2008年12月23日火曜日

詐欺列島花盛り


最近、私の生徒の一人が今流行りの振り込め詐欺に会い、危うく騙されそうになったらしいが、手口は初期のオレオレ詐欺で、息子さんの所在の矛盾から難を逃れたそうである。
従来「オレオレ詐欺」別名「なりすまし詐欺」や「架空請求詐欺」「融資保証金詐欺」など詐欺の手口は数多くあるが、私の工房にも時々融資の電話がかかってくる。詐欺の手口の多様化で、警視庁で総称を「振り込め詐欺」と呼ぶことになった。



現在では初期の単独犯や数人での犯行であったものが、徐々に大規模な組織を構成するようになり、組織内でマニュアルを作成したり訓練を行っているとの事例も伝えられる。また、暴力団との繋がりを指摘したり、詐取した金が暴力団の資金源にもなっている。被害者は女性が約7割、60歳以上が全体の約8割。被害世帯の半数以上は、家族構成が65歳以上だけの『高齢者世帯』が多く、地域では関東(特に東京都)が最も多く、逆に京阪神(特に大阪府)では非常に少ない。警視庁の対策ページの分析では「大阪のおばちゃんは金銭感覚が鋭敏であるため、お金に絡む話ではハッキリ物を言い、日ごろから相手に“ツッコミ”を入れることに慣れている」といった気質に基づく要因が指摘されていて、今は亡き私の母親を思い出す。(笑)

昨年は、1万7930件もの認知件数で、約251億円もの被害総額を出した振り込め詐欺ではあるが、近頃は、新しい手口として"還付金詐欺"なども登場し、今年は1~8月の間で約214億円の被害がでるなど過去最悪の状況だ。
詐欺犯罪の背景にはターゲットとなる人の名簿、他人名義の携帯電話、他人名義の預貯金口座などが犯罪の道具として使われている。 名簿、携帯電話、預貯金口座は、振り込め詐欺グループやヤミ金グループの中では「三種の神器」と呼ばれており犯罪を遂行する上でなくてはならない道具となっている。これらの道具は闇で売買されている。


警視庁によると2003年頃からヤミ金業者の一部が振り込め詐欺に移行し始めているが、犯罪者グループは振り込め詐欺の方が検挙摘発されにくく、ヤミ金より「割のいい商売」だと思っているフシがある。ヤミ金も詐欺もいずれもヤクザな商売であるが。



そんな中、現職の京都家裁書記官が振り込め詐欺にあった被害者の凍結口座から、手の込んだ公文書偽造に手を染めて被害金をかすめ取った事件が起きた。ヤクザの上前をはねたハゲタカのような人間が、法の関係者にいたことは驚きである。もっとも警察にもマル暴と言ってヤクザを取り締まる専門の部署があり、どっちが暴力団だか分からないような警官も居ることは居るが。


2008年6月に「振り込め詐欺被害者救済法」が施行され、凍結口座から被害者に金がスムーズに返還できるような仕組みがつくられた。詐欺に悪用された疑いの強い全国約10万件の凍結口座に残されている被害金の残高は実に約50億円。2年かけて被害者に返還するのが目標だ。その流れは次の通りになる。
(1)振り込め詐欺に使われた口座は凍結され、その全体情報が預金保険機構に集約される。
(2)預保はホームページ(HP)で凍結口座の一覧を60日間公表する(公告)。法律上は、口座に金が     振り込まれた時点で、その債権者は口座名  義人となる。預保は60日間の公告の間に債権を主 張する口座名義人が現れないかを確認する(振り込め詐欺犯が訴え出ることはまずない)。訴えがなければ口座名義人の債権は消滅。これによって被害者への返還が法的に可能となる。
 
(3)預保はHP上で口座名義人の債権が消滅したことを告げ、被害者に各金融機関に名乗り出るよう勧める。
 
(4)金融機関での被害確認が済めば、返還される。

今回の事件発覚の端緒は、振り込め詐欺の被害者からの問い合わせだった。「凍結された口座にあるはずの、私のお金がない-」振り込め詐欺にだまされ、金を振り込んでしまった宮城県内の60代男性が、振込先の口座から被害金を取り戻そうとした際、口座に金がないことを不審に思い、その銀行に確認してきてから事件が発覚した。不正を正す側にいる人間がこれをやっちゃーお終いよ!
と言うわけで今年も食品偽装を含め詐欺に始まり詐欺に終わることになった。皆さん詐欺にはくれぐれも気をつけましょう。来年もよろしくどうぞ。
   

2008年12月14日日曜日

イメージの誤算 


 左図 「全体を見れば間違っている」 安野光雅 1977
 右図 「バベルの塔」 ピーテル ブリューゲル  16C




人類を繁栄させてきた想像力[イマジネーション]は時として人類を裏切っていく。21世紀を生きている我々は、100年に一度の体験をすることになる。経済社会を取り巻く世界の環境は日々厳しさを増している。すでにわが国でも主要産業の人員整理や派遣切り、あるいは倒産に至る企業も増えている。まさに2009年は嵐の年になるだろう。

1990年代以降、米国の金融資本は実体経済や作為的に作られた戦争経済で稼ぐだけでなく、[金融工学]と言う名の詐欺的な商いに手を染めるようになった。いわゆるユダヤの金貸し業が古来得意とするカネがカネを増殖する仕組みを、複雑なシステムに置き換え作り上げた。その結果実体経済の何百倍ものカネが動くモンスターが世界経済を凌駕した。



他者に先んじ、利益を独り占めにする貪欲なユダヤの商法は、シェークスピアの「ベニスの商人」でもおなじみである。今後この経済危機を契機に激増する貧困層を抱えていくアメリカ資本主義は、カネが全ての価値観の収縮が加わり、少しは変わっていくかもしれない。限りある金融資本、地球上のあらゆる限りある資源を身の丈で考える叡智を駆使しないと、人類の明日は無いだろう。

経済の基本は数学であり、数学は形あるモノを量の概念として抽象化したもので、それによって複雑な構造をもった関係性を把握しようというツールであるが、これがイメージと言う質の概念に膨らんでいく過程で、金融工学が数字を抽象化しすぎて量の概念を見失い、「実体数字」という「量の概念」が全く見えなくなっていった所に、イメージの錯誤が引き起こしたアメリカの金融危機が始まった原点があった。


16世紀ルネサンス時代の画家ブリューゲルが描いたバベルの塔は余りにも高い建造物を造ったがゆえに、自らの重さを支え切れずに崩壊したという。私には今日のアメリカが築き上げた資本主義経済は、バブルの塔ではなかったかと思うことがあるが、洒落では済まされない時代である。アメリカを代表とする人類の傲慢に神の鉄鎚が下ったのだろうか?

2008年12月7日日曜日

夢追い酒



年末になると落語の芝浜が頭をよぎる。あの拾った財布の大金は夢なのか!?
腕は良いが酒に溺れ、まったく仕事をしない魚屋の亭主。そんな亭主に業を煮やした女房が早朝、無理やり亭主の勝五郎を叩き起こし、20日ぶりに芝の魚河岸に魚の仕入れに向かわせる。


渋々、出かけてみたが、時間が早すぎたので魚市場はまだ開いていない。「女房のやろう、時間を間違えやがったな」と文句を言いながらも、久々に早起きして見る明け方の浜の美しさに感銘する。
魚市場が開くまでと、勝五郎が浜辺で一服していると、浜辺に流れ着いた汚い革財布を見つける。その財布を拾い上げ中身を確かめると、中には大量の小粒金が。慌てて長屋に帰り、女房に財布を見せつけ、「もう、これで当分遊んで暮らせる」と仲間を呼び出し、浴びるほど酒を飲み、またまた寝入ってしまう。
翌日、二日酔いで起きた亭主に女房が「昨晩の酒代の支払いはどうすんだい!?」とカンカンに怒っている。亭主は拾った財布の金で賄えと言うが、女房はそんなものは知らないし、見たこともないと呆れ顔。「そんなことはない!」と女房を問いただし、家中を探すが財布は出てこない。
茫然自失で「あれは夢だったのか」と財布の金を諦めて、今までの行いを悔い改め、女房に酒を断ち、仕事に精を出すことを誓った。
もともと腕の確かな魚屋だったので、懸命に働き出せば、得意先も戻り、以前にも増して客も増えていく。無心に働いた結果、3年後には棒手振り(天秤棒を担ぎながら町内を売り歩くスタイル)から一軒の魚屋を構えることができるようになった。
3年後の大晦日の晩今年の仕事をすべて終え、風呂から帰ってきた後、女房と二人でしみじみと今までの苦労を語り合う。
その際、女房はやおら汚い革の財布を出し、中身を広げる。小粒金で50両近くある。最初はこの大金に皆目検討もつかなかった亭主だが、3年前のことを思いだし、芝の浜で拾った財布が夢でなく本当だったことに気づき、今まで白を切っていた女房に怒りが湧き上がる。ここで女房は嘘のわけを涙ながらに説明した。大家に相談の結果役所に届け、その後月日がたち、落とし主が現れなかったので役所から拾った財布がそのまま戻ってきたのだと。
しかし、財布が戻ってきたとはいえ、せっかく酒を断ち仕事に打ち込んでいる亭主に、戻ってきた大金を見せると、また仕事をしなくなり酒に浸ってしまうんではないかと心配で、怖くて言い出せなかったと、涙ながらに詫びる。この事実を知り、亭主は怒りを納め、嘘をついていたとはいえ、自分を立ち直らせてくれた妻に感謝の意を述べる。

妻は3年間一心不乱に仕事に打ち込んできた亭主を労い「久し振りに一杯どう?」と酒を勧める。はじめは拒んでいたが「もう、あんたは大丈夫」としきりに勧められると、嬉しそうに杯を受け取り「一杯、頂くとするか」と口先にまで酒が注がれた杯を運ぶ。亭主は急に思い立ったように、杯を置く。妻「おまいさん、どうしたの? 」亭主「よそう。また夢になるといけねぇ。」

