2013年12月1日日曜日

アートな話「芸術とエロス」

ガバネロ「ビーナスの誕生」とマネの「オランピア」


英和大辞典によるとエロスは[ギリシャ神話]の世界では恋愛の神、[プラトン哲学]では善きものの永久の所有に向けられる愛(Platonic love)、キリスト教の世界では人間的な愛、として古来概念づけられてきたが、20世紀に入り、フロイト一派の無意識の心理学によって、あらゆる人間活動の根底にリビドー(性的欲望)が横たわっていることが主張された。
もともとエロティシズムという言葉の語源はギリシア神話の愛の神エロースの名前であり、一般的にエロティシズムは官能愛または人間の性衝動(リビドー)のことだと考えられている。
 
このような辞書の定義にある「エロス」を表現している絵画や彫刻は、古典美術の女体讃美に始まって現代に至るまでいくらでもあるが、鑑賞者が「これは人間的な愛を表している」「人間が生きることの本質、つまりはエロスを感じる」と思えばエロスを表した芸術なのかもしれないが、鑑賞者にとってエロスの定義付けは不要なもので、観る側のイメージの内は個人の自由である。そのことは作る側にとっても自由であるはずである。
歴史的にもタブーと開放という矛盾した二つの性質を持ち合わせたエロティシズムは、古来人間のその文化に幻想と呪縛から逃れられない吸引力を発してきた。性的発露や行為は、それ自体エロティックということではなく、そのイメージを喚起したり、暗示したり、表現したりすることがエロティックなのである。つまりエロティシズムとは、生物としての人間の本能的な欲望や生殖行為とは無関係な、動物にはない人間として、本質的に心理的なトリガー(引き金)から発するものであるから、人間のあらゆる文化的伝統、神話、習俗、宗教、芸術などのなかに、深くその根を下ろしている。
上の絵は、19世紀半ばに描かれたアレクサンドル.ガバネルの「ビーナスの誕生」で、ギリシャ神話のビーナスは海の泡から生まれた一説をもとに描かれた古典的なヌードの代表作である。古来より宗教的あるいは神話的な裏付けのない世俗的な単なるヌードは受け入れられないフランス美術界の中で当時絶賛された作品である。同年代のマネの世俗的な娼婦を描いた「オランピア」は対照的に酷評の嵐に合う。まさにマネの裸婦は古典のエロティシズムを破綻の淵に追い込まんとした問題の作品であったのだ。

フランスの思想家ジョルジュ.バタイユは、何かを禁止することは、禁じられた行為にそれ以前にはなかった意味を与えることだと書いている。タブーさえなければ危険で邪悪な誘惑の輝きを持たなかったものが万人をして禁止の違反へと誘うことになり、この禁止の違反そのものが人の心を魅了し掻き立てるというのである。
      

エゴン・シーレ「黒いストッキングの女」  グスタフ.クリムト「ダナエ」

19世紀末になると、オーストリアでウイーン分離派の旗手グスタフ.クリムトや,不道徳な絵を描いたとして、獄中生活を送った夭折のエゴン.シーレといった異才が出てくる。クリムトは過去の様式に捉われない、総合的な芸術運動を目指したが、画風は装飾的で退廃的などこか気だるい雰囲気を醸し出している。
歴史的に近代の終わりは、第二次大戦によるヨーロッパ近代社会の崩壊を区切りとして、20世紀の前半が近代と現代が重なり入れ替わってゆく時期ということになっているが、近代芸術の終わりはヨーロッパ近代の終焉と時を同じくしている。二つの大戦の前後を含むあいだの期間に芸術をはぐくむ場がヨーロッパの近代都市パリ(近代芸術)からアメリカ現代都市ニューヨーク(現代芸術)へ移ることになる。
       


 
    ● 左 ダリ 「柘榴の実の周囲を一匹の蜜蜂が飛び回ったために見る夢」 
    中 マグリット 「黒魔術」 
    右 ピカソ 「首飾りをつけて横たわる裸婦」

 
20世紀に入りエロスと芸術の分野では,シュールレアリズムがパンドラの箱を開けることによって,あらゆる束縛からの「新しい」自由のための実に様々な表現方法を見つけだした。サルバドール・ダリの偏執的な幻想や、ルネ・マグリットは人間の姿を物と化した感情なしのエロスに昇華表現していく。また数々の女性遍歴とシュールレアリズムをくぐり抜けてきたピカソもエロスを基軸に女を描いている。キュービズムから出発したフランスのマルセル.デュシャンはアメリカに渡り、時間と運動によるコンセプチュアルアートをかかげ、現代アートの先陣を切った。そこにあるのは乾いたエロティシズムと概念の破断である。


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  ●デュシャン 「階段を上る裸婦」 2.デクーニング「女1」3.オキーフ「蘭」4.「Music - Pink and Blue

 

物質文明を謳歌する20世紀アメリカの現代アートでは、抽象表現主義のウィレム・デクーニングは猥雑なエロスを醸し出し、一方で女が醸し出し男が表現する長い芸術の中で、花によるエロスを表現する稀代の女性画家ジョージア.オキーフがいる。具象がクローズアップもしくはトリミングされた過程で抽象化が進み,抽象のエロスがほとばしる奇妙な作家である。無垢な女の感性であるがゆえに、男から見ると不思議なエロスを感じさせる絵だ。いろんな意味でエロスは生きとし生ける物にとって元気と活力を与える源である。いずれにせよ XXXXをくぐり抜けないでこの世に出た者はいない。エロス、大いに結構ではないか。エロス万歳!

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