2010年5月25日火曜日

ユーロ危機の意味するところ


いま欧州の基軸通貨のユーロがおかしくなっている。


財政赤字のギリシャに端を発した通貨危機は、続くポルトガルやスペインなどの財政赤字国家の火種を抱え,欧州連合(EU)内部で不協和音が聞かれるようになった。グローバル経済のもと、もはや対岸の火事ではない現況をあらためて概観してみよう。

(European Union〔EU〕)は1993年に発足し、現在27の加盟国を有しているが、加盟国内での資本移動の自由化や、国際競争力のために1999年にユーロ導入を決定、EU加盟国のうち11カ国でユーロ導入がスタートした。
これに伴い、欧州中央銀行理事会が通貨統合への参加国通貨対ユーロおよび相互の交換レートを永久的に固定化した。ユーロ導入前に用いられていた公式の通貨バスケットが消滅し、ユーロ自体が通貨となった。続いて加盟国は新規の国債をユーロ建てで発行した。


今回、ギリシャだけでなくポルトガルやスペインも財政赤字の削減策を相次ぎ発表したが、市場は実現可能性を懸念。ドイツは19日から、欧州国債の空売りと、投機を一時的に禁止。ドイツが単独で始めた国債などの空売り規制にフランスが不信感を示すなど、ユーロ圏内でも亀裂が生じている


いま問題となっているギリシャの財政再建の道のりは険しい。財政赤字はGDP対比12・7%。これを今年中に8・7%、2013年までに3%以下に落とす計画だ。消費税は19%から21%に引き上げられる。マイナス成長下での厳しい引き締めに、全労働人口の25%を占める100万人の公務員などが連日ゼネストを起こしている。まさに役人天国の存亡をかけて連中は戦っている。

市場は、危機再燃の可能性は高いと見て警戒しているが、もともとギリシャはユーロー加盟の基準から大きく外れているにもかかわらず、ゴールドマンサックス(アメリカの金融グループであり、世界最大級の投資銀行)などによる悪知恵で財政の粉飾とごまかしによって同盟に入ったわけだが、同盟のリーダーである働き者のドイツ(アリ)が道楽者のギリシャ(キリギリス)にまともに働けと言っている構図でもある。

このギリシャが発行している国債のうち約70%は外国が保持しており、その中心は欧州の銀行である。したがって、もしも、ギリシャが国家破綻し国債の価値がゼロになってしまうようなことになれば、欧州の銀行は大打撃で、破綻する銀行が出てくることは必至である。

1931年にドイツの銀行の倒産がきっかけとなって、ヨーロッパ全土を覆う大恐慌が始まったわけであるが、「歴史は繰り返す」の例え通り、あれから80年、今度はギリシャのデフォルトによる欧州各国の銀行破綻が 第2の欧州恐慌、ひいては世界恐慌を引き起こすきっかけとなる可能性がある。

ちなみに、欧州恐慌は1929年10月のニューヨークの株価暴落から20ヶ月後の1931年5月に発生しており、その後世界的な恐慌へと進んでいる。今回のリーマン・ショックによる株価暴落が2008年10月であったことを考えると、 次なる欧州恐慌の始まりとなるのが今年の5月と重なっているのが不気味である。

2010年5月17日月曜日

鳩山内閣の行方



内閣支持率が各メディアの発表では20%を割り込んでいる。過去に選挙前の内閣支持率の極端な落ち込みで選挙に勝った政党の例はない。来る参議院選も民主党の大敗が予想されている。


鳩山内閣の内閣支持率の最高と最低との「落差」は歴代内閣で最大となった。支持率は民主支持層を含む幅広い層で下落に歯止めがかからず、支持構造は発足から8か月で様変わりしている。
鳩山内閣は初めは小泉内閣に次ぐ2番目の高さだった。しかし、今回「鳩山離れ」が足元の民主支持層でも一気に進んだことがわかる。この間、支持政党のない無党派層の内閣支持率は60%から12%に下落した。無党派層の割合は20%から50%に増えており、鳩山内閣に失望した民主支持層が無党派層に移行したと見られる。

