2012年7月21日土曜日

近頃思うこと


最近些細なことでカッとして人を刺したり、駅のホームで人を突き飛ばしたり、大声で怒鳴り合う風景などを通して、現代の日本のストレス社会が生み出す社会現象が論じられている。その短絡的で理不尽な事件の多いことで受け取る側も、またかと日常的な事象としてやり過ごす。その背景には最近の国内経済の悪化と共に若年層や30代40代に至るまで、その生活環境は厳しさを増していることが伺える。鬱積していた不満や怒りが臨界点に達したときに,他者に対する攻撃がはじまる。事件を起こした連中の決まり文句は、「誰でもよかった。」である。犠牲者は各地で増えているが、この通り魔的な犯罪と対極にあるのが、全国的に非常に多い公立学校のいじめ問題である。最近報道された大津中学校いじめ事件は衝撃的だ。

荒廃していく教育現場

いじめには「誰でもよかった」ではなく、自分より弱い者に攻撃の矛先が向かう。その根底には人間のもつ潜在的な支配欲が働き、自分の手中で弱者をもてあそび自由に操作するメンタリティが、類が友を呼んで、狭い学級空間の中でいじめはさらにエスカレートしていく。そしてそれが恐喝および金品の強奪まで発展し、最悪は被害者を自殺に追い込む、まさに加害者は学校社会から逸脱した一般社会の犯罪予備軍である。同時に学級教師の学級統治能力のないことや、校長ー教育委員会ー文科省と続くシステム(一般社会と隔絶した風通しの悪いムラ社会)の欠陥が招いた悲劇でもある。その構造は原子力村が身内で保安院や安全委員会を運営しているのと同じである。

文科省が掲げたいじめの半減目標を定めた成果主義によって、各学校や教師の査定をすることにより、実際はいじめが増えているのにいじめが存在しないように取り繕うため、臭い物に蓋をするだけで臭いのもとを根絶する気概が学校も教育委員会もない。そこには自分たちの点数を下げないためにいじめを隠蔽する体質が肥大化した姿しかない。事が取り返しのつかない事態になり公表されると自己弁護に走る姿は報道を見てのとおり。この間警察に3度の被害届を出した親も警察に却下され、事態が訴訟問題にまで及んだため警察も重い腰を上げた。ストーカー事件で懲りない警察の姿が再び浮かび上がる。市民の命を守れない警察も、子供たちの命を守れない教師も情けないかぎりだ。


上の画像は学校が取ったいじめアンケート内容の概要と、これを口外しないことをアンケート提示の条件にした学校側の親への確約書である。いずれもひどい内容でとても容認できない人権侵害の結果である。もはや学校も教育委員会も知らぬ存ぜぬでは済まされない事態になった。

大津市の越市長はこれまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示したことは一歩前進である。
背景にある小中学校の教職員の実態は、都道府県がその給与を負担しているために都道府県の職員である。極論すれば公立の小中学校は市町村の管理を受けない治外法権の場と化している。これに市長はメスを入れたのだ。 

 文部科学省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校という中央集権的教育行政の人達では、いじめ問題を解決することは不可能で、そろそろ国も予算を組んで外部の監査機関を設置し市町村に小中学校の教育統治を委託したらどうだろう。明日を担う子供たちの心の荒廃を広げないためにも。




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