ここまで来ると女房の鑑と言う噺であるが、うちの奴はどうだろうとふと考えてみると、投機性のあるものに対しては、私が自制の効く人間と認識しているらしく、女房があまりうるさく言わないことをいいことに、過去のゴルフ会員権、金の先物相場、株と大穴をあけて頭が上がらない状況であるが、今じゃしっかり手綱を締められている。男は浪漫、女は我慢は古き良き時代のことか。
この年末は庶民のささやかな楽しみである年末ジャンボでよい年を迎えたいものである。

2008年12月1日月曜日

独立国家の条件





アメリカ政府が毎年10月に日本政府に突きつけてくる『日本政府への米国政府の年次改革要望書』は、日本の産業の分野ごとに、アメリカ政府の日本政府に対する規制緩和や構造改革などの要求事項が書き並べられた文書で、これを読めば数年後の日本を予測できると言われている代物である。
米国政府が日本の各産業分野に対して規制緩和などの要求事項を「通達」する文書で、文中の米国からの要求事項は、日本の各省庁の担当部門に割り振られて実行に移されていく。
こうした外圧の成果は通商代表部の「外国貿易障壁報告書」によって毎年3月に米国議会で報告され、そのうえ日米の担当官が定期的に会合を持って「通達」が実行されたかどうかをチェックまでしているということ。これはまるで「制度化された内政干渉」であり、アメリカの日本改造プログラムの一環である。
ちなみにこの要望書によって実現したおもな法改正には、あの郵政民営化をはじめ、外国企業の活動を助ける商法改正に会社法の制定、人材派遣の自由化。また会計基準の国際統一、司法改革制度など、小泉政権時の構造改革とかなりの部分がダブるわけで、さらには耐震強度偽装事件の一因となった98年の建築基準法改正も、じつは米国の要望だった。


1994年以降毎年出されてきた『要望書』の中で、アメリカ側が日本に要求してきたもののうち、既に法改正や制度改正が行われた主なものは、「持ち株会社解禁」「NTT分離・分割」、「金融監督庁設置」、「時価会計」、「大規模小売店舗法の廃止」、「確定拠出年金制度」、「法科大学院」などで、いずれもアメリカ企業の日本市場への参入条件を有利にするためのもので、アメリカの都合のいい様に我が国の防衛、行政、産業に至る構造改革を押し付けられ、従属国家としてノーと言えないわが国に対する要求は年々エスカレートしてきている。


さて、今起きている世界金融恐慌は、アメリカの覇権の衰退と世界の多極化を早めることを示唆している。アメリカの強大な軍事力は破たんしたカジノ経済と多国の米国債引き受けに支えられた経済力に裏打ちされたもので、米国の現状を鑑みれば、この世界一の債務国が2009年にはディフォルト(債務不履行)になるか為替操作で債務の半分をチャラにするかの荒療治(オバマショック)も想定されている。


戦後我が国がアメリカと結んだ安保条約の第10条には条約の効力が10年間としてあり、期限が来た時に終了意見の通告を行えばその1年後に自動終了となる。歴史を振り返ってみると軍事同盟は両国の利害が一致しなくなった時には破棄の運命にある。
アメリカの覇権が終わった時に我が国は、真の独立国家として、アジアの大国として世界に対峙していくためにも、防衛力[核抑止力]を強め従属国家から脱却の準備をしていく必要があるだろう。今の時代、核は金で買える時代でもある。


戦後60年経った今、アメリカから押し付けられた日本国憲法も軋みが出ている。時代はどんどん変容していく中で、硬直した社会制度や法律、また食糧自給率低下を招いている農業政策などの改革や資源問題の技術開発など、モノづくり日本の下支えをする政策が円滑に遂行されなければ、アメリカに去勢された日本の明日は無い。政治的閉塞感の充満した日本で,口先だけの漫画親父を我々国民は望んでいない。真に強い大和魂と先見性を持った実行力のあるリーダーを望むだけである。
今回囁かれている大連立政権も死に体の自民党にとっては活路になるのではないだろうか?

2008年11月26日水曜日

薬物汚染列島


昨今大学生の間に大麻が流行している。大麻は薬物乱用の入り口であるという。軽い気持ちで使用し、その後覚せい剤などの薬物使用へとエスカレートするそうだ。最近では有名芸能人の大麻使用による逮捕が話題となり、大麻汚染は止まることを知らない。国を挙げて、大麻や薬物汚染を食い止める必要がありそうだ。その背景にはネット社会における密売や不法滞在の外国人による密売などがテレビで取り沙汰されている。

大麻ないしマリファナ は、アサの花・茎・葉を乾燥させ、細かく切り刻み、調理または燃やすなどして発生した煙を吸引して使用する麻薬の一種であり、嗜好品や医療薬として用いられている。
日本では大麻取締法による規制を受ける麻薬であり、大麻精神病の原因薬物とされている。日本では、殆どの場合執行猶予になるものの無許可所持は最高刑が懲役5年の犯罪であり、営利目的の栽培は最高刑が懲役10年の犯罪である。
薬物乱用は日本では、交通犯罪を除く全逮捕者の5分の1、公判を請求された者の4分の1、刑務所入所者の3分の1にみられるといわれている。

こうした麻薬であるが、その源流はアメリカにある。19世紀のアメリカ社会は、良くも悪くも自由市場。武器も麻薬も、需要のあるものなら何でも販売され、それを規制する法律はなかった。やがて1960年代には「ヒッピー」など若者の間でマリファナを吸うことが流行したが、アメリカナイズされた日本はアメリカの後を追っている。アメリカに留学した若者の中にははマリファナの洗礼を受けた者も少なからずいるようだ。これら麻薬は最初はメキシコが主な栽培地だった。1970年代に入って、麻薬の広がりを嫌ったアメリカ政府が、アメリカ・メキシコ国境の警備を強化し、メキシコ産のマリファナがアメリカに入りにくくなると、生産地はコロンビア北部に移った。
 

コロンビア産のマリファナは、カリブ海の港からアメリカ南部へと船で運ばれるようになった。カリブ海沿岸のコロンビア人たちは、急に豊かになった。だが同時に麻薬組織も作られ、彼らの間で抗争が増加する。麻薬で儲けた人々が、マネーロンダリングを目的に、地域の銀行やホテル、交通機関などを買収し、経済的な力を握りはじめた。 やがてコロンビア国家全体が麻薬組織に牛耳られるようになったのは、1970年代後半から、アメリカでマリファナに代わってコカインがブームになったことがきっかけだった。
コカインは「コカ」の葉を原料に精製して粉末にしたもの。コカはかつて、コロンビアやペルーなどに住むインディオの人々が、興奮剤として日常的に噛んでいたものだ。アメリカでは、リラックスするマリファナより、気分が昂揚するコカインが好まれるようになっていった。
現在のイラクに駐留している米軍の最前線の兵士などは,士気高揚のためこれらの薬物に 染まっているものが多いと言われている。

アメリカ国立薬物乱用研究所(NIDA)の評価は次のようになる。
   

依存薬物  依存性  禁断性  耐性  切望感  陶酔性      

ニコチン      6     4      5     3     2  

ヘロイン      5     5      6     5     5   

 コカイン      4     3      3     6     4  

 アルコール    3    6      4    4     6   

カフェイン      2     2      2    1     1     

大麻          1     1     1     2     3

こうしてみると煙草のニコチンとアルコールも負けてはいない。私の行きつけの寿司屋の親父などは、2度の心筋梗塞で手術したにもかかわらず、タバコはやめていない。依存性の高さをうかがえるデータである。

2008年11月18日火曜日

毒にも薬にもならない話




日頃「毒にも薬にもならない。」というフレーズを耳にする。人畜無害で停滞した状況や、魂を揺さぶる感動や情念を呼び覚ましてくれる要素のないものと私は解釈しているが、時には人生のスパイスとして、毒も薬も必要なものである。




昨今話題の中国の農薬や添加物など、食品衛生上使用禁止のものが公然と使われ問題になっている。メタミドホス、ジクロルボス、メラニン等々。さてその中国の揚子江では、産卵期にメフグが海から川へ溯上し、その際に捕獲する。そのふくれた様が豚の様に似ていることから、「河豚」と中国語で書く。このフグは中国で唯一食用にされるフグでもある。古来中国では 「不吃河豚不知魚味吃了河豚百無味」・・・という言葉がある。河豚を食べずして魚の味を知ることはできない。河豚の味は他にない、という意味である。写真のように日本のトラフグに似ていて体長は20~40cmほどで美味いらしい。




食品中毒のうちで、ふぐ中毒がもっとも死亡率が高く、80%にも達すると報告されている。フグ毒は一種のシテガラ毒であり、神経毒のテトラドトキシンと言われるものを指している。これは猛毒であり、青酸カリの1000倍の致死能力があって、部位によって毒の強弱があるものの、幸いフグの身と白子には毒が無いので、我々釣り師はこれを頂く。
また雌の卵巣には猛毒があり、オスの白子は無毒と言うのもオスの悲しい性を象徴しているようだ。またフグは魚類で唯一人間並みに瞼を持っている。寝るときはまぶたを閉じるのだろうか?




