2014年2月15日土曜日

寒波襲来



2月も半ば今月に入って低気圧の接近に伴う2度目の大雪が降った。昨晩から降り続いた雪で、書斎から見た風景はまるで雪国である。
ここ数日我が国でも厳しい寒波に襲われているが、米国中西部や北東部を襲っている寒波と大雪やイギリス・アイルランド、フランスを襲っている大雨と暴風雨は、その規模が桁違いである。


水没するロンドンと氷結したシカゴ.ミシガン湖

中でもイギリスでは、昨年の10月末とクリスマスシーズンに襲った暴風雨は風速が40メートルに達し、20人近い死者を出ている。その傾向は今年に入っても依然として続いており、その被害状況は過去250年間で最悪と言われている。
一方、米国では東西に分かれて二つの異常気象に襲われている。中西部から東海岸にかけては寒波と大雪と嵐である。上の画像はテムズ川の氾濫で水没したロンドンの中心部とシカゴのミシガン湖の極寒の風景である

世界中の学者が指摘していることは、昨今の世界的な大寒波の現象は、太陽の活動が劇的に低下していく傾向の始まりであり、世界はこれから17世紀後半に起きたような「小氷河期」になる可能性が高まっているという。太陽の黒点などの活動は、11年周期のピークにあり、ピークの高さが異様に低く、これから太陽の活動が低下していくと、マスコミや政府が喧伝する「地球温暖化」とは逆の「地球寒冷化」「小氷河期」が起こるという分析が出ている。
それによると太陽の周期的な活動に異変が起き、「冬眠状態」に入り、地球にミニ氷河期(小氷期)が到来する可能性があることがわかった。


 これは国立天文台や理化学研究所などが太陽観測衛星「ひので」の観測に基づき、発表したもので、磁石のS極とN極がひっくり返るような磁場の反転が太陽の北極で起きつつあるそうだ。
通常は北極の磁場と同時に反転するはずの南極の磁場が、まったく変化する様子がなく、このような現象は、過去に地球が寒冷化した時期の太陽の状況と似ているそうだ。
また、太陽の黒点の様子にも、過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が見られるそうである。

にもかかわらず、米政府は、この冬に米国などを繰り返し襲っている、北極の気流のうず(極渦)が引き起こす大寒波について「地球温暖化のせいで起きているようだ」と発表している。「地球が温暖化すると、地球は寒冷化する」という学説を大まじめで主張する学者もいるが、オバマ政権が、地球温暖化懐疑派が多い連邦議会を回避しつつ炭素税を導入したがっていることから考えて、米政府のコメントは、背後にうごめく利権団体(二酸化炭素を減らすために炭素税や環境税という税金を導入できる上に、「地球温暖化を防ごう」という理由で原発などの推進もすることが出来るといった政府や、核エネルギー支持団体)の思惑が見て取れる。

世界中の政治家や利権団体が結託して、今まで「地球温暖化で危ない」「CO2を減らそう」などとあやしげな情報をドンドン流していたが、2009年、気象研究で有名な英イーストアングリア大学のコンピューターから電子メールなどが盗み出され、そこにあるわざと気温の低下を隠したかのようなやりとりが暴露された。温暖化に懐疑的な人たちが、ここぞとばかりに批判し、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)への信頼性も大きく揺らいだ。英米メディアはウォーターゲート事件をまねてこの事件を「クライメート(気候)ゲート事件」と呼んだ。我が国のマスコミであまり取り上げられなかったが、『地球温暖化問題の研究機関(CRU)がハッキングされて、研究者たちの重要な文書が大量流出した事件』である。
これを機にその科学的報告書には途方もないミスがあったことが判明、IPCC当局者もその非を認めるに至った。その結果、地球温暖化論への懐疑や批判が米国の議会や経済界で広がったのだ。これらの誤りは地球温暖化論のバイブルともされた国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」報告書に厳然と記されていた。07年にIPCCが公表した3千ページもの報告書は温暖化の主犯を人為的な温室効果ガスだと断じていた。その「実績」のために、IPCCは同年、同じ趣旨を自書『不都合な真実』などで説いたアル・ゴア元副大統領と並んでノーベル平和賞を受けた。
 ところが、このクライメイトゲート事件で流失した文章には、地球温暖化に見せるために意図的に原データを改ざんした証拠などが書かれていたのだ。
つまり、実際に測定したデータが地球温暖化を示すものでは無かったため、意図的に地球温暖化を示すデータに変えてしまった証拠が流失したということなのである。国連報告書のミスとクライメイトゲート事件。この2つだけを見ても、地球温暖化が作られた嘘であることがわかった。

