にのっとり、情報の一層の公開を図る」ことを目的とし、続いて2009年に出来た公文書管理法は、国の諸活動や歴史的事実の記録であり、公文書は、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源とうたっている。政府は国民からの信託に基づいて行政を行っているのであるから、国民に対して情報を提供、共有することは当然の責務である。
先進国としての、我が国の情報公開の遅さは、日本の為政者に、国民に自分たちの為政の情報を与える文化がまったくなかったことを示している。いわゆる由らしむべし知らしむべからずの伝統的な政治である。情報公開法は出来ても、少しでも為政者に都合の悪い情報は公開されていない。ほとんど情報公開法の意味がないような、ほぼ全面にわたって墨で消された「公開情報」を我々は様々な場面で目にする。

公文書管理法は、行政機関等の公文書を対象としており、司法・立法の公文書は含まれていない。また、地方公共団体の公文書は努力規定となっている。消えた年金や、小沢一郎裁判で明らかになった司法の闇などは、すべて情報公開と公文書管理文化の立ち遅れを物語るものである。例えば、3.11以降、原発関係の重要事項を決めてきた「原子力災害対策本部」の議事録も作成されていなかった。これは原発事故以降の最大の隠蔽工作であると言われている。福一の事故のあと、東電や国の隠蔽工作は時間を追って次々にあぶりだされたことは記憶に新しい。

古くは1972年の沖縄返還に伴う密約問題で、政府の「隠蔽体質」が如実に現れた。日本が米国に財政負担することを両政府が合意した密約について日本政府は一貫して否定し続け、2000年以降に米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、その姿勢を変えていない。
国民的議論も不十分なまま進められていく昨今の消費税増税・原発輸出・ TPP参加・「特定秘密保護法案」・NSC法案・解釈改憲・新ガイドライン。これらはすべて危機による国民のパニックを利用して、平時なら不可能な改革を実施するフリードマンの経済ショック療法のやりかたを踏襲している。

ところで、この秋にも採決されようとしている「特定秘密保護法案」のルーツは、日米政府が締結したGSOMIA(ジーソミア)にある。これは、2007年5月1日に、日本と米国が「2プラス2」(日米安全保障協議委員会)で協定締結に合意し、2007年8月10日に、GSOMIA(General Security of Military Information Agreement、ジーソミア)として締結されたものである。
同盟など親しい関係にある2国あるいは複数国間で、秘密軍事情報を提供し合う際に、第三国への漏洩を防ぐ協定である。日本は米国やNATO、フランスと、この協定を締結している。この締結の際に、米国から日本での法案化が要請されており、それが「特定秘密保護法案」として現在の臨時国会に提出されようとしている。
つまり日本での過剰なまでの情報統制や国民監視の法案提出には、背後に常に米国の要請や指示があるという筋書きになっている。ほとんどの国家ではスパイ防止法や機密保護法を制定し国益を守る防御策が講じられているが、スパイ天国日本の現状を見て、スノーデンに3万点に及ぶ機密文書を盗まれた米国が要請してきたのは想定されるところだ。



その「「特定秘密保護法案」は、米国の要請を元に官僚主導で法案化が進んでいる。その法案概要では、次の4分野に分けられている。
( 1 )防衛( 2 )外交( 3 )外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動(スパイ活動)の防止」( 4 )テロ活動防止。
この4分野のうち、国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあり、秘匿の必要性が特に高いと考えた情報を、行政機関の長が「特定秘密」に恣意的に指定できる。
しかし国民の「知る権利」「取材の自由」は守られる、と言いながらも、その規定がどうにも曖昧で、その定義は解釈によってどうにでもなる。報道に網がかけられた次は、やがてネットで好き勝手なことを言わせないネット規制も始まるかもしれない。

個人にプライバシー権があるように、国家にも「国家機密情報を保護する情報のコントロール権」がある。中国や北朝鮮の工作員や米国やロシア等主要国の諜報員多数が我が国で国家機密情報の収集に注力している状況下で、他国の場合はスパイ活動を発見すれば逮捕又は国外追放処分に付すが、我が国にはスパイ活動を取締まる法律がないためスパイ天国となっていて、最近の中国書記官のスパイに逃げられた事件など、数え上げたらきりがない。

外圧によって重い腰を上げる日本政府は、今回の特定秘密保護法案や、TPP、そして集団的自衛権においても他力本願の政治姿勢は変わらない。我々は民主党政権時代、脱原発を閣議決定する矢先に米国の横槍で頓挫したことを見てきた。今、小泉元首相が即脱原発と声高に叫んでいるが、弟子の安倍首相が米国の圧力をはねのけて閣議決定するのは容易なことではないだろう。 

2013年11月13日水曜日

沖縄駆け足紀行


琉球王朝時代の王宮  首里城

普天間の基地問題で揺れている沖縄に行ってきた。35~6年前に新婚旅行に行った地であるが、沖縄は悲劇の島である。今回は短い期間だったが、たまたま行く機会があったので便乗してカミさんと行ったわけである。沖縄は14世紀頃、琉球王国として栄えていたが、16世紀に薩摩藩に侵略され、明治維新後は日本のものとなった。琉球王国は元来武器を持たない民族で、政治・外交は交易などを通じて中国、日本、東南アジアの国々と平和裏に交流してきたという。首里城に“守礼の門”があるが、これは徳礼を用いて政事を行うという意思表示だそうだ。当時薩摩藩は武器を持ってやって来たので一日で占領された。漆器、陶器、染め織物など文化財を持って行かれた。沖縄人の薩摩に対する敵意はいまだに残っているということらしい。

普天間基地         嘉手納基地


 日本の領土となっても悲劇は続く。太平洋戦争末期の1945年6月、米軍の猛烈な艦砲射撃の後、米軍が上陸、本土防衛の盾になり、日本で唯一地上戦が行われ日本兵・民間人約20万人の犠牲者を出した。米国の占領が続き、1972年に日本復帰を果たしたにも拘らず、米国に基地を提供しなければならなかった。 日本の0.8パーセントしか占めない沖縄の地に、日本にある米軍基地の75パーセントが押しつけられているという。


今回は1泊2日の強行軍だったのでレンタカーを借りてもそう多くは回れなかった。
早朝に家を出て、沖縄に到着したのは11時を過ぎたころだった。1日目は空港から島の西側を回り、宜野湾市にある嘉数高台公園から普天間基地を見て、北に進み「道の駅 かでな」の建物の上の階に嘉手納基地展望スペースがあり手軽に基地を展望することができた。どちらも我々が目にする厚木基地と概観がよく似ていた。ただ写真のように普天間基地は民家の密集地に隣接しており、その喧騒は想像以上だ。日本の防衛の最前線の責務を背負って立っている感じがした。

琉球村        美らうみ水族館

さらに北上し、琉球村や美らうみ水族館を回り、海中道路のある古宇利島に渡り、帰りは沖縄自動車道をひた走り那覇のホテルについたのは7時半を過ぎた頃でハードドライブだった。途中3件の交通事故を見たのも珍しい光景で内地ではあまり見たこともないことだった。確かに沖縄の人々の運転は荒っぽい、普通の車間距離で走っていても左から追い越しをかけてくる。交通手段が限られているのでクルマの数が多いので主要道路の渋滞箇所も多くなる。

国際通りの公設市場         古宇利島


翌朝は島の南から東を周り、10時頃には国際通りで買い物をして公設市場の2階で1階で買った魚介類を料理してもらい昼食を済ませた。ここ沖縄は11月いっぱいまで半袖で過ごせるぐらい暑く、日差しは強くカミさんが日傘を買うほどであった。1時頃にはそこを出発して首里城を見て、一路那覇空港に向かい、定刻より30分ほど遅れて空港を飛び立ち、家についたのは0時近かった。とにかく忙しい旅であった。沖縄のオススメ料理はあまりなかったが、青い海が唯一のご馳走だった。

2013年11月3日日曜日

数字のマジック

あべチャン頼むよ!