また釣魚の対象のショウサイフグなどは身に弱毒があるので、食べ過ぎるとヤバイことになる。フグ釣りを始めたころ、少し食べ過ぎて、しびれは無かったが、血圧が急に下がって気分が悪くなったことがあった。それ以来食べる量は控えている。このフグは別名ナゴヤフグと言って、(尾張名古屋)で終わりと呼ばれ。キタマクラと称するフグは。食べたら北枕になるところから、それぞれ有難くない名前を頂戴している。過去に私が釣ったフグに味のランクを付けると、
1.トラフグ2.アカメフグ 3.マフグ4.ショウサイフグとくる。
 高浜虚子の句に次のようなものがある。  ”河豚くうて 尚生きてゐる 汝かな” 
 どっこいオイラは生きている。同時に素人の慢心は命取りとの天の声も聞こえてくる。



さてもう一つ毒のあるものと言えば、私にとって毒のある音楽はJAZZである。昔サラリーマン時代、会社のある新橋から10分くらいの所の銀座8丁目にあったジャズスポットJUNKは昼夜足繁く通った店で、今はすでに無い。昼間は喫茶店で夜はライブをやっていて、この店は中国人が経営していて、当時銀座にしては安い店だった。この店はコンボジャズからビッグバンドまで当代の名プレイヤーたちが綺羅星のごとく演奏をしていた。ナベサダ、日野皓正、日野元彦、八城一夫、世良譲、北村英治、またビッグバンドでは原信夫とシャープアンドフラッツ、など。又客の1人に今は亡き俳優の藤岡琢也が入り浸っていた。ある時にはピアノのアールハインズ(ジャズピアノの父と言われた)も来たり、ある時はウイントンケリーが来る予定だったところ、彼の訃報が飛び込み実現しなかったことなど。時に演奏者が客の参加を求め、非常にコンパクトな打楽器を配り、リズムをとって演奏に参加した楽しい思い出がある。
ジャズは、リズムと即興演奏(インプロビゼーション)が生命だが、生きる喜び、内面深く静かに燃える情熱や、魂の叫びみたいなものが、理屈抜きで心の琴線に触れる点で私のお気に入りの音楽である。特にビルエバンスのピアノが好きだ。


最後に忘れてはならない毒が酒である。これは飲み方次第で上質の薬にもなる。かつて作家の開高健がいい酒は水に戻ると言っていたが、言い得て妙だ。学生時代に通った渋谷の飲んべい横丁の仲間たちは、今は故郷に戻って女房子供に手を焼いているのだろうか?これじゃあまるでかまやつひろしの歌じゃないか。(笑)
酒は飲み方でその人の人間性が現れるものだ。いい酒、悪い酒、みんな飲み手次第で変わっていく。ある意味で酒が人間の毒を出してくれる。どうせ飲むなら楽しくおおらかに飲みたいものである。

2008年11月13日木曜日

戦後日本のジレンマ




私を含め今問題の田母神前空幕長は戦争を知らない世代である。よって戦争の真の痛みや恐怖は知らない団塊の世代でもある。唯一親から聞いた戦争体験だけが想像力の中での戦争である。
今回、現職自衛官のトップの人間が文民統制を無視した行動に出たことは近代国家の原則を覆すものであって、穏やかな話ではない。
 
第二次世界大戦までの世界は、米英独仏蘭、ソビエト、日本が世界分割を巡って競い合う弱肉強食の帝国主義時代であったことは歴史の事実として否定できない。
当時は大国が弱小国家を武力で制圧し植民地や保護領とする時代であった。大英帝国は世界中の国家・民族を武力で支配し、保護領や植民地とした。インド、ビルマ、シンガポール、マレーシア、中国・香港ほかを領有又は租借した。平たく言えばわが国を含め当時の列強はすべて侵略国家である。人類の歴史は侵略の歴史でもあった。その観点から言うと、中国に侵攻した日本の行為だけを取って先発侵略国家から侵略国家と言われ、そのレッテルを貼られるのは不合理な話であるが、だからと言って日本が侵略国家ではないとは言い切れない。歴史にはいろいろな侵略の形がある。古くはローマがつぶしたカルタゴがあり、どうしても今のアメリカと日本とのイメージが重なる。



広島に続き長崎と2回も人道を標榜するアメリカによって原爆を投下され、そして人道に対する罪として勝者の論理で、戦争指導者の東京裁判における処刑で幕が引かれた。人道に対する罪で核兵器使用による犯罪ほど大きなものはない。 原爆の前ではナチスのユダヤ人抹殺の歴史も色あせる。
戦後我が国は罪深きアメリカの従属国になり、日米軍事同盟が結ばれた。今日、ただテロとの戦いに名を借りた現在の米国の危うい泥沼の戦争に、首までつからずにいられるのは、憲法9条の存在だけではなく、この軍事同盟の趣旨すなわち、「米国は日本を防衛する義務がある」 が 「日本は米国を防衛する義務はない」と言う片務的な性格も足枷になって、辛うじてアメリカの戦争に巻き込まれずに済んでいる。いわゆる集団的自衛権という言葉の危うさも、幸いにして軍事的後方支援で終わっている。いずれにせよ日本を抑え込む日米同盟は今も続いている。
そんな中、文民統制(シビリアンコントロール)を揺るがす航空自衛隊トップの静かなるクーデターは、民主主義国家の根幹を揺るがす動きであり、大東亜戦争に突入した当時の文民統制が利かなくなった軍部の暴走を想像するに難くない。

2008年11月10日月曜日

首相の奢り


麻生首相が追加経済対策を発表した。今、日本にとって必要なことは、国民が安心できる社会保障制度の構築と、経済の土台である。家計や中小企業を元気にすることで、選挙色の濃い大衆迎合や、バラマキでは経済社会は強くならないことは、賢明な国民ならわかるはず。今回の経済対策の規模は、26.9兆円と言われていてその概要は

◇定額給付…家族4人で64、000円、単純計算で1人当たり約16、000円。  市町村の窓口で現金かクーポン券を配布する仕組みだそうだ。 これも所得制限でもめている。金持ちには配らない、貧乏人に配れとばかりに。
高額所得者は遠慮してくれといったところで、金持ちほど金に汚いことは世の常。貰うものは10円でも貰いたいのが人情だ。自己申告なんてする奇特な人間は少ない。

◇住宅ローン減税…過去最大の600万円に。これも住宅が買える人の話。 住宅ローン破産(日本版サブプライムローン)が増え続けている現況ではあまり意味が無い。

◇高速道路割引…土日1000円で走り放題。休日に地方に遠出して高速道路の大渋滞も想像せずに、政府の言っているCO2の制限とは矛盾したやり方で、カネを使えとばかりの手法でETC装着車と言う条件までついている。当然運送業界は猛反発、一番困っているのはこの業界であるはご承知のとおり。

◇最後に消費税の3年後の改定で話は終わる。

このような金持ち首相の貧乏人(国民)に対する奢りのようなバラマキには、野党も一斉に反発している。  麻生首相のニコニコした顔の一言が目に浮かびそうだ。
「俺のおごりだ。みんなやってくれ。勘定はそっち持ちだ。」 やがてツケはみんな国民に回ってくる。

2008年11月7日金曜日

新生アメリカ



 民主党のオバマが次期大統領に選出された。100年に一度の経済恐慌と、米国民の厭戦感に後押しされ,登場してきた希望と変革の大統領として、戦後では3番目に若い大統領の誕生である。 最近見たDVDのアメリカ映画 24(トゥエンティーフォー)を彷彿とさせる黒人大統領の再現である.奇しくも劇中の黒人大統領は暗殺されたが、、、
 米国の民主党政権は、クリントンもカーターもケネディも、軍産複合体に邪魔されたり暗殺されたりしたが、オバマも例外ではないだろう。ブッシュの残した膨大な負の遺産を受け継いだオバマは、いみじくも福田首相が言った、”貧乏くじを引き当てた”大統領から”米国再生の大統領”になるように幸運を祈るばかりだ。
今やアメリカの金融危機の闇は底なしに深い。もはやアメリカが栄華を極めた錬金術はことごとく崩壊し、金融機関はほとんど破産状態にあって莫大な公的資金が投入されつつある。GMを初め自動車産業は破産寸前にある。金融収縮による貸し渋り、貸しはがしが中小企業の倒産を加速させ失業者が急増している。ローンの貸出し条件が厳格になったことで住宅や自動車の売れ行きが大きくダウンした。消費マインドも大きく減退している。
 当面そのようなアメリカ経済を受け継いだオバマは通商政策で1929年世界大恐慌時のフーバー米大統領と同じく「保護貿易主義」に傾き、これまで米国への輸出で食べていた中国、韓国、東南アジア、EUそして日本の輸出は大きく落ち込むだろう。これらの国々では過剰設備を廃棄し、大幅な人員削減で生き残りを模索することになる。失業者が街にあふれ、ものを作っても売れないから、「縮小再生産」のデフレスパイラルに陥る。経済の歴史では好況不況の波動が規模にかかわらず交互に起きているのが資本主義の宿命である。しかし今回のような非常に大きなうねりの中では、金融にしろ、実体経済にしろ一企業で解決できる問題でなく、銀行や自動車産業などでも国が管理下に組み込む社会主義的な色調の強い資本主義に形を変えて行かざるをえなくなっている。

これまでの膨大な貿易赤字を外国からの投資(借金)で賄ってきた米国は、借金による優雅な生活から収入に見合った耐乏生活を余儀なくされ、輸入を大きく減らし輸出を拡大する政策に転換せざるをえない。結果、米国の消費は大きく落ち込み景気はますます悪くなる。
低金利政策による米国債離れと双子の赤字(貿易赤字・財政赤字)を解消する唯一の方法は、FRBが無制限に国債を買う以外の手段しか考えられない。その結果ドル紙幣を大量に印刷してドルの暴落とハイパーインフレ」を呼び込む。ドルが1$80円になる時期もそう遠くないのが大方の見方である。

2008年11月3日月曜日

お手軽テレビ



テレビ業界においては視聴率がすべてである。民放テレビは広告収入で食っているので当然のことなのであるが、視聴率は「民意」をよく現す指標でもある。視聴率が高いということは多くの国民の関心を引いたということである。


昨今、民放各局を牛耳って独占状態にある吉本興業のタレントたちによってバラエティー番組ばかりか、ドラマ、スポーツ番組、ニュース番組までもそのタレントを食い込ませ、タレントが書いた自分の本の宣伝までその番組を私物化して利用しお金にしようとしているこれらのタレントたちが、TV局が発注する仕出し屋のようにあっちこっちに顔を出す。




