2012年10月2日火曜日

アートな話「色について」

◆ 白について
キキ.ド.モンパルナス 藤田嗣治

白という色は、一般的に色という概念から外れた無彩色の感情のない色である。
昔は「しろ」と言うと、「素」という漢字が用いられていた。実は今でもこの漢字を「しろ」と言う意味で使っている場面がある。例えば「素人」という言葉を「しろうと」と言うと、まだ知識や技術を持たない人や何も技術がない純粋な状態を指し、絵の具で言えばピュアーで無着色の無垢のイメージがつきまとう。
画家で白を多用している人は少ないし、使っても完全な白ではなく何らかの色が混入され微妙な白の色調が現れる。またあらゆる色に白を混ぜると混合比率によって、あらゆる階調の中間色ができるのはよく知られたところである。

8月に鎌倉にある神奈川県立近代美術館で見た藤田嗣治のキキ.ド.モンパルナスは、表情豊かな白を世界に認めさせた藤田作品の一つである。カンバスの布目を白のファンデーションで塗りつぶし、非常にきめ細かい下地の上に裸婦と白い布が同化している味わい深い白を、彼独自の技法で表現している。また裸婦に描かれた輪郭線の確かで鋭い長くて細い線は、一瞬のためらいもなくキャンバスに定着していた。全体の仕上がりは品のいいエロティシズムを醸し出して見る者を魅了する。

藤田嗣治は、1886(明治19)年、東京生まれ。東京美術学校で学んだ後、1913(大正2)年、単身、パリに渡る。 当時、パリでは、新進の画家たちが、パリ派(エコール・ド・パリ)と呼ばれる集団を形作り、自由な絵画を描くための、自由奔放な生活を送っていた。 彼らは、様々な国から集まっていて、それぞれの技法や芸術観などを持ち寄り互いに影響し合い、それぞれに独自の画風を作り上げていった。藤田は乳白色の地塗を施した画布に線描を生かした独自の技法を見い出し、一躍時代の寵児となった。しかし第2次世界大戦中は国策絵画(戦争画)に手を染めたため戦後は批判を浴び、日本画壇と決別してフランスに帰化した。
藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかったが、近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。さらに絵画からはタルク<滑石(かっせき)は、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種である。>が検出されており、その正体は和光堂のシッカロールだったことが2011年に発表された。また、面相筆の中に針を仕込むことにより均一な線を描いていたことも修復により判明した。(wikipedia)


● 修復あれこれ


最近NHKBSプレミアムで藤田嗣治 乳白色の裸婦の秘密を見た。という番組があったが、東京芸大で油絵の修復を教えている木島隆康 教授が藤田の裸婦の模写をして、藤田絵画の白の謎に迫った放送だった。
「フジタの裸婦画は油絵というより日本画にちかい」と研究者はいう。たとえばその肌の描き方。フジタは色を塗るのではなく、浮世絵のようにカンバスの地をそのまま肌にいかすことを思いついた。そのためには、肌のような柔らかな質感を持つカンバスが必要になる。フジタの裸婦画へのとりくみは理想的なカンバスづくりからはじまった。そこにたどりつくまで、どれほどの試行錯誤をくり返したのだろう。
フジタがカンバス布として選んだのは、シーツとして使われていた繊維の細かい、表面のなめらかな布だった。これは通常用いられる布にくらべてかなり目が細かい。手仕事を愛してやまないフジタは、自らこの布をカンバスに貼り、下地として白色顔料を塗った。
本来ならこれで下地づくりは完成なのだが、フジタはさらに独自のプロセスを加えた。炭酸カルシウムは、オイルで溶くと色が白から黄土色に変化する。これを1:3の割合で白い絵の具に混ぜたものを先ほどの下地にかさねると、カンバスに象牙色のやわらかい質感がでることを発見したのだ。そして最後にカンバスのテカリを抑えるためタルクを塗りこんだ。こうしてフジタの理想のカンバスはついに完成したのである。それも皮膚と肌そのもののマチエールを実現するために。
フジタの乳白色の肌は、面相筆で引かれた黒い極細の輪郭線を持つことでいっそうその美しさを際立たせている。墨で描かれているらしい。ふつうの油絵にはなく、フジタ独特のもの。永くなめらかなで途切れることのない線でまるで一筆がきのようである。
その輪郭線を引く上でもタルクが重要な役割を果たしている。タルクを塗っていない下地は油性のため、水性の墨ははじかれてしまう。タルクを塗ることで、油絵の上に墨の線を置くことを可能にし、裸婦を際立たせた。
番組では数々のフジタ作品の修復をてがけて、自身もフジタ研究をされている木島教授が『寝室の裸婦キキ』の上半身をフジタの手法で再現しつつ描いていたが、藤田の線に近づくべく筆を動かしていたが、輪郭線を引くのが大変そうだった。あんなに細い線をなめらか且つ長く引くためには相当の技が必要なようで、改めて藤田の凄さに思いを馳せた。



最近、スペインで80代の女性が教会の壁画を勝手に修復し、描かれていたキリスト像が 全く別モノになってしまうという事件が起きた。この事件は「史上最悪の修復劇」と呼ばれ世界中で話題となり見物客が殺到した。芸術とはなんぞやとつぶやきたくなる作品である。左のオリジナル作品は絵の具が剥離し白がむき出しになっている。そこに素人の老婆が手を加えると、あれよあれよと言う間に右のように変貌した。

室町時代の茶入の修復(更谷富造)

一方我々が扱っている漆の世界でも、世界的な漆芸の修復家、更谷富造がいる。彼の著書「漆芸ー日本が捨てた宝物」では我が国の漆芸の一級品が多く海外に流失し、幾多の富裕層のコレクションになっており,破損、損傷したものの復元修復の依頼が多く、過去の漆芸技術の素晴らしさを述べている。
漆芸の緻密さゆえにミクロン単位で作業するため、写真のように著者は外科医が使用するルーペで作業している。
桃山時代の漆器の輸出に始まって戦後は二足三文でアメリカに渡った日本の宝は、海外で持ち主を転々としながら宝物として多くの作品が眠っているようだ。
さて話を白に戻せば、漆の白は乾くと黒ずむという漆の特性から純白の色は出ない。主に白の顔料はチタン(二酸化チタン)であるが、これと精製された朱合漆と混ぜ、練って作るのであるが塗って日が浅いうちはベージュ色になり、やがて年数が経って漆が透けていき色が明るくなっていくが、本来の白とは程遠い。そのため白に近づくために漆芸の世界では、卵の殻を細かく敷き詰める技法をとっている。

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