2014年4月から消費税は8%に引き上がり、2015年以降に法人税減税が待っている。
アベノミクスの影響で、2013年10月から我々の生活と密接な関係にある保険料や食品価格その他も大きく変わってきた。例えば、年金は10月分から1%の減額、厚生年金保険料は17.12%に引き上げ、食品価格は小麦や乳製品などで1~4%の値上げとなり、年金減額に連動し、児童扶養手当も0.7%に引き下げ。他にも自動車保険料の一部値上げなどが続く。

勤労者の所得が減っていて消費が冷え込んでいるところに消費税アップだ。首相は消費税増税に伴う家計への8・1兆円の負担増からくる消費需要の減退とデフレ圧力の高まりを懸念し、5兆円の経済対策を打ち出した。経済対策の目玉にあの復興特別法人税の来年度廃止など法人関連の減税を餌にして企業の賃上げを誘い、内需の拡大につなぐシナリオを描いているが、イメージどおりことが進めば誰も苦労はしない。
国税庁『会社標本調査』(2011年度分)によれば、72.3%の法人が欠損法人、つまり赤字となっている。法人税の減税と言っても7割以上の企業は法人税を払っていない赤字企業である。経営の苦しい中小企業にとっては何のメリットもない。恩恵を受けるのは一部の黒字企業だけだ。
もとより、中小企業は日本経済を支え、全企業421万社の99・7%、全従業員数4297万人の66%を占めている(21年時点、総務省)。法人税を払っている企業 30% 残りの70%は赤字決算でまぬがれているこの現状。 法人税の減額は海外からの投資を招くというが、大半は金融投資であり、工場や支店を出すことにつながらない。法人税の減税分は企業の内部留保に回す。企業は利益を出しているのだが、それを内部留保という形で貯め込んでしまい、設備投資にも回さないし、賃金にも回さない。利益が設備投資や賃金に回れば、経済の好循環が始まるというものだ。全雇用の3分の2を占める中小企業による賃上げのための経済環境は悪化し、法人関連税の減税で挽回できるはずがない。





菊池英博著「消費税は0%にできる」(ダイヤモンド社刊)によると、主要国の国税収入に占める消費税の割合 は以下のとおり。

国 名   国税の標準税率      国税にしめる消費税の割合  
イギリス      17.5%                 22.5%     
ドイツ       18.0%                  27.0%       
イタリア     20.0% 27.5%             同上
スウェーデン 25.0% 22.1%              同上
日本      4%(5%の内1%は地方税)    22.1%      
アメリカ    消費税は州税で州により違い、国税は法人税と所得税

自公政府とマスコミ、御用学者は国民に次のように宣伝する。
「日本の消費税は5%で主要国と比較して非常に低い。これでは社会保障の財源が出ない。少なくとも10%以上に引き上げなくてはならない。」日本の消費税は主要国の1/4~1/5の税率なのに、国税収入全体に占める割合は既にイギリス、スウェーデン並みの22%になっている。その理由は次のとおり。

日本では消費税の非課税項目がきわめて少なく、税率が低くとも税収金額が多いこと。主要国の消費税(付加価値税)は、教育、医療、住宅取得と関連金融および不動産で非課税であり、また、生活必需品(食料品、医薬品、新聞、書籍の一部)も軽減税率または非課税であり、アメリカでもこの傾向があり、生活必需品はほとんど非課税である。
この点公明党が食品などの生活必需品の軽減税率を主張していることは理解できる。

日本の場合は法人税と所得税の比率が低すぎること。特に1990年度から2006年度までに構造改革で法人税は40%から30%に下がり、所得税は累進税率を緩和し最高税率が07年度には40%までに引き下げられた。そのために、法人税と金持ちの所得税が大幅に減税され、その結果として消費税が国税に占める割合が高くなった。
 このために、日本は低額所得者の税金が主要国で一番高い国になっており、貧乏人は悲惨な状況である。高額所得者に減税する一方で低額所得者に増税し、消費税が3%から5%に増額され、1999年に導入された定率減税も廃止され、2002年度には課税最低限度額が360万円から325万に引き上げられた。

消費税をなくせとは言わないまでも、我々納税者は数字のマジックを理解したほうがよさそうだ。

2013年10月18日金曜日

日本の使命



小泉純一郎元首相が10月16日、千葉県木更津市内で講演。「日本は原発ゼロで十分に経済成長できる」と強調した。10月1日の名古屋での講演に続いて、日本が脱原発の方向に進むべきだと強調したことが波紋を読んでいる。
未だ国民的人気の持ち主であることによって、この発言の大きさは多くの国民に眠っていた脱原発の意識が蘇ってきた。小泉氏がフィンランド視察後に、脱原発に積極的になった理由は、ドイツやフィンランドの「オンカロ」という最終処分場を視察した結果、日本の核のゴミの最終処分法に打つ手なしとの結論に達し、「核のゴミを処分する場所の当てもないのに原発を進めていくのは、無責任ではないか」という発言に政府も原子力村も当惑している。

安倍政権の原発政策は、基本的には民主党政権の「何となく再稼働」路線を踏襲してきた。民主党政権は、脱原発を唱えながら再稼働を容認するという邪道を選んだが、この前政権の道を安倍政権は当然のように進みながら、次第に原発事故以前の路線に戻りつつあるように見える。 小泉元首相の弟子のような安倍首相にとって耳の痛いところであろう。この発言を無視したり、軽視したりして済む立場ではないことは二枚舌の安倍首相も分かっていることだろう。
今回の小泉発言は、この「何となく再稼働」路線に大きな転換を迫るものである。既に廃炉に向けての膨大な費用と損害賠償で東電は企業としてはすでに死に体であるにもかかわらず、安倍首相は、17日の衆議院本会議で東電を法的に破綻処理することに否定的な考えを示した。「東電は引き続き民間企業として損害賠償、廃炉、汚染水対策、電力安定供給などを確実に実施していくべきだ」と述べた。

 折から東京オリンピックの開催決定によって、日本の原発政策は今まで以上に国際的関心事となり、少なくとも開催までの7年間は、世界が常に日本の原発の動向を監視することになった。言わば、日本の原発政策は特別厳しい国際監視の対象となったのである。日本の既定の原発政策はこの監視に耐えられるのだろうか。


電気事業連合会などによると、国内にある使用済み燃料は2012年九月末時点で、少なくとも1万7千トン以上。電力会社は各原発の原子炉建屋内にある燃料プールでほとんどを貯蔵しているが、東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽、九州電力玄海、日本原子力発電東海第二でいずれも占有率が80%以上を占め、限界に近づいている。
  
 青森県六ケ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(再処理工場)にも容量3千トンの一時保管スペースがあるが、再処理事業の遅れで各原発から持ち込まれる使用済み燃料がたまる一方。今年9月の時点で貯蔵量は2,945トンに達し、占有率は98%に達した。 原発の燃料プールと六ケ所村の保管スペースを合計した貯蔵容量の73%が埋まり、原発が順次再稼働した場合、数年後には満杯になる計算だ。
  
