2012年8月18日土曜日

アートな話「蒔絵と鎌倉彫」

小箱(水辺)2010 花器(秋)2012 吉川洛芳  

わが家では、カミさんも私も鎌倉彫の制作を始めて約30年になるが、カミさんは漆芸作家山口和子氏に師事して7年ほどになる。鎌倉彫をやる傍ら蒔絵の技術を磨いているところだ。上の写真は2点とも鎌倉彫と蒔絵のコラボレーションを意図した作品である。
左は平蒔絵と螺鈿を施した小箱、右は螺鈿と金箔を施した花器で、両作品とも非常に繊細緻密で根を詰めた作業が要求され、私などはこのような繊細さは持ち合わせておらず、傍らで息を詰めた作業を見ていると、鎌倉彫のおおらかさが自分には体質的にも合っていると思う。
(右の作品は来る9月1日から10日まで鎌倉彫会館で催される<喜彫会展>で出品予定の新作)

漆芸の世界では蒔絵という大きな領域があり、私が携わっている鎌倉彫は全国漆器産地のなかでは異端で、彫刻を主体にした数少ない漆芸分野でもある。
その歴史を比べると蒔絵は、古代中国で漆で模様を描き金粉等を撒いて表現する「平文(ひょうもん)・螺鈿(らでん)」等が考案され、奈良時代付近に日本に伝わり中国とは違う日本独自の『蒔絵』と呼ばれる技術が発達し、現在に伝わる漆塗りで、漆器産地の大勢を占める伝統工芸となった。
一方鎌倉彫は蒔絵に遅れること約500年後の鎌倉時代に中国から伝わった堆朱から木彫彩漆という日本独特の手法に変容し今日に至っている。

マリーアントワネットの蒔絵コレクション 17C
奈良時代に始まり日本で独自の発展を遂げて来た蒔絵芸術は、江戸時代に完成され頂点を 迎えた。当時のパトロンであった大名たちは、名工を抱えることが一つのステータスであり、金と時間に糸目をつけず、調度品ははもとより建築装飾に至るまで蒔絵が普及し、貴族趣味に支えられて職人たちは腕を競い合い多くの名工が誕生して行った。 現在残る多くの名品や国宝は、庶民とかけ離れた贅の下で作られて行ったものが殆んどである。
一方鎌倉彫は寺社などをパトロンに持ち、主に仏師の技として寺社の造仏や修復さらに調度品に至るのだが、やがて明治維新後の廃仏毀釈の時流からパトロンを失い、大衆受けする一般的な生活調度品として普及していった。

戦後の高度経済成長期が終わり、生活様式の変化から漆工品の需要も各生産地同様に減少し、今後の伝統産業の新たな道の開拓が求められている。日本の”もの作り”技術は世界でもトップクラスで大きな信頼を得ている。 精密機器や繊細な工芸分野での進出は、海外でも大いに期待できると思うが、高価な日本の漆製品は言うほど海外に浸透しておらず、富裕層をターゲットにしたところで、漆器全体の需要量の2~3%ぐらいしか輸出統計には乗っていないのが現状だ。
桃山時代以降多くのヨーロッパ人(とりわけ王侯貴族)を魅了した「蒔絵」を海外に渡った過去の輸出品として我々は知るところである。写真はかのマリーアントワネットが所蔵していたコレクションの一つで17世紀に作られた<蒔絵水差し1対>である。
メガネと蒔絵 吉川洛芳

蒔絵は漆工芸の加飾の一技法。 漆で文様を描き、乾かぬうちに金属粉(金、銀、錫など)や顔料の粉(色粉)を蒔き、固着 させて造形する技法。
基本的には平(ひら)蒔絵、研出(とぎだし)蒔絵、高(たか)蒔絵の3種類に分けられるが、 これの応用技法も多い。 普通は漆面に施すが、時には木地(じ)に直接施すこともあり、また螺鈿(らでん)や切金 きりかね)を組み合わせることもある。 蒔絵は日本の歴史とともに技術の発展を遂げた最も日本的芸術であり、漆(japan)と呼 ばれるように世界で唯一の工芸技法である。 「蒔絵」は”世界のブランド”に最も近い位置にいる。 また蒔絵は日本の工芸技法”東洋の美”として世界から注目され、 腕時計や万年筆のブランドメーカーとのコラボレーションなども盛んになってきている。 写真は最近カミさんが兄弟のために制作したもので、既製のメガネフレームに蒔絵を施した。

漆は天然の最高の接着剤と言われ、陶器等の破損・修理などにも広く使用されている。 粘着性が強いため蒔絵筆には細くて腰の強いネズミの脇毛が良いとされ、中でも船 ネズミが最高と言われてきた。余り動き回らないので毛の傷みが少なく、海上生活なので空気中に塩分が含まれて いるのが良いらしい。
 近年、船も清潔になりネズミが少なくなった事が、良質の筆を作れなくなった原因 になっている。一般の漆刷毛には女性の髪が使用されるが、現代のほとんどの女性は髪を染めたり、 パーマやドライヤーを使用する為良質の黒髪の調達も難しくなっているのが現状らしい。

かけがえのない日本の伝統の美を後世に伝えるため、コスト削減の価格競争に翻弄されることなく、独自の完成された技術に裏打ちされた高級品を目指すのが王道であろう。



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