人を謗る、けなす、揚げ足を取ったり叩く。こんなことが俗に言うバラエティー番組の中で、日常茶飯に繰り返されている。これらはドラマや映画とは異なり、そこに一貫した思想もなければ、教義的な意味合いもない。ただ人が人を責め苛むという本能的快楽のみを剥き出しにし、演技を通り越した極めて醜悪な姿が強調されているだけである。そこにあるのは薄っぺらい笑いの残骸だけである。 




そもそも人一人一人の趣味嗜好などはさまざまである。テレビの目的というのは(特に広告収入に依存している民放の場合は)高視聴率を上げること、すなわちできるだけ多くの人に番組を見てもらうことであるから、どうしてもテレビ番組は最大公約数的な誰もが見そうなものが題材となるのはやむを得ない。そこには時間を切り売りしている限界産業としての放送業界がある。


私が大学生のころアルバイトで1年間在籍した某民間TV局では、美術制作部にADの仕事をしていた折、各番組の製作担当者が予算をいかに抑えて番組作りに腐心していたかを目の当たりにした。番組に出るその他大勢の人間[タレントではなく仕出しと呼んでいた]やギャラの安いタレントを多く使い、コストを抑えて利潤を出す、これは一般企業でも同じである。 


テレビというものが出現した当時、かの大宅壮一氏はこれを”一億総白痴化”と称したが、 テレビ番組が広告収入をもとに作られているという構造がある限り大衆に迎合するような 番組が出来るのは必然だが日本国民全体の文化レベルの指標が低俗番組に浸食されないことを望む。

2008年10月23日木曜日

アートな話「民芸と工芸の狭間で」



   花器 「風穴」 吉川 創雲  2008

柳 宗悦 (やなぎ むねよし )は大正末期に、 民芸運動を起こした 思想家 美術評論家として日本民藝館の創立者である。白樺派の作家達や陶芸家の浜田庄司、版画家の棟方志功と深いつながりがあり、民藝運動の父として名を残している。民芸という言葉は 民衆の「民」と工芸の「芸」を結びつけた柳の造語である。英訳の場合は、Folk Art ではなく、Folk Craft と表現した。その理念は「用の美」であり、民衆の民衆による民衆の工芸であった。


一般の工人達が作る民藝品と作家の作品とには、色々な点で対極的な性質が見られる。一方は実用を旨とし、多量性と安価に対して、他方は鑑賞の品に傾き易く少量高価となり、。更にまた一方は共通する伝統に依存することが多く、他方は独自の創造の道を進む。従って製作意識の点でも、両者には著しい差異が現われる。作家品は民藝品ではなく、この二つは互いに相反し矛盾するものとして受け取られることになる。両者ともに作品の芸術性と用の美を希求している点では、志向的には差はあるものの、良い作品(製品)を作りたいという意味でほぼ一致している。


「用の美」とは使うことに忠実に作られたものに 自ずと生ずる自然で暖かみのある美しさのことで、特に多くの一般の民衆が普段から用いるものの中に 「用の美」が見い出されたため、 このようなものづくり、民衆的工芸を縮めて 民藝という言葉が日本民藝館の創立者柳宗悦らにより作られた。用の美とは使いやすさを追求したことにより自ずと生じる美しさのことで、ものづくりのあり方を考える礎となり、我々は作品(製品)を使って美を味わうことになる。


一方では、かの北大路魯山人が、民衆の生活レベルから解離した柳宋悦の立ち位置を批判したことも、工芸と民芸の併せ持つ矛盾を指摘したものである。やがて「民衆的工芸」を目指しながら作られたものは、時代と共に次第に民衆の手の届かない 高価な工芸品が生まれ、昨今の工芸界を凌駕している。


・・・・私も鎌倉彫の作り手として、作品の芸術性と用の美を絶えず心に置き、作品の制作にあたっているが、鑑賞と実用の狭間で一地方の地場産業に携わっている者として、伝統技術の継承と時代に即した創造性を求めて止まない。

2009年にはわが喜彫会も30周年を迎えることになり、来る1月8日(木)から12日(月)まで鎌倉芸術館で30周年の記念展を開催し、会員の作品337点を発表することになった。

上の画像は私の最新作で、展覧会のテーマでもある風をイメージして陶器とのコラボレーションを試みた花器(風穴)である。

2008年10月19日日曜日

アメリカの原理




プラグマティズムとは実用主義とも言われ、イギリス経験論の流れを汲む哲学である。抽象的な思弁を排し,実験などの科学的方法や思考を日常生活に応用しようとするプラグマティズムの影響を濃く受けた日本人として、夏目漱石、柳宗悦などがいる。

アメリカではおよそありとあらゆものが、このプラグマティズムの考え方を基に動いている。行動の基準を「現実に役に立つか、立たないか」で判断し、全てはケースバイケースである。より現実的で、相対的な考え方をする。合衆国には自由主義、民主主義、人道主義、資本主義といったいろいろな顔があるが、その全てに優先しているのが、プラグマティズムであり、昨今世界中からご都合主義と陰口をたたかれているものである。

何より大事なはずの個人の自由が制限されたり、人命が軽視されることがあるのも、プラグマティズムによって説明がつく。われわれ日本人が違和感を感じるような政策や決定も、このことを理解していれば分かり易くなる。

ただ、理念とか一貫性に乏しいために、場当たり的な欠点があり、かつてソ連に打撃を与えるためにアフガン人に武器を与えたり、、イランによるイスラム革命の広がりを防ぐためにイラクを援助した.
またビンラディンやタリバン、アルカイダなどは、もともとCIAが支援していた軍事ネットワークであったものが、巡り巡って自分の首を締めることになった。

イラク戦争などでブッシュの利権(ブッシュと深い関係のある石油企業)が、アメリカが戦った跡地のイラク、アフガンで確実に利権を獲得している事実や、軍需産業と結び付いているネオコンのチェイニー副大統領などの懐を肥やしている事実などに気付き始めたアメリカ国民に対して、ニューズウイーク誌が行った最新世論調査では、ブッシュ大統領の支持率は26%と過去最低を記録し、逆に不支持率は過去最高の65%に達した。


この史上最悪の強欲大統領のもと、足りたるを知らない米国民は借金(カード、ローン)でモノを買いまくり、2000年代の世界経済の高成長を支えた。ブッシュ一族をはじめFRBのバーナンキもロックフェラーもユダヤの血が流れている。恐るべしユダヤ人。
世界的なカネ余りに伴う低金利で世界中のカネがアメリカに集まり、特に日本はフェイクマネー(贋札)に化けていく源泉のカネを貸し付け、借金でモノを買いまくるアメリカ人に我が国の製品を輸出することで潤ってきた。それ以上に中国の対米輸出の伸びはすざまじい。今回の金融システムの破綻によって借金漬けのヤンキーズの退場は世界経済に大きな打撃をもたらすだろう。2004年には二桁増となった世界の貿易量の伸びも今後は5%以下に落ちる見通しだ。

この混迷の世界経済の中で、日本の経済界には日本のモノづくりやイノベーションが再評価される時代になるといった声が聞こえている。虚業から実体経済の復活を望む声である 。

2008年10月13日月曜日

ブッシュショック



新車販売 世界で急減速。(日本経済新聞 2008年10月3日朝刊)米国発の金融危機が世界の自動車産業を揺さぶっている。震源地の米国の新車販売台数は九月、前年同期比26.6%減となり17年ぶりの低水準に縮小。。世界経済の牽引役となってきた自動車産業の不振は金融危機が実体経済に波及し始めたことを象徴している。

また日本の8月の貿易赤字は 3240億円。ここにきて新興国市場も減速感が強まっており、日本はとうとう輸出では稼げなくなってしまった。 資源価格の高騰、さらには食品原材料などの価格上昇で、輸入金額が増加している。半面、輸出は円高の影響や米国経済の減速などから伸び悩んでおり、貿易収支の悪化に拍車をかけている。

今まで【自動車】に頼ってきた日本経済が大きな転換期に差し掛かっている。日本経済好調の背景には自動車があり。今や日本は加工貿易では稼げなく投資収益で稼ぐ国になっている。アメリカの後を追っているが、投資収益ほど危うい収益はないのは今の世界的金融混乱を見ればわかるはずである。


アメリカの金融危機が世界中に増殖しているが、一番厄介なのは6000兆円以上のCDS(債権破綻保険)の存在である。実にアメリカのGDPの4倍の金額である。米国の有名な投資家ウォーレン・バフェットは、すでに2002年の時点で、CDSが持つ連鎖拡大的な危険性を指摘し「金融の大量破壊兵器」と呼んだ。当時はまだ、優良金融機関が破綻して債券のCDS保険金支払いが必要になるなどということは「あり得ないこと」と考えられていたが、これが今や大爆発を起こしている。

物価が高騰しているのは日本だけではない。世界的にインフレがひどくなっている理由は様々考えられるが、主因は世界の主要商品の価格を形成している米ドルの供給量が急増し、ドル安が進行したためだと考えられている。通貨供給増はインフレに直結する。単純に言えば通貨供給が2倍になったら、物価も2倍になると考えられる。 基軸通貨であるドルの下落 は、各国の経済にも多大な影響を与えるが、各国は自国通貨量の供給増、もしくは「ドル買い」の方法で、ドル暴落を支えているのが現状だ。しかし、これは延命措置に過ぎない。というのも、いずれも最終的には「世界的インフレ」か「ドルに対する各国通貨の切上げ」という現象に繋がるためだ。基軸通貨の崩壊という必然的メカニズムから、ドル崩壊→米国の覇権衰退は明らかだ。にも関わらずこのドルの延命措置を外貨準備高の多い中国、日本、サウジをはじめ各国はいつまで続けるのだろうか?

