2015年8月15日土曜日

オリンピック 3つの懸念

ごたごた続きの東京オリンピックであるが、最近の情勢をみてみると、3つの懸念が頭をよぎるので以下に列記してしてみた。

1.メインスタジアム
没になった新国立競技場デザイン

2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会のメインスタジアムである新国立競技場の建設計画は、当初から担当組織のいい加減な予算の立て方や、その利権に群がる政治家の思惑で空転が続き、挙句の果てに安部首相の一声で白紙見直しが決まった。
当初の試算1300億円から二転三転したあげく、多目的の運用を想定し、2520億円に膨れ上がった新国立競技場の整備計画。世論の逆風に押されて、その費用の積算根拠や責任の所在などを明らかにするための第1回検証委員会が8月7日、文科省で行われた。
文科省傘下の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)は、早い時期からゼネコンの共同企業体(設計JV)より予算が3000億円は超えると報告されていたにもかかわらず、文科省に過少申告をして事態を混迷させていた。そこには情報操作の疑惑まで浮かび上がる様相が見えかくれする。

JSCの試算では、新国立競技場の年間維持運営費は40億円余。これは、旧国立競技場の維持運営費の約8倍になり、回収不能と言われている。かつて日本中の町に多目的ホールが建設され、「無目的ホール」と揶揄された箱ものがあふれている昨今。そしてその多くが、今や維持困難になっている。「無目的競技場」の将来世代への負担はあまりにも大きい。いうまでもなく身の丈に合った施設を作るべきで、政治家の利権に振り回される国民はたまったものではない。

2.コピーワールド
ベルギーのデザイナーのデザインとスペインのデザイン

国立競技場に続いて、オリンピックに関連したデザイン盗用問題が起きた。 2015年7月24日に発表された東京オリンピックのエンブレムだ。
事の発端は、ベルギーのリエージュ・シアターのロゴマークに似ているとして、このロゴをデザインしたベルギーのデザイナー、がTwitterやFacebookなどのSNSで両デザインを比較した画像を発表したこと。この画像がインターネットを通じて一気に広がり、日本国内でも「模倣ではないか」と多くのメディアが取り上げる事態になった。その後ドビ氏はオリンピックエンブレムの使用停止を求めてIOCとJOCに、書簡を送付している。またスペインのデザイン事務所のロゴとも似ていて、足して2で割ったデザインとも指適されている。
 
こうした事態に対して8月5日、オリンピック組織委員会と、デザイナーの佐野研二郎氏が都内で会見。佐野氏は「全く似ていない」とベルギーのデザイナーの主張に真っ向から反論した。なるほど色といい形といいよく似ている、これでは
パクリと言われても仕方がないだろう。創造においては素材(要素)を抽出する模倣の段階から、それを消化して新たな構造(再構成)を作る過程を経て、機能を探り新たな機能を創り出し完成度を高める手順というものがある。このエンブレムは未消化のままだ。さらに悪いことに、最近になって他に出回っているパッケージデザインも2~3コピーしたことを本人が認めたことから、問題がこじれ、これが国際問題に発展しないことを望むばかりだ。我々は日々の経験則から一度ケチの付いたものは最後までケチがつくことを知っている。老婆心ながら最後にもう一つオリンピックについての懸念がある。

3.3.11から5年後以降の東京の環境
福一から250kmの位置に横浜がある

原発問題を発信し続けているノンフィクション作家の広瀬隆氏は、緊急出版した著書〔東京が壊滅する日〕が話題になっている。
すでに事故から4年をすぎた現在、日本に住むほとんどの人は「事故と被害は終った」と勘違いしているが、「福島第一原発」の事故現場では、大量の放射能放出が続いており、東京電力が発表する放出量は変動が大きすぎて信頼できないのだ。毎日6000~7000人の作業者が、汚染地帯で身を削って働いている。そしてここから漏れ出している放射能汚染水は、地下水脈を流れ、ハンパな量ではない。東京電力は必死になってそれを回収しているが、この4年間で貯蔵量が75万立方メートルというトテツモナイ量に達しているのだ。

