2011年4月20日水曜日

原発の不条理

ギリシャ神話に登場するシジフォスは神々に尖った山の頂に岩をころがして上げるよう刑罰に課せられ、上げても上げても岩は下に転げ落ちる。ひとたび山頂にまで達すると、 岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。 無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、 もっともなことであった。
これが人間が置かれた現実でもある。理性的に考えれば無意味なことを、シジフォスと同じように人間は生きるために必死でやらなければならないのだ。人間が生きているこの世界は実は、こうした不条理なものに満ちている.フランスの作家アルベールカミュの著書「シジフォスの神話」のくだりである。現在の福島原発で起きている事態、放水しては溜まった汚染水を安全な場所に運ばなければならない作業が果てしなく続く不条理。

榎本聡明顧問

東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発について、東電の榎本聡明(としあき)顧問が毎日新聞のインタビューに答え、「原子炉を冷却し、廃炉に不可欠な核燃料の取り出しに着手するまでに約10年かかるとの見通しを明らかにする一方、放射性物質を残したまま埋めてしまうことはない。チェルノブイリ原発のように燃料ごとコンクリートで埋める「石棺方式」は取らないことを強調した。」

一方で東電の勝俣恒久会長は1~4号機を廃炉にする方針を明らかにしているが、通常の廃炉までの必要年数は20~30年かかるとされている。

 また榎本顧問は1~3号機で続いている原子炉への注水作業について「水を注入するほかない。燃料がこれ以上溶解するのを食い止めたい」と説明。本来の冷却システム「残留熱除去系」の復旧には少なくとも1カ月かかるとの見通しを示した。予備の冷却システム増設も併せて進め、原子炉内が「冷温停止」と呼ばれる安定な状態になるまでには数カ月かかると述べた。

放射能漏れにつながっている汚染水の問題については、放射線量を放流できるレベルまで落とす浄化設備を今月中に着工。数カ月後をめどに、放射性物質を原子炉建屋内に閉じ込める対策も並行して進めると述べた。周辺自治体に対する避難・屋内退避指示の解除などは、この段階が検討開始の目安になるとみられる。

廃炉への課題として榎本顧問は(1)原子炉建屋が損傷しており、まず放射性物質の拡散を防ぐ対策が必要(2)1~3号機の燃料棒が推定で25~70%損傷しているため、従来の方法では取り出せない、と指摘。燃料の回収装置を新たに開発し、燃料回収を始めるまでに10年はかかると述べた。

 そんな折、政府からの要請で東電から福島原発事故の収束工程表が示されたが、6~9カ月かかって2ステップの工程を完了させるというものだ。具体的には原子炉を安全な「冷温停止状態」とし、原子炉建屋をカバーなどで遮蔽することを当面の目標と位置付けた。
しかし当面「数カ月をめど」とする見通しは最も楽観的なもので、格納容器が壊れていない1、3号機は爆発などが無いかぎりそれもありうるかもしれないが、格納容器の下部が水素爆発で損傷している2号機は格納容器内に水がある限り高放射能汚染水の垂れ流しは終わらない。3つの原子炉に合わせて1日500トンの水を注入し続けているので、数カ月で現在以上の汚染水を抱え込むことは間違いない。2号機の破損部を修復するために格納容器の水を抜くには、内側にある原子炉圧力容器が健全であって冷却系を回復する必要があるが、2号機で原子炉圧力容器の底抜けの可能性が高い場合、それも難しい。

英紙ガーディアン(電子版)によると「福島原発の原子炉を開発した米ゼネラル・エレクトリック(GE)社で福島原発建設時に同型炉の安全性の研究責任者を務めた専門家は、少なくとも溶融した燃料が圧力容器から『溶岩のように』漏れ、格納容器の底にたまっているようだと説明」したと言っている。この認識は当事者の東電より事態を深刻に受け止めている様子がうかがえる。

2号機の状態は毎日、真水を注ぎ込んで溶融した核燃料から高放射性物質を洗い出しているのと同じで、その漏出箇所には人間は近寄れない。、なお原子炉内の高放射性物質の漏出は1割以下でまだ放出量は数%に止まるが、2号機からは最悪の場合、何割もの放射能が環境に出ることも考えなければならない。東電・技術系の考えている「楽観的見通し」が外れる可能性がある現在、何が起きてどう対処するか最悪の場合の対応策も考えておかなければ国民への責任が果たせないし、日本の技術力への失望はさらに世界に広がるであろう。

