2011年12月24日土曜日

2011年を振り返って

気仙沼市街まで運ばれた大型船

2011年は日本にとって試練の年であった。1968 年以来保ってきた GDP 世界第 2 位の座が中国に移り、日本はバブル崩壊後の失われた10 年が20年と続き、新たな経済成長モデルを確立できず、名目 GDP はほぼ横ばいの状態で推移し、デフレ経済からの脱却が容易でない現況である。

お家芸とされてきたデジタル機器分野における韓国企業の躍進や、円高に翻弄される国内製造業を取り巻く経済環境が厳しくなっている折も折、東日本大震災が起きた。
今回の震災は日本がさまざまな先端技術部品の供給を担っており、アジアをはじめとした海外で最終製品を組み立てている企業に影響を及ぼすことを気付かせてくれた。
日本の素材や部材の不足が世界の企業の生産・販売活動に影響を与えたように、高い技術を要する素材や部品は日本抜きには考えられず、改めて日本の生産立国としての存在感を世界に知らしめた。

さて、巷では国内産業の空洞化が問題になっているが、さまざまな商品で国内市場はすでに飽和状態。しかも日本は「人口減少時代」に入った。同じく先進国である米国や欧州も市場の大きな成長は見込めない。そうした中で企業は中国や東南アジアといった新興国に活路を見いだしている。
自動車や電機などの製造業では、「新興国シフト」抜きに世界的な競争を勝ち抜くことは不可能で、経済産業省の調査ではアジアに進出した日本企業は10年前から5割近く増えた。(左図参照)

震災以前の海外進出は、拡大する海外需要への対応が中心であり、人件費の削減のため現地の雇用促進にはなったが、国内の雇用喪失にもつながった。人件費の削減、リスク分散、廉価で安定的な電力の確保等、企業が海外移転から得られるメリットは大きいがしかし、一国の経済として考えた場合には、生産の減少、雇用の流出等のマイナスの影響が大きい。震災後の海外進出は「国内拠点の移転」が中心であり、国内経済への影響は計り知れない。最近起きたパナソニックの国内テレビ事業を大幅に縮小した話など、従来型の家電製品の価格競争力の低下は著しい。
 しかし現在も、中国においては人件費の高騰する現象が起きており、タイに至っては、インフラの不備による洪水被害の後遺症が今だに続いている状況を見れば、手放しで海外進出を図っている企業にはブレーキがかかっている。しかし韓国をはじめ中国、インドネシア、台湾などが日本企業に破格の好条件で誘致を図っているのも悩ましいところであろうか。

国内の生産規模や雇用が大きく損なわれる「空洞化」という事態を回避するためには、国内における高付加価値製品等の開発・生産拡大等は必要不可欠である。先端製品工場の国内立地を促進し、国内の研究開発拠点の維持に努めなければならないだろうし、今回の震災でも国は、新成長戦略や国内投資促進プログラムを刷新し、官民一体となって経済の活性化を図る必要がある。そのことが空洞化を防止し、国内経済の持続的成長につなげていくための方策に成りうるだろう。

福島郡山の工場からの声
思えば今年は日本という国を世界に再認識させる年ではなかったろうか。大震災の被害を受けた日本人の精神性と国民性に対して世界が驚嘆と賞賛の念を共有したことや、探査機「はやぶさ」が約 7 年かけて小惑星「イトカワ」から微粒子を持ち帰るという快挙を成し遂げたことや、日本人のノーベル化学賞受賞など、日本の技術力基礎研究のレベルの高さを世界に示した出来事は少なくない。

世界経済が失速する中、先進国に先立ち、バブル経済を経験し、失われた20年の経済ギャップや未曾有の大震災体験による原子力の拡大防止に傾注していくことなど、ドイツをはじめ原子力発電を断念する国が増え、日本も将来の主要電力源から原子力発電を外したことなど、世界のあらゆる面でファーストランナーに成りうる予兆は、この日本、大いにある。
アメリカの衰退や新興国の台頭、ユーロー危機、など資本主義が行き着くところまで来た現在、従来の経済の価値観が大きく変わろうとしている。
同時に今日まで様々な経済的逆境にさらされ、自らを鍛え上げてきた日本経済も、新たな価値を生み出し、新たな年に向かって力強く歩み出すことを国民一人一人が願っている。

2011年12月17日土曜日

病んだ中国


最近の中国黄海、渤海沿岸部衛星写真を見ると、沿岸部付近の水質汚染と砂漠化が進んでいることが確認できる。水質汚染は、海だけではなく河川でも進んでおり、漁民でさえ、「捕った魚を食べる勇気はない」と敬遠するほどのようだ。敬遠すると言うとまだ聞こえが良いのだが、工場の汚水の影響を受けた魚を食べると医者に「重金属や鉛などに汚染された魚はガンを引き起こす。決して食べてはいけない」と警告されるような危険なレベルなのである。写真の黄色いポイントは原油流出事故のあったところで、赤いポイントは今回韓国との間で事件を起こした韓国仙川沖海域である。

中国漁民と韓国海上警察の戦い
中国は内陸部河川の汚染と沿岸部の汚染や、乱獲による水産資源の枯渇に対する政策などはみじんもみられないため、漁獲量が激減し、このことが韓国側の規制水域での違法操業に走らせた。
過去に何回もいざこざがあり、06年以来中国漁船2600隻が韓国の排他的経済水域(EEZ)内で越境操業し、数百人が逮捕されたとしているが殺人事件になったのはこれで2件目らしい。飢えた中国はますます凶暴化していき、餓鬼道まっしぐらである。資源という資源を漁る中国は無法者国家であり、暴徒化した漁民を制御できないことや、環境汚染に対する責任感の希薄な国が、どうして覇権国家になれようか。


今後、想像もつかないほどの悲劇が中国で起こるだろう。汚染された自然はすぐに元通りにはならない。日本の高度経済成長期に起きた汚染事故とは比にならないほどの悲劇が生み出される。写真右下の雲南省の湖「陽宗海」が、工業排水によりヒ素などの化学物質で汚染されていることや、写真右上の品質の悪い石炭でもうもうと煙をあげ操業する中国の工場を見ると、空恐ろしい。現在の中国は、35~50年前、日本が高度成長期だった頃の公害問題をそのまま引きずっているような状況で500万人ともいわれている公害病患者もウナギのぼりだ。海洋汚染と大気汚染は否応なく海流や偏西風に乗って我国にも影響を及ぼす。

中国の工業地域などで発生する「すす」の量が急増し、北半球の大気汚染を悪化させていることが、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙研究所の分析で明らかになった。早急に排出量の低減を図らない限り、世界全体の気候に悪影響を及ぼす恐れがあるという。
すすは、工場や火力発電所のばい煙、家庭でまきを燃やした煙などに含まれる。同研究所は、衛星観測のデータやコンピューターを使った計算で、地球表面に広がるすすの排出源を調べた。その結果、世界全体のすすの3分の2は工業活動が原因で、その半分が、中国を中心とする東アジア地域で発生していることを突き止めた。

現在中国が生産する野菜類の約50%に危険な残留農薬が残存しているというデータがあるが、中国はとりわけこの危険性の高いものを主に日本へ向けて輸出している。さらに中国ではそのほぼ全ての河や湖が工場から流された鉛や水銀入りの排水で汚染されており、中国産の野菜は全てこの水で育てられてもいる。EUなどは残留農薬や有害物質が検出されると即座に全面禁輸措置を取るが、日本は中国に遠慮してなかなか禁輸に踏み切らないのだ。
この残留農薬には、きわめて発ガン性が高く20年以上前に国際的に使用禁止されたエンドリンやディルドリン、そしてシロアリ駆除薬なども検出されており中国産の野菜を食べることはまさに自殺行為なのだが、日本政府が全面禁輸に踏み切れないことを良いことに、中国は今も大量の汚染野菜や汚染食品を日本に輸出している。中国では工業化による環境汚染と健康被害の関連性を調査することさえも許可されておらず、英インデペンデント紙は中国でガン発生率が異常に上昇していることを指摘して、「(日本に対して)有毒排水で育てた野菜が大量に輸出されており、日本人のガン発生率も上昇していくであろう」と報じているものだ。

日本では一時期大量の中国野菜が安価で輸入されたが、野菜類の47.5%から猛毒で発がん性もある有機リン系殺虫剤メタミドホスなどの高濃度の残留農薬が発見されるなどして2001年ごろからから輸入禁止が相次ぎ、大手のスーパーではあまり見かけなくなったが、どっこい、「加工」「業務用冷凍」にされて日本に輸入されており、外食産業、インスタント食品の具材、冷凍食品などとして流通している。
 食糧自給率の低い我が国は世界中から食材を輸入しているが、中国からの輸入は年々増加の一途をたどっている現況では、今一度国に真剣に食の安全と、自給率向上に取り組む政策を考えてもらいたいものだ。

2011年12月6日火曜日

アートな話 「コラボレーション」

コラボレーション(英: collaboration)は、共に働く、協力するの意味で、共演、合作、共同 制作などと言われているが、アートの世界では違う要素、素材などの組み合わせなどの意味にも使われる。
ここ2~3年私が作品制作で手がけていることは、違った素材の組み合わせで、漆器を見直してみようという試みである。

言うまでもなく鎌倉彫は素材の木地に彫刻を施し漆を塗って仕上げたものであるが、そこに何か違った素材を組み入れて鎌倉彫を見直してみようという試みである。素材としては、紙、ガラス、陶器、竹など素材ごとに順を追って解説してみよう。

           紙 <スタンド>


木漏れ日

                                           
紙は加工次第で強靭になる。特に照明器具に使われる紙は耐熱性にすぐれ、あらゆる和風照明に使われているが、左は卓上スタンドで紙は硬質の素材でカーブに沿って竹に木ネジで留めてある。彫りはトリマーで荒取りして彫刻刀を使用し、洋風に仕上げた。(13x27x24cm)

いにしえ

           
右は市販されているスタンドの上部紙部分に銀のアクリル絵の具で絵を描き,木枠を組んで積分していく手法で、彫りは丸刀だけで、縄文に思いを馳せながら彫上げ、塗りは暗いところから明るいところまでの階調をグラデーションで表現し和風に仕上がった。微妙な歪みやゆがみを出してみた。来年鎌倉彫教授会創立50周年記念展に出品する作品。(18x18x70cm)