私が20代で輸出業務をやっていたころの悪夢が今蘇る。1971年ニューヨーク滞在中のホテルで朝刊にニクソンの大きな顔が一面に出た。ドルと通貨の交換停止、と為替の変動相場制への移行が伝えられた。ここから1ドル360円の崩壊とともに円高が始り、日本の輸出産業はダメージを受けた歴史がある。いわゆるニクソンショックである。そして2009年を迎えるアメリカ経済にブッシュショックが静かに潜行している。

2008年10月10日金曜日

紙芝居国会



 国会中継を見ていると面白い光景が目に入る。、国民新党の亀井静香が、代表質問でいいことを言っていた。
「今や、自公政権じゃなく、公自政権になってしまった。しかし、総理、次のことをどう考えますか。公明党は創価学会の宗教施設で選挙運動をやっているのと違いますか? それで宗教法人として、莫大な税金納入を免れている。一体それでいいんですか?」
これには麻生首相も面喰ったらしく、質問項目が多いことを理由に、これに答えなかった。この質問は企業利益が回復、増収を重ねているにもかかわらず法人税を払わない、亡国の銀行の面々にも当てはまる。


ブッシュ米大統領は11日午前、中川昭一財務・金融担当相ら7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議に出席する各国の財務相をホワイトハウスに招き、金融危機への対応について協議するようだ。アメリカもいよいよ尻に火が付いてきた。
最近中川昭一・財務兼金融担当大臣は記者会見で「日本への影響は些細なものだ」と答えている。こんな経済音痴の大臣がホワイトハウスで何を喋るのか?彼が常に「酒臭い」のは政界では有名なハナシだ。この酔っ払い親父に国の経済を任せられる日本も平和な国である。
それにしても自民党大臣の妄言の多いこと。中山国交相、太田農相、まったくまともな大臣はいねーのかと言いたい。権力のタライ回しはもういい加減にしてもらいたいものだ。解散をお勧めする。

2008年10月2日木曜日

アートな話 模倣について 


       ピカソ (人形を抱くマヤ)

芸術の世界では模倣,2番煎じ,なるものは忌み嫌われることであるが、ピカソについてある話がある。彼が足を運ぶギャラリーでは展示されている作品の おいしいところを持っていかれると,画家仲間はささやき恐れていた。 ピカソはただ作品を模倣したわけではなく,彼の感性で絵画から啓示されたものを 自分の絵に取り入れ破壊と創造を繰り返していただけである。このことから芸術において模倣は否定されるものではないことが分かる。すなわち 作品に自分なりの味付けを加えることである。





かつてパロディー裁判(写真家白川義員とデザイナーマッドアマノ)があったが、 「パロディ」の語源は真似歌を意味するギリシャ語「paroidia」にあり、他者の作品を風刺的に真似る慣習自体は古くから存在していたことがわかる。美術においても、ルネサンス期に習作や模写がディシプリン(規律)に組み込まれた経緯がある。ただマッドアマノ氏のように白川氏の原画に承諾を得ずに加工したのでは道義的責任が生じる。本来パロディーとは元の作品を批判、風刺するものなのだから。

模倣といえば猿真似という言葉がある。サル(動物)には人間と違って想像力が無い,唯一生命の危険に対しての想像力はある。これはどの動物でも同じで、私が釣りでよく経験することだが魚も危険を察知すると咥えた餌を吐き出しバラしにつながる。フグの場合は釣った場所ですぐさばいて頭を捨てると、ほかのフグはその場所では釣れなくなる。



日光サル軍団という演劇集団をご存知だろうか,人間一人を演技指導するのさえ大変な 所にサルの一団を統率する校長の努力は大変なものだ。汗をかき熱を出し病名も分からず寝込む日もあった。後日談だがこれはサルのたたりらしい。彼は演技指導の時、言うことを聞かないサルを,連中の目の前で徹底的に痛めつけ殺す。 いわゆる見せしめだ。演技をしている恐怖に引きつったサルたちの顔を見れば、いかにサルたちが校長を恐れているかが分かるだろう。芸術全般において、よい作品を見てそこから啓示を受けることはよくあることである。しかしそれを咀嚼して自分なりに消化しきれずに、作品に原形が垣間見られる状況は良いことではない。

2008年9月19日金曜日

カジノ経済の行方


すわアメリカ経済の崩壊か!世界中に衝撃が走った。経営難に陥っていた米4位の大手証券リーマン・ブラザーズの破綻に続き米保険最大手のAIGの破綻である。米政府はFRB(中央銀行)の9兆円の融資と同時に、政府の管理下におき再建を図ることになった。米政府は15日に経営破綻(はたん)した米証券4位のリーマン・ブラザーズの救済には公的資金を使わなかったが、AIGの救済策では一転、公的資金を活用することにした。

AIGの破綻は世界経済を揺るがす一大事であることからの決定であるが、アメリカの金融経済(実質GDPの10倍に膨らんだ膨張経済)の危うさを垣間見た。日本でも国内主要行のリーマン向け債権は総額3200億円と金融庁が公表しているが、AIGの場合規模が大きく、CDS(債務保証保険)の額は半端ではない。グローバル経済の下では、世界経済に与える影響は計り知れない。

まっとうな従来型の経済から離れ,目に見えないカネを転がして利潤を追求するアメリカ経済が曲がり角にきた。アメリカ経済は空洞化した生産業の大半を中国などに移行し、海外に垂れ流されている証券化された金融商品(住宅ローン証券、国債、社債)を含む米ドル建て証券は推計で2000兆円、わが国だけでも620兆円あり、この数字は世界1である。世界中からマネーを集めるアメリカ、特に中東やロシアを含むオイルマネーと貿易黒字の中国やヘッジファンドのマネーがその供給源である。

これらのマネーは少ない資金で大きな運用ができるレバレッジ(乗数金融)にも手を染めている。いわゆる先物投資などで、原油や穀物などの相場を上げている元凶である。まさに賭場で博打を打っている様を連想する。胴元がリーマンやAIGで全世界の客(年金基金なども客の一人である)からテラ銭(手数料)を取っている。額が多いから上がりも大きい。リーマンの社員などで年収1億以上の者がゴロゴロいても不思議ではない、まさにカジノ経済である。アメリカンドリームを見ているラスベガスの様相だ。


胴元は今やアメリカそのものになり、G8さながら主要国がラスベガスの上客となっている。このような経済情勢の中、基軸通貨のドルの暴落が近いと囁かれている。アメリカにいい顔をしている日本政府は不遜の事態に対処できるのであろうか?最後にババをつかませられないことを願う。

2008年9月15日月曜日

相撲の美学


         相撲絵 歌川国貞
昨今の相撲界の箍のはずれた状況の中で起きた一連の不祥事で、北の湖理事長が渋々辞任した。
国技として日本人に親しまれた相撲、もともと力比べからはじまった相撲は古代からあった。古くは神事として、行事として行われていたが、源頼朝や織田信長は相撲を奨励し、度々上覧相撲を催し、行司が生まれたのもこの上覧相撲からと言われている。現在の大相撲は江戸時代の勧進相撲から始まり、今の日本相撲協曾の前身にあたる江戸時代相撲会所が整備され、次第に組織も充実し大相撲と呼ばれるようになった。

江戸の昔より相撲は「興行」であり現在も変わりない。日本人の強い横綱を筆頭に魅力ある力士たちが居たのは昔のことで、今や外国から弟子を集めないと興行が打てない状況である。年若くして古い体質の世界に入り、相撲道を教育する間もなく駆け足で出世するものだから、相撲の美学や人間としての美学を身につけないまま、社会の規範を外し問題を起こしていく。
このことは外人に限らず問題の親方や力士にも言える。強いだけが美学であれば相撲の伝統は成り立たないであろう。そこにあるのは男のいさぎよさであり、品格である。立ち会いの待ったが多いことも見苦しいものだ。


この際私論であるが、いっそ相撲部屋を世界中から集め、たとえばモンゴル部屋、ロシア部屋 と言うように、日本以外は1国1部屋の外人部屋を作り、部屋には相撲関係者と日本の文化教養としきたりを教育する係を置いて、各部屋同士で戦わせたら面白くなるのではないかと思う。

2008年9月9日火曜日

欲望と人生

                画像 歌川 国芳




 ミクロ経済学において「限界効用逓減(ていげん)の法則」というものがある。人が消費できる財の消費量には限度があるのが普通である。最初の1杯のビールは美味いが、2杯目からは最初の味に及ばない。回転寿司や食べ物の場合は、最初は美味しいけど、だんだん お腹がいっぱいになってきて、効用の増分が小さくなっていくという当たり前の現象である。一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分から得られる効用は次第に小さくなる。これを限界効用逓減の法則という。


人間の物欲はこの無限連鎖である。一つのものを手に入れるとまた次の物が欲しくなる。最初に手に入れたものの効用が小さくなると、次のものに触手が動く。欲望の尺度は人によって異なる。究極の尺度は自己満足が最も重要な尺度である。それぞれの人間がそれぞれの自己満足を目指して生きている。あることに満足できなくなると、別の満足を探す。金を稼ぐことに満足できなくなると、知的な満足を求め、知的満足に満足できなくなると、宗教的満足を求め、あるいは慈善活動などに満足を求める。
お互いの満足がぶつかり合うと、争いが起きる。それが例え国のため世界のため真理のためであろうが、全ての争いは満足を求めて行われている。あらゆる美化された行為、あらゆる卑小な行為は自己満足の結果である。



我々の人生は、「自己」の物語そのものである。人はよりよい生活や社会的地位、あるいはよい人間や物などを求め右往左往し、それが得られるとそれを維持することにエネルギーを費やし、やがて死にいたる。大方の人生はそうした簡単な図式に集約される。それが最も顕在化しているのが政治の世界である。金と利権、派閥と官僚に囲まれた政治家たちが、国民のため、国民のためと連呼しているが、果たしてどれだけの政治家が本気で今の日本の窮状を救う強い意志をもっているのか疑問である。先日の福田首相辞任劇は身内の自民党員に対する謝罪はあったようだが、我々国民に対して一言も謝罪の弁は発していないことを見ても、この一国のリーダーの目が一般国民に向いていないことを現している.