 日本は、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを高速増殖炉で燃やす核燃料サイクルを原子力政策の要としているが、再処理は技術的なトラブルが相次ぎ、いまだに事業を開始していない。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も1995年のナトリウム漏れ事故後ほとんど動いていない。高レベル放射性廃棄物の最終処分では場所すら決まっておらず、使用済み核燃料が国内の貯蔵能力を上回れば、事実上、原発の運転が不可能になる。


  京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)は「再稼働すれば行き先のない核のごみは増え続けるばかりだ。全体のグランドデザインをしっかり考える人がいなかったのではないか。これ以上、原発を再稼働させるべきではない」と、核のごみを放置し、原発を増やし続けた国や電力会社の姿勢を批判している。


過去に「産業革命」と言える構造転換は、およそ100年周期で3度存在した。いずれも、その時代を牽引する新しい"エンジン"が社会のパラダイムを大きく変えてきた。すなわちジェームズ・ワットが1769年に開発した「蒸気機関」によって石炭の大量消費が始まり、紡績、船舶、鉄道を中心とした一番はじめの「動力革命」。
続いて2番手は1885年にダイムラーが開発した内燃機関によって、鉄鋼や自動車を中心とした「重化学工業革命」が起こり社会インフラが飛躍的に発展した。
20世紀後半に入ると、第3の革命(情報革命)がはじまる。1971年にインテルが発表した世界初の「情報機関(エンジン)」であるマイクロプロセッサーの登場、さらには1990年代初頭に起きたインターネットの劇的な発展によって、デジタル技術による「情報革命」が起こった。この結果eコマースをはじめネットワークを利用する様々な新サービスが産声を上げ、情報産業は瞬く間に超巨大産業へと変貌をとげた。

そして21世紀の第4の革命が環境エネルギー革命である。福島の悲劇を目の当たりにした世界は原子力に変わる次世代エネルギー開発にしのぎを削り、加速度的にその実現のためのプロジェクトを立ち上げている。そのトップランナーとしての宿命を負わされた我が国は、科学者の持てる英知をフル稼働して革命的なイノベーションを産み出し、未来につないでもらいたい。


2013年10月16日水曜日

米国のチキンレース


民主党のオバマ大統領と共和党ベイナー下院議長

先に当ブログ(2013年3月◆錬金術は止まらない)で書いたアメリカの財政問題が再び取り沙汰されている。米国では政府債務の上限(政府が借金できる金額)があらかじめ決められており、これをオーバーすることは許されないことになっている。借金が上限に達した場合には、そのたびに議会の承認を受けて国債を追加発行しなければならないのである。
今年も後半になった現在の債務上限額は約16兆7000億ドル(1630兆円)であるから、またまたこの問題が浮上してきて、上院下院共々腹の探り合いをやっている。経済は年々拡大していくので債務を歳出の一定割合にとどめていても、金額の絶対値は自然に増えていくので、債務の上限は割合ではなく金額の絶対値で規定されているから、米国では毎年のように上限の改訂をしなければならないことになっている。現在の仕組みがスタートした1940年以降、すでに90回以上も債務上限を改定していて、いわば年中行事である。

ルー米財務長官は先月25日、現在16兆7000億ドルとなっている連邦政府の債務上限を引き上げなければ、10月17日に米政府の手元資金がほぼ底をつくという見通しを明らかにした。同長官はベイナー下院議長はじめ議会指導者に、債務上限引き上げを無条件で即時承認するよう要請した。共和党は歳出拡大に強く反対する立場から、債務上限の引き上げ幅と同じ額の歳出カットや医療保険改革の修正を求めている。
 現在議会の与野党対立で17日の期限までに債務上限引き上げが実施されないと、米国債の利払いなど「支払い義務を履行するのは不可能」になり、債務不履行(デフォルト)に陥る危険性が指摘されている。このことは米国債の信用失墜、金利高騰、ドル価下落、金融市場の凍結、株式市場大暴落などが懸念されているので、G20各国も米国に事態の修復に関して11日、20カ国・地域(G20)声明に、米財政問題に関する文章が盛り込まれることを明らかにした。

現在米下院共和党の強硬派はあれこれ屁理屈並べて責めてはいるものの、狙いはただ一点。オバマ民主党政権が打ち出した「米国民医療皆保険制度」、オバマケアの実施つぶしのようだ。この制度は2008年大統領選挙でのオバマが打ち出した主要な公約の一つであった。2010年に成立。その後上下院の勢力が捻じれ状態となり下院で多数を占めた共和党、特に右派が中心になって強引にその実施を阻止し始めた。与野党のしのぎ合いが続き、17年ぶりとなる政府機関の一部閉鎖を開始。最大100万人の連邦政府職員が無給休暇となるほか、国立公園の営業停止も続いている。
国全体の医療費を減らし、医療をめぐる格差の実態を少しでも改善しようと打ち出したのが皆保険、オバマケアだった。だが新大陸入植時の名家名門を筆頭とする支配層。建国以来築き上げてきた軍産複合体、医療保険業界などが厳然とバックに存在する。余談になるが米国の自己破産者の4割は医療費が払えなくての破産だそうだ。カードで借金漬けの多くの国民は稼いでもその返済に追われるため、全体の消費が上向かない。

借金大国アメリカの米国債の発行残高は16兆ドル越え(約1500兆円)である。それと比較すると、日本の国民が保有する現金と有価証券総額は(約1、500兆円)で、日本の国債発行残高は、1000兆円。日本国債の95%は国内で消化されているのに比べ、他国からの借金漬けのアメリカでは、歳出削減や増税をしなくては国債発行限度額を引き上げられないアメリカの危うい現状が見えてくる。2008年にFRB(米連邦準備制度理事会)のひとつであるセントルイス銀行のエコノミストが試算では、海外でばらまいている米国債やドルなどを試算すると、153~160兆ドルにもなるそうである。この数字は米GDP(14兆ドル)の10倍以上で、もはや国家として倒産していると結論づけていた。

日本の米国債保有額は約110兆円と、中国に次ぐ世界2位の規模。民間では三菱東京UFJ銀行など3メガバンクだけでも計8兆円程度の米国債を保有しているもようだ。
米国がデフォルトし基軸通貨ドルが崩壊すれば、米国債はただの紙切れになる。こんな悪夢は見たくはないが、そう遠くない未来にはドルもユーロも基軸通貨の座から転がり落ちる可能性は否定できない。そうなると決済通貨の多極化がおこり混沌とした世界経済がひろがっていくだろう。

ただ我々が意を強くするのは、国の借金がGDPの倍だと言われながらも、平成24年末の対外資産負債残高によると日本の企業や政府、個人投資家が海外に持つ資産から負債を差し引いた対外純資産は296兆3150億円あることだ。国際通貨基金(IMF)などの統計では、主要国の24年末の対外純資産は2位の中国は150兆2875億円、3位のドイツが121兆8960億円。このため、日本は平成3年以降22年連続で「ダントツの世界一の債権国」であることには変わりはないのである。それにくらべると、米国に至っては、約406兆円にも上る対外純負債国となっている。
果たして米国の終わりのないチキンレースはいつまで続くのか?.......


