2014年5月3日土曜日

憲法解釈をめぐって

朝日新聞デジタルより


また憲法記念日がやってきた。日本は戦後、憲法第9条のもとで、自衛権の行使が許容されているという見解を一貫してとってきたが、阿部政権になってから、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈緩和することをめぐって、議論が紛糾している。

国連憲章の51条は、それぞれの加盟国が「個別的又は集団的自衛権の固有の権利」を、持っていることを認めており、また国連憲章では、個別的自衛権と集団的自衛権が一体であり、不可分のものと位置付けられている。しかし我が国では個別的自衛権しか認めておらず、これが戦後の国際情勢の中でいい意味での縛りになっていた。
しかし中国など、力を背景にのし上がってきた国際勢力図の中で今日の世界では、独立国が自分の力だけで、国を守ることができない状況が続いている。日米安保体制も今やその基軸を問われ転換期に来ているが、最近アジアを歴訪したオバマ大統領も尖閣諸島問題に対する声明や、フィリピンにおける米軍再配備の言及など、中国を睨んだ外交を展開しているのが見えてくる。

集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈を変えることに、反対している人々は、もし改めたら、日本が再び戦争を仕掛ける国になってしまう懸念を強調しているが、しかし、一方で日本はすぐにも戦争を吹きかけようとしている国によって、脅かされている現状もある。憲法を改正することには相当の時間と議論が必要となるため現政権は、「改憲」をしなくても、解釈を変えれば集団的自衛権を行使できるようになることに気が付き、これを進めようとしている。それもTPPの絡みで性急に議論が白熱している。しかし憲法解釈には、解釈拡大の歯止めと落とし穴にも傾注の必要があるだろう。

集団的自衛権は、戦後一貫して日本国憲法では認められないし、個別的自衛権と区別してそう解釈されてきた。明確な「違憲」ではないが、憲法の解釈として認められてこなかった。自民党の中には、集団的自衛権を限定的に行使できるという、「限定容認論」というものが芽吹き始め、この場合の限定条件には「日本の安全保障に直接関係がある場合に限って」という解釈であり、日本の安全を脅かす国との紛争に適用される。
我々が核についての基本的な認識、すなわち最大の抑止力は、この集団的自衛権にも当てはまり、核を持たない我が国が持つ最大の抑止力になりうる。
いずれにせよ日本の隣国が、平和ボケした我が国の国民を覚醒させたことは疑いようのない事実であり、国民一人一人が集団的自衛権について、YESかNOを決断すべき時がそう遠くない時期にやってくるだろうし、国民の覚悟が試される時でもある。

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