現在、この福島原発事故の影響で、日本経済において食品の輸入制限から工業製品のすべての放射能検査の強制などを含め、日本製品は世界から疑心暗鬼の風評被害にあっている。
このような状況下で、一国の首相がなぜ世界に向かって日本製品の安全性を声を大にして発信しないのか出来ないのか、国民ははがゆく感じているところだ。

その一方、静岡県御前崎にある中部電力浜岡原発は、来るべき東海地震では活断層の真上に立っている最も危険な原発で、直下型地震によって今後30年以内に福島以上の悪夢が取りざたされているところである。ここも北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピン海プレートが重なった境界線上にある。西風が多い御前崎近辺からは一極集中の首都圏が災害の射程距離に入る。
原発震災」なる言葉を生み出し、当ブログでもご紹介した地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。


 「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)

今後行政機関の地方分散化も視野に入れた政策を考えないと、日本という国の存亡にかかってくる。今後の国の取り組みを注視していきたい。
●原発技術者菊池洋一氏が訴える浜岡の危険性(動画

2011年4月9日土曜日

2011年

日産自動車 いわき市
東日本大震災によってその地域に生産拠点を置く企業体の生産設備や社会資本などが破壊され損傷し、多くの企業の生産力が予想以上に落ち込んでいる。他方では放射線物質による汚染
を懸念しての風評被害が、生き残った農業や漁業にも甚大な影を落としている。


東北地方の生産の停滞で深刻と考えられているのは、電子部品や情報関連、自動車などの中間財の生産である。電子部品や情報関連については、東北地方は近年、工場を積極的に誘致することで、生産シェアを高めてきた。

電子機器の統計によると電子部品・デバイス・電子回路の東北6県の出荷額のシェアは12.3%、情報通信機械の東北6県の出荷額のシェアは14.4%を占めている(2009年)。東北6県のうち、岩手、宮城、福島の被害は甚大で生産がストップし、これらの県の工場からの部品供給によって生産している他地域の工場の生産も止めざるを得ない状態となっている。自動車部品に関しては、供給が途絶えたことによりアメリカや多くの海外メーカーも減産を余儀なくされている。

鹿島コンビナート

当面、こうした状態が続くと考えられるが、メーカーの間では、復旧を急ぐとともに東北の工場で生産していた部品の生産を他地域に移管するなど、着実に対応を進めており、おそらく数か月以内にはかなり態勢が整っていくと思われる。半導体や電子部品のメーカーが過去に九州地区に偏在したために東北地方に工場を分散させた経緯があったものの、今回の被害が鹿島コンビナートまで及んでいる状況下では、石油化学製品や紙、インキの供給不足も続いている。
計画停電の打撃なども重なってモノの供給不足は幅広い業種に広がっているのが現状で、電力制約が長期にわたって続く事も考えればこの状況は少なくとも震災後1年程度は続くだろう。

我々個人の生活においても今回の計画停電には辟易としたが、利便性の上に成り立っている電力依存型社会のもろさと危うさを再認識した次第である。


一方で震災後の復興のための投資は、企業の設備投資、住宅投資、社会資本に対する投資やインフラ整備で生じる需要の増加は、低迷する経済にとってプラスの材料になるが、これも余震や原発問題が収束すれば、復興に取り組むことができる環境が徐々に整って可能になる話であるが、復興までの道のりは険しく長い。それだけ今回の地震の被害はおおきかった。

阪神大震災時は復興資金は10年間で総額16兆円が投入されたが、今回の復興資金は最低その2倍は必要とされている。

政治のリーダー無き多様性の時代2011年は、わが国にとって試練の年であり、また社会の価値観が変わる分岐点でもあるだろう。

2011年4月5日火曜日

アートな話「色について」

◆ 無彩色の世界
                     

                               雪舟の水墨画「秋景山水図 」

前回まで色の3原色(赤、青、黄色)にまつわる話の続きとして、今回は色相や彩度とは異なる明度という属性を持った黒の話である。

その黒の対極にあるのが白で、明度の階層によって白からグレーそして黒へと、目に感じる波長帯の光の大半を反射してしまう白から、ほとんどの光を吸収する黒へと無段階に変化するグレーゾーンが中間にある。

