2012年9月15日土曜日

領有権問題

戦後すぐマッカーサーの招きでやってきたイギリスの歴史家トインビー(1889-1975)は「この国(日本)の経済は20年もすれば回復するが、国民精神の回復には100年を要するだろう」と指摘したそうだ。戦後67年を経てきた今の日本を見ているとその指摘通りになっている。冷戦後の日本を取り巻く国際環境は激動の中に有り、2極に躍り出た中国とそれに連動してロシア、韓国と各々が領土問題で我が国に対峙してきた。
日本政府は竹島にせよ尖閣諸島にせよ、国内外に我が国固有の領土であることを知らしめる発信力が弱いのが気にかかる。各メディアで論じられてる領有権問題を整理してみると、


<竹島>
日本では明治政府が1905年に竹島を島根県に編入し、竹島の領有を宣言したことから日本の領土になった。 これは国際法的にも認められている。
 ところが敗戦後の1952年、、サンフランシスコ講和条約によって確定する日本の領土に竹島が含まれていることを知った韓国が、1952年、条約締結直前に当時の韓国大統領李承晩が発した「海洋主権宣言」により、韓国周辺の公海上に勝手に設定した海域線内に含ませたこと(李承晩ライン)により竹島を占拠し,以後実行支配が続いている。また韓国はこの行動を起こす前の講和条約締結にあたって対馬を韓国領とするよう米国に働きかけたが、米国は取り合わなかったため、次に竹島を要求した。
しかし、当時のラスク米国国務次官はその要求も「古来日本が領土としており、韓国が竹島領有を主張していた事実はない」と受け付けなかったため、「海洋主権宣言」すなわち「李承晩ライン」なるものをサンフランシスコ講和条約締結前に「火事場泥棒のごとく」設定したのである。

そして 1965年に日韓基本条約が締結されるまでに「李承晩ライン」を 日本の漁船が越えて侵入したという理由で、328隻が拿捕、3929人が抑留され44人が負傷、うち5人が亡くなっているにもかかわらず、日本は韓国に対して何も言えなかった歴史がある。


<尖閣諸島>
一方中国は尖閣諸島を正式に支配したことがない。 しかし、尖閣諸島の歴史は曖昧で最古の記録では、尖閣諸島は琉球王国のすぐ隣、中国の領土内にある島として、その名前がひっそりと現れる。その琉球王国は1870年代に日本に吸収されて沖縄と改称された。
 1895年、日本は尖閣諸島を無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上沖縄に編入した。1945年、日本が第2次世界大戦に敗北すると、米国が尖閣諸島を含む沖縄の統治権を取得した。
1951年に締結された日米間の講和条約、さらには1972年に沖縄を日本に返還するとの合意文書においても、尖閣諸島の主権は曖昧なまま放置された(台湾もこの島の領有権を主張している)。米国は当事者間で友好的に解決すべきとの立場を取っている。

 政府は尖閣諸島について「日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配している。解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との立場だ。各メディアの論調を整理してみると、

 その第1の根拠は「1885(明治18)年から日本政府が現地調査を行い、尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、95(同28)年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した」(政府見解)ことだ。
 政府はこれは国際法上の「先占」にあたるとしている。先占とは「いずれの国家にも属していない地域を領有の意思をもって実効的に占有すること」で、国際法では国家が領有権を取得する方式として割譲や併合などとともに認められている。
その後、政府は明治29年9月、尖閣で事業を展開していた実業家の古賀辰四郎氏に魚釣島など4島の30年間無償貸与を決定。辰四郎氏は尖閣諸島に移民を送り、鳥毛の採集やかつお節の製造などを行った。大正7年に辰四郎氏が死去した後は息子の善次氏が事業を継続、昭和7年には4島が有償で払い下げられた。昭和15年に善次氏が事業継続を断念し、無人島となったが、政府はこの間の事実をもって「日本の有効な支配を示すもの」としている。

第2の根拠としているのが第2次大戦後、1951(昭和26)年に締結、翌年発効したサンフランシスコ講和条約だ。同条約第2条には、日本が日清戦争で清から割譲を受けた台湾と澎湖諸島を放棄すること、第3条には北緯29度以南の南西諸島などは日本の主権を残して米国の施政下に置くことが明記された。
 政府はこれに関し、尖閣諸島は「日清戦争で割譲を受けた台湾と澎湖諸島には含まれていない」とし、「歴史的に一貫して南西諸島の一部を構成している」との見解だ。米国の施政下でも琉球列島米国民政府や琉球政府によって、標杭や領域表示板の建設など実効支配が継続された。
 その後、尖閣諸島は1971(同46)年に署名、翌年発効した日米両国の沖縄返還協定に伴い、日本に返還されたが、政府は同協定第2条から「返還された地域に尖閣諸島が含まれている」としている。その後、現在に至るまで政府は「尖閣諸島は日本が有効に支配しており、日本固有の領土」との立場だ。

中国の主張
1)明代の歴史文献に釣魚島(魚釣島)が登場しており、琉球国には属しておらず、中国の領土だった。
(反論)明から1561年に琉球へ派遣された使節が皇帝に提出した上奏文に、尖閣諸島の大正島が「琉球」と明記されていた

2)日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った
日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼(とうしょ)澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめた。
(反論)日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった
 3)中国はサンフランシスコ平和条約に関与していないため、そこで決定されたことをを認めないとの立場。
(反論)第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている
出典尖閣諸島問題 - Wikipedia

竹島や尖閣をアメリカが「日米安保の対象地域」と発言しても、国益にならない領土問題にアメリカが介入する事はない。つまり領土問題は日本が独力で解決する以外に方法はないのである。国も個人も利によって動くのが慣いであるならば、今一度日本の自立とは何か、安全保障とは何かを考える時期が来ているように思う。

0 件のコメント: