2013年12月31日火曜日

一本釣り


今年も毎年4~5回はある忘年会の最後は、家族集まっての締めとなるわけだが。はて今まで何回年を忘れたことやら。
竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる。
 
その年が終わりまた次の年に心がリセットされ、新たな年に向かって人は歩み始める。良い年であろうが、悪い年であろうがロマンを求めて淡々と生きるしか我々小市民には生きるすべはない。
我が国を取り巻く国際環境や社会環境あるいは原発に象徴される自然環境など、重くて抜き差しならないこの時代に、どっこい我々は生きている。

忘れたいこともある中で、日々の中で記憶にとどめておきたい心の内を自身の記録として保存し、私に関わっている身近な人々に発信することで始まったこのブログも早いもので6年が過ぎた。
基本的には自分たちを取り巻く世界や社会の疑問を解き明かす知識欲がモチベーションとなり、このブログも回を重ねている。いわば私自身が、広大な知識の海に一人小舟に乗って釣り糸をたれている釣り人のようなものであろうか。まさに竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる風景が思い浮かぶ。情報の洪水の中で取捨選択をしても有り余るものがある。少なくとも間違った情報や偏った情報に陥らないように心がけてはいるが、情報は釣った魚のように生ものである。取り扱いを間違うと腐臭を放つ、煮て食おうが焼いて食おうがあるいは刺身で食おうが、それは釣り人の勝手である。そのような日々の中で食べる側(読者)の美味に浸る顔や、まずいものを食わされた顔を思い浮かべながら魚という情報を追いかけている自分がいる。

そして魚(情報)を探してくれる道具が魚群探知機であるところのインターネットだ。大学時代には調べものがあれば図書館に行かなければ見つからなかったものが、今の時代はネット検索で有料無料にかかわらず居ながらにして大概事足りるので便利になったものである。いわば我が家の書斎が図書館でもある。

めまぐるしく変わる時代の流れに翻弄されつつ、この年末には我が工房も実験的にハードルは高いが、巨大化するネット通販のAmazonに出品することにした。昨今の消費性向も上向かない状態が続き景気低迷の中、どの業界も 生き残りをかけてしのぎを削っているが、来年は景気が上向くことを期待しつつ、まずは良いお年を。

2013年12月19日木曜日

増長する中国

建国60周年式典

先月中国は、「東シナ海を中国の防空識別圏に設定する」という中国国防省の発表で、新たに日本に挑発を仕掛けてきた。その後の日米の対応の経緯は、一連の報道のとおりである。
中国国防省が尖閣諸島上空を含む東シナ海を防空識別圏に設定した背景には、日米同盟に対抗する意図がある。日本版NSCに対抗する形で、発表された中国版NSC「国家安全委員会」と並び、習近平政権の日本に対する強硬姿勢を国内外にアピールする狙いがあるようだが、もとより、尖閣諸島上空は日本の領空であり、中国が防空識別圏を設定する権利はどこにも存在しない。中国の行為は、軍事力によって現状の変更を図るものであり、アメリカもB52爆撃機2機が26日に尖閣諸島付近で飛行訓練を行い、中国の脅しに対抗した。

中国は、ほぼ10年おきに支配地域を拡大してきた歴史がある。70年代に南シナ海の西沙諸島、80年代に同じく南沙諸島、90年代に東シナ海という具合に進出し、2000年には西太平洋に出てきている。これらの動きの中で、表向きは資源調査のものもあるが、実際は軍事目的。潜水艦の通り道として海底の構造などを全部調査している様子だ。今年4月には宮古海峡を堂々と中国の軍艦や潜水艦が通過して、西太平洋で大演習をやった。
 

防空識別圏とは、国などの防空上の理由から設定された空域のことである。大半はアメリカ軍によって設定されているが、アメリカ軍の被占領国や保護国が慣例として使用し続ける場合もある。日本の防空識別圏は1945年にGHQが制定した空域をほぼそのまま使用しており、航空自衛隊の対領空侵犯措置の実施空域に指定している。
尖閣を奪い取るため、度重なる領海侵犯に加えて、空でも威嚇、脅しをかける腹のようだが、海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射事件の例でも分かるように、憲法9条の制約で先制攻撃ができず、やられた場合の反撃しかできない日本の足元を見透かしているのだ。
声明では防空識別圏を飛行する航空機は中国外務省や航空当局に飛行計画を通報することや、防空識別圏を管理する中国国防省の指示に従うことなどが明記され、従わない場合、武力による緊急措置をとるとしていて、我が国はこれを無視しているが、アメリカは逆の行動に出て、日本は梯子を外された格好になっている。米国債保有国1位の中国を配慮したのかは知らないが、同盟国としての不甲斐なさを見せつけた。


