2009年7月3日金曜日

アートな話「虚構と事実の間」



映画が世に登場して110年強、フィルムの存在自体が変化しようとしている。いわゆるデジタルシネマの登場である。これまで映画製作において、フィルムはなくてはならない存在であったが、デジタルデータによって、撮影、編集、配給、上映を行う規格を示したいわゆるDCI(Digital Cinema Initiatives)規格が、06年にハリウッドメジャーを中心とした映画業界に支持されてきた。これがきっかけとなり全米では08年中にデジタルシネマを実装したスクリーンが、5,000を超えたとされている。日本ではゲキ×シネがスタートした04年当時には、わずかに10スクリーン足らずだったデジタルシネマが、09年中にも300スクリーンに届く勢いで普及しつつある。最近ではゲキシネと称したデジタルシネマが紀里谷和明監督によって、映画「GOEMON」が話題になっている。




西の怪盗ルパンに対して東の大泥棒石川五右衛門がお馴染みの話である。
石川五右衛門は空想の人物か実在の人物かは,浄瑠璃や歌舞伎で語られる五右衛門はフィクションの領域に入っているが、石川五右衛門自体はいくつかの記録にも残っており、実在の人物である。具体的に残されている記録は処刑に関する次のものある。秀吉の時代[安土桃山時代]、日本に滞在していたスペインの貿易商アビラ・ヒロンが残した「日本王国記」にその記録が残っている。それによると都を荒らした15人の頭目が捕らえられ、京都三条河原で生きたまま釜の油で煮られた(揚げられた)とされ、この短い一文に,当時やはり日本に滞在していたイエズス会の宣教師ペドロ・ホレモンが注釈を入れている。「この事件は1594年の夏であった。




油で煮られたのは Ixicava goyemonとその家族9人ないしは10人であった。彼らは兵士のようななりをしていて10人か20人の者が磔になった」佐久間正 他:著 「大航海時代叢書11 日本王国記:日欧文化比較」岩波書店 1965年その他、わずかに残る記録では(例えば「豊臣秀吉譜」林羅山編 1642年に徳川政権下において記録)「文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって(京都所司代の)前田玄以に捕らえられ、母親と同類20人とともに釜煎りにされた」とある。
少年時代に押し込み強盗に入って3人殺したのが始まりとされているが、その後何人殺したか分からない人間で、およそ義賊といえるような人物ではなかったといわれている。一般的に知られる五右衛門の半生は、当時、五郎吉と名付けられて育ったが、手に負えない非行少年であり、14~15歳頃に父母が死んでしまう。この頃最初の盗賊を働き、押し入った屋敷で3人を殺す。
その後20歳頃になって伊賀忍者の修行をする。 伊賀の頭目:百地三太夫から伊賀流忍術を学ぶ。しかしこともあろうに師であり伊賀の頭目でもある三太夫の妻と密通。さらにその妾を殺害して伊賀の抜け人となる。その後、悪の徒党を組みその親分となる。しかし相手としたのは権力者や悪徳を働いて金を稼いだ者のみとされ、義賊とされて人気を博した。


この頃は豊臣による圧政、貧困、朝鮮出兵などで秀吉の人気は地に落ちていた。そのため、義賊である石川五右衛門は庶民からは大変な人気を得ることとなった。その後の有名な話として必ずドラマなどに出てくるのは、秀吉の甥である豊臣秀次の家臣:木村常陸介から秀吉暗殺を依頼される。しかし、秀吉の寝室に忍び込んだとき、香炉(鶯廊下などともいわれる)が鳴って御用となる。そして秀吉の命により釜茹での刑となると言ったストーリーである。。

また、釜茹での刑(実際には釜揚げの刑)にされたのは1594年の10月8日とされている。一般には釜茹での刑とされているが、実際には煮えたぎる油の中へ放り込まれたとされている。京都三条河原は何度か言ったことがあるが、この地でこの処刑が行われたことは、普段釣った魚を唐揚げにしている身としては五右衛門の顔とカサゴの顔がダブって複雑な思いがよぎる。信長の残忍さは有名であるが、秀吉も負けてはいない。
石川五右衛門は安土桃山時代の盗賊であるが、伊賀の抜け人であったとか,30人力の熊のような体躯であったとか、少年の頃にすでに盗みを働いて人殺しを働き始めた、などのことが語られているが、しかし、歴史に残る記録ではこれらについて正式に語られた文書は存在せず、いずれも真実とはいいがたい面がある。処刑のとき以外ではフィクションが大半と見るべきであろうか。おそらくは悪逆非道な盗賊ではあるけれども、義賊的な一面があって、それが後年歌舞伎や浄瑠璃で誇大的に語られるようになったのであろうともいわれている。いつの時代も善と悪は紙一重。巨悪は善に通じ、巨欲は無欲に通じるとは誰かが言った言葉であるが、、、、。釜の中で詠んだという有名な辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」も本当かな?

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