2013年10月6日日曜日

アートな話「木の文化」

天照坐皇大御神

2日夜、TVで20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮が行われた。遷宮とは、新しい社殿にご神体を移すことで、式年とは、定められた年という意味で、伊勢神宮では、20年に一度行われる一大行事である。20年という期間は、木造建築の耐久年限にかかわり、人間の1世代に相当し、大神の新たな生まれ変わりを意味しているのだそうだ。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、いずれも女性の神である。一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇の4年(690年)のことで、それから1300年以上にわたり続けられていて、戦国時代の一時期には中断したこともあったが今年で62回目という気の遠くなるような歴史である。世界を見渡してもこんなに長く伝承された諸祭・行事は存在しない。(ウィキペディア)
神話の世界では中国の最高神「天帝」や朝鮮の檀君(だんくん)神話の至上神をはじめ、ギリシャ神話の「ゼウス」、ローマ神話の「ユピテル」など、世界神話の最高神は皆男性である。日本の最高神「天照大御神」は女性で、世界で最高神が女性である唯一の和の国が日本である。

新旧の神殿

私も40代の頃、近所のバス旅行で一度伊勢神宮を訪れているので、ひさしぶりにTVで見た内宮、外宮を思い出した。また当時建築に使われていた見事な無垢のヒノキも印象に残っている。
この式年遷宮には、65の社殿などを造り替えるだけではなく、約1600点にも及ぶ御装束神宝も新調されるそうな。この社殿を新しく建て替える技術の伝承だけではなく、神の衣装や正殿を飾る装飾や器物等の製作とその人々の伝承によって、日本固有の文化の継続と伝承が成り立っている。
その準備に8年もかけ、費用も約550億円かかるそうで、全てが神宮の資金や寄付などで賄われるようだ。この行事、20年ごとに一新することで、神様の瑞々しさを保つ「常若」の精神があり、これによって国の繁栄と国民の幸せを永続的に願っているという意味があるらしい。
この遷宮で必要なヒノキは、本数にすれば1万2千本という莫大な量を確保することで、そのためにも、毎年伐採した量に匹敵する苗を植え、200年先を見通した植林を行っている。古くなった材木は、宇治橋や全国の神社に寄贈され、今年は、東日本の被災地で神社の再建を考えているところに優先的に送られるそうだ。ヒノキは湿気などからくる腐りに非常に強く、強度も長年落ちないし、加工しやすく材の狂いも非常に少なく殺菌、駆殺虫の作用があり、彫刻材としても知られている。 国土の3分の2は森林(森林率67パーセント)である我が国は、理想的な樹木の育生条件の整った国である。温帯から亜熱帯まで多様な樹木が生育し、日本独特の 文化の基本となっているスギ、ヒノキ、ヒバ、がある、また我々が使っている広葉樹のカツラも特産である。

神社仏閣多重の塔など木造建築は日本特有のものが多い。昔大陸などから流入してきたものが日本で独自の発達が なされたものである。それらの建造物は日本に優れた木が豊富であったことが発達の理由に挙げられる。棺にはコウヤマキ、スギ、クスノキは住居、船材に、 ヒノキは建築用材と神代の時代から決まっていたことが古事記、日本書紀などにも記載されている。
歴史を遡ると、鎌倉時代には寺社の木彫刻が盛んに行われ運慶、湛慶など優れた彫刻家 が現われて仏像や仁王像など傑作を残しているが、材はカツラ、クス、ヒノキ、スギ、ケヤキなどが使用された。生地、乾漆像、漆塗、金箔なども盛んに使用 され名工たちが技術を競った。飛鳥、天平の金銅鋳造美術から木彫刻に移行したのは日本民族の木と関わりの深い生活と環境に影響されているように思われる。
太古の日本人というのは、自然の中に叡智があって、人間はその叡智をくみとって生かされていると考えていた。神様というのは伽藍の中にあるものではなく、ふらふらと自然の中にあって、雲の上を飛んでいたり、稲のそばにしゃがんでいたり、海の中に沈んでいたり、いろいろなところにいると考えられていた、いわば八百万の神様である。
自然との共生を魂に秘め、森林を守ってきた日本民族は、無節操に森林を伐採して行き、やがて国土の荒廃から文明が滅亡していく歴史上の世界の数々の国を尻目に、我が国独特の文化と精神を育んできた。木というものはその象徴でもある。

2013年9月20日金曜日

粋と野暮


11日付の仏週刊紙カナール・アンシェネは、2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催と東京電力福島第一原発の汚染水問題の影響を報じた記事と共に、手や足が3本ある力士の風刺画を掲載した。風刺画は3本の手がある力士と3本の足がある力士が土俵上で向き合い、防護服姿のリポーターが「すばらしい。フクシマのおかげで相撲が五輪競技になった」と中継する内容。また、別の風刺画では、防護服姿の2人が放射線測定器と思われる機器を手にプールサイドに立つ姿を描き、「五輪プールはフクシマに建設済み。おそらく(防護用の)ジャンプスーツ着用が水泳選手に許可されるだろう」との説明を付けた。同紙は政治風刺で知られる。これにたいして日本政府が不適切だと抗議をしていた。

同紙のルイマリ・オロ編集長は12日、ラジオ局のインタビューで「謝罪するつもりはない」と述べた。同日午前には、在フランス日本大使館の藤原聖也臨時代理大使がオロ氏に電話で「東日本大震災の被災者の心情を傷つけるものであり不適切で遺憾」と抗議。大使館によると、オロ氏は「そういう意図はなかった」などと釈明したという。大使館は同様の内容の書簡も近く送達する。しかし、オロ氏はインタビューで「(風刺画は)誰かを傷つけるものではない」と明言。日本も一介の週刊誌に舐められたものである。これに関連して筆者は、昨年10月にフランスの国営TV 「フランス2」に出た福島原発の影響から腕が4つある日本のゴールキーパー川島の合成写真を思い出したが、日本大使館の抗議を受けて、当時国営TVは謝罪している。いずれの風刺画も同じ発想をしていて、後発の週刊誌はTVの二番煎じの画像だ。
 
フランスのエスプリの中にCE N'EST PAS MA FALTE(IT'S NOT MY FAULT)の精神というものがあるが、自分の中には責任が不在であることをはっきりさせ、その問題からさらりと身を翻すことが出来るエスプリ。もともと小粋な精神性を意味する言葉であるが、今回はこれにやられた。挙げ句の果てに日本人はジョークがわからないなどと独りよがりの論評を加えた。
ジョークというものはどこの国にも存在する。しかしながらそれは国、そしてその言語をかなり反映するものであって、例えばイギリス人がアイルランド人をネタにし、ユダヤ人が商売をネタにし、アメリカ人が弁護士をネタにするように、ジョークというとても俗なものは、その土地の文化と深く結びついているものである。ジョークをいう人はもちろん、笑う人にもその言葉の洗練された感覚やある程度の予備知識、頭の柔らかさが必要であることは言うまでもない。
他国に対してのジョークは民族性ジョークとも言われるエスニックジョークである。このジョークは、ある民族もしくはある国の国民が一般的に持っていると思われている典型的な性格や行動様式などに着目し、その特徴を端的に表現したり、揶揄するようなエピソードを紹介することで笑いを誘うものである。このため、ある民族、国民が一般的に持っていると思われている特徴、例えば「日本人は集団主義者である」、「ドイツ人は合理的である」というような特徴が共通理解となっていて初めて成立するジョークである。自国の悲劇をユーモアで笑い飛ばすのは勝手であるが、他国の悲劇をユーモアで馬鹿にすれば当然軋轢が生まれる。そんな簡単なことも想像出来ないのかフランスのエスプリとやらは。
バカ丸出しの韓国


