2010年12月23日木曜日

アートな話「日々是漆器」


              我が家で日常使っている漆器類

漆の語源は「うるわし」と言われている。2,3の辞書によるとその言葉の持つ意味は広く奥深い。漢字で書くと「麗しい」

 1.うつくしく、みごとである。壮麗である。

2.形・色・容姿などが、目に快く映るさま。うつくしい

 3.精神的に豊かで気高く、人に感銘を与えるさま。心あたたまり、うつくしい

 4.端正で形が整っている

 5.乱れたところが無く整っている

日々漆を扱っている者としては、これほど気難しい塗料は無い。漆は塗料としては堅牢で優れているが、ちょっと厚く塗れば流て縮み、ほこりを嫌う、乾かすにも一定の条件が必要である。
この自然状態では乾きにくい漆の特性を生かして、蒔絵のような加飾の技法が2000年もの歴史として連綿と続き、後に続く鎌倉彫も時代をさかのぼること約800年の歴史を培ってきた。いずれも漆は生乾きのアートである。

ウルシはウルシ科、ウルシ属の落葉高木で、樹高10~15mになり秋には葉が真っ赤に色付く。樹齢10年前後の木から採れる漆は200g程度である。右の写真は樹齢12年程度の漆の木から漆の樹液を採取しているところ。

また太古の時代から使用されてきた木製の食器類も出土されており、漆文化は、特にアジア全域に広がるきわめて古い歴史を持つ特有の文化で、最古の漆塗りの食器として現存するものは、中国長江河口にある河姆渡(かぼと)遺跡から発掘された約7000年前の朱塗りのお椀である。(下の写真)一方日本では約6000年前の朱塗りの櫛が福井県鳥浜遺跡から発掘されている。また縄文時代には土器の壺に朱や弁柄の漆を塗って装飾したものもある。そのようなことから漆は最古の塗料とも言われている。



現代の漆文化圏は、日本をはじめ中国、韓国、ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ブータンなどほぼアジア全域に渡っている。特に漆の原液はわが国の漆需要の95%以上を中国からの輸入に頼っている現状がある。残りの数パーセントを国産の上質の漆を産地(岩手県と茨城県)からの供給でまかなわれている。中国産を多く使用するのは、もちろん量産がきく事と価格が安いことである。(詳しくは私のHP中の鎌倉彫四方山話参照

農林水産省の古い資料によれば、2005年の生漆(樹液の状態の漆)の国内生産量は約1.3トン、これに対し輸入量は73トンに達する。輸入漆のほとんどは中国産である。現在ではこの輸入量も減少しているようだ。



日本の漆と中国の漆は分子構造は同じであるが、日本産は漆の主成分のウルシオールの含有量が多いので漆のハリとか硬さ、それに漆が完全に硬化するのが中国産より早く、透明度も高く優れている。小唄の文句に「花は桜よ、塗料は漆、桜漆は国の華」とある。英和辞典に(japan/漆、漆器)と記されているとおり、うるしはジャパンと称され日本の漆器は世界で評価されている。鎌倉彫で使用する彫刻材料の木は桂(カツラ)であるがアデランスとは言わない。(笑)


漆の精製業者は対中国貿易では、中国人をあまり信用しておらず油断できない商売相手と認識しており、現地買い付けで原液の品質を吟味した上で、通関が終わるまで現地に残り、品質のチェックを怠らない。油断をすると質の悪いものをつかまされる恐れがあるためだ。昨今の国際情勢を鑑みてもどうも好きになれない品格の無い国民性である。

現在 日本で作られている漆器の98%が中国産の漆で塗っていて、漆に関しては今、中国から輸入がストップしたらやがて日本の漆器関係の製造会社は生産がストップしてしまうだろう.その価格差は多い時で10分の1で現在では5~6分の1ぐらいになっている。しかし中国元が大幅に上がればそれも縮むだろう。中国産以外の漆は日本の漆器には向いていないので、中国に頼るしか道は無い。経済規模は小さいがまさにレアーアースと同じ状況である。