鳩山由紀夫は、戦後の首相の中で初めて、アメリカに対して異議申し立てを行った人物である。
従来のアメリカ従属の政治家や官僚と比較すると、鳩山首相は少なくともアメリカの奴隷から、この日本という国を解放しようとする意志を持っていると感じさせた。そんな鳩山首相が、「最低でも県外」と言った時、普天間基地移転問題は日米安保問題になった。

周知のように日米安保は片務条約であり、アメリカは日本の安全を保障するが日本はアメリカの安全を保障出来ないのだから、安全保障上の合意や約束はアメリカの合意がない限り日本は対等な立場でアメリカに変更を要求することは出来ないことになっている。「最低でも県外」と言った鳩山首相は、日米安保破棄または改定を念頭にアメリカに駆け引きを挑んでいるのだと思わせていたが、ここにきて風向きがおかしくなってきた。

筆者が12月17日のブログで言及した、「米国自身が普天間からグァムへの移設を求めていること」は、まさしく宜野湾市の独自調査によって、日米政府の「密約」が明らかになっている。ジャーナリスト上杉隆氏は自身のブログでも下記の通り述べている。

「2006年9月に本市が入手した米太平洋軍ホームページで発表されたグァム統合軍事開発計画によるとその内訳は司令部機能が2,800人、地上戦闘機能が2,900人、後方支援機能が1,550人、航空戦闘機能が2,400人と発表されている。仮に宜野湾市のこの調査結果が正しいとすれば、なんのことはない、普天間飛行場のグァム移設は米国自身が求めていたことなのだ。
それではなぜ、日米政府はその事実をヒタ隠しにするのだろうか。
沖縄は3Kの島といわれる。「観光・基地・公共事業」による収入が途絶えれば、たちまち県の財政状況が悪化するといわれている。換言すれば、沖縄の産業形態はこの3Kに頼らざるをえないということである。
そう考えれば、県外移転だとカネが島に落ちない、さらには国外移転だともっと旨みがない。このように考える沖縄県民はゼロではない。

 一方、米国も似たような事情を抱えている。グァム基地のほかに沖縄東海岸にも基地を持っていれば、有事発生の際にも、有用な予備基地としてどちらかを使用できる。つまり、沖縄の基地利権が、国外・県外という真っ当な鳩山首相の当初の政治決断を歪めてしまったのである。
先に国外移設先の候補であり、自ら誘致を決めているグァム・テニアン・サイパンの知事が日本を訪れ、鳩山首相と面会する予定だった。だが、首相官邸は、その知事らの訪問を拒否している。理由はわからない。」


普天間問題は鳩山政権の急所であることは間違いなく、わが国最大の危機に直面している折に、民主党内では小沢氏がこの問題と距離を置いて発言していることについて「(小沢氏は)首相を見放すのか」(中堅)と発言の真意をいぶかしむ声が出ているが、もともと小沢一郎は政治の表舞台には立たず、隠然とその権力を駆使する絶妙なポジションに自分を置いている。日本の危機に表立って身を投げ打ってまで向かう体力、気力はない。一言で言えば政治のコーディネーターである。今も筆者の耳に残るのは、海部内閣誕生の時に「担ぐ神輿は軽くてパーがいい。」と言ったことである。来る参議院選に向けて惨敗を想定して何やら動きだしているようだ。予想されることは連立の再編と新党をも巻き込むシナリオもあるだろう。少なくても日本の総理がパーだけは願い下げにしてもらいたい。 



日米安保について


ソ連の崩壊による冷戦の終結で、日米安保の最大の目的は消滅した。そこで次に登場したのが、アメリカの世界戦略に日本が協力する形での新しい 日米同盟であり、同時にこれは軍事同盟に組み込まれている様相を示している。

