2016年2月21日日曜日

病んでる朝鮮半島

暴れ坊ちゃま 金正恩

崩壊寸前の北朝鮮

2016年に入って1月には水爆実験と称する第4次核実験、そして2月には長距離弾道ミサイルの発射実験を行い、国連安保理決議違反で世界を敵に回した金正恩。
今北朝鮮では不穏な動きが報じられている。金正恩による党幹部や軍幹部に対する粛清は100人越えで、恐怖政治で権力を掌握している。直近で残忍な公開処刑を見た同僚たちは、次は俺の番かと疑心暗鬼に陥る。
窮鼠猫を食むではないが、軍部がクーデターを起こす可能性が高いと見た韓国は、開城工業団地にいる八百人もの韓国人を人質に取られないために韓国に退避させ、南北共同の企業活動を操業中断にした。

先軍政治に傾斜したこの精神分裂病の若きリーダーが自滅するのは暗殺かクーデターに絞られそうだ。アメリカも陸軍特殊部隊(過去にビンラーディンを暗殺した部隊)を北朝鮮に送り込んでいることも一部報じられているが、裏は取れていない。コケにされた中国も黙っちゃいないだろう。暗殺にせよクーデターにせよ、中国の軍事介入の可能性は残っており、北朝鮮が38度線を越えて韓国に越境した場合、第2次朝鮮戦争の悪夢が待っている。一触即発の朝鮮半島の緊張に日本も国の安全保障を万全なものにしなければならない。

ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像


救いようのない韓国

以前当ブログ(2014年9月14日  2014年3月1日 国際情勢)を参照の上、読んでいただきたいのだが、
報道によると、日本政府は16日、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。それによると政府代表の外務省の杉山外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに、強制連行説は「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」で、朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」と指摘した。また、「慰安婦20万人」についても朝日新聞が女子挺身隊を「混同した」と説明した。日本政府が国連の場でこうした事実関係を説明するのは初めてで、さらに昨年末の日韓外相会談で、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決することで合意したことを説明した。
ウイキペディアによると、女子挺身隊(じょしていしんたい)は、大日本帝国が第二次世界大戦中に創設した勤労奉仕団体のひとつで、主に日本人の未婚女性によって構成されていた。戦時日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国家総動員法下の国民総動員体制の補助として行われ、工場などでの勤労労働に従事した。

その上で、強制連行が流布された原因は吉田清治氏が執筆した本で「吉田氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという事実を捏造して、発表したため」と指摘した。そして稀代の詐欺師、吉田清治の「慰安婦狩り」という嘘について、「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」
「(吉田の著書の内容は)複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。
さらに、2014年に朝日新聞が吉田の証言を取り上げたこと等について、「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明。「慰安婦20万人」についても、一切のソース、証拠が存在しない数字であり、朝日新聞が大東亜戦争期の女子挺身隊(朝鮮半島出身者はゼロ)の人数と混同したことが始まりであると説明。
ようやく、初めて日本政府(外務省)が国連という公の場で、「いわゆる従軍慰安婦問題」の嘘について、証拠に基づき、明確に否定し世界に発信したことは、歴史的に意味のあることである。これに対し、韓国側は、「慰安婦動員の強制性は、国際社会が既に判定を下した歴史的事実だ」(2月17日、韓国外務省)と、反論した。相変わらず馬鹿の一つ覚えのように慰安婦慰安婦と連呼する発達障害のこの国は、どうにもつける薬がないようだ。

韓国側が言う「国際社会が既に判定を下した歴史的事実」は、日本や韓国の学者が懸命に探したにも関わらず、ついに一つの証拠も発見されなかった。実際、慰安婦はビジネスとして「募集」されたわけで、軍が朝鮮半島から強制連行した事実は「ない」以上、無理な話である。
「最初から最後まで全部嘘」の情報を、ひたすら国際社会に発信し、日本軍の強制連行という虚実を「既成事実化」し、「被害者」であることを強調することで立場を優位に保ち、日本側に口をつぐませようとする、姑息、卑劣、情けない手法をとることをやめないこの国は偏執狂の国家といえよう。
この北と南の異常に病んでいるいびつな国は、日本にとってアジアにおける戦争の火種として、常に注意を払わなければならない厄介な国である。