2008年9月3日水曜日

どうなる日本丸


福田康夫首相は1日午後9時半、首相官邸で緊急に記者会見し、辞任 の意向を表明した。
 辞任の事由を説明したあげく「先を見通す私の目には。自公政権が順調にいかない可能性が見えている。」こう言って辞任した首相、これが一国のリーダーの言うことか?なんて軽い首相の座だろうか!
公明党との亀裂やテロ特措法の成立の見通しが不透明になったり、次の国会で未解決の諸問題に対処できないなど、どん詰まりの状況で安倍に続いてまたもや首相の政権放棄、自民党内の2~3世議員の脆弱さと淡白さが目立つ。
各国の政治家において世襲で議員をやっている議員の数は日本が飛びぬけて多い。声の上がっている麻生幹事長もその一人である。また政界の渡り鳥などの声も上がってるようだが、雌鶏が鳴かないことを望みたい。
この期に及んでは早々の解散総選挙が、我々国民にとって分かりやすい帰結である。

 さて現在の我が国の経済情勢を菊池英博・日本金融財政研究所所長は月刊紙『BAN』2008年6月号で述べている事を要約すると次の通りである。
公共投資の削減、地方交付税交付金の削減、財政赤字の原因である社会保障費、特に医療費を削減等々小泉構造改革は7年経過した現在、すべてが失敗であり、日本は惨憺たる経済社会情勢である。 国民にとってよくなった経済指標は何一つない。
(小泉・竹中)構造改革が始まる前の指標と比較してみると、①1人当たりの名目GDPは00年には世界で2番目だったのが06年には18位まで凋落(35年前の1971年並み)、②世界のGDPに占める日本の比率は15パーセントから10パーセントに低下、③われわれの平均給与は9年間続落、④可処分所得(手取り給与)は00年から毎年減り、貯蓄率は7.6パーセントから3.2パーセントまで続落、⑤過去10年間で、正規雇用は460万人減少、逆に非正規雇用は600万人も増加、生活保護世帯が100万世帯を突破、経済的理由での自殺者の激増(毎年3000人から8000人への増加)、所得格差の拡大、
06年6月に強行採決された「医療制度改革」によって医療費予算が大幅に削減されたために、赤字の病院が増加し、救急病院が激減し、もはや世界に冠たる日本の国民皆(保険)制度が崩壊しているのである。また税収は00年度に51兆円あったのに03年度には42兆円まで落ち込み、若干戻っても06年度には49兆円しかなく、「構造改革」は日本の経済社会構造を破壊し、税収が増えない弱体化した経済にしてしまった。

これら難題を抱えたまま、日本丸の船長は逃亡し荒波の中を、我々国民を乗せて船長のいないこの船はどこまで漂流するのだろうか?

2008年9月1日月曜日

アートな話


 遅い夏休みを女房と九州で過ごしたおり、2日目の別府のフグ屋で一杯やっていたら、店の壁に気になる絵が掛けてあったので、店主にいい絵だねと言ったら親父は鼻の穴を広げながら、「これより大きな絵があったがこちらの絵のほうが高かったよ」と言っていた。
絵はサムホールのサイズに茶碗とサクランボを描いた静物画であったが、非常に写実的で奥の深い絵だった。額縁の裏に貼っていた説明書きを見せてくれたがあまり聞いたこともない画家だったので気にも留めなかったが、印象に残った作品であった。
旅から帰った次の日、NHKの日曜美術館を見ていたら、写実の果て「高島野十郎」と言う画家の特集をやっていたので見ていたら、まさにフグ屋で見た絵の作者である。奇遇であった。
  ●画像は筆者25歳の時のモダンアート展出品作「エロスの神話」 F100号

 この福岡久留米出身の孤高の画家は写実をとことん追求した人で、画壇や、世の価値観のしがらみから無縁の、芸術における自己完成をひたむきに貫き通した稀有の芸術家である。美術学校には親父の反対で行けず、東大を出て魚類学者の道を捨て世俗的な色に染まらず、独学で絵を追求した画家は魅力的な作品を多く残して無名のまま85歳の生涯を終えた。実家が裕福な造り酒屋だからこのような生き方が出来たのだろうか?
今の時代、芸大を出ても、美術にしても工芸にしてもまともに食えない人々が我々の周りにいる。国は芸術、強いて言えば美術や伝統工芸の育成にもっと予算をつぎ込まないと、この国の文化はやがて廃れてしまうだろう。 特に伝統工芸を地場産業としている地方の疲弊は著しい。

いま思い出すと私が24歳の時、サラリーマンをやりながら、縁あってモダンアート協会の女性会員の先生に師事し、抽象絵画から絵の修業が始まりこの年に初出品初入選で以後5年間入選が続くが。これは通常のアカデミズムから言えば邪道で、デッサン、写実から始まり抽象へ変容していくところが逆を行ってしまった。
抽象をやっているうちに、師匠は前衛の道に進み、私はマグリットなどが好きになりやがて写実の迷路に足を踏み入れ、折からのエアーブラシの流行りに取り付かれ、アクリル絵の具を駆使した絵を描いていた。今思えば師匠には芸術と人生についていろいろ教わった。美の放浪者として、我が性春の思い出である。

2008年8月19日火曜日

虚と実



     (画像はエッシャーの滝)
 相も変らぬ偽装が横行している。牛肉、比内地鳥、ウナギ、トラフグ、ミートホープ、赤福、白い恋人、吉兆、雪印と数え上げればきりがない。耐震強度偽装では日本中に激震が走った。建造物の偽装は生命財産を脅かす点で食品以上だ。さらに最近では建材の生コンの成分偽装もある。
食品業界に於いては監督官庁から改善命令を食らう程度のペナルティだったら、食品業界の自浄作用はない。人間嘘をつくとさらに嘘を隠すためにウソをつくことになり、偽装行為の心理的麻痺が始まると共に罪悪感が希薄になっていく。
そして食品劣化の目利きである当事者が賞味期限関連法と実際のギャップ、すなわち食品の実質的な耐用性は、法律の律するところより長いので、容易に賞味期限を改ざんする、その裏には企業のコスト意識(もったいない)と共に 日本では偽装した食品を食ったところで誰も死なないし、病気にも成っていない、産地も分からない。そんな論理で改ざんが進む。既に日本は偽装社会になっている。

ここにきて長年隠されてきた偽装が洪水のように社会現象として表面化した背景には、日本の中小零細企業の身内感覚の中で、社会全体の利益よりも自分に近い個人や組織との調和を大切にする暗黙の了解があり、これら和をもってなすといったなれ合い感覚が崩れだし、密告というマイナスのイメージが社会正義によるものか個人的な怨恨によるものかは別にして、プラスイメージとして定着しつつある。一方で日本の報道はマスコミの集団心理で似たような事件が起きると一斉に加熱報道するので、事件が事件を生むような相乗効果があらわれる。どの報道も熱しやすく冷めやすい特徴をもっていて、息の長い、複眼的な視点で報道をしてもらいたいものである。

今後は、あらゆる偽装の発覚は、厳罰で臨む制度を作らないと、やった者勝ちを放置しては、良質の業者が立ち行かなくなる。もっとも告発された企業の末路はご承知のとおりであるが。何十年と努力して築いた老舗も実を捨てて虚を取り、商売に一番大事な信用を失くし、一瞬にして社会の仇花と散っていく。
今の時代、偽装的行為は、内部告発により“いつかは必ず表面化する”ということを我々は知っている。企業経営者も次々に出てくる偽装にわが身を引き締めなければならないのに、偽装の誘惑に駆られていく。根底にあるのは利潤追求の一文字である。

このような中、疑心暗鬼に陥った社会は一種の居心地の悪さを緩和するために、我々消費者も虚と実が混在したこの社会になれ合いになりそうないやな風潮を感じる。 テレビのコマーシャルは、時代を読んだものが多いが、その中で「本当に効く~んですか?おっさんのその疑り深い目ぇが好き!」とはこの風潮を逆手に取った傑作であろう。

2008年8月17日日曜日

中国はどこへ。(巨象ー虚像)の辿る道





北京オリンピックが派手に行われている。開会式の花火がCGで作られていたり、人海戦術によるパフォーマンスに国の威信をかけて国民一致団結している姿は、今の全体主義の中国を現わしている。
世界の人口の約5分の一の人口を抱えるこの国は、鄧小平の改革開放路線を突っ走り13億人の民衆の、溢れんばかりの経済成長への欲望を抑えることは誰にもできない。日本の25倍もの大陸の欲望に必要なものは資本と技術で、わが国の(政府開発援助)ODAもこの国の発展に大いに貢献してきた。

湾岸部の経済特区から始まった経済発展は中国経済を押し上げ、GDPの伸びはすざまじい勢いである。その結果10億以上の人口を抱える農村地帯との経済格差は5倍に上るという。農村で食えない民は都市部へ流れ、世界の工場の労働者になる。ユニクロなどは1980円のジャンバーの、中国の工場での出荷価格(裸原価)は、およそ200円(13元)で製造部分は10%に過ぎない。これが中国のGDPである。製造原価が売価の10%の国のおかげで、100円ショップも成り立つわけで、スタブレーションの続く現在、インフレ抑制に一役買っているわけである。

我々の業界も使用している漆は、国内需要の大半を漆の木が多い山間部の人件費の安い中国産の漆に頼っている現状である。
その中国も昨今のインフレにより世界の工場の地位がベトナムなどに移行中である。また中国政府は、将来国策としてIT産業で世界ナンバーワン、世界制覇を目指している。

途上国は先進国経済と消費の型を後追いするが、昭和30年代の日本を思い起こせば、今の中国がある。オリンピックを契機に大気汚染、環境汚染が際立っているが、中国では向こう16年間に石炭消費量は倍増し、穀物消費量は40%増加すると予想されている。大気や水の汚染物質の排出量はさらに急速に増加しつづけている。中国のジレンマは人口の巨大さに対して保有する資源が少ないことであり、工業化を進めながら食糧をはじめとするエネルギー資源の自給自足がなかなか容易でないことである。穀物、原油などの需要増大に伴い、世界の穀物、原油相場を吊り上げている一因にもなっている。