 日米安保条約は、2005年から「日米同盟」へと、異質なものに変化した。冷戦後のアメリカは、軍備の縮小ではなくて、世界で唯一の超大国としての地位を厳守する道を選び、新しい仮想敵国は、イランとイラクと北朝鮮であった。いずれもソ連に比べれば小粒であるが、そこへ欧米諸国に敵意を抱く国際テロ組織と、それを支援する国家という概念が加わったので、 新しい目的が成立した。

 この状態のアメリカが日本と同盟することの最大のメリットは、「条約」で確保した基地を、そのまま「同盟」の基地として使用できることである。なにしろ日本の米軍基地は日本を守るためのものという建前であるから、経費の4分の3は日本が負担することになっている。ちなみにドイツは、米軍基地の経費は4分 の1しか負担していない。日米同盟は、日本の戦後史すべてを集約した「宿命」のようなものである。

現代の安全保障は、軍事では限界があることが指摘されている。たとえばアメリカと中国が戦争をする可能性は、現在は非常に低くなっている。相互が最大の貿易相手国になっていて、戦争で相手を壊滅させても自国の損害が大きくて、良いことは何もないからである。相互に経済関係を親密にすることは、強力な安全保障になる。 その観点から、グローバル経済で重要な役割を果たすことは、世界の中における日本の安全保障につながる。

 憲法9条は、今も日本の軍事的な国際 貢献について強い歯止めになっており、自衛隊員を戦死から守っている。しかし日米同盟があるから憲法を変えなければならないというのは間違っており、憲法改定はアメリカとの腐れ縁が薄くなり、日本が独立した国家として成熟していく過程で、国家の安全性を考慮しながら機を見て変えていくしかないだろう。





 

2010年5月11日火曜日

読売新聞の提言


衰退の縁(ふち)に立たされている日本経済の低迷に業を煮やした読売新聞は、7日付で経済再生に向けた6項目の緊急提言をぶちあげた。一部に景気の回復傾向は出てきたものの、深刻さを増す「10年デフレ」に克服のメドは立っていない状況下で、経済は低成長にあえぎ、財政は破綻(はたん)の瀬戸際にある。一刻も早く鳩山内閣は財源なきバラマキ政策を改め、成長を促す政策に転換しなければ日本は危機から脱することはできないと、編集局や論説委員会、調査研究本部などの専門記者による研究会で、外部有識者などを交え検討を重ねてきたものが以下の通りで、 政策を一新し停滞を打開せよというのが趣旨である。


.マニフェスト不況を断ち切れ(政策ミスで日本を破滅させるな )

.コンクリートも人も大事だ (デフレ脱却に公共投資は必要だ)

.雇用こそ安心の原点 (福祉は産業活性化に役立つ )

.内需と外需の二兎を追え (官民で海外需要を取り込め )

.技術で国際競争を勝ち抜け (先端分野に集中投資しよう )

.法人実効税率20%台に (新通商戦略掲げよ)

 

 骨 子

1)日本経済の停滞や企業の業績低迷は深刻な状態だ。豊かさを示す1人当たり国内総生産(GDP)は2000年の世界3位から08年は23位に後退した。スイスの国際経営調査機関IMDによると、1990年には世界トップだった国際競争力ランキングも09年は17位に沈んだ。行き詰まりの背景には、成長の源泉である企業が海外で富を稼げなくなったことがある。90年代半ばに世界市場を独占していた液晶パネルは、新興国の追い上げで市場占有率が10%程度に縮小、先行したDVDプレーヤーなどの分野でも急速に競争力を失っている。

国内では、90年代後半から10年以上も、物価が持続的に下落するデフレが先進国で唯一、続いている。企業収益は低迷し、所得や雇用の減少が止まらない。税収も上がらない中、民主党のバラマキ政策で、10年度政府当初予算は国債発行額が税収を上回るという戦後初の異常事態に陥った。財政は破綻の瀬戸際にある。こうした事態を脱するには、成長重視の政策に直ちに転換し、政策ミスで景気に水を差す「マニフェスト不況」を断ち切らなければならない。