地球環境は人間の都合で動いているわけではないので、ここに来て地球の平均気温が急激に低下しており、今年の春には今まで無かったような記録的な積雪や最低気温を世界中で観測している。ロシアの学者らは、グローバルな地球の温暖化に異を唱え、逆に、今後数年のうちに寒冷化が始まると予想している。
「ガスプロムVNIIGAZ」研究所で活動するウラジーミル・バシイン、ラウフ・ガリウリン両博士は、発表した学術論文の中で「地球温暖化問題は、欧米で執拗に誇張されている」と指摘し、次のように続けた。
「誇張の目的は、伝統的なタイプの燃料である石油や石炭、天然ガスの消費量を減らすべきだと訴えるためで、そうすればエネルギー原料価格は、今よりもっと低くなるからだ。現状は、温暖化とは反対に向かっており、太陽光線の力が急激に低下している事から、世界規模での寒冷化プロセスが生じつつある。『小氷河期』はすでに来年、2014年にも始まり、今世紀半ばに温度低下はピークに達する。寒冷化のスピードは初めは大変ゆっくりだが、10年後には早まるだろう。」と述べている。

2000年前半までは平均気温がやや上昇していたが、その後は気温が低下傾向に転じ、昨年に発生した太陽活動の急激な変化により、今の地球環境は非常に不安定化しており、早ければロシアの予測通り来年。遅くとも数年後には本格的な寒冷化に突入することになると予測されている。
政府やマスコミ、学界が喧伝する「地球温暖化人為説」は、恣意性の高いコンピュータモデルしか根拠がなく、科学的に正しい可能性がかなり低い。予測されている寒冷化と関係あるとは言い切れないが、地球の平均気温は、すでに1997年から横ばい状態が続き、それまでの上昇傾向が止まっている。
温暖化人為説を唱える国連のIPCC(国連気候変動パネル)はようやく昨年からその傾向について認め始めた。しかし、その一方でIPCCは、97年以前の温暖化傾向の原因が、人為に基づく二酸化炭素の増加である可能性が95%だと発表した。IPCは「今は温暖化の傾向が止まっているが、今後再びひどい温暖化が起きるのは確実だから、二酸化炭素の削減が必須だ」と主張し続けている。

ドイツの学者は、太陽活動の循環説に立ち、今後の寒冷化を予測している。「気候変動の主因は人為でなく、太陽を含む自然活動の変化であり、その中には循環的なものが多い。そう考えるのが妥当だ。人類が出す二酸化炭素が地球を破滅的に温暖化するという理論は極論だ。極論を真実のように扱った学者が国際的に権威を持ち、それに対して科学的に反論しようとする学者が冷遇される時代が続いている。」と嘆く。

2014年2月11日火曜日

ミクロな話     


小保方晴子・研究員

人間の体というのは60兆から100兆の細胞が寄せ集まった存在である。つねに細胞を分裂させ、古くなった細胞を新しい細胞と入れ替える「新陳代謝」を繰り返しながら、わたしたちは生きている。この「新陳代謝」に重要な役割を果たしているのが、細胞の部品図であり、そして人体の設計図でもある遺伝子だ。そして、その設計図の集合である存在をゲノムという。

細胞のゲノムには受精卵のような性質、つまり各種の機能を担った細胞に分裂分化する「多能性」という能力を発揮するためのシステムは存在している。そしてそのシステムを初期化再起動させる方法を見出した先達(ES細胞のガードン博士、EPS細胞の山中教授)に続いて理化学研究所小保方晴子・研究ユニットリーダーがSTAP細胞というものを先達より簡明な手法で作成した。
今回、共同研究グループは、マウスのリンパ球などの体細胞を用いて、こうした体細胞の分化型を保持している制御メカニズムが、強い細胞ストレス下では解除されることを見いだした。さらに、この解除により、体細胞は「初期化」され多能性細胞へと変化することを発見して世界を驚かせた。