         陶器 銅器 ガラス <花器>

風穴 Ⅰ 40x14x20cm  風穴 Ⅱ 40x18cm

風穴1,2は同じ板から3枚S.字上に引いてもらった木地で、ひとつは卓上、もう一方は壁掛けにした。もともと中にある黒い陶器の花瓶に合わせて作ったものであるが、風のイメージに無機質な穴を両面に6個開けてみた。壁掛けはガラスの一輪挿しを風穴からのぞかせた。塗りは練り込みという手法を使い鎌倉彫の塗りとは異なる焼き物のような質感を表現してみた。

風舞い

風舞いは文字通り風に舞い散った椿の花が水面に浮かんでいるさまを現している。たまたま木地を作った時に出た直経35cmほどの木の輪っかを手に入れ、これを半円に切断し、中央に穴を開け銅の一輪挿しを添えてみた。はめ込み式になっており花の取替は自由にできるようになっている。
 

  サイズ 37x9x20cm(h)


波濤


波濤は半円をくり抜いた木地を2つ並べて波を彫り、土台に取り付け、陶器の一輪挿しを置いてみた。

    サイズ 30x11x15cm(h)



左の屈輪文花器はクリスタルの一輪挿しがあったので、同じく一輪挿しの木地を4等分してそこに屈輪文を彫り込みベースに固定した。
黒とメタリックな錫の塗り分けで、クールな感じを出してみた。


    サイズ 11x11x18cm (h)



           竹 <菓子器 酒器 >

菓子器 柘榴  片口 竹


左は今年の鎌倉市市展に出品したお茶席の菓子器、孟宗竹を利用し、ザクロを彫った受台を作り、竹の中は同じくザクロを彫ったゲス板を敷いてある。右は左党の考えそうな酒器で竹に木の片口をつけ、蓋を木でつくる。用途は、ふぐのひれ酒、骨酒を入れてもてなすものである。一つは行きつけの居酒屋に置いてある。


●お知らせ 工房だよりのブログ<鎌倉彫通信
         はじめました。
                   鎌倉彫喜彫会の新着情報から
         ご覧になれます。


             

2011年12月2日金曜日

ギャンブル依存症


釣り仲間の一人が最近競馬で25万当てた。珍しいことに釣友全員にボトルをプレゼントしてもらった。よっぽど友達を無くしたくなかったんだろう(笑い)。
毎週馬券を買っていて、ジャパンカップで何枚か買った馬券の中で300円投資した馬券購入時に,
数字を間違って買った馬券が万馬券になったらしい。データだけで的中するほど競馬は甘くないが、やっこさん今年はこれで黒字になったらしい。

胴元の中央競馬会の売上の種類別に総売上から25%引かれた75%が総払戻金額になり、そこから的中票数の数で割った金額がオッズとなり、この75%を取り合うのが競馬である。当然負ける人数が多くないと成り立たない。ギャンブル好きは競馬に留まらない。パチンコ、スロット、カジノと来る。我が国の競馬人口はたまにやる私を含め約100万人、パチンコに至っては200万人の患者がいるそうだ。
日本全国に存在するパチンコ店では、就業者の多くが在日コリアンであり、全国のパチンコ店経営者の在日韓国・朝鮮人の割合は、7割から9割とも言われている。また、日本のパチンコ店の収益は、在日本大韓民国民団、及び在日本朝鮮人総聯合会の最大の資金源とも言われており、北朝鮮の核開発の資金に回されている可能性はある。お隣韓国はこの産業の危うさを見越して2008年にパチンコを法律で廃止したが、日本ではなぜか隆盛を誇っている。裏には警察利権の温床があるから、なかなか止められない。


写真は 「バクチをしていると全部持って行かれて裸になる」というバクチの木「残った皮もいずれは散る定め」、この木の皮は自然にはがれて、全部下に落ちるバラ科の常緑高木で、本州南部九州などに多いバクチで身ぐるみはがれるのを想像させて、バクチの木と言うそうだ。

最近3代目で身を持ち渦した大王製紙の馬鹿息子がいたが、これはカジノの患者だ。古くは自民党のハマコウ先生が4億6000万をスッて、政商の小佐野賢治にケツを拭いてもらった。当時を振り返りハマコウはラスベガス大学に留学していたと自嘲していたが、これなどはまだ可愛い方で、今回大騒ぎの東大出の馬鹿息子がカジノで開けた大穴は160億と桁違いだ。
大王製紙は、日本製紙グループ本社と王子製紙に次ぐ総合製紙の国内3位。井川社長は創業者の 孫で、父で元社長の高雄氏は「超ワンマン経営者」として知られた。上位2社を猛追する姿と 剛腕経営の印象が重なり合い、同社は「四国の暴れん坊」と呼ばれる。

社長がギャンブルに狂った病人だと、盲従していた社員はどえらいことになる。ギャンブルで一度吸った蜜の味は忘れられず、かのドフトエフスキーもそうだった。経験を基にした作品「賭博者」には、その心理が生々しく描かれている。
「主人公の青年はギャンブルを嫌悪していたが、初体験したルーレットで大勝する。その記憶が染み付いて次第にのめり込むようになり、負けても通い続けた。
物語の終盤、すっかり身をやつした青年は友人に「あんなもの! すぐにでもやめますよ、ただ…」と虚勢を張る。遮るように、友人は続ける。「ただ、これから負けを取り返したい、というんでしょう。」負けを取り戻そうとだんだん深みにはまっていくのだ。所詮博打は博打,人生を賭けるモノではないだろう。
博打と人生はやって見なけりゃ解らない。博打同様に最後の結末は神のみぞ知る。だから面白い。と人は言うだろう。しかし手前一人が地獄に落ちるのは自業自得だが、それに絡んだ家族や社員は悲惨である。




2011年12月1日木曜日

談志逝く

落語界の異端児立川談志が逝った。他者の目もはばからず、言いたいことを言い、古典落語に新風を吹き込んだ毒舌の噺家が、最後は口は災いの元の咽頭がんで声が出ずに亡くなったことは談志らしい死に様である。師匠の話は何回か聞いたが、落語のマクラが破天荒でおもしろい。

古典落語の命題でもある人間の業の肯定についてこう述べている。
談志曰く、まず〈業〉とは、生きなければならないあいだの退屈を紛らわせるために余計な事をしようとすることであると。
人間が生きていくための「常識」という名の「無理」が人間社会には山ほどあり、あるときは世事一般のルールの中に、また体制、親子の関係、ありとあらゆる場所、場面、心の中にしのびこんでいる。
 で、文化が生じ、文明が走りだすと、「常識」に押さえつけられて潜んでいたものが片っ端から表に出てくる。当然、それらは裏の存在であり、公言をはばかられるが、そのうち“ナーニ、それがどうした”と、大っぴらになってくる。それらを背景に、「常識」という重石を撥ね除けて落語というものが生まれてきたのだ。

古典落語の背景にある江戸っ子=下町=人情のわかりやすい図式に反論するのが談志落語。現代では古典となった「現代落語論」で、師匠はこういう。「落語は業の肯定である」。つまり、人間の本性を善にみるのではなく、悪に見るというと解り易い。さらに師匠は人間の悪を肯定するのである。
人間の業を肯定し続けていけばイリュージョンとなり、ついには「意味」そのものを破壊せざるをえない。談志はよくこのイリュージョンを自分の落語の拠り所としている。。
これは一種の幻覚、幻影を舞台の上で表現しているとも言え、自分の落語は出来不出来が激しい、このイリュージョン状態になるかならないか、やってみないとわからないそうだ。

 イリュージョンには判りやすい演目とそうでないものがある。『猫と金魚』は、判りやすい。「番頭さん、金魚、どうしたい」「私、食べませんよ」
 これなどは、イリュージョン以外の何物でもないえぐいギャグだ。

ある商家の旦那、金魚を飼っているが、隣家の猫がやってきてたびたび金魚を襲うので困っている。番頭を呼んで対策を講じようとするが、この番頭が頼りない。猫の手が届かないところへ金魚鉢を置けと命じれば、銭湯の煙突の上に乗せようとする。「そんなところに置いたら金魚が見えないじゃないか」「望遠鏡で見ればいい」。次に、湯殿の上に金魚鉢を移動させるが、番頭がやってきて「金魚鉢は移動しましたが、金魚はどうしましょうか?」。そうこうしているうちに、隣家の猫が金魚をねらいにやってくる。旦那は町内の頭(かしら)を呼びにやり、金魚を守ろうとするが・・・。
この噺の作者は「のらくろ」で知られる漫画家の田川水泡。そのせいか、随所に漫画的ユーモアがある。
他方「粗忽長屋」に見られるイリュージョンはシュールな笑いが込められており、安部公房の短編<赤い繭>を彷彿とさせる要素をはらんでいる。

朝、浅草観音詣でにきたが、人だかりに出くわす。行き倒れ(身元不明の死人)があったのだ。遺骸を見れば(八の見たところではまぎれもなく)親友の熊公
「おい熊、起きろぉ!」と遺骸を抱き起こす八に、居合わせた人たちが「知り合いかい?」と尋ねると、落胆しきった八いわく「ええ、今朝も長屋の井戸端で会いやした。あんなに元気だったのに……こりゃ本人に引き取りに来させないと」
話を聞いた群衆が「ちょっと待て、あんたそれは間違いじゃ……」と制止するのも聞かず、八は長屋の熊の所へすっ飛んでいく。
当の熊は相変わらず長屋で元気に生存している。八から「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊、最初は笑い飛ばしていたのだが、八の真剣な説明を聞いているうち、やがて自分が死亡していたのだと考えるに至る。落胆のあまりあまり乗り気ではない熊を連れて、八は死体を引き取りに浅草寺の通りに戻る。
「死人」の熊を連れて戻ってきた八に、周囲の人達はすっかり呆れてしまう。どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱える。
熊はその死人の顔を見て、悩んだ挙句、「間違い無く自分である」と確認するのだった。「自分の死体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊と見守る八。2人とも本気の愁嘆場、周囲の人々は全く制止できない。
と、そこで熊、八に問う。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

いずれにせよ落語界の異端児は落語を一つの革新に導いたことは、時代が要求した必然なのだろう。弟子から上納金を取っていた立川流家元亡き後、志の輔をはじめ薫陶を受けた弟子たちはどのように落語を発展させていくのだろうか?     合掌。

