2012年5月5日土曜日

主権なき憲法

すべての国家は衰退するが、その原因は必ずしも不可逆的なものではない。しかし一番致命的な要因は、国家が自己決定ができなくなることだ。」       トインビー『歴史の研究』


さらにトインビーは現代文明について言及している。「人間は、科学と技術を進歩させてきたが、人間が誕生してからこのかた、精神的には何ら成長していないという。現代技術の進歩の結果、人間は再生産不可能なかけがえのない無生物資源を、空前の規模と割合で消費する能力ばかりを身に付けた。」

物質的豊かさ、経済的繁栄への欲求が習い性となった国家・集団・個人の自己中心性が、それらを加速度的に発達させ、飛躍的に成果の争奪(競争、時には戦争)が拡大教化されてきたという。
この欲求を根源とした力は、先進国などの一部の国の人々は豊かにしたが、同時に人口爆発、貧困、自然破壊、公害など様々な問題が噴出させ、それを拡大している。

彼は物質的な豊かさというものは、精神的な貧困をもたらすものでしかないと説く。危機の世をいい方向へ立て直すには、まず第一に物質的な豊かさへの欲望は抑えよと説く。第二に、物質的な富の追求から精神的な富の追求へと、私たちの精力の向きを変えよと。




憲法記念日は日本国憲法の施行(1947年5月3日)を記念した日である。今、日本国憲法について思いを巡らせると、世界的に見ても、異常な生い立ちをもった憲法であることがわかる。
その異例な点は、アメリカ軍を中心とする連合国軍の占領下という特殊な状況においてGHQによって作られた草案に従い、短期間に日本国の主権が極度に制限されていた中で、米国から強制的に与えられたものであることは周知の事実である。

敗戦に続く占領政策は、日本の国家と社会、また日本人の精神に強い歪みをもたらした。さらに「日本弱体化政策」の設計図ともいえる米国製の日本国憲法が誕生した。それは、日本が再び米国の脅威とならないようにするために、米国が与えた法的な拘束であった。そして、現行憲法は制定後60年以上にも及ぶ長期間、日本の政治、行政、防衛、教育等の法的枠組みとして存続してきたことによって、日本人のアイデンティティーが弱められ、決められない政治に象徴されるように、今日の亡国の危機を生み出している土台が仕組まれていた。

 同じ敗戦国でも、条件付き降伏の日本と異なり、文字どおり無条件降伏をしたドイツに対してさえ、戦勝国は憲法を押し付けることは無かった。ここに白人の有色人種に対する人種差別意識が見え隠れする。戦時国際法では外国軍隊は、占領地において現地の法律に従うことが規定されており、占領軍にできることは、占領政策に必要なものに限られていて、それにもかかわらず、日本を占領した連合軍は、当時の日本の基本法である帝国憲法の改変を強行した。これは、明確にハーグ陸戦規則に違反することである。
 連合国の極東委員会は、昭和21年11月に憲法が公布された後、2年以内に再検討すべしと決めていた。マッカーサーも、日本国憲法の押付けは理不尽であることを十分理解しており、そこで、彼は委員会の決定を受けて、憲法施行後1~2年の間に改正が必要であるなら、国民の判断に委ねるべきことを、吉田茂首相に伝えたが、しかし、吉田は、これを無視したと伝えられている。ここから、半世紀を超える今日まで、改憲か護憲かという議論が続いている。

 日本国憲法は正に米国が日本を属国として支配するための半植民地憲法だった。これを改正しない限り、日本は永久に米国の従属国・被保護国いわば半植民地なのだ。
広島大学の中川剛教授は、比較憲法学の立場から重大な発見をした。アメリカは大戦後、スペインの植民地だったフィリピンに独立を与える際に、アメリカ製の憲法を与えたが、このアメリカがフィリピンに与えた憲法と、日本国憲法は武力放棄など基本的な点において、ほとんど同じだというのだ。その為、法の専門家でもないGHQが手際よく短期間で憲法草案を作れたことの説明がつくと締めくくっている。

日本国憲法の欠陥と矛盾

  戦後、連合国による占領下で行われた日本弱体化政策とは、軍事力の制限と考えがえがちだがしかし、最も重要な弱体化は、精神面に対するものであり、すなわち、精神を骨抜きにすることである。
現在の日本は、どこかの国が突然、宣戦布告をして侵攻してきた場合でも、単独では対抗できない状態にある。日米安全保障条約によって米国に守ってもらうしかない状況下で、米国はこうした防衛上の依存構造を作り、米国は、日本に防衛力を持たせ、それをあくまで米国が管理下におき、日本自身が自分の意志で防衛力を行使することはできないようにしている。それがアメリカによる"宗主国対従属国"の構造である。
つまり、日本は、安保条約による軍事同盟国ではあるが、根っこでは第9条が主権制限条項であることの意味がここにある。すなわちここで言う主権の制限の核心は、強い軍隊を持たせないようにすることである。 第9条は、『戦争の放棄』という題名の章に置かれた条項だが、憲法に定めるべきものは安全保障である。現在の憲法は、国家の主権を制限する内容となっているから、これを改正しなければならない」と改憲論者は言う。
 しかし、戦後の日本人は、連合軍に占領された6年8ヶ月の間、行政、立法、家族制度、報道、教育、学術等、すべての分野で徹底的な弾圧・改変を受けた結果、マッカーサーから押し付けられた憲法を変えることを恐れている。言論統制と検閲は終わったにもかかわらず、日本人は見えないもののマインドコントロールを受け自主規制をかけ、米国の庇護の下、国の防衛に腐心することなく稀に見る経済発展を遂げた居心地の良さのため、55年体制の下、この憲法の欠陥と矛盾を改める気力も薄れた状態で、他力本願のまま、改憲護憲の上っ面の論議は何度も与野党間で起きては消え今日に至っている。

安保は、敗戦国・日本には基地の提供などの義務はあるものの、戦勝国・アメリカが一方的に防衛義務を負うという片務条約である。それゆえ、日本は自国の防衛にすら責任を持たなくてよくなり、平和と繁栄を享受することができた。そして、アメリカの作った自由貿易体制を最大限活用して、高度経済成長を成し遂げ、経済的に大きな利益を得てきた。日本はこうして特権的な条件のもと従属国的・被保護国的な地位に甘んじて栄華に酔いしれてきた。そのため、日本人は、自主独立の精神と民族としての気概や誇りを失い、他国への依存心を強め、その下で、経済的な発展ばかりを追求するという偏った指向性が続く。そして、この他者依存的な防衛機構と経済的繁栄が、日本人の心の隙間を広げていくことになる。

日本人は戦後、自立心を失い、国防を他国に依存するという「甘え」の構造の中で、「利己主義」的に物質的な豊かさをむさぼってきたが、かつての高度成長経済がもはや戻れない過去のものとなった現在、国家目標も国民的理想もない「半植民地国家」の虚栄の半世紀をもう一度省みて日本再生を望む意志の持続と、自虐的な隷属感覚を払拭するためにも日本国民が作る自主憲法が望まれる。


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