2008年10月23日木曜日

アートな話「民芸と工芸の狭間で」



   花器 「風穴」 吉川 創雲  2008

柳 宗悦 (やなぎ むねよし )は大正末期に、 民芸運動を起こした 思想家 美術評論家として日本民藝館の創立者である。白樺派の作家達や陶芸家の浜田庄司、版画家の棟方志功と深いつながりがあり、民藝運動の父として名を残している。民芸という言葉は 民衆の「民」と工芸の「芸」を結びつけた柳の造語である。英訳の場合は、Folk Art ではなく、Folk Craft と表現した。その理念は「用の美」であり、民衆の民衆による民衆の工芸であった。


一般の工人達が作る民藝品と作家の作品とには、色々な点で対極的な性質が見られる。一方は実用を旨とし、多量性と安価に対して、他方は鑑賞の品に傾き易く少量高価となり、。更にまた一方は共通する伝統に依存することが多く、他方は独自の創造の道を進む。従って製作意識の点でも、両者には著しい差異が現われる。作家品は民藝品ではなく、この二つは互いに相反し矛盾するものとして受け取られることになる。両者ともに作品の芸術性と用の美を希求している点では、志向的には差はあるものの、良い作品(製品)を作りたいという意味でほぼ一致している。


「用の美」とは使うことに忠実に作られたものに 自ずと生ずる自然で暖かみのある美しさのことで、特に多くの一般の民衆が普段から用いるものの中に 「用の美」が見い出されたため、 このようなものづくり、民衆的工芸を縮めて 民藝という言葉が日本民藝館の創立者柳宗悦らにより作られた。用の美とは使いやすさを追求したことにより自ずと生じる美しさのことで、ものづくりのあり方を考える礎となり、我々は作品(製品)を使って美を味わうことになる。


一方では、かの北大路魯山人が、民衆の生活レベルから解離した柳宋悦の立ち位置を批判したことも、工芸と民芸の併せ持つ矛盾を指摘したものである。やがて「民衆的工芸」を目指しながら作られたものは、時代と共に次第に民衆の手の届かない 高価な工芸品が生まれ、昨今の工芸界を凌駕している。


・・・・私も鎌倉彫の作り手として、作品の芸術性と用の美を絶えず心に置き、作品の制作にあたっているが、鑑賞と実用の狭間で一地方の地場産業に携わっている者として、伝統技術の継承と時代に即した創造性を求めて止まない。

2009年にはわが喜彫会も30周年を迎えることになり、来る1月8日(木)から12日(月)まで鎌倉芸術館で30周年の記念展を開催し、会員の作品337点を発表することになった。

上の画像は私の最新作で、展覧会のテーマでもある風をイメージして陶器とのコラボレーションを試みた花器(風穴)である。

2008年10月19日日曜日

アメリカの原理




プラグマティズムとは実用主義とも言われ、イギリス経験論の流れを汲む哲学である。抽象的な思弁を排し,実験などの科学的方法や思考を日常生活に応用しようとするプラグマティズムの影響を濃く受けた日本人として、夏目漱石、柳宗悦などがいる。

アメリカではおよそありとあらゆものが、このプラグマティズムの考え方を基に動いている。行動の基準を「現実に役に立つか、立たないか」で判断し、全てはケースバイケースである。より現実的で、相対的な考え方をする。合衆国には自由主義、民主主義、人道主義、資本主義といったいろいろな顔があるが、その全てに優先しているのが、プラグマティズムであり、昨今世界中からご都合主義と陰口をたたかれているものである。

何より大事なはずの個人の自由が制限されたり、人命が軽視されることがあるのも、プラグマティズムによって説明がつく。われわれ日本人が違和感を感じるような政策や決定も、このことを理解していれば分かり易くなる。

ただ、理念とか一貫性に乏しいために、場当たり的な欠点があり、かつてソ連に打撃を与えるためにアフガン人に武器を与えたり、、イランによるイスラム革命の広がりを防ぐためにイラクを援助した.
またビンラディンやタリバン、アルカイダなどは、もともとCIAが支援していた軍事ネットワークであったものが、巡り巡って自分の首を締めることになった。

イラク戦争などでブッシュの利権(ブッシュと深い関係のある石油企業)が、アメリカが戦った跡地のイラク、アフガンで確実に利権を獲得している事実や、軍需産業と結び付いているネオコンのチェイニー副大統領などの懐を肥やしている事実などに気付き始めたアメリカ国民に対して、ニューズウイーク誌が行った最新世論調査では、ブッシュ大統領の支持率は26%と過去最低を記録し、逆に不支持率は過去最高の65%に達した。


この史上最悪の強欲大統領のもと、足りたるを知らない米国民は借金(カード、ローン)でモノを買いまくり、2000年代の世界経済の高成長を支えた。ブッシュ一族をはじめFRBのバーナンキもロックフェラーもユダヤの血が流れている。恐るべしユダヤ人。
世界的なカネ余りに伴う低金利で世界中のカネがアメリカに集まり、特に日本はフェイクマネー(贋札)に化けていく源泉のカネを貸し付け、借金でモノを買いまくるアメリカ人に我が国の製品を輸出することで潤ってきた。それ以上に中国の対米輸出の伸びはすざまじい。今回の金融システムの破綻によって借金漬けのヤンキーズの退場は世界経済に大きな打撃をもたらすだろう。2004年には二桁増となった世界の貿易量の伸びも今後は5%以下に落ちる見通しだ。

この混迷の世界経済の中で、日本の経済界には日本のモノづくりやイノベーションが再評価される時代になるといった声が聞こえている。虚業から実体経済の復活を望む声である 。

2008年10月13日月曜日

ブッシュショック



新車販売 世界で急減速。(日本経済新聞 2008年10月3日朝刊)米国発の金融危機が世界の自動車産業を揺さぶっている。震源地の米国の新車販売台数は九月、前年同期比26.6%減となり17年ぶりの低水準に縮小。。世界経済の牽引役となってきた自動車産業の不振は金融危機が実体経済に波及し始めたことを象徴している。

また日本の8月の貿易赤字は 3240億円。ここにきて新興国市場も減速感が強まっており、日本はとうとう輸出では稼げなくなってしまった。 資源価格の高騰、さらには食品原材料などの価格上昇で、輸入金額が増加している。半面、輸出は円高の影響や米国経済の減速などから伸び悩んでおり、貿易収支の悪化に拍車をかけている。

今まで【自動車】に頼ってきた日本経済が大きな転換期に差し掛かっている。日本経済好調の背景には自動車があり。今や日本は加工貿易では稼げなく投資収益で稼ぐ国になっている。アメリカの後を追っているが、投資収益ほど危うい収益はないのは今の世界的金融混乱を見ればわかるはずである。


アメリカの金融危機が世界中に増殖しているが、一番厄介なのは6000兆円以上のCDS(債権破綻保険)の存在である。実にアメリカのGDPの4倍の金額である。米国の有名な投資家ウォーレン・バフェットは、すでに2002年の時点で、CDSが持つ連鎖拡大的な危険性を指摘し「金融の大量破壊兵器」と呼んだ。当時はまだ、優良金融機関が破綻して債券のCDS保険金支払いが必要になるなどということは「あり得ないこと」と考えられていたが、これが今や大爆発を起こしている。

物価が高騰しているのは日本だけではない。世界的にインフレがひどくなっている理由は様々考えられるが、主因は世界の主要商品の価格を形成している米ドルの供給量が急増し、ドル安が進行したためだと考えられている。通貨供給増はインフレに直結する。単純に言えば通貨供給が2倍になったら、物価も2倍になると考えられる。 基軸通貨であるドルの下落 は、各国の経済にも多大な影響を与えるが、各国は自国通貨量の供給増、もしくは「ドル買い」の方法で、ドル暴落を支えているのが現状だ。しかし、これは延命措置に過ぎない。というのも、いずれも最終的には「世界的インフレ」か「ドルに対する各国通貨の切上げ」という現象に繋がるためだ。基軸通貨の崩壊という必然的メカニズムから、ドル崩壊→米国の覇権衰退は明らかだ。にも関わらずこのドルの延命措置を外貨準備高の多い中国、日本、サウジをはじめ各国はいつまで続けるのだろうか?

私が20代で輸出業務をやっていたころの悪夢が今蘇る。1971年ニューヨーク滞在中のホテルで朝刊にニクソンの大きな顔が一面に出た。ドルと通貨の交換停止、と為替の変動相場制への移行が伝えられた。ここから1ドル360円の崩壊とともに円高が始り、日本の輸出産業はダメージを受けた歴史がある。いわゆるニクソンショックである。そして2009年を迎えるアメリカ経済にブッシュショックが静かに潜行している。

2008年10月10日金曜日

紙芝居国会



 国会中継を見ていると面白い光景が目に入る。、国民新党の亀井静香が、代表質問でいいことを言っていた。
「今や、自公政権じゃなく、公自政権になってしまった。しかし、総理、次のことをどう考えますか。公明党は創価学会の宗教施設で選挙運動をやっているのと違いますか? それで宗教法人として、莫大な税金納入を免れている。一体それでいいんですか?」
これには麻生首相も面喰ったらしく、質問項目が多いことを理由に、これに答えなかった。この質問は企業利益が回復、増収を重ねているにもかかわらず法人税を払わない、亡国の銀行の面々にも当てはまる。


ブッシュ米大統領は11日午前、中川昭一財務・金融担当相ら7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議に出席する各国の財務相をホワイトハウスに招き、金融危機への対応について協議するようだ。アメリカもいよいよ尻に火が付いてきた。
最近中川昭一・財務兼金融担当大臣は記者会見で「日本への影響は些細なものだ」と答えている。こんな経済音痴の大臣がホワイトハウスで何を喋るのか?彼が常に「酒臭い」のは政界では有名なハナシだ。この酔っ払い親父に国の経済を任せられる日本も平和な国である。
それにしても自民党大臣の妄言の多いこと。中山国交相、太田農相、まったくまともな大臣はいねーのかと言いたい。権力のタライ回しはもういい加減にしてもらいたいものだ。解散をお勧めする。

2008年10月2日木曜日

アートな話 模倣について 


       ピカソ (人形を抱くマヤ)

芸術の世界では模倣,2番煎じ,なるものは忌み嫌われることであるが、ピカソについてある話がある。彼が足を運ぶギャラリーでは展示されている作品の おいしいところを持っていかれると,画家仲間はささやき恐れていた。 ピカソはただ作品を模倣したわけではなく,彼の感性で絵画から啓示されたものを 自分の絵に取り入れ破壊と創造を繰り返していただけである。このことから芸術において模倣は否定されるものではないことが分かる。すなわち 作品に自分なりの味付けを加えることである。





かつてパロディー裁判(写真家白川義員とデザイナーマッドアマノ)があったが、 「パロディ」の語源は真似歌を意味するギリシャ語「paroidia」にあり、他者の作品を風刺的に真似る慣習自体は古くから存在していたことがわかる。美術においても、ルネサンス期に習作や模写がディシプリン(規律)に組み込まれた経緯がある。ただマッドアマノ氏のように白川氏の原画に承諾を得ずに加工したのでは道義的責任が生じる。本来パロディーとは元の作品を批判、風刺するものなのだから。

模倣といえば猿真似という言葉がある。サル(動物)には人間と違って想像力が無い,唯一生命の危険に対しての想像力はある。これはどの動物でも同じで、私が釣りでよく経験することだが魚も危険を察知すると咥えた餌を吐き出しバラしにつながる。フグの場合は釣った場所ですぐさばいて頭を捨てると、ほかのフグはその場所では釣れなくなる。



日光サル軍団という演劇集団をご存知だろうか,人間一人を演技指導するのさえ大変な 所にサルの一団を統率する校長の努力は大変なものだ。汗をかき熱を出し病名も分からず寝込む日もあった。後日談だがこれはサルのたたりらしい。彼は演技指導の時、言うことを聞かないサルを,連中の目の前で徹底的に痛めつけ殺す。 いわゆる見せしめだ。演技をしている恐怖に引きつったサルたちの顔を見れば、いかにサルたちが校長を恐れているかが分かるだろう。芸術全般において、よい作品を見てそこから啓示を受けることはよくあることである。しかしそれを咀嚼して自分なりに消化しきれずに、作品に原形が垣間見られる状況は良いことではない。