2011年11月26日土曜日

地球温暖化問題

地球温暖化対策を協議する国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)が28日から南アフリカのダーバンで始まる。最大の焦点は、温室効果ガス削減のための国際的な枠組みだ。現行の京都議定書は2012年で期限切れとなるが、その後にどうするかという「ポスト京都議定書」で各国は激しく対立。13年以降の枠組みも不透明だ。各国による交渉の行方は、日本経済にも大きな影響を与える。
 2013年以降の枠組みに関する日本の立場は終始一貫している。中国などの新興国が求める京都議定書の延長には絶対反対。議定書は新興国が対象外で、米国も批准していない不平等な内容のため、13年以降は、すべての国に削減を義務づける新たな枠組みを作るべきというのが日本の立場である。
 2005年に発効した京都議定書は08~12年を「第1約束期間」とし、各国に温室効果ガス排出量削減目標の達成を義務化した。現在は13年以降に「第2約束期間」を設け、削減義務を延長することが議論されている。新興国からは法的拘束力がある議定書の延長を求める声が強いが、批准していない米国や新興国扱いの中国など主要排出国には削減を義務づけられない。
欧州では順調に削減が進み、目標達成の目処が立っている。しかし主要排出国の米国が参加しておらず、また先進国のカナダが目標達成をあきらめたり、日本が削減義務達成に失敗しそうな情勢になっている。途上国の排出量を抑制する道程も定まっていない。

上図のようにCO2排出シェアは、 日本4% 米国19% 中国22% で、全体の73%が削減義務のない国である。温室効果ガス排出量に関して、義務を負う国と負わない国が偏在している。 日本は目標達成の義務を負うが、排出量が2008年世界第1位(シェア22%)の中国は目標達成に義務を負わない。各国の削減目標が、公平な削減目標になっていない上に、義務を負う国にのみ負担が発生する。世界で最も省エネの進んだ日本が、削減目標達成のためには大量のクレジット(排出枠)を海外から購入する必要がある上に、達成できなければ、クレジット(排出枠)の購入もできない上に、より多くの削減目標を設定される。
日本はオイルショック以降、技術開発、省エネ投資等の先行努力を他国よりもしてきたので、日本の限界コスト(中心値)は、他の先進国の1.6~1.9倍と高い。後先も考えずに削減目標を25%と大ボラを吹いた首相もいたが、噴飯物である。

新興国側の主張の根幹には、先進国が歴史的に温室効果ガスを排出して経済成長を遂げたという認識があり、「これから経済成長する新興国には当然、排出の権利がある」とする中国側は、すでに世界2位の経済大国となっているにもかかわらずこの認識を保持しようとしている。これに対し、米国のオバマ大統領は「中国やインドのような新興国の役割は重要。彼らは自らの責任を真剣に理解しなければならない」と指摘。新たな枠組みづくりよりも新興国が足並みをそろえるかどうかに関心を寄せる。しかし議定書の枠組みから抜けた米国がもっともらしいことを言う前に、削減義務を果たさずに中国に意見を言っても効果はない。議定書延長問題への対応も微妙で、賛否の積極的な意見表明もみられない。責任の押し付け合いが際立つ構図だ。

洪水と干ばつ
 さて問題の地球温暖化の原因は、二酸化炭素を主とした温室効果ガスの濃度増加が主因だとされているが、これら学術的知見に対して、炭酸ガスによる温室効果を過大評価しすぎとして、太陽活動の影響、宇宙線の影響、地球内部の活動、磁気圏の活動などを原因とする異論がある。一方で、
「現在、0.6℃/100年という上昇率で、地球温暖化は確かに起きている。しかしそれは、氷河期と間氷河期の繰り返しの中で起きているもの。現在進行中の温暖化の大部分は、地球の自然変動であり、人類活動により放出された炭酸ガスの温室効果によるのは、わずかである可能性が高い。」と言っている学者(  赤祖父 俊一氏)もいる。
対立する両者の論点を見ていると、正直まだ研究途上の温暖化議論で、そう単純に結論の出ないのが現状ではなかろうか?。

いずれにせよ地球全体で地上気温が高くなると、人間生活に重大な影響を及ぼすおそれがあることは間違いない。考えられることは地球温暖化によって生じてくる気候変化が起こすものとして、乾燥・半乾燥地域での砂漠化の進行 、集中的な降水の増加 、海水の熱膨張による海水面の上昇 、積雪域・凍土の縮小などが進行し 、その結果生じてくる現象として、森林の衰退(特に半乾燥地域)  気候帯が数100km極方向に移動  環境の変化に適応しきれなかった種の絶滅  海岸線の変化 などである。

2011年11月9日水曜日

経済の潮流が変わった


アメリカは基軸通貨ドルに支えられ繁栄を謳歌してきたが、1970年代以降第3次産業という脱工業化社会を築いていった。これはサービス業・金融産業・知的所有権関連などだが、その後IT産業の台頭から、一段と加速されていった。そして金融資本が支配する金融産業に傾倒してゆき、製造品は外国(日本や中国)の安いものを購入し、金融産業を基軸に国家の経済政策を進めてきた。

その間アメリカ相手に高度成長を遂げた国が日本であり、最近の中国である。しかしアメリカが自ら作り上げた虚構の金融商品はサブプライムローンの破綻によって引き起こされた甚大な傷口が癒されぬまま、国内の失業率の悪化や、米国債のディフォルトが取り沙汰されるようなった。
そのため、再選に望むオバマは雇用の創出のため、貿易輸入国から輸出国へと変換を図った。その結果輸出に有利なドル安を容認、今日の円高の大きな障壁になっている。リーマンショック後、米国民は借金できなくなり、米国は世界から大量に輸入できる体質でなくなった。

オバマがTPP環太平洋戦略的経済連携協定に力を入れるのは、米国製品を日本市場で売りやすくして、米国の輸出産業を復活させ、自国のあらゆる産業分野の利益と雇用を、協定を結んだ国から吸い上げる方程式で仕掛けている。再選に向けた自らの政治的得点を得るためオバマは、日本などアジア諸国に対し、対米輸出で経済発展を続けることにブレーキと警告を発している。衰退に向かっている米国は、日本を含む世界にとって、従来のように旺盛に消費してくれる経済覇権国でなく、逆に、政治と軍事の力で世界から利益をむしりとる存在になってきた。

問題のTPPは表向きは関税の自由化と標榜しているが、そんなものは氷山の一角で、秘密裏にされている非公開の縛り、すなわち米国にとって国益になる制度をクモの巣のように張り巡らしている 。
その政策の柱は、農畜産物の輸出に限らずありとあらゆる産業を条約を締結した国に送り込み、自国に有利な制度をすべて適用させることに尽きる。

相手国との紛争解決ではアメリカ側の第三者機関の調停により、多大な国家賠償金を米国企業に支払っているのがカナダをはじめメキシコなどので、提訴した米国企業の都合のいいように再審無しの判決が下される。これが条項の中の(ISD=投資家対国家間の紛争)という投資家保護条約の代物である。このような不平等協定に臨んでわが国政府に果たして勝算があり、国益が守れるのだろうか?

韓国との二国間協定(FTA)も韓国にとって得るものがなくアメリカにとって非常に都合のいい条約を締結させられたと、韓国民も今になって地団駄を踏んでいる。TPPも同じようなもので、手練手管を駆使し標的となった国にアメリカンスタンダードを押し付け、市場をこじ開けようというもので、ノウと言えない我が国の現政権がテーブルについて交渉しても結果は見えてくる。

何より政府がTPPについて国民に仔細な情報を流さずに、交渉を始めることや、闇雲に対米盲従を国民に強要する姿勢は国家主権を失った国の姿でもある。政府や外務省、マスコミなどがTPP参加のプロパガンダを流し続けているが、今やTPPは国を二分する論争に広がっている。

世界的にはブロック化による経済圏の対立が激化し、第二次大戦前のような様相だ。通貨切り下げ競争が激化して保護主義が台頭し、最終的に世界的規模の植民地再分割、市場争奪戦を繰り広げたのが第二次大戦だった。アメリカを中心とする日米の環太平洋、すなわち日米枢軸同盟、それと中露、EUの対立があらわれている。

ユーロ体制の崩壊の予兆

リーマン・ショックから3年がたったなかで、ギリシャを中心にした「欧州ソブリン(国家財政)危機」が深刻な様相を見せている。今年8月にはアメリカが債務上限をめぐってデフォルト(債務不履行)騒ぎをやるなど、いまや資本主義各国がどこも国家破綻の危機に瀕し、あるいは道連れになるまいと必死な姿を露呈している。サブプライムローン破綻から翌年のリーマン・ショックを経て、その後は公的資金注入によって、金融システムの破局をごまかしてきた。ところがアメリカを中心とする金融機関が息を吹き返したかわりに、今度はツケを肩代わりした各国の国家財政がパンク。国債を引き受けている金融機関も危機になっている。そして米日欧に中国、ロシアなどの争奪が激化し、世界各国で共通して緊縮財政など人民に犠牲を強いて矛盾が先鋭化している。
もともとギリシャはユーロー加盟の基準から大きく外れているにもかかわらず、ゴールドマンサックス(アメリカの金融グループであり、世界最大級の投資銀行)などによる悪知恵で財政の粉飾とごまかしによって同盟に入ったわけだが,裏を返せばアメリカがドルからの自由を求めて作られたユーロに時限爆弾を仕掛けたようなものかもしれない。
今起きているギリシャ危機はギリシャ国債の信用力低下の現象が、スペインやイタリアに波及する可能性が高い。特にイタリアは日本、米国に次ぐ世界第三の国債発行国であり、仮にイタリア国債の価格が一段と下落するようだと、その影響は大きい。

ギリシャ情勢悪化による支援打ち切り、ユーロ離脱などの事態に至ると、株価大幅下落、金融機関の資金調達困難化など、各国金融市場の機能が低下する第2のリーマンショックのような深刻な金融危機に一気に進行する可能性が否定できない。EU発の金融危機が深刻化すると、日本にも大きな影響を与える可能性がある。日本の銀行や生損保の大手金融九社もギリシャやポルトガルなど南欧の重債務五カ国向けの投融資残高が約2兆8700億円に達することが明らかになっている。

世界市場では投資信託やREIT(不動産投資信託)も収縮し、金や石油といった商品市場からもマネーが引き始め、ファンドも業績悪化の一途をたどっている。世界の投資マネーはヘッジファンドからも資金を引きあげ始める様相となった。そして向かった先が円買いで、超円高現象が起きている。世界的に見て通貨が上昇しているのは日本だけで、1000兆円近い債務を抱えていながら、しかも財政支出をともなう東日本大震災に見舞われているなかでも、「他よりはリスクが少ない」「安全資産」などといって投機マネーが張り付いている。
この最大の要因はアメリカで、FRB(米連邦準備制度理事会)が途方もなくドルを刷り散らして市場に注入し、公定歩合を段階的に引き下げてきたこと、供給量が増えるおかげでドルの価値が下がり、ドル不信、あるいはユーロ不信とあいまって日本の円高につながっている。日本も金融緩和して円を刷れば為替介入などの小手先の政策を労しなくても円高は止まり、景気浮揚になるのに、日銀の白川総裁はかたくなにそれをしない。