著書では、トリチウムの危険性を言及しており、これが放射性セシウムと放射性ストロンチウムと共に、汚染水に大量に流れこんでいるのだ。
トリチウムという放射性物質は、元素としては水素である。しかし通常の水素は原子核が陽子1個でできているが、トリチウムの原子核は、そこに中性子が2個くっついている。DNAを構成する究極の原子は水素H、炭素C、酸素O、窒素N、リンPである。その水素が、放射線を出す水素になってしまえば、体内で、どれほどおそろしいことが起こるかは、誰でも想像できるだろうとしている。

しかしほとんどの人が持っている簡易式の放射線測定器は、放射性のセシウムやヨウ素が出す「ガンマ線」しか測定できない。

Air counter-S
ストロンチウム90やトリチウムが出す「ベータ線」を測定していないのである。私もネットで買った線量計を持っているが、役に立たない、国もストロンチュウムとトリチウムの線量は正式に発表していないのが不気味だ。不都合な事実が潜んでいる気配がする。

最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?
チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増、それが2016年からだ。2020年はどうなっているのだろう?

2015年8月11日火曜日

アートな話「色と形そして未来」

日本の伝統色


日本文化の個性として色に象徴的に現れる中間色やそれぞれの色に、自然を手本とした呼び名があるように、一つの色をとっても階調が豊かで情緒的で、他国と違った曖昧さの残る感性が、日本人の特性を表している。その根底には、絶えず変化する自然が色という表層から、色の移ろいやすさを感じ取り、色の境界線が曖昧なまま日本文化の特徴を示している。そのことは四季のない他国では見られない風土と自然が日本の文化を育んでいることと関連している。


遠近法と地平線
 
 
 
 
一方ものの形を表す線については、曲線と直線が有る。曲線が繋がるところに真円あるいはアットランダムな歪んだ円が存在する。そして自然界の動植物も円から派生した曲線から成り立つ。唯一自然界で認識される直線は、地平線(地球の成り立ちからいえば曲線)である。
古今東西、絵画における地平線は直線で画面を天と地に分けられるが、その画面における比率は、作者の感情表現に委ねられる。直線は上下縦横を分ける線であり、天上と地上、物と人、人と人の間を分け、区切りをつける言わば境界線でもある。それは情緒的な曲線とは違って、知性の線である。

西洋の古典派の画家たちは、空間を写実的に描くため、事物や建造物など人々の周りに存在するもののリアリティーを表現するため、必然的に直線が抽出され、隠れた直線とも言えるパースペクティブの遠近法を忠実に再現して行く。
そして西洋の遠近法は、ダビンチに代表されるように目から遠ざかる対象は縮小し、色彩の変化と、形のボケ、並びに空気遠近法まで持ち出して、対象が遠ざかるほど空気の色が青に見えると言った、合理主義的な形態の把握を志向している。それとは対象的な日本の逆遠近法は、西洋の理知的な合理主義とはかけ離れた、情緒的とも言える、西洋から見たら驚く手法をとっている。




現代絵画では、理知的な直線をどこまでも追求し、直線の交差するせめぎ合いから、理知的な直線から一歩抜け出た、リズム感と叙情的な直線を表現したモンドリアンの絵画が見られる。

絵画の歴史の中には常軌を逸した、画家たちも多い。その中に見られる一種強迫観念に憑かれた偏執狂的な作風の画家達。
 細密画で知られるブリューゲル、偏執狂的な色彩とタッチの絵が特徴で、最後は精神を病んで自殺したゴッホ、 自らの制作方法を、偏執狂的批判的方法と称して、写実的な描法を用いながらシュールな風景画を書いたダリ、 幼くして統合失調症を病み、幻覚幻聴から身を守るために作品を水玉(ドット)で埋め尽くす草間彌生、ウイーン幻想派  レムーデンなどなど数え上げればきりがないが、番外編では スペイン出身の建築家ガウディがいる。バルセロナにあるサクラダファミリアも、市の財政難のため建築が中断され、未だ未完成のままだ。