日本にもエスプリがある。九鬼周造は、著書「いき」の構造のなかで いき」の内包的構造として「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」 第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」気概とでも言おうか、第三の徴表は「諦め」で、執着を離脱した時に見える心境とでも言おうか。また「いき」の外延的構造として(一) 上品―下品 (二) 派手―地味 (三) 意気―野暮(四) 渋味―甘味と対立概念を列記しているが、この中の野暮は粋全体の対立語として我々日本人は認識している。すなわち野暮とは、 世態人情の機微に通じず,言動がすべてにわたって洗練されていない、精神性の薄いことをさす。
同じ日本を揶揄した野暮の極め付きは韓国のサポーターのこのアホな画像で、韓国という国の国民性がよく出ている。

2013年9月16日月曜日

アートな話「時空を超えた展覧会」


東京都美術館で開催されている終了間近の二つの展覧会を観に行ってきた。一つはルーブル美術館展(地中海4千年ものがたり)と銘打って地中海を舞台に、西洋と東洋が出会って誕生していった至宝の数々273点が時系列で展示され、地中海を取り囲む国々の民の生活が忍ばれる小物類から、彫刻絵画に至るまで歴史物語が展開していく。
もう一つはかのトリックアートの巨匠福田繁雄の娘福田美蘭の個展である。父親譲りのDNAの影響か、きわどいパロディと時代に眼差しを向けた作家の意気込みを感じる展覧会だった。リニューアルされた東京都美術館に足を運ぶのは初めてである。

●ルーブル美術館展

地政学的に地中海は東西南北ヨーロッパ、アジア、中近東、アフリカの国々に取り囲まれた内海であり、そこには絶えず侵略や強奪による国家の存亡が繰り広げられ、4000年の歴史の中で異文化の吸収と破壊のなかで生まれてきた数々の世界遺産,あるいは地中海を通じて船による交易品など、全6章にわたり地図と解説付きで展示されていた。いずれも時の支配者のために作らせたものや、民衆の生活の中から生まれたものまで多岐にわたっている。歴史は勝者によって創られるという言葉があるが、国家盛衰の果てに残ったものが巨万の富と、それを運用する時の支配者が作らせた芸術や建造物、贅沢工芸品などである。今回は膨大なそれら遺産の一端を見せてもらった。以下はその概要と感想。



序 地中海世界(自然と文化の枠組み)ここでは教科書でお馴染みの黒像式,赤像式土器の繊細な筆さばきの描画が見られる。土器の多くは壷類で、オリーブ油を入れたり水を入れたりしていたらしい。その他銀製の打ち出し杯などデザインはいずれも精緻でストーリーに満ちている。

1章 地中海の始まり  このコーナーは小物類が多く展示され、エジプトに関連したものが多く見受けられる。エジプト文字やギリシャ文字が刻まれたものや、神々(個々の守護神)を現した像など日本の八百万の神と似た感覚。

自害するクレオパトラ



2章 統合された地中海(ギリシャ、カルタゴ、ローマ)ローマ帝国による地中海支配で破壊されたカルタゴなどの遺産やローマの石棺などの彫刻、クレオパトラの彫像などが印象に残った。

3章 中世の地中海(十字軍からレコンキスタへ)
   キリスト教徒イスラム教の交差する異文化の交流を受けた工     芸品が見られる。
4章 地中海の近代(ルネサンスから啓蒙主義の時代へ)
   地中海の覇者となったオスマントルコの影響を受けた絵画、装飾品などが見られる。

5章 地中海紀行(1750~1850年)
   地中海世界への憧れから西欧の画家たちが書いた絵画が多く見られる。
  

※ 会期 9月23日(月)まで 東京都美術館


●福田美蘭展
 
案内状に誘われて初めて接する作家であるが、彼女の亡き父親はかの有名なトリックアートの福田繁雄である。父親譲りのDNAがそうさせるのか、きわどいパロディーを駆使した作品も多く見られる。画家の姿勢として眼差しを意識した時空を超えての構成になっていて、その制作意図がよく伝わている。
銭湯の背景画(富士山にマツキヨ、左にすかいらーく)

1.日本への眼差し
  第一室の最初の絵が銭湯の背景画が看板のように出てきたのでたまげた。黒田清輝の湖畔のパロディーや、北斎の富士山の反転画(逆さ富士)など意表をついた絵や、日常のオブジェなど、作品の裏で作者が鑑賞者の眼差しを弄んでいる感すらする。その裏には日本の絵画を再認識するといった意図が込められているのか?

ブッシュ大統領に話しかけるキリストと噴火後の富士


2.現実への眼差し
  9.11以降に起こった一連のアメリカを象徴する絵の中で、特に9.11を自作自演した、聞く耳を持たない独裁者ブッシュに話しかけるキリストや、噴火後の富士山などが印象に残った。


ポーズの途中に休憩するモデルと床に置く絵

3.西洋への眼差し
  セザンヌを模写し批評を加えた作品や、モナリザのモデルだった婦人がポーズの途中で休憩し横たわる絵、蝶盤付きの絵、床に置かれた絵などがある。筆者も歩いていいというからその上を歩いてみた。結構この作家遊んでいるが、鑑賞者も遊ばしてくれる。

夏ー震災後のアサリと秋ー悲母観音

4.今日を生きる眼差し
  日本の現実3.11を描いた作品が目を引いた。ただ花やモノ、あるいは風景を描いているだけの画家の内向きの目とは違い、画家を取り巻く社会の状況に眼差しを向けた、まさにサルトルが言ったアンガージュマン(社会参加)の絵であろう。
 

 ※ 会期 9月29日(日)まで

2013年9月9日月曜日

東京オリンピック

開催決定に歓喜する安倍首相

2013年9月8日(日)午前5時28分(日本時間)にアルゼンチンのブエノスアイレスのIOC総会会場で、IOC会長ロゲ氏によって、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が東京に決まったことが発表された。 東京、マドリード、イスタンプールの中で、マドリードが落選し、最後の投票で東京が60票、イスタンプールが28票という大差で、東京に決定した。

昭和のオリンピック

日本でのオリンピック開催は、1964年以来56年ぶりの大会の開催であるが、奇しくも1964年の総理は安倍首相の祖父岸信介であった。高度経済成長が始まった当時、小学生だった私も東京オリンピックを白黒テレビで見た覚えがある。このオリンピックを契機に国内のインフラが新幹線や高速道路の整備、さらに東京タワーの建設などで大幅に拡大し、経済発展に大いに寄与した。終戦後からわずか20年で我が国が奇跡の復興を遂げたのも、東京オリンピックが起爆剤になったことは否めない。
今回の2020年東京オリンピックの経済効果は直接的なもので3兆円、波及効果は100兆円とも言われる。しかし経済成長期につぎ込んだ投資と低成長期につぎ込む投資では意味が違ってくる。経済効果は大いに期待したいところだが、1000兆円以上ある国の借金を増やしてどこまでやれるのか?100兆円の経済波及効果が捕らぬ狸の皮算用に終わらないことを願うばかりだ。
一方で猪瀬東京都知事は「4000億円の予備費がある」と言っていたが、国からも相当な資金をつぎ込む話である。今回のオリンピック開催決定は、バブルの時のような高揚感を産み、国の借金(資産)は7年後のお祭り騒ぎに向かって否応なしに膨らんでいくだろう。多くの賢明な国民は借金のつけがやがて自分たちに回ってくることを知っている。