世界各国は輸出産業などにテコ入れして経済のカンフル剤にしたい、内需を喚起したい願望から意図的に自国通貨の切り下げ合戦をしてきた。ヨーロッパ各国では第一次大戦後の通貨切下げ競争が結局は第二次大戦を導いたという歴史認識の共有がEU統合の出発点であった。
リーマン・ショック後は、天文学的な財政出動によってしのいだが、今度はより深刻な国家破産、破局の影がちらついてきた。金融独占資本が引き起こした大恐慌・大不況で経済は回らず、犠牲転嫁された人民はどの国でも生きていくのが困難である。

2011年11月3日木曜日

アートな話 「鎌倉彫のある暮らし」


私が所属している鎌倉彫協同組合は今年で設立60周年を迎える。鎌倉彫資料館並びに組合直営の店<慶>で暮らしの中で生かされる鎌倉彫をテーマとして、この2会場で11月1日から12月27日まで記念展が行われている。鎌倉の地場産業として発展してきた鎌倉彫であるが、他府県の漆器産業とは違ってお稽古産業として鎌倉彫の普及に努めた先達の指向性により、製造販売よりアマチュアに鎌倉彫を教えることに重点を置いたことによる鎌倉彫の普及を図った結果、製造販売部門のシェアーが小さい。
ましてや鎌倉彫風という廉価で粗悪な品が出回っている一般市場並びにネット市場を見るに付け、今一度本物の鎌倉彫を多くの人々に知って欲しいと思っているのは私だけではない。こういった品物は他府県で製造され一部中国産ともいわれている機械彫やウレタンの吹付仕上げなど、漆とは似つかぬもので、一般の人でこれが鎌倉彫と思っている人も意外と多い。このことは登録商標の問題にも関わってくるはずである。

TVでおなじみのお宝鑑定団と言うものがあるが、本物偽物を専門家が鑑定するわけであるが、そこに出てくる作品はキワモノが多く真贋の判定が素人では難しいモノが対象となる。
素人でもわかる臭い鎌倉彫が市場に氾濫している現況を苦々しく思っている関係者は多い。
本物は使い込むほど味がでてくるが、偽物にはそれがない。



初日のオープニングパティーには鎌倉市長、県会議員、業界関係者など多くの来場があり、鎌倉彫資料館は大いに賑わっていた。

2011年10月10日月曜日

日本人の根底にあるもの 3

縄文晩期 宮城県恵比須田遺跡

風土と地理的条件は国民性を作り出す重要なファクターであるが、われわれ日本人のルーツをたどれば、先史以前の縄文時代から周りを海に囲まれ、外敵からこれといった侵略を受けてこなかった幸運や、自然豊かな海や国土の多くを森林によって育まれた自然の幸に恵まれた環境の中で、心穏やかに暮らしてきたものと思われる。やがて縄文晩期になると大陸からの流民が徐々に入り込み、弥生時代を迎えるが,多少の抗争はあったものの、大陸型の過激な侵略や抗争にはならず、ゆっくりと混血が進み文化的なイノベーションが進行していったものとみられる。
縄文系弥生人も渡来系弥生人もそのルーツはユーラシア大陸から移住・渡来した人々にあり、それぞれが日本の民族集団を形成する一部となっていった。
考古学では日本の縄文時代が始まったのは、今から1万5千年前と見られている。
古代文明の発祥地のことごとくが森林を失い、砂漠化とともに滅亡した史実を、「文明の滅亡は森の喪失である」という歴史的検証を著したジョン・バーリンが『森と文明』の中で、すべての文明発祥の地が森を開くことで興き、森が失われることで滅んでいったことを述べている。そんな日本は、長い歴史の中で平成のこの世でも国土面積の66%を保持している世界有数の森林大国である。地球上の人口爆発で森林が消失していき砂漠化が進む中で稀有な国ともいえよう。

地球上では約1万年前に始まったといえる「農業革命」すなわち「狩猟・採取」から「農耕・牧畜」への進化による、人口増加を契機に、森林の伐採が始まっていった。ここには「文明」を獲得するために、森林を破壊消費するという必然性があり、やがて緑豊かな土地の砂漠化が進んでいく。そしてそうして得た文明が、森林の消滅によってやがて砂と共に消え去るという皮肉な結果をもたらした。そして民族間あるいは他民族との血で血を洗う略奪と侵略の歴史は世界史を飾っていく。
そして砂漠化した中東アジアの一角に、根を等しくする三つの宗教が誕生する。すなわち「キリスト教・ユダヤ教それにイスラム教」などの一神教。同根でありながら「導き人」の予言者を異にし、相互へだたりを深め、相克しあっている。 しかしいずれも「砂漠の思想」であり、排他的色彩が濃い。例えばキリスト教などはキリストの教え<汝人を殺すことなかれ!隣人を愛せよ!>などはどこ吹く風で、歴史上新旧キリスト教同士、あるいは他神教との戦争など殺戮の歴史を見れば一神教の欺瞞性と過激性を語るに事欠かない。

日本には、始めにそこに森と結び付いた文化・宗教観があってこそ森の保持が出来たということもあり。温暖な森林地帯は温和な多神教(八百万の神)を生み、過酷な砂漠地帯では、峻烈な一神教が生まれた。森羅万象に神を見、事に応じ時に際して神に祈り、他国の神との共生を果たしていく、この神という概念の柔軟さ、悪く言えば節操のなさが日本人の特性であろうか。
何事も和をもって尊しとなす、として全てを丸く収める指向性も、自然に恵まれた農耕民族の狩猟民族にはない特性であろうか。


日本人の起源より
古代日本を俯瞰してみると、日本古代史は隣国中国古代史と繋がっている。中国史は複数民族の存在による民族興亡史でもある。今の中国領土の大きさはEU(欧州連合)と大体同じ大きさであり、そこには複数民族がいたし、今も複数民族で構成されている。中国古代史もこの民族の戦いだった。この民族戦争で負けた方の民族が日本に逃れてきたことが、近年の考古学の調査で分かってきた。(参照)日本人の起源
余談ではあるが私は仕事上中国産の漆を扱っているので、アジアで発掘された遺跡から出土された最古の漆器あるいは日本で発掘された漆で彩色された縄文土器や漆器などを文献で見てきたが、中国産漆と日本産のとはDNAも違うことが分かっている。右は北海道で出土した縄文晩期の丹塗り(朱漆、ベンガラのようにも見える)で塗り上げた土器である。


さて1973年・1978年の発掘調査で発見された中国浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。またそこの稲はジャポニカ米であり、その原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。
中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果と考えられる。ここに住んでいた民族は苗族(ミャオ族)で、台湾の先住民でもあり、弥生時代に海を渡って日本に来ることになる。

長江の民・苗族の一方は、雲南省などの奥地に追いつめられ、その子孫は今では中国の少数民族となっているが、「その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたようだ。」と報告されている。この苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されている。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われているという。
河姆渡遺跡が滅亡した時期に日本へ苗族が最初に渡り、日本の岡山県・朝寝鼻貝塚(紀元前4000年)に水田を作り、そこから米の化石が出たことに通じ、長江中流領の馬橋文化は約4千年前から2千7百年前であり、その後、苗族が日本に渡ってきた二陣目が、日本の菜畑遺跡、紀元前700年の水田跡に繋がる。その間の文化も侵略を受けて、徐々に日本に移民したように思われる。ここまでの文明は文字を持たないために記録がないが、縄文人と弥生人との見事な融和が作り出したハイブリットな文明は以後日本文明の礎を築いていくのである。

2011年10月8日土曜日

米国デモの意味

We are the 99%.(われわれ普通の人間こそ、この社会の99%の成員だ)

今世界金融の中心地、米ニューヨーク・マンハッタンのウォール街周辺で経済格差の拡大に抗議する若者らのデモは700人以上が逮捕された翌日の2日も続き、1500人以上が集会に参加した。行き過ぎた市場主義に異を唱える運動はボストンやシカゴ、西海岸ロサンゼルスなど全米各地に拡大中で、海外に飛び火する可能性も浮上している。
抗議運動はインターネットの会員制交流サイト・フェイスブックや簡易ブログ・ツイッターなどを通じて賛同者を増やしている。
ボストンでは、バンク・オブ・アメリカ前で約1000人が抗議、24人が逮捕された。共同通信によると、ロサンゼルスでは数百人が市庁舎近くに集まり、経済政策の恩恵を受けているのは人口の1%にすぎないとして「我々が99%だ」と書かれたポスターを手に大通りを練り歩いた。サンフランシスコ、シアトルなどでも抗議運動が行われたという。
デモを展開する抗議団体のウェブサイトによると、デモ計画は全米50州のうち44州の計115都市で進行中。抗議団体はフェイスブックなどを通じて、東京やロンドンなど海外でも同様の抗議行動を繰り広げるよう呼びかけている。

かつて日本に帰化したビル.トッテンが著した「アングロサクソンは人間を不幸にする」に言及していた資本主義の極みアメリカ。すなわちひとにぎりの金融やそれに関連した支配層の富めるものは益々富み、持たざる者はますます貧乏になる資本主義というシステムは、中間層さえ貧困に追いやった。
周知のように資本主義はイギリスから生まれ、産業革命を経て弱肉強食の色合いを深めて、やがてアメリカが世界に浸透させていったものであるが。その体制を作り出したルーツは、トッテンも言っているように北方のバイキングだったゲルマン人が、イギリスを征服したことに端を発している。いわゆるのちに世界を凌駕するアングロサクソンの始祖である。このゲルマン人が大移動をした後に、彼らの収奪の歴史がヨーロッパを形成していった。