絵画上この黒を無限に駆使したものに水墨画がある。水墨画は、中国の唐 で始まり宋代に完成され、日本にはそれが伝えられて、鎌倉時代から室町時代にかけて発達し,雪舟が日本的な水墨画を完成したと言われている。

水墨画は、主に禅宗の僧によって描かれるのは墨一色の無彩色の世界が禅の境地に通じるからだと言われているが、しかし、墨はたんなる黒一色ではなく、そこにはさまざまな世界が表現されている。 ハツボク(破墨)」は淡墨で描いた上に、さらに濃墨で手を入れて立体感や全体の趣などを表す技法で、雪舟の「山水図」が「破墨山水」ともいわれている。

 
中国の「墨に五彩あり」という言葉は、墨がかもし出す豊かな表情を端的に表現している。墨は薄められると無限の階調を生み、そこに「にじみ」や「かすれ」の技巧によって、無限の表情が現れてくる。室町時代の人々が好んだのは、その墨の表情であり、単色の黒そのものではなかった。そして中国で水墨画を学んだ雪舟によって日本の水墨画が完成された。

水墨画を最も特徴づけているのは,いうまでもなく筆一本で表現する墨の色に尽きる。その表わす明暗濃淡が深く人の心に働きかけ,幽玄の世界に誘う。
滲み(にじみ)は,東洋絵画の主材料である水絵の具と,染み込みやすい紙(又は絹布)の特性から生まれてくる。滲みは元々,粗壁に生じた染みシミ(むらむら)を見た古人が,その偶然がもたらした装飾性や象徴性に感じ入り,芸術心を刺激されたといわれている。そこに,人の作為の及ばない人工を超えた幽玄・神秘を感じる発想がみられ、滲みと技術的に近い関係のある「暈しボカシ」の濃色が淡色へと変化させていく技法も,古く奈良や平安の仏画や大和絵にみられる。

滲みが普通,水で濡らした画面に濃い墨を加え,その墨が次第に淡くなって広がっていくのを言うのに,その逆にまず濃い墨で描いて,それが乾かないうちに水分をたらす。そうすると,水分は濃い墨の周囲を押し広げて,中央は淡く周囲が次第に濃くなっていくという複雑な効果が得られるのがにじみの逆のたらし込みの技法となる。


さて現代絵画において、黒を鮮やかに表現した作家に吉原治良がいる。前衛美術集団「具体美術協会」のリーダーで戦後抽象絵画を引っ張ってきた吉原は、抽象絵画の草創期に活躍した作家であるが、写真は1970年に発表された白い円のシリーズの1つである。2つの対角位置にある色の違い、すなわち白と黒の極限のコントラストが、その明快で微妙なバランスで表現されている。ある意味で色相間の補色のコントラストよりも、白と黒の様な無彩色のコントラストの方が私の眼には強烈に映る。




桃皿 風の落とし物 吉川創雲


◆ 漆黒 

もう一つ忘れてはならない黒がある。私が日常塗っている漆の黒である。いわゆる漆黒(しっこく)
と呼ばれるものである。漆の黒は精製の過程で、中塗用(黒中)、上塗り用(呂色漆)と大きく分けられるが。通常の塗料、絵の具などと違い顔料を混ぜて作るのではなく、漆の原液に微細な鉄粉を1%混入し、4~5日寝かせると鉄に反応した漆は黒くなっていく。その後ナヤシという工程を2時間程経て均一の黒漆が出来上がるわけだが、黒は色漆の下地となるベーシックな色でもあるが、上塗りに使用する呂色漆は、塗りあがってから研いで上質の漆で摺りを重ね、仕上がった黒は非常に奥行きのある深い黒色を発するまさに漆黒と呼ばれる所以である。
漆の黒はどんな塗料にも出せない味わいがあり、日本の伝統的な漆文化の基軸である。