時代は変わって、招致に成功した2013年の今回の招致活動は、2016年開催のオリンピックをブラジルのリオデジャネイロに奪われると言う苦渋を飲まされた苦い体験を踏まえ、いつになく招致活動は活発に行われた。しかし開催候補都市決定寸前になって、福島原発事故による放射能汚染問題が、外国メデイアなどによって厳しく追求されたが、安倍首相は舌先三寸でこれを切り抜けた。
これまで、原発事故や地震、政治不信や隣国との関係、そして長期的な不況などで日本は一年先の見通しも立たない状態だったが、7年後の東京オリンピック開催決定により、7年後に照準をあわせて政治経済全てが動き始めるだろう。オリンピックで景気の回復と雇用の促進が進み、巷では雇用効果は15万人に及ぶとも言われているが、オリンピックが昭和の時のように日本復活の礎になることを望みたいが,そのためにはいみじくも安部首相が世界に向けて大見得を切った福島の放射線汚染問題を完全に克服する必要がある。この未曾有の原発カタストロフィを解決できれば、日本は世界中から賞賛を受け尊敬される偉大な国家として、その存在感を増すことだろう。

2013年8月30日金曜日

お笑い草

 
朴槿恵大統領と潘基文国連事務総長

ここのところ韓国の対日批判の風は年を追うごとにうんざりするほど吹いている。竹島に始まり、慰安婦、靖国と揺すりたかりのネタは尽きることはない。
朴槿恵(パク・クネ)大統領は、終戦記念日の15日、慰安婦問題で「過去を直視する勇気を持て」「責任と誠意ある措置を」と日本を批判したが、韓国こそ歴史と現実を見直すべきではないのか。直近ではそれに続けとばかり、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が歴史認識で日本に反省を求めたことは、中立を守るべき立場の事務総長の発言としては、おかしな発言である。
先に行われたサッカーの試合中に公の会場内で「歴史を忘れた民族に未来はない!」などと書いた大段幕をかざす行為と同じことをやっている。
民間では、韓国人の元徴用工が韓国で日本企業を訴えた訴訟で、新日鉄住金や三菱重工業などが相次ぎ敗訴している。昨年5月、韓国の大法院(最高裁に相当) が徴用工の請求権は今も効力があるとの判断を示したのがきっかけだが、日韓の国家間の請求権に関する問題は、戦後の日韓請求権協定2条に 完全かつ最終的に解決された」とある。日韓両政府もこれを根拠に外交上解決済みという立場だったため、  日本企業の韓国に対する不信感は強い。 こんな判決を許したら日本国の名が廃る。

竹島

竹島問題では韓国が、島根県・竹島の領有権を持たないことを示す外交文書が存在しており、1951年、米国のラスク国務次官補が、竹島の領有権を求める韓国政府に送った「ラスク書簡」で、明確に「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してない」と書かれている。その結果韓国は悪名高きり承晩ラインを竹島をラインの内側にゴリ押しして線引きしたことによって、当時の日本漁船の大量拿捕がつづいた。竹島は歴史的にも国際法的にも、日本の領土である。1905年1月28日、日本政府は閣議において同島を正式に竹島(旧名・松島)と命名し、島根県隠岐島司の所管とする旨を決定。2月22日、島根県知事は島根県告示第40号をもってその内容を公示。島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認。(これに対して韓国は何も抗議をしていない。)ところが、韓国政府は根拠のない歴史問題(後の日韓併合)などを絡めて騒ぎ、日本の歴代政権は途中で沈黙してしまった。
韓国が歴史上、竹島を実効支配したことは一度もない、戦後、国際法違反の李ラインで囲い込み不法占拠するまでは。だから日本側が国際司法裁判所に提訴することを求めても頑なに拒絶するのだ。真に韓国の領土と胸を張って言えるのであれば、国際司法裁判所の判断を仰げばよいことであって、それが争いを円満に解決する唯一最良の方法である。竹島の領有権は歴史問題とは関係ない。竹島が日本の領土になったのは、日本が韓国を併合した結果ではない。
 あの李明博大統領は、親族が何人も逮捕されるなど、自身の政治的危機から目をそらさせるために竹島上陸したが、周到な準備をしたと思われる。安倍政権も、韓国の理不尽な要求を突き返さないと、竹島だけでなく、歴史認識についても、間違っていることには『これは違う』と毅然と反論する姿勢を、国民の見えるところで見せてもらいたいものだ。明確な証拠を突き付けられても、恫喝をチラつかせ屁理屈を並べて、黒を白と言いくるめる手法もさることながら、韓国は最近、「対馬(長崎県)もわが領土」と言い始めている。
韓国の最近の過激な対日攻撃の背景には、韓国経済のどん詰りから国内の不満を対日に凝縮させる宗主国中国と同じ手法が垣間見れる。その韓国経済の実態を拾い出してみると次のようになる。
・韓国の国家予算20兆円(2011年)・日本からの円借款 3兆円
・外為基金 9.5兆円・韓国国債64兆円 半分は中国が顧客
 最近 韓国の短期外債を50%持っている中国が返済猶予期限延長拒否を発表
 韓国の中国に直近の返済額は10兆円
 韓国の輸出(財のみ。サービスは含まない)対GDP比率は、48・5%(日本は13・4%)。
 
韓国の売春産業の対GDP比率は5%と報告されている。
 
韓国は外国の需要の状況、さらには為替レートの影響をまともに受ける脆弱な経済構造を持つ国。ウォン高や中国経済の失速で輸出産業も停滞し、現在外国資本が韓国から逃げていき、金融危機が迫っている。

アメリカにある慰安婦(売春婦)像と泣き女

慰安婦問題では昨年、朝鮮日報に、「拡大する韓国型性産業、海外での実態」「『性産業輸出大国』韓国の恥ずかしい現実」として掲載された。それによると海外での韓国人売春婦についての監査では、『海外で売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、オーストラリアに約2500人、グアムに約250人いるとみられ、全世界では10万人余りに達する』と主張した〉とある。
記事には、米国での外国人売春婦の割合も掲載されており、1位は韓国で23・5%、2位はタイで11・7%、3位はペルーで10%とある。04年に韓国内の売春禁止法が強化され、08年にノービザでの米国旅行が可能になり、一気に流出し始めたようだ。韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億ウォン(約1兆2377億円)と試算されている。風俗店で働く女性は約27万人。これは、この年の国家予算である239兆ウォン(約20兆9868億円)の約6%に相当する(前述の朝鮮日報)。
「売春大国」の汚名を返上すべく、韓国では売春の摘発が強化されたが、なくなるどころか地下に潜り、さらには“輸出”までされて、ますます世界から白い目で見られている。
最近でも、これだけ性産業で働きたがる女性がいるのに、売春が公認されていた70年前、「強制連行」などという手荒な行為が必要であったかどうか、冷静に考えれば誰にでも分かる。慰安婦は、戦時の商業売春婦だったのではないか。
 現在でも、中朝国境付近では脱北した北朝鮮女性数万人が、中国人業者に売春窟や貧しい農家に売られ、それこそ“性奴隷”に貶められている。だが、「中国の属国1000年・美女献上の恨」は聞いたことがない。
 