2016年2月11日木曜日

釣り道楽



1.7kgのアカメフグ

今年も早や69歳の誕生日を迎えることになった。前日家族で外食することになっていたのだが、今年初めてのフグ釣りで大物を含め4匹アカメをゲットしたので、予定を変更して家でフグちりとテッサを頂くことにした。長年通い詰めた金沢八景の船宿野毛屋であるが、20年前からの顔なじみの客もだんだん少なくなり。近頃では新顔の客が多く、年齢層も若くなってきた。先代の親父が死んでからは、長男とせがれの3人で船を切り盛りしている。

それというのも船頭がフグ調理師の免許を取ってからというもの、船上でさばいてくれてお持ち帰りのお手軽コースになっているため、年代層も老若男女とフグ人口が増えているためだ。昔は見よう見真似で自分でさばいた客も多かったが、粗忽な客で仏さんになった者もいたので、以後船宿も慎重になり今日に至っている。
当日も平日だというのに満席状態で、私の隣のオオドモに座った客人は、遠路はるばる長野松本より夜中の1時に出発して、八景に到着後車中で仮眠をとり、釣りが終わってから5時間かけて帰路に就くそうだが、ここまでの釣りバカは見たことがない。1月に行ったカワハギ釣りでは90の爺さんが竿を出していたのにも驚いたばかりだったのに。

昨年10月からアカメフグが始まったのであるが今期はだいぶ釣れている。一昨年は不調であったが、東京湾のフグは好不調を繰り返す。特にアカメフグは野毛屋が東京湾では専門にやりだしてから6年目で歴史は浅い。東京湾にはアカメがいるいうことで、ほかの船宿も追随してきた状況が続いている。フグ釣りのパイオニアとして野毛屋は道具と仕掛けにはこだわりを持つている。アカメの釣期としては10月から始まり産卵の始まる前2月いっぱいまでだが、ほかの時期は従来通りのショウサイフグをやっている。トラフグも放流しているせいかたまに釣れることがあるが、食通に言わせるとアカメのほうが味が濃いという。船中たくさん釣れた時は、船頭にさばいてもらうのも順番待ちなので、時間がかかる。私は昔ながら無免許であるが自分で、船上でさばいでさっさと持ち帰ることにしている。
写真のフグは今季最大の1.7kgメスのアカメで卵と肝がたっぷり入っていたがこいつは猛毒で、頭はエラ、目玉、延髄,皮すべて取り去り、骨と肉に切り分け鍋のだしに使った。子供たちが喜んで食べてくれたのが何よりの誕生祝いだった。残り2匹は4~5日寝かせてから刺身で頂くことにする。

2016年2月8日月曜日

政局探訪「政治とカネ」



昨今の“政治とカネ”をめぐる問題は、与党の閣僚から安倍首相、民主党の岡田代表にまで飛び火し、政界全体のモラルが問われる事態にまで発展した。
つい最近の甘利経済再生相の辞任など100万単位で職を辞する日本のシビアーさと100億単位の賄賂で身を亡ぼす中国の多くの公務員とを比較するわけではないが、国民性の落差を感じる。ましてや日本経済のかじ取りを任された重要閣僚である。証拠を握られ出口なしの政治劇場に落ち込んで野垂れ死にだ。第二次阿部内閣以降死屍累々と散った閣僚は以下の通り。

【第2次内閣】
  14年 小渕優子経産相 自らの政治団体による不明朗な政治資金問題
      松島みどり法相 自らの選挙区内でうちわ配布
【第3次内閣】
  15年 西川公也農水相 国の補助金を受けた企業からの献金問題
  16年 甘利明経済再生担当相 建設会社からの金銭授受