大規模なデモ



中国はアヘン戦争以来、列強から国土が蚕食されたという屈辱の近代史の体験から「力がなければやられる」という危機意識が根底にあり、経済発展とともに軍事力を増強してきた。増長する中国は、経済力に支えられた軍事力が公表されている数字よりも多い軍事費国家予算として計上されているようだ。一方で2012年には、公表された国防費よりも多い国内で起きる毎日800件以上の暴動やデモに対する公共安全費(暴動鎮圧維持費)が約9兆円と言うすごい数字になっている。ではその土台となる国家経済はどうなっているのか。

2008年のリーマンショックで崩壊した経済を再建しようと、各国政府が財政投資に巨費を投じたことは記憶に新しいところである。その中で中国政府は4兆元(64兆円)の景気浮揚策を行うこととなった。しかし、大紀元によると中央政府が投じた資金はわずか2000億元(3兆2000億円)で、残りの約60兆円は国有企業や地方政府が自分たちで資金調達を図って景気浮揚策を実効せよと言うことになった。
ゴーストタウン(鬼城)

そのため、国有企業や地方政府は大銀行から融資を受けることになったが、地方政府は直接銀行からお金を借り受けることが出来ないため、投資会社を経由して調達することになり、その結果、2010年末にはその資金は政府が計画した景気浮揚資金170兆円までにふくれあがり、その巨額な資金が不動産開発や公共事業資金として 市場に投入されるところとなった、というわけである。その結果、各国がリーマンショックから立ち上がるのに四苦八苦しているのを尻目に、中国経済はV字型に回復しGDPの伸び率が一時期12%となって世界経済の牽引国となったのである。それは 一方で中国の不動産バブルを巨大化させ、北京や香港の都市部のマンション価格を急上昇させ、地方都市では、人の住まない巨大な幽霊公団住宅が あちこちに出現するところとなった。


第一生命経済研究所資料
ところが、最近になって国有企業や地方政府が集めて投資した資金の総額は10.5兆元どころか、なんと30兆元(480兆円)を超えていること が明らかとなったのである。この金額は中国GDPの55%に当たり、日本の国家収入の10年分というからとんでもない金額である。これだけの資金が不動産関連に投資されたのだから、巨大バブルが発生して当然である。
この膨大な資金の流れを追っていくと、そこにシャドウバンキング(幽霊銀行)なる存在が浮かび上がってくるのだ。地方政府の役人達にとって大量のカネの流れは得るところが多く、また中小の地方銀行にとっても不動産開発や公共事業への融資はうまみのある商売であった。高金利で融資が出来るし、地方政府の保障が得られるからである。そのため大量の資金集めのため、 新たな投資信託会社なるあやふやな銀行もどきの会社を設立して、一般の欲の皮が突っ張った民間大衆投資家たちに理財商品という高利回り商品を販売してきたのである。
この理財商品の販売については、これまで中央政府への届け出が義務付けられていなかったため、中国政府の財務省もその商品の販売額がどのくらいの額に達しているのか十分に把握できていなかった。従って、先頃判明した30兆元(480兆円)なる景気浮揚資金の数値も正確なものではなく、更に大きなものになっている のではないかと言われている。そして最近になってこの裏勘定も、とうとう中国の中央銀行が助けない(助けられない)宣言をしたという次第である。

国内融資の82%を占める4大銀行の主な融資先である国有企業のうち、半数以上が赤字とされる。中でも不動産の売れ残りが約60兆円あり、潜在的な不良債権総額は最大約250兆円に達するという。日本のバブル崩壊時の不良債権が約100兆円であったから、驚くべき金額だ。
巨大な資金を集めていた地方政府や国有企業が不動産バブルの崩壊によって一気に破綻し、中国経済の大失速が始まるのは、もはや時間の問題であろう。その時起こることは、民間投資家の暴動と一般庶民の大騒乱、はたまた資金確保のために中国政府が米国債を売りに走った場合は世界経済に与える影響は甚大である。
次の金融危機は中国発になりそうだ、とおおかたの評論家は口を揃えている。