デモの原動力は貧困の中にいる若者たちや没落した中間層である。今アメリカで起こっていることは、アメリカの体制に追随している明日の日本の姿かもしれない。今年になって多発している世界的な独裁国家転覆のデモとは様子が違うが、基本的には高い失業率と生活困窮を訴える構造は同じで、特に多いのが借金まみれの自己破産者である。
アメリカは産業の空洞化後金融立国を掲げて金融帝国の推進が戦略であったが、リーマンショックでそれは頓挫した。様々な金融商品の欠陥が明らかになり、政府がその尻拭いに追われた。その為に今度はドルや米国債の信用にも問題が起きてきた。
米国政府が国債発行などできる債務上限額は法律で14.3兆ドルと定めら、それを超える勢いからいよいよアメリカ経済は火の車となり、日本にTPPをせっついてきた。
ドル安が進行する限り円高は止められない。またアメリカ型の市場原理主義は日本にはそぐわない。ビル.トッテンの言葉を借りれば日本人を不幸にするシステムでもある。
オール・オア・ナッシングの資本主義の行動原理から、今やアメリカは金持ちと貧乏人の2極分化が深く進行している。貧乏人にも夢を持たせたサブプライムローンは所詮金融機関に踊らされた政府と米国民のあだ花に終わった。
今回の運動は、いわば金融界が米政界を支配する米国の「金融界独裁体制」をやめさせようとする真の意味での「民主化運動」である。米国は、金融界や軍産複合体による談合体制である2大政党制(2党独裁体制)で縛られ、真の民主化がかなり難しい国だ。
米国が標榜し、世界に広めようとする民主主義とは一部特権支配階級の利益を追求し、それを実現させるための方便であり、その欺瞞性が米国民の手で世界に明らかにされたのが今回のデモである。

2011年10月3日月曜日

歴史の皮肉

アメリカの対日戦略
32代米国大統領F.ルーズベルト

1929年に起きた世界大恐慌後、かのニューディール政策でアメリカ経済をどん底から立て直した第32代アメリカ大統領のフランクリン.ルーズベルトは、第二次世界大戦中日系人の強制収容を行うなど日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたことでも知られ、大戦中は常に強硬な対日姿勢を取った一方でソ連に対して友好的な立場をとった大統領であった。
彼は日本の降伏を早めるために駐ソ大使を介してスターリンに対日参戦を提案した。そしてスターリンは武器の提供と南樺太と千島列島の領有を要求したのだが、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を促した。また、この時の武器提供合意はマイルポスト合意といい、翌45年に米国は、中立国だったソ連の船を使って日本海を抜け、ウラジオストクに80万トンの武器弾薬を陸揚げした。

その後ヤルタ会談においてルーズベルトは、ドイツ降伏後も当分の継続が予想された対日戦を早期に終結させるため、スターリンに対し、千島列島、南樺太のソ連への割譲を条件にドイツ降伏後3ヶ月以内の対日参戦を要求した。その一方でスターリンの日本領土分譲要求をほぼ丸呑みする形となり、戦後の東西冷戦を招く要因を作ったとも言われる。(ウィクリークスより抜粋)

そしてアメリカの統合戦争計画委員会は図のような日本列島分割占領案(公文書公開)を示していたが、ルーズベルトはこれを承認する直前、心臓発作で急死した。この時この案が承認されていたら、わが国もドイツや朝鮮のような分断国家が誕生していたが、ここで日本の命運が後を引き継いだ副大統領のトルーマンの出現で、運命の糸が紡ぎ直されることになった。トルーマンはソ連に対してはルーズベルトとは正反対の反ソ連派であり、ソ連が日本統治に加わることには反対であった。

33代米国大統領 H.Sトルーマン

その後ドイツが降伏、8月には日本が降伏して第二次世界大戦が終結する目前の死であったが、戦争に勝てないと判断した日本政府は、7月12日、ソ連にいる日本大使宛に、ソ連に和平の仲介を頼むよう打電した。その暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。ポツダム会談前の合同会議で、日本はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分。との結論を出したが、しかしトルーマンはそれを無視した。トルーマンは、7月17日にソ連のスターリンと事前打ち合わせをした際、かねてより頼んでいた通り、ソ連が8月15日に対日参戦することを確認した。ところがトルーマンは、7月21日に原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力のすさまじさを知ると態度を一変させた。東欧問題などで、ソ連に対し断固とした態度を示すようになった。

1945年4月の時点で原子爆弾の完成予定を知っていたトルーマンは、核の力でソ連を抑止できるという考えがあった。日本への原子爆弾投下命令はポツダム宣言発表の一日前の7月25日に行われ、日本の返事を待つどころか降伏勧告を出す前に投下命令を出した事になる。共和党の大物の面々が日本への原爆使用に反対していたこともあって、トルーマンは投下決定を共和党側には伏せたまま、先にスターリンに知らせた。共和党や共和党系と見なされていた将軍たちに原爆投下決定が伝えられたのは投下の2日前であり、これは「反対を怖れるあまり自国の議員よりも先にソ連に知らせた」と共和党側をさらに激怒させた。
この原爆の日本への使用については、後に共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。アイゼンハワーに至ってはスティムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(1963年の回想録)と何度も激しく抗議していた。日本がソ連への仲介を依頼していた事を無視し、異議を認めず強引に原爆投下を命令したトルーマンはアメリカ国内でも対日和平派・共和党側に強硬な批判を受けた。しかし原爆の圧倒的な威力を漁夫の利を得ようとしていたソ連にまざまざと見せつけたトルーマンのとった戦略は、ソ連の関与を排除し分割案をホゴにした。
そして天皇を通して統治した方が簡易であるという重光葵外相の主張を受け入れ、最終案では日本政府を通じた間接統治の方針に変更した。日本は国家が消滅したわけではなく、主権を制限された傀儡国家の状態であった。
日本が戦後目覚しい復興を遂げられ、経済大国になったのも、分断なき国家が、たとえ傀儡とはいえ幸か不幸か存在していたから出来たことであり、今更ながらそこに歴史の皮肉を見るのである。

大戦後の中国
蒋介石と毛沢東
 トルーマンはルーズベルトが大きな支持を与え親密な関係を保っていた中華民国の蒋介石との折り合いが悪く、後に蒋介石率いる中国国民党への支援を事実上断ち切った。その結果、ソ連の支持を受けていた毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し、1949年に中華人民共和国が設立され、蒋介石は台湾に遷都することとなった。
この台湾国民党政府を、アメリカ並びに日本は一貫して支持し、蒋介石は日本との連合、友好を深め保とうとしたため、台湾政府は、日本に賠償請求権を放棄すると表明した。
これに対して毛沢東政府も追随して賠償請求権を放棄した。
このことは中国人に最も顕著である行動原理すなわち<面子>である。台湾が既に放棄しているのに、巨大な大陸政府がセコセコと小国日本に賠償を求めることがみっともないといったプライドが起因していることと、毛沢東自身の言葉「日本人がつくり残してくれた経済、今日で言うインフラが整備された満洲という巨大なものがある、これがあるから蒋介石と戦うのに何の困難もない。」と満洲を賠償として残したとの認識があった。終戦後の日本はゼロからの出発をしなければならない時に、膨大な賠償の足かせをまぬがれたことは、戦後のドイツなどを見れば不幸中の幸いでもあり、中国が二つに分裂したことによる日本の幸運。これもまた歴史の皮肉であろう。

2011年9月28日水曜日

アートな話「横浜トリエンナーレ2011」



横浜美術館で開催中の 横浜トリエンナーレ2011に足を運んだ。この美術展の名称はイタリア語で3年に1度開かれる美術展のことで世界中で開かれているものである。日本のナショナルプロジェクトとして、世界の優れたアートを国内外に発信することを目的に、2001年から始まった。
今年で10年目、第4回目の開催であるが、内外60人以上の現代アーチストの作品を日本で、あるいは日本から発信するこの美術展は、映像メディアを駆使した作品から近代絵画やコブト織りのような歴史的作品や、あるいは展示の多くを占めるインスタレーションアートまで制作年代も素材も異なる多種多様な作品群で構成されている。

(注)インスタレーション
インスタレーション (Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インスタレーション)こともある。
 空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。最初はおもに彫刻作品の展示方法の工夫や、ランドアート・環境芸術の制作、パフォーマンスアートの演出に対する試行錯誤から誕生したが、次第に彫刻などの枠組みから離れ、独自の傾向を見せるようになったため独立した表現手法として扱われるようになった。  (ウィキペディア)

コンセプチュアルアートあり、シュールあり、古今東西の名画ありで美術館自体がアート曼荼羅のルツボの様相を呈している。もっともこの展覧会のタイトルは「OUR MAGIC HOURー世界はどこまで知ることができるのか?」ということで世界や日常の不思議(非日常)魔法のような力、神話、伝説、アニミズムなどを基調とした作品が目に付く。人類を進化させてきた科学や理性では解き明かせない領域に目を向けること、すなわちアートのイリュージョンの前に立たされた入場者は、個々の感性、解釈に身を委ねることになる。作品の前では鑑賞者は自由であることを自覚する。

21世紀になって、高度な科学技術の進歩により、インターネットなどのメディアは広がりを見せ、世界の隅々まで文字通りエクスプローラー(探究者)によって明らかにされてきたものの、我々を取り囲む世界は不思議が一杯である。
さて今回、トリエンナーレの会場は横浜美術館と日本郵船海岸通倉庫の2箇所だが、時間がないので倉庫の方は日を改めて観ることにした。迷宮の扉を開くと、インスタレーションの数々が展開を始める。特に目を引いたものを順次紹介すると、最初は私の好きなシュールなご両人、片や石田徹也とルネマグリットの作品が肩を並べ、新旧のシュールリアリズムを見た。

続いて横尾忠則の部屋<黒のY字路>もともと通俗的な作風の作家であるが、画家に変更後、持ち前の明彩色でY字路シリーズが際立っていたが、ここにきて一変どんよりとした陰鬱で冥府の入口のような作品が10数点、右を見ても、左を見ても暗くて混沌とした現代を暗示しているような作品群に圧倒された.Y字路は横尾が少年時代に脳裏に焼き付いた原風景を執拗に描いたものであるが、
前作は左右に分かれた道に選択の余地はあったはずだが、今回の作品は、右も左も闇の中に消え失せどちらも行き着くところは同じという絶望感さえ漂ってくる。
次の横尾の言葉はこの作品を物語っているのではないだろうか、、、?「見えないものを見えるように顕在化するのは美術の力であるが、ぼくは見えないものをわざと見えるようにする必要はない、見えないものは描く必要がないという考えに変ってきた。」




最後に目を引いた作品は、ライアン・ガンダー/Ryan GANDER「何かを描こうとしていていたまさにその時に私のテーブルからすべり床に落ちた一枚の紙」長ったらしいタイトルであるが、この部屋では床一面にガラス玉が散らばって置かれていて、背後に別の作家のシャボン玉の飛んでいる映像が、クローズアップされた状態で映し出されていた。
外見が同じように見えても、質量の違いは歴然としているのに、あたかも画面からシャボン玉がこぼれ落ちたかのようなイリュージョンを体験する。