このように政治という臭いにおいのする世界では、時によって臭いものに蓋をして手仕舞いをしていく。

この結果、「政治とカネ」問題の追及のため、本来、国会で議論すべき問題の議論が進まない。「政治とカネ」をめぐる問題は日本政治の「弱点」と言われ、単に国民の政治不信を助長するだけでなく、過去にあったロッキード事件やリクルート事件のように政治を混乱に陥れてきた。昨今の一連の政治とカネをめぐるスキャンダルへの対応を誤れば、やがて政権転覆の可能性も出てくる話だ。だが多くの場合、政治家が法的責任を問われ、罰せられるケースは意外なほど少ない。「道義的責任」という名の下で当該の政治家が大臣などの役職を辞することで事態を収拾するケースがほとんどである。




政治にカネがかかるのは言うまでもないが、議員になるための選挙活動費から始まり、所属派閥の運営など献金という名のお金の出入りがこれを支えている。ちなみに議員一人にかかる歳費は図の通り。

議員1人の歳費諸々
これらの政治資金は、過去に何度も改正されてきた政治資金規正法によってカネの出入りを透明化する方向に向かって改善されてきた。 しかし現在の制度では、政治家は政治団体を多数設立することが可能なため、政治資金の全体像が把握しにくい仕組みとなっていて、玉虫色の好きな日本人が作ったこの法律はザル法となっている。政治家は抜け道を作るのが上手であるが、その手で自分の首を絞めていることに気が付いているのかいないのか摩訶不思議である。?

(注) 政治資金規正法
政治資金の流れを透明化するために1948年に制定された法律。数々の金脈問題をへて、1994年、選挙制度改革・政党助成制度の導入と併せて大幅な改正が行われ、企業・団体からの寄付の対象は政党(政党支部)、政治資金団体、資金管理団体に限定された。1999年政治家個人への企業団体献金禁止。

総務省の資料によると、政治資金には、大きく分けて①寄付(献金)、②政治資金パーティー、③政党交付金の3種類からなっている。
3の政党交付金は、税金で政党の活動を支援し、政党の独立性を保とうという仕組みである。この政党交付金は、国民一人あたり250円のお金を選挙の結果によって政党に分配される。
現在、総務省のサイトでは、総務大臣届出分の政治団体の政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書が掲載されており、誰でもインターネットで閲覧することができる。

2016年2月5日金曜日

2016 テーブルウエアショー



東京ドーム会場風景

昨日は東京に2か月に1回の通院の日だったので、その帰りに東京ドームで開催中のテーブルウェアショーを見てきた。
平日とあって中高年の女性が多く会場は混雑していた。会場をくまなく見ると2~3時間はかかりそうなので、目に留まったもの、お気に入りの製品などを見て回った。
テーブルウエアというカテゴリーは、食文化と密接な関係があるが、大まかに言えば和、洋あるいは和洋折衷またその他に分かれ、どうしても和食器に目が向いてしまうものであるが、我々日本人が身近に接している食器も圧倒的に陶磁器が多く、食生活空間の中で占める漆器の割合は低い、特にその取扱いにおいては細心の注意が必要なため、各漆器産地の生産者も漆器の売れ行きが悪く苦心しているようだ。時遅く2013年の暮れに、我が国の和食がユネスコで無形文化遺産に決定したが、世界は今や和食ブームであふれていることもあって、日本の食文化が見直されてきた。同時に日本の漆器文化も、ライフスタイルに合わせたモノづくりで、世界のグローバルスタンダードになってもらいたいものである。
和のテーブルセッティング

