2008年9月1日月曜日

アートな話


 遅い夏休みを女房と九州で過ごしたおり、2日目の別府のフグ屋で一杯やっていたら、店の壁に気になる絵が掛けてあったので、店主にいい絵だねと言ったら親父は鼻の穴を広げながら、「これより大きな絵があったがこちらの絵のほうが高かったよ」と言っていた。
絵はサムホールのサイズに茶碗とサクランボを描いた静物画であったが、非常に写実的で奥の深い絵だった。額縁の裏に貼っていた説明書きを見せてくれたがあまり聞いたこともない画家だったので気にも留めなかったが、印象に残った作品であった。
旅から帰った次の日、NHKの日曜美術館を見ていたら、写実の果て「高島野十郎」と言う画家の特集をやっていたので見ていたら、まさにフグ屋で見た絵の作者である。奇遇であった。
  ●画像は筆者25歳の時のモダンアート展出品作「エロスの神話」 F100号

 この福岡久留米出身の孤高の画家は写実をとことん追求した人で、画壇や、世の価値観のしがらみから無縁の、芸術における自己完成をひたむきに貫き通した稀有の芸術家である。美術学校には親父の反対で行けず、東大を出て魚類学者の道を捨て世俗的な色に染まらず、独学で絵を追求した画家は魅力的な作品を多く残して無名のまま85歳の生涯を終えた。実家が裕福な造り酒屋だからこのような生き方が出来たのだろうか?
今の時代、芸大を出ても、美術にしても工芸にしてもまともに食えない人々が我々の周りにいる。国は芸術、強いて言えば美術や伝統工芸の育成にもっと予算をつぎ込まないと、この国の文化はやがて廃れてしまうだろう。 特に伝統工芸を地場産業としている地方の疲弊は著しい。

いま思い出すと私が24歳の時、サラリーマンをやりながら、縁あってモダンアート協会の女性会員の先生に師事し、抽象絵画から絵の修業が始まりこの年に初出品初入選で以後5年間入選が続くが。これは通常のアカデミズムから言えば邪道で、デッサン、写実から始まり抽象へ変容していくところが逆を行ってしまった。
抽象をやっているうちに、師匠は前衛の道に進み、私はマグリットなどが好きになりやがて写実の迷路に足を踏み入れ、折からのエアーブラシの流行りに取り付かれ、アクリル絵の具を駆使した絵を描いていた。今思えば師匠には芸術と人生についていろいろ教わった。美の放浪者として、我が性春の思い出である。

2 件のコメント:

むむむ さんのコメント...

へ~~父ちゃんが絵描くのってこんな歴史があったのね~笑
さすが「青春」じゃなくて「性春」だよね。

恥ずかしいったらありゃしない(笑)本気で漢字間違えたの?それともわざと?笑

九州楽しかったみたいでよかったね!!私も鳴門の大塚国際美術館で絵見たよ。いろんなの。とにかくでかいんだこの美術館。私も抽象画好きだよ。アンソールって人の絵が好き。抽象画じゃないか。

ではでは引き続きブログがんばりなはれ

ゆかり

Kazuma さんのコメント...

自分は芸術に疎いので、芸術的なことはわかりませんが、この画家の話の特に生き方が印象的です。こういう生き方をする人の話に、どこか惹きつけられる気がします。