民主党は、選挙至上主義から、有権者受けする政策に走っている。少子高齢化のため、黙っていても社会保障費は毎年1兆円ずつ増える。これを賄い、持続可能な制度に改めるには、税収の安定している消費税率の引き上げは避けられない。
鳩山首相は「消費税率凍結」を撤回し、早急に具体的な論議を開始すべきだ。税率は現在の5%から、まずは10%への引き上げを目指す必要がある。

2) 「コンクリートから人へ」という空疎なスローガンにこだわって、民主党政権は公共事業を罪悪視し、景気の悪化と地方の疲弊を放置してきた。医療・介護施設をはじめ、乗数効果が大きい社会保障関連投資などを実施し、景気悪化を防ぐよう求める。日本経済は、世界同時不況の荒波を乗り切り、ようやく景気が持ち直してきた。だが、つかの間の明るさに安心出来ない。
マクロ経済全体で需要は30兆円足りない。物価に下落圧力がかかり、デフレが慢性化している。 エコカー減税など、前政権が残した景気対策もそろそろ息切れて、今年半ば以降には成長が減速するとの見方も強い。
今こそ、景気下支えに万全を期さねばならないのに、肝心の経済政策は的はずれだ。公共事業を罪悪視した「コンクリートから人へ」は、その典型といえる。

今年度予算で景気刺激効果の高い公共事業を2割も削った。公共事業を頼みとする地方経済への打撃は大きいだろう。ここで論説していることはデフレギャップを埋める最大の効果は公共投資ということである。
交通網の高度化や学校の耐震化など、インフラ(社会基盤)投資は成長や生活の安全・安心につながる。無駄なハコ物と同一視せず、整備を進める必要がある。そのための財源確保の一策として、無利子非課税国債の活用を挙げている。相続税を減免するものの利払い負担がないため、財政を悪化させることもない。 約30兆円とされるタンス預金を吸い上げて必要な事業に使えば、一石二鳥の効果が期待出来るとしている。

3)日本社会の閉塞(へいそく)感の背後には、雇用の悪化と将来不安の高まりがある。雇用の安定なしには、生活設計が立てられず、消費も活発化しない。正規社員と非正規社員の格差是正を含む労働市場改革を進めるとともに、人手不足の医療・介護分野を成長産業に育て、雇用創出に取り組むべきだ。年金、医療を持続可能な制度にするための改革の青写真を早期に示す必要がある。

4) 「外需より内需」という考え方も改めるべきだ。新興国の需要を取り込み、成長に結びつけなければ、経済再生はありえない。特にアジアでは、世帯の可処分所得が5000~3万5000ドルの中間所得層(ボリュームゾーン)がこの20年で6倍以上に増えている。


5)日本の技術力は、環境やエネルギー分野で世界最高水準にある。昨年の事業仕分けでは、科学技術軽視の姿勢も見られたが、高い技術力はグローバル時代を生き抜く不可欠な手段である。技術革新を促す教育・人材投資を強化し、電気自動車や蓄電池などの分野で成長を目指すべきだ。ファッション、アニメなどの文化産業も戦略分野になる。原子力発電や新幹線など、海外のインフラ(社会基盤)システムの需要を狙い、主要国の受注競争が激化してきた今、公的金融や貿易保険の活用を含めた官民一体の新たな通商戦略を打ち立てることが急務だ。


6)企業の国際競争力強化には、40・69%と諸外国に比べて高すぎる法人税の実効税率を欧州諸国と同水準の30%程度か、中国の25%、韓国の24%を目指し、引き下げを検討すべきだ。法人税の実効税率 とは国税と地方税を合わせた、企業が実質的に負担する税率である。
昨今中国をはじめとした新興国企業の台頭は著しく、日本企業の勝ち残りは容易ではない。現に、先行していたはずの薄型テレビで、韓国メーカーにシェア (市場占有率)を奪われている。海外よりも高い約40%の法人税の実効税率が企業の活力を奪っている。また省エネや環境など日本が得意とし、成長が期待できる分野の活性化が重要だ。投資・研究減税などで企業の努力を後押しする必要があると結んでいる。