ここで会場で2~3、眼についた製品をピックアップしてみると。


(陶器)周りを漆塗りで根来塗仕上げ



(ガラス)菊のデザイン
(磁器) アールデコ風デザイン

●漆器に関しては、あまり目新しいものは無かった。


最後に気に入ったぐい呑みを4つほど買って帰路に就いた。

●テーブルウェア・フェスティバル2016は、1/31~2/8まで
JR水道橋駅前 東京ドーム 

2016年1月28日木曜日

生と死のパラドックス

「死と生」 クリムト 1916

昨年暮れに親父が体調を崩し入院した後、年が明けて今月半ばに退院自宅療養に至ったのであるが、年齢も年齢だけに体調は芳しくない。足腰が弱いところに身体の衰えが目立ち介護支援をお願いした。
地域の介護センター経由で定期的にヘルパーや看護師のお世話になっていたのであるが、自宅療養は思った以上に負荷がかかり、時間に縛られがちである。女房と2人で昼夜を問わず身の回りの世話で明け暮れ、歩行困難もあり、食事もとれなくなったので、いよいよ緩和病棟に入院の運びとなった。


人間の死に様は人それぞれで、若くして急逝する人もあれば、じわじわ逝く人もある。死を悟って逝く人あれば悟らずに逝く人もある。その生き様が死に様となって現れるのであろう。私は親父のように96まで生きれるとは思わないがピンシャンころりと逝きたいものである。人生は長短で図れるものではなく密度が重要であろう。
思えば人間は誰しも無に向かって生きているものである。死(無)を意識した時から充実した人生を送ろうともがき苦しむ。目標を達成して逝った人、絶望の中で自ら逝った人、他者の過失あるいは意図によって逝った人、自然災害で逝った人、いずれも死は生のパラドックスとして蓋然的にやってくる。


病院は自宅から近いところにあるので、毎日親父の顔を見に行くのだが日に日にやせ衰えていく姿を見るのは辛いものがある。話す言葉も弱々しい。
いずれ訪れる時に向かって、日々を懸命に生きることの大事さを「死」という表層が語り掛けている。病室に行くたびに眠りこけている親父を見ると、眠りは痛みの緩和剤なのだろうと思う。介護なしで生きられる健康寿命を96年間全うしたのだから、あとは安らかに旅立ってもらいたい。


人間をかたち作る細胞はある一定の時間を経るとアポトーシス(死の指令)によって死を迎え、やがて新しい細胞に生まれ変わり、新陳代謝を繰り返し、生命を維持していくのであるが、まさに生と死が拮抗している中で、ガン細胞はアポトーシスを拒否して生き続けようとしている細胞である。この存在は生き続けるためにかえって生体そのものの死につながるというパラドックスの極みを我々に提示する。
8月には娘に子供が生まれる予定であるが、ひ孫の顔も見ることもなく生を終えるのであろう。大正、昭和、平成と生きてきた親父が死を迎え、やがて新しい命が生まれようとしてしている。そして
変わらぬようにリフレインが流れていく。

2016年1月16日土曜日

悪夢

サーキットブレーカーでオバさん真っ青(上海)

年明け早々、中国株の暴落による株の乱高下が止まらない。東京市場では4日連続の株価下落である。日本株の65%を持つ外人投資家が動くのであるから我々個人投資家はその現況を知る由もない。かたや米国に次いで世界第2位の規模を誇る株式市場中国市場(上海)の国家介入の株価操作や取引停止(サーキットブレーカー)などで右往左往する市場で、売買の90%近くを占める個人投資家の映像など、世界経済の動きはめまぐるしい。
就任当時,習近平が連呼していた「中国の夢」は,いまや「中国の悪夢」に変わった。中国国内の不動産と株のバブル崩壊が進行しているのである。


一方我が国では、公的年金運用(厚生年金・共済年金)での株式投資割合の拡大し、140兆円を超える公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の 2015年7-9月期の年金運用損失が、約7兆9000億円に膨れ上がったことが報道されている。ただでさえ切迫した年金基金を、ギャンブル漬けにしたアベノミクスの成れの果てである。今後、株価の暴落次第では何10兆円規模に膨らむ可能性もあるから空恐ろしい。