2013年12月9日月曜日

世界のブラックホール

堤 未果 (株)貧困大国アメリカ
資本主義経済の権化であるアメリカ経済が、すさまじい勢いで人類史のしくみを動かしている。前著の『ルポ貧困大国アメリカ』(2008年)で描いたブッシュ政権の政策は、市場こそが経済を繁栄させるというフリードマン理論がベースになっていた。政府機能は小さければ小さいほどいいとして規制緩和を進め、教育や災害、軍隊や諜報活動など、あらゆる国家機能を次々に市場化してゆくやり方である。
だが、イラク戦争や企業減税などの政策により、国内の格差が一気に拡大、さらに世界中を巻き込んだアメリカ発金融危機に、レーガン政権以降の新自由主義万能説への批判が高まった。不信感は2008年の政権交代につながり、「チェンジ」を掲げるオバマ政権下では、経済政策の軸を市場に委ねる「小さな政府」から、政府主導で経済再建を目指す「大きな政府」へと移ってゆく。
 そして『ルポ貧困大国アメリカⅡ』では(2010年)のオバマ政権下で、国民を監視する政府権限が真っ先に強化された。巨額の税金が大企業やウォール街に流れる一方で、公務員の行動は管理され、SNAP(フードスタンプ=生活保護)人口は拡大し、無保険者に民間医療保険加入を義務づける法律が成立した。
人々は今、首をかしげている。オバマ政権が大きな政府であれば、なぜ二極化はますます加速しているのだろう。株価や雇用は回復したはずなのに貧困は拡大を続け、医療、教育、年金、食の安全、社会保障など、かつて国家が提供していた最低限の基本サービスが、手の届かない「ぜいたく品」になってしまった理由について。かつて「善きアメリカ」を支えていた中産階層や、努力すれば報われるといった「アメリカン・ドリーム」はいったいどこへ消えたのか。

現象は本質に先行するとはサルトルの言葉だが、いま世界で起きている事象の縮図が、アメリカの実体経済と重なってくる。その根幹を探っていくと、1% vs 99%の構図が世界に広がる中、人々の食卓、街、政治、司法、メディア、人々の暮らしを音もなくじわじわと蝕んでゆく。ブラックホールのような巨大企業に飲み込まれ、株式会社化が加速する世界、民営化(あらゆるものを商品化)、労働者の非正規化、関税撤廃、規制緩和、社会支出の大幅削減…。 エスタブリッシュメント(既得権益者集団)たちはさらにロビー活動や工作、買収を繰り返し法を変え、世界を凄まじい勢いで取り込もうとしている。多国籍化した顔のない「1%」と「99%」という二極化が世界に拡がりつつある。果たして国民は主権を取り戻せるのか!? 日本の近未来を予言する完結編というわけで、前作よりも読み応えがあった。

本書は5章からなっているので概要を手短に解説してみよう。
第1章 株式会社奴隷農場
第2章 巨大な食品ピラミッド
第3章 GM種子で世界を支配する
第4章 切り売りされる公共サービス
第5章 「政治とマスコミも買ってしまえ」
エピローグ グローバル企業から主権を取り戻す

1.株式会社奴隷農場

養鶏業や養豚業を例に取り、生産、と畜、加工、流通を傘下に入れた総合事業体(インテグレーター)が中小の生産農家においしい話で契約させて、設備投資に借金をさせ、低コスト、短期大量生産のシステムに組み込まれ、親会社の下請けの労働者になり、初期投資の借金地獄と低収入から抜け出せなくなる仕組みが常態化している。
このような工業的考えから作られる農場は、安全や健康という視点は置き去りにされ、それを監視するための法律ですらこの業界からのロビー活動により年々骨抜きになってゆく。限られた飼育面積の中に詰め込まれた家畜は、自然の摂理に反して成長剤による肥大化と、ストレスによる病気発生を防ぐために大量の抗生物質を与えられる、その結果アメリカの抗生物質の7割は家畜に使用されている。このようにコストと生産性を追求する企業は、さらなるコスト削減を目指して、新たに囚人といった極め付きの労働力を手に入れ、この30年で全米30万件の家畜農家が消滅していった。