わが国では漆器産地が各地にあり、それぞれの特色を生かした地場産業として、国に伝統工芸品の指定を受け各地で製造販売されている。神奈川県の鎌倉彫は製造はもとより、アマチアの愛好家を育んできた歴史があり。手軽に自分の作品を造ることが出来るためお稽古産業としても発展してきた。そこには彫りは自分でやり、漆塗りは塗師屋にお任せするという分業が成り立っている。

長い経験と熟練を必要とする漆器の製造は典型的な世襲の家内工業で、現代では後継者不足から、木地屋にしろ塗師屋にしろ維持するのが困難な産業の一つである。筆者にも息子と娘がいるが、それぞれが好きな道を進んでおり、鎌倉彫は私の代で終わりである。しかし箸、碗、盆、重箱など漆塗りの製品は日本人の日常生活に深く入り込んでおり、合成塗料で仕上げた製品とは別格な美しさがある。上の写真は我が家で日常よく使う鎌倉彫であり、食卓を賑わしている道具たちである。

2010年12月10日金曜日

ネット社会の脅威

今、内部告発サイトの「ウィキリークス」が世界中で話題になっている。一番これに神経をとがらしているのがアメリカである。イラクにおける米兵の民間人殺傷現場の映像から始まって、、40万点にも及ぶ米軍のイラク戦争にまつわる機密文書が流出するなど、国家統制の根幹を揺るがしつつある。またアメリカの外交文書の大量に暴露など、その中に在日アメリカ大使館発の公電が5697通もあり、3番目に多いというから日米関係に大いに影響する可能性もある。



政治はある意味では情報戦であるから、権力側は情報操作に力を入れる。真実を隠し、もっともらしい嘘を流して大衆を操作し、世の中を都合良く動かそうとする。その手先となるのがメディアだが、反面メディアは情報操作の裏を暴いて真実を明るみに出す事もある。
政治は敵対する権力が争い合う世界であるから、真実を隠し続けるのも難しく、いつかは必ず明るみに出るものだ。権力が定期的に交代する民主主義社会ではそれが可能になる。ところが我が国のように単独政権が長期に及び、百年以上も官僚が支配してきた国家では「秘密は墓場まで持っていく」のが習わしである。

その点、アメリカでは保管されている公文書は、秘密がつきものの政治と外交の機密事項がのちに時期が来れば国民に公開されることになっている。それが民主主義の根本であるという思想が示されている。国民の税金を使って集めた情報や政治の記録は、最後は国民に還元される。民主主義は「真相を墓場まで持っていく」事を許さない。その情報開示の解禁がおおむね30年後とされている。そのアメリカが、アップデートの機密事項を暴露するウィキリークスに手を焼いている。そこには国益もプライバシーも眼中にない過激なネット社会の縮図がある。


わが国では沖縄返還交渉の「密約問題」で分かるように、アメリカ政府が明らかにした事を日本政府が否定し続けるというおかしな事が続いてきた。その際、日本のメディアは日本政府が否定するのを糾弾せず、日本政府が認めるまでは断定的に書かない立場を取ってきた。権力側が認めない事は書かないのが日本のメディアの伝統でもある。


 you-tubeで公開された尖閣事件のビデオ流出問題では、流出させた海上保安庁の保安官が名乗り出るまでは、国も報道機関も犯人捜しに明け暮れた。
あのビデオに秘密性があったと言うのは日本政府の詭弁で、関係者はすべて情報を共有可能な状況にあったからだ。しかし海上保安官は国土交通大臣がビデオを外部に漏らしてはならないと指示
した後で漏洩させたことで、公務員として責任が問われているのだが、それよりも保安官を英雄視する声が圧倒している。これは国民の理性を超えた国民感情の強さが現れた結果であろう。


これまで国家権力は、すべての情報を独占し、恣意的に情報を操作することで成り立ってきた。江戸時代の昔から、権力側は常に「よらしむべし、知らしむべからず」の精神で、民衆を為政者に従わせてきた。真の情報には一切触れさせないことが国家統制の肝で、それをできる人物だけが権力を握ってきた。


警視庁が長年かけて集めた国際テロの捜査情報が一瞬にしてネットに流出・拡散した事件も同じことで、極秘情報の蓄積という警察組織の威厳は見事に崩れた。ネット社会の異様な発達で国家権力そのものの意味が薄れてしまった。