想像以上に悪い中国経済による世界同時株安が進行する中で、原油安が止まらない。日本にとっては有り難いことであるが、産油国、特にロシアなど過去に原油安が引き金になって崩壊した国は心穏やかではない。原油頼みのサウジの国家破産につながる弱体化によるイランとの不穏ないざこざ、はたまた採算割れの米国シェールガス会社の倒産増加などなど、今や中東、アメリカ、ロシアなどが増産で潰しあった結果、原油価格は3分の1以下になってしまいバタバタ倒産し始めた。ちなみに昨日国道沿いのガソリンスタンドではレギュラーガソリンが102円の看板が出ていた。

特にシェール企業の債権はリスクは高いが高利回りの『ジャンク債』と呼ばれ、昨年来暴落が始まりウォール街では第二のリーマンショックが懸念される状態になっている。
大元の供給先の粉飾経済国家である中国経済の悪化によって、世界全体がデフレギャップに陥っている状態が今の世界である。あの悪夢(デフレギャップ解消の極めつけである戦争)が来なければいいのだが。

2016年1月7日木曜日

アートな話「アートの眼」

「眼」エッシャー  1946


 
脳科学者の話では、人間の大脳皮質の3分の1の領域が「見る」機能に充てられているのだそうだ。勉学や仕事や趣味や人との付き合いなどで日々、頭をひねり、心を砕き、一喜一憂することが山のようにある中で、物を見るだけのために脳の半分近くを使っていることになり、このことは、見るということは決して単純でも簡単でもなく、とてつもなく膨大な情報処理を必要としていることを裏付けしている。見ること,すなわち我々を取り巻く世界の認知の大半が視覚に依存している。自然環境としての外部世界はもとより、人間社会における情報のすべてが文字・図形・静止画 像・動画像という形式で視覚に訴え、働きかける。また人間特有のイメージ喚起能力も眼前にないものを頭の中にイメージ(視覚化)することであり、過去に蓄積された視覚像を喚起して頭の中の「視覚像」が世界の認知に果たす役割は非常に大きい。
また見たいもの見たくないものによって、視線の集中度合いが異なり、視線はモノの特徴点を随時移動しながら形をとらえていく。いみじくもかつてサルトルが「想像力の問題」のなかで、事物を見ることの眼差しに対する考察において、見る行為を対象物を所有する概念に置き換えたことに少なからず衝撃を覚えたことを思い出す。

頭部を固定し、1点を凝視した状態で見える範囲を視野といわれているが、視野計による調査では、「人」の視野は左右約200度・上下約140度といわれ、 この場合左右については大差ありまりないが、上下に関しては上60度・下80度と下の方が 広く、日常生活ではさらに下の方が優位になるようだ。このことは、我々の身の回りの物は大部分が眼の高さより下にあって、とりあえず注意を払うのは目の高さから足元ということになる。

一方で厳しい自然界で生き残っている動物たちは、人間とは違った視界を持つことで有利に生存競争を戦っている。大半の動物は眼が顔面の両側にあって、各々の視野が独立するかたちでほぼ360度の視野をもつのに対 し、人間の場合は両眼とも前方を向いていて、左右の眼の視野の共通領域が広くなっている。つまり両眼での全体の視野は狭いが、両眼視による奥行き知覚 が有利になるという特徴をもっている。
このことは、「人」以外の動物が障害物や外敵といった自然環境に関する情報を重視するのに対し、「人」はそうした情報よりも相手の表情やしぐさ、あるいは 文字や画像情報といった同種のもの同士でのコミュニケーションに関わる情報を重視することを物語っている。

さてこの奥行き知覚であるが、目の構造上本来2次元である網膜像をもとに、我々は奥行きを含む3次元の世界を認知している。
この奥行きを知る手がかりには絵画的要因がある。 絵画的要因とは、大きさ・上下・重なり・きめの勾配・色調・コントラスト・明暗・影のできかたなどで、配置や描きかたによって奥行きを知る手がかりが得ら れるというものだ。 そのほかに視点が移動中の車窓などで見られる風景で、近くの風景と遠くの風景とでは移動のスピードに差があり、この運動視差による奥行き知覚もある。いずれも視覚に潜むアートな話で今年も始まりそうだ。