遺伝子組み換え(GM)作物  
アメリカでは1996年からこのGM技術を使った種子の発売が始まり、国内で販売されている食品や加工品の9割はGM作物が原料となっている。しかしGMは新しい技術のため長期にわたる環境や人体への影響を検証した実験結果が確立されていない。そのため安全性については今も議論が続いており、世界では35カ国がGM作物の輸入を規制または全面禁止措置中である。すでにフランスにおいてラットなどの動物実験では発がん性が認められている。

2.巨大な食品ピラミッド            
決められた時間に並ぶSNAP受給者の列


レーガン政権下の独占禁止法規制緩和によって、寡占化が進み小売業の頂点に躍り出たウォルマートやコストコは巨大化するに連れて食品業界を支配下に置くことになる。とくにウォルマートは全米に4740店舗を展開し世界一の小売業者となった。またこれらの企業はSNAPで大きな利益を得ている。SNAPとはアメリカ政府が低所得層や高齢者、障害者や失業者などに提供する食料支援プログラムだ。以前は「フードスタンプ」と呼ばれていたが、2008年にSNAPと名称を変えている。クレジットカードのような形のカードをSNAP提携店のレジで専用機械に通すと、その分が政府から支払われるしくみだ。
「SNAP」とは補助的栄養支援プログラムのことで、貧困家庭に支給する「フードスタンプ」と呼ばれるカードで食料品を購入する仕組みである。SNAP受給者は年々増加。2012年8月31日のUSDA(農務省)発表では、約4667万373人と過去最高に達した。1970年には国民の50人に1人だったのが、今では7人に1人がSNAPに依存していることになる。
要するに「まともな待遇の雇用を確保するよりも、低賃金の単純労働+SNAPでとりあえずなんとか食べられるくらいの保障はして生き延びさせ、その食費も大企業に吸収される」ようになっている。

3.GM種子で世界を支配する

反モンサントキャンペーン
モンサント社は世界の50以上の種子会社を買収し、害虫、雑草を駆除する毒性の強い農薬とセットでGM種子をあらゆる国に売りつけ、その統合的なシステムから抜け出せない巧妙な手口で、戦後イラクの農作物、やインドの綿花の工業化を推し進め、世界の穀物倉である農業大国のアルゼンチンも世界2位のGM作物輸出国に変貌させた。その裏ではそれらの国々の大量の農業失業者と地場農業の崩壊や自殺者を産み出し、自国のみならず世界各地の農業生産者を踏み台にして、モンサントをはじめとする多国籍企業体は肥大と膨張を続けるモンスターである。
2013年3月にオバマ大統領はGM種子を野放しにする(モンサント保護法)を成立させ、国民は後に25万人の署名による撤回を求めた。しかしモンサントを頂点とするバイオテクノロジー企業から政治献金をたっぷりもらっているオバマはこれを撤回できない。農業も大規模工業化の流れは止まらない。生産効率と利益拡大を旗印に生産農家も末端の労働者になりつつある。モンサントはGM種子と農薬肥料で巨大化していく。遺伝子組み換え作物で消費者の健康や環境に被害が出ても、因果関係が証明されない限り、司法が種子の販売や植栽停止をさせることは不可とするもので、日本でもかつて様々な公害が発生し、その教訓をもとに法整備がされているのに、現代のアメリカではそれに逆行する法案が成立している。
廃墟の街デトロイト


