2008年7月10日木曜日

動物愛護の狭間で





我が家にはラッキーというミニチュアダックスフンドがいる。メスの3歳である。
もともとあまり犬の好きな女房ではなかったが、子供たちが独立してからは、心にぽっかり空いた風穴を埋めるために飼うようになった。
この犬も家族の一員であるが、その仕草は人間並みで、あくびはするは、ため息はつくは、 屁はするは、ゲップやくしゃみは日常茶飯事で表情も豊かである。

 昨今、国際捕鯨委員会での捕鯨国と反捕鯨国との溝は深まるばかりだ。クジラを食べる国とそうでない国とのしのぎあいで、沿岸捕鯨をやっているアラスカなどの先住民は捕鯨を認めて、日本のような商業捕鯨の形態の国は、歴史の長い小型鯨の沿岸捕鯨さえ認められない現状がある。鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約に基づき実施しているが、調査捕鯨反対の急先鋒のオーストラリアなどは自国のカンガルーを殺して食べている国だ。反対国の多くが牛などを屠殺場に送り込んでいる。それを食っている人間たちがクジラを捕る国を批判するのは偽善的にも見える。
もちろん乱獲は生態系を脅かすが、それ以上に海洋上の種の偏在は生態系に影響を及ぼす。
海洋食物連鎖の頂点にいるのは、クジラ、シャチなのだから。

欧米から入ってきたゲームフィッシングというものがある。一番ポピュラーなのがバスフィッシングである。当初芦ノ湖に食用として放たれたこの魚は、今や釣っては放す、キャッチアンドリリースのターゲットになっており、全国の湖沼にその繁殖力の旺盛さから数が増え続け、在来種の魚を食いつくすため漁業に深刻な影響を与えている。
今では各地で関係者が駆除をはじめているが、料理法によっては食べてまずくはない魚である。魚の命を半殺しのようにもてあそび、放つのはどうかと思う。釣って成仏、食べて功徳の釣りの世界であろう。

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