解説
  ゲノムとは、ある生物の種が正常に生存するのに必要な一揃いの染色体の組をいう。真核生物では、DNAに書き込まれた遺伝情報は核の中にタンパク質と結合して存在しており、塩基性の色素で染まりやすいことから染色体と名付けられた。なお、核構造を持たない原核生物の遺伝子群や、ミトコンドリア、葉緑体の遺伝子群も染色体と呼ぶ。通常の二倍体細胞では、その半数体に含まれる遺伝情報を意味している。
  ヒトゲノムのDNAは約30億塩基対。進化の過程でゲノムサイズは大きくなるが、その間にガラクタのDNAも増えるため、進化のある時期には整理縮小化が行われる。そのため、遺伝子数とゲノムサイズは必ずしも比例しない。
  ヒトのゲノムの塩基配列が解読され、いろいろな病気の原因となる遺伝子が明らかになり、その知見に基づいて医薬品を開発する「ゲノム創薬」への取り組みが、一層活発に行われている。(農芸化学に学ぶ 参照)

ヒトを含む動物は、受精卵という1つの細胞から出発して、60~100兆個、体内でさまざまな役割をはたす250種類程度の「体細胞」へと分裂・分化していく。そして、いったん分化しきってしまえばそれっきりで、後戻りはできないというのが常識になっていた。それが粘り強い研究の末に覆された。つまりその細胞は、身体の細胞の分化のプログラムを巻き戻し、発生初期の胚だったときのように、どんな細胞にもなり得る「万能性」を持たせることができるもので、その発見は、細胞分化に関する従来の考え方を根本的に変えた。

これについて山中教授は、「小保方さんが協力すれば、細胞が受精卵のような状態に戻る『初期化』の謎について、大発見が できるかもしれない」。 また「iPS細胞ではできない50年~100年後の新しい治療を実現できるかもしれない」と期待している。しかし、この論文はまだ試験管内実験レベルでの成功であって、ハーバード大でサルへの実験が行われ、ある程度成功を収めているというが、ヒトへの応用にはまだまだ時間がかかりそう。科学立国としてのわが国オールジャパンでサポートしていく必要があるだろう。久々の明るいニュースである。


 ◎ミクロの脅威
さてその細胞レベルの話であるが、ひとたび細胞が放射線にさらされると、細胞内ではふたつの現象が起こる。ひとつは健康商品の宣伝でおなじみの「活性酸素」の量が通常よりも増えてしまうことだ。アンチエイジングの敵としても知られるように、過剰の活性酸素は細胞のさまざまな部分を傷つけてしまうことがあり、細胞膜などが大きく傷つけられれば細胞は死んでしまう。よく見られる老人の顔のシミなどは活性酸素の残骸といわれている。しかし、細胞自体が死んでしまえば、その傷が癒えたあとには大きな影響は残らない。人体にとって深刻なのはもうひとつの現象で、遺伝子やゲノムが大きく損傷を受けてしまう事態が起こることである。

放射線はこの結びつきを切り離してしまう力をもっていて、遺伝子の配列を壊してしまうことがある。細胞をつくる部品図が欠損してしまえば、細胞が分裂するときに必要な、正しい部品をつくることはできない。結果的に不完全な部品がつくりだされ、おかしな細胞が出来上がることになる。これがどんどん増えていった結果が、いわゆる「ガン」である。3.11の 事故後よく報道されているように、自然界の岩石などからは普通に放射線が出ており、1年間に浴びる量は世界の平均で2.4mSv程度であるといわれている。つまり、今回のような事故が起こらなくても、細胞はつねに放射線による影響をうけている。