核保有国として外交にしたたかさを併せ持つ中国と対照的な隣の小国北朝鮮は、核を背景にもっとしたたかな国で、まさに海千、山千、北朝鮮だ。日本を囲む東アジアのこの2国は今後とも自前の核抑止力のない我が国にとって注意しなければならない国だ。

2008年8月8日金曜日

古都京都








京都の夏は暑い。娘の就職内定祝いを兼ねて、仕事の関係で砥石の一大産地である京都に行った。これまで就職活動で京都と東京を行ったり来たりが続き気が落ち着かなかったが、ようやく第一志望のドキュメンタリー制作のTV局に決まり一件落着である。



娘がよく利用している夜行バスに初めて乗り、京都に早朝に着いため、レンタカーを借りるまで、娘のいる大学の男子禁制の女子寮に夫婦で足を運んだ。この寮に来るまで娘は、日本でも珍しい男女共同の大学内の歴史あるA寮に居て、京都に来た折には何度かお邪魔していたが、学生寮で男子女子が一つ屋根の下で勉学や寮生の交流に勤しむ姿は、学生の自主運営による選考で寮に入ったとはいえ、大学側の学生のアイデンティティー尊重の極みを目の当たりにした。
その寮も歴史的建造物保全のため明け渡しになり、現在のところになったわけである。ここは外国人留学生を対象に大学が提供しているところだが、空調、風呂、冷蔵庫完備の学生にしてはもったいないぐらいの部屋であった。カナダ留学を終えた彼女は卒業までこの寮に入ることになった。

声を殺して話をしながら娘の作った朝食をとり、山深い砥石の採掘場にクルマで移動し、砥石(彫刻刀や包丁研ぎ用)を何点か買い求めた。ここは京都の北にある場所で山深いところは、水戸黄門のロケによく使われる場所だと、案内の業者は言っていた。
その日、昼は貴船の川床、夜は隠れた名店で食事をし、先斗町を飲み歩き。夜行バスの出発時間の11時まで時間をつぶし帰路についた。

京都­­―――鎌倉
同じ古都でも京都の歴史は鎌倉より古い。私は仕事柄鎌倉にはよく足を運ぶが、 京都のスケールは大きい。まず世界遺産が17か所あり空間の広がりに圧倒される。




谷戸に囲まれた鎌倉とは地形的にも対照的で、鎌倉はまるで箱庭のようである。中世の武家政権のもとに作られた鎌倉も、その歴史的な価値から世界遺産の暫定リストに載っている。その候補地は24を数え、鎌倉市も2010年の世界遺産登録に向かって意欲的に運動をしている。鎌倉も頑張ってもらいたいものだ。

2008年8月5日火曜日

オラが町


私の住んでいる戸塚が大きく変わろうとしている。駅前の開発事業が着工され、従来の狭苦しい街並みが取り壊されて、平成24年の完成に向かって工事が進んでいるところだ。
戸塚駅の1日の乗降客の数は27万人と、横浜市の中では桜木町を抜いて第2位である。
人口の急激な増加に伴った分区も行われ、戸塚はまだまだ変貌していく。そんな戸塚ではあるが歴史は古い、江戸時代には東海道の宿場町として栄え、多くの旅人がここを通り過ぎて行った。町を流れる柏尾川は桜の名所で、花見の時分には人で賑わう所である。
土地の長老の話では昭和の初期には、屋形船に芸者衆を乗せて土手の桜を愛でた輩もいたという話だ。今は無くなった西友の裏手に女郎屋もあったり、汲沢には競馬場があったりで、ご老体は結構遊んだらしい。
うちの近くに斎場がある。40年前はいわゆる焼き場と称し、こんもりした林の中に煙突が立っていて、住宅もまばらな所に他府県から来たあわて者が、銭湯と間違えて洗面器を持って出かけたそうだ。当時その煙突から出ていた煙は白い時は年寄り、黒い時は若者という具合に住人の目には映っていたようだ。
道路が拡張され、地下鉄が出来てからこの町は非常に便利になった。起伏の多い土地柄、うちの親父も御年88でさすがに足腰は衰え,歩くことはままならないが自転車だけは電動で飛ばしている。一度クルマと衝突して怪我をしたのに、まだ懲りずにスピードを出していると、近所の人から注意されるが本人は無頓着である。警察も自転車のスピード違反を取り締まってもらいたいものだ。末期高齢者もなかなか侮れない。(笑)

2008年8月1日金曜日

悲しきわが地球








水の惑星地球、そのうち97.5%までが海水であり、残りの淡水も2.5%は極部の氷河。その氷河も地球の温暖化による縮小が進んでいる。人間がすぐに生活用水として利用できる水は、全体のわずか0.01%で、地球上で偏在している。一方、人為的な森林伐採すなわち農地や牧場への転換、商業伐採、薪炭採取、焼畑などで地球の砂漠化は年々進み、水資源の枯渇に拍車をかけている。
これら砂漠化の要因の9割は人間の仕業で1割は自然の仕業であると、UNEP
は警告している。





2008年時点での人口が66億人。この数字は、2025年には80億人にまで増えるであろうといわれている。その中で8億5千万人が飢餓に苦しんでいるという。その多くが発展途上国である。日本は世界一の食糧輸入国であるが、小麦1キロの生産につき1トンの水が必要とされる。牛肉1キロの生産につき7キロの小麦が必要とされているため、我々は肉1キロを食べるために、海外から7トンもの水を輸入しているということになっている。






いまエネルギー、食糧、水といった3大資源が、それぞれ難局に向かっている。
水の濫用が日本人に、そして地球全体にどのような影響を及ぼすのであろうか? その豊かな流れで4000年ものあいだ穀倉地帯を潤してきた黄河も、15年ほど前か ら海まで河の水が届かなくなってしまう「断流」という異常事態に直面している。
日本が輸入穀物の8割以上を依存しているアメリカも、実際は農業用水の深刻な不 足に頭を痛めている。供給元の地下水の保水量が何十年か先の枯渇に左右される状況だ。日本も食糧需給率を上げるため、空洞化した農地をどんどん活性化し、農業復活に政策転換していかないと、ヤバイことになりそうだ。
TVでは大食いを賞賛するようなものや、グルメ番組がやたらと多いが、他力本願の飽食の時代に浮かれていると、その先に待っているのは飢餓地獄である。やがて人類の未来図はエネルギー、食糧、水の奪い合いになるであろう。

今先物投資の対象になっている資源は価格暴騰の潜在性を露呈している、原油や穀物の相場が、行き場を失ったオイルマネーやヘッジファンドの投機マネーによって先物相場を吊り上げており、その先に待っているのは水の先物であろう。まさに水相場だ。


そんな中、世界各国で原油値上げによる窮状を訴える運動が漁民や運送業者の間でわき上がっている。まさに世界中が悲鳴を上げている。
市場経済のもと実勢経済から解離したマネー経済がまたもやバブルを膨らませているが、バブルは必ずはじける運命にあり、後に来るのは相場の暴落である。アメリカのサブプライムローン破綻に端を発した金融危機は、やがて未曾有の世界大恐慌へとステージを変えていくのだろうか?それもアメリカの金融政策の舵取りにかかっており、舵取りを間違えると、ドルに支えられていた世界経済の基軸の崩壊が始まり、アメリカ中心の政治経済の脱却からやがて世界の多極化が進んで行くだろう。

その時アメリカどべったりの日本の経済に与える影響は計り知れない。

2008年7月21日月曜日

病んだ社会


 
終身雇用制度が崩壊して久しい昨今であるが、労働環境の格差はすざまじい勢いで広がっている。いわゆる正規雇用に対する非正規雇用の増大が社会に影を落としている。少子高齢化が叫ばれているご時世だが、非正規雇用に組み込まれた若者は将来に展望のないまま、ワーキングプアーとして低賃金で労働を強いられ、結婚出来ない若者や結婚を望まない若者も増えていることが、少子高齢化に拍車をかけている。






政府もこの殺伐とした労働環境に気が付き始め、秋葉原の事件後、派遣労働の規制に乗り出した。かっての経済の高度成長期から安定期に至る我が国は、少なくとも我々団塊の世代においては、目標または問題意識を持てた時代である。その後、後進国の追い上げや経済のグローバル化により、バブル後の社会は企業においては労働コストの削減に走り、目標や問題意識を失った不幸な若者を生み出している。そんな中で秋葉原事件が起きた。この事件以外で誰でもいいから殺したいなどと、各地で似たような事件が増えている。この蔓延する攻撃性はいったい何に由来するのか?まさに社会が病んでいる様相を呈している。



かつて一億総中流社会と呼ばれた時代があったが、いわゆるスタンダードとしての正規雇用から隔離されたように存在が膨れていく非正規雇用者の蓄積された怒りが,特異な形で爆発したのがあの事件である。背景には時代が生み出した疎外感と孤独が生み出す負のスパイラルがある。その日本も今や富裕層と下流社会へと2極分化しつつある。
動物本来の攻撃性
乳離れしたばかりのシロネズミを数週間仲間から離して育てると、かなりの割合で攻撃的な性格になるそうだ。隔離しておくと同じ檻に入れた小型のハツカネズミをかみ殺してしまう。シロネズミ同士にすると猛然と戦う。またニホンザルの隔離飼育の実験では、霊長類のサルが仲間を確認するのは、目で見ることと、皮膚の触れ合いだ。「この二つを絶って隔離飼育すると、半数以上は攻撃的になるそうだ。そうしたサルを数匹 一緒にすると、殺し合いを続ける」という。隔離された無機的な労働環境に置かれた人間が犯した今回の事件は、人間も動物であることを暗示している。その行動が暴走したのは、動物にないコミュニケーションの不在である。

2008年7月10日木曜日

動物愛護の狭間で





我が家にはラッキーというミニチュアダックスフンドがいる。メスの3歳である。
もともとあまり犬の好きな女房ではなかったが、子供たちが独立してからは、心にぽっかり空いた風穴を埋めるために飼うようになった。
この犬も家族の一員であるが、その仕草は人間並みで、あくびはするは、ため息はつくは、 屁はするは、ゲップやくしゃみは日常茶飯事で表情も豊かである。