4.切り売りされる公共サービス

アメリカで、現在世界を覆う多国籍企業による国家を呑みこんだ寡占化は徹底している。利潤追求のため、あらゆるジャンルを市場の原理に置き換え、私たちの食、医療、教育や警察、消防の自治体サービスなどセーフィティネットを次々に効率が悪いと梯子を外してゆく。それが顕在化したのが、つい先日のデトロイト市の破産宣告。このままでは全米の自治体の9割が5年以内に破綻するといわれている。それは既得権益を排除するという例の威勢のいい掛け声に乗って、規制緩和、民営化という手順を踏んで進められる。財政削減のみ旗のもと多くの公共サービスが削減され従事していた労働者の失業は増え続ける。
筆者は鋭く問いかけている。「教育」、「いのち」、「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が徹底して民営化された時、はたしてそれは国家と呼べるのだろうかと。
自由貿易という発想そのものが、多国籍企業と法治国家の力関係を逆転させる性質を持っている。多国籍企業の目的は株主利益であって、それを生み出す地域やそこに住む人々に対しての責任はない。そのため多くの場合、勝ち組は多国籍企業、労働者は負け組になる。
そして今進んでいるのがTPPである。これは、NAFTAや米韓FTAとは比べ物にならない規模での多国間自由貿易協定で、日本も渦中にあるが、これが成立すれば「自由貿易」というお題目の元、農業や食肉など「安心・安全」が大切な部門であっても、利益と効率だけを目指した企業と戦わなくてはならなくなる。どちらが勝つのだろうか。
この格差社会の果てに何が待ち受けているかを見るなら、それはアメリカ社会を見ればわかる。新自由主義の成れの果てがどうなるかということがリアルに書かれている。これを読むと日本の構造改革が何を目指しているのか、如実に見えてくる。アメリカの超格差社会は明日の日本の姿である。

5.政治とマスコミも買ってしまえ

今、世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えたポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム(政治と企業の癒着主義)」に他ならないと著者はいう。
コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだ。巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、
国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団がクライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、、刑産複合体(刑務所民営化によるタダ同然の労働力提供システム)、教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引き換えに企業寄りの法改正で「障害」を取り除いてゆく。

自由貿易という歴史があって、今までそれがアメリカ型のグローバリゼーションをアフリカやアジアや南米に押し付けてきた経緯があり、その集大成がTPPである。TPPでアメリカが日本にやろうとしていることを、アメリカはこの10年で自国民に対して行ってきた。
グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を越えて拡大するようになった。価格競争の中で効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売先、労働力、特許、など、あらゆるものが多国籍化されてゆく。多国籍企業は、かつてのように武力で直接略奪するのではなく、彼らは富が自動的に流れ込んでくる仕組みを合法的に手に入れる。彼らにとっては国境はないのだ。メキシコやカナダ、イラクや南米、アフリカや韓国の例を見ればわかるように、アメリカ発のこの略奪型ビジネスモデルは世界各地で非常に効率よく結果を出している。どこの国でも大半の国民は、重要なキーである「法律」の動きに無関心だからだ。TPPやACTA、FTAなどの自由貿易をアメリカ国内で率先して推進する多国籍企業は、こうした国際法に国内法改正と同じくらい情熱をもって取り組んでいる。 経済界に後押しされたアメリカ政府が自国民にしていることは、TPPなどの国際条約を通して、次は日本や世界各国にやってくるだろう。

アメリカ国内はもちろんカナダ、メキシコ、アルゼンチン、インドそして戦争が終結して復興の進むイラクのおける穀物メジャーによる支配の手口は、最初に生産高を倍増させるという触れ込みの遺伝子組み換え種子とセットになった農薬を無料提供し、在来種の種子を2度と使えなくさせた上で、遺伝子組み換え種子と農薬を永遠に使い続けるライセンス契約(知的財産権保護)を結ばされる。それも国家の中枢を潤沢な資金による政治献金やロビー活動で巻き込み、二重三重にその国の農業と食物の自給を支配するシステムを築き上げる。この本の読後感では、このままTPP交渉に参加にすると、日本の農業と食の自給(地産地消)は破綻して行く気がする。そこに見えるのはアングロサクソンが通り抜けた広大な荒地が広がっていく風景だ。