これらの提言に対して鳩山首相は大変いいことだと言っているが、「私どもはマニフェストを訴え、選挙に勝った。マニフェストの政策遂行は、やはり重視しなければならない」と述べ、大幅修正に慎重な姿勢をみせた。
野党をはじめ経済界からは賛同の声が相次いで上がっているが、これは民主党に対しての提言というより苦言でもある。



 

2010年5月10日月曜日

アートな話「パースペクティブ」

                  遠近法の矛盾 版画

ここにある奇妙な絵はイギリスの画家ホガースが1754年に描いた「遠近法の矛盾」という版画作品である。画面に赤丸を描いてみたが、正常な認識ではおかしいと感じるところである。画面の上から見てみると、

1.一羽の鳥が大きく描かれている。
2.建物から老婆が男にたばこの火をつけている。
3.看板の旗が木に隠れている。
4.遠くの牛が手前より大きく描かれている。
5.手前の釣り人が奥の釣り人を超えて魚を釣っている。
  竿の長さと糸の垂れた位置の違和感など。


我々の視覚には奥行きを認識する知覚がある。それは古来遠近法としてルネッサンス期に透視画法として理論的に確立したものであるが、それは科学的な自然界の観察から出た合理主義的視点であると同時に、三次元空間をいかにして二次元空間へ置換するかという工夫であった。そのためにはどうしても透視図法的な手法が絵画表現に必要であったのだろう。パースペクティブはこれら遠近法、透視画法などを総称した言葉である。

初期の遠近法は、紀元前5世紀頃の古代ギリシャで舞台美術に使われたものだった。舞台の上に奥行きを与えるために、平面パネルを置いてその上に奥行きのある絵を描いたという。さらにレオナルド、ダビンチに至っては、幾何学的な透視図法に「遠くのものは色が変化し、境界がぼやける」という空気遠近法の概念を組み合わせが見られた。彼は遠近法の理解が芸術にとって非常に重要であることを悟り、「遠近法無しではこと絵画に関して期待できるものは何もない」と述べていると同時
に遠近法の限界も指摘している。線遠近法は視点の固定に縛られることと、視点をずらした場合に生じる歪みに気付いたことである。


それ以前の中世キリスト教美術で見られる遠近法は、画面上の上下で上に描くものが遠景、下に描くものが近景として表現した。人物の立体感も殆ど表現されていない。キリスト教美術の絵画はキリスト教の教えを文盲の民衆に教え広める手段であった。だから話の内容がわかればいいのである。現実に客観的に見える形よりも、精神の奥底で感じる形を重視したのである。



写実の原理としてある、奥行きの手掛かりとして使われた技法で、先史時代から現代まで変わらない要素が対象の重なりであり、言うまでもなく平面に描かれた重なりの下にあるものが遠くを現わしており、それは形が欠けた状態で存在する。その次に多い要素は相対的な大きさである。これは近くにあるものは大きく、遠くにあるものが小さく描かれることである。そして近代では、空気遠近法、(遠くの物ほど色を薄く、キメを細かくしたり省略が入ったりする。また線による遠近表現はルネサンスを境に廃れていく。



遠近法の一点透視画法から、時代はセザンヌにはいると、多視点描画(多視点同時把握・多面的同時把握)へと進み、印象派まで続いた具象から、セザンヌの影響を受けたマチスやピカソなどが、具体的なフォルムの崩壊へと進み、やがて抽象へと枝分かれし、絵画を二分する軸となった。


セザンヌの「テーブルの静物」に見られる技法は、現実空間の再現は問題でなく、イメージがイメージを喚起する構造を持っていて、作り手はイメージの内部で制作していく。この絵もよくよく見ると奇妙な絵である。

2010年5月2日日曜日

日本の病根


「明日のない希望よりもむしろ絶望の明日を。」とはパラドックスの妙手である作家安部公房の言葉であるが、日本は、今いつ果てるともない不景気の真っ只中
にいる。そこにはある種の豊かさはあるのだが、不安ばかりで、希望というものがまるでない。40年前の高度経済成長時代には金がなくても心の豊かさを感じたものだった。かつて Japan as No1(アメリカの社会学者・日本研究者であるエズラ・ヴォーゲルが1970年代に執筆刊行した著書。)という本が一世を風靡したものだったが、それも現在では
「(世界で)一番だったころの日本」と訳されても仕方がない状況である。