細胞にある二重の安全装置 DNA修復酵素による修復と細胞のアポトーシスで処理されきれないものががん細胞へと進展していく。DNAの修復とアポトーシスというふたつの安全装置によって、我々の体はがんの脅威から守られているそうだ。だが、あまりにもDNAの損傷箇所が多くなると、DNAの修復システムやアポトーシス(プログラム化された細胞死)システムという安全装置自体にもダメージが生じてしまい、遺伝子が変異した細胞がどんどん蓄積していくことになり細胞のガン化がすすむ。3.11以降問題になっている外部被ばく、内部被ばくもミクロの脅威である。とくに注意をしたいのが内部被ばくで、ぜひ「内部被ばくを考える市民研究会 」と内部被曝の脅威(ちくま新書)を参照されたい。

2014年2月3日月曜日

アートな話「芸術とエロス2」


黒田清輝 湖畔

前回は欧米絵画を中心に芸術とエロスについて歴史的に考察してみたが、今回は日本における絵画のエロスについて浮世絵が展開する江戸時代から現代に至る諸相を俯瞰してみようと思う。
明治以前の日本画は儒教に基づいた中国の水墨画や唐絵の影響を受けていたため、裸体を意識した作品が描かれることはなかった。明治に入ると、洋画の方では西洋で学んだ画家たちが、西洋的なヌードを発表し始めていたが、黒田清輝の「裸体画論争」に象徴されるように、裸体は生活様式の欧米化を背景に否定され、裸体画を大体的に発表することは禁じられた。流派を重んじる日本画においても裸体画は厳しく取り締まられ、洋画での裸婦モデルという存在が一般的になっても直接的な裸体表現は退けられ、西洋の美意識を取り入れたうえで、モデルや被写体の直接的な描写ではなく、独自のイメージや美意識で「再構成」することに画家たちは心血を注いだ。

俵屋宗達 風神雷神屏風図

さて絵画史上で、時の権力者から一般庶民に芸術が開放され、豪華絢爛に花開いたのが江戸時代である。18世紀初頭には人口が100万人を超え、世界有数の大都市へと発展を遂げた“大江戸八百八町”265年に及ぶ天下泰平の世のもと、町人文化が栄え浮世絵版画の誕生とともに、それまで上方(現在の大阪・京都を中心とする地域)に先行されていた江戸の出版界も独自の展開をみせることとなる。
 経済と流通システムが発展した江戸時代は、当然上方の町人社会も潤し、江戸時代初期には、京都において琳派の創始者である本阿弥光悦が隆盛を極める。光悦は京都の有力な町衆(富裕な町人)であり、彼に追随する俵屋宗達も扇や団扇に絵付けする工房を営んでいた。
 室町時代から時の権力者の庇護の元で続いてきた画派である狩野派が、武家の好みに応じて作品をつくったのに対して、光悦は自分の好みで作品をつくっていた。狩野派は武家文化であるが琳派はいわば裕福な町人文化である。本阿弥光悦・俵屋宗達に影響を受けた尾形光琳、さらに尾形光琳に影響をうけた酒井抱一などを「琳派」と呼んでいるが、宗達と光琳、光琳と抱一はそれぞれおよそ100年ずつ活動時期がずれていて、当然たがいに面識もなく、師弟関係もない。つまり、「琳派」は狩野派のような派閥や組織ではなく、純粋に様式を指している。その様式は、漢画の技法を基礎におきつつも、大和絵の要素もふんだんにとりこんで、独自の華やかでデザイン感覚に富んだ世界を生み出したということになる。