 朝鮮半島情勢に精通する元公安調査庁第2部長の菅沼光弘氏は従軍慰安婦の旧軍による強制連行がなかったことについては、以下のとおり述べているので引用してみよう。

1965年の日韓基本条約において、5億ドルの賠償を支払う等により、日韓間の戦争に拘わる賠償は最終的に解決されました。時の李承晩大統領は、「反日」政策で有名ですが、日本への要求リストに「従軍慰安婦」はありません。戦争で徴用、徴兵された人々に対する補償は、同条約で解決したのに慰安婦は、話題にもなかったという重要な事実があります。
1983年に吉田清治という日本人が「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行」という本を出し、「軍命令で済州島に行き、若い未婚の女性等を連行した」と名乗り出た。89年にこの本が韓国語に訳され、現地新聞が取材したが、住民は「そんな事実はなかった。吉田氏は嘘をついている」と証言。91年にNHKも現地取材したが「軍に連行された」人も一人もいなかった。91年8月11日付けの朝日新聞が金学順氏を取り上げ、「「女子挺身隊」の名で、戦場で連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた。」と報じた。しかし、金氏は韓国向けの会見では、「貧しさのため母親に40円でキーセンに売られた。自分を買った義父に連れられて日本軍慰安所に行った」と証言しています。彼女は日本政府相手に訴訟を起こしていますが、訴状にも「親に売られた」と書いています。この記事を書いた植村隆記者の妻は、韓国人で、その親は日本政府相手に裁判を起こしている遺族会の幹部でした。
92年1月に朝日が報道した「軍の関与」とは、なんと「慰安婦募集業者がトラブルをおこさないように取り締まること」でした。日本政府は、一年近く調べたが、慰安婦を権力によって強制連行したという文書は出てこなかった。韓国ソウル大安乗直教授は、名乗り出ていた40人の「慰安婦」の聞きとり調査を行い、「権力による連行は証明されていない」といっている。93年8月の「河野談話」では「本人の意志に反して連行が行われている」とされたが、日本軍が強制連行したと書いてはいない。
ともあれ、韓国は今後、米国以外にも慰安婦像を設置すると息巻いているが、これは自国の退廃文化を他国の責任とした韓国政府と、古代から女性を売り続けてきた朝鮮半島の哀しい歴史を証明するものである。

首相の靖国参拝に口を出す中国、韓国は70年前のことをほじくり、未来永劫反対反対と念仏を唱え続けるだろう。自国の窮状を背景に日本たたきの目眩かしをして、日本が手を差し伸べると思ったら大間違いで、お笑い草である。
 

2013年8月18日日曜日

売買雑感


今年の暑さで繁盛しているネットスーパーの売り上げがここに来て昨年の2倍ほど伸びているらしい。この暑さで重い買い物袋を下げウロウロしたくない主婦層の志向性が出たようだ。ネットを利用して大手スーパーの買い物が、居ながらにして出来るというわけだ。もともと高齢者や来店困難者を対象に伸びていたシステムではあるが、人間だんだん横着になってきて、暑さも手伝ってその利便性に利用客が増えたのだろう。うちのカミさんはまだ利用していないが、さすがに連日の暑さで台所に立つのが嫌になり、外食にお伴することが増えてきた。「風が吹くと桶屋が儲かる。」といったものだが、気候と経済は切っても切れない関係にあるようだ。ビールの出荷量も増え、我が家でも暑気払いにこの夏の酒の量も増えている。



世界には71億以上の人々が存在するが、インターネットを利用している人は僅か20億にすぎない。全世界で最も利用者の多いFacebookであったとしても、それを利用していない60億の人々が存在する。毎日数億の呟きが生成されるTwitterだが、呟く人々以上に「物言わぬ人々」が存在する。
物が売れない低成長の時代だからこそ「消費者の望む物を知る」、そんな必要性が現れ、どの企業も客のニーズに答えようと日々企業努力を怠らないように努めている。

思えば私がPCをやりだしたのが2000年にかかる頃だった。1990年代から一般利用が始まったインターネットは、当初電話回線を利用したダイアルアップと呼ばれる接続方式が主流で、通信料金も接続時間によって課金される従量課金であった。そのため、使う必要性のある時に接続する利用が殆どであり、有料範囲でのPC操作が煩わしかった覚えがある。コンテンツも通信回線が細かったためテキスト主体のサイトが殆どで、今のようなリッチなサイトは殆ど無かった。それでも、今まで触れたことの無い情報に触れる喜びと、圧倒的な情報量が人々を虜にした。

2000年代になると、ADSLが導入されブロードバンドの時代に進む。通信速度が劇的に向上し、常時接続となり、今までのインターネットの利用方法を一変する事態が起きた。
従量課金の時代には多くの人々にとって、インターネットとは必要な時に情報にアクセスするものだった。幾ら接続していても通信料金が変わらないという状況になり、人々は自らが発信者になることを望みだした。Web2.0の誕生である。ブログやSNSが誕生し、特別な知識が無くても、誰でも簡単に情報を発信し、距離を越えた人々と繋がる喜びを手に入れた。そして現在、スマートフォン、タブレットといったパソコンに変わる新たなデバイス。この新たなデバイスは何時でも何処でもインターネットにアクセスする事を可能にし、人々を場所の制約から解放する。ワークスタイルやライフスタイルを激変させている。日々電車の中では老若男女携帯を眺めている光景が目につく。

最近成長著しいeコマースの業界では、楽天、アマゾン、ヤフーなど私もよく利用させてもらっているが、全国の産地から希少なものから人気商品まで、あらゆるものが手に入る。特にアマゾンは書籍から始まってあらゆる商品が新旧取り混ぜ、しかも不用品まで中古として売買できる。またヤフーの場合はオークション売買を利用しているが、売り手は競争が激しいので高く売れるが、買い手の方は値が上がりすぎて買えない場合もよくあることだ。安くて良い掘り出し物を探す場合、競争の少ない楽天オークションの方がヤフーより安く手に入るので、私は両方のオークションを利用している。

2013年8月11日日曜日

原発の謎


今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同した。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めたが、しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切った。そして今月9日、被爆68年となる長崎原爆の日に、長崎市で平和祈念式典が開かれ、席上で田上富久市長は平和宣言で、政府が共同声明に賛同しなかったことを「被爆国としての原点に反する」と強く批判。核廃絶にリーダーシップを発揮するよう求めた。このように今や政府の不可解な言動の裏には必ずアメリカの影が映るのを気づいている国民は多いと思う。


いろいろな情報源から謎解きをしてみよう。現在問題の原発は54基全てアメリカ型であり、基本的には日米原子力協定という、原発をアメリカが日本に売るためまたは日本がアメリカから原発を買うためのルールがつくられた。1955年自民党政権時の立党宣言には、原子科学を推進するということが謳われていて、この年は最初の原子力協定が成立した年でもあった。さらにこの協定は日英であったり日仏であったりと他の2国とも結んでいる。最初の日米協定はアメリカから実験炉とウランを買うことを決めた契約で、同時に自民党は原子力基本法の制定も行っている。そして核燃料の再処理を英仏に委託している。
戦後中国、北朝鮮、インドそしてパキスタンが核兵器製造システムを進歩させてきた一方で、日本など西側陣営は、これら急増する脅威に対抗するため連携を強めてきた。1960年代にアメリカのジョンソン大統領と日本の佐藤栄作首相の間で秘密裏に会談が行われ、そこには首脳に次ぐ日米の指導者層も集まり、増大し続ける東アジアの軍拡競争に対抗するため、日本の戦力を強化する目的でアメリカの核製造技術を秘密裏に提供することが、国際戦略の一部として決定された。この方針はレーガン政権の時に最高潮を迎え、アメリカ国家の政策を劇的に変化させた。アメリカ政府は、日本に送られた自国技術に由来する核関連物質の取り扱い権限を、事実上全て日本に譲り渡した。
この日米原子力協定の有効期間は30年と決まっており、1988年に2回目の締結の後2018年7月に満期を迎えることになる。この協定がある以上脱原発は夢のまた夢となるのだが,協定を更新するも破棄するもこれを決断する時の政府の責任は重い。
六カ所村