そのように考えてくると豊かさとは、今お金をいくらいくら持っているという金銭的なものではないことが分かる。つまり真の豊かさとは、明日に希望がどれほど持てるかという希望の度合いなのだ。そこで国民がどの程度の明日への希望を持っているかが問題となる。


経済産業省の資料より失業率の推移を表で見ると右の図になる。
日本では自殺率は失業率と強い相関があり、98年の激増は金融危機で説明がつくが、景気が回復した2000年代になっても、自殺率は高いままである。特に目立つのは、老人の自殺率が下がる一方、雇用が不安定化した30代以下の自殺率が上がっていることである。総合的には世界で第6位である。

失業で自殺が増えるのはこれは日本特有の現象であるようだ。河西千秋『自殺予防学』によれば、スウェーデンでは1992年の金融危機で失業率は2%から10%に
激増したが、自殺者は減り、その後も減り続けている。これは欧州では失業給付が手厚く、職を失ってから数年間、就業中とあまり変わらない所得が保障され、職業訓練によって転職を促進するなど、失業を前提にした制度設計ができているからだ。


現在日本では「余剰人員飛ばし」によって900万人以上が潜在的に失業している状況にあると言われている。これを支えている財政(6000億円の雇用調整助成金 )が破綻したら一挙に爆発するリスクがある。
昨今の異常な自殺率が示唆しているのは、まだ平穏で豊かに見える日本社会の根底に大きなストレスが蓄積しているということである。
会社に依存した「日本型福祉社会」が崩壊したのに、それに代わって社会が個人を守るシステム(セーフティネット)が出来ていないため、絶対的な孤独に追い詰められた人々が死を選ぶ。彼らは、もう維持できない旧体制にこだわって問題を先送りしている経営者や政府に対して、無縁社会の中で死をもって抗議しているのではなかろうか。


社会学者の宮台真司氏は著書「日本の難点」の中で次のように言及している。
80年代後半から米国は、日本の製造業一人勝ちを契機に、自国が 製造業から流通業へ、そして金融業へ産業構造をシフトさせていく過程で、我が国へ内政干渉とも言うべき年次改革要望書をつきつけ、農産物輸入自由化にはじまり、大規模店舗規制法の緩和やその他数多くの米国にとって都合のよい政策を推し進めることになり、その結果対米従属と国土保全が両立し難くなったことを指摘している。
米国からの要求に応じるがままにすれば、日本の<生活世界>の相互扶助で調達されていた便益が、流通業という<システム>に置き換えられ、その結果物理的空間に拘束された人間関係が希薄になり、多様に開かれた情報空間に依存するようになっていく。そのため経済が回らなくなると、相互扶助が個人を支えきれないほど薄っぺらい包摂性のない、行政に頼れない社会が個人を疎外していく。


米国の言うがままになることで、我が国は社会投資国家どころか、結果として社会収奪国家として機能してきた。その要因は輸出市場としての圧倒的な米国の重要性と、軍事的安全保障の米国依存の2点であるが、輸出においては現在わが国の輸出総額の米国向け輸出額は20%余りに過ぎない。また安全保障については重要な事は軍事だけでなく、資源、食糧、技術、文化の安全保障も視野に入れなければならない。宮台氏の持論では、現在の「軽武装、対米依存」から「重武装、対米中立」へとシフトすべきと唱えている点では賛成である。

この重武装とは対地攻撃能力を中核とした反撃能力による、攻撃抑止力を備え
ることになり、それには専守防衛の憲法9条を変える必要がある。
宮台流に言うと、現代は社会の底の抜けた時代であり、社会の制度変革の必要性が問われている時代でもあり、それを実現するのが政治家の仕事である。