2011年8月2日火曜日

アートな話「東西の接点」

国立西洋博物館で開催中の古代ギリシャ展と,国立博物館で開催中の空海と密教美術展を見て来た。



全知全能の神ゼウス小像 ブロンズ

○大英博物館古代ギリシャ展


古代ギリシア人は人間と非常に似た神々が登場するユニークな神話を持っている。 太古の昔より存在するのが神話であるが、ギリシャのそれは神を擬人化しているのが特徴であり、。そのため神の数が多い。オリュンポス十二神 ゼウスを中心に12の神々が男神7神、女神5神が存在しそれぞれの役割を分担している。それとは別に異形の神・怪物なども彫刻で表現しているが、顔が人間で胴体が獣などさまざまである。だがその根底にあるのが人間賛歌であり、人体美の追求だったのだろう。



会場にある彫刻はどれも素晴らしく、時空を超え眼前に存在していた。多くの彫刻は大理石で作られたものであるが、そこに展開する人体の数々は硬質な素材を感じさせないなめらかな肌合いと力強さを見せている。会場内の説明文を読むと、屈強な肉体を持つ人間は戦いのために、各種競技で体を鍛えそれが彫刻に反映されているようだ。特に円盤投げの彫刻を三六〇度見渡してみると筋肉の動きや血管までの表現は細部にわたり精緻を極めていた。
愛と美の女神 アフロディーテ

人体表現は西洋美術の中心的なテーマのひとつであるが、このテーマにはじめて徹底的かつ真摯に取り組んだのは古代ギリシャ人だ。神々の彫刻を見ていると、ギリシャ人は神も人間と同じ姿であるとみなしていたことがうかがえるのであるが、その神や人間を「身体」という現実の形で表すことは、ギリシャ人が人間について考え、神について考えるときに欠かすことのできない手段だったのであろう。彫刻は神のイメージを具象化するための「表現」であり「技法」であると同時に、身体を絵画や彫刻によって形作リやがて、陶器に見られる黒像式、赤像式の様式の中に人体が展開していくのである。
これらの図像には人間社会のストーリーが秘められている。会場で見たこれら陶器の数々は堅牢で大ぶりな壺類が大半を占めていた。


黒像式と赤像式のアンフォラ(2つの取っ手付き陶器)

また、会場の一角にあったアクロポリスを俯瞰したジオラマは、神殿や祭壇、劇場 競技場、彫刻を造る工人の館など当時の古代ギリシャ人の生活が偲ばれる興味深いものであった。

 <会期 7/5~9/25 >


空海(弘法大師)

○空海と密教美術展


密教とは一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くのに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。(ウイキペディア)
平たく言えば師匠が弟子に直伝する手法で仏教を指南することであるが、上述のギリシャにおける人間界の上位に立つ者としての概念が神であり、ここでは仏教の仏である。両者とも土台になっているのは人間である。

密教を日本に初めて伝えたのは弘法大師空海で、804年に中国唐に渡り、2年後密教の教えとそれに付随した美術をわが国に広めた。いわゆる真言仏教と言われるもので源流はインドを経て中国で消化咀嚼された仏教である。同じく唐に渡った最澄の天台仏教とは区別される。

胎蔵曼荼羅


その教義は中心(本尊)に大日如来(宇宙の真理を仏の形にしたもの)を8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来、その周りに4体の如来4体の菩薩を配置し、さらに縦横に多くの仏を配置している曼荼羅と言う図は仏教絵画の典型である。さらに会場は空海の書が数多く展示されていた。弘法筆を選ばずの名言のごとく達者な筆使いが入場者の目をくぎ付けにしていた。


京都東寺の仏像群のある会場

さて会場の一番のハイライトは、京都東寺の仏像群で、大日如来を中心に5仏、5菩薩、5大明王の中から8体の仏像が所狭しと安置されており、さながら仏像曼荼羅である。
仏像の背後にははるばるとした仏教の歴史が控えていて、奥深い天上的な魂と一刀入魂の工人(仏師)の技が一体となり、まとまりのある臨場感を醸し出していた。見えない神を大理石やブロンズで具現化した西洋彫刻の始祖ギリシャ。やがてインドで発した仏教は中国を経て日本において木で具現化され、いずれも中心の神ゼウス、中心の仏、大日如来。それらを取り巻く幾多の神々あるいは仏たちの何と構成の似たことか。

<会期 7/20~9/25>

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