喜多川歌麿

浮世絵
浮世絵は、封建制度の中で文化の主導権を握った町人の絶大な欲望と、強力な支持によつて発生し、時の幕府の圧迫にも耐えながら発展した絵画である。その源は遠く平安期に発した大和絵が、町人階級の芸術として新しい生命によってよみがえったと考えられる。しかし、それはいたずらに高雅を標榜する狩野派や宮廷貴族、公家たちの長い伝統に寄りかかる土佐派の絵画とも違う。新たな政治の中心となった江戸という地方色豊かな土地に育まれ開拓された新様式の絵画である。
浮世絵の主題は、過去や未来よりも、今(現世)を描くことにある。そのため、浮世絵師たちは題材に時代の最先端をいく風俗や話題を追い求め、常に趣向を凝らした描写で人々を喜ばせた。江戸時代の庶民の楽しみといえば「遊び」と「芝居」。これが、浮世絵の中で「美人画」と「役者絵」として描かれ、いわば流行ファッション誌、歌舞伎役者のポスターやブロマイドの代わりとして、浮世絵は瞬く間に庶民に浸透していった。
江戸中期になると「版」による彩色がはじまる。色版を摺る際に色がずれないよう、版木に目印となる「見当」をつける工夫がなされ、これによりカラフルな多色摺の版画が量産できるようになった。10色以上もの色版木を重ねた豪華な多色摺版画も登場し、絹織物の「錦」に匹敵するほどの美しさを誇ったことから東錦絵(あずまにしきえ)と呼ばれ、江戸の新名物になった。また裏本として春画なども数多く出回った。ギリシャ芸術では裸体の身体美が崇められたが、春画では衣服の美しさが強調されている。生の肌は、むしろ道ばたや風呂場などで見られるもので、日本の美が「衣服の下に隠された非日常の<みだら>に通じる情念の世界を描き出す。
これらを作ったのは、新秩序としての徳川の身分制度の枠にもはまり込めず、巧みに処世上の保護者をつかむこともできなかった画人たちであった。彼らは版元に仕切られ、その多くは安い画料で描き続けたが、いわゆる町絵師と呼ばれたこうした画人たちこそ、この新しい絵画芸術の生みの親だったのである。版元は彫師、刷師なども抱え込むプロデューサーのようなものだった。
浮世絵には、肉筆と版画があり、江戸時代中期以降の封建制が最も完成し、またすでに崩壊を来し始めていた時代は刹那と歓楽に耽溺し、遊里と歌舞伎がテ-マになり、また閨中秘画にも傑作が描かれた。この時代、初期の遊里の風俗画としての浮世絵に始まり、絢爛たる錦絵の誕生、寛政期の美人画あふれる黄金時代、役者絵、末期の浮世絵期に現れた風景作家、写楽、北斎や広重などそうそうたる面々が現れた。  

日本が版画大国として外国から高く評されるのも浮世絵を通じての評価であったし、ヨーロッパの近代絵画に与えた影響も大きい。浮世絵は、明治末期にその生涯を閉じたと言われている。開国したことによって海外から新たな版画、新たな印刷技術、新たな印刷機器が輸入され、日露戦争の報道画を最後に、新版の浮世絵は姿を消してゆく。
池田満寿夫 愛の瞬間

現代絵画のエロス   
現代絵画においてエロスを感じさせる作家で思い出すのは池田満寿夫だろう。「エロスの画家」と呼ばれた彼は、あるインタビューで「エロスとはイマジネーションだ」という発言をしていた。「写真やコラージュではあまりにもモロになってしまうが、版画というフィルターがかかっているために、エロチックではあっても成功した」というようなことをコメントしていたのが印象に残る。浮世絵にも造詣の深い池田は、女、愛、エロスというテーマで作品を作り続け、女性の根源的な美しさ、彼女たちが発するものすべてに魅力を感じ、創作意欲を湧き立たせた。ピカソが晩年に発表したエロスをテーマとした版画集に強く影響され、喜多川歌麿の浮世絵春画にも興味を持っていた池田は、急逝する少し前にも、アトリエの机上にそれらの画集が広げてあったと言われている。確かに版画に描かれた線描は、浮世絵に通じる痕跡を見て取れる。浮世絵の深淵を覗いた満寿夫のリトグラフやエッチングの作品には、浮世絵のエッセンスがにじみだすように、その繊細な線描のヌ-ドのタッチは、エロティシズムにあふれ、まるで陰毛そのものを見るようだと批評されたと本人も述べていた。彼もまた、浮世絵に見入られ、そこから何かをつかみ、それを現代の作品に生かした日本の画家として、その精神を伝承する稀有な画家の一人であろう。晩年のピカソのように数々の女性遍歴の末にたどり着いた帰結「人生はxxxxだ。」 は画面から饒舌に我々に語っている。