二十世紀後半のシュールレアリズムに見られる、意図的に無意識の世界に創造性の根拠が求められ、知性と感性を内包した交流を意識と無意識の相互交流の中で表現を求めた潮流から、一転して現代美術は現代の無機的な社会構造、テクノロジーの進歩に呼応するようなテクノロジーアート、クールアート、ハプニング、コンセプチャルアート、インスタレーションなど、従来のような有機的でヒューマンなものを否定するトレンドが見られる。中には映像を駆使したものや、コンピュータを利用したものなど視覚芸術の革命というべきステージに来ている。

Kaleidoscope with Mirror HARRIER」インスタレーション

人間の感覚器官の一部が電子機械で外部に向かってアウトプットされ、知覚系にある内容がボタン一つでプログラミングされているコンピュータから色や形になって発信されて行くのである。この流れはどこに向かって行くのだろうか?近未来には、かつてのヒューマンなタブローを回顧し復興させる流れがくるかもしれない。コンピューターが人間を支配する危うさが予見されるから、やがて人々は危機感を持つことになるだろう。なぜなら機械には自分を制御する感性も心もないから、誰もその暴走は止められないからだ。

2015年8月5日水曜日

日々雑感

気象庁 HP


ここのところ暑さの収まりそうもない日々が続いているが、今年は確かエルニーニョ現象が広がり日本の夏は冷夏になる予報だったのが、台風の多発に伴い状況がガラリと変わった。紋切り型の定説はあまりあてにならないようだ。
このさき一週間も、東北~沖縄にかけて気温のかなり高い状態が続き、一部で40℃を超える高温となるおそれも出てきた。
東京では、きょうも35℃の予想は続き、すでに5日連続の猛暑日で統計開始以来の連続記録を塗り替えたそうな。年を取ったせいか薄くなった頭頂に照りつける太陽がじりじりと神経を刺激する。外出先でこんな日は帽子をかぶるに限ると思ってみても後の祭りだ。梅雨明け前の日照不足を騒いでいたあれは何だったんだろう?
一度でもまとまった雨が降れば、暑さに少しブレーキがかかるのだが、今週もその気配が本州付近ではないようだ。雨による冷却や空気の入れ替わりがないと、日に日に熱が蓄積され、気温が上がりやすくなってしまうのではないだろうか。私などは屋内で仕事をやっていることが多いので、クーラーのない外で働いている人は、体力を消耗して大変だろうと思う。

人間の場合、気温が高すぎると食欲不振におちいるが、反対に魚の場合は、水温が下がりすぎると食いが落ちることが知られている。以前、台風の後に千葉に釣りに行った時など、時化の後、海水がかき混ぜられて夏場なのに水温が14度まで下がり、魚が口を使わず貧果に終わったことがあったが、暑気払いに行った8月最初の走水釣行では、午後からのアジと、夜メバルはそこそこ釣れた。これも自然には逆らえないといったところか。


*エルニーニョとは、ペルー沖の海水温が上昇する気象現象を言う。海水温が上昇することで様々な異常気象を世界にもたらることで知られている。日本の場合は夏なら冷夏、冬なら暖冬となり、今年は既にエルニーニョが観測され、更に今後もかつてない規模で大きくなる予想が気象庁から出ている。ペルー沖の海水温が上昇すると、周囲の海水温が影響されて高くなる。この高い海水温域が日本に暑い夏をもたらす太平洋高気圧を引っ張り、東に寄ってしまい、結果として、日本は太平洋高気圧の影響が薄くなり冷夏となるようだ。