現代アートが現代の状況を反映する鏡であるのなら、今の日本で起きた大震災を、何らかの形で表現する作家がいても良かったのではないかという思いがした。もっと日本からのメッセージを世界に発信してもらいたいものである。

会期:2011年8月6日(土)- 11月6日(日)
 会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域

2011年9月16日金曜日

日本経済への警鐘


属国として米国債を買い支え、ドル防衛役を担い続けてきた日本の「マネー敗戦」構造を明らかにした吉川元忠元神奈川大学教授の遺作 国富消尽 (対米隷従のはてに)を読んでみた。「国富防衛」「対米自尊」の思想を説き続け,日本人に警鐘を鳴らした孤高の碩学・吉川元忠氏の遺作。


本編は7章からなっている。

1.着々と進む日本企業買収の環境整備
日本企業を傘下に支配し、利益を本国に吸い上げることしか眼中にない米国によるM&Aの危うさ。

2.外資によるM&Aの新時代
ヘッジファンド(乗っ取り屋)も格付会社も野放し状態。
金融面で米国が必ず勝てる制度を設計し、グローバルスタンダードと称して世界に押し付け、日本における市場開放と規制緩和や構造改革を迫る。

3.郵政民営化の真実
狙われる日本の個人金融資産
民営化ビジネスはウオール街の金のなる木、
全て外資に買収された破綻生保会社

4.深く静かに進む米国の日本改造
司法、医療、教育まで米国化されるのか

5.アメリカの対日圧力を振り返る
それは日米構造協議から始まった。
中曽根政権の対米協調制作がバブルの原因
富を創造出来なくなった米国の疫病神投資ファンド(ハゲタカファンド)

6.21世紀の日米金融バトル
日本はマネー敗戦の構造から抜け出せるのか、為替差損に構わずドルを支え続ける日本
日本の財政赤字を増やして円売りドル買いによる米国の赤字を埋める異常な構造
各国のドル離れが進行し、金融市場にドル暴落並びに米国債のデフォルトが囁かれているなかで日本だけがババを引かされる可能性が高い。

7.日本のポスト.グローバリズム戦略
日米基軸、対米協調以外の選択肢はないのか
対米依存度を低減すべき

最後に「集団主義的価値観が日本の強みとしてあったものが、精神構造までアメリカナイズ され、集団への一体感と忠誠心の喪失と帰属意識の希薄化が進む現状から立ち直るには、 米国的価値観への迎合から決別し、我々の父祖たちが築き上げてきた歴史と伝統の価値を再発見し、日本人が自信と誇りを取り戻す以外にない。」と締めくくっている。

米国国債
わが国の米国債保有状況

日米関係評論家・副島隆彦氏の試算では日本の対米ドル債権累積は官民にて総額700兆円から1000兆円規模(米国債およびドル建て金融商品含む)に達するようであるが、正確な実態は公表されないので不明である。
日本と並び、中国も大量の外貨準備金(3兆ドル規模)を保有しているが、対米輸出で得たこの豊富な米ドルで、世界中の油田利権や鉱山利権獲得に多額投資している。すなわち、第二次世界大戦戦勝国・中国は、手持ち米ドルを有効に活用している。
ところが、第二次世界大戦敗戦国・日本は今なお、米国の属国であり、日米間の暗黙の取り決めによって、手持ちドルを米国政府の了解なしに勝手に使えないよう縛られている。
その証拠に、日本のもつ米ドル資産(外貨準備金)は、財務省の公表している分だけで、1兆ドル強(1ドル80円で80兆円)もあるが、これほどのドル安でもこの米ドルが売られていない。それどころか、逆にドル買いオペをやって、米ドル相場の暴落を阻止しているほどである。

したがって、日本の場合、実質的に、国富が一方的に日本から米国に垂れ流され続けるわけである。皮肉なことに、日本の対米ドル債権が膨らめば膨らむほど、日本は米ドル相場を維持するために、米ドルの買い支えを永遠に続けざるを得ないわけだ。一方、米国は膨大な対日負債を返済しないよう、日本を永久に属国化し続ける。

円高が止まらない

今、足もとで急速に進む円高が、わが国企業の収益状況に大きな影響を与えている。
8月下旬に行なわれた経済産業省の調査結果では、現在の1ドル=76円近辺の円高水準によって、大手製造業の15%が前年対比20%以上の減益になり、それ以外の61%の企業が20%未満の減益になるという。それに対して、多くの企業はコスト削減で対応するとの方針を立てているものの、コストの切り詰めには限界があり、今後、海外からの部品調達や、海外の生産拠点拡大を行なわざるを得ない構図が浮き彫りになる。

産業の空洞化・雇用機会の海外流出の懸念を抱えているのは、わが国ばかりではない。ある意味では、人件費が相対的に高い主要先進国が共通に持つ課題と言えるだろう。
2009年度の内閣府の統計ではGDPに占める第1次産業(農業、漁業など)のシェアは1.4%で横ばい。第2次産業は、建設業のシェアが上昇したものの、製造業のシェアが低下したことから、23.8%となり5年連続の低下。第3次産業は、、卸売・小売業などのシェアが低下したものの、サービス業などのシェアが上昇したことから、74.9%となり5年連続の上昇。

この製造業に関わる問題点をあげてみると、以下の理由から工場の海外移転が進んでいる。

1. 人件費は世界一高い。コストダウンも限界を超えつつある
2. 法人税率も40%で世界一
3. 改正労働者派遣法などで人材・雇用の柔軟性が失われた
4. 為替は史上最高レベルの円高
5. 土地の使用や工場の建設などの規制がきつい
6. 国内市場は衰退の一途、人口構成から見ても回復の見込みがない
7. 電力供給に赤信号、使用制限令が発動されている

中規模以上の企業は海外展開が今一番の課題になっている。特に製造業は、その傾向が顕著である。現在、日本の製造業の生産は約30%が海外に進出している。10年前には20%程度だったものが、ここ10年で海外進出がどんどん進んでいることが分かる。このままでは今後、ますます産業の空洞化が広がっていくだろう。
技術大国として世界を引っ張って行かなければならない我が国、またその使命を担った製造業にとって上述したことは由々しき問題であると同時に、日本経済の牽引力でもある工業力を弱めてはならない。

2011年9月11日日曜日

賞味期限、消費期限

Windows7

最近使用しているノートパソコンの調子が悪くなり、新しいものに取り変えた。2000年から始めたPCであるが、window98、XP、VISTA、と足掛け4台乗り換えたわけであるが、その都度の設定もめんどくさいものである。互換性のないソフトの入れ直し、バックアップデータの引越しやその他諸々の作業等々やることは多い。なにやらwindows8なるものも来年出るようだが、いい加減にしてもらいたい気分だ。タッチパネル方式はアップルに任せればいいと思うのだが。

PCの消費期限(寿命)もそんなに長くはないが、今回のVISTAは4年でパンクしてしまった。PCの修理も3~4万かかるので、値下がりの著しいPCを購入したほうがより良いスペックの機種が選べるので、この際私とカミさんのPCも各々別に2台買い換えても15万でお釣りが来た。いずれも愛用の東芝ダイナブックであるが、XPの時は18万で購入した記憶があるが、現在のPC市場は飽和気味で上級クラスでもかなり安くなっている。日本の場合PCの普及率が60%台と以外と低い。この際カミさんにVISTAを修理してもらって使ってもらうつもりだったが5万そこそこで買えた。

 さて我が家にも消費期限の迫っている92才の親父が約1名いる。(笑い)
日頃から健康に留意し、健啖家であるから我々と同じものを食べている。自分のことは棚に上げ、口癖はカンズメに至るまで賞味期限、賞味期限とうるさい。人間は死に向かって自身の肉体を含めあらゆるものを消費していく。ここでいう賞味期限とは食品が美味しく食べられる期間のことで、食べてどうのこうのというものではなく、安全性が云々されるのは消費期限である。足腰が不自由になっている以外は至って健康で、定期健診のデータは私よりいいので、まだまだ長生きしそうである。

民主党の消費期限
野田内閣
複数政党の寄り合い所帯が明白になった民主党代表選、民主党の代表選は、結局のところ親小沢か、反小沢を軸に決まったようなもので、野田内閣の顔ぶれを見るとライト級ではあるが、両陣営ほどよく配分された感がある。政権交代以後、党の綱領亡き民主党の迷走がはじまり、鳩山,菅、野田と安倍内閣以降1年の消費期限内閣が連綿と続く。極左グループから、旧社会党、中道、自民からの離脱組を抱え、野合の衆の民主党は政治公約の全面見直し、4年間は上げないといった消費税増税、その他を反古にした。新しい代表を選んで挙党一致を叫んでも、重要課題に望む原則が曖昧では、また迷走がはじまりかねない。果たして野田内閣の消費期限は?
参議院の権力が大きいことも禍して衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造の中で、今後民主党が政権を続けても自民党に政権交代をしても両党とも「ねじれ」を解消するのは容易ではない。国民が選挙で作る権力は常に非力で、これは官僚権力にとって望ましい状況である。
各省庁の官僚はその道のエキスパートで1~2年の大臣とはキャリアが違う、彼らを使いこなすことが菅内閣では出来なかったし、信頼関係もなかった。
日本には律令制以来官僚機構の運営については千年以上の歴史と蓄積があるが、それが今日の日本を築いてきたことも否定できない。

戦後の日本は政治も経済もアメリカの指示通り動かされてきた、いわばアメリカの隷国である。特に日本の歴代首相は親米以外生き残れない、田中角栄はアメリカを無視して中国と国交を回復したリ、アメリカメジャー抜きの中東原油輸入を企てたりして、虎の尾を踏んだためにCIAの仕組んだロッキード事件で失脚させられた。自民党の保守本流の中枢を歩んできた小沢一郎も親分田中の辛酸を見てきた。そのためアメリカの恐ろしさを知ってか、1989年のバブル期に経済で日本に足元をすくわれたアメリカが日米構造協議なるものを開き、我が国に露骨な要求をしてきた、それを容認したのが小沢一郎で、それ以降年次改革要望書なるものが毎年アメリカから突きつけらる道筋を作ってしまった。
周知のように米国の要求は日本型システムそのものを構造問題として糾弾し、自国のシステムをグローバルスタンダードと称して日本に押し付ける内政干渉であって、政府は唯々諾々と受け入れてきたが、それが年次改革要望書を介して、以後日本を米国型に構造改革するための要求が際限なく突きつけられてきた。
そんな小沢もそろそろ消費期限が近づいている。民主党内の左翼に毒されたのか中国に議員団を引き連れたり、選挙に勝つためには地域労働組合の自冶労や日教祖と手を組んだりして不可解な動きが目に付く。混迷する今の政治を見渡すとため息の出ることばかりだ。