最後に上記に関連して以前読んだビル.トッテン「アングロサクソンは人間を不幸にする」を紹介して結びにしたい。

2003年に出版されたビルトッテンの著書「アングロサクソンは人間を不幸にする。」といった支配と収奪の歴史が蘇る。その中で著者はアメリカ金権主義の原型を、グスタバス・マイヤーズが書いた『History of American Fortunes』(初版1907年)をもとに解説している。この本は初版以来アメリカ史を記録した文書として広く認められてきた。
マイヤーズは序文で次のように述べている。
「アメリカの巨額の富は、その制度がもたらした自然な不可避の成果であり、その当然の結果として一握りの人間の利益のために、その他大勢の人間が徹底的な搾取を受けることになった。こうして生まれたアメリカの富裕階級は、当然の結果を否応なしにつくり出すプロセスから生まれた、必然的なものの一つにすぎない。その結果として、巨額の富の加速度的集中化と並んで、財産を奪われ搾取された多数の無産階級が生まれた。
 富裕と貧困は本質的に同じ原因から生じる。どちらも一方的に非難されるべきではなく、重要なことは、なぜ富裕と貧困が存在するのか、そしてどうすればそうした不条理な差をなくすことができるのかを見定めることである」としていて、ここには現在のアメリカを支配する金権主義の原型が表現されている。」
このような事実は、建国の未成熟期にのみ起こった不幸な出来事ではない。土地や金融を握った資本家たちがますます肥え太り、実際に富の生産に携わっている多くの労働者が不当な抑圧に苦しんでいる現実は、巧妙に形を変えていまなお続いているのである。

カネがすべてを支配する社会 <ビル.トッテン>
 

「貧富の差の拡大は、自然現象によるものではなく、20年以上にわたり賃金労働者を犠牲にして資産所有者を富ませてきた公的政策や民間企業の行動が生んだ結果である。そこには、資本の勝利と労働への裏切りがあった。経済的勝者は家や車、貯蓄のみならず、それ以外にも莫大な資産を持つ人々であり、一方の経済的敗者の身を守るものは、給与や政府の社会保障しかない。
 税制、貿易政策、政府の歳出や規制すべてが、富裕層を優遇する方向に傾いている。他の国も技術革新や世界的競争を経験しているが、貧富の差の劇的な拡大は起こっていない。アメリカでは富と政治的影響が緊密に絡み合って、最上位の富裕者を優遇する政策がつくり上げられてきたのだ。
 富は政治的権力に直接つながる傾向が強い。富を持つ人々は選挙資金やロビー活動を通じて、政策が自分たちに有利になるよう影響を与えるだけではなく、政策そのものの策定を行なう。事実、アメリカの上院議員の三分の一以上が億万長者である。
 資本が利潤を生み、たくさんの資本を持つところに集まっていく。額に汗し、自らの体と頭を使って働く人々はその正当な分け前にありつくことができず、カネを右から左に動かす人々がほとんどすべてのものを吸い上げている。アメリカは資本主義を高度に発達させた。そこにでき上がったのは、カネがものをいう世界である。カネを持つ者がすべてを決定し、カネを持つ者がさらなるカネを得る権利を持つのだ。そんな世界を模範にしようとしている国がたくさんある。私には、まったく馬鹿げたこととしか思えない。それは、多くの人々を幸せにするものではなく、ほんの一部の限られた人間にカネと権力を与える偏ったものだからだ。」

2013年12月1日日曜日

アートな話「芸術とエロス」

ガバネロ「ビーナスの誕生」とマネの「オランピア」


英和大辞典によるとエロスは[ギリシャ神話]の世界では恋愛の神、[プラトン哲学]では善きものの永久の所有に向けられる愛(Platonic love)、キリスト教の世界では人間的な愛、として古来概念づけられてきたが、20世紀に入り、フロイト一派の無意識の心理学によって、あらゆる人間活動の根底にリビドー(性的欲望)が横たわっていることが主張された。
もともとエロティシズムという言葉の語源はギリシア神話の愛の神エロースの名前であり、一般的にエロティシズムは官能愛または人間の性衝動(リビドー)のことだと考えられている。
 
