2013年11月13日水曜日

沖縄駆け足紀行


琉球王朝時代の王宮  首里城

普天間の基地問題で揺れている沖縄に行ってきた。35~6年前に新婚旅行に行った地であるが、沖縄は悲劇の島である。今回は短い期間だったが、たまたま行く機会があったので便乗してカミさんと行ったわけである。沖縄は14世紀頃、琉球王国として栄えていたが、16世紀に薩摩藩に侵略され、明治維新後は日本のものとなった。琉球王国は元来武器を持たない民族で、政治・外交は交易などを通じて中国、日本、東南アジアの国々と平和裏に交流してきたという。首里城に“守礼の門”があるが、これは徳礼を用いて政事を行うという意思表示だそうだ。当時薩摩藩は武器を持ってやって来たので一日で占領された。漆器、陶器、染め織物など文化財を持って行かれた。沖縄人の薩摩に対する敵意はいまだに残っているということらしい。

普天間基地         嘉手納基地


 日本の領土となっても悲劇は続く。太平洋戦争末期の1945年6月、米軍の猛烈な艦砲射撃の後、米軍が上陸、本土防衛の盾になり、日本で唯一地上戦が行われ日本兵・民間人約20万人の犠牲者を出した。米国の占領が続き、1972年に日本復帰を果たしたにも拘らず、米国に基地を提供しなければならなかった。 日本の0.8パーセントしか占めない沖縄の地に、日本にある米軍基地の75パーセントが押しつけられているという。


今回は1泊2日の強行軍だったのでレンタカーを借りてもそう多くは回れなかった。
早朝に家を出て、沖縄に到着したのは11時を過ぎたころだった。1日目は空港から島の西側を回り、宜野湾市にある嘉数高台公園から普天間基地を見て、北に進み「道の駅 かでな」の建物の上の階に嘉手納基地展望スペースがあり手軽に基地を展望することができた。どちらも我々が目にする厚木基地と概観がよく似ていた。ただ写真のように普天間基地は民家の密集地に隣接しており、その喧騒は想像以上だ。日本の防衛の最前線の責務を背負って立っている感じがした。

琉球村        美らうみ水族館

さらに北上し、琉球村や美らうみ水族館を回り、海中道路のある古宇利島に渡り、帰りは沖縄自動車道をひた走り那覇のホテルについたのは7時半を過ぎた頃でハードドライブだった。途中3件の交通事故を見たのも珍しい光景で内地ではあまり見たこともないことだった。確かに沖縄の人々の運転は荒っぽい、普通の車間距離で走っていても左から追い越しをかけてくる。交通手段が限られているのでクルマの数が多いので主要道路の渋滞箇所も多くなる。

国際通りの公設市場         古宇利島


翌朝は島の南から東を周り、10時頃には国際通りで買い物をして公設市場の2階で1階で買った魚介類を料理してもらい昼食を済ませた。ここ沖縄は11月いっぱいまで半袖で過ごせるぐらい暑く、日差しは強くカミさんが日傘を買うほどであった。1時頃にはそこを出発して首里城を見て、一路那覇空港に向かい、定刻より30分ほど遅れて空港を飛び立ち、家についたのは0時近かった。とにかく忙しい旅であった。沖縄のオススメ料理はあまりなかったが、青い海が唯一のご馳走だった。

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