今のネット社会は、動画投稿サイトやファイル交換ソフトがめまぐるしく発展し、誰もが匿名で国家機密すら漏洩できてしまう時代になった。一度漏れた情報はすさまじい勢いで拡散し、国家権力側も手の施しようがない。あの中国も例外ではない。
今回の衝突映像流出を引き金に、日本でもネット情報に一国の政府が揺さぶられ今やその対策に大わらわである。

もはや、ネット社会の前では、情報の独占も権力も形無しで、この国は為政者が存在しているようで存在しない無政府状態に陥っている。

このようにネット社会が広く急速に浸透していく現在、インターネットが世界のありようを大きく変えようとしている。軍事に限らず、個人情報、生命、財産すべからくネットに依存していくであろうこの社会は、情報支配をめぐって、国と国、国と個人、個人と個人の闘いが顕在化する予兆をはらんでいる。

2010年12月7日火曜日

見果てぬ夢



今年は猛暑のせいか海水温がまだ高い。11月末南房総白間津で1.2kgのシマアジを釣り、翌日は10号ハリスを切られるオオカミ(シマアジの10kgオーバーの老成魚)に遭遇し、悔しい思いを残したまま、今月に入り定宿の金沢八景野毛屋でフグをやることにした。


通常なら10月ごろに東京湾内房の大貫沖に海苔棚が設置され、この海苔を食べに回遊してくる多くのショウサイフグでにぎわうのであるが、どういうわけか今年はこのよりフグが少なく、船宿も気をもんでいるところに、11月半ばころから、港のすぐ沖で、トラフグと並んで味の上位にランクされる、アカメフグ(正式には彼岸フグ)が大量に釣れているというので、最近作った自作のフグ竿の調子を見るために半年ぶりに、混雑を避け、平日の月曜に来てみたら結構釣り客が来ていた。
さてその釣果はキロオーバーのアカメが4匹、それ以下が2匹にショウサイフグが2匹、船上でさばき、2~3日冷蔵庫に寝かせて、居酒屋に持っていく手はずになっている。

                                               アカメ           ショウサイ

フグを食す文化は古く、江戸時代からあり、フグにまつわる俳句も多くある。

ふぐ食わぬ奴にはみせな 富士の山  一茶

河豚くうて 尚生きてゐる 汝かな  虚子

河豚汁や 鯛もあるのに 無分別  芭蕉



湾フグ釣りの歴史は今から 30~40年前にさかのぼる。八景野毛屋の今は無き先代の親父が、神奈川県で最初に始めたそうである。
やがてそれが東京湾エリアから湾奥エリアに広がったそうだ。湾奥エリアでは浦安吉野屋あたりが、神奈川の船宿に釣り方のノウハウを聞きに行ったそうで、これが約30年前のことで、最近では相模湾の船宿沖右衛門の船頭が教えを乞いにきたらしい。そんなわけで釣り自体の歴史は新しい部類であろう。野毛屋は先代の時から通っており、店には私の鯛の彫刻が今でもある。

最近ではフグの釣り人口も増え、それに付随してタックルは驚くほどの進化を遂げでおり、その殆ど全ては熱心な釣り人が、船宿の船長の助言を受けながらコツコツ開発した跡がうかがえる。最近では船宿特注の竿も多く出回っている。また仕掛けについても甘エビを2匹付けて釣っているが、餌の状態が悪いと見向きもしないグルメな魚でもある。

釣りの中でもカワハギとならんで難易度が非常に高いこの釣りは、神経質で繊細なこの魚の特質に由来しており、その当たりはよほど注意して穂先を見ていないと分からないほど、非常に小さい当たりをキャッチする竿が要求される。



写真の竿は最近作った2.07mの自作の和竿であるが、20本近く作ったフグ竿の集大成のもので、穂先の感度と大物を釣り上げた時のしなり具合と強度が申し分ない結果を得た。仕上げは緑の色漆で、中央部に蒔絵を施した。そこで一句、



覚めやらぬ 夢を水面に 糸を垂れ  創雲





見果てぬ夢