このような辞書の定義にある「エロス」を表現している絵画や彫刻は、古典美術の女体讃美に始まって現代に至るまでいくらでもあるが、鑑賞者が「これは人間的な愛を表している」「人間が生きることの本質、つまりはエロスを感じる」と思えばエロスを表した芸術なのかもしれないが、鑑賞者にとってエロスの定義付けは不要なもので、観る側のイメージの内は個人の自由である。そのことは作る側にとっても自由であるはずである。
歴史的にもタブーと開放という矛盾した二つの性質を持ち合わせたエロティシズムは、古来人間のその文化に幻想と呪縛から逃れられない吸引力を発してきた。性的発露や行為は、それ自体エロティックということではなく、そのイメージを喚起したり、暗示したり、表現したりすることがエロティックなのである。つまりエロティシズムとは、生物としての人間の本能的な欲望や生殖行為とは無関係な、動物にはない人間として、本質的に心理的なトリガー(引き金)から発するものであるから、人間のあらゆる文化的伝統、神話、習俗、宗教、芸術などのなかに、深くその根を下ろしている。
上の絵は、19世紀半ばに描かれたアレクサンドル.ガバネルの「ビーナスの誕生」で、ギリシャ神話のビーナスは海の泡から生まれた一説をもとに描かれた古典的なヌードの代表作である。古来より宗教的あるいは神話的な裏付けのない世俗的な単なるヌードは受け入れられないフランス美術界の中で当時絶賛された作品である。同年代のマネの世俗的な娼婦を描いた「オランピア」は対照的に酷評の嵐に合う。まさにマネの裸婦は古典のエロティシズムを破綻の淵に追い込まんとした問題の作品であったのだ。

フランスの思想家ジョルジュ.バタイユは、何かを禁止することは、禁じられた行為にそれ以前にはなかった意味を与えることだと書いている。タブーさえなければ危険で邪悪な誘惑の輝きを持たなかったものが万人をして禁止の違反へと誘うことになり、この禁止の違反そのものが人の心を魅了し掻き立てるというのである。
      

エゴン・シーレ「黒いストッキングの女」  グスタフ.クリムト「ダナエ」

19世紀末になると、オーストリアでウイーン分離派の旗手グスタフ.クリムトや,不道徳な絵を描いたとして、獄中生活を送った夭折のエゴン.シーレといった異才が出てくる。クリムトは過去の様式に捉われない、総合的な芸術運動を目指したが、画風は装飾的で退廃的などこか気だるい雰囲気を醸し出している。
歴史的に近代の終わりは、第二次大戦によるヨーロッパ近代社会の崩壊を区切りとして、20世紀の前半が近代と現代が重なり入れ替わってゆく時期ということになっているが、近代芸術の終わりはヨーロッパ近代の終焉と時を同じくしている。二つの大戦の前後を含むあいだの期間に芸術をはぐくむ場がヨーロッパの近代都市パリ(近代芸術)からアメリカ現代都市ニューヨーク(現代芸術)へ移ることになる。
       


 
    ● 左 ダリ 「柘榴の実の周囲を一匹の蜜蜂が飛び回ったために見る夢」 
    中 マグリット 「黒魔術」 
    右 ピカソ 「首飾りをつけて横たわる裸婦」

 
20世紀に入りエロスと芸術の分野では,シュールレアリズムがパンドラの箱を開けることによって,あらゆる束縛からの「新しい」自由のための実に様々な表現方法を見つけだした。サルバドール・ダリの偏執的な幻想や、ルネ・マグリットは人間の姿を物と化した感情なしのエロスに昇華表現していく。また数々の女性遍歴とシュールレアリズムをくぐり抜けてきたピカソもエロスを基軸に女を描いている。キュービズムから出発したフランスのマルセル.デュシャンはアメリカに渡り、時間と運動によるコンセプチュアルアートをかかげ、現代アートの先陣を切った。そこにあるのは乾いたエロティシズムと概念の破断である。


   2        3          4


  ●デュシャン 「階段を上る裸婦」 2.デクーニング「女1」3.オキーフ「蘭」4.「Music - Pink and Blue

 

物質文明を謳歌する20世紀アメリカの現代アートでは、抽象表現主義のウィレム・デクーニングは猥雑なエロスを醸し出し、一方で女が醸し出し男が表現する長い芸術の中で、花によるエロスを表現する稀代の女性画家ジョージア.オキーフがいる。具象がクローズアップもしくはトリミングされた過程で抽象化が進み,抽象のエロスがほとばしる奇妙な作家である。無垢な女の感性であるがゆえに、男から見ると不思議なエロスを感じさせる絵だ。いろんな意味でエロスは生きとし生ける物にとって元気と活力を与える源である。いずれにせよ XXXXをくぐり抜けないでこの世に出た者はいない。エロス、大いに結構ではないか。エロス万歳!