2008年7月2日水曜日

命取り


  20世紀は大量生産大量消費大量投棄で幕を閉じたが、21 世紀になると個人のライフスタイルも多様化し,物も情報も取捨 選択の時代になってきた。
特にIT革命が謳われる昨今、情報の大量生産大量消費大量投 棄の時代になり日々情報の洪水の中に我々はとっぷり浸かっ ている。 まさに情報の中でいかに重要な情報を選び、取り入れる かが問題になっている。
2001年に起きたアメリカの同時多発テロ事件は世界に衝撃を与 えたが、いまだに米政府に対する疑惑は晴れない。当時米政府は いち早く情報をキャッチしていたにもかかわらず、事件を未然に防がず、数々の検証でアルカイダの関与が疑問視されている。イラク攻 撃の口実に利用したとも言われ、未だ真相は闇の中だ。日本では
友人の友人がアルカイダと言ったアホな法務大臣もいる。

     本能寺に届いたアユ

アユは奈良時代から皇室や貴族また時の権力者に献上されていた 貴重なもので国魚であったが,足利幕府にも献上されていて,足利幕 府を倒したのが織田信長である。時の権力者に献上する慣わしがこの 時代も続いていた。
天正10年6月 秀吉の中国地方征伐の後方援護のため、安土から京 都に来た信長は本能寺を宿処とした。現在の京都の本能小学校の跡 地あたりである。
朝廷から内々に将軍にならないかとの打診があり信 長は機嫌を良くしていたが、 彼には朝廷をも倒す野望を秘めていたこ とは推測されている。

その夜、堺の商人なども交え茶会を開き夜遅くまで碁を楽しんで床に入 ったのは夜中を過ぎていた。 このとき信長に碁の千日手である不吉な三劫と言う手が出たそうである。 これが運命のつまずきで,まもなく桂川からアユを納める男が本能寺の 台所に着き,台所の者に意外なことを告げた。

「甲冑に身を固めた武士たちが大勢で京都に向かっており、京にいく者 と見れば片っ端から切り捨てていき、大将は明智様でどうも様子がおか しいようで」と側近にまで伝達されたがそこで止まってしまった。
側近たちは歌にもあるように(鳴かぬなら殺してしまえホトトギス)と言う ほど気性の激しい人間であることは百も承知であった。
信長がたった今、上機嫌で寝たところで素性のわからない川漁師の話 をして,信長の性格からしてひどく怒られることを知っていたので明日お 目覚めになったらお伝えしようと言うことになり、ここで信長の運命はぷ つりと切れたわけである。ここで家来は情報を一時保管してしまった。
情報というものはアユとおなじ生もので、扱いを間違えると信長の命取り になってしまったわけである。

其の後、明智光秀は殺され秀吉の時代になったわけだが、信長と秀吉 の間には面白い逸話がある。
尾張三河の城主だった信長が、ある時、領内で狩りをしていたおり、川 で釣りをしていた小作人の木下藤吉郎(後の秀吉)が面白いように魚を 釣っているのを見た信長が家来に藤吉郎を連れてこさせ、釣りの伝授 をしてもらい、それが縁で彼を屋敷に置いたそうだ。今でいう釣り馬鹿 の社長とハマちゃんの関係が浮かんでくるようだ。(笑)

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