2011年8月17日水曜日

原爆の日

広島       長崎

  原発事故の収束の目処が立たないまま、日本は66回目の広島・長崎の原爆の日を迎えた。被爆国の日本が、なぜここまで原発依存症におちいったかについて、われわれはよく理解できていない。低コストでCO2を出さない安全なエネルギーとして国内に55基ほどの原発を作り続け、産業界もそれなしには生産が成り立たないとして政官一体となって原発を推進してきた。
しかし、原子爆弾が後にもたらす放射能被曝の恐ろしさを身をもって知る国として、今回の原発事故への対応には疑問符が残る。
後から次々に出てくる汚染地域の拡大や、汚染の広がった牛や農作物、海産物への対応に追われている政府を見ていると、広島長崎の教訓が生かされていないようだ。

広島や長崎で原子爆弾が爆発した際、その爆風と熱、そして爆発の際に飛び散った放射線によって、多くの人命が失われた。しかし、その後、キノコ雲から広い地域に降り注いだ放射性物質によって、何キロ、あるいは何十キロにもわたって多くの人が低線量被曝や内部被曝をしている。今の福島の状況も同じでそれ以上といわれている。
現在でも原爆被爆症の認定を困難にさせているのは原爆を投下したアメリカが、原爆の爆風や放射能を直接浴びた近距離初期放射線による外部被曝者のみを原爆の影響の及ぶ範囲と定義し、遠距離の低線量被曝や内部被曝の影響は無視していることに由来する。
広範囲に広がる低線量被曝や内部被曝も考慮に入れなければならなくなると、原爆の一般市民への影響はあまりにも大きくなり、その使用が国際法上も人道上も正当化できなくなるアメリカのスタンスに我が国が追随しているからだ。
結果的に原爆の爆発後、キノコ雲から広範囲に降り注いだ放射性物質によって爆心から遠く離れた場所で被曝した人や、原爆が投下された後、救助などのために広島や長崎に入り被曝した人たちは、調査の対象ともなっていないため、実態も把握できていない。
これと似たことが今、原発を推進してきた国の原発に対する正当性維持のため、国は被爆の詳細実態を民間がやるほど熱心に調査をしていないことにも現れている。

たとえ原発が効率的に電力を供給する手段であったとしても、一旦事故が起きれば、これだけ広範囲に深刻な被害をもたらす原発は、やはり非人道的なものと断じざるをえないだろう。 様々な戦略上の判断から日本に原爆を投下した米国において、ルーズベルト大統領に原爆開発を進言する書簡を出したアインシュタインは、のちにそのことを後世にわたり我が身の恥としたという。
  
元々原爆の副産物だった原子力発電についても、1950から60年代にかけて、科学はこれを無限の可能性を秘めた夢のエネルギーと位置づけ、世界中で熱心に研究・開発が進められた。しかし、度重なる事故で原発が当初考えられていたほどいいものではないことがわかったあとも、日本を含む一部の政府はこれを推進し続けた。
そして、そこには利権構造に裏打ちされた政治に利用された御用学者の後押しがあった。そして原子力という魔物は今日まで息づいてきた.おそらくこれからも地球上から無くならないだろう。この魔物に魅せられた支配者がいる限り。

 今回の福島の原発事故は社会にとって重要な情報を提供する科学者と政治家の責任は大きい。問題になっている政府の被害の過少評価と徹底した汚染調査をやらないことは、民間の調査機関の活発な調査とは裏腹に、政府負担の膨大な補償を恐れての意図が読み取れる。
エネルギーは国を動かす血液であり、国の存続がかかったキーワードである。脱原発が叫ばれている中、それは急には唐突に変更できないだろう。時間をかけて廃炉にしていくことと次世代エネルギーの早急な開発が望まれる。

今年も終戦記念日の8月がやってきた。開戦当時、国の重要物資(石油の輸入量の78%,鉄鋼類の輸入量の70%,工作機械類の輸入量の66%)をアメリカに頼っていた我が国がアメリカによってその輸出を止められたことに端を発し、列強の経済ブロックにも阻まれ、身動きが取れないままアメリカによって仕掛けられた戦争に開戦を決意せざるを得なくなった歴史を振り返ると、開戦を決定づけたエネルギーは今も国の根幹にかかわるものであり、海洋国家である日本が現在大半の石油を輸入している中東からのシーレーンや日本近海のシーレーンも、中国に脅かされつつある現況では、この生命線を守ることが国の命題であろう。このことは国家の運命と国民の命に関わってくるということでもある。


2011年8月3日水曜日

この厄介な国、中国



最近読んだ本に、中国史に造詣の深い東京外語大名誉教授岡田英弘の著書で「この厄介な国、中国」がある。

中国は20世紀になるまで中国大陸には中国と言う国家もなかったし、中国人と言う概念も意識もなっかった。というくだりに衝撃を覚え、昨今の中国の引き起こした数々の紛争や国内問題に思いを馳せ読み進んでみると、私が知り得ていた中国の姿と違う側面が陳述されているので一部掻い摘んで列記してみると次のようになる。

「古代中国において歴代王朝は存在していたが、民族の集団ではない。皇帝ただ一人の専有物で中国人民の支配者でも中国大陸の所有者でもなかった。皇帝は中国全土に張り巡らされた流通システムを所有していた。つまり総合商社の社長のような存在であった」と筆者は述べている。

つまり中国においては、最初から王は流通業、商売の頂点に立つ人間のことであった。王はマーケットの支配者であり、この商業ネットワークシステムを帝国の形にしたのが秦の始皇帝、あるいは漢の武帝である。中国の統治システムにおいて最も重要なものは交易である。そのため交易が発展
すればわざわざ領民や領地を持つ必要がない。そのためその存在はボーダレスになり現代の巨大商社の様に国籍がさほど問題にならなくなった状態と似ている。

一般民衆にとって皇帝は利害関係に基づくつながりでしかなく、都市において交易したいものは一定の税を払ってその権利を手に入れ、都市の戸籍を持ち、そうでない物は農村籍あるいは蛮族と言うように厳然と区別が現代中国まで続いている。
中国政府が主張している漢族の優位性と存在自体が厳密な意味で存在しないとも筆者は述べている。つまり古代中国の都市国家の発生を見ても分かるように、商業都市としての住民は様々な地方から交易を目的に集まった雑多な烏合の衆であり、やがてそれらが混じり合い漢族を形成したものととらえている。

「だがそうやって誕生した漢族もまた紀元184年に起った「黄巾の乱」によって消滅してしまった。この乱は都市に人口が集中した結果深刻な食糧不足に陥り、漢王朝に対する不満が爆発し反乱は全土に及んだがやがてそれは制圧されたものの、それがきっかけで中国は四分五裂になり後漢は滅び、三国時代に突入するのである。」

古来中国の歴史は飢餓との戦いでもあり食人の歴史でもある。食料が欠乏したら直ちに共食いが始まる。各時代にある人を食った話は非常に多く、枚挙にいとまがない。そこにはひとかけらのセンチメンタリズムもない殺伐とした世界がある。

「三国時代の混乱は隋の文帝が中国統一に成功するまで400年も続いた。この間都市機能は疲弊し人口が10分の1以下に激減したが、この人口空白を埋めたのが北方の騎馬民族の流入で、中国の住民はそっくり騎馬民の子孫に入れ替わり漢族はほとんどが紀元2世紀で地球上から姿を消したとされている。ただし、漢時代の皇帝システムだけは生き残り、隋、唐、宋と言った王朝に受け継がれ、新たな漢族となった騎馬民の子孫鯛がそのシステムの中に組み込まれ現在に至る。
その皇帝システムが形を変えて出来たのが現在の中華人民共和国なのである。」

「中国人のメンタリティーには他人はすべて敵であり、油断をすればいつ寝首を掻かれるか分からないという考えが常にあり、相手が弱みを見せるとすぐに攻撃を仕掛けると言った個人主義の極め付きがみられる。」和を大事にするわが国の国民性とはかけ離れた国民性である。

「中国人社会において最大のタブーは他人に弱みを見せることで、中国人の行動原理は他人から付け込まれる前に他人の弱みに付け込むといったパターンである。」尖閣諸島問題のあの中国の高飛車な言動はまさにこれが当てはまるであろう。

  参照 中国史略年表

◎ 中国への戒め
中国浙江省温州の高速鉄道事故後に車両を地中に埋めるなど、証拠隠滅が行われたことについて、1日付の週刊経済紙「経済観察報」は「以前から同じ。今回はメディアの関心が高かっただけ」とする主要駅責任者の内部告発を掲載、同様の行為が常態化していたことを暴露した。

事故後、遺族は福建省などから温州に続々と集まり、地元政府が用意した施設に陣取る一方、鉄道駅や市政府前などで激しい抗議活動を繰り返した。その報道をみた人が、ネットや中国版ツイッター「微博(ウェイボー、マイクロブログの意味)」で鉄道当局のずさんな対応を非難。怒りが増幅する構図となった。


中国浙江省温州市で40人が死亡した高速鉄道事故ではネットを中心に「人命軽視だ」「真相究明が先」と世論の怒りが爆発した。中国メディアの一部も報道規制を振り切って当局批判に転じた。いったん埋められた車両の一部は「証拠隠滅だ」との批判を受けて26日に掘り出され、温家宝首相は28日に現地入りした。

中国の過去の災害や事故とは“異質な空気”が流れ、事故の収束を急ぐ当局に強い怒りが世論となって対峙(たいじ)している。
「事故現場の処理は急ぎ過ぎではないか」。事故後初めて現場を訪れた温首相の記者会見で、とげのある口調で質問を突きつけたのは中国国営中央テレビ(CCTV)の記者だった。

不可解な事に行方不明者の数がいまだ公表されていないことだ。「2つの高速列車の乗客は合わせて1630人が乗車していたと報道されている。多くの行方不明者はどこに消えたのか?。。世界の最新技術のいいとこ取り、技術の寄せ集めの産物の高速鉄道はこうした寄せ集めた技術を、おのれの開発技術のごとく主張して世界に特許を取ろうとしている厚かましさには開いた口がふさがらない。そうした考えが世界に通用すると考えているのが、今の中国社会の実態である。