 昨今、国際捕鯨委員会での捕鯨国と反捕鯨国との溝は深まるばかりだ。クジラを食べる国とそうでない国とのしのぎあいで、沿岸捕鯨をやっているアラスカなどの先住民は捕鯨を認めて、日本のような商業捕鯨の形態の国は、歴史の長い小型鯨の沿岸捕鯨さえ認められない現状がある。鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約に基づき実施しているが、調査捕鯨反対の急先鋒のオーストラリアなどは自国のカンガルーを殺して食べている国だ。反対国の多くが牛などを屠殺場に送り込んでいる。それを食っている人間たちがクジラを捕る国を批判するのは偽善的にも見える。
もちろん乱獲は生態系を脅かすが、それ以上に海洋上の種の偏在は生態系に影響を及ぼす。
海洋食物連鎖の頂点にいるのは、クジラ、シャチなのだから。

欧米から入ってきたゲームフィッシングというものがある。一番ポピュラーなのがバスフィッシングである。当初芦ノ湖に食用として放たれたこの魚は、今や釣っては放す、キャッチアンドリリースのターゲットになっており、全国の湖沼にその繁殖力の旺盛さから数が増え続け、在来種の魚を食いつくすため漁業に深刻な影響を与えている。
今では各地で関係者が駆除をはじめているが、料理法によっては食べてまずくはない魚である。魚の命を半殺しのようにもてあそび、放つのはどうかと思う。釣って成仏、食べて功徳の釣りの世界であろう。

2008年7月2日水曜日

命取り


  20世紀は大量生産大量消費大量投棄で幕を閉じたが、21 世紀になると個人のライフスタイルも多様化し,物も情報も取捨 選択の時代になってきた。
特にIT革命が謳われる昨今、情報の大量生産大量消費大量投 棄の時代になり日々情報の洪水の中に我々はとっぷり浸かっ ている。 まさに情報の中でいかに重要な情報を選び、取り入れる かが問題になっている。
2001年に起きたアメリカの同時多発テロ事件は世界に衝撃を与 えたが、いまだに米政府に対する疑惑は晴れない。当時米政府は いち早く情報をキャッチしていたにもかかわらず、事件を未然に防がず、数々の検証でアルカイダの関与が疑問視されている。イラク攻 撃の口実に利用したとも言われ、未だ真相は闇の中だ。日本では
友人の友人がアルカイダと言ったアホな法務大臣もいる。

     本能寺に届いたアユ

アユは奈良時代から皇室や貴族また時の権力者に献上されていた 貴重なもので国魚であったが,足利幕府にも献上されていて,足利幕 府を倒したのが織田信長である。時の権力者に献上する慣わしがこの 時代も続いていた。
天正10年6月 秀吉の中国地方征伐の後方援護のため、安土から京 都に来た信長は本能寺を宿処とした。現在の京都の本能小学校の跡 地あたりである。
朝廷から内々に将軍にならないかとの打診があり信 長は機嫌を良くしていたが、 彼には朝廷をも倒す野望を秘めていたこ とは推測されている。

その夜、堺の商人なども交え茶会を開き夜遅くまで碁を楽しんで床に入 ったのは夜中を過ぎていた。 このとき信長に碁の千日手である不吉な三劫と言う手が出たそうである。 これが運命のつまずきで,まもなく桂川からアユを納める男が本能寺の 台所に着き,台所の者に意外なことを告げた。

「甲冑に身を固めた武士たちが大勢で京都に向かっており、京にいく者 と見れば片っ端から切り捨てていき、大将は明智様でどうも様子がおか しいようで」と側近にまで伝達されたがそこで止まってしまった。
側近たちは歌にもあるように(鳴かぬなら殺してしまえホトトギス)と言う ほど気性の激しい人間であることは百も承知であった。
信長がたった今、上機嫌で寝たところで素性のわからない川漁師の話 をして,信長の性格からしてひどく怒られることを知っていたので明日お 目覚めになったらお伝えしようと言うことになり、ここで信長の運命はぷ つりと切れたわけである。ここで家来は情報を一時保管してしまった。
情報というものはアユとおなじ生もので、扱いを間違えると信長の命取り になってしまったわけである。

其の後、明智光秀は殺され秀吉の時代になったわけだが、信長と秀吉 の間には面白い逸話がある。
尾張三河の城主だった信長が、ある時、領内で狩りをしていたおり、川 で釣りをしていた小作人の木下藤吉郎(後の秀吉)が面白いように魚を 釣っているのを見た信長が家来に藤吉郎を連れてこさせ、釣りの伝授 をしてもらい、それが縁で彼を屋敷に置いたそうだ。今でいう釣り馬鹿 の社長とハマちゃんの関係が浮かんでくるようだ。(笑)

2008年6月28日土曜日

寿命について


 人間に限らず機械あるいは社会制度にも寿命というものがある。寿命はそれぞれが持っている機能が停止するまでの時間と考えてよいが、これらの構造は何らかのメカニズムで老化あるいは劣化が進行し、やがては機能不全を起こす。




イギリスにスコッチウイスキーのオールドパーのラベルのモデルになったトーマスパーという爺さんがいて、153歳まで生きた人物であるが、80歳で結婚し、100歳の時に婦女暴行で捕まり、120歳で4回目の結婚をした人物である。世界ではギネスに認定されていない古い時代の長寿者がまだまだいるようである。逆さ仏という言葉があるが、現代は若くして生活習慣病にかかり、親よりも先に死ぬ人が増えている。交通事故もそうだが、ここ10年来我が国の自殺者が毎年3万人を超えている。寿命を全うせずに自らの命を絶つことは憂うべきことである。




戦後高度成長を果たしてきた我が国も、官僚主導型の社会制度で円滑に経済発展と、政治がおこなわれて来たが、90年代のバブル期あたりから、官僚制度の劣化が始ってきた。ことに昨今の年金制度の不備とていたらくは、目を覆いたくなる。医療制度しかり、道路行政しかり、挙句の果ては官僚自らの天下りと利権の確保に余念がない。彼らの小賢しい保身と、狡猾な行政手腕に税金を食い物にされている国民は不幸としか言いようがない。平成19年度の国の負債総額は849兆円に膨らみ、役人は歳入を増やすことに余念がないが、埋蔵金と囁かれている無駄な歳出削減の抜本的な具体策を示さず、実行もしない。これは官僚主導型の社会制度の老朽化であり、政治の死に近づいている状況である。一度政権交代で民主党に政治をやらせてみるのも国民の選択かもしれない。日本の公共事業の柱はいま問題の道路建設であり、アメリカの公共事業の柱は軍需産業で、突き詰めれば戦争である。いわば道路中毒と戦争中毒の両国が同盟国として存在している現実がある。アメリカの核の傘のもと平和ボケした日本があり、その安保条約も老朽化してきている。機能不全に陥る前に政治家は我が国の防衛を真剣に考える時期が来ている気がする。




アメリカにマークトゥエインという作家の本で、「man is machine」人間は機械である。というエッセイがある。厭世的な内容であるが、人間は機械になれるが、機械は人間になれないというくだりがある。 我が国の最新鋭護衛艦イージスが房総沖で漁船と衝突事故を起こしたことは、記憶に新しい。イージス艦もそうだが、遠洋に出る漁船も自動操舵は装備しているはずだが、報道では触れていない。国の防衛を預かる防衛省の官僚も、日米安保のもと、緊張感のないだらけた組織の中で事故不祥事が多い。人は組織の中で機械のように働くが、人間の作った機械に完全なものはない。機械を妄信するととんでもないことになる。我々の身の回りのパソコンもそうである。必ずバックアップが必要である。機械は人間のように融通が利かない。これは寿命以前の問題である。
 

2008年6月25日水曜日

趣味に思うこと




カルチャーブーム全盛の70年代から今日まで、カルチャーセンターでは多くの講座が現れたり消えたりしている。現代は趣味の多様化の時代でもある。

人は自分に興味のあるもの、楽しいもの、日常と違った体験を求めて旅に出たり、うまいものを求めて酒やグルメに走る。その結果日本人の多くがメタボリック症候群に陥り、国の医療制度の危機感から国は盛んに我々に警鐘を鳴らす。
ご多分にもれず私もその仲間に足を踏み入れている。



各地で鎌倉彫を教えているが、20年来続けている生徒もいる中、多くの生徒が出たり入ったりしている。どの趣味でもそうだが一つのことに没頭し道を究めるまでは、それなりのモチベーションや強い意志とそれにともなう努力とよろこびががなければ続くものではない。もちろん生徒同士の交流や付き合いに重きをおいて通ってくる生徒もいる。それはそれで楽しみ方のひとつでもある。
要は自分なりの楽しみ方を見つければよいのである。



私の趣味の一つに釣りがある。30の頃から始め川釣りもやれば海釣りもやってきたが、今は海釣りに落ち着いている。人によっては釣りの対象魚を一つのものしかやらない人もいれば多種類の魚を対象にしている釣り人もいる。

私は後者のほうで、とにかくうまい魚が食いたいのである。四季折々の魚を求めて釣りに出掛けるわけだが、それにともない使用する道具も年々増えていく一方だ。
趣味と道具はきりはなせない。挙句の果てに包丁類はフグ引きを筆頭に7種類になり、魚のさばき方も女房よりうまいと自負している。

フグ釣りをやってからは竿の制作にも余念がなく、かれこれ和竿20本は作ったが最近はほとんど作っていない。東京湾で太刀魚を釣っている時に、観音崎沖で釣れた外道の1キロのトラフグは今でも思い出すが、船頭に言われるまま家でさばいて食べたが、冷や冷やドキドキで味はよく覚えていなかった。翌朝生きていて胸をなでおろした記憶がある。自分でも馬鹿ではないかと思うことがよくある。

そこで一句。 <竿先に糸が垂れ、竿尻には馬鹿がいる>
酔人 創