青森県の北東部にある僻遠の地、ウラン濃縮施設がこの六ヶ所村にある。この施設では使用済みのウラン、そしてプルトニウムから、再び核燃料を作り出そうという『再処理』が行われている。ここは分離プルトニウムの上手な隠し場所として使われ、その量は9トンにもなるが、専門家によればこれだけあれば優に1,000個以上の核弾頭を製造することが可能なようだ。
 核兵器の製造・所有は一切行わないことを誓い、目下54基の原子炉の内2基しか稼働していない日本において、この六ヶ所村は唯一の例外のようにも見える。

日本政府は片方では2040年までの原子力発電の段階的廃止を謳っておきながら、一方では六ヶ所村が核燃料の再処理を行い、原子力発電所に燃料供給を行うことになっている。再処理によって創り出される核燃料により、日本は2050年代になっても原子力発電を稼働させ続けることが可能になる計算だ。


しかしこの矛盾は、日本政府の『原子力発電の段階的廃止』という目標が、ほとんど無意味なお題目に過ぎないことを証明するもので、日本が、野田政権の時、今原発をゼロにすると閣議決定したときに、アメリカから文句を言われ引っ込めた。
プルトニウムだけを持ってしまうことが、原爆製造につながることになりかねず、核散防止の建前上、再利用としての高速増殖炉と、プルサーマル発電は続けろとアメリカは指示する。その後ろでアメリカ政府を動かしているのが、ウラン鉱山を専有しているロスチャイルド一族である。

六ヶ所村再処理工場は、完成が15年も遅れている上、資金繰りについては全く行き詰った状況にあるが、政策に対する強い影響力だけは衰えていない。この再処理工場には、すでに2兆2000億円もの巨額の資金がつぎ込まれているが、かつては貧寒とした農漁村であった六ヶ所村の古川健次村長は、補助金が無ければこの村はやっていけないと語気を強める。 村は雇用についても歳入についても、再処理施設への依存割合を高め続けて来た完全な原子力村である。
公的には核兵器を持たないことを表明している日本は、非核国家の中で最大量の分離プルトニウムを抱え込んでいる。その日本がもし、原子力発電の廃止にも関わらず使用済み核燃料の再処理を続ければ、世界中の核開発能力のある国々に誤ったメッセージを送ることになると、アメリカは主張している。日本政府はこうした不安を払しょくするため、2040年までの原子力発電所の廃止は、義務ではなく目標であるといち早く表明したが、国際的圧力によって、技術的には可能な日本の脱原発も着地点の見えない状況になっている。

日本がもし原子力発電という手段を放棄してしまえば、日立製作所とゼネラルエレクトリック、そして東芝とウェイティングハウスとの提携により支えられるアメリカの原子力産業が、その技術的な協力者を失ってしまう事で、原子力核技術の優位性がアメリカにとっては、中国やロシアのそれに並び追い越される懸念材料として存在するようだ。
しかしそんなことよりも100年や200年では片づくはずのない、危険な高放射性廃棄物やプルトニウムをこれ以上『作らないようにする事』の方が、はるかに緊急性の高い問題であり、しかも、六ヶ所村再処理工場は、動き出せば高濃度の放射性廃棄物を毎日海に捨て続けることになるとは小出教授の弁である。(小出裕章氏著『原発のウソ』)。
さらに原子力発電を続ければ、核廃棄物の量が増え続けることになり、これに福島第一原発の事故が生み続けている高濃度汚染水、除染後の土などの低レベル放射性廃棄物まで加えれば、この国の汚染はいったいどれ程のものになってしまうのか、空恐ろしい気分になる。
福島第一原発の現状

小出教授はさらに続ける。「政府や東京電力は安全だと言っています。しかし、現場作業員は信じていない。大きな危険があります。私が個人的に心配なのは第4号機です。建屋は地震によって大破しました。4階の燃料冷却プールには約1300本の使用済み燃料棒があります。その上の階には新品の燃料棒が貯蔵され、重機がたくさんあります。すべてが、非常にきわめて深刻な状態です。大地震が再び起こったら、建屋は崩れ落ちるかもしれません。そうなれば、新たに連鎖反応が起こる可能性が非常に高いです。つまり、外気にさらされた状態で炉心融溶が起これば、今までの私たちの知識からすれば、日本の終わりだ。その場合、放射線は死に至るほど危険であり、敷地内での作業は一切できない。その結果、第1号機、第2号機、第3号機、第5号機、第6号機も制御できなくなるであろう。ハルマゲドンだ。「一番心配なのは、破壊された原発で働ける専門技術者が、もうすぐいなくなってしまうことです。大半の技術者は、被爆量が被爆限度量に達しているからです。」まだ被爆していない専門教育を受けた労働者がいなければ、この大惨事を制御することは不可能だ。仮に今後40年間、専門教育を受けた技術者や専門家を十分に確保できたとしても、問題が一つ残る。日本ばかりでなく、世界も変えるかもしれないような問題が発生する可能性は消えてない。」

現在原発の最前線で働いているのは下請けのまた下請けの日雇い労働者で、原発保守管理のもと過去30年のあいだに福島も含めて、点検整備や事故処理で700~1000人以上が被爆によって命を落としていることやこれら特攻隊のこともまともに報道されていない。これらの中にはホームレスや貧困層に的を絞って日当2万5千円以上(と言っても多くは中間業者にピンはねされる)で40代から60代ぐらいまでの作業員を募集している。筆者も横浜市の瀬谷区の路上で募集チラシを見たことがある。多いのは西の釜ヶ崎、東の山谷、横浜の寿町といったところか。とにかく全国から募集しているのだ。

いま、数十万人の原発難民が、美しい故郷を破壊されて帰る場所を失い、半径280kmに住む2500万人以上の頭上に放射性物質が降りた。国際社会に対するメンツを失うのを恐れた政府は、放射能の基準を国際標準の何倍にも緩め、それを持って大地も空気も水も食品も「問題なし」と言い切ってきた。国家が知っていて言わないことを、知っていて尋ねないマスメディア。新聞を眺める限りでは、国家が知られたくないこと、伝えたくないことをほじくっている記事がほんの僅かで、国家の言うままを国家の指定した順序で書いているだけの記事が大半を占めている現状では、国民は疑心暗鬼に陥るしかない。既に産地偽装の食品が各地のスーパーに出回っているようだ。

今回のようなクラスの大地震がほかの地域の原発に襲ったら、津波の前に原子炉核納容器以外の配管は、その脆弱さゆえにズタズタになる運命にあり、第二の福島が震源地に近いところに出現するだろう。原発再稼働どころではない。広島や長崎に落とされた原爆のように、日本は世代に渡る後遺症の大きさに直面するであろう。事故現場から20km以内の範囲は、居住不可能であると考えられる。そこは、国家的犠牲を背負った土地だと言える。未来永劫日本は原爆を背負って生きていく呪われた国なのか?今や我が国は歴史的に非常に重大な岐路に立たされている。
日本は二つの核開発プログラムを並存させている。公にされたプログラムは、無限のエネルギーを国家に供給するための核開発だ。しかし、そこには隠された計画が含まれており、それは、日本が原料として十分な核物質を蓄え、極短期間で主要核保有国に成り得る技術力を醸成すること、つまり宣告されることなき核兵器製造プログラムがある。巷では原発がプルトニウムを製造して、アメリカに輸出していただとか、福島は核燃料製造工場だとかが囁かれているが、国の機密事項であろうからなかなか裏は取れない。
汚染水の垂れ流しが延々と続く福島原発だが、ここに来てようやく政府は東電福島第1原発の敷地周囲の土を凍らせて地下水の流出を防ぐ「凍土方式」に国費を使う方針を固めた。予算は数百億円に上るという。もはや東電任せにはできない段階に入った。