今回の事故はまさにそれを戒めるべくして起きた事故以外のなにものでもない。「無理を通せば道理が廃る」とはこのことである。
川崎重工は、鉄道省との間で締結した技術移転契約は、技術使用は国内に限られると定めており、中国企業は輸出にそうした技術を使うことができない、と交渉の中で強く主張している がそれも豚の耳に念仏となりそうだ。

今回の事故を起こした車両は、先に停車していた車両がカナダの技術をベースにした「CRH1]で、追突した車両は日本の東北新幹線の技術を導入した「CRH2」である。 信号機などの運行技術に至っては海外の先進技術を十分に取り入れることが出来なかったために、時速300~400キロのスピードには追いつかないまま、運行開始に至ってしまっていたのである。

世界各国に現在商談を持ちかけている高速鉄道の入札に焦るあまり、事故を原因究明などもせず不都合な事はすべて覆い隠し、人命を無視した揚句、事故の早期終結を図ったことに、伝統的な商業至上主義者の中国人のがめつさの片鱗が見えてくる。

その一つが、中国鉄道省が事故の発生の翌日24日早々に、上海鉄道局 トップの幹部3人を解任したことである。事故が起きたら最高責任者として、事故対応や事故原因の解明に当たらす事は避け闇に葬ろうとした。
二つ目は、発表されている死傷者の数が40人程度の少なさである。追突した電車と追突された車両の乗客のほとんどすべてが負傷していて当然なのに、けが人の数はたった200人ほどだという。どう見ても、中国鉄道省や政府が事故の規模を小さくしようとしているとしか思えない。
3番目は、事故後真っ先に現場に駆けつけた処理班は追突した先頭車両、つまり運転席を含んだ車両を破壊し、穴に埋めてしまったのである、事故原因判明の一番の手がかりになる運転席部分を破壊して埋めるなどと言うことは、事故原因をうやむやにするため以外考えられないことである。
そしてインターネットを通じて政府鉄道省への批判が激しくなると、直ちに掘り起こすことをやる。

中国で長年ビジネスにかかわってきた日本人が口をそろえて言うのは、「二枚舌、利己的、契約を破っても平気、こんな信用の置けない国が何故ここまで発展するのか不思議でならない。」と。
ビジネスの世界では欧州人もアメリカ人も韓国人も、みんな中国人を好きになれない、中国の話をするときは皆顔をしかめて.ため息をつく。今回の事故で中国は世界中に一番大事な国家の信用の欠落を露呈した。

しかし多くのビジネスにとって悲しいかな安価な労働工賃の魅力には勝てない。おかげで中国の外貨保有高は日本を抜いていまや世界一。
各国が安い工賃を見込んで中国全土に工場を作り世界中に物を売る、結果中国に大量の外貨が入ってくる。そしてその金で軍備増強に余念がない中国、世界中の資源を独り占めする勢いの中国、共産党一党独裁政権が維持できないと崩壊する中国。

こんな厄介な国と我々日本人は心して付き合わなければならないことをこの本は教えてくれた。

2011年8月2日火曜日

アートな話「東西の接点」

国立西洋博物館で開催中の古代ギリシャ展と,国立博物館で開催中の空海と密教美術展を見て来た。



全知全能の神ゼウス小像 ブロンズ

○大英博物館古代ギリシャ展


古代ギリシア人は人間と非常に似た神々が登場するユニークな神話を持っている。 太古の昔より存在するのが神話であるが、ギリシャのそれは神を擬人化しているのが特徴であり、。そのため神の数が多い。オリュンポス十二神 ゼウスを中心に12の神々が男神7神、女神5神が存在しそれぞれの役割を分担している。それとは別に異形の神・怪物なども彫刻で表現しているが、顔が人間で胴体が獣などさまざまである。だがその根底にあるのが人間賛歌であり、人体美の追求だったのだろう。



会場にある彫刻はどれも素晴らしく、時空を超え眼前に存在していた。多くの彫刻は大理石で作られたものであるが、そこに展開する人体の数々は硬質な素材を感じさせないなめらかな肌合いと力強さを見せている。会場内の説明文を読むと、屈強な肉体を持つ人間は戦いのために、各種競技で体を鍛えそれが彫刻に反映されているようだ。特に円盤投げの彫刻を三六〇度見渡してみると筋肉の動きや血管までの表現は細部にわたり精緻を極めていた。
愛と美の女神 アフロディーテ

人体表現は西洋美術の中心的なテーマのひとつであるが、このテーマにはじめて徹底的かつ真摯に取り組んだのは古代ギリシャ人だ。神々の彫刻を見ていると、ギリシャ人は神も人間と同じ姿であるとみなしていたことがうかがえるのであるが、その神や人間を「身体」という現実の形で表すことは、ギリシャ人が人間について考え、神について考えるときに欠かすことのできない手段だったのであろう。彫刻は神のイメージを具象化するための「表現」であり「技法」であると同時に、身体を絵画や彫刻によって形作リやがて、陶器に見られる黒像式、赤像式の様式の中に人体が展開していくのである。
これらの図像には人間社会のストーリーが秘められている。会場で見たこれら陶器の数々は堅牢で大ぶりな壺類が大半を占めていた。


黒像式と赤像式のアンフォラ(2つの取っ手付き陶器)

また、会場の一角にあったアクロポリスを俯瞰したジオラマは、神殿や祭壇、劇場 競技場、彫刻を造る工人の館など当時の古代ギリシャ人の生活が偲ばれる興味深いものであった。

 <会期 7/5~9/25 >


空海(弘法大師)

○空海と密教美術展


密教とは一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くのに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。(ウイキペディア)
平たく言えば師匠が弟子に直伝する手法で仏教を指南することであるが、上述のギリシャにおける人間界の上位に立つ者としての概念が神であり、ここでは仏教の仏である。両者とも土台になっているのは人間である。

密教を日本に初めて伝えたのは弘法大師空海で、804年に中国唐に渡り、2年後密教の教えとそれに付随した美術をわが国に広めた。いわゆる真言仏教と言われるもので源流はインドを経て中国で消化咀嚼された仏教である。同じく唐に渡った最澄の天台仏教とは区別される。

胎蔵曼荼羅


その教義は中心(本尊)に大日如来(宇宙の真理を仏の形にしたもの)を8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来、その周りに4体の如来4体の菩薩を配置し、さらに縦横に多くの仏を配置している曼荼羅と言う図は仏教絵画の典型である。さらに会場は空海の書が数多く展示されていた。弘法筆を選ばずの名言のごとく達者な筆使いが入場者の目をくぎ付けにしていた。


京都東寺の仏像群のある会場

さて会場の一番のハイライトは、京都東寺の仏像群で、大日如来を中心に5仏、5菩薩、5大明王の中から8体の仏像が所狭しと安置されており、さながら仏像曼荼羅である。
仏像の背後にははるばるとした仏教の歴史が控えていて、奥深い天上的な魂と一刀入魂の工人(仏師)の技が一体となり、まとまりのある臨場感を醸し出していた。見えない神を大理石やブロンズで具現化した西洋彫刻の始祖ギリシャ。やがてインドで発した仏教は中国を経て日本において木で具現化され、いずれも中心の神ゼウス、中心の仏、大日如来。それらを取り巻く幾多の神々あるいは仏たちの何と構成の似たことか。

<会期 7/20~9/25>

2011年7月18日月曜日

大和なでしこは強い


ワールドカップで優勝したなでしこジャパン
 「大和なでしこ」とは『日本女性の凛として清楚な美しさをたたえていう語である。

2011女子ワールドカップ・ドイツ大会。激勝に次ぐ激勝で決勝までやってきたなでしこJAPAN。小さい身体。乏しい経験。恵まれない環境を乗り越えてきた。対するアメリカはワールドカップを二度制した強豪中の強豪。世界ランク1位。日本は過去一度も勝ったことがない難敵であった。大会前のテストマッチでもいいところなく敗れており、なでしこの旗色が悪いことは明白だった。試合前から「勝てない」と諦めた人は私を含め大勢いただろう。


全般の試合はアメリカに押され気味で、ひやひやする場面が続いた。後半逆転同点にもつれ込んだのはやはりキャプテンの澤だった。延長に突入してもつづく試練。一向におさまらないアメリカの猛攻。耐えて耐えて、なでしこは決して諦めない。延長後半12分の澤の同点弾は、コーナーキックからニアサイドに走り込み、アウトで弾いて後ろに流す難易度の高い超絶テクニック。日本サッカーの伝説的名場面だった。PK戦に入ってからのGKの海堀の反射神経は目を見張るものがあった。

女子サッカーの実力は目覚ましい進化の跡が見られる。それにも増して最後まであきらめない精神力と集中力は目を見張るものがある。
特に澤選手は、かの釜本選手が持つ日本代表歴代最多得点記録の75得点を更新中で歴代最多得点王になっている強者である。

彼女は小学1年の時から男子に交じってサッカーをやっていて、幼少のころから光る才能があったという。その点で我が家の息子が、小学1年からやっていたサッカークラブの同輩の中村俊輔とイメージがダブる。イチローの親父もそうだが、俊輔の親父も息子にかける情熱と一途な姿勢は何か共通するものがあるようだ。俊輔の親父は息子の練習後に家に帰った時は必ず汚れたサッカーシューズを洗ってやったそうだ。昔のチーム仲間の写真を見るとチームの中で俊輔は一番体が小さくすばしっこかった。大きくなりたいがために人一倍牛乳を飲み今の体になったと聞いている。


閉塞感から抜け出せず、震災で打ちのめされた日々の日本。薄暗い状況の中で見た一条の光に我々にわき上がる勇気をくれたなでしこジャパン。恵まれない者、持たざる者が、どん底から這い上がり、栄光をつかむ姿。その歩みのすべてが、日本人に希望を与えてくれたはずである。
久しぶりに感動的なサッカーを見せてもらった。

今まで女子のサッカーはあまりメディアに出る機会がなく、私も男子サッカーみたいにTVを見ることもなかったが、さすがに準決勝、決勝と周りが騒ぎだすとTVにくぎ付けになった。一躍メディアに躍り出た女子サッカーに負けずに、男子サッカーも、女子の快挙に触発されて奮起してもらいたいものだ。並居る大柄の外国勢相手にフィジカル面では劣勢でも日本の女性軍は精神面で強かった。